第九話
林を先頭にして四人は駅員室を後にする。
林は出来るだけ目立たないように最大限まで携帯電話のライトの光量を落とし周囲を照らす。
そのライトは目の前にある自動改札、その隣に設置されている券売機、白いタイル張りの床や壁を淡く映し出す。
「これってどちらに行けばいいんですか?」
大里は改札を出て左右に向かう道と改札内への道の三つを見て林に尋ねる。
林は少し悩む素振りを見せながらもすぐに大里へ返答する。
「改札にもう一度入って、線路を歩いて帰るのが一番だろうな。使用されている様子がなさそうだし、恐らくここは機能している駅じゃなさそうだ。
地上への階段は開通していないか、もしくは何かしらの施錠がされているだろうな。もしかすると、ここが江森は先生が言っていた噂の観月駅かもしれねえな」
「そうですか。やはり観月駅、ですよね……」
大里は林の言葉に暗い表情を浮かべる。
「ん? どうした?」
「いえ! 何も。またあれが来る前に先へ向かいましょう」
「そうだな」
林はそう大里に返事した後、自分達が向かう先を見つめる。
淡い光で照らせる範囲は限られてはいるが、光が照らす範囲では異常を見つける事はなかった。
林はその自身の判断を信じ、足を動かし始める。
働く機会を与えられる事なく眠り続ける自動改札を抜けて、もう一度改札内へと足を踏み入れた。
林の見る限り大きな変化は見当たらない。
しかし、この暗さでは何か見落としがあるかもしれない。そう感じた林は声を潜めて、後方を歩くメンバーに、「おい」と前置きをして声を掛ける。
「お前ら。もし何か不自然な事があったら教えてくれ。奴が俺達の事を探していると分かった以上何か仕掛けてきているかもしれない」
「なるほど。分かりました」と江森。
「当然」と高本。
「はい。分かりました」と大里。
三者三葉の返事をする。
林はそれに対して声に出して返事をする事はなかったが、心の中で少しは頼もしいなと感じていた。
走ってここに来た時とは違いゆっくりと注意を払いながら歩いているため、落ち着いて視界に存在するものを吟味出来る。
それが功を奏したのか先程まで見落としていた違和感に高本は気が付いた。
「……おい」
「なんだ?」
「あそこ……。何だかおかしくないか」
そう言われて林、江森、大里の三人は高本が指差す方向をじっと観察する。
大里はそこに目を凝らすがまだらな黒色しか見る事が出来ない。
何が一体違和感なのかに対して違和感を持ち始めた時に、江森は、「あっ!」と驚きの声を上げる。
「高本さん。……確かにあそこには何かありそうです」
「やはりそうか」
「一体何の事だか全然わからん。教えてくれてもいいか?」
林は珍しく教えを乞う。
大里も林の後に続いて、「すみません。私からもお願いします」と申し訳なさそうにしながら付け加えた。
「ええ。あそこが黒いのは分かりますか?」
「ああ、分かる」
「あそこが違和感の原因です。……暗いせいでどこも黒く見えてしまいますが、その黒色よりも濃い黒色で色付いているのが分かりますか?」
「……ああ! なるほど。そう言う事なんですね」
江森の説明により、ようやく大里も理解する。
しかし林は相変わらずわからないようで、暫くしてから、「まあいい」と投げやりな発言をして諦める。
その見えなかった目の代わりに口を使って江森に今後の方針を尋ねる。
「で、そこに向かえばいいのか?」
「うーん。……いえ、どうでしょう……」
「何だか歯切れが悪いな」
「遠くからなので分かりませんが、多分あれ、血痕ですよ」
江森は難しそうな表情をして林に自身の考察を伝える。
「血痕、か。少し気になる所ではあるが……」
江森の言葉を聞いて林はその場に立ち止まって悩み始める。
暫くその様子を見ていた高本だが、その待ち時間に痺れをきたしたのかぶっきらぼうに声を掛ける。
「行くにしろ行かないにしろこんな所に立ち止まるなよ。また見つかるぞ」
的確な指摘に林は、「あ、ああ。それもそうだな」と素直に受け入れる。そして少し慌てながらも口を開く。
「それならあそこに向かおう。警察として血痕が残っている現場を見過ごすわけにいかないしな」
林はそう言って今後の方針を皆に提示した。
大里にはその言葉は皆に向けられた言葉という意味だけでなく、自分自身にも言い聞かすための言葉であるように聞こえた。
「ええ、それでいいと思います」
江森はすぐに林の意見に同意する。林は江森の意見を確認した後、後ろを歩く高本と大里を見る。
高本は林に対して何も言わない。だが、否定しないという事は林の意見に反対はしないという事なのだろうと大里は感じた。
林も同じように考えたようで、高本にはそれ以上尋ねる事なくそのまま大里を見る。
「大里はどう思う?」
「私もそれでいいと思います」
大里は林の質問に対してそれ程間を開けることなく同意した。それに対して林は頷き、血痕と思しき物が残る場所へと足を向けた。
江森は地面にこびりついた黒色の物体をまじまじと観察する。そして何かを察したような顔をしながら立ち上がる。
「やはりこれは血痕ですね。かなり古そうですが」
「やはりそうか。となると……」
そう言って林はその血痕が続く先に目を向ける。その先には駅長室という看板が掲げられていた。
「ここに何かあるのか」
林はそう言いながら駅長室の扉に触れる。
するとその扉は音も立てることなくゆっくりと開いた。
「なんだ。ここは開くのか」
そう言って林は駅長室へと入室しようとする。
その様子を確認した大里は、
「待ってください」
と声をかけて林を静止した。
「どうした?」
「あ、いえ。少し奇妙だなって思いまして」
「奇妙?」
「はい。どうして駅長室の扉の鍵は開いていたのかが不思議で……」
そのやり取りを見ていた高本は、上手く表現出来ずに顔をしかめている大里を補助するように、大里の感じた奇妙な状態を自身の仮説を加えてまとめる。
「なるほど。もしかするとこの先には何かあるのかもしれない。それこそあの得体の知れない奴の寝床かもしれないし、基地なのかもしれないな」
「そうか……。その可能性を考え切れていなかったな」
「いえ! お互い持ちつ持たれつですよ」
軽率な行動をした事に反省している林を励ますように大里はいつもよりも少し明るい声を出す。
「すまんな。さっきから注意力が続かなくてな。もしかすると少しこの状況に疲れてきているのかも知れねえな」
林は自身を嘲笑するような顔を浮かべる。
「いえいえ。仕方ないですよ。こんな非日常で正常を保っている方が難しいですから」
江森は自信を失いつつある林を庇うように声を掛けた。
その励ましを受けた林は、「情けねえな」と言って頭を掻いた。口ではそう言っているものの大里が見る限り、その表情には少し力が戻ってきたような気がした。
「よし! じゃあ、俺が先頭でこの部屋に入るからお前達は俺が合図したら入ってきてくれ」
扉の前に立った林は後ろにいる大里達を見る事なく小さくその言葉を言い残して、ゆっくりと駅長室の扉を開けた。