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夢見る鹿島の星間戦争  作者: 遊観吟詠
十五章、天地滅裂
108/189

15-(3) 紫龍の春秋(2)

 国軍旗艦こくぐんきかんザルモクシスの士官用居住区画――。

 艦載機集団の総隊長《》の私室――。

 そこは軍艦の内部とは思えないフカフカの絨毯にピンク系の内装。

 

 この部屋の扉を叩いたのは第一執政代理のシャンテル・ノール・セレスティア。左手にはなにやら紙袋。


 扉が開くと同時にシャンテルは笑顔で、

「貯蔵庫を開放させてとびきり甘いのを拝借はいしゃくしてきました。リリヤさんいっしょにどうです?」

 といって左手にもっていた紙袋をかかげたのだった。


 アイリ・リリス・阿南あなんは挨拶もそこそこに、なになに! 中身はなに? と視線は紙袋に釘づけ。

 

「ふふ、チョコレートですよ」

 ガサゴソと紙袋から高級感ただよう缶ケース。

 

「すごい。リリヤ知ってる。首都惑星ミアンでランキング一位のやつじゃない。貯蔵庫にはこんなのもあるんだね」


「ええ、賞与とか他艦の高官の接待にだすために色々つんでいるんですよ」


「へぇ~。ずるいんだぁ。リリヤも今度しらべてみよ」


「で、ごいっしょにどうです?」


「うん! なか入って!」

 とリリヤはいい終わらないうちに背を向けて部屋のなかへ。が、あっ! という顔で振り返ると、シャンテルが、

「靴は脱ぐんですよね? 覚えていますよ」

 にっこりいった。


「うん!」


 すぐに室内には紅茶のいい香り。リリヤがファンシーな柄のコップを二つ取りだし、戸棚の高い位置へ背伸び。トスンとかかとが床に落ちたかと思ったら、ティーパックを二つコップへ放り込み、お湯をザバザバとそそいでいた。ティーカップでもなく、れかたも雑だが、

 ――そこはリリヤさんらしいですね。

 シャンテルは苦笑してリリヤのもてなしをクッションのうえで見守っていた。

 すぐにローテブルにはシャンテルが持参した高級チョコ。

 

「……あら、この香りは」


「前にシャンテルさんからもらった紅茶のパック。最後の二つをとっておきのときに楽しもうって取っておいたの」


「あら、良いのです。とっておきをわたくしとだなんて?」


「うん。シャンテルさんとは、お友だちだからね」

 

 シャンテルは笑顔のしたに、ちくりと痛みを感じた。

 実はリリヤの部屋が一番最後だからだ。


「リリヤさ今日暇でさ。バーに行っても誰もいないしー。でも今朝メンタルヘルスの診断でお酒禁止ってでちゃったから飲めないだけどね。だからひまひまモードで、シャンテルさんがきてくれて嬉しいよ」


「そうですか。お酒はほどほどに、ですよ。お肌にもよくありませんから」


「ふ~ん。そっか。気持ち悪くなってゲーゲー吐くしね。あ、そうだ。前ねメンタルヘルスのお薬といっしょにお酒飲んだらねすごかったんだから――」


 意気揚々と話しだすリリヤにシャンテルは引き気味だ。

 

 自慢とはなにも自身の良い点ばかりをいうのではない。ほこれることなんでもいい。幼いころに牛乳を飲むのが一番早かったというくだらないものから、行きつくところまで行けば負け自慢などもある。ようは度が過ぎた行為はなんでも自慢になりうるが……。


 シャンテルはニコニコうなづきながら心中ではリリヤの言葉に反駁はんばく

 

「ゲーしてしまうほど飲まなければいいですし、アルコールに弱い体質ならなおさらです。リリヤさんはお酒の味がわかってるかすら怪しいですし。いえ、それ以前にいまは茶の真っ最中。それなのにゲーのお話って……」


