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夢見る鹿島の星間戦争  作者: 遊観吟詠
二十二章、兄妹惑星の行方
160/189

22-(3) 正義とは――

 いま、『ビービー、ビービー』というチープな警告音。聞き慣れない音だけに注意を引くこの音が、ランス・ノールとシャンテルの兄妹が乗る二足機のコックピットなに響いていた。

 ランス・ノールの横では目覚めたシャンテルが目をこすって、なにごとかとキョトンとした表情だ。どれだけ空白の時間を過ごしたのか、機内には遭難信号が受信されたことを知らせるけたたましい音が響いていた。


 発見されるのは絶望的と思っていたが――。と思ったランス・ノールは苦笑い。対してシャンテルはこの音の意味も、兄の笑いの意味も判然としないようす。

 

「あの、お兄さま?」

「はは、笑える。俺がどうのこうのと操作する以前に宇宙機器のセーフティは万全だな」

「どういうことでしょうか?」

「通常の航路ルートを外れ、長時間の予定外の遠距離飛行。AIは勝手に遭難状態と判断してSOSを発したようだ」

「つまり?」

「この無粋な音は遭難信号が受信されたという意味だよ」

「まあ――」

 

 シャンテルが驚いた顔。喜んでいいのか悪いのかわからないのだ。なにせいま自分たちは逃亡中。敵に補足されたなら犯罪者というみじめな運命。悪人に見つかれば政府へ差しだされるだけではすまなかもしれない最低な末路。

 

 ――運良く兄の支持者に拾われる可能性は……。

 とシャンテルは思っても、それ以上は考えもしなかった。星系独立が失敗いま、自分たち兄妹は全宇宙でお尋ね者。周りすべてが敵といっても差し支えない。グランダと星間連合が保有するのは十二星系十九惑星という広域だ。この外へ出るのは、簡単ではない。

 

「無神経で無粋な音だ」

 

 ランス・ノールが皮肉にいうと、チープな通知音に通信受信の通知音が重なった。遭難信号を受信した相手からの通信だろう。


「兄としてはシャンテルと二人きりの時間を邪魔されたくなかったのだがな。どうも相手は、そんなことには無配慮だ」

「お兄さま、いかがいたしますか?」

 

 シャンテルが不安げに問いかけた。無視して逃亡という可能性に賭けるという手もある。が、破滅的だった。なぜなら――。

 

 普通、定期航路を外れた遭難で、SOSを受信されるなどまずありえません。いま、わたくしたちが進んでいたのはすでに定期航路の外。自動的に発信された遭難信号が発見されたのは、

 ――奇跡的です。

 

 宇宙はいまでも人類にとって広大だった。

 逃亡という選択は、そんな奇跡を捨てて死へ飛び込むようなものだ。が、シャンテルは決然と言葉を紡いだ。どこまでいっても兄妹二人きり、捕まって兄と引き離されるぐらいなら、それがいい。


「お兄さま、シャンテルに後悔はありえません。これまでも、これからもです」

 

 が、そんな気持ちをいっぱい込めた言葉にも兄は無反応。金目銀眼オッドアイを妖しく輝かせ、じっとモニターを見つめている。シャンテルがいぶかしげに、兄ランス・ノールの顔をのぞき込んだ。


「はは、これすごい」

「はい?」

「我々を発見したやつらを誰だと思う――」

「えっと、そのいかかたから推察するに、いい相手ではないのですよね」

「陸奥改――……」

 

 シャンテルが唖然とした。よりにもよって最悪。漂流する兄妹に神は不在だった。

 

 兄妹は李紫龍りしりゅうをむごたらしい結果へと導いていた。李紫龍は天儀てんぎが最も信頼し、最も可愛がっていた部下だ。

 果断で独断的。それがグランダの天儀。

 目には目を、歯には歯を――。無慈悲なハムラビ法典を想像し、兄妹は震慄しんりつしていた。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「暴君が――!」

 天儀の前に引きずりだされたランス・ノールが決然として放っていた。

 

 いま、ランス・ノールはシャツ一枚とベルトの抜かれたズボン。後ろ手に拘束され裸足という姿がむごたらしい。

 

 それだけでなく天儀はソファーに悠然と座り、ランス・ノールはひざまずかされて勝者と敗者のきわめて対象的なコントラスト。

 

 いま、鹿島は複雑な気分。憎き敵といえばつきなみだけれど、ランス・ノールまさにその形容に相応しい相手だ。けれどそんな憎い相手だろうと、シャツ一枚に裸足という姿を見れば心中は複雑だ。

