夢見る鹿島の一日艦長
陸奥改の第二格納庫――。
兵器廠の管理のこのスペースは、携帯端末から船外活動用の作業ロボまで手広くあつかう油臭い修理工場。
が、それも普段の話、今日にかぎって、この油臭い場所にはひな壇が設置され、その前に整列する80名の乗員たち。近くにはラッパにドラムにシンバルをかまえた立派な楽隊。面々の緊張した雰囲気から、なにか特別な行事があるというのがよくわかる。
指揮者が指揮棒を振った。楽隊が景気のいい音楽を奏で始めた。
入り口から司令官の天儀が、秘書官の鹿島容子を従えて入ってきたのだ。
天儀と鹿島は80名が作る列の中央を堂々と進み、ひな壇へ――。
ザッという一糸乱れぬ音。全員が一斉にひな壇へ向けて敬礼。いや、ひな壇へ上がったものへ敬礼したのだ。
「艦長訓辞――!」
という声が第二格納庫に響いた。
「一日艦長を拝命した秘書正の鹿島容子です。今日は皆さんの艦長さんとして一日頑張っちゃいますから、どうぞよろしくお願いしますね!」
そう。上にあがったのは司令官天儀ではなく、鹿島だった……。本来上にあがるべき司令官の天儀はひな壇のしたでニコニコ顔、いわゆる『生暖かく見守る』といやつだ。
浮かれる鹿島が意気込みを語るなか、列のなかでは早くもヒソヒソと私語。
「鹿島さんったら張り切ってるわねー。艦長なんて大変そうだから、あたしだったら絶対にやだけどなぁ」
そういったのは春日綾坂だ。近くには黒耀るいとマリア・綾瀬・アルテュセール。
「あら、綾坂なら率先して立候補すると思ったのだけど違ったのね」
「なんでよ黒耀」
「だって艦長っていいもの食べれるわよ。部屋割りや娯楽施設とかの待遇もいいしね」
「あ、もしかして一日艦長って佐官以上しか利用できないラウンジとか利用できたりするの?」
「決まってるじゃない。今頃気づいたの。貪欲な綾坂が応募しなかった理由がわかったわ」
「カッチーン。そういう根暗オタクの黒耀るいさんはなぜ応募しなかったのかしらぁ。軍隊好きなんでしょ。軍隊がね」
「私は参謀本部が狙いなの。艦長なんて興味はないわよ」
ここで二人は一旦休戦。声のトーンが大きくなりすぎた、という自覚からだ。こんなところでヒートアップして懲罰をうけてはたまらない。言い合っていても一蓮托生はゴメンなのだ。
「それにしても天儀司令が思いつきで一日艦長を募集しようなんていいだしたから誰が選ばれるかと思えば……」
しばらくして黒耀が小声でいった。
「鹿島さん絶対なりたい! って主計部を総動員しましたからね。普段頑張っている鹿島さんの悲願となればアヤセ的には大応援でしたけどね」
「主計部の娘たちすごかったよね。オイ式のハンガーにきたかと思ったら男性隊員に声かけてまわってたもの。瑞子だっけ? あの子に男どもがみーんな、なびいちゃってさ。ぶりっ子全開、キャルルンって感じだったわよ」
「ブリッジでは私が通信の仕事してる横で、アヤセとアリエスって子がお願いに回ってたわね。アヤセは男性陣、アリエスって子が女性陣」
「あー、アリエス・ドレッドって艦内の女の子たちに人気高いわよね。絵に描いたような男役。演劇でもやってたほうが良さそうな理想の二枚目じゃない」
「アヤセったらコーヒーだすついでに手作りクッキーと飛び切りの笑顔。こっちも男中心に総崩れだったわ。ほんと男っていやね」
「あはは、見られてましたか。アヤセとしたことが、お恥ずかしい」
「ま、もとからして鹿島さんは男性陣から人気高いからねぇ~。瑞子って子とか、アヤセの頑張りはダメ押しって感じだわ」
「陸奥改の乗員の7割強が男。男性票を固められれば、そりゃあ強いわよ」
「あら、よく知ってるのね黒耀。身持ちがかたいふりして実は男に興味津々なんじゃないの」
「やめてよ。男より参謀本部。そんな暇ないわ」
「でも、アヤセ的には鹿島さんの普段の頑張りからすれば、これぐらいのご褒美いいなって思います。だから私だけでなく、主計室が一丸となったのは頑張ってる鹿島さんを応援したい。こんな思いからですし」
綾坂も黒耀もうなづいた。主計部の至宝といわれるエリートコースの鹿島が毎日残務の山。一番働いている、と誰もが認める奮起ぶり。一日艦長のご褒美は当然、とまでは思わないけれど鹿島さんなら納得だなぐらいは思う。
