Twinkle star
それから更に一週間の時が経った。
反政府軍の兵に金を握らせ手に入れた衛星電話で連絡を取り、幸田家の力を借りることに成功した光彦。まだ状況が改善したわけではないが、光彦からすれば実家の力は『神』にも等しい。まだ『金で解決出来ない事もある』事を知らない光彦は、もう一段落ついたと楽観的な気持ちに陥っていた。その思考には後の天才としての片鱗を見せつつも、未だ『世界』を知らない彼の幼さがここで出てしまった形だ。
もしこれが現在の光彦であれば当然諜報部隊に状況を探らせつつ、念の為に本家ボディーガードを担う精鋭部隊を至急派遣させたことだっただろう。
陣は光彦に水穂への手紙を渡した後、休むこと無く次なる戦地へと送られていた。
傭兵生活の長いカルロですら、ここまでハードな連戦は行わない。むしろ疲れによる体力、集中力の低下を懸念するハイペースだ。身体を休めることも仕事、その兵士としての常識すら置き去りにした烈による教育。
陣は妹の無事を条件として引き出し続けるために、それに必死に食らいついていた。
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「ック……」
陣は一台のトレーラーから這うように降り、タイヤを背に虚脱感に襲われていた。
今回のミッションは正規軍の拠点を一つ潰すもの。個々人の練度は高い反政府軍の兵士だが、それだけでは物量差に勝てずいつかジリ貧になるのは目に見えている。その為に与えられた作戦は『陣単独による敵拠点への破壊工作、爆破を確認後敵兵が混乱している隙をつき殲滅』という難度の高いものだった。
潜入作戦の経験が無いわけではないが、今回の標的はまさに『砦』とも呼べる拠点であり哨戒も厳しい。ただでさえ疲弊している陣の精神力は、この作戦でついに限界を迎えていたのだ。
蹲り動こうとしない陣の頭に、ミネラルウォーターの入ったペットボトルが当たる。
微動だにしない陣に、呆れたように光彦が声をかけた。
『流石に疲れているな、いい加減休まないとそろそろ死ぬぞ?』
『おおきな、お世話だ……。お前こそ日本に帰らなくていいのか御曹司……。帰れる奴は、さっさと帰ればいい……』
『僕を舐めるなよ少年兵!一度交わした約束を果たさん者など『幸田』では無い!
……お前等兄妹をなんとかする、それまで僕は帰るつもりは無いぞ!』
『……いざって時に妹さえ助かってくれればいい、それ以上は望まない……』
変わった奴だと光彦を横目に、陣はのろのろと投げ渡された水を煽る。
光彦に言われるまでも無い、自分の体が限界を迎えていることなどとっくに承知している。多少数奇な運命を辿っていたとしても、元々は荒事など知らないただのガキでしかないのだから。
妹という存在を拠り所になんとか持たせてきたが、そろそろ自分も限界らしい。
戦場に連れて来られてからいつも朧気に見えていた『自分の死』。だが、いっその事それでいいのかも知れない。陣はそう捨て鉢に考え始めていた。
父親の思惑は相変わらず分からないが、それが水穂ではなく自分に向かっているのは、頭の回転が鈍った陣にも自明のこと。自分がここで死ねば水穂はどうなるだろうか?妹の生と引き換えに耐え忍んできたが、案外自分が死んでしまえば人質としての価値を失い、あっさりと開放されるのではないだろうか。
とっくの昔に自分のために生きる事は諦めていた。水穂の事さえなんとかなるのであれば、単なる人殺しに堕した自分が生きる意味も場所も無い。
生を諦めつつある陣。その瞳は、徐々に闇を映し出そうとしていた。
この時、後に陣の友人となる光彦の一言と行動が無ければ陣は『戻れなかっただろう』と後述している。
『あ、そうそう。陣、お前今日が13歳の誕生日なんだってな!
ささやかだが僕とサーシャ、カルロとか言う傭兵で祝うつもりだ。残念ながらお前が妹と会うのはやはり許されなかったが……。こんな狂った状況だ、せめて誕生日くらいは祝おう』
陣には、それは衝撃的な一言だった。
勿論だが自分の誕生日が何時かだなんて忘れ去っていた。それが『祝われること』だという事も含めて。
10歳のガキが3年間も地獄《戦場》を生きて歩いてきたのだ。
ここで倒れるのは、悔しくはないのか?
ここで砂に消えるのは、悔しくはないのか?
ここで諦めて死んでしまうのは、悔しくはないのか?