 

 ――栄光からの転変。

 と鹿島は思った。眼の前の男は、つい先日までこれが自称とはいえ国家元首。鹿島の脳裏には盛装し憎いぐらいの自信満々のランス・ノールがいまだ印象深い。それがいまは捨て犬のように乱暴にあつかわれ、歴女でミリオタの鹿島としては感ずるところがある。

 

「捕囚となれど誇りがある。セレスティアルの俺をこのような扱いとはどういうことだ!」

 

 叫んだランス・ノールが、ドン――、と一突きされ床に突っ伏した。屈強な男の大きな足が背に飛んできたのだ。

 

 ――言葉づかいをあらためろ。

 という意思表示。口ではなくアクション。戦場ではボディーランゲージも重要な意思伝達法。隠密作戦で音をたてられないというわけではない。けたたましい機銃の音に、空気を破裂させるような爆裂音が絶え間なく、〝声〟など役立つ場所ではない。

 

 それでも鹿島は、

 ――親衛隊のかたたち怒ってますね。

 室内の不穏な空気を感じ取っていた。だが、この不穏な空気は司令天儀の感情。天儀に絶対忠誠の男たちは、主人の感情の置所にきわめて敏感。忖度そんたく阿吽あうんの呼吸で行動に移す。

 

 秘書官の鹿島もあえて止めようとは思わない。少しぐらい痛い目を見たほうがいいですよこんな男は、という暗い感情は禁じ得ないのだ。ランス・ノールのせいで李紫龍りしりゅうむごく死んだ。誰もがそう思っている。

 

 この乱暴に異を唱えたのはシャンテル・ノール。兄の後ろで起立させられていた彼女は怒り心頭。


「これは捕虜の虐待です。地球時代からの戦争協定に違反しています!」

 

 大きな瞳には精一杯の凄みをだし、カーキ色の巻き毛を振り乱し叫んだ。が、こちらも痛々しい。よそおいは一枚地で仕立てられた捕虜用のワンンピース。しかもやはり裸足だ。

 

「第一執政ですよ。わたくしたちは、あなたがたにとっては罪人からもしれませんが、ランス・ノール・セレスティアは民衆から推戴すいたいされた立派な国家元首です」

「……なるほど俺たちから見れば君ら二人は罪人か。俺はお前を対等な敵としてしか見ていなかったので、犯罪者という転義では捉えたことがなかった」

「なにを白々しい!」

「犯罪者となると罪名は国家反逆罪あたりか……。重罪だな」

 

 天儀が冷えた声でいうと、

「はは、遠からず殺処分をうける身への気づかいは無用というところか」

 ランス・ノールがキッと天儀をにらんだ。

 

「いや、礼容れいようは払っているつもりだが――」

 と天儀が体の左右で手を開いた。

 

 ――この部屋を見ろ。

 ということだ。引独房や取調室ではなく、貴賓室。礼儀は払っているといいたいのだろう。

 

 シャンテルはムッとなって天儀を見た。お一人だけソファーにふんぞり返って、周りには綺羅びやかな軍服の屈強な男たち。わたくしたちを捕らえて愉悦のきわみというところでしょうね。

 

 座する天儀は唯我独尊ゆいがどくそん。まるでこの世に自分しかいないようだ。

 

 ――よりにもよってこの男に……。

 

 シャンテルが唇を噛んだ。発見されるにしても天儀は最悪な相手だった。別の誰かが自分たちを発見する可能性だって少なくはない。

 

 が、ファリガへ向かう天儀の特戦隊。対してファリガからカサーン経由でミアンノバへ逃げるランス・ノール。似たような道を通るのは道理で、索敵力の高い特戦隊の哨戒に引っかかるのもまた道理だ。

 

 うらめしく天儀を見ていたシャンテルが、兄ランス・ノールへと視線を戻した。兄は装いこそ痛々しいが、その目は炯々(けいけい)とし表情は力強い。

 

 ――まだ戦いは続いている。

 と思ったシャンテルは兄の態度に勇姿を感じ、拘束される直前のことを思いだしていた……。

 

「いいかいシャンテル――」

 という言葉から兄ランス・ノールの秘策の披露が始まった。


「天儀の軍籍は最高軍司令部(コジョレ)ではなく、いまだにグランダ軍だ」

「……それはグランダの軍法でわたくしたちが処断される可能性があるということでしょうか……」

 