三人の私語が止んだ。同時に一日艦長鹿島容子の訓辞も終了。
第二格納庫に集められた面々に解散がつげられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「陸奥改発進! 全力前進!」
司令指揮座ではしゃぐは鹿島容子。まるで子供。トレードマークのツインテールもポンポンと跳ねている。そんな鹿島についてまわるのが天儀の今日の仕事だ。いま、天儀は鹿島の横で立って指揮管制システムのレクチャー中。
「鹿島、全力前進じゃない。出力全開、速力一杯だ。あと、発進時に速力を一杯にするとセーフティーが働いて艦が停止するぞ」
「え、そうなんですか?」
「君はミリオタのわりに知識が雑だな。そもそも全力前進とはなんだ。意味はわかるが、そんないいかたはない」
苦くいう天儀に対して、鹿島は余裕たっぷり。なぜなら鹿島は一日艦長。
「ふふ、天儀司令、違いますよ」
横に立つ天儀へ上目づかいでいう鹿島。あざとい仕草に天儀の眉間にはシワ、さらにこめかみにはビシっという怒りこらえる兆候。が、今日の鹿島は一味違う。繰り返すが、なにせ一日艦長だ。
「今日、私、鹿島は?」
「失礼、鹿島艦長。用語のつかいかたには気を付けるように、伝達ミスなどの間違いの発生に直結する問題だ」
「はい!」
と元気いっぱいの鹿島に対して天儀の表情は、やはり苦い。
そう。いま、二人は普段と立場が逆転。いまの天儀は一日艦長鹿島の補佐。天儀は鹿島へ艦長の仕事を説明するため、はしゃぐ鹿島の後ろをついて回るハメに。
「でも、天儀司令も用語のつかいかたってザックリじゃないですか。戦闘指揮のときとかとくにそうですよね。あとから戦闘記録を修正する作業大変なんですから。主計室の皆で用語辞典開いて四苦八苦ですよ。これ厳密にいえば改竄行為ですからね?」
「わかりやすく、伝わりやすく、というのも命令の基本。現場ではとくにそうなんだよ鹿島艦長」
「うふふ、そうなんですねぇ」
「くそ、なんだってこんなことに……」
「天儀司令が一日艦長を募集するっていったんじゃないですか」
「いったが面倒を見るとまではいってない。天童愛め俺に押し付けやがって」
そう。天儀は天童愛にレクチャーさせるつもりだったのだが、
「あら、言い出しっぺの法則というのをご存じなくて? わたくしその日は勉強会の予定がありますから無理ですよ」
と、にべもなく天童愛からは断られ、自身でこの仕事をやるはめになっていた。
「で、これが指揮管制システムなんですよね」
鹿島の目の前には三枚のモニター。そこには自軍艦艇の配置などの指揮に必要なあらゆる情報がコンパクトにまとめられている。
「そうだな。こいつをつかって普通は指揮を執るわけだ。こうやってモニター上の艦艇のアイコンをタッチすれば、その艦の状況もわかるようになっている」
「ほー便利ですねぇ。これがあるから天儀司令は戦えるってわけですか」
鹿島がおちゃらけていった。この座席に座れば誰もが指揮官! とはいかないのは鹿島にだってわかる。そもそも指揮管制システムをあつかうには専門的知識が必要で、どんなに素晴らしいシステムもつかえなければ戦闘の指揮など不可能だ。けれど次の天儀の言葉は鹿島の予想を超えていた。
「が、〝普通は〟の話だ。こんなもんつかってても勝てん」
「へ? つかわないんですか!?」
「いや、正確にはこれだけつかっていても勝てないだな。こいつも一応参考程度にはつかう」
「えぇ……」
普通の指揮官は指揮完成システム100%で戦うのだ。それを参考程度とは、想像だにしない驚きだ。
「それより。こっちだ」
天儀が、そういって正面の大モニターに艦隊の状況や宙域の現況、あらゆる観測などの生データを表示した。大モニターには真っ黒な背景に緑の文字の羅列というシンプルなものに。鹿島がながめる画面には、細かい緑の文字がひたすら流れている。
「こいつを見てりゃ勝てる」
鹿島は絶句。天儀の言葉が嘘なのか本気なのかわらない。けれど、
――天儀司令、私をからかってません?