『悔しいに……決まってるだろうクソッタレ……』
陣は背にしていたトレーラーに寄りかかりながら、必死に身体を立たせる。
どうしようもないと諦めていた状況に、自分の意志で反旗を翻す。その一歩は圧倒的な力不足と身体を苛む苦痛に塗れ、絶望に彩られたものであったが、それでも歯を食いしばり立ち上がる。
自らの父親に拐かされ、自らの意志を封じられた状態で生きてきた陣。その3年の中で、初めて自分の意志で立ち上がった瞬間でもあった。
脂汗が吹き出し、足を震わせながら、陣は苦笑を浮かべて光彦に言う。
『普通、誕生パーティーってのはサプライズでやるもんじゃないのか?』
『そういうものなのか?僕の誕生パーティーは各界の著名人を呼ぶ都合上、全て予定されて動くから庶民の作法には疎くてな』
『金持ちアピール、うぜぇ』
『しょうがないだろう。お前が想像する以上に幸田家は金持ちだぞ。具体的に言うとだな……』
同年代の少年との気のおけない会話。それは光彦が陣が置かれている特殊な環境に負けないくらい、光彦も特殊な環境に置かれているからこそ成り立つもの。幼年の時よりど田舎にいた陣にとって、この『お坊ちゃん』との会話はなかなか楽しいのではないかと思い始めていた。
陣は気がついていなかったし、子供の表情としては苦味が多すぎるものではあったが、実に3年ぶりの笑顔を浮かべたのだった。
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その夜、陣の誕生日は慎ましいながらも和やかに行われた。
企画した光彦、サーシャ母娘、飯につられて何故か来たカルロ。光彦が必死に交渉したが、やはり水穂を連れ出すことは適わなかった。自分だけが楽しんでいいのかと浮かない顔をしていた陣だったが、後でこっそり料理を持って行くからとサーシャが宥め、せめて1日くらいは自分の事を考えようと気を持ち直した。
サーシャの母は随分と料理達者な女性で、アラブの国らしい香辛料をたっぷり効かせた料理が並ぶ。舌が慣れていない光彦はひーひー言いながら舌を出し、それを見て子供たちが笑いあう。
カルロはテーブルから少し離れ、珍しく舐めるように酒を飲み煙草を吹かす。子供だけで楽しめるようにとサーシャの母もカルロの隣に座り、賑やかに騒ぐ子供たちを眺めていた。
「ガキってのは分からないモンだな。この世の終わりって顔で戦ってたジンの笑顔なんて初めて見るわ」
「子供っていうのはそういうものよ」
サーシャの母は溜息を一つ付き、カルロを見ずに心中を話す。
「カルロさん達には感謝してるわ。政府から見捨てられて行き場を無くした私達難民を集めて、こうやって住む場所と食べるものを分けてくれた。だから、男衆が反政府に気炎を上げて戦うのも、私達女衆が裏方で働くのも納得しているよ。勿論、子供だって言ってもサーシャだってそれを分かってる。
だけど、あの兄妹。見てて哀れだよ。元々は平和な国に居たっていうのに、こんな所で監禁されたり少年兵なんてモンになっちゃってね……」
サーシャの母は溜息を吐き、顔を俯かせる。この国に生きる者にとっても、それ程までに少年兵という存在は哀れな者なのだ。まともな教育も受ける事ができないから戦う以外の術を知らない。しかし、大人の兵と比べて力も無いので戦力として当てにもされず、酷い場合には子供という見た目を利用した自爆テロの移動爆弾にされる。
ジンは小学校の中頃までは教育を受けていたため子供の中ではまだ物を知っている方ではあるが、水穂に至っては同年代の子供と触れ合う機会すら持てずにいた。
カルロにもその気持は分かる。だが分かる以上の事は彼には言えない。
「あんまり滅多な事を言わないでくれよ。俺らがこの規模でもなんとかやれてるのは、あいつらの親父であるレツさんのおかげなんだから」
「そりゃあ分かってるけど……。あの人が来てから妙に上手く行き過ぎてて、あんたらや男衆が妙に熱に浮かされてる気がしてならないんだよ……」
カルロは紫煙を燻らせ、深紺に染まり始めた空を眺める。
そうは言えども、自分達は居場所を作るために戦い続けるしか無いのだから。
長い傭兵生活を経て、ようやく辿り着いた自分の居場所。それを護るためにも、カルロはなんだってするつもりでいたのだ。
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宴は終わり、子供達は熱いコーヒーを飲みながら語らっていた。
日が落ち寒気が押し寄せる砂漠に於いて、熱い飲み物は何よりのご馳走。野外で遊んだ経験の無い光彦は大いにはしゃぎ、それに釣られて陣とサーシャも笑顔を浮かべる。焚き火も勢いを弱め、そろそろお開きとなった頃、手に持ったマグカップに映るそれに陣が気付き空を見上げた。
「……ふわぁ……」
乾季の砂漠が産んだ、奇跡のような満点の星空。
透明で澄んだ空気は星明かりを遮ること無く、陣へと柔らかな光を降らせる。
宝石箱を引っくり返すという表現があるが、そんな軽い物じゃない。これは、星の海だ。
「これは……凄い……」
光彦も目を丸くして空を見上げる。光彦の父親である幸田源次郎の付き合いで最新のプラネタリウムのお披露目に参加したこともあるが、宇宙空間で見られる星空を再現したという触れ込みのそれより、この星空の方が遥かに感動的だと。
この星空を作りたい。その思いがやがて光彦をVRの世界へ、そして、人が産み出す神秘へと誘うことになる。
サーシャは二人の様子に目を細め、静かに歌う。
その歌声は細く、遠く響き、遠い、本当に遠い場所に居るんだなと、陣の心に漣を立てた。
二人に見られている事に気がついたサーシャは、少し恥ずかしそうにしながら言う。
「誕生日に何も上げるものが無いから、アッラーがジンに星空を見せてくださったのかなって。
だから、私からは歌を。砂漠の民に伝わる、星の歌」
サーシャはそう言い、また静かに歌い出した。
今更ながらに、陣はサーシャのアラブ民族特有の妖しさを持つ美しさに見惚れ、彼女が紛うことなき美少女である事を意識する。こんなにも近くにいながら、それを感じる余裕すらなかったのだ。
サーシャが歌う異国の音は、初めて聞いたのに、何故か少し懐かしい気がした。
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光彦から水穂を連れ出せないかと談判を受けていた烈。当然、その子供達の様子を見ていた。
本当に反吐が出る程、甘く平穏な光景。今直ぐその光景をぶち壊したい思いにも駆られるが、これは必要な儀式だと酒を煽る。
いよいよ、種に水をやる時が来た。そうと思えば、この想い出こそが最高の贄になるだろう。
「いい殺意を育てるんだぜ陣。明日が、俺の誕生日プレゼントだ」
烈の呟きは誰に届くこともなく、闇に溶け消えた。




