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夢見る鹿島の星間戦争  作者: 遊観吟詠
十九章、ネルソン・アタック(カサーン会戦)
139/189

19-(11) ラビエヌスの戦い 

 天童愛とレムスの戦いへと移す前に、ラビエヌス艦内で起こっていたことにフォーカスを当てたい。

 

 天儀へ憎悪を燃やしたシャンテルはいかに戦ったのか――。

 

 戦いを選択したからには、彼女にとって勝利は確定的なもので、栄光は目の前だったはずだ……。そう、あのときのシャンテル・ノール・セレスティアは勝利を確信し、勝利の栄光の感触を手に感じていたのだった。

 

「あは、ご覧なって。飛び回るザンティウムで陸奥改の艦影が見えないほどですよ」

 

 八連装発射機はちれんそうはっしゃき、二基から次々と射出されたザンティウム。ラビエヌスの直近でしばらく滞空しるさまははちの群れのよう。縦横に飛び回り、ブーンという羽音が聞こえてきそうだ。いま、666機のザンティウムは、そろっての陸奥改への大進行を開始していた。


「艦長さん、観測の哨戒機しょうかいきはちゃんと展開していて?」

「はい。3機が問題なく配置についております。陸奥改のネジ穴が見えるほどの位置にです。鮮明な映像が送られてきております。ご覧になりますか?」

「いえ、それにはおよびまませんよ」

「すぐに陸奥改の船体が、無数のザンティウムに食い破られるさまが中継されるでしょう」


 そしてラビエヌスのブリッジの正面モニターには、陸奥改の映像の中継が始まった。シャンテルが敢えてそうしたのだ。

 

 陸奥改がザンティウムにたかられ、為す術なくむさぼられるさまを自身の艦隊の高官たちに見せつけたい。決定的な勝利の瞬間をだ。

 

 ――これで小娘や、お嬢さんなどとあなどられない。

 

 揺るぎない軍事的成功が目の前に迫っている。


「陸奥改が対空砲火を開始!」

「うふふ、無駄なあがきね。666機全部撃ち落とすなんて絶対に無理ですよ。それにザンティウムは小さい。ミサイルのようにそれなりに大きな標的とは違いますから」

 

 正面モニターを見つめるシャンテルは異常な目の色、なにかに取りかれたようだ。

 そして陸奥改が対空砲火を開始したということは、ザンティウムが間もなく陸奥改の船体に取り付くという先触れでもある。

 

 画面は拡大。八本の足を展開させ、次々に船体に取り付いてくザンティウム。赤と黒のイナズマ模様が巨大な船体を這い、脆弱箇所を探している。


「ご覧になって、まるでゴキブリね。気持ち悪いわ」

 

 横で聞かされる艦長は、

 ――確かあれは、クモをイメージして作られたものなのですがね。

 と心中で訂正。いまのシャンテルは目の前に迫る大戦果に心を踊らせている。些細なことを訂正しては、気分を害すだろう。それに船体に取り付いたザンティウムは、8本足の前2本だけが長く身体の正面についており、しかもその2本が探るようにせわしなく動くので、ゴキブリのそれに見える。

 

「陸奥改の進路変更なし! 彼我の距離近づいております!」


「砲撃をなさいますか?」

 という艦長からの助言にシャンテルは、いいえ、と応じた。せっかくならザンティウムが陸奥改を食い破るさまをよく見たい。砲撃しては中継に支障をきたすし、肝心な場面が命中弾による爆発で見えないかもしれないのだ。

 

 もう映像ではザンティウムが陸奥改の脆弱箇所を割り出し、一斉移動を開始している。


「大きな鷹に追いかけられるのはたしかに恐怖ですが、小さなハエにたかられるほうがうっとうしい。これは摂理です。ハエの数は無限のようなもの全部振り払うのは不可能ですよ天儀。死になさい!」

