18-(1) 歪みと狂気
ザルモクシス司令官室――。
アイリ・リリス・阿南は意外にも10分もたたないで司令室に姿を現したのだった。簡易通信アプリでの返信どおりだ。
シャンテル・ノール・セレスティアが、
――きちんといらしたでしょ?
というように兄のランス・ノールを見た。見られたランス・ノールといえば憮然とした顔。
兄妹はリリヤが宣言どおり10分でくるかどうか賭けたのだ。ランス・ノールは遅刻、シャンテルは時間内。
微笑むシャンテルに少し不機嫌そうなランス・ノール。二人のようすに不思議げな顔のリリヤ。
「いい、なんでもない阿南」
リリヤの虚ろな目が兄妹2人を交互にとらえた。リリヤはまずはランス・ノールを見て、すぐに気まずそうに目をそらした。
リリヤから見ればキング・ランス・ノールは自信みなぎる無欠の男。その心中はとてもうかがい知れない。それにジッと見つめ返されると心の底まで見透かされていそうな居心地の悪さがある。
リリヤの視線は逃げるようにシャンテルへ。シャンテルは安寧の領域だ。証拠にシャンテルはリリヤと目が合うと、
――ニコ。
と微笑んでくれた。
リリヤはホッとせずに、やはり攻めるならこちらだ、と思った。
リリヤから見てシャンテルはどこか抜けている。いや、甘い。リリヤの言い訳や、わがままを渋々ながらも認めてしまったり、嘘を見抜けないことすらある。
上に立つものは常に下から試される。残念だが親友のような2人には上下がある。上のシャンテルの人の良さは、下のリリヤから見れば隙きだ。
――ここはシャンテルさんを説得だね。
とリリヤは狡猾に判断した。
「あのねシャンテルさん。お兄ちゃんがいたの」
キング・ランス・ノールは妹に弱い。というのをリリヤだって知っている。シャンテルの説得に成功すればランス・ノールに妥協を強いれる。
「リリヤさん今回はそのことでお呼びしたんですよ。陸奥改であったことを兄へ話していただけないでしょうか」
シャンテルは切り出しながらもじつは居心地が悪い。リリヤの異様な目が原因だ。虚ろでどこを見ている変わらない目。思えば李紫龍遺体引き渡しが終わり帰ってきたときもそうだった。
あのときのリリヤとにかく興奮しまくり、虚ろな目を爛々とさせ不気味さは倍増させ、
「お兄ちゃんがいたの!」
と壊れたようにまくし立てただしたのだった――……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「特戦隊旗艦の陸奥改にリリヤさんのお兄ちゃんがいたということですか?」
シャンテルは落ちついてください、というような身振りをしつつリリヤへ聞いた。
リリヤからまくし立てられた言葉は断片的で要領を得ないが、口にされたワードから推察するに、そうだった。
「そう!」
歓喜の表情で応じるリリヤは今は完全に躁状態のスイッチが入っている。
――あら、それはよかったですね。
と作り笑いで応じるシャンテルに疑問が一つ。
そういえばシャンテルはリリヤ〝お兄ちゃん〟と聞いたことがあっても、そのお兄ちゃん足る人物の名前を聞いたことがない。これは異常だ。
「えっと、どんな方なんです。お兄ちゃんさんのお名前とかは――」
「お兄ちゃんだよ?」
「それはわかりました。そのお兄ちゃんさんの役職とか本名とかを教えていただけませんと……」
「陸奥改の艦長で、特戦隊の司令! すごいでしょ偉い人だった!」
「え!? 天儀ですか!」
「違う! お兄ちゃんだよ!」
シャンテルは心に若干の疲れを覚えた。が、天儀がリリヤのいうお兄ちゃんなのだろうということまでは理解できた。陸奥改まで出向いて特戦隊の司令といえば天儀しかいない。
「シャンテルさま。キング・ランス・ノールは、お兄ちゃんを見つけたらいっしょに暮らしていいって約束してくれててね――」
「わかりましたけれど、どうやって……」
相手は特戦隊の司令官。敵ではどうしよもない。しかもいま対峙している相手だ。まさか呼び寄せてザルモクシスでいっしょに暮らしましょう、とは無理にも程がある。
次にシャンテルは、
――お兄ちゃんと暮らすから出ていく、いいだされた困ったことになりますね。
と思った。
相手がこちらにこないなら、自分が行けばいいという安易な発想はありうる。そして、いま目の前には異常に興奮したリリヤ。
――いっしょに暮らすからでていく。
これをいいだしたら止まらないだろう、というのは容易に想像できる。
