8-(2) 林氷沙也加の大胆
「ドック採光にはオイ式二足機の部隊がいます。弟の林氷進介は兵器マニアで甘ったれなところがありますが、役に立つと思いますがどうでしょうか?」
ドック長官の林氷沙也加は主幹教官との交渉を終えると、天儀へまっすぐと見て二足機部隊へついての具申を行なった。
予科生まで動員しようとしていることを考えると、天儀は二足機戦力にかなり枯渇していると見ていい。というのが沙也加の推量。
――戦争の勝利者に、さしでがましいけれど。
と、沙也加は思いつつも、予備兵力科の生徒を動員するぐらいなら――。と、思い切っていっていた。
「トップガン林氷は当然連れて行く」
天儀がさも当然だというようにいうように応じた。
天儀の口にしたトップガンとは、エースパイロットの形容の仕方の一つ。沙也加の弟で、オイ式二足機の操縦士の林氷進介は、星間会戦での戦績からそう呼ばれていた。
グランダ軍には、いくつかの優秀な二足機部隊が存在するが、話題にでた林氷進介のオイ式二足機を集中運用する林氷隼人隊もその一つだった。
「それはよかった。弟は草刈や鉄腕レティほどではありませんが、それでも優秀な軍人だと思います。徹底的に使い倒してやってください」
天儀が沙也加の言葉にうなづきつつも、
「問題は中身だな」
と懸念を口にした。
軍縮と再編成で、林氷進介の部隊からも多数の移動、予備役や退役がでていた。3日で出発となると、七割程度は実戦経験のない新兵となってしまう。
沙也加がこのような状況に、天儀の予科生の飛行訓練の見学という情報を加味して推理すれば、
――まさか質の低下を数で補う気か?
という結論が見えてくるが、大将軍がそれほど安易な結論を持つだろうか。という疑問も大きい。
――だが、大将軍には弱兵のへ酷薄さがある。
沙也加の知る天儀は怠惰で言い訳にまみれ、サボる兵士を好まない。
沙也加と天儀の関係は直属の上司と部下。だが、この関係は一面にすぎない。見る角度を変えれば2人は同じ艦に乗って死線を越えた戦友。
大将軍はっきりと口こそしないが、間違いなくこずるい態度を嫌忌している。というのが沙也加の天儀へのイメージの一つだ。
そう沙也加からすれば、天儀は自分の地味な努力を高く買ってくれた最高の上司。これを逆説的に見れば、天儀が努力を怠るものを嫌うということは想像にやすい。
――大将軍は惰弱を嫌う性質がある。
そこまで考えた沙也加がハッとした。
――まかさ大将軍は低練度の兵士の消耗を厭わない気か。
まずい兆候だ。と思った沙也加は思わず、
「質の低下を数で補うお考えをお持ちなら、それはお勧めできない選択肢です」
そう助言をていしていた。
だが天儀は、
「数で質を補うとは、つまり死兵だな」
ろくな戦いかたではないないというように吐き捨てた。
思わぬ反応に沙也加が慌てた。沙也加から見て天儀に不快さがにじんでいる。沙也加は尊敬し畏怖する上司の負の感情に反射的にまずさを感じ不安に襲われ、いいつくろう。
「そんな……そこまではいっていません」
「沙也加、君のいったことを再現すれば、つかいかたとしてはそうなる」
次々と低練度の兵員で襲わせ敵が息をきらしたところで精鋭へ投入する。もちろん底質な兵をあつかう戦いかたはそればかりではないが、死兵つかうとはこういうことだ。
戦場に情けはなく状況しかない。つかえない兵を盾として活用する。こんなものは戦術ですらなく現場次元でも多用される戦闘でのテクニック。めずらしいことでもない。
慌てる沙也加に天儀は、
「よっし、私は飛行訓練を見学してくる。沙也加、助かったよ。既知の相手でなければもっと時間がかかった。君をドック長官にして正解だった」
話を切りあげに入っていた。天儀にとっては世間ていど。さしたる話題でもなかったようだ。
「いえ、そんな」
沙也加も沙也加で、直前までの不安はどこへやら、
――この呼び捨ても悪くないだよな。
と、思いつつ恥ずかしそうに鼻頭をかいた。
勝ち気な沙也加を下の名前で呼び捨てにする男など、沙也加の周囲にはいままでいなかった。
そう沙也加が異性として天儀を見れば、
――背は低いがたよれる旦那さんになりそう。
というもので優しく包み込む父性と、敢然と守ってくれる強さを感じる。
天儀が踵を返した。
いま沙也加の目に映るのは部屋をでていこうとする天儀。瞬間、沙也加の胸懐に、
――大将軍はこうも小さかったろうか?
