3-(4) 嬌態豺狼ユノ・村雨
*嬌態豺狼(きょうたいさいろう)
手足が長く作りの良い顔。
ユノ・村雨には天与の佳容があった。
近所では評判の女の子。
ニコリと笑えばお菓子が出た、悲しそうな顔をすれば頭をなでられ、涙を見せれば――、
喧嘩の相手は大人たちから切り刻まれた。
カチハヤヒの貴賓室でゆらりと妖艶に立ちあがったユノ・村雨。
――見てなさいユノの得意をやるんだから。
肢体から艶かしさを放ち、軍監アトラス・アッヘンバッハの隣のスツールへ浅く座った。
ユノ・村雨は腰を落とすと同時にスツールを引き寄せアトラスへ急接近。
息もかからんばかりの距離へ入った。
隣りに座って腕を抱き、胸お押しつけ、耳元で嬌声を響かせれば、
――どうしてくるのかしらこの男は。
と、ユノ・村雨が思う。
――乱暴に抱き寄せる?
――目を爛々させて見つめる?
――いきなり唇を奪う?
いままでは、だいたいこんなところだ。
この部屋には2人きりよ。好きにしなさいよ。楽しませてあげるから。これで落ちなかったのはあのシスコンランス・ノールぐらいよ。アンタはあの童貞とは違うでしょ。昨日、夜の接待をよこせって、ランス・ノールへエロい要求を恥ずかしげもなくしたんだから。
だが、隣に座られたアトラスは一瞬、顔をしかめた。アトラスの鼻孔を突然の芳香が刺したからだ。
ユノ・村雨は立ち上がるさいに特性の香水を取りだし手慣れた動作で左手首へ、次に香水を胸へしまいつつ左手首へ擦り付け、最後にうなじへ。この流れるような動作を伴い、一歩目を踏み出していた。
この特性の香水は、いわゆる、
――フェロモン・香水。
だが、人は昆虫とは違う。身にまとうだけで異性を引きつけられるような魔法の薬は存在しない。ユノ・村雨はこれつけることで覚悟が決まり、決断を行動へ移せる。
これをつければ決まってうまくゆく。ユノが望むままに男たちは優しくしてくれる。
並んで座るユノ・村雨とアトラスとの間には、まだ30センチほどの距離がある。
ユノ・村雨は身を乗り出しながら、
「ね、ユノを艦隊司令に留任すれば、いいことありますよ。アナタが中央で出世するのを現場から手助けできるわ。使いやすい駒が宇宙にいれば便利でしょ?」
と、甘い声でささやいた。継いで、さらにわをかけて甘い声色でいう。
「ね、いいでしょ?楽しみましょ。私はアトラスさんへ望む物をあげる。アトラスさんもユノへそうして」
そして最後のひと押しとばかりに、アトラスの手へ、みずからの手を重ねようとした――。
が、アトラスは手をサッと持ち上げ、ユノ・村雨の手をかわした。
――明確な拒絶の反応。
加えて眉間にしわをよせたアトラスからは侮蔑の視線。ユノ・村雨が茫然自失。
――え、待って嘘でしょ。
ユノ・村雨の周囲がぐるぐると回転。足下が揺らいだ。
「グランダ軍人も舐められたものだな。我らは誇りある皇帝の赤子だ。貴官らとはちがう」
「え、いいじゃない。滞在中は艦隊を挙げて接待します。ね、いいでしょ。今晩はユノに接待させてください。お願い。きっと満足するわ。そうだ。昨日はランス・ノールの歓待を受けたのでしょ。第四艦隊でも同様にさせていただきますね」
はっきりと拒絶されユノ・村雨は狼狽のかたまり。気づくと無様に懇願していた。
「貴官のように、下心が見え透いた下品なものではない。たんに夕食をともにしただけですよ」
お前は頭がどうかしている、とばかりにいうアトラス。
ユノ・村雨から表情が消え、感情のない目でアトラスをとらえた。
――色仕掛けは完全に裏目ね。もう修復は難しそう。
という絶望がユノ・村雨を包んだ。
「晩餐の折に聞いたとおりの女だな貴官は。容姿にまかせて甘い声でささやけば男が落ちるとでも思ったのか。下品きわまりない!」
アトラスの吐き捨てるような言葉。ユノ・村雨が悔しさで、ぐっと黙りこむ。
「星間連合軍は天童正宗や東宮寺朱雀を始め立派な軍人は多い。だが、あなた方はどこかゆるい。この理由がいまわかった。貴官のような寄生虫が巣くっているからだ」
今度ははっきりとした侮蔑。
虚ろなユノ・村雨の頭のなかで、
「晩餐の折に――」
というアトラスの言葉が反響。
――ランス・ノール、私をハメたわね……。
と消沈のなかに思った次には、沈んだ心が一気に反転、
――いいわよ。責任はランス・ノール、お前に取ってもらう。
そう思うと同時にユノ・村雨の目容に凶暴さ、眉が逆だった。いまのユノ・村雨は心の中身が表情へそのままでている。本性を暴露したといっていい。
「なによ下手に出れば、やっぱり艦隊は取り上げなのね。ふざけないで認めるわけじゃないじゃない!」
