3-(3) 綽約面従ユノ・村雨
*綽約面従(しゃくやくめんじゅう)
「なによ真面目そうな顔してとんだスケベね」
これが第四艦隊司令ユノ・村雨の軍監アトラス・アッヘンバッハへの印象。
――先ず胸、そして太もも、最後に顔。
これがユノ・村雨が見たアトラスの視線の動き。
――男ってわかりやすすぎるのよ。こんな美しい顔を最後なわけ?
眉間の深いしわ、メガネに無表情、お堅そうに見えて扱いやすい。ユノ・村雨は軍監アトラスの性格をそう分析した。
今回は首の皮一枚。ギリギリセーフで生き残れそうね。ユノ・村雨はそんなことを思いながら顔には柔らかい笑み、淑女のような立ち振舞でアトラスをカチハヤヒの貴賓室へと案内したのだった。
だがユノ・村雨は自身のこの日の格好をよく鏡で確認すべきだった。
ボリュームのあるバストを三分の一もはだければ、男でなくともそこへ視線が行く。そして下はズボンではなくミニのピッタリとしたスカート。
――なんてだらしない格好の女だ。
アトラスのなかにあったのは嫌悪だけだった
ユノ・村雨は昨晩、ランス・ノールから、
「外見こそ生真面目に見えてかなりの好きものだ。容姿に優れる女子士官の接待を匂わされた。夜の方のな」
という情報をホットラインで得ていた。もちろん嘘の情報だがユノ・村雨は気づかない。
「あら、与えてやればよかったじゃない。ユノならそうしちゃうけど」
「バカを言うな」
と唾棄するように応じるランス・ノールは、さらにシャンテルへエロい視線をむけていたと憤慨。
ユノ・村雨は、
――童貞はこれだから。
とあきれつつも、
「けれどいい情報ね。色仕掛けでなんとかなりそうじゃない。ユノ頑張っちゃお。軍人だしね。たまには体をつかわないとね」
そんなことを思い今日を迎えていた。
ユノ・村雨は特殊部隊員顔負けの身体能力。トレーニングも欠かさない。体力にも体にも自信がある。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カチハヤヒの貴賓室の現代的な落ちついたデザインで、中央には白い円形のテーブルに、これまた白で円形の1人がけのスツールが4脚並んでいる。
――服装はだらしない女だが、とても一撃決戦派で中核をなしていた女とは思えない。
軍監のアトラスは目の前に座るユノ・村雨へ観察の目を向けていた。
そう見ると聞くとでは、大きくちがうというが、ユノ・村雨の外見と言動は隔絶している。
サイドテールに結い上げ、もみあげから長くたれた髪の毛がひと筋という個性的な髪型に、オーダーメイドの派手な軍服。一見して自己主張の強そうな風貌だが、そんなユノ・村雨が品のいい会釈をし、
「第四艦隊司令ユノ・村雨です。アトラス様にお目にかかれて光栄です」
と、敬礼。アトラスも敬礼で応じると、ユノ・村雨は微笑し、
「ここへこられたということは軍の再編は順調に進んでいるようですね」
そういいつつ、たおやかな女性らしいしぐさを見せた。
やはりアトラスの目の前のユノ・村雨の挙止は淑女そのもの。
気が弱そうな印象すら受けるが――。
と、アトラスは思いつつ、
「第四艦隊は司令共々意気軒昂と聞いておりましたが」
と切りだした。
「そうなのですか。やだわ。ユノったらどこで誤解を受けるようなことをしたのかしら」
アトラスは、
――ま、そうだろうな。いまさらいっても始まらない。
と思って特に応じずに携帯してきたカバンから書類を取りだすことにした。
戦前と戦後では豹変して当然だと思う。終戦したいま、戦前の態度を引きずっているほうが異常だ。アトラスとしては、さっさと書類にサインさせて査定を開始するだけだ。
従順な女性に対する無神経な男の対応は傲慢だ。下手に出てこられれば、それが当然と行動する。だが、査定されれば身に覚えしかないユノ・村雨からすれば無反応ほど不安を煽るものはない。
――いいのか、悪いのか、はっきりしなさいよ。
と、ユノ・村雨はカッとなり思わず、
「一撃決戦を支持したのは、部下に突き上げられたのと、以前の直属の上司との関係なのです。本意ではありません」
取り繕う言葉をだしていた。
言辞にみっともなさがにじむユノ・村雨へ、
――この女なぜこんなに必死なのか?