という言葉がだせなかった。とても驚かすために嘘をいってるようには見えなかったのだ。
「これを見てればかてる……。ほーう……」
鹿島は大モニターをにらんでみるもなにもわからない。
「おい。戦闘中でもないのにそんなもん見てたってつまらん。次だ。次に行くぞ。戦闘がないときにこの席でやることといえば、乗員たちがさぼってないかの監視ぐらいだ」
「あ、はい。次は操舵ですよね」
鹿島は慌てて司令指揮座をおりて、天儀のあとにつづいた。操舵席は司令指揮座のすぐ近く。操舵手は敬礼してから天儀と鹿島に場を譲った。
「ほー。これが右エンジンで、これが左エンジンの出力制御レバー」
操舵席に座った鹿島はご満悦だ。周りには司令指揮座のとき違い、艦の状態を知るためのあらゆる計器が並んでいる。モニターに表示されている内容も、司令指揮座のときとはぜんぜん違う。
「で、これは――」
「そこの計器の表示は艦のバランス関連だな」
「ほう」
と、うなづいてみたものの鹿島にはわからない。画面には、
――Hr
――Hz
――V
という文字が最初についている数字が目立つ。他にもいくつも数字が並んでいるけれど、この三つがでかでかと表示されている。操舵に関して素人の鹿島にもこの三つが特に重要な数字ということぐらいはわかるが……。
鹿島はたまらず、なんですかこれ? というように天儀を見上げたが、そこには質問を待ってましたといわんばかりの天儀のしたり顔。
「お、数字にお強い主計部秘書課でもわからんか」
鹿島はイラリ。なにせ鹿島の所属する主計部は〝お勉強〟というくくりでは軍内で抜きんでている。参謀本部に電子戦司令部、はては兵器開発の秀才たち。そんな彼らを差し置いて、主計部秘書課は頭のよさではトップの集団、軍中枢のエリートたちが一目置く存在だ。
「数字に強くても、わかること、わからないことがあります。それに知らないことを誤魔化さないのは大切なことですよ。知ったかぶりなんて、失敗のもとの最たるじゃないですか」
「ま、信用をもっとも失うな」
「そうです。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥ですよ」
「では、ご講義させていただこうか。Hzは水平だ」
「ほう。水平? ……あ、ホライズンのHzですか」
「さすが主計秘書課。博識だ」
天儀が小馬鹿にしていうので鹿島はついにカチンときてムッとした顔。
「もう! 天儀司令、怒りますよ!」
天儀がすかさず両手を上げて降参のポーズ。けれどまだ顔は笑っている。
――絶対に反省してませんよこれは!
鹿島は憤りを覚えつつも、そこは大人。子供っぽい行為に一々腹を立てていては相手の思うつぼだ。
「ざっくりいえばHzは宇宙船の向きだ」
「じゃあその下のVはなです?」
「鉛直角だな」
「えんちょくかく?」
耳慣れない言葉に鹿島はまたも疑問顔だ。いくら賢くても、やはり宇宙船の知識では本職の天儀にはとてもおよばない。
「これも宇宙船の向きだ」
「へ? さっきのもこっちのも向き?」
向いている方向が二つ。じゃあ陸奥改はいまどっちを向いているというのか。鹿島は、
――天儀司令、私をおちょくって遊んでるなら怒りますよ?