「陸奥改加速! これは超加速です!」

「あはは、振り払おうとなさってるんですね。なんて無様で愉快なピエロ。無駄なんですよそういうのは! ザンティウムは、そんなものは織り込み済み。その程度で船体から振り落とされません」

 

 シャンテルは気づかないうちに体の横で握りこぶし、身を乗りだし食い入るように映像に見入っている。

 超加速は無駄。

 証拠に船体取り付いたザンティウムは身を低くして、陸奥改に張り付いている。急激な加速による振り落としなど対策済みなのだ


「陸奥改! 進路変更なし! こちらへ向かってきます!」

「シャンテル司令ご指示を!」

「指示? なにをもって指示? いいから黙ってみていなさい。お行儀よくです。陸奥改がもうじきに爆散しますよ。見逃しただなんて、わたくし許しませんよ」


「そうではなくて――」

 という艦長の助言は虚しく、シャンテルの耳にとどかかない。

 がれた大戦果、憎い男の死、そして、

 ――リリヤさんを受け入れなかったクズ!

 最低の男の死が、いま目の前で刻々と近づいている。

 

 いま、シャンテルは興奮し、ほほ紅潮こうちょう。その大きな瞳は爛々(らんらん)として不気味さだけを放っている。


「陸奥改は超加速したんですよ! こちらへ向かって!」

 

 ラビエヌス艦長が色をなして叫んでいた。が、シャンテルにはなんのことだからさっぱりだ。いまは最高のお楽しみの最中。なぜこの男もいっしょに楽しまないのか、とすら思う。


「ええ、そう。超加速。天儀ったらよほど慌てているのね。そんなことじゃザンティウムは振り払えないというのに――!」


「違います!」

 とラビエヌス艦長は再度叫んだが、司令官シャンテルは映像の中継に夢中。

 

 騒然とするブリッジで、一人異様に目を光らせて不気味なシャンテル。

 

 ――陸奥改はカミカゼしてきた。

 

 ラビエヌス方向へと超加速した陸奥改。そうラビエヌス艦長始め乗員たちはが、ザンティウムの被害は不可避と判断した陸奥改が、

 ――破れかぶれの体当たり攻撃に移った。

 とゾッとしたのだ。艦艇が体当たりを行なう場合は〝衝角戦法しょうかくせんぽう〟という立派な戦法だが、それはあくまで海上での話だ。宇宙で艦艇同士が正面衝突すれば、飛行が空中で衝突事故したような常態にしかならない。

 

「もう遅い!」

 

 そう叫んだ艦長が、たまりかねて回避運動を操舵手へつたえようとしたときには、すでに陸奥改は目の前!


 ――ぶつかる!――


 誰もが心のなかで叫んだ。シャンテル以外は。

 

 シャンテルも、乗員たちも正面モニターからもう目が離せない。

 映像は陸奥改の全体をとらえるほどに引いていた。ザンティウム個々が爆発する瞬間より、陸奥改が各所で割けるさまを映し出したほうが面白い。

 

 だが、そんな映像を楽しみにしているのは最早シャンテルただ一人。

 他の乗員たちは艦長以下、ラビエヌスと陸奥改を映し出している俯瞰図ふかんずに、

 ――ぶつかってくれるな!

 と祈るばかりだ。


「敵艦きます!」

「総員、衝撃に備えよ!」

 

 ラビエヌス艦長は叫んでから、

「シャンテル司令、どうかお座席へお座りください! お願いです!」

 とシャンテルを座席へ座らせようとしたが、シャンテルはそんなラビエヌス艦長を振り払い、

「もう爆発です! 天儀死になさいーー!」

 とますます身を乗り出して映像に食い入っている。

 

 ラビエヌスに一瞬の静寂。

 空白に投げ出されたような感覚。

 すぐに轟音ごうおん。そして船体が地鳴りように震えた。

 巨大な陸奥改と近距離ですれ違ったためにおきた現象だ。

 

 ラビエヌス艦長はコンソールのモニターで、

『距離30メートル』

 という信じられない数字を目撃していた。船外皮膜の展開の厚みを考えると最早接触したにひとしい距離だ。

 

