18-(2) 嘘つきリリス
『嘘つきリリス』
アイリ・リリス・阿南は幼いころ同年代の子供たちからそう呼ばれていた。
家でライオンを飼っている、どこぞの有名人にあった。一つ一つはな他愛もないものだが、なにせ数が多い。利発なリリヤだが、数の打ちすぎ、とうもので、そのうち誰もが嘘に気がつき白眼視。
――嘘はいけないこと。
そう教えられない子供のほうがめずらしい。それに子供は直感的に虚言を憎む。
「リリスちゃんって嘘ばかりだよね」
リリヤは友達から嘘を指摘されると、嘘をとりつくろうためにさらに嘘の悪循環。
利口で目立ちたがり屋のリリヤは周囲から冷えた視線に耐えられるほど心は強くない。リリヤは次第に友達の輪から孤立した。
なぜ嘘をいい始めたのか。驚く友達の反応が面白かったのか。もしくは忙しい両親の気を引くためだったのかリリヤにもわからない。
いや違う。最初は自分で作った楽しい物語を話していた気がする。友達や両親だけでなく周囲を他のしませたかった。皆最初は楽しそうにきいてくれていた。けれどある日、
「でもそれって作り話だよね。嘘じゃん」
そんな言葉にムキになって、
――嘘じゃないもん!
と言い返したのがきっかけだ。言い争ってからのつかみあいの大喧嘩。完全な決裂。相手から嘘つきのレッテル。周囲に、
――リリスちゃんって嘘つきだよね。
といいふらされ、そのうち周囲の子供たちからは嘘つきあつかい。しかも両親も、また作り話かとリリヤをあしらうようになり、本当に嘘をつけば折檻された。
そして気づけば誰もリリヤの言葉に耳をかたむけない。
リリヤがなにをいっても、
――リリヤがまたくだらない作り話だ。
楽しい物語を考えても、もう誰もまともに取り合わない。両親ですら。
気づけば周囲の気を引くために、
――また嘘。
いけないとわかっていても止まらない。虚言癖だ。
明るく目立ちたがり屋だったリリヤは成長するにつれて内向的な性格になっていった。
高校へ進学するころにはリリヤの虚言癖はほとんどなくなっていたが、周囲の認識は変わらなかった。過去の噂が思春期のアイリスを苦しめた。
『嘘つきリリス』
のあだなは高校でも引き継がれた。楽しい学校生活は得意の想像力で脳内だけ、だが現実は自分の席で一人ぼっち。明るい教室でリリヤの机だけが暗黒に沈んでいた。
そんなリリヤには心の支えがあった。幼いころに遊んでくれた近所のお兄ちゃんだ。お兄ちゃんだけが、嘘つきリリスと呼ばれるようになってからもリリヤの話を聞いてくれた。それもとても楽しそうに真剣にだ。
いまは天儀と呼ばれているらしいが、リリヤにとってはいまでも大切なお兄ちゃん。
リリスにとって天儀との短い時間は至福のときだった。
お兄ちゃんだけはリリヤの空想話を嘘といわずに、
「で、つづきは?」
と目を輝かせて興味津々《きょうみしんしん》。
想像力の豊かなリリヤの話は、嘘つきというフィルターをなしに聞けば面白いものだったのだ。
リリヤは一人で出歩くにはまだ幼かったが、幸運にも大好きなお兄ちゃんはお隣さん。リリヤは頻繁に天儀に会いに行くようになった。
お兄ちゃんはリリヤの顔を見ると最初は面倒くさそうにするが、
「今日は公園で遊ぼう」
とか暖かい日には、
「河原にいってみようぜ」
といってリリヤと遊んでくれた。リリヤが話しだすと熱心に聞いてくれる。
そして夕暮れになると、
「また明日な」
といって玄関先まで送ってくれる。
お兄ちゃんはぶっきらぼうにいうが、その態度は照れ隠しで、証拠に声は優しさにくるまれている。それがリリヤにはわかっていて、たまらなく嬉しくもあった。
思えばリリヤはあのとき救われていた。いや、あの時間があったおかげでいままで頑張って生きてこられた。
