6-(1) 李紫龍の詮議 (安心院蕎花と冥府の門)
「李紫龍、反乱軍に降る」
の報は、帝を大いに動揺させた……。
帝は報せを聞いた翌日の公務では、つとめていつもと変わらないようにしていたようだが、帝の動揺は朝廷をゆらし、朝廷にいた廷臣たちは帝からでたゆれを震怒として敏感に感じとった。
そして朝廷がゆれれば、世間もゆれる。それがいまのグランダだった。
グランダには皇帝を戴く朝廷という行政機関だが、もともと象徴皇帝制だったが、歴代の皇帝たちは「任命権」、「認証」、「承認」、そして「拒否権」をたくみにつかい、ついにいまのグランダ皇帝の代には、
「宣戦布告の告示」
という役割を得ていた。
戦争が決まったら帝が岐陽台で国民へ向け「戦争が始まりましたよ」と布告をするのだ。この権利を拡大解釈。告示の役割は宣戦布告を決定できるとして星間戦争に。
もちろん宣戦布告しようが、軍が動かなければ戦いなど起きない。布告されたほうも困惑するだけで終わる。
だがグランダ皇帝は星系軍6個艦隊6人の司令官のうち第一艦隊司令官を任命する権利を持ち、残り5人へは認証する役割を持つ。そしてグランダ軍のトップである大将軍の任命権は皇帝にある。
軍は帝の、
――征け。
という一言で6個艦隊は一斉に疾駆した。
それが約2年前。いまは状況が違った……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
場所は外庭にある集光殿で帝の政務室――。
「ですが――」
と真っ青になって顔に汗をかきいうのは萌黄色の東アジア風の朝服に身をつつんだ初老の男。これが鹿島とカタリナが話題にしていた桑国洋だ。
初老の桑国洋は痩身に端正な顔立ちだが、白髪の多い頭に気苦労が多そうな顔。
鹿島が見た桑国洋の感想をはさめば、
「若いころは二枚目そうですけど、卒業式典の最中にお見かけしたときは、いまにも倒れちゃいそうな顔をしてお疲れのようでした。帝のほうばかり気にしてましたね」
というような男だ。
そんな桑国洋が、
「軍は再編で解体され、新たに編成される艦隊は最高軍司令部のもとにあり、グランダの管理でありません。我々に動員の権限がございません」
そういって平伏する相手はもちろん、
――グランダ皇帝。
執務用とはいえ立派な椅子に堂々とかまえ、黒々とした髪の毛とりっぱなヒゲ。
卒業式典中にチラ見した鹿島の弁を借りれば、
「桑国洋様の元気を吸い取っちゃったような元気ハツラツな人です。なにより印象的なのは体にまとった空気がとってもこわ~いんです。朝集の間に帝があらわれただけで存在感と威圧感がハンパないんです。でも、その黒々としたりっぱなヒゲの奥のお顔はほりが深くて、あれは間違いなく格好いいですよ」
というような外貌だ。
帝が桑国洋の言葉に応じて、
「賢人委員会にやられたな。軍の統合再編にかこつけて皇帝と軍権の分離をしれっとやりおったわ。いまの朕は新編成された艦隊の司令官の任命権どころか、認証の役割までない。どうする国洋。紫龍を迎えにいこうにも軍もだせんぞ」
そう投げにやりに放った。
桑国洋は、
――どうするもこうするもない。
と悲痛に思った。
桑国洋からして、なにもできることはない。せめてそう――。
「朝廷から反乱軍へ投降を勧告するとか……、ああ、そうです岐陽台から紫龍将軍へ向け投降を呼びかけたらいかがでしょか?」
帝が不機嫌に首をひねり、
「あれだけ目をかけてやったのに――紫龍の坊主め!」
とうめくようにもらした。
「で、どうなのだ。李紫龍はほんとうに反乱軍へ降ったのか?」
「情報部の将校の話では、反乱軍内の書類はもう総軍司令官李紫龍となっているそうですが……」
帝が苦い顔をした。今朝方、武官侍従春日からつたえられた情報とまったく同じだ。
――どすうる?