 戦艦同士の速度をだしての想定外の近距離でのすれ違い。これでラビエヌスの艦内に轟音を響かせ、船体を揺らしていた。


「すれ違いました! ラビエヌスは陸奥改とすれ違いました!」

 

 報告にすぐに、

「回避成功――!」

 とラビエヌス艦長が叫んだ。

 

 ブリッジにはとたんに安堵の雰囲気。破れかぶれの自爆攻撃を避けたのだ。体当たりなど悪夢でしかない。が、シャンテル一人が絶句していた。

 

「え……。なぜ陸奥改は爆発しなのですか……」

 

 天儀の死を確信していたのに、それがない。絶対に許されない事態だ。


「陸奥改は我々とすれ違う瞬間に船体を回転させザンティウムを振り落としたようです」

 

 高官の一人がおずおずと報告した。が、シャンテルは真顔で、

「は?」

 意味がわからないといった素振りだ。


「ですから、船体を回転させてザンティウムを――」

「それは違うでしょう! 宙返りでもしたんですか! 戦艦が!」

 

 シャンテルが強烈に興奮して、高官に掴みかかった。その横ではラビエヌス艦長が、

「……信じられない」

 とうめいた。思わず注目引くような重い響き。シャンテルの視線だけでなく、周囲にいた高官たちもラビエヌス艦長に集まっていた。シャンテルが持ち前の静謐せいひつさを取り戻していた。


「……ありえない戦艦がバレルロールした」

「どういうことですか艦長さん? 説明を命じます」

「ですから宙返りしたんですよ。いえ、この場合宙返りとは違いますが、やったことのとんでもなさでは似たようなものです。シャンテル司令はライフリングはご存じですですよね?」

 

 シャンテルが、バカにして、と憎悪を燃やしてにらんだ。瞬間、ラビエヌス艦長は真っ青。シャンテルの憎悪は死の憎悪だ。目をつけれたらお終いだ。


「すません! 失言です!」

「……いいから続けなさい」

「バレルロールとは、ライフリングをなぞるように回転する飛行技術です」

「つまり直進しながら回転した?」

「はい。戦艦では前例がないはずですが……。これでザンティウムは振り落とされたんです」

「チッ。思いつきが功を奏したということですね。悪運の強い男です」

 

 シャンテルがあごに手をやって考えるふうで吐き捨てから、

「残機は?」

 と鋭く問いかけた。けれど残機といわれてもラビエヌス艦長も高官たちも、なんのことだかわからない。整備ドローンから有人工作機まで、戦艦のラビエヌスには〝機〟で数えるものは多いのだ。

 

「……えっとなん残機でしょうか?」

「ですからザンティウムの残機です! 残っているのでもう一度陸奥改を攻撃します」

 

 シャンテルがいらだっていった。なんてさっしの悪い男たちなのか、自分の周りには無能ばかりだ。

 

 シャンテルの叱責しっせきに大の男たちが目を伏せていた。

 怒るシャンテルを前にして、

 ――ゼロです。

 とは答えたくない。中年から初老の男たちが、まるで嘘がばれるのを恐れる子供。気まずい空気がブリッジにはただよっている。

 

 そう、ザンティウムは撃ちつくしていた。華々しい戦果と確実な撃沈を狙って、出し惜しみなくばら撒いた。誰もがそのほうがシャンテルがよろこぶと思ったのだ。

 そして怒る母親に、沈黙は無力。子供の嘘などその程度だ。すぐに露見する。

 見かねた情報担当の少佐がシャンテルへと耳打ちした。

 

「残数はゼロですって!?」

「……ザンティウムは飽和攻撃をしてこそなので……」


 砲術長が気まずそうにいった。


「いいわけですか?」

「いえ、ザンティウムという兵器の特質上です。数で撹乱し、より多くを敵艦に到達させ、小さな爆発力を数で補うというのがザンティウムの設計思想ですので――」

 

 シャンテルが目を吊り上げた瞬間。

 ――ドーン!

