21-(8) 驕傲戻虐(ごうまんれいぎゃく)
鹿島容子は、いま、恐る恐る艦内の通路を進んでいた。
なぜならこれから司令天儀のユノ・村雨の取り調べに同行するからだ。けれど鹿島がビビっているのも仕方ない。なにせ出発前に天童愛から、
「気をつけてください鹿島さん。ユノ・村雨はCQC(軍用格闘術)が得意な凶暴な女です。追い込まれた彼女はなにをするかわかりませんよ。彼女が暴力に訴えてきたら、そこの男を盾につかっていいですから」
といわれていたのだ。
「おい、天童愛、部隊の最高司令官を盾にとはどういうアドバイスだ」
「特戦隊には鹿島さんがいないほうが困りますから。そうだ。皆さんに決をとってみたらどうです。天儀司令と鹿島容子。どちらがいないと困るかって。わたくし鹿島さんが圧勝だと思いますよ」
「……君は相変わらず俺には手厳しい」
こんなやりとりにも笑えない。体力系は不得意。それが鹿島だ。話し合いが成りたなない狂犬などは最も苦手とする部類。
「あの、あの。これって天儀司令自らじゃなきゃダメなですかね」
「なんだ怖いのか鹿島?」
「そういうわけじゃ……」
が、怖くないといえば嘘だ。なぜなら鹿島はユノ・村雨が陸奥改に乗り込むときの中継をブリッジで見ていたのだから。
体の前で両手を拘束され、最初は静かに入ってきたかと思ったユノ・村雨。それがなにが気に入らなかったのか、突然吠えて横にいた兵士を蹴り倒し馬乗りになり、
――頭突き!
しかもそのあと手錠をかけられた手で器用に連打。慌てて周囲の人々が引きがしたころには、下敷きなっていた兵士の顔はジャガイモのようにボコボコだ。そしてなにより鹿島はユノ・村雨の形相が恐ろしかった。
――人間ってあんな憎悪に満ちた顔ができるですね……。
ショックは大きかった。
「ユノ・村雨は取調室で俺相手でないかぎりなにも喋らないと暴れているそうだからな。どうか一度でいいから顔を見せるだけどもと彼女の取り調べに当たっている兵員たちから泣きが入った。顔面に青タンつくって懇願されればむげにはできまい」
「そんなに凶暴なんですか!?」
「取り調べは情報部の担当だからな。しかも陸奥改に乗り込んでいたやつらは、まともな船務科の教育しかうけてない。捕虜の尋問や取り調べなどの作業には不慣れだ。こういった場合は、その道のプロである特務機関の捜査員どもに任せても良かったんだが――」
「任せちゃえばよかったじゃないですかぁ」
「そうもいかん。もユノ・村雨のやつは腐っても元艦隊司令だ。ま、俺みずから検分してやることにした」
「そんな気軽に……」
「俺が見るにユノ・村雨は旧星間連合軍で最も凶悪にして凶暴な女だ。鹿島くれぐれも油断するな。お前が記録を取っているペンを取り落としたが最後。それでグサリと突かれるぞ」
けれど鹿島は、
――あー、これは驚かせようとして楽しんでますね。
と逆に怖さなど吹き飛んでしまった。それに司令天儀の身を心配して、リスクは避けようとあんにいっているのに、それがまったく通じていない。
――はいはい。わたしが可愛いからいじりたくなるんですね。わかってますよ。
鹿島はあえて大きくかまえた。争いは同レベルの者同士でしか起こらないし、大人は子供に腹を立てない。こういうときこそ名補佐官の余裕だ。