 シャンテルは口に含んだチョコの濃い香りに不快を覚えた。せっかく甘さと苦さを楽しめるタイミングが台無しだった。


 けれどリリヤといえばシャンテルの訪問に楽しくなって気分が上向いて喋りまくっている。


 ようはリリヤさんは、

 ――自制心がたりないんですね。

 とシャンテルはグッとこらえるなかリリヤからはとうとつ問い。


「で、シャンテルさんはなにしてたの?」


「わたくし? えっと、わたくしは……。司令部の方々と打ち合わせとかですね」


 シャンテルは紫龍へ影響力を発揮できる艦隊高官たちの部屋を順にまわってリリヤの部屋の前に立っていた。

 

 が、訪ねてまわって得られたものといえば口惜しさだけ。

 

 ――第一執政の妹であり第一執政代理にわたくし自ら歩いて回ったというのに……。

 

 軍高官たちは扉前に立った可憐な少女のようなシャンテルに一様に迷惑といった顔。シャンテルは手土産すら受け取ってもらえずにバタンと扉をしめられる始末。

 

 けれど冷たく扉を閉めたものたちからすれば、

「公開処刑なんてことを行なってしまう素人より、やはりプロだよ。李紫龍は本物だ。その意向に逆らえるはずがない」

 とういものだ。

 

 軍高官たちがシャンテルを畏憚いたんしたのは公開処刑という常識外の行為への衝撃と、ランス・ノールの妹というシャンテルの立場へだ。星間戦争最高の軍人と呼ばれる李紫龍へ畏敬の念は、そんなものを軽く上回る。

 

 いま、完全にシャンテルの第一執政代理という肩書が泣いていた。


「妹君はそろそろ気づくべきだ。人は権威だけでは動かない。実力も必要だと。2倍の敵を実質撃破した男と、ただの国家元首の妹では比べるべくもない。李紫龍は間違いなく一代の英傑だ」

 とも軍高官の1人はいった。


 軍高官たちが感覚的に恐れるのは遠く2惑星で政治を行なっている第一執政ランス・ノールではなく、目の前に李紫龍だ。

 

 反乱もといい独立宣言から一年近く。その大半の時間は宙域警備という単調な任務。主なき艦隊で、軍高官たちは自身の損得を基準に振る舞うことを覚え始めていた。


 そう、シャンテルは特戦隊への攻勢を艦隊高官たちの連名という形で紫龍へ迫ろうとしたが、完全に孤立無援ということを思い知らさられ、打ちひしがれてリリヤの部屋の前に立っていたのだ。

 

 ――けれど。

 とシャンテルは思う。自身に足りないのは実力。兄は国家元首で権威は特大もものがあり血筋もいい。そうシャンテルがいま望むのはこの欠点を補う実力を持った軍人。

 ――リリヤさんなら申し分ありませんね。

 シャンテルが怜悧れいりに思った。

 

 シャンテルが見るに紫龍の次に軍人としての実力を持っているのは二足機適性トリプルエスでダーティーマーメイドと名高いリリヤだ。

 リリヤさんはこう見えて60機と11隻相手に押しまくった超絶した戦技を持つ二足機パイロット。リリヤさんの軍人の面で迫れば紫龍さんも無下にはできないはずです。というのがシャンテルの考えだ。

 

 わたくしの権威とリリヤさんの実力で、艦隊に兄ランス・ノールの意向をきちんと反映させます。いまの艦隊は紫龍さんいうがまま、半ばあの男の私物になりさがっています。このまま行けば艦隊を乗っ取られかねません。

 

 シャンテルが打算するなか、この部屋の主といえばベッドにこしかけ足をぶらぶら。

 

「つまーんない。弱虫は戦わないし、ここまできたのなら戦えばいいのにさぁ」


「あらザルモクシスで紫龍さんを弱虫呼ばわりしてはばからないのはリリヤさんだけね」


「そうだよ。リリヤには実績があるからね。弱虫紫龍って後方で宙域図見て命令いってるだけで気軽じゃない。リリヤは最前線で敵を殺してるんだから」


「あら、リリヤさんは紫龍さんがお嫌い?」


「嫌い――」

 

 リリヤが黒々としたもの吐くようにいった。それまで軽い態度が消え失せ、大きな瞳はどんよりと鈍い輝き、表情がなくなり体貌が険悪さにつつまれた。それまで楽しげにプラプラさせていた足もピタリと停止。

