23-(3) 軍の大権
*次回の更新は7/7(土)か7/8(日)です
「天儀司令、聞きましたよ!」
「はぁ……。聞きつけてしまったか鹿島よ」
「もうっ。なんですかそのいいかた。私がおじゃま虫みたいじゃないですか」
事実そうだが、肯定の言葉を吐けないところが、いまの天儀の苦しいさ。
いま、二人がいる場所は陸奥改ブリッジだが、陸奥改はすでに天京のドック内。陸奥特務戦隊は任務終了。めでたく解散。いま、艦内では天儀や鹿島容子などの一部の乗員たちが残って残務処理。後片付けだ。
――鹿島にヘソをまげられても困るからな。
そう。鹿島は本来ならもうとっくに主計局に戻っていてもいいが、率先して残りの業務を手伝ってくれているのだ。天儀としてはそんな鹿島をむげにはあつかえない。
「武官侍従春日大作は超堅物で有名です。どうやって説得なさる気ですか?」
「どうやってだと」
「丞助さんと綾坂さんの結婚を春日大作に認めさせるんですよね?」
「しっかり知ってやがる。誰から聞いた」
「アヤセさんですよ」
天儀が苦虫を噛み潰した表情で嘆息。アヤセめ、お喋りがすぎると思ってみても、人の口に戸は立てられない。機密でもないので注意もできない。
「春日武官侍従は軍でも有名な保守的な倫理観の持ち主です。朱子学って知ってますよね天儀司令。軍人ながら春日武官侍従は道徳の経典である朱子学の権威です」
「……朱子学か。大義名分というやつだな」
「ご名答。春日武官侍従が重視するのは名分のほうで――」
つらつらと講義を始めた鹿島に天儀は苦い顔。歴女とミリオタのハイブリッドの講義は始まると長い。ミリオタ系の話ならともかく、今回は儒教の一派の朱子学。退屈だし、しかも長そうだ。そして悲しいかな鹿島は天儀の予想どおり、
「そうだ。天儀司令には道徳心というのが、ちょっと欠けているなって思うときがるので今日は道徳についてお話しましょう」
こんなことをいいだす始末。
――勘弁してくれ。
と思った天儀は鹿島の言葉をさえぎった。
「名分とは社会的地位に見合った役割をはたす、ということだ。名は地位、分は分担だ。高い位置あったり名声があるものは、より大きく負担せねばならない」
「あっ! 私がいいたかったこといっちゃった!」
案の定その程度か、と天儀は心中で嘆息。結局、鹿島はニワカ根性の抜け切らないところがあり、触りの良い部分をいいたいだけなのだ。話の腰を折れば、それ以上は続かない。これで今日の鹿島大先生のお説教タイムは終了だろう。
「今時、朱子学のテキスト片手にその知識を帝へ披露するぐらいの男が、兄妹として育てた二人の結婚なんて絶対に認めないと思いますけど。儒教って男女の関係にすごく厳格なんですから」
「まあ、なんとかなるだろう。俺は普段は購買部でも酒保でもちゃんと列に並ぶ。長い列でも一兵卒に混じってな。全軍の頂点にあっても、特戦隊で一番偉くても絶対に並ぶ。そんな俺が最後に強引さ発揮するぐらい春日武官侍従にも大目に見てもらえるはずだ」
「はぁ。列に並ぶのは当たり前です。そんなことを誇らしげにいわれても、私ちょっと困っちゃいます。あのですね天儀司令。武官侍従といえば帝の一番の軍事アドバイザーで、帝から軍事面で最も信頼されている人ってことですよ」
「なるほど」
といって天儀が笑った。
「もう。なにがおかしいんですか。わかるんですからバカにした笑いかたです」
鹿島はムッとした表情で抗議したが天儀といえば、軽薄に悪かったといっただけお終い。
なぜなら天儀は武官侍従についてよく知っている。鹿島のいう武官侍従の皇帝へのアドバイスとは防衛省という内局中心についてた。外局、つまり実戦部隊の担当は廃止された大将軍。天儀の元ついていた官職だ。