と帝が黙考。
このまま事態を放置すれば忠臣の大事件になにもできない皇帝というイメージを世間へあたえてしまう。
――事件の放置は朝廷の権力喪失を決定的に印象づける。
帝はそう思った瞬間、
「朝議を召集する!」
と、宣言していた。
「議題はいかに――」
青い顔で桑国洋が聞き返す。朝議の召集という帝の決断は桑国洋が思ってもみなかったことだ。
「決まっておる。李紫龍の詮議!」
「ご深慮のすえのお言葉とは推察いたしますが、この侍中の愚見をもうせば、いま李紫龍のことを詮議しても、情報が少なすぎ空想に空想を重ねて長々と言葉を重ねるだけで結論がないと思われますが」
桑国洋の正論に帝がいらだって言葉を放つ。
「妻を呼べ!前の武官侍従安心院の娘だろ」
「なんですと。李紫龍の妻を呼んでいかがするのですか?」
「問詰する!李紫龍が寝返るような兆候があったどうかだ。妻もじつは裏切りに関わっている可能性もある。それに妻が夫は潔白といえば、李紫龍は反乱軍との交渉中に拘束されたと岐陽台から発表し世間の蕩揺を静めることができる」
驚いて声もでない桑国洋へ帝は決断を繰り返す。
「朕が裁決し、李紫龍の問題は朝廷が白黒をつける!これで世間は朝廷の権力の衰亡を思わない!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
詮議当日――。
その日の朝、身支度を整えた安心院蕎花は玄関で息子を腕に抱いていた。蕎花の腕のなかの息子は、まだ幼く頬がぷっくりしている。
「ほー、ほんにお主は幼いころの紫龍にそっくりじゃな。紫龍もまんじゅうみたいな頬が真っ赤じゃった」
蕎花がそういって息子の頬をつつく。
息子が嫌がって顔を背ける。母に抱かれるのは嬉しいが、毎回こうやって頬をつついてくるのは不快といったようすだ。母の蕎花は指の腹で押しているつもりらしいが、息子からすれば長い爪先が食い込んで痛いのだ。
「目元は美人の母にそっくりじゃ。ということで、お主の母御は行ってくるぞ」
床に置かれた息子が名残惜しそうに母親を見上げる。
「なんじゃ泣くのか。お主の父も泣き虫じゃったが、わしは一度として優しくしてやったことはない。甘ったれるな」
蕎花はそういうと、息子の顔を両手で挟んで額と額をあわせ、
「こうすると紫龍も泣き止んだ。お主は御祖母様を泣いて困らせるな。母との約束じゃ」
それでも息子が、見つめてくるので蕎花は思わず、
「そうじゃ、今日は早く帰れるじゃろうし、ゆっくり相手をしてやる。なんぞ呼んで欲しい絵本でもチョイスしておけ」
と、いうと息子の顔が明るくなった。
今日、蕎花は朝廷から召喚をうけ朝議で問詰される。朝議というぐらいなので午前中、遅くとも15時ごろには帰ってこられるはずだ。
蕎花が明るくなった息子の顔を確認して立ちあがり戸を開けると、
「父上は――!」
と、息子が問いかけてきた。
蕎花が振り向くと、キッと締まった目つきで口元を一文字で結んでいる息子が目に入った。昨晩、義理の母から聞いた話だと近所の悪ガキに、逆臣の子となじられて泣いて帰ってきたらしい。
蕎花は息子がいま自分へなにを問いかけてきたかよくわかった。
言葉に詰まる紫龍と自分の子。それ以上声をだすとどうなるか。言葉とともに涙が溢れでるのを必死にこらえている姿。
いま、母と泣かないと約束したのだ。仕事に行く母をここで困らせてしまうようなことはできない。これが幼い子供が必死にこらえている感情。
蕎花は、そんな嫌気な息子へ、
「比類なき忠臣じゃ」
そういって少し笑うと、息子も破顔した。たまらず涙が溢れているが、蕎花はそれを悪いことだとは思わなかった。帰ってきたらまた抱きすくめてやればいい。いま、涙をふいいてやるよりその方がよほど喜ぶそんな気がした。