 

「あら、わたくしもあの男は嫌いですよ」

 

 シャンテルがフッと笑っていった。

 リリヤは意外そうな顔。

 

 これまでのシャンテルはリリヤがいくら、

 ――あいつはにくったらしい。

 とか、

 ――エロ親父だよね。シャンテルさんもそう思うでしょ。

 とか同意を求めても、

「そんなことをいってはいけませんよ」

 とやんわりとたしなめてきて、他人への好悪をハッキリと口にしたことがなかったのだ。その本心がどうあれだ。

 

 リリヤから見ればシャンテルは本心は紫龍を嫌っていても、艦隊の運営には歩み寄りが必要とかなり自制している、

 ――偉い人。

 

 それがいま、

「あんな男死んでしまえばいいのに」

 というようないいぶりだ。

 

 これまでなかったシャンテルが心の深いところを吐露するような言動。リリヤは、シャンテルさんとはお友だちだけど、もっとお友だちになれた、と喜色で満たされた。


「だってあの男は一々わたくしを見下してくるのですもの」


「それは仕方ないよ。だってシャンテルさんより弱虫紫龍のほうがが強いからね」

 

 リリヤがクスッと笑っていうと、シャンテルはムッとした顔。

 リリヤはやはり嬉しくなった。

 

 これまでこん顔はしてくれなかった。奔放なリリヤの言動にシャンテルが内心では困りつつもニコニ顔で対応している、というのはリリヤだってわかる。


「ここは軍隊。やっぱり強さが基準だよ。知力も力のうちだけど、腕力だって偉さの基準なんだよね」


 ――は? 腕力? 腕力が序列の基準ですって!? 

 シャンテルには認めがたい強烈な不快感。


 お相撲さんじゃないんですから……、と思ったシャンテルはすかさず抗弁。


「では、これはリリヤさんだけにはいいますけど、わたくしってセレスティアルの血筋。そのなかでも惑星政治で治績ちせきをあげ、聖公よばれるアルバ・セレスティアル。聖アルバ公といえば現代史の教科書に乗るぐらいの人物ですよ?」


「へぇ~。すっごいねぇー」

 とリリヤの応じは半ば軽薄だが、顔は面白いもっと聞かせてという表情。

 こうなると普段聞き役の多いシャンテルはもうたまらない。

 ――じゃあ話してさしあげますね。

 と喜々として自分語りを開始。

 

 会話で主導権をにぎる快楽は大きい。しかも慎ましいシャンテルは人生のほとんどの会話で聞き役だ。それが、いま自分のターン。相手がまともに聞いているかいないかは二の次だ。

 

「母は大女優のリナ・ノール。『夏風のリナ・ノール』ご存知ですよね?」


「名前が映画のタイトルに採用されるほどの女優でしょ。リリヤだってそれぐらい知ってるよ。その映画も有名だもん。リナ・ノールがでてるだけでデータは飛ぶように売れるってね。歌も踊りもできる伝説の女優」


「ですよね。対して李紫龍のお母さまや、お父さまの名前をリリヤさんは知っていて?」


「知らなーい」


「でしょ。わたくしの両親のほうが断然有名ですよ。あの男とわたくしと比べて、見劣りする点は男女の差ぐらいです。軍事の知識だってあの男に負けませんから」


「そうかな?」


「そうなんです。わたくしがこんな小柄な女子だから艦隊のみなさんは見くびってみるのです。これって理不尽ですよね」


「でも弱虫紫龍のお祖父おじいさんの李紫明りしめいって有名だよね。マスター・ジェネラルって呼ばれて教本に名前がでてくるぐらいにさ」


 将の中の将。将をすいたる将軍。名将といったら李紫明は一番に名前があがるほどの軍人。それが李紫明だ。

 シャンテルがムッとした顔。

 確かに李紫明の名は軍人界隈ぐんじんかいわいで巨大だ。


「でも兄は星系政治のトップで国家元首ですよ? 李紫明はいち軍人にすぎません」


「ふーん。確かにそうかも。で、シャンテルさんは?」

 と、リリヤが少し意地悪な質問。いくら家族がすごくても本人が矮小わいしょうでは、むしろ家柄というステータスは足を引っ張りかねない。あいつはバカで家柄だけだ。などといわれるわけだ。


