8-(1) 林氷姉弟
「さて、我が愛艦陸奥よ。いまはいかなる状態か」
などと口にしながら天儀はいま軍用ドック採光の出入管理の受付に立っていた。
――ドック採光。
は、首都惑星天京の高軌道上最外縁にある天京宙域最大の軍用ドック。
天儀は軌道エレベーターで宇宙へ、そして星々の輝きが美しい黒い海をシャトルで乗り継ぎ巨大な軍用ドック採光へと入っていた。
天儀は出入管理の受付に立ちながら、
――これから忙しい。
と思う。
勅命軍といってもまだ何一つ決まっていないからな。使用する艦艇を決め、人員を招集しなければならないぞ。手続きのことを考えると真っ先に秘書官チームを作るか。戦術機隊も引き抜いて……。
そう天儀はドック採光を拠点に勅命軍討をゼロから招集する。時間との勝負だ。
天儀は宇宙への移動中に頭のなかで手順を計画し、いまは虎符の発行待ち。虎符があれば、天儀の指示はあらゆる事務処理の最優先と認識され、最短最速で軍内を駆け巡る。
出入管理係の女性マールラバ・ナオミは不思議顔。入港許可だけでなく目の前の男に発行するのは、いままで見たこともないデータ。
――なにかしらこれ?
と出入管理係マールラバはモニターに表示された虎符のデータを天儀の端末へ転送し、同時に手のひら大のカードも発行の入力作業をしつつ目の前の男を、
――何者?
とチラ見。
――制服は将官用ね。かなり偉いわね。
出入管理係マールラバはそんなことを思いつつ入港許可の身分証明へ目を落とすと、そこには、
『天儀』
という文字。
――え、で、服は将官用ってことは!?
出入管理係マールラバのなかで情報が符合し、
――つまりグ、グランジェネラル!?
という驚きとなってとたんに敬礼。
「ど、どうぞ!」
どもりながら発行されたカードをわたしていた。
天儀が微笑し、
「ありがとう」
と一言。
出入管理係マールラバは敬礼した身を硬くし、ハイ!と切れのいい返事。
出入管理係マールラバは、
――写真で見るよりいい男だわ。というか、あんな背が小さいんだ。
と思いつつ
――なんで1人で!?あれじゃあ偉い人って誰も気づかないわよ!
と驚きながら見送ったのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
広い部屋にマホガニー材の執務机がたった一つ。壁には絵画。ほかには応接用のソファーと机。こんな部屋をつかう人は絶対に偉い人。
ここはドック採光の長官室だ。
この部屋の主である林氷沙也加は、
「ダメだといってるだろ!」
とマイクへ向かって叫んでいた。沙也加は絶賛通話中。
叫ぶと同時に沙也加は机をドンッと叩き、沙也加の長いポニーテールが勢いよくゆれた。
憤る沙也加に対し、通話相手は飄々している。
『いやー俺も姉さんが出世してくれて助かるよ。ドック採光の長官なんていったら艦隊司令もはばかる大任。戦争さまさまだね』
「おい、聞いているのか進介!」
沙也加の通話の相手は弟の林氷進介。
『許可ってことでいいよね?』
「ダメといったのをどう受け取ったら許可と思える。あまり私を怒らせないほうがいいぞ」
沙也加が威厳ばっていっても弟の進介は、えー、と不満げ口にしてから、
『昨日はいいっていったじゃん。なんで今日はダメなのさ』
そう切り替えしてきた。じつに甘ったれた要求。
だが、沙也加はウッと応じの言葉につまる。
なお沙也加の甘ったれの弟進介の要求はドックで改修中の陸奥改の見学。
――いや、だから手続きが面倒くさいのよ。それをアンタは毎日のようにね。
最初は許可していた沙也加だったが、先週あたりからいい加減にして欲しかった。だが生真面目な沙也加には、たんに面倒くさいという理由は不純に感じるのだ。
「昨日も見たのに、なぜ今日も見たいの?毎日、毎日陸奥改のドック入り許可の発行するお姉ちゃんの身にもなってよ」
沙也加についに泣きが入った。沙也加は言葉づかいを少し変えて、さとすようにいうが、
『毎日、見たいじゃん?』
と、進介はあっさり悪びれずにいった。
そうトップガン林氷進介は極度の兵器マニアだった。
――毎日、戦艦は見たい。
当たり前すぎるほど当然だった。
だが、姉の沙也加からすればたまらない。
「なっ!お前、なめているのか!」
