18-(アフター)
カサーンへ作戦が発動する直前。
作戦開始前の特戦隊には一瞬の静寂がおとずれていた。
陸奥改のブリッジ。いつもどおりのブリッジ勤務。司令部かねるブリッジは大攻勢が直前とは思えない雰囲気だ。
いま、秘書官の鹿島容子の目には疲れた目の天儀が憂鬱げ。
やっぱりリリヤさんのことを引きずっているのですね。と鹿島は思った。当然だ。最愛の幼馴染と言い争ったかと思ったら撃殺して帰ってきて、
――1人戦力を減らしてきたぞ。
豪語したのだ。これでは、むしろ天儀の内面のつらさしか感じない。
鹿島はそっと天儀に近づき話しかけた。
「天儀司令、私リリヤさんのことをちょっと考えたんです。そして思ったんです。リリヤさんは自身の境遇にもう少し満足できなかったのでしょうかって」
「なにがいいたい?」
天儀が、その話はしたくない、というように応じた。
けれど引き下がらないのが鹿島だ。
事の顛末は異常な結果となったが、鹿島としては、
――天儀もリリヤも、お互い悪かった。
という落とし所にしてしまいたい。
鹿島が思うに天儀はリリヤの件で自分ばかり責めそうだ。名補佐官として天儀の心の重さを少しでも軽くしたいのだ。
リリヤが強烈に天儀を欲しなければ、その欲望をランス・ノールという陰謀家に利用されることなく天儀とリリヤの関係はここまで不幸にはならなかったろう。
――こんなのおせっかいですけど……。
鹿島とてそう思うが、寂しげに見える背中を見たら、なにか声をかけずにはいられない、というのも鹿島容子という女性だ。
「精神を患っていてもトリプルエスという二足機適性のおかげで、軍では超優遇。手厚いケアつき。規律の厳しいランス・ノールの艦隊で例外の扱い。自由気ままに振る舞えたって話しですよ」
「なるほど。いじめから逃げるように星間連合へ、内戦で両親とは死別。そして星間連合でも孤立。リリヤはたしかに不幸だが、そんな彼女には二足機適性トリプルエスという稀有の才能に、軍から与えられた恵まれた生活があった。つまり不幸を補って余りある幸福があったと」
「む……。そこまではいいませけど、はっきりいえばそうです。手にしているもので満足できなかったのかなって思います。それに人間、十割は無理だと思います。八割、いえ七割で大成功だと思うべきです」
天儀があごに手をやり考えるふう、
――そうだな……。
といって数秒沈思してから口を開いた。
「努力に対して得られる幸運は、必ずしもこいねがい渇望しているものではないからだ。そう思えばリリヤはどんなに与えられても、心の渇きは満たされなかったろう」
「むむ、よくわかりません。努力と幸運って関係ないのでは? 天儀司令は努力すれば幸運がおとずれるって感じのニュアンスのことがいいたいのなら、私は努力と幸運に因果関係感じませんね」
「そうか――」
「そうですよ。努力すればそれなりの実力がつき、必ず結果はついてくるものじゃないですか。勉強を頑張ればテストの点数はよくなるものです。そりゃあ数学のテストで歴史のお勉強してたら無駄な努力だって私だって思いますけどね。だからこれは努力の方向性が正しいという前提の話ですよ」
天儀が一瞬、寂しげな顔をした。
鹿島は天儀の微妙な表情の変化を見て、
――天儀司令は私とは意見が違うな。
と思い心にザラつきを感じた。いま、鹿島のいったことはきわめて常識的な話。仮にいまの話を否定するなら、
――ちょっと嫌だ。
努力しないで報われない、なんて人生を悲観している人間は怠惰で遊びほうけているバカモノなのだ。努力しないで成功なんてつごうよすぎで不純だな、とすら鹿島は思っている。
「俺は努力は無駄にならないというのは嘘だと思う。たとえば戦いだ。俺は戦いに勝ちたいのであって、彼は立派に戦ったなどいう評価が欲しいのではない。負ければそれまでの戦に費やした準備は水泡にひとしい」
「……うーむ。わかりません。それ違うと思いますけど」
「目標に到達できなければ、それ以外の利益など無駄ものだな。俺は勝ちたいのであって、よくやったというような、みじめな賛美ではない」