「あら、わたくしだって――」

 とシャンテルは一段トーンをあげ力んで自分語りを続行。

 

「わたくしは第一執政ランス・ノールの妹で第一執政代理です。席次はファリガ執政とミアンノバ執政と同列。これって実質文民のナンバーツーですよ?」


「へぇ~偉いんだね」


「そうです。わたくしの言葉はお兄さまの言葉。それを紫龍さんはないがしろにして、なにを考えていらっしゃるのかしら。わたくしが大人の対応でやり過ごしてあげているので、皆さんご存じないでしょうけど、わたくしはあの男の態度には腹に据えかねてます」


 リリヤは、

 ――あはは。シャンテルさんが紫龍を嫌いなんてみんな知ってるって。

 おかしくなるも興味深げにうなづいてから、

「でもさ偉いじゃない。弱虫紫龍のほうがさ」

 挑発するようにいった。ふたたび足をプラプラさせじめている。


「……む。そうね。わたくしはお兄さまの代理とはいえ総軍司令官である紫龍の下につけられた監視役。組織図上も下ですね」


「ふふ。そうでしょ。でもさ、リリヤわかるよ。シャンテルさんはキング・ランス・ノールの妹。空想とかじゃなく、ほんとのほんとの女王様じゃない?」


「あら女王というより、ランス・ノールは兄なので〝姫〟ではないでしょうか」


「自分で〝お姫さま〟か。シャンテルさんもいうねえ」


 リリヤがクスリと笑った。シャンテルも微笑み返した。


「でさ、シャンテルさんはほんとは自分は弱虫紫龍より偉いって思ってて、それなのに艦隊の高官たちはあの男のいうことだけを聞くのが不満なんでしょ?」


「……まあ、そうですけど。ただ、わたくしは意見をだしあって物事を決めるのが大事だと思っていますから。紫龍さんがなんでも一人で決めてしまうのは少し不満かもしれませんね」

 

 先程までの勢いはどこえやら声のトーンを落としたシャンテル。

 

「ふ~ん」

 とリリヤがシャンテルを眺め、

 ――まだいい子ぶって無難な答えいうんだ。ハッキリと嫌いっていったのにさ。

 と思った。


「でもさ強い人のいうことを聞く。当然よ。リリヤだってそうだもの。軍歴がすごくて、背が高くて力の強い紫龍。誰だって怖いしあんなのさ」


「え、ではリリヤさんも紫龍さんの味方なんですか……」

 

 シャンテルが口をまげていった。


「それにさシャンテルさんの艦隊での立場は二番目じゃない。紫龍の下。これでわたくしのいうことを聞きなさいー! とかいってもねぇ」


「そんな……。リリヤさんも結局は立場が上で、実績のある紫龍さんの肩をもつのですね。利害絡めば私を――」

 

 ――捨てるんですね。お友だちと連呼して、ことあるごとに押しかけてくるのに。

 シャンテルの感情が高ぶり言葉が続かない。

 シャンテルが心をカッとさせて目頭を熱くしていた。


「ちがうよ! お友だちじゃない。リリヤは、シャンテルさんの味方だよ」

 

 リリヤがベッドから跳ねてシャンテルへ急進。手を握っていた。

 

「それにリリヤはあいつ嫌いっていったじゃない。あいつさ自分は綺麗だって、リリヤは汚いって、なによ悲劇の忠臣で、愛妻家で、ムカつく。死んだ奥さんのために戦うだなんて、リリヤだって辛いのに。それにあいつ裏切ったのよ帝を。裏切ってキング・ランス・ノールに味方してる。全然忠臣じゃない。それなのに、いまでもみんな弱虫紫龍が忠臣だっていうのおかしいよ」


 シャンテルが、

 ――あぁ。

 心のなかで納得し、

 ――嫉妬だ。

 と思った。

 

 そしてシャンテルからして、

 ――紫龍が綺麗。

 なるほど、これはわからないでもない。

 

 この場合の綺麗とは、清潔感の伴った感情だろう。

 