「鹿島は皇帝へ軍事面でのアドバイスをするのは、武官侍従だけではない。俺だってご下問されるぞ?」
「あ、わかりましたよ。天儀司令は帝の威光を盾に無理やり、春日武官侍従へ認めさせる気なんですか」
「なんだと――」
「私、思いだしました。天儀司令は帝のお気に入りだって、だから特戦隊を任されたって」
「あのな鹿島。帝とはそんなに軽いもじゃない。俺が二人の結婚のために帝にお願いすなんてありえない。陛下もご存知の武官侍従の大作がいけずなんで、ちょっといってやっください、とでもお願いしろというのか。ありえん」
「でも、超堅物の武官侍従を強引に納得させる手立てなんて、それぐらいしかないと思いますけど」
「はぁ。俺が仮に君のいうように帝のお気に入りであってもだ。そして今回のことは丞助と綾坂にとっては運命の一大事だということを踏まえてもだ。悪いがそんなことに帝のお力をつかうことはできない」
この意外に殊勝な真面目な応じに鹿島はムッとした。他にいい方法があるとも思えないのだ。愛する二人に無理な約束して、やっぱりダメだったでは、
――丞助さんと綾坂さんがかわいそすぎます。
ぬか喜びさせるなというものだ。
鹿島の調べでは、兄妹の父親春日大作は父権最強のいまどき珍しい超厳格な父親。しかも朱子学という道徳のバイブルで、理論武装された春日大作の考え変えるのに言葉で説得するのはきわめて難しい。いや、不可能だ。鹿島が思うに、その不可能を可能にするのが唯一の存在が、武官侍従という立場では絶対に頭のあがらない皇帝という存在。
「こういうときこそ、帝のお力を借りてですね」
「鹿島、他人の心配より自分の心配だ。残務処理に陸奥改をつかえるのも明日の午前までだ。俺としてはブリッジが自由につかえる今日中に片付けてしまいたい。口より手を動かしてくれ」
「終わらないのは天儀司令が半日近くもサボったからじゃないですか。本来ならもうとっくに終わってますよ」
そう。本来ならもう終わっていたのだ。それが天儀司令ったら、帰還して二日目の午後からふらっとどこかへ消えちゃって翌日まで戻ってこないだなんて、
「どこでなにしてサボってたんですかぁ?」
鹿島はジト目で糾弾。朝帰りだなんてきっと遊興にうつつを抜かしていたに決まっているのだ。久しぶりの地上でなのにを目一杯楽しんできちゃったんですかね。けれど、司令天儀ときたら平気なもので、大事な用事があった、といっただけでお終い。手元の書類から目も離さない。
――もう!
と鹿島は顔しかめて、本格的なお小言モードのスイッチオン。司令天儀に迫ったが、そこに『シャー』という扉の静かな開閉音。
――誰だろう?
鹿島は思わず音のした方向、つまりブリッジの入り口に目をやった。もう艦内のはほとんど人は残っていないのだ。今更、誰がきたというのか。
「丞助さん! ……って、その顔!?」
ブリッジの入り口には春日丞助。それも顔面をパンパンに腫らしたジャガイモのようなひどい顔。厨房の格好いい男子と噂もあった二枚目が台無しだ。
「笑えるでしょ。兄貴ったら親父にマウント取られてボコボコにされてた」
「あれ、綾坂さんも?!」
「こんにちは、お久しぶりですっ」
「って!? 綾坂さんも顔どうしたんですか!」
丞助だけでなく、続いて現れた妹の春日綾坂も右頬が真っ赤に腫れあがり、誰かに殴られたのは一目瞭然だった。鹿島は驚きと心配しかない。
「どうしたもこうしたも、わたしも親父に一発お見舞されました。アハハ」
「笑いごとじゃないですよ。女の子の殴るだなんて、それも顔を……」
鹿島が眉をひそめて綾坂にかけよるなか、天儀がひときわ明るい声で、
――ハハ!