 と下っ腹から突き上げるような衝撃。足元が頭の天辺まで同時に振動が襲った。

 

 真っ赤な警告灯が点灯しブリッジの床を赤く染め、ビービーとけたたましい警告音が30秒ほどつづいて切れた。

 ブリッジ内は騒然。


艦尾側かんびがわの砲塔が被弾! 砲塔が根本からふき機飛ばされました!」

「右舷中央部、第三区画へ被弾! 被害甚大です!」

「第二艦橋へ直撃弾! 2ブロックより上が吹き飛んだようです」

 

 そうシャンテルが高官たちを叱りつけている間にも戦闘は刻々と進んでいるのだ。

 

 ラビエヌスではシャンテル以下首脳部が、さしずめ早すぎる〝反省会〟を行なうなか、乗員たちは必死となって戦闘を継続していた。が、そんなことも限界がある。

 回頭してきた陸奥改から強烈なショット。操艦指示はなく、回避運動もままならず被弾。

 艦内は上へ下への、おおあらわだ。誰もが必死の形相で、体中にねっとりとした嫌な汗。

 

「ダメージ・コントロール班はなにをしていて! 直ちに被害を食い止めなさい!」

 

 シャンテルが司令官の顔に戻り決然というと次々に報告があがった。


右舷中央部うげんちゅうおうぶに向かった第1斑全滅しました。第2班が消火・救出作業を継続中!」

「第二艦橋は隔壁閉鎖かくへきへいさで被害の拡大は阻止できました。ただし、第二艦橋は消し飛び使用不能です」

「いまのところ、およその行方不明者106名! 死傷者96名!」


「砲塔は!? 第二砲塔はどうなっていて?」

 シャンテルが叫んだ。砲塔の真下には弾薬とエネルギ発動機が存在し、誘爆が発生したさいに最も危険な箇所の一つだ。

 

「ダメージ・コントロール管制システムにより被弾前に隔壁で遮断し分離。第二砲塔は分離直後に超重力砲の直撃を受けたようです! 誘爆の心配ありません!」

 

 不幸中の幸いとはこのこと。

 シャンテルを筆頭に、ホッとした空気がブリッジに流れた。

 だが分離した砲塔内には砲塔要員がいたのだ。彼らは祈りを間もなく消えた。そんなことに、いまは誰もが気づかない。いや、感傷にひたっている暇はない。戦場には現実が次々と押し寄せてくるのだ。

 そう、ラビエヌスのブリッジが、ホッとできたのはつかの間だけだった。

 

「陸奥改が肉薄してきます! 四基の砲塔が射撃体勢でさらに接近してきます!」

「いま、陸奥改のルート予想でました。やつらはラビエヌスへ横付けするつもりです! 陸奥改の狙いは体当たりではなく、横付けです!」


「は? 横付けですって!? 天儀は狂ってます!」

 シャンテルが蒼白で叫ぶと、

「回避運動! 陸奥改からとにかく距離を取るぞ!」

 ラビエヌス艦長が操艦の指示。各部署も担当の指揮官のもとで勝手に動きだしていた。いや、勝手といったが、これが本来あるべき形で、正しい姿なのだ。シャンテルが不必要に全権を掌握したがり、指揮系統はいびつとなっていた。

 

 そう。司令官シャンテルの職分はあくまで30隻の監督。戦闘指揮や操艦など本来は直接やる必要はない。

 いま、ラビエヌスは危機的状況。シャンテルの顔を立て、おうかがいを立てている余裕などない。

 

「逃げる気ですか! 許されませんよそんなことは。わたくしはそんな命令はだしていませんのに勝手に!」

「近いほど当たりやすい。わからんのですか!」

 ラビエヌス艦長が、口をだすなとばかりに一喝したが、

「ならばこちらの砲撃も当たりやすいはずです。ラビエヌスは護衛艦二隻とともに反撃にでます!」

 シャンテルは食らい下がった。ここで後退などありえない。3対1なのだ。


「それだ! 護衛艦に2隻へ陸奥改へ突貫命令! これは厳命である!」

 

