九章プロローグ (カタリナの杞憂)
「容子ちゃんだいじょうぶかしら……」
そうため息をつくのはカタリナ・天城。
場所は主簿室で、カタリナは室長。午後2時頃。いまカタリナは自身のデスクへほおづえ、その大きなバストがデスクへデーンと乗っている。じつはこうすると首も肩も楽。
午前中――。
時は昼休みになる直前。そろそろお昼ね。と、席を立とうとするカタリナへ、
「カタリナ君、特戦隊の手続きもうきてるから手配お願いね」
という男性の声。
カタリナが顔をあげると目の前には人の良さそうな初老の課長がデスクの横に立っていた。
「へ?」
面くらい不思議顔のカタリナ。とつぜんに特戦隊といわれても、なんの話かわからない。
いまのカタリナは、特別任務の戦隊というはわかるけれど、どこの、なにが目的の特戦隊さん? といわんばかりの顔だ。
「勅命軍だよ。件の帝のご下命で派遣される軍は、陸奥特務戦隊となづけられた。略して特戦隊。30分前に決まったらしい」
「なるほど、勅命軍の名称ですか」
「仕事は特戦隊の申請書類の作成だ。特戦隊にはまだ秘書官が着任してないだろ」
カタリナがうなづく。鹿島容子を始め特戦隊の秘書官たちは、まだ軌道エレベーターなかか、高軌道ステーションからシャトルへ乗り移ったぐらいだろう。
「だから直接、主簿室へ仕事が回ってきたというわけさ」
「なるほど。主簿室が総動員ですね」
と意気込むカタリナ。帝の肝いりの軍の派遣が決まったとなれば少なくとも20,30隻規模の任務編成だろう。これを急遽編組する書類作りとなれば、忙しいわよ!と気合が入るのも当然。
けれど課長は、
「いや。急ぎなのは確かだけど、君一人で終わるよ」
といってカタリナの前に業務用のタブレットさしだし情報を表示。
タブレットの画面の編成欄には、
――陸奥改(戦艦)、時雨(護衛艦)、夕立(護衛艦)。
の3隻だけ。勅命軍にしてはあまりに少ない。
「え?!たった3隻で?」
課長は驚くカタリナへ、そんなに驚かないでくれよ。と苦笑い。
「とうことで僕も手伝うから、悪いけどいまからお願いできないかな?」
「え――」
という一瞬の逡巡。
カタリナの脳裏には、
――もうお昼なのに……。
という強烈な思いともに天丼・カツ丼・親子丼の映像が駆け抜けた。
今日の食堂は丼ぶりフェア。カタリナは丼物には目がない。
が、カタリナの目の前には、やっぱり嫌だよね。という課長の顔。そして課長の目には、
「ご飯に行きたいのはわかる。わかるけれど、虎符による命令だから即処理しないと始末書もありうるかな。課長の僕も手伝うって意味をくんでくれるとうれしいな」
そんな目語がありありとでている。
カタリナは断るとまずいと判断し、
「はい!」
切れのいい返事をするが、
――やっちゃった。まずいわよぉ。
と作り笑い。返事までの微妙な間は、先にお昼食べたい。という感情がにょじつにでていたに違いない。
あの一瞬の間にはカタリナの、
「ご飯を我慢って、課長は私に死ねとおっしゃるのですか?!」
という悲壮感で満ちていたはずだ。
これじゃ容子ちゃんのこといえないわね。気をつけなきゃ。と思うカタリナへ課長は、
「じゃ僕は自分のデスクへ戻ってやるからたのんだよ」
といって去っていく。
カタカリもさっそく作業へ取りかかった。グズグズしていては楽しみにしていた丼物フェアが終わってしまう。カタリナにとっては死活問題だ。
――まずは申請書類の確認ね
と、モニターをのぞき込むカタリナの目に止まった特戦隊の責任者の名前。
》戦隊司令:天儀
》陸奥改艦長:天儀
へー司令と艦長はいっしょなんだ。ま、小さい編組だしね。うん……?天儀?どっかで見たような聞いたような。などとカタリナは思いつつ。天儀なる男の履歴をざっと確認。記入に不備がないか確認するためだ。
》階級:― ―
――あれ?階級記入してないじゃない。もう、しっかりしてよ特戦隊司令様。
カタリナは心のなかでひとこと苦言。軍のデータベースへアクセス。『天儀』と入力し検索。
》検索結果:1名
――あら同姓同名がいないなんてめずらしいわね。
これなら楽だわ。と思うカタリナ。普通ならここから、どの天儀さんが該当者か探す作業発生する。
カタリナが階級を確認するため〝天儀〟の文字をポチッとクリック。
瞬間、カタリナは、
「え――」
と息を呑み、思わず声をもらしていた。
》天儀
》男性、惑星アキツ、平林区出身
》・階級および略歴
》星系軍少佐 (備考:陸奥副艦長、研修乗艦)
》星系軍大佐 (備考:第一艦隊第一戦隊司令および陸奥艦長)
》大将軍 (備考:総軍司令官および大和艦長)
》元帥 (備考:旧大将軍府所属)New!
