5-(1) 急転動地(孫達の不覚)
「こんな小さな部屋なのに効果がでるのには時間がかかるのですね。量を多めに準備しておいてよかったです」
二重まぶたに大きな瞳、カーキ色の巻き毛のシャンテルが足元に倒れている李紫龍を見下ろしながらいった。
シャンテルは意識を失っている紫龍へ、
――通信ではあんなに居丈高だったのに、この醜態はどうしたことでしょうか。
という冷眼を向けた。
ここは中立コロニーに市長室。ランス・ノールと紫龍が交渉を行なっていた部屋だ。
床には昏倒しバラバラと倒れている李紫龍をふくめた同君連合軍側の5名。
悠然とソファーへ座るランス・ノール。
室内はドタドタと慌ただしく、窓が全開に開け放たれ、持ち込まれた小型の空気清浄機がヴィーンンという音をたてて動きだしていた。倒れている5名は手際よく拘束具をつけられ、あっというまに担架の上。運び出されていく。
ランス・ノールはそれを横目で確認すると、あらためて妹のシャンテルへと目を向け、
「よくやった私のシャンテル。李紫龍は神聖セレスティアルのために役立ってくれるだろう」
と不敵に笑った。
「市庁舎内にいた護衛の32名はあまさず拘束ずみ。ポートにいた李紫龍の部下たちの処分ももう終わります」
ランス・ノールはシャンテルの報告に満足げにうなづき立ち上がり、ネックウォーマーを外し投げ捨て歩きだしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ランス・ノールはコロニー内で毒ガスを使用した。
交渉会見場所の市庁舎では意識昏迷させるガスを散布。李紫龍とその一行がコロニーへ入るために接続艇を乗り入れた係留施設のほうは隔壁をロックし密閉して閉じ込め、温度管理を停止、VXガスを注入するという徹底ぶり。
この入念な虐殺は、
「毒ガスって苦しいのでしょうか?」
というシャンテルの問が発端。
「ええ、まあ、そうでしょうか。VXですから……」
と、シャンテルの属官のレムスが応じる。
レムスが思いだすにVXガスの症状は――。
「嘔吐、痙攣、呼吸困難、死ぬまでにこれぐらいですかね。呼吸困難はヤバイでしょうね。白兵戦の訓練で首を絞められたときの意識が遠のく感覚はゾッとしますよ」
とたんにシャンテルの端正な顔に愁眉。レムスが思わずゾクッとし口元をキュッと結ぶ。〝にへら〟っと口元をゆるめないためだ。
――ダメだ。あれ以来どうもたまらない。
レムスは公開処刑以来シャンテルの顔が歪むたびに興奮を覚えるようになっていた。
「毒で苦しむのはかわいそうです。他に殺しかたはないでしょか……」
シャンテルが恐ろしいことをサラリと口走り、次には思いついたという顔で、
「そうだ凍りづけにしましょう!これなら苦しくもないし痛くもないです」
顔をぱっと明るくしていた。
「ね、レムスさん。妙案でしょ?人道的ですよ」
レムスは思わず相好を崩し、
「はい。おおせのままに」
とゆるい笑みを浮かべて応じていた。歪む顔もたまらないが、シャンテルの可愛らしい口が笑みを形作るさまもたまらなくいい。
レムスはシャンテルから、
「李紫龍側のポートの区画の生命維持装置を切ってから毒ガスでお願いしますね。装置を切って30分ほどで低体温症で意識が混濁するはずです」
といわれていたが、実際の対応では、
「ま、いいんじゃないか?どうせ死ぬんだろ。区画閉鎖と密閉完了したらVXを入れておけ。凍りづけでも、ガス中毒死でも俺たちにとってはおなじ死体だ」
温度管理の停止、酸素の吸い出し、XVガスの注入が同時に行なわれていた。
この対応は実は正解だった。
――生命維持装置を切れば警告灯が光る。
ほどこされた何重もの安全対策。コロニー管制室から、これらのポート内で発動するあらゆる危険信号を無効にするのは難しい。
レムスのいい加減な対応がランス・ノール側には功を奏す。ポート内の人々が警告音を聞き、警告灯の点滅をいぶかしげに見るころには、XVガスでバタバタと倒れはじめていた。
そして交渉の場に現れたランス・ノールの一行が、顔の下半分を隠していたのはガス対策。ネックウォーマーは特殊加工された布でできていた。短時間で少量の非致死性のガス対策ならこれでじゅうぶんだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ランス・ノールは妹を伴い総旗艦マサカツアカツへ戻ると、
「発、神聖セレスティアル共和国、マサカツアカツ、第一執政ランス・ノール・セレスティア。宛、同君連合軍、加賀および麾下の艦隊へ!」
そういって通信を指示。
「通信開きました!」
という報告と同時に、中央モニター知的な茶色がかった髪の毛の男。
映像とともに、
――連合艦隊副司令官・孫達。
という文字情報。
これにランス・ノールは、ははん。立体映像ではないとなると、李紫龍が帰ってこないことによほど慌てているな。と看破。
国軍旗艦同士の公式の通信だ。通常なら画面の男なかの孫達は指揮座あって艦隊責任者として対応しなければならない。そうなるとランス・ノールから少し離れたコンソールに立体映像で孫達の上半身なり全身なりが浮かび上がる。
「交渉の末、李紫龍将軍と彼に従ってきた兵は神聖セレスティアル共和国への参加を表明した。李紫龍将軍から言伝だ。君らも降れとな」