それまで隠していた本性が口から体貌から噴出していた。
「再編制だ。誰もが同じ状況にある。それに、また艦隊司令に指名される可能性はある。お前はどうか知らんがな」
アトラスが、ユノ・村雨の鬼気迫る態度を嘲笑するように切り捨てた。
媚を売って、下手に出て、挙げ句の果ては媚態までさらして、得たものは、
――侮辱の言葉。
ユノ・村雨が心を激しくし、アトラスを憎しみいっぱいでにらみつけた。
「いいの。私、アンタにセクハラされたって訴えるわよ。私、参謀部本部内では信用があるし、偉い人とも昵懇よ。セクハラが認められればアンタお終いよ」
だがアトラスは失笑。あざけるような視線でユノ・村雨を見た。
「なにがおかしい!」
「知らんのか?星間連合軍の参謀本部は戦後早々に解散させられている。お前の頼みの参謀本部のお偉方は、我が方の大将軍が掃除した。理由は、あいつらの無能が天童政宗足を引っ張ったおかげで勝てたから、だそうだ。無能が頼みのお前はどんな存在だ?無能×2とでも顔に書いておけ」
あきれていうアトラス。だがいまのユノ・村雨にはほとんど聞こえていない。
「知るか!セクハラで訴えるっていってんのよ!!」
この怒声にアトラスが少しあごあげ余裕を見せつつ、
「いいだろう。私もこれを提出する」
といって自身の胸のあたりを指でしめすようにした。
そこに記録装置があるというジェスチャーだった。
一連の会話などの状況は全て記録されている。
ユノ・村雨が驚愕の表情で硬直した。
「軍監の仕事は査定、査定とは情報収集でもある。浅はかな自分を呪え」
「録音してたの。ひどいじゃない!なにそれ人権侵害よ」
「これは星間連合軍のやり方だ。グランダにこんな査定方法はない。私も最初は驚いたが、お前にあって初めて納得した。これでは査定する側もされる側も信用できない」
アトラスは言葉と同時にユノ・村雨へ侮蔑の眼差し睥睨。
ユノ・村雨がこれに過敏に反応、
「その偉そうな態度、むかつくわね。なによ。ユノが負けたわけじゃないのに!」
と、どす黒い感情を放っていた。
「なにを、いっている?」
「その目と、態度をあらためろって、いってんのよ!ユノの第四艦隊はグランダ軍に負けてない!」
「なにを突然。話にならん。星間連合軍が負けたのだ。お前の軍が負けたかどうかなど問題ではない。無能の下の無能のお前は戦うまでなく敗れた。それだけだ」
この言葉でユノ・村雨の表情が一変。
口元は、食いしばられ少し歯がのぞき、全身で凶暴な様態を見せた。
ユノ・村雨の表情は、まさにネコ科動物の威嚇。唸り声すら聞こえてきそうだ。
「ついに本性を見せたな。やはりランス・ノール司令の警告どおりか。もういい望みどおり特別待遇だ。お前の処遇は軍とかけあって決定する」
「それはどういうことだ!」
ユノ・村雨が吠えた。怒りで体が一回りふくらんだようにすら見える。
「反乱のきざしありだな。軍権は剥奪され、収監されるだろう。せいぜい覚悟しておけ」
瞬間、ユノ・村雨が素早く立った。
アトラスが驚く間もなく、立ち上がりざまに腰から拳銃を抜いて一発、
パーン――。
という音が貴賓室に鳴った。
銃弾がアトラスの腹部を貫いていた。アトラスは腹を抑えて床へころげた。
ユノ・村雨の足下には、声もだせずに苦悶するアトラス。
「あんたが悪いのよ。私を追い込むから」
冷たい一言に続いて、
パーン――。
という銃声。
頭部に止めの一発が放たれていた。
「この若さで艦隊司令、苦労したのよ。ジジイどもをたらし込んで、のしあがったの。それに戦わずに降伏?バカ言わないで。そんなに第四艦隊が欲しければ力づくで奪え。ユノたちはまだ負けていない!」
2発の発砲音で室外は騒然。
外で控えていたアトラスの属官3名が部屋へ乱入。
部屋に入ったとたん3人の目に飛び込んできたのは、頭を撃ち抜かれ白目をむいてころがるアトラス。
3人が驚いてユノ・村雨を見る。
――その手には拳銃。
3人の脳裏に拳銃と、頭を撃ち抜かれたアトラスの顔が交互にめぐった。
驚きで動けない3人へ、ユノ・村雨は気力のない濁った目を向ける。
――面倒くさい。でもまあ殺すか。
ユノ・村雨が拳銃を手にしている腕を気だるそうに持ちあげた。
とたんに悲鳴。
引き金が引かれる前に、3人が部屋の外へ慌てて飛びだしていった。
だが、3人が部屋を飛び出ると同時に銃声が鳴った。
この銃声にユノ・村雨がけげんな表情になる。
音は拳銃ではなく星間連合の星系軍が採用している自動小銃だ。
だが、ユノ・村雨は、まだ3人を殺せという命令はだしていない。
――誰が撃った。なんのために?