という顔で天儀を見た。
「いや、違う。適当なことをいってるわけじゃないぞ」
が、鹿島は今度は許さない。じゃあ、ちゃんと教えてください。という顔でズイと迫ったので、天儀はとたんに弱り顔だ。適当に鹿島を案内していたわけではないが、不真面目だったのは確かで、怒りますよ、という気迫で迫られると弱い。
「えっと……そうだ――」
天儀はいうが早いか、鹿島の頭を上下からガシリとつかんだ。右手は鹿島の頭のてっぺんから押さえつけるようにズシリと、左手はあごの下をガッチリ。
「水平はこうだ」
といって鹿島の顔を左右へ動かした。
――おー。なるほど。
と思う鹿島に天儀は続けて、
「鉛直角は上下だ」
といって鹿島の頭を動かし、鹿島の視線は床へ天井へ。
「お~。上下の向きなんですか」
「そういうことだ。嘘は教えてないだろ」
「はい、両方共向きですね。じゃあVはバーチカルのV?」
「ご名答。さすがだな」
「えへへ」
鹿島は今度はご満悦。いまの天儀の言葉には軽い調子はなかったのだ。ちゃんとした褒め言葉だ。
「どんなときでもVの数字を限りなく000.000に近いようするのが操舵するのが操舵手の
腕の見せどころだな。急な艦運動でも必要以上に船体が上下に揺れては我々は船酔いでひどい目にあうぞ」
「へー」
鹿島があいづち。乗り物酔いは人類の難題の一つ。宇宙船酔いはいまでもあるが、大きな艦船ではほぼないといっていい。
「そろそろ次へ行こう。ブリッジは秘書官の職場。君の庭のようなものだろ。長居してもさほど面白くないだろ」
「そうですね。でも、見慣れたブリッジの細かな部分が知れて面白かったですよ」
「では、行こうか鹿島艦長」
天儀が手をさしだしてエスコートしてくれるという高待遇。操舵席の座席は鹿島の足がブラブラしてしまうほど高かったのだ。鹿島はポンっと両端で着地すると、
「次はどこです?」
天儀の顔をのぞき込んだが、
「君のお待ちかねのところさ」
そういって司令天儀は歩き始めてしまった。
鹿島は次はどこだろうかと、とにかく楽しみ。
ところで天儀と鹿島へ座を譲っていた操舵手は敬礼で見送りながら驚いていた。あまりよくない意味でだ。
操舵手は二人の姿がブリッジから消えると、
「バーチカルって、仰俯角なんだけど……」
と、ボソリともらした。鉛直角も間違いではないが、つかわれない言葉だ。秘書官の鹿島容子が船体操作の基本用語をまったく知らないのはいいとして、軍の最高峰である大将軍まで務めた天儀の知識が微妙に不正確。操舵手は意外な思いで司令官天儀を見送っていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「全主砲一斉射――!」
緊張感ある射撃命令。
声を放つは鹿島容子。
ここは陸奥改の第三砲塔。いま、鹿島が座するは砲塔長座。
「弾着観測どうなってるの! 報告早くあげちゃってください!」
砲塔内に鹿島の厳しい声が飛んだが、横に立っている天儀は苦い顔だ。
「鹿島、そんなに早く着弾はしない。100キロ先の目標を射撃したというシミュレーションだぞ」
「もうっ。違いますったら天儀司令。いま、私、鹿島は艦長ですよ。気分が台無しじゃないですか!」
「……気分ってなぁ。鹿島、君は物見遊山気分で一日艦長か。案内している俺の身にもなってくれ」
「違います! かしま艦長、か・ん・ちょ・う、です!」
「……失礼、鹿島艦長。それほど早くは目標に到達しないので、まだ着弾の成否はさだかではありません」
「ふ~ん。そうなんですかぁ。映画だとかアニメだとすぐに命中するのに」
「現実と虚構とは違うので、そんなもんです鹿島艦長」
「……ふ~ん。いえ、そうだ。一連のカサーン宙域の戦闘では発射! 当たった!? ってぐらい早かったじゃないですか」
「それは超近接戦。セオリー外の砲戦を再三おこなったからであります鹿島艦長」
「へぇー、そうだんったんですねぇ……」
と鹿島は気がなさげに応じて砲塔内をぐるりと見わたした。
――軍事雑誌で読んだのと、実際見るのとでは全然違います。
砲塔内は鹿島が思い描いてたよりはるかに広い。