「汚職軍人だったって聞いてます。愛さんがいってましたユノ・村雨は遠からず逮捕される運命だったって。六川さんと星守さんが軍令部時代に軍警察をつかって調べたんですって、それが戦争が開始されてうやむやです」
「はは、俺が始めた戦争でやつは延命したか。じゃあちっとは感謝されてるかもな」
「また、ご冗談を――」
「軍人の汚職というより、詐欺師・強盗が軍人をやっているようなやからだなあれは。ユノ・村雨は筋金入りの犯罪体質だ。救いがたい」
「物資の横流しなどに手をだしていたそうですね。主計科の私からいわせれば驚きです。完璧に電子データ上で管理されているのに。ばれちゃうに決まってますよ」
「ま、残念だが軍での横流しはよくある」
「それは知ってます。なんどもいいますけど私、鹿島は歴女でミリオタですよ。でも、いまの星系軍でどこへいったかわからない大量の小銃や機関銃、弾薬。はては大型兵器が一個師団ぶんって……。それが全部、あのユノ・村雨が絡んでたらしいって」
「ふふ。俺はアキツ時代の内戦でよく友軍に物資をかっぱらわれたぜ。最前線の戦闘中だぞ。たまったもんじゃない」
「え、味方同士で?」
「味方同士だからだ。一番盗みやすい相手だろ」
「うへ……」
経験者の説得力というやつだ。それにしても天儀が昔のことを喋ってくれるのはめずらしい。鹿島は天儀との距離が、また少し縮まったことを実感し嬉しい気分。名将と名補佐官。水魚の交わりにまた一歩近づいたのだ。
「うふふ、天儀司令はアキツ時代もむちゃばかりして、勝ちまくってたんですか?」
「負けてばかりだったよ――」
天儀が静かに感情のない声でいった。それまで冗談交じりだったのでギャップは大きい。鹿島は思わず、え? と天儀の顔をのぞき込もうとしたが、天儀はスタスタと先へ行ってしまう。鹿島は慌てて追いかけるハメに。
目の前にはもう特別取調室、もといい貴賓室の扉が見えていた。
ユノ・村雨は元艦隊司令。
天儀は元大将軍。
軍高官である二人が品格をたもてる場所が取り調べの場所として用意されていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
木目が美しい調度品に豪華な照明。
なにより目を引くのは手織りの絨毯。
そして壁には絵画。
――これが今回は取調室ですか。
と鹿島は貴賓室のソファーに座って室内をぐるりと見わたしていた。ここは将軍と呼ばれるような人間でないかぎり、めったに入れない場所。行儀が悪いとわかっていてもキョロキョロしてしまうというものだ。
鹿島が司令天儀に従って貴賓室へ入ると、まだ問題のユノ・村雨の姿はなかった。
天儀がどかりとソファーに座り、鹿島はその横へ小さく座った。
――いざとなら私が天儀司令の身をお守りします。
という気概だ。本来なら背後に立って記録取りだが、ユノ・村雨は鹿島の想像以上に凶暴そう。愛さんはいざとなったら天儀司令を盾になんていってましたけど、ここは名補佐官を自負する私です。もしユノ・村雨が暴挙でたなら、えい!ってかばって、私が天儀司令を守りますから。天儀の横に小さく座った鹿島は、そんな強い決意を秘めていた。
天儀と鹿島が部屋に入ってから数分もせずに、
コンッ――。コンッ――。
という力強いノック音が室内に響いた。
ついにきた、と鹿島は思わず扉を凝視。
開かれた扉の先にはユノ・村雨が立っていた。いや、違う。これは立っているというより、
――拘束されてる!?