幼いころの美しい思い出は、想像力の豊かな彼女の中で美化され、年齢とともに神格化。リリヤのなかで天儀との思い出は神話となっていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
陸奥改ブリッジ――。
「思いだしたぞ!」
天儀が突然に声あげた。
近くにいた鹿島容子は驚いてから恨めしげに天儀を見た。
いまやっと目の前に書類に集中でき作業が進み始めていたところなのだ。それが天儀の声でブッツリ中断。
鹿島は出撃してからのいままでの特戦隊の帳簿のチェックの真っ最中。帳簿チェックは主計の仕事のなかでも一二を争う地味な仕事だ。しかも細かく目をとおす必要があるので時間ばかりかかる。それが進み始めたとところで無神経な一声。台無しだ。
鹿島は、
――いまの〝思いだしたぞ〟は私へ向けていったんですかねぇ。
とムカつきながらも、その言葉が自分に向けられたものだと知っている。なにせ鹿島は秘書官で、そのワークスペースは天儀でデスクとくっついている。しかも近くには誰もいない。言葉は当然自分へ向けられたものだ。
そして鹿島がムカつく理由がもう一つある。
――天儀司令ったら〝思いだしたぞ〟なんて大声でいいましたけどぉ。
どうせ大事な話題ではない。つまりたんなる私語だとわかるからだ。
鹿島から見て、天儀の話題の振りは男性のそれそのもの。大事な用事なら、
「かしまぁ!」
と叫んでからいきなり本題をぶつけてくる。
――思いだしたぞ。
なんて前置きがはさまれたからには仕事の話ではなく私語。くだらない話題だ。と鹿島には予想がつくだけにむかっ腹も立つというものだ。
鹿島はぷいっと無視してしまいたいが、秘書官が司令官から声をかけられて応じないわけにも行かないし、
――集中してるんです! 話しかけないでください!
ともいえず、
「てんぎ司令。なんでしょうかぁ?」
険悪な笑顔で応じた。
なお声色にはたっぷりと、くだらない話題だったら許しませんから、という気持ちを込めておいた。
が、目の前の天儀はいえば悪びれないというか、鹿島のいらだちにまったく気づいたようすもなく、少し休憩といったように伸びをしてから、
「聞きたいか?」
と気軽な一言。
なんですか、そのちょっと息抜きがてら面白い話をしてやるよ。みたいな顔。ちっともこっちの気は知らないんですね。もう! と鹿島は思いつつもハッとした。
――そういえば天儀司令から私語ってめずらしいですね。
普段の天儀司令ってちょっと寡黙なところがあるんですよね。手の空いた時間は大抵は私から話題を提供している気がします。でも話題を振ると熱心に聞いてくださるので、私ったらついつい一方的に喋っちゃいますけど。えへへ。
そう思えば、たまには聞き手にまわるのも悪くない。と鹿島は考え直した。それにめずらしい天儀からの話題振りが、どんな話題かも俄然気になる。
鹿島はコホンと咳払いしてから、
「ま、ちょうど息抜きしたいなって思っていたところですし、どんなお話なんです?」
ツンとした態度で応じた。聞きたいです! という態度を全面にだすのはみっともないし、欲しがりはろくな目にあわない。あくまで聞いてあげますよ、という体が重要だ。
「リリヤのことだよ。彼女と遊んでいたときのことを思いだしたぞ」
これには俄然興味の鹿島。天儀とリリヤは幼馴染で、しかも子供同士の約束とはいえ結婚の指切りまでした間柄。鹿島からすれば恋バナがからめばくだらない話ではない。なお天儀には恋バナという意識はないし、結婚の約束に、
――指切り。
という付加事項が勝手に加わっている。天儀はどんなふうに約束したかまではいっていない。が、鹿島からしたら、子供同士の大事な約束は指切りげんまん。絶対そうだ。
「鹿島、君は私がリリヤのことをろくに覚えていなかったことを薄情だといったが、脳の底に埋没していてとっさに思いだせなかっただけだ。君だって幼いころのことなどとっさにでないだろ」