『いやいや、尊敬しているって』
「嘘をいうな!」
『嘘じゃないって、だって姉さんはすごいだろ。国軍旗艦大和の元兵器廠長じゃん?』
「そ、そんなことは……、あるが。お前は私を尊敬してないだろ?だってお前は二足機部隊のエリートで軍の花形だ。しかもトップガンと呼ばれる戦争の英雄。対して私は技術士官で地味で裏方だ。それに私自身も地味だ。オイル臭いし……。でも、すごいか?私もちょっと誇らしくは思ってるんだが」
露骨に嬉しそうにする姉。進介は、チョロいぜ姉さん、と思いつつさらにほめる。
『いやー逆にそれがすごいんだよ!国軍旗艦大和の兵器廠長って技術系なのに作戦会議への出席権利あるじゃん?』
「うう、そうだが。すごいか?でも私は一度も作戦会議へはでたことないぞ?」
権利があるのと、実際作戦会議へでられるか、もしくは出席を求められるかは違う。沙也加は一度もそんな華のある席へはでたことがない。
『いやいや、凄いよ。それだけでも凄いのに、大将軍に見初められてドック採光長官だぜ?グランダ軍の長い歴史で技術士官からドック長官なったのって姉さんが初めてじゃん。いままでずっとドック採光長官は兵科武官の最終ポストの一つ。慣例上長官は兵科武官が独占。技術官は良くて次官。その分厚い慣例をやぶった。すごいよ』
この進介のほめの追撃に沙也加は真っ赤。
「み、見初められてなど!大将軍天儀は公平なお方だぞ!」
進介は姉の反応に、そっちかい!と心のなかでツッコミを入れつつ攻め口を見つけたとばかりに大攻勢。
『いやー俺思うんだけど、大将軍天儀って姉さんに気があるんじゃない?ドック採光の長官なんて、そうじゃなきゃ任命しないって。それに姉さん化粧しなくてもけっこうイケてるし、化粧すればわりと美人じゃん。絶対行けるよ。自信持って』
「いや、まさか、そんな……。でも大将軍だったころの天儀将軍は確かに大和の兵器廠によくきてくれたし、こころよくいっしょに写真も撮ってくれた。まて、そうだ食事にもよく誘ってくれたじゃないか。そうか、もしかして……。そうだな大将軍が、いいというなら私は……。なあ進介、大将軍はご自身より背の高い女性は好みだろうか?」
現場だったころの沙也加は兵器廠の鬼。気っ風のよさと負けん気、そして仕事の腕では男にも遅れを取れない。そして進介にとっても昔から、
――おっかない姉ちゃん。
だが、そんな姉が心を許した相手にときおり見せるのは、普段の沙也加からは想像もつかない乙女チックな感情。
進介は姉沙也加の思わぬ反応に、
――やばい姉ちゃん、それ超ウケル。本気にしてんの?
もっと煽っとくかと思うも、
――いや、止めるんだ進介。やりすぎだぞ。
と自省。実の姉をそこまでコケにしてはまずい。ほどほどにしておこうと自重した。
「大将軍は家庭に入る女のほうが好みだろうか?私はわりと尽くすほうだし、それは平気なのだが……技術官によりよい環境をという志しは半ばだ。やはり中途半端というのは私としては納得がいかないし、まだ仕事は続けたい。そもそも大将軍は、あんなにステキな方。独り身のはずがない。私になびかせる自信はあるが、略奪愛はやだな。でも……」
もういいよ姉ちゃん。聞いてるこっちが恥ずいから。と思う進介は、
『じゃあ許可ってことで。ドック入るからね。ありがとね』
と不意打ち。林氷進介はトップガンと呼ばれる二足機のエース。戦いの呼吸は体でわかる。進介からすれば、いまの姉は隙きだらけだ。
弟の不意打ちに沙也加は突然現実に引き戻され、
「え、あ、はい」
と脊髄反射的に返事。
『やったぜ、ハイだってOKだ』
「あ、まて!進介けぇ!」
『あ、あと姉ちゃん。最近さ化粧濃いよ。色気づいちゃってさ、男でもいるの?じゃあね』
「進介――!」
沙也加が、やられた!と気づいて真っ赤になって叫ぶももう手遅れ、通話は終了。
沙也加は、
「クソ、あいつ……。またやられた。三度目だ……」
とブツブツいいながら林氷進介の陸奥改改修工事ドックへの入港許可を発行の手続き。
「どいつもこいつも戦争が終わって腑抜けている。進介め、あとで修正だ……!」
憤る沙也加だが、口にしていて腑抜けているのは自分自身もだと思う。沙也加は戦場がなつかしいとは思わないし現場に未練があるわけでもない。だが、こうやって出世して満ち足りているかといえば違う。沙也加は胸懐に消化できない、いらだちを感じた。