そんなユノ・村雨の疑問は、
「おめでとうユノ・村雨。第三艦隊と第二星系は君を歓迎する」
という男の言葉ですぐに解決された。
貴賓室の入り口に金目銀目の男が1人、小銃をかまえた部下を従え立っていた。
ユノ・村雨が男へ視線をやり、
「はめたなランス・ノール」
静かに、だが獰猛な声で気を吐くように放った。
ランス・ノールの口元に不敵な笑み。
――なるほど、やはりな。
と、思ったユノ・村雨は豺狼さを全身からにじませ、
「これで私を信用できるか?」
と、いって凶悪な笑みを返した。
軍監アトラスを殺害したことで、ユノ・村雨はもう後には引けない。
でも――
と、ユノ・村雨が思う。
ユノ1人じゃ反乱を起こしても第四艦隊は単なる孤軍。すぐに摩耗して消えるわ。私には軍をつかってどうしたいという野望がないからね。
――組織に巣くって欲望を満たしたいだけ。
それがユノ・村雨だ。反乱を起こしてもせいぜい海賊行為が関の山、軍をつかっての交渉など無理だ。
――けどランス・ノールとともになら違うわ。
ランス・ノールは人望もあり、おそらく軍を使った有意義な計画がある。交渉と駆け引きにもきわめて長けている。
もうユノ・村雨は、ランス・ノールへ従う以外にない。
ユノ・村雨の胸間に、
――上手くはめられた。気持ちが良いほどにね。
というあきらめと覚悟がないまぜになった思いが突き抜けた。吹っ切れたといっていい。
「こんなまわりくどいことをせずとも協力してやったのに、ずいぶんと私は信用がないな」
ランス・ノールは無言、鼻を鳴らして応じた。口元には相変わらず不敵な笑みがある。
「まあいい。グランダ軍とは戦いたかった。ちょうどいい。こんなふうになればいい。そう思っていた」
そういって手にしていた銃を、手中で回転させ、握りの部分をランス・ノールへ向けて差しだした。
ユノ・村雨は手にしている拳銃を差しだすことで、端的に服従と忠誠を示したのだ。
ランス・ノールは、差しだされた拳銃を受け取りながら、
「しかし村雨、君は私の前だと本性を隠そうともしないな」
と、あきれたように笑った。
ユノ・村雨は軍内では、
――少し知恵がまわり、控えめだが明るい性格の女性。
ほとんどの人間がユノ・村雨に持つイメージはこちらといっていい。
「外面がいいといいたいのか。否定はしない。だがランス・ノール、それはお前も同じだろ。お前も、その金目銀目は七色に輝かせ、あらゆる顔をつかい分ける。士官学校で出会ったときの第一印象は人よさげな大人しいお坊ちゃん。それが内面はとんだ自信家。尊大なほどにな」
そういいながらユノ・村雨が立ちあがった。
「まあ、それは否定はしない」
ランス・ノールは、その内にある尊大な性格をユノ・村雨ほど徹底して隠しはしないが、ランス・ノールに対して人当たりのいい好人物という印象を持つものは少なくない。
「私は顔を使い分けるランス・ノールという男を見て、自分以上のものを感じた。同時にこの男相手には、隠しても無駄とも悟った。それだけよ」
「ほう」
「うまく追い込んでくれたな。私はこれではお前の反乱に加わる以外にない。ユノ・村雨はランス・ノールへ忠誠を誓う」
ユノ・村雨の表情は真剣。
ランス・ノールが威を発し、
「その忠誠受け取った。セレスティアの名の下に、ユノ・村雨を第三艦隊司令に任命する。跪拝して受けろ」
と、宣言した。
改めてランス・ノールから任命するという行為に意味があった。これを受ければ、ユノ・村雨は星間連合へではなく、ランス・ノールへ忠誠を誓うことになる。
ユノ・村雨が、
「はっ――」
と、短く発してひざまずいて頭を下げた。