そして座っている砲塔長座は周囲より一段高く気分は良好。もちろん、先程までいたブリッジよりははるかに手狭。だが、それが逆にいい。超重力砲を自分が操作しているという感覚が肌で感じられるのだ。
「で、この横の大きいのはなんですか?」
といって鹿島は右横にある一抱えほどもある大きな筒をバンバン叩いた。
そう。砲塔長座の右横には巨大な筒が天井まで伸びており、左側からしか座ることができない。さながら天文台にあるような天体望遠鏡に据え付けられた観測用の座席と似た感じだ。
足をブラブラさせながら筒をバンバン叩く鹿島を見て天儀は真っ青。
「おい! バカよせ!」
「え!?」
と驚き鹿島は急停止。大きな筒を叩いていた手は振り上げられた状態でフリーズ。
「叩くなそれをっ! 精密機器だぞ……」
「精密機器?」
鹿島にはわからない。宇宙戦艦に積んでる機器なんてどれも精密機器だ。今更なんだというのだ。鹿島にとって、いまの司令天儀の慌てぶりはあまりに解せない。
ふーむ、と思いつつ、
「これがですかー?」
バンバンとた叩きながらあらためて問いかけてみると、
「てっーおーい! だから叩くな!」
いつになく慌てる天儀。全身で慌てふためき、これはこれで面白い。鹿島は思わずくすりと笑ってしまった。
「光学照準装置だ。少しでもなかの部品の配置がズレてみろ、ものの役に立たない」
「へぇ~。これが……。聞いてはいましたが、まさか本当に人間の目で見て射撃する装置が、最新鋭の重力砲にまで積んであるんですね」
「射撃管制装置がダメになったら目で見て射撃するしかないだろ。それに通常の射撃でもそれを覗き込んで微修正加えたりする。当たるか、当たらないかは戦艦にとって生死をわかる。お前が――、いや、鹿島艦長がバンバン叩いたそれは、砲塔内でも超重要なパーツだぞ」
へー。と鹿島はあらためて感心。右横の大きな筒を眺めてみると、覗く部分を発見。
「ここで見て照準を合わせるんですね。あ、この手元にあるのが絞り。ほう、これが上下で、これが左右ですか」
「おい、くれぐれも丁寧に扱ってくれよ……」
心配顔の司令天儀に対して、鹿島は余裕しゃくしゃくだ。そもそも、宇宙船にそんなに簡単に壊れるものは置いていない。
「天儀司令、これでどうです? あそこの大きな岩石に狙いを定めてみたんですけど――」
鹿島がみをよじりながらいった。
――覗いてみて。
ということだ。すぐに天儀の頭と身体が鹿島の前に割り込んできた。
「おい、鹿島。これピントが甘いぞ」
「え?」
「もう一度覗いてみろ」
「そうですかぁ。ちゃんと合わせたんですけど――」
鹿島はブウたれつつ覗き込んでみたが、そこには思ったとおり先程まで覗き込んで見ていたのと同様の風景。中央には十字の照準があり、その十字の中央にセットされた岩石。そして岩石のおうとつから表面の穴ぼこもよく見えている。
「合ってますよ?」
「いや、その覗いた状態で少し頭を左右に振ってみろ」
「――?」
「いいからやってみろ。中央の十字がユラユラするだろ」
「あっー! ホントです。ゆれてます。どうして!?」
「だろ。それが照準があってない証拠だ。そんなんじゃ一キロ先の目標にすら命中するか怪しいぞ」
「へー。案外コツがいるんですね」
鹿島はあらためて照準をセット。これでいいです? というようにまた身をよじった。
「まだ甘いな」
といって天儀が絞りを操作。鹿島のたどたどしさと違い確かな操作。指の動きは繊細だが、迷いなく早い。
「見てみろ――」
「お~! 合ってます! すごいです。私のさっきのだとまだきちんと絞りきれてませんでした」
先程より綺麗にくっきり見える岩石。照準の十字も色濃く鮮明。
「で、射撃の操作は?」
「エネルギーの充填は前の操作員。物理弾の装填は下の操作員だな。準備ができたら砲塔長はそこのレバーを引く。それで射撃だ」
「へー……。これですか」
鹿島はレバーを握って、秘かに力を込めて前後にしてみた。硬く動かない。安全装置がきいていてロックされているのだ。
――そりゃあ撃てませんよね。
鹿島はレバーの操作をあきらめ横に立つ司令天儀へ上目づかい。
――ね? いいでしょ?