という愁いが強烈に胸を抜けていき、
「往時6個艦隊を督率していた男が、たった3隻で出撃か――」
そんな感傷的な気分へとかられた。
いま沙也加の目に映る天儀の背中は儚げですらある。
沙也加は思わず
「大将軍!」
と、呼び止めていた。沙也加は呼び止めた自分に内心驚いたが、天儀が歩みを止めて振り返り、
「いまはもう、ただの元帥だ」
と、いった。
それでもすごい。と沙也加は思う。
グランダ軍で生きて軍の最高位である元帥の階級まで登ったものは数えるほどしかいない。しかもグランダ軍の元帥は現役で大将まで上り詰めた人間へ、栄誉として与えられる顧問職。現役で元帥という立場は探せばいるだろうが、沙也加にはすぐには思いあたらない。
――実戦部隊を率いる元帥などグランダ軍始まっていらいなのではないだろうか。
と、沙也加は思う。
ただ天儀の場合、大将軍という全軍を強力に統括し、生殺与奪権までもつ超然とした存在だっただけに元帥といっても事実上の降格だった。なので周囲は、いまの天儀を書類上も過去の制度上も存在しない大元帥と呼んだり、引き続き沙也加のように畏敬を込めて大将軍と呼ぶものが多い。
軍事の頂点をきわめたものが、今後なにをするのか。沙也加が見るに目の前の天儀は政治家にもなる気はなさそうだし、戦場にいてこその軍人だというような考えを持っている人間に見える。
――大将軍がただの民間人とは想像がつかないな。
沙也加は内心クスリとした。沙也加からすれば軍人以外の天儀は上手くイメージできない。
そういえば大将軍は戦後に「最大の目的をはたせり」といっていたな。まるで人生の目的を達成したかのようなものいいが印象的だったが――。あと、そういえば大将軍は独身だ……。
瞬間、沙也加は不安にかられ、
――軍人しかできないような男が退役してどうなるのだろうか?
という面白くない想像がよぎった。沙也加からすれば、軍人しかできそうにない天儀が今後なにを生きる張りあいとして人生を歩んでいくのはかりかねた。
沙也加のこの疑念に、いま天儀は少数の艦艇で出撃するという現実が加わる。そして反乱軍に加わった李紫龍を起用し、世に出したのは天儀。沙也加が思うに天儀はこのことにも責任を感じていそうだった。
これらの思考が沙也加のなかで次々と浮かびあがり、その瞬間に沙也加は、ハッとしたように顔を上げ、
「まさか!」
と、口にしていた。
だが、そのあとに続く、
『死ぬ気ですか』
という言葉はさすがにでなかった。
けれど天儀は沙也加のその言葉の先を敏感に感じ取り、
「戦いにはならない。今回は軍を発することだけが重要だ。それに陸奥改を道連れにとは、将兵はいい迷惑だな」
と、いって笑った。
人は誰も無欠ではない。沙也加からして天儀は直情的な危うさを感じる面がある。決断が早く直進していく姿に、軍人して羨望と憧憬すらもったが、その性急さは方向を間違えば危うい。これはなにも沙也加1人の天儀へイメージではないはずだ。グランダ軍全体が、いや戦った星間連合軍の兵士たちも感じたかもしれない。
そんな危惧を心中にいだく沙也加は、ダッと天儀へ駆け寄り、
「立場上難しいことも多いでしょう。ご要望があればなんだっていってください。どんなことだってします。お一人で思い詰めてはいけません。ときには愚痴をいったっていいんです」
腕にすがっていった。
駆け寄った沙也加は勢いで天儀の腕を胸に抱いていた。さらに思いきって天儀の腕をギュッと自身の膨らみへ押しつける。本当になんでもする。という意思表示だ。はしたないかもしれないが、こうすれば沙也加の覚悟はわかりやすくつたわる。
けれど天儀は必死な沙也加の肩にそっと手を置き微笑。優しく抱かれている腕をといた。
拒絶でもないが、肯定でもない。距離をおいた対応。
沙也加が天儀の反応にとまどう。沙也加が自身の大胆へ対し、天儀へ期待した行動は抱擁。それも熱い。
自身の大胆を、あっさり天儀に流された沙也加は、
――あ、あの?無反応ですか?