ランス・ノールは、ひざまずくユノ・村雨へ、さきほど受け取った拳銃を両手で頭上にかかげてから、さずけるようして返す。
こっけいなほどのうやうやしさだったが、ランス・ノールの威容がこっけいさを打ち消していた。
ユノ・村雨が、さずけられた拳銃を腰へ戻しながら立ち上がると、ランス・ノールが、
「村雨、君の上官はこのままシャンテルということになるが」
と、確認するようにいった。
ユノ・村雨は、他人の下風に立たされるのを異常に嫌う性癖を持つ。今回シャンテルの下におかれたことで、その不満が限界という可能性があった。
「だじょうぶ。あれはある意味ランス・ノール以上だ。争おうなどと思わない。それに第二星系の王は、私の顔を立ててくれるのだろ。ああ、そうなるとシャンテルは王の妹か。つまり王族。王族となればやはり別格」
「王か――」
「アンタの野望はそれよ。古き良きセレスティアル家の統治時代。ファリガとミアンノバの民衆もそれを望んでいるわ」
ユノ・村雨が体貌から沸き立っていた豺狼さをおさめ、言葉づかいを変えていった。
ランス・ノールが、買いかぶるな、といったふうに首をふってから、
「独立を議会で決議して、両惑星で1人づつ第二執政を選出して、私が第一執政として両惑星議会で選出される」
そう考えを述べた。
ランス・ノールが第二星系を独立させる旨を初めて明確に口にした瞬間だった。
ランス・ノールの新国家構想は星系内で統一議会をもたないとう点が、惑星分権を強く望むファリガとミアンノバには魅力的だった。
「両惑星議会の調整を行ない、第二星系全体を支配するのが第一執政の私だ」
ユノ・村雨が、少し考えるふうな表情をしてから、
「ニュアンスはわかるけど、第二執政が2人なの?」
と、疑問を口にした。
「ファリガ執政と、ミアンノバ執政だな。両惑星の執政はこれまでどおりあくまで対等だ。あと私は両惑星議会から護民官にも任命される」
「えっと、護民官ってなに?」
ユノ・村雨からまた疑問が一つ。護民官とは聞き慣れない言葉だ。
「軍権と警察権を委託される。軍最高司令官と警察長官も兼任といったところだ。この二つを合わせて護民官の一つですませた」
「回りくどいわね。王になればいいのに。聖アルバ公の息子でしょ」
国政の最高責任者に、自ら最高司令官も兼ね。さらに警察の長となれば実質王のようなものだった。
だがこの回りくどさには理由がある。統一議会を持たないというのは、星系全体の意思統一を図る上でかなり煩雑でめんどうくさい。そして、そんな状況では第一執政のランス・ノールは影響力は発揮しにくく、第一執政の立場は形骸化しやすい。
これを補うのが護民官だった。軍という暴力装置はなによりの力だ。
第一執政ランス・ノールが発する、
「許と諾」
の声には、軍という力の裏付けがあり逆らうことは難しい。
ランス・ノールは、
「王になればいい」
というユノ・村雨の言葉へ、
「段階がある。望まれればいずれはそうなる」
と、いってきびすを返して部屋を後にした。
ユノ・村雨はランス・ノールの背中を、
「第一執政、私を出世させろ。王になれ。そうすれば私の地位もおのずと上がるのだからな」
そういって見送った。
王――。
とは、尊貴にして、与える者。
尊大な内面を持つランス・ノールにとって悪くない門出だった。
新国家樹立が宣言されれば、ランス・ノールは、第一執政として両惑星の事情にあった法案をそれぞれ議会で提出していくということになる。膨大な仕事量となり、両惑星間の移動も頻繁になるだろう。体力的にも負担は大きい。だがランス・ノールの若さと熱意が彼にそれを選択させていた。
「ユノ・村雨の拳銃」
は、装飾が派手派手しい、白地に金の縁取りがされた回転式のアンティーク。