 通信兵がギョッとして艦長を見てから、参謀次長を見た。戦闘指揮の責任者である参謀次長は青白い顔でうなづいた。

 無情な命令が護衛艦2隻へ言い渡された。

 

 ――ラビエヌスの盾になって死ね。

 

 厳命、とついたからには絶対に死んでこいといいわたされたにひとしい。護衛艦二隻がなんの考えも対策もなしに、超重力砲を四基も持つ陸奥改へ突貫すれば死しかない。


「回避成功!!」

 

 陸奥改の重力砲が幸いにも空を切っていた。やはり砲撃を当てるのはやはり難しいのだ。


「Sパルス、Sチャフを散布。ありったけばら撒け!」

 参謀次長が叫ぶと、

「180度回頭――!」

 とラビエヌス艦長が命令をくだした。


 ――逃亡である。

 

 シャンテルが怒りで真っ青になって、

「戦いなさい!」

 と艦長へ迫った。


「無理です! 全員がお陀仏だ!」

「なんという。死が恐ろしいから逃げるというのですか! それは戦意薄弱による命令違反というものです。軍法では極刑ですよ!」

「よく存じております。ですが――」


 なだめるにラビエヌス艦長へ、

「死刑です!」

 シャンテルがわめいたが、次の瞬間ブリッジが閃光につつまれた。

 宇宙船の窓は巨大なパネルに外部映像を投影しているだけのものが多いが、ラビエヌスのブリッジも例外なくそれだ。

 その窓から真っ白で強烈な光。

 

「護衛艦カトー撃沈!」

 

 ブリッジ全体が蒼白となって、乗員たちの闘争心がえていた。

 護衛艦では陸奥改になすすべもない、とわかっていてもこれほど短時間で一隻だ。しかも護衛艦カトーの情報を示すモニターは被害率99.9%。つまり、

 ――破片すらない。

 ということだ。

 

「軍用宇宙船が、カトーは小なりといっても立派な護衛艦ですよ……。それが跡形もなく消し飛んだというのですか……」

「……超重力砲12門全部が直撃したようです」


 もう無理だ。撤退しよう。

 ブリッジの空気はそういっているが、シャンテルはあらがった。ここで負けを認めれば大失態を確定的にするだけだ。


 ――せめて陸奥改だけでも――


 たった一隻なのだ。だが、いま、その一隻が揺るぎない巨大さをシャンテルへ向けていた。


「いえ、そうです。これはチャンスです。いま、陸奥改の意識は護衛艦へいっているのです。残った護衛艦アントニオとラビエヌスで挟撃を行ないますよ!」


 ラビエヌス艦長の復唱はなく、沈黙だけがブリッジに流れた。

 無茶も無茶な指示だからだ。しかも命令を口にしたシャンテルは、酷い顔色でげっそりとしている。シャンテル自身が、無理とわかって口にしていることは誰から見ても明らか。

 

 沈黙はなにも産まない。戦いにおいて最も大事な時間を浪費するだけ。ラビエヌス艦長が、

「後退しましょう」

 と、ついに口を開いた。


「……逃げれば敗北です。できません。それだけはダメなんです。無理です……」

 

 いま、シャンテルはこの世の終わりに立っている気分。うつむいてワナワナと身を震わせるしかない。


「違います。シャンテル司令の、お兄様の艦隊と合流する。本来の目的の行動を行うだけです。逃亡ではありません」

 

 シャンテルはうなだれて黙った。

 もう、嫌だ。なんでこんなことになったのか。戦いたくなかった。それをこの男たちが、

 ――シャンテル艦隊だ。

 などといって盛り上がって、本当に軍人という人種は勝手だ。自分は下々の願望を叶えるように振る舞っただけ。そうすれば天儀も殺せ、お兄さまも喜び、リリヤさんも浮かばれたはずなのに、この段になって中止。