アトラスは疑念を覚えつつも、
「まあ、いいです。私は仕事をしにきただけだ。それはどんな相手だろうと変わらないのですよ」
そういって書類を差しだした。
テーブルの上に置かれた一枚の用紙。
『第四艦隊の司令解任――』
という文字だけがユノ・村雨には鮮烈、眼底に強烈だった。
――バカ言わないで、司令解任!?ありえない。留任しなさいよ。
サインなんてしたくない、と思ったユノ・村雨はとっさに立ち上がり、
「あら、お待ちなってください。まだ飲み物もおだししていないですし、ゆっくりやりましょ。ユノったらうっかりしてました」
そういって戸棚のほうへ足を踏みだした。
ふん、と嘆息してそれを見送るアトラスがユノ・村雨から目を離した瞬間、
「でも軍隊が士気旺盛なのは当然よね」
と、太く恐ろしい響きの声が部屋をめぐった。
アトラスが驚いて声のした方向へ顔を向ける。そこではユノ・村雨が楚々とグラスを取りだしていた。部屋にはアトラスとユノ・村雨だけ。アトラスは、いまの声はあの女か?と思うが、ユノ・村雨は柔らかい表情で何事もないといった様子で戸棚を開けている。凶悪な響きをもった声を放ったようにはとても見えない。
――空耳だったか?
とアトラスが困惑するなかユノ・村雨がテーブルへと戻ってきていた。
ワインボトルとグラスを二つ手にしたユノ・村雨は、
「地球時代の環境を再現して作ったビンテージものですけれど、お好みにあうといいのですけれど」
そういって、アトラスへラベルが見えるように、
ゴトリ――。
と音をさせワインをテーブルの上におき、グラスを並べた。
ユノ・村雨は口元には笑み、
「ふふ、たーかいやつよ。アンタのために開けてやるんだから。喜びなさい」
そんなことを思いつつ自身の席へと戻ろうとしたが――。
「勤務中に、アルコールですか?」
アトラスが眉間のしわを深くして不快もあらわにいった。
「あら、おもてなし程度のつもりだったのですが、お気にめしませんでしたか?」
ユノ・村雨は柔らかい表情の下で焦燥。
――え?これで怒るわけ?意味わかんない。
口元に笑みをたたえたま硬直。
コイツとはぜんぜん合わないわね。と、ユノ・村雨は良かれと思う行動が、裏目、裏目にでるやるせなさを感じた。
だがユノ・村雨の内心のいらだちは、
「では、コーヒーでもおだししますわね」
というかえって従順な態度となって外へとでた。
けれど女性の不必要で過大な従順は、やはり男を増長させる。
「紅茶にしろ」
と、アトラスが書類を確認しながら放った。
なによ偉そうに!アンタ、私が艦隊司令だってわかってるわけ?現場では参謀本部の将校だって下手にでるのよ。ユノ・村雨は心中で慍然としながら、紅茶を準備。
ティーポットを取りだし、茶葉を入れ、お湯をそそぐ、いつしかユノ・村雨は、
――美味しく淹れなきゃ
と無心。そんなふうに作業に集中すればいくぶん気も紛れる。
紅茶を淹れ終わるころには、
――でもいいわ。けっきょくアンタは男でしょ。
と、ユノ・村雨は溜飲を下げた。
そうね、たっぷり奉仕して楽しませてあげるわ。ランス・ノールは遊撃群の解散を回避したそうじゃない。つまり賄賂が通用するってわけ。お堅い顔してあの男も、そうとうな悪人よ。
本来ならアトラスの到着とともに遊撃群司令は解散を命じられている。というのはユノ・村雨もわかる。遊撃群が解散されていないということは、
――ランス・ノールは賄賂で決まりをまげた。
軍を積悪という実力でのし上がったユノ・村雨にはとってはそういうことだ。
――なら対価さえわたせば、ユノの留任を認めれるでしょ。
ユノ・村雨は紅茶カップを両手に、気持ちを新たにテーブルへと戻った。
気を取り直したユノ・村雨は着席するなり、
「滞在中に、お困りのことがあればいってくだされば善処しますので、なんなりとおっしゃってくださいね。艦隊内の施設利用も無料ではないものも多いですし融通します。それにその他にも〝ご入用〟があれば喜んでご融通しますよ」