ランス・ノールが一方的につげると、
『な――』
と、画面のなかの孫達は驚きで声もでないようだ。
「驚くことはない。李紫龍将軍は我らの惑星分権の国家理念に感銘を受け協力を申し出てきたのだよ。李紫龍将軍には近いうちに神聖セレスティアルの総軍司令官に就任してもらう手はずとなった。式典を楽しみにしていてくれたまえ」
ランス・ノールは言葉を終えるとともにサッと右手を上げた。通信終了の合図だ。
要件を一方的につたえるだけでいい。いまは相手の反応など見る必要はない。相手がどう対応してこようが、もうランス・ノールからすれば、ルートの選択肢は決まっているのだ。文字を高速送りし、画面が止まるたびにあらかじめ決めた選択肢を連打するだけ。
「通信終了――」
という報告とともにランス・ノールは、
「第四艦隊旗艦だ。カチハヤヒのユノ・村雨へつなげ!」
と次の指示をだした。
数十秒で中央モニターには敬礼したユノ・村雨の姿。
「矛にも盾にもなる万能のドラゴンを手に入れた。これより作戦を開始する!」
ユノ・村雨が驚いた素振りを見せ、次に不敵に笑ってから、
『なるほどね。交渉中に李紫龍を襲った。ずいぶんと強引な手ね。だいじょうぶなの?』
と、懸念をふくんだ言葉を口にした。
「問題ない。交渉場所となったコロニーは神聖セレスティアル共和国へこのまま参加する」
『コロニーごと取り込んで隠蔽ってやるわね。なるほど確かにそれなら謀略が露見するにしても時間はかかるか――』
ランス・ノールに歪んだ笑み。
「そう首尾よく行った。李紫龍は我々に協力する」
『協力ね。拘束、いえ捕獲といったほうが適切ではないのかしら?』
「いずれは協力するのだ。いまから協力していることにしても差し支えはない」
ユノ・村雨が思わず哄笑。ランス・ノールの物言いはあまりにふてぶてしく、だが清々しくもある。
「連絡をつけた艦艇へ行動を起こすように通達しろ。第四艦隊へは前進と投降艦艇の受け入れを命ずる!戦いが終わるころには独立の承認へ大きく一歩前進だ」
ユノ・村雨から、
――戦闘の開始ね!
という凶悪に笑いとともに短い返事と敬礼。通信が切られた。
一方の加賀のブリッジでは――。
副官の孫達をはじめ全員が困惑。
「状況がまったく把握できない。コロニー入った連中はどうなっている?!」
孫達が怒鳴りつけるようにいうと、
「コロニー入った部隊はもちろん。交渉に随行した36名とも連絡が取れません!」
という報告。
「もう一度通信だ。接続艇が入ったポートだけでなく、接続艇へも通信をこころみろ。あとコロニー管制側への問い合わせも行なえ!なにか知っているかもしれん」
だが指示をだしたあとも孫達は居ても立ってもいられない。通信オペレーターの後ろに立ち、口だけでなく肩越しに手もだしコンソールの操作までしている。
「どういうことでしょうか?」
不安げにいう通信オペレーターにはあらゆることが不明だ。こうして連絡を取れないことも李紫龍が反乱軍へ寝返ったということもだ。
「俺も意味がわからん。あの忠臣李紫龍が寝返るということがあるのか」
いった直後に孫達は、ハッとして、
「紫龍司令長官はランス・ノールに拘束されたのではないか!?」
思い当たったことを口にした。
「拘束ですか?護衛の兵もいるので難しいと思われますが」
「いまさっきランス・ノールから一方的につげられただけで、李紫龍本人は姿を見せなかったろ!」
ああ――。という通信オペレーターの顔。
「紫龍司令長官が反乱軍に共鳴するなどありえん。ならば拘束されたか、暗殺されたかだ!くそっ!ランス・ノールやりがったな!もう殺されたかもしれん!」
孫達の叫びと同時に、
「大変です!一部の艦艇が反乱軍へ投降しています!」
という報告。
孫達が指揮座へ駆け戻りブリッジ中央のモニターを確認。
モニターには簡略表示された各艦艇の状況。そこには、
――『戦線離脱』。
の表示が多数ポップアップしていた。
投降信号を上げれば、当然データ上で戦闘不能という処理がなされるので、そのような表示になる。
「バカな!血迷ったか!」
「彼らは李紫龍に従い反乱軍へ加わる。だそうです――」
報告に、孫達はポップアップの数を目でカウントし、
「巡洋艦8隻、護衛艦11隻に、戦艦が1隻だと――!」
色を失い悲痛した。これでは大規模離脱だ。
「投降した艦艇は、識別信号を反乱軍のものへと自ら変更しています!」
「くそっ!投降の動きにでている艦へ警告だ!我々は戦闘の準備に入る!」
だがランス・ノールの艦隊が先んじていた。
「反乱軍の艦艇群が前進を開始!5分で射程内、10分で砲戦距離!」
報告に、孫達が顔をあげてブリッジを見渡す。誰もが色を失い戦闘準備に入っている。
孫達の頭は真っ白。
――ここはどこだ。
とすら思い前後がゆらいだが、必死に気持ちを踏みとどめ焦りに焦りつつ、この場合は――。と思考し、
「砲戦準備――!砲術長!砲戦準備だ!」
指示を叫んだ。
「敵、艦艇群が砲撃開始!先行していた部隊があったようです!120秒後に着弾!」
継いでオペレーターは射線上にあり被弾が予想される艦艇を読みあげる。
孫達は全身から血の気が引き、ひたいには脂汗、
――これは回避行動を指示すべきか!?