と笑声をあげた。
「やれたな。大作は左利きか」
「ええ、親父は普段は右手でなにかしますけど、じつはギッチョですよ」
綾坂が頭をかきながらいった。
「丞助もいい顔じゃないか。男らしくなった。そのほうが二枚目だぜ」
「勘弁してください」
そういって丞助が爽やかな笑いを見せた。ただ、笑うと同時に顔面に痛みも走ったようで、いてぇ! という無様な悲鳴つきだ。
なぜか明るい痛みの悲鳴に、天儀だけでなく全員が笑っていた。
「というか綾坂。丞助を差し置いてお前から大作へ関係を暴露したろ」
「え、なんでわかるんですか天儀司令!?」
「哀れむべきかな丞助。大作は、丞助のことを重大事を女任せにする貧弱者と激怒したのだろう。よほど怒りを買ったな。父権主義のあの男でも、なかなかここまでは殴らんと思うぞ」
「え、あれ? えっと……天儀司令は私へ責任を取れっていったんじゃないですか。だからわたし、兄貴がいう前に思い切って親父に〝わたしたち付き合ってんるだからね!〟って、いってやったんですけど。そうしたら親父が、わたしにじゃなくて兄貴に激怒して、ぼこぼこに……」
「いや、俺はそんなことは一言もいってないだろ。いや、いったのか。まて、どうだったか。……いってない気がするが」
「くそ、痛え……。綾坂の勘違いでとんだとばっちりじゃないか」
「そんなぁ!」
「ま、綾坂よ。今後は外では男の顔を立ててやってくれ。丞助が人生の切所で毎回顔がジャガイモではさすがに俺も同情するぞ」
また笑いが起るなか、鹿島は辛抱たまらない。二人がここに来たということは、結果報告にきたということで――、
「お二人はお父さんに関係を告白して、どうだったんですか。関係を認めていただけたんですか?」
たまらず笑いに身を乗り入れるようにして質問していた。
「それです。天儀司令ひどいや」
「そうですよ。天儀司令ったらとんだせっかちですよね」
「おい、二人ともが俺を責めるようにしてどうしてだ。俺がなにかしてしまったか?」
「そうですよ。なにかしたも何も、わたしたちから先に親父にいえっていったのに、天儀司令ったらとんだ先走りじゃないですか」
「どういうことだ?」
「えっとですね。俺たちが親父に打ち明ける前に、天儀司令は親父に結婚を認めるように迫ったでしょ。だから俺たちが家に帰る前から親父は知ってたんですよ。だから余計に殴られたんじゃないかって、綾坂と話してました」
「あっーー!」
と声をあげて驚く天儀。これ以上ないというぐらいの、しまった! という顔だ。
「やっぱりね……」
と綾坂は苦笑いして話し始めた。
「天儀司令は帰還から二日目に親父に会いに行かれんたんですよね? わたしと兄貴が実家へ帰れたのは、陸奥改がドックへ入ってから三日目ですよ」
「……すまない。俺はてっきり、ドック入りしたその日のうちに実家に戻って大作へ報告するものだと……」
「そんなの無理ですって。確かに陸奥改の入ったドックは高軌道エレベーターに直結されていて、地上ステーションからわたしたちの家は一時間もかかりませんけど、自分の一存で予定を決めれる将官と違って下っ端はそんなに早く地上に降りれませんよ」
「そうだったか……」
「あ、天儀司令がいなくなった半日って春日大作へ会いに行かれていたんですか」
「そうだ。善は急げというだろ。だが、ちょっと急ぎすぎてしまったみたいだな」
もう鹿島は、結果は? という質問をしなかった。そんなのは愚問だ。笑って話す丞助と綾坂を見てれば一目瞭然。二人は朗らかさにくるまれている。
――これでダメだったなんてありえません。
二人の明るさを見た天儀が、
「古に善く事を制する者は、禍を転じて福と為し、敗に因りて功を為す。君たちは陰の底に沈んでいた自分たちの関係を見事に陽に転じたようだな」
といった。とたんに三人が苦笑した。
鹿島は、久しぶりに天儀司令の古好癖が炸裂しましましたね、と思った。なにより、バトルマシーンと名高いこの男らしいのは言葉の後半の部分だ。
「うふふ。敗に因りて功を為す……つまり、敗北を活用して業績を立てるですか。天儀司令はなにを考えるのでも戦いなんですねぇ」