と内心とても渋い。硬派で身持ちのかたい自分が大胆にも胸を押しあてたのだ。沙也加からすれば、もう少しこうなにか。たとえば顔を赤らめて驚くとか、鼻の下を伸ばすとか、ないんですか?というものだ。
沙也加は弟の進介などからは、
「確かに姉ちゃんはおっかなくて近寄りがたいところあるけどさ。顔はいいし性格もまっすぐだろ?弟の俺がいうのはあれだけどスタイルもいい。姉ちゃんに迫られたら拒否る男なんていないって自信持ってよ」
などといわれていた。
沙也加は、
「バカめ真に受けると思うのか。姉をおちょくるのもたいがいにしろ。お前が私に媚を売るときはなにか裏がある。その胸の内にあるその汚い要求はなんだ。早く吐け。内容によっては往復ビンタで修正を加えてやる」
と、軽薄な弟を叱責しつつも内心は、
――やはりそうか。私も実はそう思う。
というもので、自身の大胆な行動への天儀の黙殺が辛い。
――これなら叱責されたほうがマシだ。
沙也加は恥ずかしさに押しつぶされそうになるなか、
「大将軍職が廃止された以上、朝廷の軍への影響力は大幅に低下している。私は星間連合の第二星系まで行ってなにをするか少々知恵を絞る必要がある」
天儀からでた真剣な言葉に我に返った。
沙也加は戦場を知る軍人で現場第一主義。天儀の真剣味に沙也加の脳は軍事のことでいっぱい。きれいさっぱり先程までの大胆な行動のことなど忘れ、
「いま戦争を指導しているのは賢人委員会で、最高軍司令部が作戦指揮を行なっていると聞いてきますが」
応じの言葉を口にしていた。
「私が3日後に率いてでる軍は、その最高軍司令部の枠組の外になる。最高軍司令部の指揮下に入れば帝の面目を損ないかねない。と、なると独自に動く必要がある。だが手持ちの戦力は少ない」
天儀は楽しそうに口にしたけれど沙也加は、
――それが心配なんです。
と気が気でない。
人には感覚と慣れというものがある。一度大軍に慣れ、大兵を上手くつかった天儀は少数を上手くあつかえるのか。寡兵はあらゆることを制約する。できないことが多くジレンマにさいなまれるだろう。
「難しい状況です」
「だが考えようだ。きっと面白い戦いができる」
天儀が、そうだろ?といように笑った。
瞬間、沙也加は、
――あぁ、自分はなんて愚かな。
と思った。この男は最後まで戦うことしか考えない、徹底的に悪あがきをするが自爆など考えないのだろう。
沙也加にホッとしたような安堵の表情。
露骨に安心する沙也加に天儀が苦笑。
「私が少数ででると知って心配させたようだな」
「いえ、私などが」
と、沙也加が少し恥ずかしそうに応じた。
思えば自分と大将軍はそこまで近くない。沙也加は大将軍である天儀をかなり強く意識しているが、天儀からしたら沙也加は多くの部下の1人にすぎない。
――弟に煽られたせいで意識しすぎてしまったのだろうか。
と思う沙也加は次の瞬間、自身の大胆な行動を思いだし顔から火がでたように真っ赤。
――勢いに任せて、む、胸を押しつけてしまったぞ……なんてことだ。
衝動にかられたとはいえ思いだせばきわめて恥ずかしい。
はしたない女と思われたかもしれないとか、今後の関係がギクシャクしたらとか不安がつきない。
真っ赤になってうつむく沙也加。
天儀がフッと微笑し胸から虎符を取りだした。天儀は指で摘んだ虎符を胸の前で振りながら、
「こいつをもらったんだぜ。それなりに融通が利くようになる。賢人委員会も最高軍司令部も完全にむげにはできない。」
と、いたずらっけのある表情。
沙也加が思わず笑う。いいおもちゃをもらったというようで、まるで子供だ。
「それにだ。沙也加からもなかなかの選別をいただいたからな。大いにやる気がでた。ありがとう」
そう爽やかにいう天儀だが、沙也加の顔が火を吹いていた。
「大将軍!!」
叫ぶようにいう沙也加の思考は大混乱。
止めてください。思いだすだけでも恥ずかしい。衝動に駆られた軽挙でした。わびます、ふれないでください。
沙也加は落ちつかずシドロモドロだ。
天儀は、そんな沙也加を見て苦笑するが、
「その大将軍という呼びかたは、そろそろ止めたほうがいいだろう」
そう威儀を正していった。
真っ赤になって恥ずかしがっていた沙也加に、またも天儀の不意打ち。
こんどは沙也加はとたんに真剣な表情で、
――なるほど。
と思う。もう大将軍の官職は廃止されたのだ。大権を有していた大将軍職だけに、そう呼び続けるのは危ういものがある。尊敬や憧憬の思いからまだそう呼んでしまうものは自分外にも多いだろうが、そろそろ止めるべきだった。
沙也加が了解したというように、うなづくと、それを認めた天儀が、
「それに、あまりかっこよくないしな。大将軍は。元帥のほうがいかす」
といって笑声をあげた。
これには思わず沙也加も吹きだしていた。
天儀は笑う沙也加へ「帝には内緒だぞ」とつけ加え部屋をでていったのだった。
結局、天儀は、
「あの茜色の機体のやつは優秀だな」
などと、感想を一ついっただけで、戦術機予備兵力科、通称予科生の動員は見送った。
そもそも陸奥改と、護衛艦2隻では搭載できる戦術機の数も限られる。練度は低くとも現行の訓練を完了した部隊隊員だけを引き連れていくほうが安定した実力を発揮できる。というのが天儀の結論。
戦術機予備兵力科の教官と生徒は、ただ天儀の気まぐれに翻弄されただけという結果となり困惑しただけだった。