と唇がピクリと動くが音はではない。喉はカラカラだ。
いや――、被弾が予想される艦艇は独自に回避運動を取るはずだ。だったらまずは無断で投降する艦艇へ砲撃を指示すべきか。いや、そもそもいったん全軍をまとめて引くべきではないのか。そんな逡巡を孫達がする間に120秒は消費。
反乱軍から放たれた重力砲が連合艦隊内の艦艇へ3発着弾。
「どうする!裏切る艦艇がこれ以上でると戦闘にならんぞ!?」
孫達に悲壮感が満ちた。頭から爪先まで自分のものではないようだ。唇がワナワナして思うように動かない。
「戦闘中に裏切る艦艇がでれば陣形を維持できない――」
孫達が口走っても、もう孫達の言葉につきあえる部下はいない。全員が対応に追われている。
連合艦隊の集団のなかにあって1隻、2隻が敵性行動に移っても袋叩きにあうだけ。すでに現状は裏切る側の存続も危うく、決死の自爆行動になる。
だが、孫達は冷静さを欠いていた。
――裏切りの規模がどの程度なるかまったく予想がつかない。
と焦り、想像を、
――交戦中に大規模離脱となれば艦隊は壊滅する!
という悪い方向へと進ませた。
いや交戦回避という安易で楽な選択肢へシフトしたといったほうがいい。だが、孫達にはまだ迷いがあり、
――撤退。
という決断が下せない。
そんなおりに、
「コロニー市長の声明です!コロニーは中立を破棄。神聖セレスティアル共和国へ参加する。繰り返しますコロニーの中立破棄です。コロニーが敵へ寝返りました!」
という報告。
ブリッジ全体に、いや連合艦隊全体に、
「やられた――!」
という驚愕と悲鳴が突き抜けた。
「ランス・ノールは我々を最初からハメる気だったか!もう戦えんぞ。ここは死地だ。反乱軍はコロニーと結託して我々をここへ誘引したんだ!下がるしかない!」
孫達は気づくと、そう叫んでいた。
孫達から冷静さが完全に消え、
「全艦通信!」
という叫びとなり、
「発、総旗艦加賀、副司令官孫達。宛、連合艦隊客員。司令長官李紫龍の生死不明。連合艦隊は第二星系から撤退する」
ついには狼狽の塊のような指示となった。
孫達は決断を下し、ホッとしたのもつかの間、
「ルート選定をお願いします!」
という要求に現実へと引き戻された。
撤退とはバラバラと勝手に離散すればいいというものではない。それは潰走である。主要艦艇だけで300隻規模の集団が組織能力を維持して下がるとなれば総旗艦加賀から的確な指示をだす必要がある。その作業量は莫大。
「くそ――っ!殿軍のほうが大変じゃないか!」
と焦りを爆発させる孫達の周りには幕僚が11名。いつも李紫龍の指示にテキパキと動き有能さを発揮している幕僚たちだ。普段は孫達もそのなかの1人。だが、その有能な幕僚たちは、
――指示をくれ!
という目で孫達を見つめるだけ。
孫達は嚇となり、
――無能か!こいつらは!
と憤怒。怒号をとともに指示を開始。
幕僚たちが無能なわけではない。天才李紫龍は自身が使いやすいようにブリッジ機能を組織し仕上げていた。そのカスタマイズは李紫龍のみに有効に発揮される。
――座乗艦の戦闘指揮。
――直卒する艦隊の戦闘指揮。
――連合艦隊の全体の指揮。
これを同時に行なえるのが李紫龍という天人。
高度に電子化された指揮系統があってなせる技だったが、それでも李紫龍は人智を超える優秀があった。
対して孫達は天界には住んでいない。雲の下で地を行くものだ。
ダラダラと後退する李紫龍不在の連合艦隊に、それを追撃する神聖セレンスティアル艦隊。戦闘は一方的。李紫龍の連合艦隊(2個艦隊)は惨めに敗走した……。