「そうだぞ鹿島。生きることは戦いだ。そして丞助、綾坂よ。君たちはあの武官侍従という大任にある大作と戦ったのだ。私は援軍だったというわけだ。上手くつかったな」
「これ以上ない援軍でした」
「兄貴とわたしの援軍に天儀司令って、どっちが本隊かわからないじゃない」
笑う二人へ向けて鹿島が小さく挙手して質問の体。
「あのぉー」
と申し訳なさそうに声をだすと、丞助と綾坂が、なに? というように鹿島を見た。そう。鹿島にはもう一つ知りたいことがある。二人の幸せな結果は見ればわかるが、これは聞かなければわからない。だから思い切って質問だ。
「春日武官侍従はどうしてお二人の関係を認めたんですか? 天儀司令に聞いても教えてくれなくて意地悪なんですよ」
「あ! それわたしも知りたいです!」
「そうです。俺も知りたいです。天儀司令はどうやってあの堅物の親父を説得してくれたんですか……。俺たちも不思議で、失礼ですがどんな手に訴えたんでしょうか」
丞助は実家で起きたことを思いだしていた……。
あのとき、丞助はいつ終わるかわからない打撃の嵐に襲われていた。馬乗りになってきた父の大作は容赦がない。そして武道のたしなみがあるだけに、一発一発も重い。が、丞助は反撃はできない。父親なのだ。それにお願いする立場。ひたすら耐え忍ぶしかない――! という悲壮な決意でされるがまま。が、そんな嵐も突然終了。父の大作は散々殴って気が済んだのか立ちあがり、
「――が、認めざるを得ない!」
荒い息でそういうと、
「早く初孫の顔を見せろ!」
とだけいって部屋をでていってしまったのだ。予想にだにしなかった展開からの、あまりにあっけない終わりかた。丞助も綾坂もポカンとするだけ、
――あれ、終わったのか?
父親のでていった扉を不思議に見つめるだけだ。予想していた反対の言葉や、断念させるための説得など一切なしだ。そんな二人へ、ようすを見守っていた母が、
「お父さんね。天儀将軍にいわれてね。ぐうの音もでないかったの。とにかく、おめでとう。お母さんは二人が結婚したらどんなにすてきかって思ってたから大歓迎よ」
そういって祝福されていた。
「あ、親父の弱みを握っていたとか? 恥ずかしいやつ。親父ってああ見えて面食いの女たらしだしぃ。やっぱ外じゃはしゃいって恥ずかしいところを抑えられてたりとか」
綾坂が茶化すと、司令天儀が、
「実は俺はまだグランダ軍の頂点にある。だから、そいつを活用した」
と謎めいたことをいった。これには鹿島だけでなく、丞助も綾坂も疑問顔だ。
「俺の元帥は両国軍が統合されて作られている新軍ではたんなる階級だが、グランダ軍では廃止された大将軍の代行という立場だ。唯一無二の〝元帥〟だからな」
「グランダ軍の頂点だとなんで、お二人の結婚を春日武官侍従に認めさせることができるんですか」
「なんだ鹿島もわからんのか」
「もうっ、バカにして。賢くて可愛い私でも、わからないことのほうが多いです。いじわるしないで教えてください」
いいかたが小馬鹿にした態度だったので鹿島はムカー! だ。天儀とえばそんな鹿島の反応を楽しんで満足したのか、ことのからくりを話し始めた。
「グランダ軍では軍人の婚姻は軍の管理下にある」
「え、そうだったんですか!?」
と綾坂が驚き、鹿島も丞助も驚いた。結婚も恋愛も個人の自由。それが〝管理されている〟とは驚きだ。しかも軍という巨大な組織に。
驚く三人をよそに天儀といえば紙を一枚取りだして、ほれ、というよに三人へ向けて突きだした。これが答えだといわんばかりだが、注目した三人が見たのは、
『婚姻報告届け。夫:春日丞助、捺印。妻:春日綾坂、捺印』
というもので、いわゆる結婚のさいに軍に提出する書類だ。
綾坂も丞助も驚くしかない。
「うそ勝手に……」
「俺たちもう結婚されられていたのか……知らなかった……」
「グランダ軍は結婚するときに、直属の上官へこういった書類を提出するわけだ」
「……そういえば、わたしも聞いたことあります。というか、これって厚生福利のための届け出じゃないんですか?」
「建前はな。だが、実は違う」
――えぇ!?
