水穂
『だから、何故あの兄妹を会わせられないんだと聞いているんだ』
光彦が陣より救われて、既に一週間という時が流れていた。
陣へ借りを返すべく光彦はすぐに行動を開始。本来光彦が滞在するはずだったドバイ行きを遅らせ、暫し見聞を広めるため反政府軍のキャンプに留まる事にしたのだ。難色を示すかに思われた反政府軍のメンバーは、交換条件に光彦が提供を約束した食料などの支援物資に喜色を浮かべ了承。幸田家からかなりの報酬を得たのか、陣の父親であり反政府軍の軍事インストラクターをしている烈も何も言わず、光彦を追い出すこと無くVIPとしてキャンプに留まらせていた。
そして、悩みがなんなのかを口にするのを渋る陣から一週間かかって無理矢理聞き出した事が、烈に禁じられ妹に会えないという悩みだった。
本来の『兄妹共に父親に誘拐されている』という状況を光彦が知ってしまったら、烈が何をするか分からない。しかしいつまでも光彦が陣へと纏わり付けば目立ちすぎてしまい、いつか烈から目を付けられてしまうだろう。光彦が知る事による危険性と、知らない事による危険性を天秤にかけた結果、『妹に会うことを禁じられている』という事実だけを伝えたのだ。
陣も光彦がいきなり烈へと食って掛かるとは思っておらず、これは光彦の行動力を甘く見たと言っていいだろう。
光彦に詰め寄られた烈は、ひたすら鬱陶しそうに言った。
『家族の事情や躾に口挟まないで貰えないか?坊ちゃんにゃあ関係ない話だろう?』
『妹に会いたがっている兄を、躾の一言で会わせないというのは普通じゃないだろう!』
『そうだな、普通じゃねえな。だったら言わせて貰うが、年端もいかない餓鬼に大金使って諸国漫遊させる幸田家も普通じゃねえだろ?同じようにウチも普通じゃねぇってだけだ』
『それはそうかもしれんが……。僕は陣に命を救われた借りがある。はいそうですかと引き下がれない。
許可を出すのに金が欲しいなら、僕の救出にかかったギャラと合わせて幸田家に請求しろ』
烈は鬱陶しいから面倒臭いに感情を変じ、いっそ始末するかと光彦を見る。もし幸田家から追手がかかっても全て返り討ちにする自信が烈にはあるし、光彦が消えた所で進行中の『計画』に光彦の存在は現時点では影響を与えない。だが、計画までの残り時間を考えれば、そう大した影響では無いかと思い直す。
陣が危険性を天秤に掛けたように、烈もまた『どちらがより面倒ではないか』と天秤にかけただけではあったが。
『……陣と水穂を会わせるのは許可できない。が、お前が水穂と会うのは許してやろう』
『本当だな!よし!』
喜び駆けて行く光彦を見送り、烈は静かにその場を立ち去った。
※---※---※---※
※---※---※
※---※
※
『陣!とりあえず僕が君の妹と会うのは許可されたぞ!』
『!?……そうか』
やはり陣が水穂と会うのは許可されなかったらしいが、それでも大きな前進ではあったのだ。
日常的に水穂と会っているのはサーシャだが、彼女は烈に逆らった行動は取らない。差し入れするものも全て報告されてしまう以上、烈に見られてしまう可能性があるので手紙一つ渡すことが出来ないでいたのだ。彼女の身の安全を考えればそれを非難出来ないし、そもそもこの村の中で権力を持つ烈にはサーシャは逆らえないのだ。烈が兄妹に同情的なサーシャを不審に思わぬように『烈の命令には従え』と頼んでもいた。
だが、やはり半年以上会えない状況では心配もするし、水穂も不安に思ってる事だろう。
陣は自分に与えられたテントに飛び込み、素早く手紙を書いて光彦に押し付けた。妹の水穂とのコミュニケーション手段は、普段は小窓から声をかけるしか方法が無い。それに、返事をすることを烈に禁止されてもいるのだろう。それは陣からの一方的なものになってしまっている。
現在の陣であれば『烈は何を企んでいる』と疑った事であろう。だが、この時の陣にとって利害関係が無く、許可も降りている光彦が妹に橋渡ししてくれるというのは、久々に訪れた『確実に声を届けるチャンス』だった。
『これを妹に渡してやってくれ……』
『分かった、必ず渡そう。他に渡す物や伝言は無いのか?』
『いや……いい……。何度も言っているけど……あまり不審な事をすると、親父に殺されるぞ……』
『……あの御仁はよく分からん男みたいだからな……。日本人の癖に紛争地帯で戦闘行為を教導している人物というのは珍しい。聞けば反政府軍からはノーギャラだと言うではないか。目的が分からん』
『俺もそこは分からない……でも、多分知り過ぎない方がいい……』
腑に落ちない光彦は物問たげに陣を見るも、陣は黙って首を横に振り立ち去って行ってしまった。手紙一つ満足に渡せない事を申し訳なく思いながら。二年という年月をかけても、一向に改善しない状況に歯噛みしながら。
※---※---※---※
※---※---※
※---※
※
光彦は陣の妹、水穂がいるという家屋の前で腕を組みながら思案に暮れていた。
陣には『借りを返すため妹に会わせる』と約束しているが、事はそう簡単な事ではない。そもそも、兄は戦闘行為に参加し人殺しを強要され、妹と会うことすら禁じられているという事が真っ当な状況である筈も無い。