 神聖セレスティアル軍へ加わる前の李紫龍は、祖父の雪辱をはたし颯爽さっそうとした美男子。月並みな表現をすれば高潔にして忠臣というイメージは確かに美しい。寝返ってその美しさが濁りはしたものの不正を憎み規律正しい姿は高潔だった。


 対してリリヤはどうか……。

 

「リリさんは自身を紫龍の高潔と比べれば、卑劣ひわい汚穢おわいにまみれた生きかたを思わざるをえないでしょうね。後ろめたさといってもいいかもしれません。リリヤさんは楽とズルが大好きですから――」

 と、シャンテルは思った。

 

 紫龍とリリヤを対比すればリリヤの人生はひどくみじめだ。

 

みじめな自分』

 と思えば同じだ。艦隊で孤立し意見を無視されるシャンテル。

 

 ――わたくしもひどく惨めですね。


 シャンテルはリリヤに握られた手を見ながら、リリヤは自分と同じような思いをしているのだなと漠然と感じた。

 

「そうですか。ダーティーマーメイドと恐れられるリリヤさんから見ても李紫龍は強いですか。なら特戦隊を倒してくれというものですね」


「違うよ。あんなやつ強くない! 強いなら奥さんだけじゃなく、みんなを、リリヤを助けてくれたっていのに。あいつは自分だけ。自分だけにしか力をつかわない。だから、あいつの強いは嘘だよ。嘘。シャンテルさん騙されちゃダメ」


 リリヤが興奮していた。


「お兄ちゃんが、きっときてくれてリリヤのために戦ってくれる。紫龍なんていらない。あいつはつかえない。嫌い!」


「そうね。お兄ちゃんがいる。私にも兄がいるように、リリヤさんとわたくしって似てると思いません?」


「……」


「わたくしね。リリヤさんとなんで仲が良いのかなっていま考えたんです。そうしたらわくしとリリヤさんって同じなんですよ」


「……違うよ。シャンテルさんは第一執政の妹で、貴族で……。リリヤは……、惨めだよ。全然同じじゃない」


「いえ、そんなにご自分を卑下してはいけませんよ。私にもリリヤさんもお兄さまがいて――」


 シャンテルは、そこまでいうと、リリヤを引き寄せて胸のなかに抱き。

 ――同じですよ。

 とささやいた。

 ささやききがリリヤの耳ではなく、心を打って響いて跳ねた。

 シャンテルは腕のなかのリリヤがフッと力が抜けて、身を委ねてきたのを感じた。

 

 シャンテルが、

 ――わたくしって奸黠かんかつかしら。

 と自問した。そして、そうね。わたくしも汚い人間。と自嘲じちょうした。

 シャンテルは両腕に身も心も乗せてくるリリヤの思いを感じながら、

 ――この女は、もうわたくしを裏切らない。

 と思ったのだ。

 

 感情のままに動くといってもリリヤは直情径行。一度信じ込むと妄執に近い固執を見せる。証拠に最初シャンテルが当たり障りなく優しくしていただけで、なついてきたのだ。

 ――シャンテルさんはいい人。

 という初見の印象が固定観念と化すのだ。

 

 シャンテルは友情のしたに、いうことをなんでも聞く便利なお人形を手に入れたとすら思った自分に気づいていた。


「リリヤさん一つの質問です。艦隊がここにいる意味はあるのでしょうか?」


「ない。戦わないならここにいる意味はない。朱雀艦隊が第二星系に迫ってるから」

 

 リリヤが鋭く答えた。リリヤは精神に異常をきたしてからも戦争に関することには明瞭に応答がある。

 

 なるほどやはりですか。とシャンテルはいってから。

「そこでです。わたくしリリヤさんに手伝って欲しいことがあるのですけれど……」


「なんでもいってよ。やるよ。だってリリヤとシャンテルさんは、お友だちじゃない。いえ、親友でしょ?」


 ――そうね。お友だち。

 そういって親しい顔で要求を口にするシャンテルは、もう心が痛んだのかわからなかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ザルモクシスのブリッジ――。

 