沙也加が甘ったれの弟のためのドック入港許可の手続きを終えると同時に着信音。
「次なによ。今日は忙しいじゃない!」
沙也加は悪態をつきながら受信。モニターにはドック長官室で受付案内も兼ねている秘書女子。
『あの、お客様が……』
恐る恐るいう秘書に沙也加は、
「アポあるの?」
と不機嫌。
『それがございませんが』
「じゃあ後回し。一時間待ってもらって。いまから申請書類への許可作業だから、それが終わってからで」
だが沙也加が一蹴しても秘書は青くなりながら、ですが……、と食い下がってくる。
――もう、しつこい娘ね。
と思った沙也加は厳しい口調でいう。
「あなたね。なんども注意してるけど、長官は忙しいんだからちゃんとお客様の管理してよ。面会は予約制。急にこられたって困るって先週も注意したじゃない」
『あ、でも、今回それとは違って――』
それでも秘書は話を聞いてくれとばかりに食い下がってくる。
――しつこいわね!もう終わりよ。
沙也加は通話を切ろうとすると、
『あ、お待ちください。ダメです警報鳴っちゃいます!アーッ!』
という叫び声がスピーカからしたと思ったら次の瞬間、
――バキ!ガターンッ!
という音が部屋の入口でした。
驚く沙也加の目の前に薄い扉と、その破片がスローモーションで舞っていた。
「沙也加兵器廠長。いやいまは長官だな。どうもお久しぶり。この扉はもっと頑丈にしたほうがいいな。簡単に蹴破れたぞ。ドックの重量軽減もいいがセキュリティに問題がある」
警報音は鳴ってない。秘書が寸前のところでオフにするのを成功したらしい。
だが沙也加は、そんなことはどうでもいい、
――天儀将軍?!なぜここに?!
と、真っ青になって扉を蹴破って入ってきた天儀へ敬礼し硬直。
「沙也加、悪いが私は忙しい。1時間は待てない」
「も、もももも」
沙也加は、もしわけありません。といおうとするも緊張でろれつが回らない。
「いい、怒ってはいない。君にも事情はある。それよりこれだ」
天儀がそういって手のひら大のサイズのカードをかかげた。
とたんに沙也加に、
――仕事の話だ。
と、平静が戻った。沙也加が大和乗艦時代の兵士の顔に戻っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
天儀はドック採光の長官室で、林氷沙也加の出迎えを受けていた。
沙也加は大和兵器廠長のころの作業服とは違い技術系将官用の制服に、髪型もあのころは乱暴に後ろで一つに束ねていただけだが、いまは同じポニーテールでも綺麗にセットしている。沙也加の外見の変化は天儀に時代のうつろいを感じさせた。
「ずいぶんと変わったな」
と、天儀が微笑みかけながらいった。
沙也加にとって、この気の良さそうな表情が天儀の人としての魅力だった。天儀から優しげな笑みを向けられると、不思議と親愛や思いやりのようなものを感じる。
――公正にして正大というやつだろうか。
と思う沙也加の表情は硬い。
いま天儀を目の前にした沙也加には、馬のあった元直属の上司という心地よい緊張感だけでなく。
――いまのドック採光の長官という立場は大将軍の推薦による。
と思うと、その緊張は大きい。沙也加にとって天儀は慣例を曲げてくれた大恩人だ。
だがいまの沙也加の緊張の理由はそれだけではない。弟の進介がいった、
『大将軍は姉さんにきがあるんじゃないの?』
という言葉が耳底に残り悶々として、不必要に天儀を意識してしまう。
――うぅ、そうなのだろうか?大将軍が私を、す、す、好き?
そう思うと沙也加は、とても緊張するぞ!というものでチラチラと天儀を見てしまう。
それでも沙也加はなんとか気を持ち直し、なにを考えているんだ私は!仕事中だぞ。と自身を叱咤。
沙也加は意を決し応じの言葉をだすが、顔を赤らめ恥じらい、
「申し訳ありません。色気づいたと弟にはいわれました。以前は化粧もほとんどしませんでしたから……。その似合わないでしょか?」
言葉の最初から最後まで部下にはけっして見せないはにかんだ表情。
――まずい。なんか乙女っぽくなってしまったぞ!
