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日本人の宗教観 その5 まとめ

長々書いてきましたが、やっとまとめです。

何より心配なのは、この内容は「小説のネタ」になるかですが、ネタにならない場合には、ご寛恕下さい。


5.まとめ

このように、江戸末からの国学を元にした復興運動が、明治の神仏分離と、後の国家神道の元になりました。 一方 明治政府は、キリスト教に対抗する為の国家宗教として神仏各派を合わせた大教院を設立しますが空中分解。

その後には、法的には「非宗教な神道」が国家により作られます。

これが、明治の官幣大社や、社格の規定となり、これにより予算配分が行われました。

一方で旧来からの仏教は寺領の没収、神仏分離の影響を乗り越え、経済的には安定します。 旧来の神道は教派神道としての道を歩みます。

その一方で政府管理の神社は、内務省所管の神社以外に、内務省及び陸海軍が所管する靖国神社と護国神社、海外総督府が海外神宮を管理、国家神道に関連した教えは文部省という縦割り行政の状態が続き、統一したドグマや管理が希薄な状態が続きました。 この為、法的には「非宗教な神道」が、一次大戦後の不況を経て、中国、満州への進出に伴い、皇国思想を盛り上がりと結びつき、「国家神道」が自然発生します。

これは戦争とも結びつき、当時の日本人の多くが、いつの間にか新興宗教として受容してしまったものと思います。 日本人は個人では、よく言えば宗教に対して寛容、厳しく言えば無関心である事が、このような状況に至ったとも考えられます。

結局、この「国家神道」は、戦争と共に勃興し、敗戦と共に消滅します。


敗戦後の日本で、国家が作った神社 明治神宮、橿原神宮かしはらじんぐうなどは、いまだに人々の崇敬を集めています。 また、伊勢神宮は、昔から存在しましたが、江戸末までの伊勢神宮は一般人のお伊勢参りにより栄えましたが、維新後は明治政府により徹底した皇室のための神社として大きく変えられました。政府所管だった伊勢神宮は、戦後は政府ではなく、再び一般の参拝者達により支えらえています。

海外の神宮の殆どは、敗戦と共に破壊、放火などにより消滅しました。

日本側は融和の象徴と言っても、現地人には征服者の象徴としか見えなかったのでしょうね。

そして、陸海軍と縁の深かった靖国神社は宗教法人として再出発し、各地の護国神社は、廃止されたものや、いまだに神社として維持されるものなど、さまざまな道を歩みました。 日本人が宗教に寛容でかつ、意識が薄い一方で、特定の宗教を信仰する人々は強い理念と思いを持っています。 このような両者間の大きなギャップが、未だに「神道は宗教なのか」という問いに残されているように思います。そしての、その問いに対する答えは、日本人自身が、それぞれの立場で考えなければいけないと思い、このように長々と書いてみました。 少しでも参考になれば幸いです。

最後まで読んで頂き、有難うございます。

宗教の問題は、人それぞれの価値観が異なるので大変難しく、一般的な内容になるように何度も書き直しました。

しっかりと資料を調べて書いたつもりですが、誤りや、ご意見もあると思います。

より良い内容を目指すためにも、ご意見 歓迎です。

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