それの意味、思惑をさて置いて考えれば、妹を人質にして兄に人殺しをさせているとしか見えないのだが、それをさせているのが実父だというのだから訳がわからない。
陣はああ言っていたが、本当の悩みは『今の異常な状況そのもの』なのだろう。烈は『これが普通だ』と嘯いていたが、正常な感覚を持つ親族がいればこんな事を許す筈が無い。いや、話に聞く烈の性格と、諸々の不気味さを考えれば、障害になりそうな身内は既に殺されている可能性すらあるのだろう。
父親に連絡し調べてもらうことも考えたが、不幸な事に誘拐事件の時に衛星携帯電話は犯人に取り上げられてしまい、結局取り返すことがなできなかった。キャンプへの支援物資と共に新しいものが届くことになっているがもう暫く時間がかかるし、他の通信手段では周りの目もあり隠れて動く事も難しい。
『一つ一つやっていくしかないか。まずはこの手紙を届けてやろう』
光彦は陣から受け取った手紙を懐に隠し持ち、粗末な木の扉を開けて入った。
屋内も外と変わらず見窄らしく見えていたが、空調が効いており一瞬中東だと忘れる程に快適。壁も一見普通の土壁にも見えるが、かなりの補強をしているらしい。素人の光彦がパッと見て分かるくらいに多数設置された監視カメラの山。しかも、それらは外を監視するものではなく『内』を監視するもの。
いよいよもって自分の推測が間違っていないと確信を深くする。やはり、水穂という陣の妹は監禁されているのだろう。
これ見よがしに置かれた監視カメラは逃亡しないよう牽制する意味合い。快適な環境は幼くひ弱な日本人の少女に、万が一にも倒れたりされないよう配慮された結果だろう。
光彦が辺りをチェックしつつ屋内を探索していると、奥の間から少女が姿を見せる。このキャンプに小人の姿は殆ど無い、誘拐犯達から救出された日に陣と話していた少女だと直ぐに気がついた。
顔はチャドルで隠され露出された目元しか見ることは出来ないが、それだけに輝く金の瞳が印象的に際立っていた。ただ、その瞳は見慣れぬ光彦へと不審げな眼差し。問題になることを嫌った光彦は万国共通であろう降参のサイン、両手を上げて苦笑してみせた。
「驚かせたならすまない。僕の名前はミツヒコ=コウダ。ジンの妹に会わせて貰えることになっている。
勿論、父親である烈氏からの了解は得ているぞ」
「あぁ、先程聞きました!と言ってもミズホとお話できるか分かりませんが……。私もずっとお世話してますけど、ミズホの声聞いたこと殆ど無いんですよね……。同郷の方なら喋ってくれるかしら。こちらの部屋に彼女はいるので、会ってやって下さい。
私はサーシャ、ミズホのお世話係です。厨房でご飯を作っていますので何か合ったら声かけてくださいね」
サーシャは光彦に頭を下げ、厨房へ入っていく。光彦は間違いなくサーシャが厨房に入ったことを確認し、水穂がいるという奥の部屋に入った。
その部屋は、異常な程『白い』部屋だった。
壁や天井、床に至るまで白く、置いてある家具も白い椅子とベッドのみ。防音すらしているのか外の喧騒はまったく聞こえず、低音で唸るエアコンのモーター音だけが響く。
その部屋の中の白い椅子に、一人の少女が座っていた。
栄養状態そのものはいいのだろう。肌艶は良く髪も綺麗に切り揃えられているが、殆ど日に当たらないせいか肌も白く、日常的に運動が出来ないせいかその手足も細い。
だが、最も特徴的なのは、光彦を見るその大きな瞳だ。幼い光彦にも異常が察せられるくらい、その瞳は完全に『死んで』いる。そんな目を幼い少女がしていい訳が無いだろうという事くらいは、感情の機微に疎い光彦でも分かる。
光彦は腰を下げ、水穂と目線を合わせて話しかけた。
『こんにちは。僕は君の兄、陣の知人で光彦という。
君が彼の妹、水穂さんで間違いないか?』
「……」
様子から予測していたことではあったが、水穂は光彦になんの反応も返さない。
こうなってくると誘拐や監禁なんてちゃちな話では無い。明らかに光彦の予測していたよりも状況が悪く、一刻も早い専門機関による治療が必要なレベルだろう。
光彦は手紙を取り出し水穂に握らせた。
『これは君の兄から預かった手紙だ。僕はもう行くが、また会いに来よう』
動かぬ水穂の手に陣からの手紙を握らせ、居た堪れない気持ちを抱えながら光彦は立ち上がる。
誰が見ても少女の心は限界を越えていると思うだろう。この段階から果たして心を取り戻すかどうか、それは一種の賭けに近いだろうが、手を拱いて良い理由にはならない。
光彦が触れた少女の手は、それでも生を証明するように暖かった。まだ生きているぞ、そう叫ばれたような気さえしたのだから。
それ以上は見ていられないと踏みしめる足に苛立ちを乗せ、足早に『監獄』を抜ける。
(これは……。いくらなんでも状況が悪すぎるだろう!時間をかけてでもあの兄妹の着地点を見つけてやるつもりだったが、そんな悠長な事をやっている時間は無いか。陣はただ『会えない』としか言わなかったが、明らかにこれは親族による拉致監禁だ。
幸田家を動かして……。いや、先ずは日本の行方不明者の中にあの兄妹がいないか調べるべきか。なんにせよ連絡手段の確保が先決だな)
光彦は自らが行うべきタスクを脳裏に浮かべながら、一人動き始めた。