 シャンテルはリリヤを引き連れではりんとした姿で立ち一歩も引かないというかまえ。キツイ表情で見つめる先には当然として李紫龍だ。

 

「艦隊の任務はあくまで惑星防衛です。いまの艦隊のありかたは小惑星カサーンの防衛という状態ではないですか。本来の任務に戻るべきです」

 とシャンテルが強く要求した。

 

「特戦隊への全艦あげての攻撃はお前も賛同した」


「今更いうなということですか?」

 

 紫龍はフンっと鼻を鳴らしただけ。シャンテルをあしらって返すかまえを崩さない。


「あの折はカサーンへ急進して、そのまま特戦隊を叩いて即戻ると思ったのです。いまのように無為に時間を過ごすとは思っていませんでしたから」


「お前はやはりヤブ蚊のような女だな」


「あらまた悪口ですか。その手には乗りません。人格否定でわたくしをあきれさせるつもりでしょうが、そのやり口は多用しすぎですよ」


 ――やはり面倒くさい女だ。

 と紫龍が苦く思った。艦隊は俺に一任されている。それを、お兄さまが、と一々口うるさい。この女ときたら、自分が上だといわんばかりだ。

 

 紫龍はここ連日シャンテルの顔を見るたびに、今日はどう追い返すか? という不快な作戦を立てねばならない状態だ。


「シビリアン・コントロール(文民統制)」

 

 紫龍がシャンテを見ずにいった。


「あら、それがどうしまして? 軍事に対する政治に優先権をご理解しているのなら、もう少しわたくしの意見を尊重してくれてもいいのではないのでしょうか」


「などというと思ったよ。だからお前はダメなんだ」


「また悪口……」


「お前は文民が軍人を優越すると思い込んでいるようだが、最前線では違うということを理解しろ」


「いえ、それは間違ってますね。最前線に政権中枢もしくは議会、外務省から政治顧問が派遣されるのは常識。いいくるめよとしても無駄ですからね。最前線だろうと文民であるわたくしの意見を無視すれば独断専行です」


 ――面倒くさい。

 と、また紫龍が思った。


「……動けば隙きを突かれる」


「でも、ここから動かなくてもジリ貧ですよね?」


 だが食い下がるシャンテルを、やはり紫龍は見ようともしない。


 ――紫龍さんはかなり腹を立てていますね。

 とシャンテルは思った。不機嫌度が高まるとダンマリで無視。いつものことだ。


「ここへきたこと自体が失敗だったとい噂も出始めています。でも、わたくしはここへきたことが、どうだったかを議論しても仕方がないと思います。いまからどうするかです。それには行動です。ただ留まっていても状況は悪化するだけです」


 シャンテルは語勢をゆるめ柔らかい調子に変えたが、紫龍はブリッジの中央の大モニターを見てあごをさすっただけで無視だ。


「なんにせよ。特戦隊を進路をさえぎる形で小惑星カサーンへ近づいたのは上々のです。これで特戦隊はカサーンに近づけませんからね」


「だが我々もここに釘付けだ。やつらが小惑星カサーンを狙っている以上はカサーン宙域を離れられん」


 舌打ちするようにいう紫龍に、

 ――やっと応じてきた。

 とシャンテルは一安心。あのまま無視されていては、まったく話が進まないのだ。


「艦隊の一部分離して残し、本隊はファリガへ返してはどうですか?」


「話しにならん。大将軍グランジェネラルの狙いは我々の分断という可能性は十分ある。残した戦力が消滅してしまえばそれこそ大事だ」


「では、やはり攻勢にでましょう。敵は11隻ですよ。包囲できます」


 ――再三いったろ、その選択肢はないと。

 紫龍が失笑しシャンテルを心中で低能と侮蔑した。


 さらに紫龍は思う。

 それに宇宙といってもなにもない空間というわけではない、ともいったはずだが。カサーン宙域は特にそうだ。短時間で包囲を完成させるのは不可能だ。

 それを基本的な前提条件を無視して相も変わらず数で押せとは、あきれはてるしかない。


 当然、話は平行線。完全に停滞。

 ――仕方ありません。

 とシャンテルがやっと連れてきたリリヤを見た。

 