というように。
「ダメだ。撃たせんぞ」
「えー!」
「バカいうな。一発いくらすると思ってる。ミサイルほどじゃないがお高いんだよ」
「うぅ……。ケチですねぇ」
「だいたい発射となると砲塔周辺の乗員たちを退避させたりと準備がある。砲塔内の俺たちも対ショック、耐熱、対音への防御が必要。射撃態勢に入るには色々面倒なんだよ。戦闘配備、というだろ。兵器を使用するには人員の配置が重要というわけだよ鹿島艦長」
「あ、訓練とかで一発どうです? ね?」
「あきらめろ。だいたいここで消費した弾薬の理由付け、主計室の責任者のお前が考えるんだぞ。俺は適当な理由だと書類に判子は押さんからな」
「むー。それは面倒ですね。ま、この座席に座れただけでも満足とします」
乗員だからといって陸奥改のどこにでも入れるわけではない。重要区画にアクセスする権限が必要だった。ブリッジや機関部など、そしてこの主砲内部も誰もが入れるという場所ではないのだ。
「では、鹿島艦長。次は艦内を巡回して激励。そして最後にブリッジに戻り通常の艦長勤務」
なんのかんのいって司令天儀のエスコートはそつがない。鹿島は一日艦長を満喫できそうだ。
そのご鹿島は艦内を足取り軽く進みつつ、乗員たちに激励の言葉。主計室では可愛い部下たちからの称賛と、『一日艦長』のタスキのプレゼントだ。
「えへへ……」
と鹿島は相好をくずしながら、すぐに『一日艦長』のタスキをかけた。
「あっという間ですね」
「最後はブリッジ勤務だな。秘書官がついて本格艦長だぞ」
「秘書官かー。誰だろ――」
天儀が口を開きかけたが、
「あ、待ってください。ついてからのお楽しみで!」
慌てて鹿島が制してきたので、天儀の口からは名前のかわりに笑い声がでたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「マリア・綾瀬・アルテュセール。一等秘書官です。今日は鹿島艦長の秘書官をさせて頂きます」
そう。秘書官はアヤセだった。かしこまっていったアヤセに鹿島もキリリとした表情で敬礼。が、それが終わると二人は同時に吹きだした。
「うふふ、もうアヤセさんったら」
「鹿島さん似合ってますよ。艦長の帽子とそのタスキもね」
鹿島は笑顔でうなづいてから、
「それで艦長の業務といえば……」
とうしろを振り返って天儀へたずねた。
「そうだな。いまは特に問題などは発生していないので乗員たちがサボっていないかの監視が主な仕事になるな」
「へー、そうなんですか」
「アヤセとお喋りすればいいなどと思っていたら甘い考えだ。下位のものは上のものがなにをしているかよく見ている。隙きを見せればすぐにみくびられ、彼らはいうことを聞かなくなるぞ」
「ギクリ。でも、天儀司令って監視タイムはいつも私とお喋りしてるだけじゃないですか」
「いつもは君が――。いや、鹿島艦長が私にやたら話しかけてくるだけだ」
ここで横で見ていたアヤセが苦笑し、
「はい、ではコーヒーでも淹れますね。ついでにお仕事も探してきます。艦長だって事務仕事ありますよ」
といって離れていった。
「……ここでの艦長としての仕事といえば、あとは航行日誌ぐらいか」
「あ! 書きます! 一度書いてみたかったんです」
そうか、と天儀がいってA4大のノートをデスクから引っ張りだし、鹿島へポンと手渡してきた。
航行日誌の記入。これぞまさに艦長らしい仕事だが……。
「あー! もう書いちゃってある!」
「あぁ。暇だったんでついな」
「ひどいですよぉ。楽しみにしてたのに……。ふーむ。なにが書いてあるんでしょうかね。えっと……、宙域状況は晴朗。今日は平和。……一日艦長鹿島のおもりで艦内を巡回した。疲れた……。って、なんですかこれ!」
「不味いな見られるとは……」
「しかも航行日誌って一日の最後に書くのが規則ですよね。午前中に私の一日艦長の任命式。それ以降は私についてまわっていたので、これ書いたのって業務開始直後じゃないですか」
「うんなもん。今日一日あることぐらい予測つくだろ。それに何か変わったことがあれば記入できるように二行飛ばした。何か変わったこと、例えば鹿島艦長がなにか面白おかしいことしても書き込めるぞ」