拘束するのは面倒くさいですし、戦術機隊のかなめが使用不能になるのはお兄さまが困ります。シャンテルが、そんなことを考えるなかリリヤといえば楽天的だ。
「そうだ。倒そう。特戦隊を倒せばお兄ちゃんが手に入るよ。リリヤが北斗隊つれてでるよ!」
とんでもない無茶をいいだしたリリヤを、
――ダメ。
と否定しても始まらない。猛烈に反駁してくるに決まっている。
「そうですね。それがいいと思います」
シャンテルは同意から入った。そう、同意してからなだめる。これしかない。
――いまのリリヤさんは頭から否定するとザルモクシスを出奔しかねませんから。
シャンテルが見るにリリヤは高ぶった気持ちが先行しており、自分の考えが絶対に正しい、と思い込んでいる。まさに否定されることは夢にも思っていないふう。考えを否定されれば、リリヤは恐慌してとんでもない行動にでかねない。たとえば二足機を奪って特戦隊を目指すとか……。シャンテルはそこまで警戒した。
「でしょ! シャンテルさんの艦隊で特戦隊を攻撃しよう。勝てるよ!」
「それはいいのですけれど、でも問題がありますよ」
「……え」
「リリヤさんがご自身がおっしゃってましたよね。この艦隊で攻撃をしかけても少数の特戦隊には逃げられて戦いにならないと」
シャンテルの言葉にリリヤが硬直。目は虚ろ口元は笑っているが、そんな状態で停止しピクリとも動かない。
これでは納得なのか、不服なのかすらわからない。
――ま、不服でしょうね
とシャンテルは思った。納得ならさらに明るくなるはずだ。だが、なにも反応をしめさないのでは、やはり考えはわからない。これではシャンテルは困る。
シャンテルは覚悟を決めリリヤの不気味な目をのぞき込んだ。
――目は口ほどに物を言う。
シャンテルは仕方なしに不気味な泉へと足をつけていた。まだ肌寒いなか嫌々服を脱ぎ、つま先からおっかなびっくりつけて、水面に足先が触れた瞬間、ドロリとした嫌な感触。背筋が凍るようなおぞましさ。
心をのぞき込むとは服を脱いで相手の中に入っていく行為に似ている。とシャンテルは思う。
が、不快感を押した行為も徒労に終わる。シャンテルはリリヤが考えているのかまったくわからなかった。背筋に不快な感覚という気分の悪さだけが残った。
ただ、兆候はつかめた。リリヤさんはこのままだと急激にうつ状態へ落ちていきそうですね。という兆候だ。そうなったら、そうなったで面倒と思ったシャンテルは努めて優しい声で説得にかかった。
「独立が認められれば大好きなお兄ちゃんを呼んでいっしょに暮らせますよ。だから、ね?」
が、リリヤの硬直に変化はない。黙ったまま。とたんにシャンテルは焦燥を覚えた。強引にリリヤを掣肘すれば、
――関係が決裂する。
と感じたのだ。シャンテルとって最大の支持者である二足機集団総隊長リリヤとの決裂は艦隊運営に支障をきたす由々しき事態。なにせ艦隊内で支持者は少ないのがシャンテルだ。高官たちの服従は表面上だけで内心は違う、というのをシャンテルだってわかっている。
「ほらリリヤさんの二足機の技量に物をいわせて特戦隊を倒すとなると戦闘になってしまいますでしょ。そうなると大事なお兄ちゃんも死んでしまうかも。戦闘になってしまえば天儀の生死の保証はできませんし」
「お兄ちゃんは殺させない!」
リリヤが激烈に反応。憎しみ宿した凶悪な表情。
「ええ、わかってます。でも流れ弾に当たったら困るでしょ、ね?」
リリヤが舌打ちし口元を歪めた。つまりシャンテルの言葉に不服なのだ。
下手にでてもこの悪態。シャンテルは焦燥のるつぼへ。焦りに焦るなか、もう自分の動揺は面にでているだろうな、とシャンテルは思った。思った瞬間、情けない自分に気が重くなる。セレスティア家の血胤が狂った女一人説得するのに、この平身低頭し、しかも邪険にあしらわれたのだ。シャンテルの心身は一気に惨めの底に沈み込んだ。
が、それでも説得はあきらめない。
「独立が正式なものになれば万事うまく行きます。リリヤさんは満期除隊で年金と家と別荘をもらって、そこにお兄ちゃんを呼んで。ね、そうでしょ」
けれどリリヤから表情が消えうつむいた。
シャンテルはやはりリリヤの考えが読めないが、間違いなくお兄ちゃんこと天儀と暮らす算段だろう。
リリヤさんは欲しいものを手に入れるためには手段を選ばないところがあります。怒ったと思えば媚を売り、なだめすかし、ときには子供のように泣き叫ぶ。相手が弱いと思えば強引にぶんどってゆくし、身体を捧げることすらやってのっける。そして当然として、
――暴力。
にも訴える。