「そうだ。リリヤさんはどう思われます? 二足機集団総隊長として、このかたになにかいって差し上げてください」


「なるほどわかったぞ。今日に限って何故この淫売を連れてきたかと思ったら、1人でこの紫龍と対決する自信がなかったというわけか」


「あなたには聞いていません。リリヤさんに聞いているんです。ねえリリヤさん。我々は包囲の攻撃にでるべきですよね?」


 ――ここになにもせず留まっているのは無意味だといっやってください。

 とシャンテルはリリヤを見ていったが……。


「シャンテルさんそれは無理だよ。私たちの艦隊が攻勢の動きを見せれば敵は逃げる。いまから敵を囲むとなるとユノ・村雨将軍の第四艦隊から一部割いて回り込みをしてもらう必要があるよ。無理よねこれ」

 

 シャンテルが友軍として連れてきたリリヤからはとんでもない裏切りの発言。


 シャンテルはリリヤの言葉に動揺し、同時に顔を伏せた。怒りで険しくなった顔を見られまいと、とっさに下を向いたのだ。

 

 なんなのリリヤさんは、よく言い含めましたのに、わかったって仰ってたのに、それを李紫龍の肩をもつだなんて――。

 

 ――やはり壊れた人間はつかえない!

 シャンテルが心の中で激しく憎悪。息が荒くなった。

 ギュッと握られた拳にはつめが食い込まんばかり。悔しさが滲んでいる。


「ほう、阿南。めずらしくまともなことをいったな。敵の機動部隊が戦力を増強されという情報がある。これは明らかにミアンノバへの侵攻への前兆だ。ユノ・村雨から戦力を抽出するのは得策ではない」


「そうなるとリリヤたち単独で、特戦隊を追い詰める必要がある。それも短期間にね」


「そういうことだ。だが、我々が動けば敵は察知して下がる。我々が追う。この繰り返し。距離はつまらない。戦いは起承しない。その間に時間だけが過ぎるうえに誘引されかねない」


 紫龍が満足げにいうなか、

「ばかじゃん」

 リリヤが鋭く放っていた。


 ――バカとは俺のことか?

 紫龍が驚いてリリヤを見ると、リリヤの虚ろな目が紫龍を見つめていた。

 紫龍が白眉を釣り上げ傲然ごうぜんとしてにらみつけた。

 ――舐めるなよ!

 という恫喝だ。


「いまの悪口あっこうは俺へ吐いたのか」


「他に誰がいるの? バカってここには1人じゃん。しかも弱虫のバカ」


「いい度胸だ――」

 

 紫龍が体をゆすった。左肩を前にだし、右拳が握られている。明らかに殴るかまえだ。

 

 けれどリリヤはひるまない。なぜなら、

 ――シャンテルさんはお友だちだから。シャンテルをいじめるのは許さない。

 という使命感がある。そして今回この男の欺瞞ぎまんを徹底的に暴く、という決意。


「だってここへ急進した時に、そのまま交戦に入れば良かったのに、止まっちゃったから。お互い2日の距離でにらみ合ってから11隻を包囲しようにも、こっちが動きを見せた時点で敵に逃げられる。あんたがミスしたのよ」


「貴様――!」

 

 紫龍が怒鳴ったがリリヤはひるむどころか、むしろ体貌からどす黒いものを沸き立たせ、

「私たちは、こうして止まった時点で終わった」

 と放って紫龍をなにも映らない目で恫喝し返した。


「それなのにさ、あんたはシャンテルさんが素人だから悪いみたいにいっておかしいよね。自分の失敗を自分でイラついて、シャンテルさんをいじめてらし? 不敗の紫龍の名が泣いてるよ。最低じゃん」


 紫龍が応じに窮して顔を歪め、

 ――チッ!