 元とはいえ大将軍グランジェネラルで、いま、元帥という無双の位にある天儀が復讐という果断を行わないという保証はない、ということだ。

 

 ――手が滑って殺した。

 

 あの男なら平気で、それぐらい言いそうだ、というのはシャンテルにも想像がつく。なにせ天儀は、紫龍の仇と直進してきて幼馴染のリリヤを絞殺したような悪魔。まったく他人の自分たち兄妹へのあつかいがどんなものか……。

 

 ――考えなくともわかります。


「だが安心するんだシャンテル。いいかい? なにをいわれても口をきいてはだめだよ。この兄に任せてくれ」

「どうなさるのですか?」

 

 シャンテルは疑りの目で兄を見た。この状況での兄の考えなど、自分にとってあまりいいものではない、という予感がシャンテルにはある。

 

「そんな目で見ないでおくれシャンテル。この兄の才能は軍事だけではないのだよ」

「政治の話ですか? すみません。難しい話はわかりません。お兄さま一人で罪をかぶろうというならシャンテルは承服しかねます。難しいことをいってシャンテルを絡め取るというのはおやめください。お兄さまが、自分お一人で罪をかぶってシャンテルの身代わりになるとわかったら、その瞬間からわたくし全力で阻止します」


「はは、違うよ。簡単だ。実に簡単だ」

 といってランス・ノールが自身の唇を指した。


「雄弁に賭ける――」

 

 あっ――、とシャンテルも納得した。

 ファリガ議会であれだけ重鎮グナエウス・ファスが、決死となってランス・ノールの入場を拒んだのは、

「議場で演説されれば、議会はランス・ノール支持にくつがえる!」

 と恐れたからだ。兄ランス・ノールの雄弁をもってすれば、軍人脳、脳筋の天儀など絡め取ってしまうのは簡単だろう。そして最高軍司令部(コジョレ)のトップは東宮寺朱雀。

 

 いまの朱雀さんがお兄さまへどういった感情をお持ちか、わたくしにはわかりかねますが……。とシャンテルは思うも、天儀のような悪・即・死という果断は行わないというのはわかる。


「弁舌はこのランス・ノールの最強にして最後の武器。これを奪うことは難しい」

「どんなに身体検査をしても、舌を引き抜くわけにはいきませんものね」

「そうだよシャンテル。たしかに、よりにもよって天儀という状況ではあるが、逆境はチャスだ」

「チャンスですか?」

「尊大なやつのことだ。必ず自ら俺を検分するだろう。そのときにやつに論戦をいどんで論破し、動揺したところにたたみをかけて譲歩を引きだす。この兄を信じておくれ。絶対にやれる。天儀には戦争の勝利者という大名たいめいがあるが、教養はないと見た」

「確かに天儀に優秀な軍人というイメージはあっても、知的というイメージはありませんが……」

「今回、陸奥改に発見されたのはむしろ僥倖ぎょうこうとすらいえるかもしれない。大名たいめいを持つ天儀を論破すれば世間への影響は絶大だ。やつと俺との対面は必ず公的記録に残る。つまり天儀が、このランス・ノールに下手を打てば必ず世間の知るところになる」

「……天儀を論破すれば世間はお兄さまに正当性を見る」

「そういうことだ。わかってくれたかい。やはりシャンテルは賢いね」


 シャンテルは天儀を目の前にしていいたいことは山ほどあるがグッとこらえていた。ただ、シャンテルは兄が自分だけに罪を口にすれば必死となって止めるつもりだ。

 

 キッ――。と、シャンテルが、その大きな瞳で天儀をにらんだ。

 天儀が不意にシャンテルを見た。不意にといったが、シャンテルからはむき出しの敵意。気づかないはずがない。目を向けられたシャンテルといえば、

 ――ヒェッ……。

 と口にはしなかったが色にはでた。シャンテルは一瞬にして圧倒された。何気なく見てきだけなのに、天儀はまるでそびえ立つよう。圧倒的な存在感に、怒っているのか、兄や自分をどうするつもりなのか、感情の所在も考えもわからない。

 おびえてしまったシャンテル。天儀はすぐにランス・ノールへ目を戻した。


「暴君だと?」

「そうだ。正義は我々にあった。ファリガ、ミアンノバは間髪なしにこのランス・ノールの言葉に支持を表明した。これを武力で押さえつけるとは同君連合の政治は暴君的としかいいようがない」