と三人がまた驚いた。じゃあなんのために提出させられているというのだ。結婚の届けをだすと、所帯持ちとしての手当や、休日の割り振りが変わってくるのだ。どう考えても厚生福利のための届け出だ。
「いまどきに不認可なんてまずないので誰もが知らないようだが、あれは結婚相手の履歴を確認してるんだよ。素行に問題がないかとか、スパイじゃないとか、前科がないとか、そんなところだ」
「知らなかった。そうだったんだ。でも確かに手塩にかけて軍学校出した軍人の結婚相手が敵のスパイでしたー、とか洒落になりませんもんね」
「綾坂さんだけでなく、主計部で厚生福利の手続きとかも処理する私も知りませんでしたから、ほとんど知ってる人いないんじゃ。あ、だから天儀司令ったら、鹿島もわからないのかって私をいじってきたんですね」
「兄貴とか簡単にハニートラップに引っかかりそうだから、意味がない調査ではなさそうだけど、そんなことまで調べるんだ……」
「で、この書類に上官が印を押して、人事局の婚姻係へ回し、そこで相手の素行調査が行われ、人事局長と婚姻係長の印が押されて軍のトップ。つまり俺へと上がってくる仕組みだな。そして俺がOKとして印鑑を押せばめでたく結婚の許可だ」
「ええ……そんなことまで管理してたら大変じゃ。毎日、ひたすら印鑑押して一日終わっちゃうじゃないですか」
綾坂が驚き顔でいうと、
「印鑑押しすぎで腱鞘炎ですよそれ……」
と鹿島も呆れ顔だ。二人から天儀へ、本当にやってるんですか? と疑いの目。
「ま、当然こんなものは建前だ。素行調査で問題がなければ人事局の時点で許可が降りる仕組みだ」
「へー、今時よく問題になりませんねこれ。不認可がでたら裁判とかにならないですか?」
「こんなもん、ほとんど機能していないからな。下っ端の一般職ではスパイがターゲットにする意味はないし、エリート部隊なら軍の規定ガーなどという前に部隊内の締め付けが強烈で、滅多な相手と結婚しようとは思わないというわけだ」
三人が同時に、あーなるほど、という顔をした。いわれてみれば最もだ。
「今回、俺はこの制度を逆手にとて大作へ迫った。軍の頂点の俺が認めたんだからお前も認めろとな。結婚相手の素行には問題がないし、両者軍人で文句のつけようがないとな」
「あ! わたしたちって親父も含めて、まだグランダ軍人!!」
「そういうことだ。全員がグランダ軍人となれば、この俺のOKには拘束力がでる」
鹿島は天儀の強引さにも驚いたが、春日武官侍従は痛いところを突かれたなと思った。なぜなら――。
「グランダ軍の組織図の頂点は皇帝。つまりグランダは皇軍でもあります。そんな軍にあって皇帝に全権を委任された天儀司令の命令は、帝に近侍する武官侍従という立場の春日大作からすればきわめて突っぱねにくい。軍隊は上意下達。上の命令は絶対で、とくに春日武官侍従にとっては天儀司令の言葉は皇帝の言葉と変わりません」
「そうだ。これを見ろ」
天儀が笑って『婚姻報告届け』の印鑑の押された場所を指さした。そこにはひときわデカデカと、
――紫微大国皇帝。
の赤い印。赤い四角形のなかの文字はもちろんそれだけではなく、和平聚楽などと印璽独特の字体の漢字が続くが、そんなことは、いまはどうでもよく。とにかく〝皇帝〟の二文字がなにより目立つ。
「あはは、親父はこれじゃあ逆らえなさそう」
「特技兵の俺の結婚に皇帝まで巻き込んでしまったのか……」
「うふふ、因みに紫微はグランダ国のある宙域の雅称ですよ」
反応は三者三様。天儀はそんな三人を見て満足げだ。