「そんなズルのテクを自慢されても……」
鹿島はブーたれながらもページをパラパラとめくった。
「……あれ?」
「お前、いま、おかしいちゃんと書いてあると思ったろ」
といって天儀が笑った。笑う天儀に鹿島はポカン。隙きだらけのゆるい顔。年頃の乙女の恥じらいもあったものではない。
「いい顔じゃないか鹿島。写真に取ってSNS上にあげたいぐらいだ。君のファンは喜ぶぞ」
鹿島がめくったページにはきっちりと形式通りで詳細な文章。どれも楽するために一日の最初に書いて終わらせた、というようないい加減な内容ではない……。ここでついに鹿島は気づいた。
「あっー! 私をだましましたね!」
叫ぶ鹿島に天儀が、たまらず腹を抱えて笑いだした。
「そりゃあそうだ。航海日誌は永久保存の公文書だぞ。そんないい加減なことができるか」
「もう! なんで、なんで!」
「鹿島艦長殿がそうやって反応してくれると思ったんだよ。予想通りのリアクションありがとう」
「子供ですか! ガキっぽいっていうんですよ、そういうのって。もう、もーう!」
鹿島がポカポカと天儀を叩いた。
こんな珍事にブリッジ内はいつもどおり。ブリッジ勤務につけば天儀が暇を持て余し、秘書官鹿島をおちょくって遊ぶ。いつもどおり光景だ。
――鹿島さん、また遊ばれてる。
乗員たちからすれば見慣れた光景だ。
そこへ、
「はーい。コーヒーですー」
といながらアヤセが戻ってきた。
鹿島は大不満だが、直属の部下の前で恥ずかしい姿を見せるわけにも行かずニッコリ笑顔モードに早くもチェンジ。
「はい。まずは天儀司令から。そして鹿島艦長へ。どうぞ~」
「ありがとうアヤセ秘書官さん。そうだ天儀司令。アヤセさんはコーヒー淹れる上手いんですよ」
「知ってるさ」
「あ、そうでした。アヤセさんは一等秘書官だからブリッジ勤務もありますよね」
「あと私が作ったチョコレートも持ってきました。それとお仕事も。鹿島艦長お望みの艦長関連の事務です。どうぞ」
鹿島は差しだされたデータスティックを受け取りながら、
「ほー、アヤセ秘書官は気が利くねえ。どこかの司令官とは違います」
天儀をチクリと一言だ。天儀といえば、
「いい香りだ」
などといいながらまったくの無視。
鹿島は、もうっ、と思いつつも早速データスティックをワークスペースのコンソールへ差し込んだ。うしろには秘書官アヤセがついている。天儀などいなくてもブリッジのデスクワークはできるのだ。やることが見つかったいま、助けを求める必要はまったくない。鹿島は天儀をハブってさっさとお仕事だ。
すぐに画面にはG10の文字。
鹿島とアヤセが同時に、
――!?
という顔。
まず画面に表示されたのはデータスティックの内容量だ。
「え、10Gって多すぎじゃないですか」
「おかしいですね。なんか別のデータも入れてしまったのかも。アヤセったらうっかりですみません」
そう。ただの事務データに10Gはいくらなんでも多すぎるのだ。普通、よくて1Gもない。
そこでうしろから、
「いやはや、それほどの量になっていよとは恐ろしいものだな。頑張ってくれよ鹿島艦長」
という声。二人は同時に振り向くと、そこにはハブって放置した司令天儀がいた。
「陸奥改が天京を出発してからの艦長関連の書類だ。いやー助かる。優秀な艦長に俺はとても期待しているぞ」
もうすでに鹿島もアヤセも気づいていた。10Gは間違いではなく、司令天儀の確信犯。
「え、でも天儀司令はいつもここでデスクワークしてましたよね?」
「そうです。アヤセも見ました。それがどうしてこんなに山積みに……」
「ああ、〝司令官〟としての業務だな。艦長単体の業務は、ほぼ日誌しかやってない」
誇っていう天儀に二人は絶句。
「なお、それ爆発寸前だ。明日までに終わらせないと大問題になる。たのむぞ一日艦長」
鹿島は、私は秘書官ですから! と叫ぼうとしたが、司令天儀が機先を制し、ビッシっと指さしてきた。指の行きつく先には『一日艦長』の文字。
鹿島は思わず一瞬、ウッとなってひるんでしまったが、そもそもこれは、そいう役で士気高揚のイベント、お遊びみたいなものとすぐに気づいた。