としかけた。
つまるところこれは、
――賄賂が欲しいなら、なんなりといってくれ。
と、婉曲にいったのだ。
いったユノ・村雨の表情は柔らかいが、眼光だけが鋭い。
――で、どうなの。受けるの、受けないの?なにか欲しいものがあるでしょ。
対する軍監アトラスの反応は、
「お気遣い感謝します」
というやんわりとした応じ。
とたんにユノ・村雨は体全体で喜悦。
――脈アリじゃない。
さきほどまであれほど拒絶の色が濃かったのに、いまの言葉は何気なく、という感じだ。
なによ。最初にガツンときて、自分を高く売りつけたってわけね。見た目通り小さい男だわ。
「そうだ。せっかくですし軍監部からのねぎらいというということで、乗員たちを慰労したらどうしょうか。予算はユノが持ちますよ。みんな喜びますし、アトラス軍監からとなれば今後の査定もやりやすいでしょうし、どうでしょう?」
ユノ・村雨がさらに勝負にでていた。
きわどい誘いでしょうけど、これならぎりぎり賄賂にならないわよ。わかるでしょ?承諾しなさいよ。慰労は艦隊の慰安予算からだしてあげるから。
けど――、
「一度お金をアンタの口座に振り込んでからよ」
と、ユノ・村雨は心中で細く笑った。
ユノ・村雨はアトラスにその気がなくとも承諾すれば、
――口座に金を押し入れて収賄の成立。
というのが狙い。いままでこれでさんざん絡め取ってきた手だ。悪事に手を染めれば、もうこちら側だ。あとはズブズブの関係になれる。
そして乗員たちへの慰労が行なわる頃にはもう手遅れ、アトラスは後には引けない。莫大な額の公金が一度アトラスの個人口座に入り、その個人口座から慰労のための支払が行なわれる。つかっておいて勝手に振り込まれていたとか、知らないは通用しない。
罠にハメたといえばそうだけど、でも余った分はふところに入るのよ。臨時ボーナスが入るのは事実なんだから悪い話じゃないじゃない。お金にね、黒いも白いもないのよ。色んなものが買えて楽しいんだから。
だがアトラスはユノ・村雨の提案を傲然と無視。新たに取りだした書類をテーブルの上に並べていく。
ユノ・村雨は、そんな態度してても、ほんとは興味あるんでしょ。と、さらに押す。
「どうです?ユノとしてはアトラス軍監の株を上げるのには最適だと思いますけど、ご出世にも現場からの支持はないよりは、あるほうがいいですし、ご入用もあるでしょ?」
言葉の最後に上目づかいという演出も忘れない。
どうせ女慣れしてないでしょ、なら、あざとい仕草にイチコロよ。そんな思いのユノ・村雨へ、アトラスがサッと顔を向けユノ・村雨を見据えた。
ユノ・村雨は、
――承諾ですよね?
と、人よさそうに微笑む。
だが、ユノ・村雨の思いも虚しく、
「私は、そんな媚びを売る必要はない」
と、アトラスははねつけ、さらに継ぐ。
「現場組でないですし、人気取りをしても仕方がない。慰労がしたいのであれが予算内でご随意になさってください。私は軍監としての仕事をして帰ります」
ユノ・村雨の表情が半笑いで硬直。
――こいつ本当にいってるの?マジで不味いわよこのまま帰すと。
このまま帰せばユノ・村雨の運命はない。軍内の不正に関与していたユノには思い当たる節が多すぎる。なんとしてでもこの男を取り込む必要があった。
――収賄の拒否。
という想定外の事態に、ユノ・村雨の体が焦燥に包まれ作り笑顔が青くなる。
が、焦りがきわまった瞬間に閃き――。
ユノ・村雨の頭のなかにランス・ノールの声。
「容姿に優れる女子士官の接待を匂わされた。夜の方のな――」
頭のなかに、そんな言葉が浮かび、続けて、
「シャンテルへエロい視線を向けていた。許せん――」
という言葉も浮かんだ。
ああ、いえ、そう、こいつスケベじゃない。私の胸をガン見だったじゃない。そうだったわ。なら簡単よ。そう思ったユノ・村雨がゆらりと立ちあがった。