「俺は帝の印璽を一つお借りしているからな。俺の元帥印だけであの堅物が納得しそうにないので、さくっと押しておいたぜ」
「え、本来はこの皇帝の印はないんですか?」
「そりゃあそうだ。あの堅物のことだ。『婚姻報告届け』の許可だけでは、納得しそうにないと一思案していたところ、そういえば印璽をお預かりしていたのを思いだしてな。ちょいと押しておいたら効果てきめんよ。それまで絶対に許さん、と岩みたいな仏頂面が〝皇帝〟の二文字が目に入った瞬間から動揺で真っ青だ」
三人は思わず笑ってしまった。なぜなら天儀のいいかたが軽すぎるのだ。まるで、おまけでつけておいた、というようないいようで、国家最高峰の印がこれでは形無しだ。
「その印が押された書類を目にすることすら稀なのに……」
と歴女でミリオタの鹿島が驚くなか、丞助は違った意見を口にした。
「というより俺としては、でもそれだけよく認めましたね、といいたいです。確かに皇帝の印はあの親父には効果絶大でしょうけど、ことは私事ですし、体面に関わる問題ですし、真っ赤になって拒絶しそうなんですが」
「あ、わたしも兄貴同じ意見です。というか冷静な話し合いができたんですか?」
「ああ、認めなかった」
「やっぱり……」
と綾坂と丞助が同時にいった。
「俺は丞助と綾坂の婚姻を認めろと、単刀直入に放って書類を突き付けた。それよりあとに言葉などい」
「言葉がないならどうやって……」
鹿島が絶句。いきなり要求を突きつけたあとは……、まさかありえないとは思いますけどボディーランゲージとか? 天儀司令は状況で要求を押し通そうとしますし、お二人の話からするに春日武官侍従はそんな強引は頑としてはねつけそう……。傲然として譲らない二人が最後には殴り合い。鹿島は、そんな想像までしてしまった。
「鹿島、俺たちは殴り合いなんてしてないぞ」
「そ、そうですよね。私ったらてっきり拳で議論したのかと。すみません。あはは」
「ま、大作のやつが真っ赤になって威圧きたので、俺はやつがなにか喋りたくなるまで待ちさ」
「睨み合って、威嚇しあったんですが……」
「大作のやつ最初はニコニコ顔で俺を出迎えてくれたのに、俺が要件をいうと鬼のように怒ってだんまりさ。最初は俺のおかげで皇帝の機嫌もいいと手を取って家の中へいざなってくれたのにひどい話だ」
「そりゃあ、そうですよ。事情の説明もなしに、いきなり結婚を認めろ! ですよね……。それじゃあ春日武官侍従でなくたって怒りますよぉ」
「なにをいう鹿島。俺がやつに突き付けたのは婚姻という吉事だぞ。それも息子と実の娘のように育てた綾坂の。一つの報告で二重の吉報じゃないか。喜んでくれたっていい」
うそぶく天儀に丞助も綾坂も呆れ顔だ。
「で、天儀司令は具体的には、どうやって俺たちの関係を親父に認めさせたんですか」
「そうそう。親父は柔道・剣道合わせて六段の無骨ものですよ。すごい威圧感だったでしょ。脅しつけたって効かないと思いますけど……」
「武官侍従なんて立場で帝に侍ってはいますけど、親父は武道の腕前には誇りを持っています。俺は親父の独特の怖さは、武道家の側面からくるんじゃないかと思ってます」
「……ま、武道の研鑽では俺ははるかに大作の上を行っていたというだけの話だな」
それだけいうと天儀はいってだまった。
あのとき天儀は憤怒の混じった威圧を押しのけて、大作の軍人という面を粉砕すると、その下からは武道家という新たな面がもたげてきた。が、これが大作にとって敗北を招く結果となった。