これがカタリナのモニターに表示された情報。
カタリナは真っ青な顔で情報が表示されたモニターを指さしながら課長の方を見る。
課長がカタリナの視線に気づき、
――そうだ大将軍だ。
と目語してうなづき、キーボードをカタカタっと勢いよく叩いた。
小気味いいキーボードがしてから2,3秒後。カタリナのモニターの画面には、
『元大将軍の秘書官となれば、鹿島君の浮かれようが心配だ。終わったらお昼ごはんの前に鹿島君の確認をたのむよ。元大将軍の不興を買うのは、すなわち帝の不興を買うのと同意義だ。君がしっかり面倒見てくれ。鹿島のやる気が空回りするさまが僕には目に浮かぶよ』
というチャットの吹き出し表示。これは軍業務用の通話ソフトだ。
カタリナもカタカタとキーボードを鳴らし返信。
『承りました。あと質問が、階級の選択肢に〝元帥〟がないのですけれど、どう処理しておけばよろしいでしょうか?』
そう書類への階級の入力は『元帥』と打ち込むのではなく、一覧から階級を選択するタイプ。カタリナは課長のメッセージに目を通しつつ、階級選択の一覧を開いたが〝元帥〟がなかったのだ。
数秒、課長が考える顔をしてから、
『〝大将〟と入れといてくれ。ソフトウエア作ってる情報科には僕から元帥の階級を追加しておくようにいっておくよ』
と返信してきた。
カタリナはフーっと一息して〝大将〟を選択。
この〝大将〟の選択が鹿島を恥ずかしい事態に追い込むが、それはまた後の話である。
そして30分後には書類は完成。カタリナは課長とともに手続きの完了を確認。これで一安心だ。
「それにしても元大将軍ですか……」
一息ついたカタリナがいった。
「ま、僕も驚いたけど考えてみれば勅命軍だしね」
「なるほど元大将軍は帝が最も信頼した男ですか」
「そうだね。忠臣李紫龍に裏切られたなら元大将軍。考えてみれば当然さ」
「容子ちゃんだいじょうぶかしら」
「さあねぇ。元大将軍はグランダ軍の個性ある将軍たちを統率しえた男。とても恐ろしい男らしいが――」
「課長はお会いしたことは?」
「ないね。会いたくもない」
初老の秘書課の課長は誰が見ても人よさ気。その見た目通り争いを好まない柔和な性格だ。
対して元大将軍は気性が荒いという噂がある。いや、事実荒いだろう。第四次星間戦争で全軍の電子戦を統括した電子戦司令部の千宮氷華(現、最高軍司令部の電子戦局長)が惑星強襲への参加を強要されたという事実がある。
とうぜん作戦には大気圏再突入もあり、シャトルによる地上へ向けての強行突入など、あたりまえだが頭だけでなく体力面で優れる精鋭しか投入されない。しかも同作戦には徒歩での山岳地帯の突破があった。小柄な女子の千宮氷華は、
――足が痛い。
と、ダウンし歩けなくなると元大将軍から激昂を買い目的地まで髪の毛をつかまれて引きずられていったという噂があった。
主計部秘書課の人々が連想する元大将軍とは、
――悪鬼羅刹。
もしくは、
――鬼か悪魔。
それに作戦の無理は主計部に押しつけられることも多い。
以前、カタリナは課長が、
「彼らは好き勝手する作戦立てるだけで、いい気なもんだよ」
という毒をもらしたのを耳にしたことがある。
そう艦長や司令官たちにこき使われ、ヒーヒーいう現場の秘書官たちは悲惨だ。
カタリナは課長のかんばしくない応答に、
――課長は秘書官時代に現場でずいぶんとしごかれたらしいから。
と、課長の艦隊高官たちへの不信感をおもんばかった。
場にはしんみりした空気がただよう。
課長が悲しげにハーっとため息一つ、
「鹿島君はいい娘だったね」
まるで故人のようにいった。
「ちょ!」
と驚くカタリナ。
「かわいそうに、あんなにキラキラした目をしてたのに……」
「課長!容子ちゃんはまだ死んでません!」
必死なカタリナの剣幕に課長が苦笑。
「ま、鹿島君なら上手くやるさ。彼女に笑顔になんど丸め込まれたことか。それに実際優秀だ」
「もう。課長ったら。私、容子ちゃんを信じてます。でもちょっとお調子者だから、ほめられて調子に乗らなければいいのですけれど――」
カタリナは従妹の鹿島が心配でしかたない。
けれど心配される当人の鹿島は念願の秘書官に気分は最高。いま鹿島は意気揚々。満面の笑顔で陸奥改の司令室へ入ろうとしている。
当然ウキウキ気分の笑顔など軍人にも戦場にも似つかわしくない。