開かれた扉に鹿島が見た人影は五人。親衛隊の軍服をきた屈強な髭面の男四人と、その中央にふてくされた顔のユノ・村雨。さらに後ろには親衛隊が数人いそうだ。
鹿島は驚きの目で入り口を見てしまっていた。ユノ・村雨は凶暴で、取り調べへの態度も悪いと聞いていたので、手錠ぐらいはつけているかも? とは想像していたけれど、まさか屈強な男二人に両脇をガッチリ抱えられての登場とは夢にも思わない。
ユノ・村雨といえばきわめて反抗的だ。親衛隊に進めと催促されても、顔をそむけて無視。が、ここはユノ・村雨の城郭カチハヤヒでもなく、親衛隊の男たちはユノ・村雨に恐怖をいだき戦々恐々とするカチハヤヒの部下たちでもない。傲慢な態度には報いがある。ユノ・村雨はこづかれ、引きずられるように室内へ入った。
鹿島が驚くなか天儀が立ちあがっていた。鹿島は気後れしておいてけぼりだ。
天儀がユノ・村雨の前まで進んだ。
「いい面じゃないか」
「けっ――!」
とユノ・村雨が天儀をにらんだかと思うとつばを吐きかけた。
天儀の軍服に鮮血の混じったまだらが模様ができあがった。瞬間、親衛隊の男たちがいきりたってユノ・村雨の後頭部を乱暴にして顔面を床へと押しつけた。
親衛隊は天儀へ絶対忠誠。彼らは先の戦争の最中から惑星降下作戦をともにしたもの中心に選抜され、天儀から直接指名されたものたちで、天儀への態度は信奉にひとしい。
「元大将軍は我々と同じ釜の飯を食った仲だ」
彼らには最高司令官の天儀が自分たちと運命をともにしてくれたという確かな実感がある。
「おい――」
と天儀が目配せした。
やりすぎじゃないのかという確認だ。いま目の前で起きた暴力に対してではない。
ユノ・村雨の左目尻と、右側の口元には青あざがある。どうみても新しいもので、ここにくるまでにできたにちがいないとすぐにわかる。ユノ・村雨がどんなに下劣なやからでも将軍と形容されて相応しい存在への暴力はいただけないのだ。
「散々に暴れたので手こずりました」
とユノ・村雨右後ろにいる親衛隊の男がいった。そういった男のこめかみには黒いアザ。殴られたあとだ。このアザに気づいて、あらためて親衛隊の面々をよく見ると髪にも服装にも若干の乱れがある。反抗するユノ・村雨をここへつれてくるまでの苦労の痕跡だ。
「なるほど」
「はっ! 親衛隊だって? とんだ素人集団じゃない。八人で私一人に手を焼いて、バカどもよ! とんだバカ――!」
「一応、女性と気をつかいましたので……」
と黒いアザを作った男が渋い顔でいった。
「戦えば負けなかった! くそっ! バカだ! どいつもバカだ! 絶対に戦えば負けなかった! どいつもこいつもクソッタレのバカ!」
「なるほど教養は大事だな。気持ちばかり先走って言葉で怒りが形容できていないぞ。それでは部下もさぞやりにくかったろう」
唸ってにらめば従うでは、野獣の集団。恐怖というムチで突き動かされるだけなら、それは陋劣なサーカスでしかない。軍隊とはとても呼べない。ユノ・村雨をひと目見れば部下たちの苦労もしのばれるというものだ。
ユノ・村雨がギロリと天儀をにらんだ。目は血走り、闘争心がむきだした。
なお、鹿島はソファーに座ったまま動けない。出遅れてからというもの一部始終を青い顔で見ていた。それほどにユノ・村雨の逆恨みのような怒りは異常だ。
――こんな邪悪さに満ちた人もいるんですね……。
鹿島はこれまでの人生で本物の悪人というものを見たことがなかったと痛感した。
「――戦えば勝てたか」
「そうよ。アンタは運良く命拾いしただけ、ユノがその気になればいまの立場は違った。こうして引きずりだされるのは天儀、お前のはずだった」
「なるほど、見下げはてた馬鹿とはお前のことをいう。ランス・ノールに手を貸し、宇宙で好き勝手やれた気分はどうだ?」
「兵が従わなかっただけで、まともにやれば勝っていた」
ユノ・村雨が吐き捨てるようにいった。
天儀の目に怒りが灯った。
ユノ・村雨は戦えば勝てたかと繰り返すだけで、部下たちについてはなんの心づかいも見せない。将軍というのは兵士がどれだけ死のうと涙を見せるものではないが、だが、自身の発した命令が一人一人の運命を決定している、という自覚が必要だ。