得意分野での優劣は致命的ということだ。武道の心得はむしろ欠如していたほうが好ましかったな、と天儀は思う。
――やつの武道の腕は生兵法に等しく浅い。
丞助は武道は父の誇りといったが、その誇りと自信を叩き潰されてからが、武道の本質へ迫る道が拓ける。諦めを知ってなお立つ。立った上でさらに研鑽する。これを繰り返した先に、体力と技量という物質的な劣勢を克服する心胆を得ることができる。何も屈しない強さとまではいかないが、至弱をもって至強にあたる程度のことは、できるようになるのである。
こういった境地に立った人間は、外面的な恐ろしさや社会的なステータスに簡単には惑わされない。立ち向かっても負けるときは負ける。だが、苦境に立ち向かえるかどうかは大きな差だ。立ち向かうことすらできなければ、克服できる可能性はない。
天儀が相対した大作には、その苦汁をなめた形跡はなかった。春日大作が武道家としての威を発した瞬間に、天儀が一口にして飲み込んでしまった。勝負にすらならなかった。 そう。大作が武道の心得がありそれを全面にだしたことで、返って両者の格付けは早く終わったのだ。
――どうやってあの戦車でもひっくり返しそうな親父を倒したの?
興味津々な兄妹二人の視線に天儀は困った顔だ。
「いや止めよう。春日大作は立派な男だ。それでいいだろ。それに二人も子どもを立派に育てている。それだけで私は彼におよばない」
怖い親父といっても兄妹にとっての春日大作は形容し難いかけがえのない存在である。父親だけでなく母も含めて、親とはそういうものだ。これ以上この話題を続ければ二人の微妙な部分へ触れる。天儀はそれを避けたのだ。
天儀が強引に話を切りあげたことで、場には気まずさが混じった微妙な空気が流れたが、
「へー、武道家としての威嚇のしあいだと親父も負けるのね。天儀司令って親父よりずいぶん小さいのに、なっさけなーい」
と、綾坂はあっけらかんとしていった。
天儀が笑声をあげた。
「女は強いな丞助。こりゃ間違いなくお前は尻にしかれるぞ。精々気張れよ」
「わかってますよ。毎日、ドライヤーを支える日々ですから」
丞助が笑っていったが、いまいち天儀には意味がわからず。綾坂は恥ずかしそうだ。
「で、綾坂の戸籍は春日大作のもとには入っていないな。正式に養子縁組もしてはない。大作も、ご婦人もよくいままでごまかしたな。綾坂が出生の秘密を知る機会は軍に入ってからはいくらでもあったはずだが……」
天儀のこのもっともな指摘に、あっ――……。という顔の綾坂。
「軍に入れば戸籍関連の書類を自分で提出する機会あったろ」
苦笑しながら追求する天儀の問に答えたのは兄の丞助だった。
「そりゃあ気づきませんよ。俺が全部用意して妹は中身も見ずに提出ですから。学校の提出物とかも全部そうだ。しかも書類にミスがあると怒られるし、じゃあ自分でだしてくれよって感じでした」
丞助の口からは真実と合わせて、日頃たまっていた鬱憤も噴出していた。
日頃のサボタージュ。自己管理のいい加減さを暴露されて綾坂はたまらない。
――なにもいまバラさなくても!
心で悲鳴。司令天儀は間違いなくこの手の怠慢に厳しいだろう。が、そんな後悔と反省を思ってみても、もう遅い。目の前の司令天儀の表情は怖く、
「おい――」
という低い声を向けてきた。綾坂はもうたまらなない。普段のクルクルまわる舌も口も縮みあがって、なにか弁明を、と思ってみても口は強張ってアワアワとしか動かない。
――怒鳴りつけられる!