リリヤが暴力に訴えてきたら厄介だった。思いどおりに行かないいと恐慌し、パニックになって暴れだすなど容易に想像できた。
いま、シャンテルはザルモクシス司令室でリリヤと二人きり――。
リリヤが椅子を蹴飛ばす、机をひっくり返す、など物に当たり散らせばまだいいが、その凶暴性が、
――わたくしに向いた場合は衛兵を呼んでも間に合わない。
とシャンテルは冷静に思った。
そうなると暴れるリリヤをシャンテル一人で沈黙させるしかない。
けれどリリヤさんは強襲部隊の隊長でCQC(近接格闘術)にも優れています。わたくしも多少は研鑽を積んでいますし、日々のトレーニングは欠かしませんけれど、その道のプロ相手にはとてもおよびません。
そう、リリヤは格闘術にも優れ体力的にもシャンテルより上だ。そんな相手を沈黙させるというなら生半可なことではすまない。つまり身を守るには、
――殺すしかない。
シャンテルの脳裏に暗い思考が渦巻いた。シャンテルが瞳から温度が消えた。
虫も殺せなさそうなお嬢さん。困り顔で相手のわがままを許してしまう気弱な女性。それがシャンテルの見た目の印象。だがこの淑女は精神的に追いつめられると、残忍さ、という暗黒面を発揮する。
人に平然と銃口を向け、躊躇なく引き金を引く。そして血溜まりを見て、
――微笑する。
その冷えた笑みは、血の湯船につかって愉悦するような酷薄さ。
〝なんだ。殺せばいいのか〟
とシャンテルは思った。意外なほどに簡単な解決手段だった。説得しようと焦っていたが、いうことを聞かないのなら結局は同じだ。
解決方法を見つけたシャンテルは惨めの底から一気に浮上し晴れやかな気分。シャンテルは口元に笑みを浮かべてリリヤを見た。
「リリヤさん。あまりシャンテルを困らせないで、お兄ちゃんと暮らすのはダメといっているのではないのですよ。いますぐは難しい。それだけです。それにわたくし最大限にリリヤさんに協力するといっているのに、どうしてわかってくださらないかしら」
それまで勢いついていたリリヤがとたんに停止。だが今回リリヤには怯えの色。シャンテルに気圧され明らかに気持ちが後退している。
シャンテルの大きな瞳が、リリヤの虚ろな瞳を飲み込んでいた。
いま、リリヤの目に映るシャンテルは口元は笑っているが、目はまったく笑っていない。
――怖い。
リリヤは本能的に直感し、表情をやわらげ、
「そ、そっか、そうだよね」
下手な態度。リリヤが折れていた。
「そうですよ。急いては事を仕損じるなんていいますし、お兄さまにまずは話を通してからでないと、わたくしの一存では決めれないことだって多いのですよ」
そういうシャンテルの顔は笑み。今度は心の底からの笑みだ。シャンテルもリリヤが折れたことにホッとしていた。やはり二足機集団総隊長のリリヤを失うのは痛い。
「ごめんねシャンテルさん。リリヤったら艦隊はシャンテルのものだと思いこんでたけど、軍はキング・ランス・ノールのものだよね。全部自由とはいかないよね」
シャンテルは、
――ええ、そうね。少しの辛抱ですよ。
と応じながら注意深くリリヤを観察。
上辺では〝諾〟といって、部屋をでたとたんに走り出し格納庫へ。二足機を奪って天儀のもとへ、では困る。
「いままで待ったぶんを考えれば、これから待つ時間はそんなに長くない」
リリヤがシャンテルの視線に気づいていった。
シャンテルは、おやっと驚いた。
言葉に口にするリリヤの表情は引き締まっており、まるで二足機の操縦席にいるときのような明朗さがある。
操縦席を降りればただの狂女。とすらいわれるリリヤがだ。
そうシャンテルにとって、いまのリリヤの言葉は想像していなかったほど冷静なもの。
――いままでわたくしが見てきたなかで、一番落ち着いた状態かもしれません。
とすら思いシャンテルはあらためてリリヤを見つめた。
シャンテル同様に大きくパッチリした目のリリヤ。その目に初めて濁りがなかった。お兄ちゃんを見つけ精神的な支えを手にいれた。とシャンテルは直感し心をゆさぶられた。
「……そんなに大事なかたなんですね」
「うん。お兄ちゃんはリリヤを全部信じてくれるから……」
リリヤがはにかんだようにいった。シャンテルが初めて見るアイリ・リリス・阿南の表情だった。瞬間、シャンテルの心に痛みが走った。理由はわからない。
「リリヤさん、わたくしこの件は兄へ必ず相談します。約束です」
リリヤが小さくうなづいて応じた。
シャンテルはやはり心にチクリと痛みを感じた。兄はリリヤの思いを利用はするが、くまないだろう。