 彼らのために司令官として振る舞ったら、敗北をプレゼントされるという最低な結果。

 

「わたくしの負け? あんな相手をどう出し抜くか、そんなことしか考えていない汚い男に……」

「やつの闘争心は異常です。化物といっていい。相手になさるべきではない!」

「……でも敵は一隻です。分離した7隻が合流すればあるいは……そうです! そう、まだ戦力あります!」

「その前に我々はラビエヌスと心中です!」

 

 ラビエヌス艦長が悲痛の叫んだ瞬間、ブリッジがまたも真っ白な閃光に包まれていた。

 ――護衛艦アントニオ撃沈!

 もうブリッジには声も、感情の起伏もない。司令部がまるごと戦意を喪失していた。


「1隻相手に10隻を投入して、2隻を喪失。そしてラビエヌスは中破。戦果はなし……。なんたる結果! やめだ! こんなものはやめだ!」

 

 参謀次長が怒鳴ると、艦長が動きだした。


「機関の状況を報告!」

「機関、幸いにして無傷。きわめて良好!」


 まだ逃げられる。陸奥改の船速は波だ。全速全開なら離脱できる。

 が、ラビエヌスのブリッジには乗員たちと考えを同じくしないものが一人。その空気の読めないお嬢さんは、他ならぬ司令官のシャンテル。


「艦隊の集結を命じます。一丸となって――」

 

 が、シャンテルがみなまでいう前にラビエヌス艦長が一喝。


「わからないのか! 天儀はあんたを殺しにきた! あんただけをだ!」


 ――え?

 とシャンテルが固まった。想像外のことだ。シャンテルの人生は、恩や好意をよせられこそすれ、怨まれる覚えなどない。自分が天儀を殺したい、と思っても、天儀が自分を殺したいと思うのは不可思議だ。いや、そんなことを下賤な男が考えていいはずがない。シャンテルは高貴な血胤けついんセレスティアルなのだ。


「シャンテル司令、天儀は李紫龍の仇を取りにきた。やつがラビエヌスだけを執拗に狙ってくるのもそれで理由です。わかるでしょう、いま、貴女あなたのためにみなが恐怖にたえているこの状況を。乗員たちの無言をくんでください!」

「なにをおっしゃって……。本気でして?」

 

 シャンテルからすれば、自分一人を狙って陸奥改が必要に突撃してくるとはバカげているが、ブリッジ内の視線は、いま、シャンテルを刺すように冷たい。

 

 実際、ラビエヌス艦長の推理は外れているが、彼らからすれば真剣だ。天儀という男は、交渉だと宇宙基地ステーションに単身で乗り込んで、ダーティー・マーメイドを絞め殺したのだ。李紫龍殺害の実行犯の片割れを執拗に狙う、というのは自然。

 

 単艦でおとりになり、ラビエヌスだけを絶対に殺す。という捨て身の突撃も、そう考えれば納得できる。


「天儀はここに貴女を殺しにきたと考えるべきです。放置してもいい我々を襲った、といういのはどう考えてもそれしかない」

 

 シャンテルがいすくまっていた。いま、脳裏には、だらりとしたリリヤの肢体。

 シャンテルが疲労の濃い顔でうなだれ、ガックリと膝をついた。


 ――撤退……。


 まるで羽音のような小さい声だが、誰もが聞き逃さなかった。

 

 言質げんちを得た! とばかりにラビエヌスの本格的な逃走が開始された。

 向かう先は惑星ファリガ宙域にあるランス・ノールの本隊。レムス艦隊を拾っていくかは不明だ。いや、放置してく。と艦長は決断した。いまは余計なことをする暇なない。逃げると決めたら、ひたすら逃走しなければ意味がない。余計なことをすれば、陸奥改以外の敵に補足される恐れもある。


 一人、シャンテルの総身が一敗地にまみれブリッジに沈んでいた――。

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