と身をこわばらせたが、
「お前たちは似た者同士だな」
そういって司令天儀は大爆笑。怒られると思った次の瞬間には部屋に大きく響くほどの大きさで笑いだした司令天儀。
唖然とする二人に天儀が笑いながら言葉を継いだ。
「なぜ丞助は気づかない。君は準備した書類の中身に目をとおすぐらいしないのか」
「あ! しまった!」
「丞助はどこか抜けている。綾坂がしっかり面倒見てやれよ。今後も丞助へおんぶ抱っこでは立ち行かんぞ」
綾坂が苦笑しながらうなづくと丞助が喋りだした。
「母から聞きました。ゆくゆくは真実を打ち明けて従兄弟の家を継がせる気だったと。でも真実を打ち明ける必要性にも疑問を感じていたそうです。綾坂があまりに本当の子供として育っていたから。真実を告げれば不必要に傷つけるのではないかと危惧したそうです」
「親父が全決める家ですからね。母はわたしたちがくっついたらステキだって思っていても、親父はあんなですから半ば諦めていたそうです。だから今回のことで天儀司令に一番感謝してるのは母かも」
「ま、無礼を承知でいうと大作には下心があったな。丞助が軍人としては出世できないと見切ったので綾坂にかけた。当初は綾坂に従兄弟の家を継がせる気でいたが、状況を見て考えを、いや行動を変えた。初志は立派でも最後は、損益で他人の人生を選択した」
どんな人間でも無欠ではないのだ。立派と思っていた父親の思わぬ弱さ。二人は天儀にそれを指摘されても、
――親父ってそういうところあるよね。
ぐらいにしか思わなかった。良し悪しを含めて、大作という父親なのだ。
「彼ほどの男でも初志を貫徹することは難しいとはな。いやはや朝廷とは魔窟だな。大作の判断を鈍らせる要素があったとすればこれだろう。朝廷内の権力闘争で価値観や基準はガタガタだ」
この言葉を聞いた丞助と綾坂は、父はこのあたりのことを司令天儀に責められて、抗弁に窮したなと感じた。司令天儀は言葉などなく睨みあいで解決したなどといったが、自分たちの関係を認めさせるのに、実際はかなりの言葉の応酬があったのだろう。
――養子にもしてない綾坂へ、なぜ真実を告げなかった!
と天儀に敢然といわれて、父は己の矮小な打算を見透かされたと感じて恥じたのだろう。
「それにしても二人は俺の仕事の最後に華を添えてくれたよ。行って、進んで、張り倒して、軍人でいるあいだは終始これではどうなんだ。最前線の使い走りじゃないんだぞ」
「元大将軍天儀が、最後は恋のキューピットですね」
「おい。綾坂、恋のキューピットってもっと他のいいかたあるだろ」
「ああ、そうだな。俺の最後の仕事が、敵の撃滅でも、帝の守護でも、観艦式でもない。恋のキューピットで恋愛成就。いや、結婚成就なのか。まあなんでもいい。それを俺は誇りに思うよ」
「でも大将軍の最後の仕事が恋愛成就っていいんですか天儀司令」
「ああ、いんだだ。むしろ好ましいとすら思う。終わりよければ全てよし。人生にも喜怒哀楽がある。人生のどこに、どんな順番で、これがくるかで人生の雅味は変わる。軍の頂点という職を人に例えるなら哀愁ではなく、喜びで終わらせることが出来たということさ」
いった瞬間、天儀がはたと気づいたといったように止まった。
――李紫龍は怒に沈んで、安心院蕎花は哀に沈んだ。わからんものだな人生とは。
これが自身の言葉によって天儀の胸懐に強く走った感情だった。正に人生の門出にある二人に、吐露するにははばかられる感傷。
天儀が、ぐっとなにかを押し留める仕草を見せた。
鹿島に、それに丞助と綾坂が不思議そうに天儀を見た。二人に天儀の感傷はつたわらない。
「最後に怒って死ぬか悲しんで死ぬか。もしくは喜び、楽しんで死ぬか。そうだ。私が見るに二人は怒と哀はすでに終わらせたのではないか。いい人生がおくれるさ」
と、天儀が最後に笑っていった。
これが天儀の二人を送り出す言葉となった。
丞助と綾坂は、同時にうなづいて言葉を受けた。その挙止には清々しさをまとっていた。
二人が去った部屋には、初夏の日差しのようなからりとした清涼感だけが残されたのだった。