「なるほど――」

 と天儀がいったので、ここで黙っていられないのが鹿島だ。彼女はカッとなってランス・ノールへ舌鋒を向けた。


「暴君ですって、それはあなたじゃないですか!」

「かしまぁ……」

 

 が、鹿島は天儀の掣肘せいちゅうも気にならない、ランス・ノールの言い分はあまりに身勝手、不快によって猛った感情は言葉にして吐かなければおさまらない。


「軍人がそのまま国家元首となる。これを独裁といわないでなんていうんですか? 同君連合のグランダと星間連合の首相は文民ですよ。あなたは暴君といいましたが、それはランス・ノール、あなたのことです。独裁者が正義をかたって力を行使することほど暴君的なことはりません!」

「鹿島、邪魔するな」

「でも天儀司令!」

「黙れ――」

 

 えぐるような重さに、冷えた声色。鹿島はとたんに青くなって口をつぐんだ。そして、

 ――まだ戦いはつづいているんだ。

 と思った。そう。天儀とランス・ノール戦いはまだつづいている。天儀司令は最中に口を挟まれるのが大嫌い。が、ことは言葉による戦い。鹿島の知る天儀は、そこまで弁が立つけではなく、対してランス・ノールどうか。

 ――間違いなく口達者です。

 

 なんでも戦いたがりの天儀司令。でも今回ばかりは分が悪いんじゃないでしょうか。鹿島はそういいたいのを我慢して沈黙を守った。


「天儀よ、よく聞き、そして聞いて知れ。第二星系の安寧あねいを思うに惑星は分割して、それぞれが統治されるべきだ。中央政府が強烈な威光を発揮する時代終わるのだ。お前らが終わった地域(ラストセクター)として切り捨てた場所でなにが起ころうと感知されるところではない」

「分権か集権か、そのあたりの話は善悪のあるところではない。だが、一つ問う。君らは武装しており、あまつさえ反対したものへは迫害で対応していたが、そのことについてはどういった弁解を持つ?」

「大義のなかの小事だ。私は第一執政としてどんな行為も隠したことはない。それでも民衆の支持はゆるぎなかったということは、正しい力の行使だったといえる。これぞ正義の実行というのだ」

「正義か――」

「そうだ! 我が行ないは正義に乗っ取り、正義を行なった! 対して貴様らはどうだ。第二星系を終わった地域(ラストセクター)と名付けて見て見ぬふり、正義とは程遠い!」

 

 ランス・ノールが覇気を発して放った。部屋中がランス・ノールの気で満ち、存在は際立っている。鹿島も親衛隊も、そしてシャンテルも、誰もがランス・ノールという存在に気圧された。

 

 ――お兄さまは強い!

 とシャンテルは誇らしい気分で、満腔まんこうに爽快感が吹き抜けた。

 

 が、そんななか空気を読めない男といえばいいのか、天儀一人だけが違った。ランス・ノールの正しさを、まったく受け付けない不動さが、天儀一人だけにはあった。


「ランス・ノール、正義を語るとは落ちたな。お前の政治に正義などないよ」

「なんだと――!」

 

 貴様に政治などわかろうか、ランス・ノールの目が怒った。軍事脳で脳筋の男に、論陣など張れないのだ。証拠にこの部屋の空気は、

 ――ランス・ノールがいうことが正しい……。

 という口惜しさで満ちているではないか! ランス・ノールは異見をだされることはありうる、とわかっていても苦しくも感情だけで、否定してきた天儀が腹立たしい。仮にも大将軍グランジェネラルの地位にあった男のすることか。素直に間違いを認め、行ないを改める。これが軍人のあるべき姿だ。そうしなければ起死回生のない敗北があるだけだ。

 

 腹立たしさを感じるランス・ノールは、すぐに天儀という雷鳴に撃たれることとなろうとは夢にも思わない。相手の抗弁は感情論で、

 ――まともな反論などない!