「ウソです! 騙されませんよ」
「残念だが嘘じゃない。一日艦長の手続きは公的なもので、立場はいい加減なものではない」
「むむ。脅そうとしたって無駄ですよ。そんな証拠どこにあるんですか」
「証拠だと? 本来、司令官と艦長とは別物だと君も知っているだろ。俺は君がお遊び的なのは嫌だというから、わざわざ惑星ミアンの六川と星守にお願いして、この24時間だけ俺の持っている艦長の権限を君へ分与する手続きを正式にしたんだぞ」
鹿島が不味いという顔。そういえば一日艦長が決定したときに天儀から、
「正式なやつと、私が形式的に指名するだけのやつがあるがどっちがいい?」
と聞かれ、
「ほんとの、ほんとの、ほんとの艦長がいいです!」
と、ねだったのを思いだしたのだ。
「明日の午前0900時まで君が艦長だ。減点のペナルティが発生するのは鹿島艦長の履歴だ」
「ウソです! ウソです!」
「なお、その仕事の山のタイムリミットは0800時までだ。早く終わらせないと減給処分だぞ」
鹿島は真っ青になりワークスペースにかじりついた。嘘を連呼してあらがってみたものの、主計部秘書課の鹿島は軍内の手続きにきわめて精通している。いや、この手の手続はむしろ乗艦する秘書官の本領といっていい。天儀が行なった公的手続きの効力は嘘じゃない。
「そうだアヤセ。秘書官として鹿島艦長についている君へも責任が発生するからな。他人事じゃないぞ」
突如降り掛かってきた厄災に、アヤセはめまいのする思い。薄給とはいわないが、年相応で多いわけでもない。その給料が削られ、さらには履歴の評価は下がるのだ。
鹿島が、呆然とするアヤセの袖を引っ張り自身の隣へ座らせた。アヤセは蹌踉として仕事に取り掛かった。状況は絶望的。だが、やるしかない。そんなアヤセが、しばらくしてハッと顔をあげた。
「主計室の子たちへ応援をたのみます! いまならドレッドさんと瑞子さんが仕事してるはずですから」
「お願い!」
鬼気迫る二人に司令官の天儀といえば気軽なものだ。
「あと14時間か。俺なら間に合わんな」
鹿島もアヤセも非難の声をあげることもできない。いや、目の前の仕事に山に、もう天儀の声ななど聞こえないのだった。
後日――。
「で、もし鹿島さんが一日艦長へ立候補しなかったら、もしくは選ばれなかったらどうするおつもりだったのですか」
天儀は天童愛から問われていた。
「特戦隊ミアン組の六川と星守に処理してもらうつもりだった。彼らは優秀だ上手く処理してくれたろうさ」
「まぁ呆れた。六川さんも星守さんもその手のサボタージュにはとても厳しいですよ。とくに星守さんは角を生やして食って掛かってきますよ」
「そうか。いやはや、鹿島が見事に罠にかかってくれて助かったよ」
「やはりというかなというか。やっぱり最初からそのつもりだったとはね……。突然に一日艦長などというからなにか裏があるとは思っていましてたけれど」
「鹿島はいいやつだ。あれからとても精力的。俺の仕事管理をきっちりしてくれているぞ」
「……確かに天儀司令が艦長の仕事をサボタージュしていたのを気づけなかった鹿島さんには甘さがありますけれど」
天童愛はそういって呆れた。秘書官である鹿島の第一の責務は天儀のスケジュール管理。それが、
――サボっていたのを気づけなかった。
は、いただけない。鹿島に秘書官としての隙きがなかったかといえば違う。最初から天儀のサボタージュに気づけていればこんな事態にはならなかった。
天童愛は物事を見る目に厳しく、天儀のやり口に呆れはするが、鹿島への採点も厳しいものだ。
「しかし、いくら優秀な鹿島さんでも艦上勤務は初めてですよ。ちょっとシゴキがすぎたのでは?」
天童愛は苦言をていしたが、天儀は一笑に伏しただけ悪びれない。
「いまはもうサボろうものならすぐバレて、俺の私室まで押しかけてきて注意だぞ。これは優秀な秘書官を通り越してカーチャンだ」
「カーチャンって……。一体全体、天儀司令は鹿島さんをなにへ育てたいのですか……」
「もちろん名補佐官さ」
当然だろ、というようにいう天儀に天童愛はやはり呆れるしかなかった。