天儀からのチクリと一言。が、鹿島も負けてはいない。
「おぉ~。思いだしましたか。お二人の幼いころの熱い愛の語らいを」
「だから愛じゃない。遊んだ思い出だ」
「はい、はい。いいですから。恋バナかそうじゃないかは私が判断してあげますので、どうぞ思い出を語っちゃってください」
天儀は苦い顔で、
――ああ言えばこいう、というやつだ。
と思った。だが、この手の話題で女性の鹿島には勝てそうにない。言い返そうとすれば、またうまくやり返されるだろう。天儀はあきらめて話すことにした。
「ま、遊んだというよりリリヤが一方的に話をしてくれるので私はそれを聞いていた感じだな」
「ほう。遺体引き渡しのときみたいな感じですか」
「そうだな。昨日なにがあったとか、今日なにをしたとか、リリヤが作った物語とかな。他愛もないものばかりだったが、本当に話がうまくて面白かったのを覚えている」
天儀の一人称が〝俺〟になっていた。鹿島は天儀の気分がすでに乗ってきたな、と思った。
「リリヤさんって天儀司令より三つか四つ歳下ですよね? 私としては天儀司令がお話とかしてあげて相手をしてあげていたってイメージでしたけど」
「逆だな。リリヤが終始リードさ。俺は彼女に引きずられていたよ」
「うむー。それってむしろ遊んでもらっていたのは天儀司令では?」
「はは、なるほど。たしかにそうだ。いま思えば俺はリリヤを歳下とわかってはいたけど、関係は対等だった気もするな。むしろ俺がリリヤに感心させられることが多かった。頭の良い子だった」
――やっぱりリリヤさんのことを語るときの天儀は親しげです。
と鹿島は思った。
「それにいつもきれいな服を着ていたな。そいつを汚すと怒られるんで、俺の家でこっそり着替えて遊びに行くんだ――」
「あの天儀司令?」
と鹿島は非難の目で見ながら天儀の話を中断させた。
「なんだ」
「やっぱり天儀司令ってちょっと薄情じゃないですか。お話を聞く限りやっぱり二人は特別な仲。それなのに〝思い出して!〟ってリリヤさんにいわれるまで忘れていただなんて。ちょっとそれって、どうなんでしょうか……」
「いや、だからいったろ小さいころの話だと。俺が八か九歳ぐらいのときに一年、いや半年もないぐらいの期間の間だけだぞ。すっかり忘れていても仕方ないだろ、そんな非難の塊のような目で見ないでくれ」
それでも鹿島は非難の目を変える気にはなれなかった。
――男性ってこういう薄情なところありますよね。
こっちも気のも知らないで、とか鹿島は不満だ。
「リリヤとは上の学校にあがるとまったく顔を合わせることもなくなったし、俺は部活にも入って忙しかったんだ。生活がガラリと変わってしまい、ぷっつり会わなくなっていた」
「うーむ。でもそんな小さいころから今まで天儀司令へ想いを寄せていたリリヤさんがやっぱりかわいそうです」
「想いを寄せられていたか。だったら光栄なことだな。俺はもてなかったからなぁ」
鹿島はくすりと笑ってしまった。天儀がもてなかったのはなんとなく想像がつく。鹿島から見て男性としての天儀は、優しいし気遣いもしてくれる。よく話も聞いてくれるが、
――天儀司令って結局は自分の考えが第一ってスタンスなんですよね。
そして鹿島にとって天儀は、理想のセインパイであっても、理想の相手ではない。心には常に距離があり壁を感じる。
鹿島は気づいていた。天儀が親しげに話してくれても心の距離をかなり重視していることを。鹿島が心を一歩近づけると、天儀は一歩下がる。鹿島が引くと、天儀が前にでてくる。
近づいても下がってしまう相手は恋愛しにくい。心の距離を取る天儀がモテるはずがない。
けれど鹿島は、やっぱりモテなかったんですねぇ。とはいわずに一応、
「あら意外ですね」
と否定の言葉をそえておいた。
「そうだ。また一つ思い出したぞ」