 と断じている。そんななか天儀が巨大な威儀を発した。身長の高くない天儀が、まるで山に座する巨人のよう。その巨人が気を吐いた。それも特大の。

 

「正義とは、正しく義が行われている状態を言う。では義とは何か、博愛である。正義とは天候のようなもので、日々の行いから徳を積み続け、やっとおとずれるのだ。つまり正義は行うものではなく、おとずれるもので、状態を言う。それをみずら豪語して正義か。お前の政道に正義などない!」

 

 天儀が正面からランス・ノールを粉砕していた。

 戦い以外わからない頭の悪い男、と思っていた。そんな男からの思わぬ反論。いや、正論。ランス・ノールは教養があるだけに、あまりに正しい天儀の言葉に全身で衝撃を感じていた。

 

 ――相手を見くびっていた。

 といえばそれまでだが、これほど見事な反論があるのだろうか、頭らから突き崩され、心にガックリと膝をついたような敗北感。

 罵詈より、正しい言葉ほど心をえぐるものはない。

 

「正義とは――……」

 ランス・ノールが震える声で口にし、

 ――天候のようなものか――

 と心で悲痛した。

 

 確かにそうだ。正義、正義と口にしても、ぶつかりあった正しさとは主観でしかない。自分も相手も意見を曲げられない場合は、力が強いものの正義が押しとおる。が、では弱者に生きる価値はなかったのか?


〝正しく義が行われている状態〟


 義とはそもそもとして主観でしかない。ある人が盗略を行なっても、

「友人だからかくまう」

 といえばそれはそれで義であるが、被害者へ哀れんで犯人への復讐へ手を貸すのもまた義である。義と口にすれ、千差万別であり、それも小義しょうぎとなれば義と義はぶつかりあう。

 だが、これが正しい義なのか? と問えば、こんなものには正しさはないことは幼児でもわかるというものだ。

 追補ついぶから逃げてきたのであれば、さとして出頭させるべきであり、そもそもかくまうほどの友人ならば盗略を行なう前に未然にとめるべきである。ランス・ノールの明晰めいせきな頭脳は瞬時のこのこわりを理解していた。

 

 ランス・ノールが無心の自省という空白のなかに放りだされていた。

 

「お前のいったのは大儀だ。大義の前に弱者の存在などない。が、正義とはそんな小さな存在をすくいあげるものではないのか。お前は第二星系を救うという大義のもとに、正義を疎かにした、と俺は思うが?」

 

 天儀の言葉から鋭さが消えていた。

 ランス・ノールは床がよく見えた。顔をあげることができない。


「君の才能は人の十倍あり弁知べんちは豊か。容姿も良く、自信満々のその姿は人を魅了する。だが、謙虚さのない政治から誰にとっても本当のさいわという世界などおとずれるのだろうか?」


 ランス・ノールはうなだれるだけで、抗弁がでなかった。

 

 ――兄が論破された。

 とシャンテルは涙がでた。自分たちはどこから間違っていたのか、わからなかった。父が死に、世間か私生児と迫害され、母は世間から切り刻まれた。そんな悲しさを世界からなくしたかったはずだったのに、いつの間にか、そんな弱さを踏みつけに側に回っていた。

 

「独立の宣言をするときだ。ランス・ノール・セレスティアと名乗ったな。ノールか、わざわざその名を入れるとは、母を深く愛していたのだな」

 

 思いがけない天儀の言葉。ランス・ノールは自分を洞察されたと感じた。いや、やっとわかってもらえた、と感じた。世間からどシスコンと思われても、母のことにこだわっていると知っているのは妹だけだった。誰かに母の悲しさをわかって欲しかった。が、それを口にすれば自分の声望は衰退する。世間からの母リナ・ノールの見られかたは、いまだに尊い聖公アルバを汚した女だ。世間は行ける聖人の愛を独占した女に妬忌ときしていた。ランス・ノールは苦しさのなかで、母への感情を箝口かんこうしつづけていた。

 

「あの状況でお前たちの遭難信号が発見されたことは奇跡といっていい。なにせ定期航路の大きく外れ、しかも、そこの鹿島が気まぐれで飛ばした哨戒にひっかかっただけだ。この偶然になにか意味がある、と俺は考える」

 

 天儀が立ちあがりうつむいて体を震わすランス・ノールの肩にそっと手をおいき、お前は悪いやつじゃないよ、と声をかけた。


「生きて罪をあがえ。いっておくが大事を挫折したお前が、これからも生きることは辛いぞ。覚悟しろ」


「俺は――!」

 とランス・ノールがズブズブの声で絞りだしたが、

「妹をまもってやれるのはお前だけだ。死ぬのは許さん」

 天儀は強く放って部屋をでていってしまった。


 ランス・ノールは床に顔を伏せ泣いていた。もう止まらなかった。

 うしろでむせび泣く兄の姿を見ていたシャンテルも涙が止まらなかった。頬にいく筋もの悲しさが怒涛と流れた。でも不思議と悲しさが薄らいでいった。

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