蕎花が家の門をでると、首輪のない痩せた犬がフラフラを歩いていた。
蕎花は、けげんな顔でそれを見る。野良犬などこのご時世にめずしい。
どこからか抜けだしてきた飼い犬なのじゃろうか。それにしては犬の首に首輪の跡がないの。そんなことを蕎花は思いながら朝廷からの迎えの車に乗り込んだ。
しばらく進むと車が停止。運転手が冷や汗をかいてガチャガチャと色々な操作をしている。けれど一向に動く気配のない車。
「どうしたのじゃ?」
蕎花は運転手へ一言かけた。
「いえ、動きません。今朝でる前に十分点検はしたのですが」
運転手は蕎花の問に哀れなくらい青くなって、顔は汗でびっしょりだ。
「まあ、そういうこともあろう。ここが宇宙なら死んでおったな」
「面目もございません。朝議に遅れてしまっては、なんとお詫びをしたら」
「歩く、タクシーを拾って集光殿のある外庭までゆく」
「いえ、そういう訳には参りません。案内してお連れするのが決まりです。それにしきたりがございます」
蕎花が嘆息。恐らくいま自分が勝手にでていき集光殿へ向かえば、この運転手は始末書は間違いなく、最悪減俸の処分だ。
蕎花は待つことにした。特に急ぐこともない。運転手は遅刻したらと真っ青だが、蕎花にとってはくだらない呼びだしなのだ。
――戦場では遅れれば人が死ぬが、朝議に遅れて誰が死のうか。
蕎花にとってはその程度のことだった。
しばらく、さまざま操作を試した運転手だったがどうにも動かない。運転手は諦め携帯端末で連絡を取り始めた。蕎花の耳に入ってくる運転手の言葉から代車をよこすように要求していることがわかるが、なにか問題があるようで時間がかかりそうだ。
蕎花がぼんやりと外を眺めると、そこには赤い目の黒い鳥が三羽、猫の死骸をつついていた。
――見慣れない鳥じゃな。それに猫の死骸とはめずらしい。
今朝方、家の門をでたおりに見かけた痩せた野良犬にしてもそうだ。野良猫自体はさほどめずらしくないが、死骸があれば交通局員か、最寄りの派出所の警官が早々に掃除してしまう。鳥に突かれるほど放置されることはめずらしい。
そんなふうに蕎花が思っていると運転手から、
「あのー」
と、声がかかった。代車を回してもらう交渉がやっとすんだのだろう。
「面目次第もございません。歩き、タクシーを拾ってともに向かえとのことです」
「なんじゃ。これだけ待って代車はだせんのか」
「はい。もうなんと申し上げたら良いのか。面目次第もなく」
またも哀れなくらい狼狽する運転手に蕎花は嘆息。
「まあよい。お主のせいでもない。機械は壊れる時は壊れる。宇宙ではなくてよかったと思うことにする」
蕎花は車から降りると運転手を後ろに連れて歩いた。
なんとも奇妙な光景だ。礼装の軍人に、公用車の運転手の制服を着た中年。そんな2人が国道に並んで立ち、運転手がタクシーをひろおうと必死になるが、どうもどんくさい。
――らちがあかんな。
と見かねた蕎花が、
「もうよいぞ」
といって自らタクシーを止めた。
乗り込んでくる2人にものめずらしげな視線をおくるタクシーの運転手。女性のほうはともかく、もう1人はどう見てもよそおいから運転手で同業者にみえたからだ。
蕎花は乗り込むと同時にタクシーの運転へ、
「外庭の集光殿の入り口じゃ」
と、目的地をつげすぐにタクシーはすぐに発進。
道は空いており先程までのトラブルが嘘のよう。
――これなら20分もせずにたどりつこう。じゅうぶんに間に合う。
蕎花はそんなことを思いながら、
「このタクシーまで止まったら今日はもう帰るかの」