一つ思いした天儀は芋づる式に昔の記憶が引っ張りだされているようだ。
「最初はリリヤの両親が二人同時に出張だったかで、一晩うちで預かった。それが彼女と遊んだ最初だな」
そういうと天儀が突然に苦笑しだした。
一人笑う天儀に鹿島がけげんな顔。鹿島とて天儀がリリヤとのとの思い出で苦笑しているのは察しがつくが、それを天儀が口にせずに一人で浸っている姿は気分のいいものではない。相手をしている自分の身にもなって欲しいものだ。
「いやな。その泊まりにきたときのリリヤを思い出したんだよ」
「とんでもないわがまま娘だったとか?」
「いや、どうだろうわがままとは違うな。彼女は家から着せ替え人形を持ってきたんだ。TT社製やつだ」
ほう。と応じる鹿島もその人形はよく知っている。八頭身ぐらいのスタイルの良いソフビ製の着せ替え人形だ。自分もMA社製の物だが似たような人形を持っていた。大抵の女の子ならどちらかで遊んだことがあるだろう。
「あいつそれを裸にむくと人形用のシャップーなのかな。それで胸の部分にちょんちょんっと印をつけて、おっぱい! と、いって俺に押しつけてきやがった」
「えぇ、それは、えっとすごいです。大胆です」
鹿島は、天儀がソフビ製の人形を顔にグリグリと押しつけられて驚くさまを想像。ひかえめにプッと吹きだした。なんとも情けない情景だ。
「驚いたね。いや困惑した。俺は女の子ってのは、もっとおしとやかなもんだと思っていたからな」
「そうですよ女の子だってやるときはやります。男の子より大胆なときだって多いですから。女性って物言わない可愛いお人形じゃないんです」
「思えばあのときに俺の女性に対する身勝手な幻想は打ち砕かれたのかもしれんな」
たまらず鹿島が笑うと天儀も笑った。
笑う二人に、
「あら幼いころの天儀司令は女性にどんな身勝手な幻想をいだいていたのかしら。座していればそのうち空から美しい天女が降ってくる、とでも思っていたのかしらね」
という声。天童愛だった。
それを聞いた天儀が笑いながら、
「違いない。いまでもな」
と応えた。
これには天童愛も思わずプフっと吹きだし、鹿島も、
「もうやだ天儀司令ったら」
と大声で笑ってしまった。大の男が可愛いお嫁さんが欲しいとふざけて応じたのだ。鹿島のもつ天儀のイメージとは隔絶している。
笑い声のなかで天儀の胸懐に寂寥感が吹いた。リリヤがいじめられているのを知っても自分はなにもできなかったな、と思ったからだ。
幼い天儀は、お兄ちゃん! と慕ってくるリリヤに仲良くすることしかできなかった。時間がたてば状況は変わるさ。そんな思いだ。リリヤは自分といるときはいやなことは忘れてくれていそうだった。
リリヤが利発な子供なら、天儀は異常なほど忍耐強かった。だが、忍耐だけでは状況は改善しない。辛抱強くチャンスの到来を待つことを「雌伏」とか「捲土重来を待つ」などというが我慢だけでは大成はしないし、状況の改善はない。たしかに忍耐とは同時に努力を内包するものが多いが、忍耐とは努力と同一ではない。努力をともなわない忍耐は窮状の深みにはまっていくだけだ。
忍耐強くても、努力を嫌い、無為で時間を埋めていてはなにも意味はない。
――我慢すればいずれは変わる。
と思っていた子供の天儀に、そんな天儀に強烈に影響された幼いリリヤ。
だが、成長してく過程で忍耐だけでは状況は改善しない、と天儀は知ったし、リリヤも直感的に気づく。なにより二足機適性SSSという大才は、リリヤへ忍耐への意識を希薄にさせた。唯一無二の天才パイロットなら多少どころか、どんなわがままだって押しとおることが多い。
耐える理由は結果を望んだから、結果をだすには一にも二にも行動しかない。
いまの天儀は無謀なほど行動主義で、リリヤは欲望に忠実で欲しいものへ衝動的に手をだす。
忍耐が反転しても同じではない。二者二様だった。