天儀が強烈に内面をさらけだしていた。
鹿島は嫌な感じだな、と思った。頑張った人を見下げる物言いは最低だ。けれど鹿島は天儀が普段見せない心の奥底を見せてくれたと感じて、少し面白い。いや嬉しい。
「でも、でも次の戦いに失敗を生かせますよね? と考えるとやっぱり無駄ではないと思うんですけどぉ」
「あ……」
と天儀がいってバツの悪そうな顔。鹿島は思わずいたずらっ気な顔で、
「でしょ?」
と天儀に迫ってしまった。
「なんと君のいうとおりだな。論破されてしまった」
「論破だなんて大げさなんですから。うふふ」
「ま、とりあえずだ。リリヤが欲しかったのは、お兄ちゃんという男との理想郷であって、天才的な二足機乗りだとか、ダーティーマーメイドなどという評価でもない。もちろん軍からの高待遇でもない。彼女にとって手にできていたものは本当に欲しいものではない」
「そんな――。もったいないというか、わがままというか」
「しかたない彼女の好悪は強烈で、しかも優生主義者だ」
「むむ。好悪が激しいというのはわかりますけど、優生主義者って?」
鹿島も今回のことでリリヤの喜怒の異常性を目撃しているし、リリヤの素行調査も行なったので、
――リリヤさんが好悪の激しいかたというのは理解できるんですけど。
そのあとにでた『優生主義者』というワードはわからない。聞いたことがない。そんな言葉あったのかしら? とも思う。
「優生学の〝優生〟だよ。物事に順位をつけ、劣ったものはこの世から抹殺すべきという学問だな。地球時代の20世紀末にはすでに廃れていた学問だ。悲しいかなリリヤは才能にあふれている。才能をもって軌条の上を行くように成功した人間には、手にしているものは当然手中にあって然るべき、という傲慢さがある」
「ほう、つまり?」
「才能あふれるリリヤにとって、劣った存在は無駄だ。無駄は排除したい。自分の足を引っ張る邪魔な存在だからな。幼いころの彼女は周囲の愚劣さに、ちょっと考えればわかるのに、とか、簡単にできちゃうのにできないのはサボってるから! などとよく腹を立てていた」
「つまりリリヤさんは優秀で無駄が嫌い? いえ優秀な人間だけ集めて世界を作れればいいって思ってる? でも、でも優秀とそうでないかの線引って難しくないですか。だってその優生学の優生の判断ってたぶんですけど、〝有益と無益〟ですよね。利得があるかってケース・バイ・ケースですし……」
さらに鹿島は、
――ほら戦争で役立つ人が、平和のときには役立たないってあるじゃないですか。
と歴女でミリオタらしいことを思った。
一時期の尺度で物事を決めていては世界は立ち行かない。
ほら数字で優劣を決めたら私って超上位で生き残っちゃいますけど、運動はちょっと苦手。得意じゃないです。
――鹿島くんは運動が苦手だね。はい、死刑。
これでは鹿島はいつか世界から粛清されてしまう。
鹿島の顔は疑問でいっぱい。頭にはクエッションマークがグルグル。
――私はリリヤさんがちょっとわがままじゃないかっていっただけなのになぜこんな話に。
なにかとんでもなく哲学的というか、なにか大きな話になっている。
天儀はそんな鹿島を見てほのかに笑った。
「ま、話が多少ずれたな。とにかくだ。こういう思想が脳内で悶々と成長すると問題だ。排他主義で切り捨て社会になるからな。最終的には誰も残らない」
「やっぱり問題ですか。私も優生主義は袋小路な理論な気がします」
「そうだな。で、リリヤのような才能で生き無能を唾棄する人間は、必要なものへは秘宝をあつかうように丁重でうやうやしく、けれど価値を認めないものへはきわめてぞんざい。嫌悪さえいだき、はては憎悪する。そんな彼女にとって本当に望むもの以外はじゃまですらある。この思いが転じてリリヤは自らの幸運を〝いらないよけいなもの〟とすら断じていたかもしれん」
「……うーむ」