――それがこの女には一つもない。
天儀が傲然とユノ・村雨を見下した。部下を下僕や道具程度にしか思っていなかったのだろう。それが天儀にはきわめて不快――。
「兵が従わなかっただと。兵はお前に正道を見なかったのだ。増長するな!」
「くそっ、もう少し部下たちの同行に気を配っておけば――。お前たちは運がいいだけってことを忘れるなよ。なんどでもいてやる! ユノがその気になれば立場は違った。こうして引きずりだされるのは天儀、お前のはずだった!」
「まだいうか――」
「ユノなら勝てた!」
「なるほど勝てたか」
「そう! 絶対にそう!」
「頑なに自身の価値観のなかだけに篭って現実を否定するか。愚かとしかいいようがない。ユノとかいったな。お前はカサーンにまできてなにをした」
「お前を殺しにきたんだよ。わかりきったことを、いわせんじゃないよ」
「ほう。俺をな」
天儀が失笑した。ユノ・村雨はますます怒り心頭だ。目にはさらに憎悪が満ちた。
「なにがおかしい!」
「ユノ、お前は自分がここへ負けにきたようなものだと思わんのか」
「なにを――!」
「ここでお前にやったことを客観的に説明してやる。相手の十倍の兵力を以ってカサーン宙域入り、そして自壊した。とんでもない無能だな。これを負けにきた、といわずになんという。これ以外の形容のしかたがあるのなら是非とも教えて欲しいのだが」
正論ほど心をえぐるものはない。
ユノ・村雨が怒りで真っ赤になって膨らんだ。身体から発する怒気はすさまじく、彼女を抑えつけている親衛隊の男たちの顔色が変わり、鹿島はただ驚いて見守るしかない。
そして夢にも思わない罵り合いに、鹿島は完全においてけぼりだ。だって鹿島は、ちょっと険悪な雰囲気になるとか、最悪でもユノ・村雨が思わず手をだすていどに思っていたのだ。それも、
――平手でパチーンなんてことになったらどうしよう。
そのていどだった。それが目の前では激しい感情のぶつかり合いだ。
「違う。負けてはいない! ユノと、ユノの艦隊は負けていない――」
ユノ・村雨が吼え、瞬間、天儀の体貌から青い炎が立ち昇った。
「お前反省していないな――」
反省していないな、とはおかしないいかたかもしれない、けれど反乱への下端という選択肢は部下たち巻き込んでおこなわれたのだ。ランス・ノールの反乱に加わったことは、彼らの運命を大きく変えてしまったはずだ。巻き込まれたものたちはどうなるのか。
それにも関わらずこの女は――!
天儀が怒った。それでもユノ・村雨の目には慚愧の色は一切ない。ただ傲慢な色で燃えている。
感情をあらわにした天儀へ、ユノ・村雨がまた不敵な態度で失笑を放った。挑発だ。
それを見た天儀が瞬間的に動いた――。
鹿島は見た。司令天儀が床を這うようにユノ・村雨へ近づいたと思ったら彼女の顔面を蹴り上げたのだ!
「ちょ――! 天儀しれぇええ!?」
目の前で起きたのは捕虜への暴行。それもどストレートの暴力行為。しかも元艦隊司令官という立場だった人間に対して。大問題だ。
天儀はあまりに素早かった。鹿島には一瞬消えたようにすら見えた。ユノ・村雨を取り押さえていた親衛隊の男たちもビックリだ。信奉する天儀の急進思わず驚き、ユノ・村雨を拘束する力がゆるんでいた。
ユノ・村雨はCQC(軍用格闘術)に長ける。この一瞬のすきを見逃さずするりと飛び出て、男たちの腕から抜けでたが、飛び出でたところに顔面に蹴りが飛んできていた。
飛び出ると同時に、ガコン――、という衝撃と脳に同様の鈍い音が響いた。が、ユノ・村雨はそんな蹴りをものともしない。
「勝てません! その女は白兵戦のプロですよ!」
が、鹿島の悲壮に満ちた警告も虚しく二人は激突。
鹿島の視界のなかでは、天儀が蹴り上げた勢いで、そのままユノ・村雨へ襲いかかり、ユノ・村雨も迎え撃つかまえ。ユノ・村雨は蹴りをモロにうけたのに信じられないタフネスさだ。
鹿島にこれだけでも天儀のほうが分が悪いとよくわかる。不意打ち気味に決めた蹴りが効いていないのだ。が、鹿島の心配を他所に事態は瞬く間に進行している。
両者の肉体だけでなく気迫がぶつかり合い、瞬間、はぜたような衝撃が室内を駆け抜けた――。
――だめー!
と鹿島は心のなかで叫ぶしかなかった。