と、沙也加が焦るも天儀は、
「なに、そういう意味じゃない。戦争が終わったのだなと思っただけだ」
そうあっさり応じると言葉を継ぐ。
「だが、また戦争だ。やり足りないというやつがいる。戦いたいというのなら、やってやるまでだと言うことになった」
天儀はそういいながら『虎符』と書かれたカードを肩でピラピラと振る。まるでこれが何かわかるか?というようにだ。
沙也加は、知っていますとは応じず、
「虎符とはまたすごいものを引っ張りだしましたね」
といって応じた。
天儀の言葉に応じる沙也加の顔にはよく知っているという既知の表情。
「知っているのか?」
と驚く天儀。
天儀からすれば『虎符』を見せるだけで、意味を理解できるかは微妙だった。見せてから虎符の意味を説明する必要があると思っていた。
「ええ、事務方の仕事もしますので、よく知っています。実際使われることがあるとは驚きですが」
「では話が早い。こいつを使って、ここにある戦艦をもらいうける」
「陸奥改ですか?」
沙也加はすぐに思いあたっていった。いまドック採光あって、すぐにつかえる戦艦など陸奥改ぐらいなものだ。
「そうだ。我が愛艦を再びというわけだ。私の星系軍の軍歴は陸奥の艦長から始まるからな」
沙也加がうなづいて応じた。
いまの陸奥改は改装の最終フェイズも最終フェイズ。99.999%作業は終了している。改装の合間を縫って日に4時間、乗員たちの訓練も行なわれているぐらいだ。
宇宙線防止とデブリ対策のコーティングが明日には終わる。それから乗員を乗り込ませ、
――つごう7日、いや5日もあれば行けるな。
と、沙也加が思うなか、続いて天儀からでた問いは、
「3日だ。行けるか」
という彼女の予想を大きく超えたものだった。
「3日ですか?」
と、驚く沙也加。たった3日とはずいぶん急な話だ。
「間に合わんか」
「だいじょうぶです」
沙也加が自信を持って応じた。機関科出身で技術官の叩き上げの沙也加には、ドック採光の技術系の要員たちの掌握には自信がある。
元大和兵器廠長という現場の最高峰、しかも実戦も知るドック長官はドックの技術系からは絶大な支持を集めていた。
ドック作業員は戦時並の昼夜貫徹の作業を命じても、
――火の玉のようになって働いてくれる。
という確信が沙也加にはある。
「乗員もドック採光内に留まっています。ただ他の艦艇もと、なると3日ではとても無理です」
「母艦機能の拡充された護衛艦が1隻あるだろ」
「三番ドックのやつですね。あれはだいじょうぶです」
「あと第二惑星火徳星の警備任務についている護衛艦が明日戻ってくるはずだ。これを引き抜く。これで3日で行ける」
「え、3隻ですか?!」
沙也加は驚いた。
沙也加からして、虎符を提示したからには間違いなく天儀がここにあらわれた理由はランス・ノールの反乱軍への対応だ。いや、厳密には叛いた李紫龍の誅殺かもしれないが。どちらにせよ敵は2個艦隊、軽く十倍を超えている。沙也加には大将軍は本気なのか?という驚きしかない。
天儀は3隻で出撃と聞いて驚く沙也加へ、そうだ。と、うなづいてから、
「待てば増えるってものではない」
と一言だけですませた。
「そうですが……」
確かに天儀のいうとおりだった。天京宙域でいくら待とうが10数隻が関の山だ。沙也加の目の前の天儀が、どんなに虎符の権威をかざして励声を発して声を枯らそうが、ないものはない。集まらない。
「あと、ここで二足機のパイロット候補生が訓練を行なっているはずだ。授業を見学させてもらう」
「戦術機予備兵力科の生徒を動員するのですか?」
「制度上は可能だ」
言い切る天儀に沙也加は困惑。
沙也加が戦術機予備兵力科とは。と思えばこうだ。
――予科生。
のことだ。こっちの呼びかたのほうが民間人にとおりがいい。
グランダ軍の二足機パイロットは士官学校の兵科課程、もしくは兵科学校の戦術機課程を終了したのちにより実践的な訓練を行うために戦術機予備兵力科へ進む。
この戦術機予備兵力科は、文字通り予備兵力の役割を持っており、有事には戦場へ投入される可能性がある。正式な予備兵力ではあるが、立場はまだ半学生半軍人といったところだ。戦力というには練度も経験も不足しすぎだ。
なお、つけ加えておくと、予科生とは〝戦術機予備兵力科の生徒〟の省略だな。
なに?この沙也加の説明だと堅苦しくて平文とかわりないだと?黙れ!