「あまり難しく考えるな。リリヤが手にしているもののなかに、彼女が欲しいものはなかった。欲しいもの以外はいらないもの! というのが彼女で、それだけだ。いや、必要ない幸運が本当に欲しいものを手に入れるのを邪魔しているとすら考えたかもな」
天儀が寂しげに締めくくった。
話は終わりという雰囲気なのに、天儀の憂鬱さは解消されずだ。
鹿島はキッと覚悟の表情。いうべきときにいうべき、というのが名補佐官を目指す鹿島だ。天儀の心を軽くしてあげたいと思って話しかけたのにこれではダメだ。
「うーむ。天儀司令はちょっと頑固ですね。それに話の方向性がずれちゃいましたね。これは私の話題の切り出し方が悪かったので、ごめんなさいなんですけどね。で、本題です。私がいいたいのは、問題は片方が一方的に悪いだなんてことはないと思うんです。今回のことはご自分一人が悪いと思いつめないほうがいいと思いますよってことです」
鹿島は、私だけは天儀司令のみかたですよ、というように言い聞かせるようにいったが、
「いや、君にリリヤのことを問われてよかった。自分がやったことが、なにかよくわかった」
天儀はむしろかたくな態度となった。
「えぇ……。そんなぁ……」
「陋劣なことをした。その咎は否めない」
天儀が十字架を背負った、というようにいった。
「じゃあ、じゃあ。むしろ間違いをお認めになったほうが楽ですよ?」
リリヤを衛星内で殺したことは間違いだった。そうはっきり認めれば、現実向き合う切っ掛けとなり心の重荷は徐々に軽くなる。考えないでいる方が、もしくは〝間違っていない〟と一つの方向で決めつけるほうが危険だ。心の奥底に残って、精神を蝕み続ける。
鹿島から見て、いまの天儀は、
――リリヤを殺したことは罪だが、間違いではない。
というきわめて矛盾した結論のなかに自身を置いている。これでは苦しすぎる。
――リリヤさんを殺したことは罪で、間違いだった。
鹿島としては天儀にこう思って欲しい。罪と間違いを認めれば贖罪できるからだ。
もしくは、殺したのは正当な理由があり、問題もない。とか、殺したのは正しいが、問題性がなかったとはいえない。
これは、
――責任を認めない。
という鹿島としては傲慢で嫌な考えかただが、こうしてしまえば一応矛盾はない。
いまの天儀は鹿島から見て――。
「天儀司令はつらい現実ばかりチョイスしているように思いますけど。罪だけど間違いじゃないって重すぎます」
鹿島は思い切っていった。
「だが、間違ったと認めればそれこそを無責任だ」
天儀はかたくなだ。
鹿島は、こういう人なんだろうな、と思った。鹿島から見て天儀は終始にして一貫している。李紫龍の仇を取るという方向性でぶれずに突き進み、行なったあとはリリヤ殺害の責任を真っ向から認めている。普通の人間なら、状況的に仕方なく不可抗力だ、と絶対に責任を認めないだろう。
「俺はふたたび同じ状況になれば、同じことをする。断言する」
天儀が、
――そうしなければリリヤの死は無駄だ。
というようにいった。鹿島は天儀へ悲しさを感じ言葉がでない。
だが、そこで引き下がるのは鹿島ではない。言葉がでないなら行動だ。毎回、毎回天儀に驚かされてばかりはいられないのだ。鹿島は名補佐官で名将を御する立場。
鹿島は強引に天儀の手首を取って手のひらを開かせた。
突然の鹿島の行動に驚く天儀に、鹿島は止まらない。
いま鹿島の目に映るのは思ったほど大きくない天儀の手。けれど少し指の節が目立ち、ゴツゴツして男性的な手。ギュッとにぎっている手首もゴッツイ感触だ。だが、鹿島と比べて強そうな手も、いまは儚げだ。
鹿島は天儀の手のひらへ、ポケットをガサゴソとしてから、そっと一口サイズのチョコを置いた。とびきり甘いやつだ。
「私、疲れたときはこれを一口含んで踏ん張ります。でも無理と我慢はダメですよ」
天儀は鹿島の顔を直視してから、手のひらのチョコをしばらく見つめたあと、
――ありがとう。
と小さくいった。
鹿島は笑った。
天儀が鼻をすすって少し顔を背けた。
それを鹿島は見て見ぬふり。正面を向きながらも、心のなかでは優しく微笑んだ。