冗談をいうと迎えの車の運転手は、とんでもない!と必死の形相。蕎花は、
「冗談じゃ」
そういって嘆息した。
タクシーは何事もなくぶじに外庭の集光殿へ通ずる入口へ到着。
「さて、ここから意外に長い」
タクシーを降りた蕎花が、そういって歩きだし後ろには迎えの車のすごすごと運転手が従う。
ここから集光殿まで歩く。どんなにかかっても10分程度の道のりだ。だが蕎花はしばらく進むと違和感を覚えた。
――なんじゃ?歩いても、歩いても命府門が見えん。
『命府門』
とは集光殿の正門である。外庭の敷地内に入ってすぐに、この仰々しく巨大な大門が見えるはずだった。
ただ集光殿までは門が見えてからが遠い。通常では考えられない大きさの門で、遠近感覚が狂うのだ。門が見えたからもうつくなと思っていると、思った以上に歩かされる。
蕎花がそんなことを考えていると、集光殿の門が見えた。蕎花にまた違和感。以前来たときよりずいぶんと門が小さい。しかも晴天なのに門のだけ墨を落としたように暗い。
――ま、頻繁に訪れる場所でもなし。久しぶりにきて印象が変わったのじゃろうて。
と、蕎花は大して気にとめずに進んだ。
運転手を従えた蕎花が、集光殿の門の前についた。が、おかしい。
――門が閉じていた。
蕎花がけげんに門を見上げた。朝議がある日は朝早くから開け放たれ、ご苦労なことに早朝5時から衛士が6人も立っているのだ。
門の前で立ち止まる蕎花へ運転がいぶかしげに、
「あの、お進みにならないので?」
と声をかけた。
蕎花が振り向いて、
「なにをいっておる。進もうにも開いておらんのでは、進みようがない。さすがに門が開いていないのは不手際じゃな」
と、いうと運転手が困惑した。
運転手は門と蕎花を交互に見てから、
「あの開いておりますが……」
と、恐る恐るいった。
蕎花がけげんそうに振り返ると――。
――門が開いていた。
蕎花の表情が驚きで硬直。
なんと面妖な。さっきまでは間違いなく閉じていたのじゃが……。それに大きな門。ワシが後ろを向いている間に開いたというなら開く気配がするはずじゃ。一瞬目を離した隙きに全開しているのもおかしいのじゃ。そうなるとじゃ、やはり最初から開いたのかの?いや、じゃが先程まで間違いなく閉じておった。……げせん。
そして開かれた門を蕎花が見ると禍々しい渦が目に飛び込んできた。
――なんじゃあの渦は!?
蕎花は一瞬ぎょっとしたが、瞬きして見ると渦は消えていた。
運転手が心配そうに蕎花を見る。開いているものが閉じて見えたのは異常だ。ただ、運転からして目の前の女性の異常の理由は簡単に推察できる。そう、朝廷で呼びだされ詮議をうけることなどまずない。
――かわいそうに昨夜は緊張で眠れなかったのかもしれない。
ていどに運転手は思った。
「そ、そのようじゃな。開いておる。確かに閉じていたのじゃが……不思議じゃ」
蕎花が取りつくろうようにいうと、
「いえ、最初から開いておりましたが」
運転手が困惑して応じた。
それにしても――。と、運転手が思う。
この御仁、外庭内に入ってから随分と歩くのが遅かった。早歩きなら外庭の入り口から8分もかからず到着する集光殿に、20分以上かけて歩いていた。
運転手は早く歩くようにと催促するわけにもいかず。蕎花を追い抜かさないように、蕎花が進むのを待ち、距離があいたら進むを繰り返していた。
「案内、ご苦労じゃった。ここまででよかろう」
開いた門をくぐりながら蕎花がいった。
「いえ、違います。なかで特別な手続きがございますので、ごいっしょに参ります」
蕎花はそれを聞くとうなづき、運転手へ案内させて集光殿のへ入っていった。