沙也加は天儀の態度から、すぐに訓練を見学させろという性急さを感じ、
「いまは午後の授業を終えて夕食前ですから余暇時間ですが?」
と、一応確認。
沙也加からして、いまから突然は生徒だけでなく教官も嫌がるだろう。というのは想像にかたくない。厳し1日を終え、ホッと一息しているころだろう。
とたんに天儀の表情が険しくなり、
「そうだ。いまから飛行訓練させろ。戦場は待ってはくれない。我々は兵士で、ここは基地。基地とは陣地とも言い換えていい。兵士が戦陣あって予定をいうか!」
声を強くしていった。
沙也加は気圧されるしかない。天儀は普通に言葉を吐いているつもりのようだが、目が燃えていて体貌から気迫がもれでている。
「敵襲にこちらの予定なんぞない。炊事と余暇を優先して陣地を抜かれる気か。死ねば飯を食う暇なぞないぞ。飯を食っていても死ぬ。戦っても死ぬ。だったら戦って死ね!そうだ。不満がでたらこう訓戒してやる。それに戦えば死ぬとも限らん。勝ってうまい飯が食える可能性がある。どんなときも戦うことが唯一の活路だ」
天儀はさらに沙也加の執務机を指して、すぐやれ、と強引に迫った。
沙也加は大和兵器廠時代のように跳ねるようにして敬礼、
――大将軍はお変わりない!
という興奮を覚え嬉々として動いた。
いま沙也加の心は油まみれの整備工。執務室に油の匂いすら感じ心地よい。
沙也加にとって天儀は同じ艦に乗っていた直属の上官。天儀は尊敬の対象であり、畏怖の対象でもある。軍に限らず上司はなめられていては務まらない。
コール3回で戦術機予備兵力科の主幹教官へつながった。
沙也加が主幹教官へ説明というより要求を開始。天儀が眺めていると思うと沙也加は緊張した。
「はい。いますぐです。え、あ、そうですね」
通話する沙也加はていねいだ。
主幹教官はもちろん沙也加より階級は下。だが二足機科は兵科武官の花形で、畑違いでもあり、ドック採光の戦術機予備兵力科は、組織図上はドック長官の下にあるが直属というわけではけしてない。ドック長官の沙也加でも気をつかう存在だ。
「虎符です。勅命に近いと考えますが、無視すれば命令違反か拒否、いえ明確な軍規違反なるんじゃないでしょうか」
これだけで主幹教官は、いまから訓練を行なうことを渋っている様子がうかがえる。
沙也加がスッと息を吸い雰囲気に鋭さをだした。
「二足機科は技術官を見下しているのか?それなら私にも考えがある。ドック長官は私だ。あなたは一教官にすぎない。聞けないというなら覚悟しておけ」
それでも言い返されたらしく沙也加の言葉は続く。
「私が決断する前に、あなたがた二足機に乗れるのは技術官の整備あってこそということを思ってはくれないのか?」
天儀は鋭さを身にまとった沙也加を眺めつつ、
――あの声は威儀がありよく人を制す。
と心地よく思った。
さらに天儀は、沙也加はこういうところがいい。とも思う。
仮に元大将軍の要求といえば、主幹教官は色を失って簡単にいうことを聞くだろう。だが沙也加はそういうことはせずに、まず自身の力で解決しようとする。
天儀がそんなことを思うなか沙也加と主幹教官やり取りは続いている。
「主幹教官、私は大和兵器廠長だった女だぞ。あなたは戦争では後方で予備。私は最前線にいた。戦場を知るのは私で、あなたではない。ある方がおっしゃった。戦場に予定はないとな。いますぐやれ」
沙也加の声が先程までの何十倍も鋭く重い。重力砲の直撃で船体が揺れる感覚を知っているか知らないか。沙也加の声の重さの裏付けはたんにそれだけだが、軍人にとってこの違いは大きすぎる。
「はい。お願いします。虎符のことはいわずに、突発的な会敵、実戦を想定した訓練ということでやってください」
沙也加の言葉づかいがていねいなものに戻り、ついに話は進んでいた。
主幹教官は沙也加に気圧され冷静になり、拒否すれば問題になると悟り承諾したのだろう。
沙也加が天儀を見てうなづく。いますぐ訓練を開始できるという意味だ。
天儀は沙也加の苦労にねぎらいの言葉もなく、
「あと生徒の成績評価のデータも欲しい」
と、要望を加える。
沙也加がうなづいて主幹教官につたえる。
大将軍は優しいな。私が主幹教官になめられていることを無視してくれた。と沙也加の心にしみた。
沙也加にとって天儀からのねぎらいの言葉がないということは最上級の気づかいだった。