 と舌打ち。リリヤから視線を外した。

 

 リリヤのなにも映らない大きな瞳に紫龍が気圧されたのだ。リリヤはそれ見逃さない。追い打ちだ。


「ねえ、あんた。なにがそんなに怖かったの? ねえ!」

 

 リリヤはダーティーマーメイドと恐れられる二足機乗り。戦いの機微を知るリリヤから見て、紫龍がなんらかの迷いを感じて、敵から付かず離れずの距離に艦隊をとどめたのは明白だった。

 

 ――迷いってつまり恐怖だよね。

 というのをリリヤは直感していた。

 不敗と名高い男は恐怖している。恐怖して手近にいて気に入らない自分やシャンテルに当たり散らしている。


「彼我の距離2日。これって敵にも逃げられちゃうけど、逆にいえばこちらも逃げることが可能だよね? リリヤ知ってるから距離2日は逃げの姿勢! お前は叩くって口でいったのにいざ敵を目の前にしたら逃げ腰の臆病者!」


「だ、だまれ……」


「だから弱虫紫龍! アンタは弱いんだってリリヤは知ってるだから! シャンテルさんをいじめるのはやめろ!」

 

 リリヤが掴みかからんばかりに気迫で紫龍に迫っていた。


 紫龍は言葉責めで頭に血が上った状態。完全に顔真っ赤。怒りは、

「黙れ淫売――!」

 という特大の怒声となって外に放たれた。

 

 ブリッジが震えるほどの怒声。あまりの大声にブリッジ内の視線が3人へ集まってしまったほどだ。

 

 当初のブリッジ内の人々からすれば、

 ――また紫龍将軍とシャンテル嬢がなにか揉めてるな。

 程度のもので、ブリッジ内の人々からすれば2人の仲の悪さは既知の事実。それに声を荒げるのもめずらしくはない。皆ジロジロ見るのも失礼だと、見て見ぬふりでやり過ごしていた。

 

 が、今回は違った。天を割るような霹靂へきれきの怒声。驚いて視線を向けた先には異常な怒りをしめす紫龍。火の玉のように真っ赤に燃え、まさに赫怒かくどというにふさわしい。


 リリヤがビクッと体を震わせ肩をすくめた。恐怖で表情は真っ青。そして、この怒声でビクッと体を震わせたのはシャンテルもだ。シャンテルは、

 ――紫龍さんはそのうち怒鳴るんでしょうね。

 ぐらいに思っていたのに、体は雷鳴を聞いたときのように勝手に恐怖していた。


「盛ったメス犬とはお前のことだ! お前の乱れた生活態度は毎回会議での懸案だ。ランス・ノールは大目に見ろというので俺は従っているが、いい気になるな! 恥を知れ!」

 

 紫龍がうつむくリリヤの頭に怒鳴りつけた。天が裂け、地が割れんばかりの音声おんじょうだ。


 言葉の内容も激烈だが、それよりなにより紫龍の怒りが凄まじい。リリヤは体が恐怖で強張こわばるが必死にたえていた。

 

 ――だってリリヤが負けると、シャンテルさんが怒鳴られる。

 というのが理由だ。今回紫龍へ挑みかかるように言葉で責めたリリヤは不退転ふたいてんの決意。激烈に怒るとわかっていて、それでもシャンテルのために紫龍へ突貫したのだ。


 そんなかシャンテルといえば真っ青。まるで怒りが自分に向いてくれるなというような気持ちの後退ぶり。完全に士気低下による混乱状態。ようはビビったのだ。


 シャンテルがいま目の当たりにしているのは巨大な怒りのかたまりの紫龍。だが、

 ――本気で怒るとこんなに怖いだなんて思っても見なかった。

 など通用しない。怒れる紫龍はどう見ても制御し難くシャンテルの手に余る。恐怖で最善手が見つからない。

 

 意見の対立はしかたないですけれど、これでは完全に決裂です。組織は調和が大切。リリヤさんをけしかけて、紫龍さんを焚き付けるつもりはありましたけど、こんなことになるだなんて……。

 

 けれど黙っていればリリヤが紫龍に張り倒されかねない。


「そ、それぐらいで――」

 シャンテルはなんとか声を絞って、それだけをいった。

 

 シャンテルとしては、無様に狼狽した姿など見せませんからね。と気持ちを立て直したうえでの発言だったが体は正直だ。シャンテルは膝が震えているのを自覚し、

 ――え、うそ……。恐怖でこのようになるものなのですか。

 と驚いた。

 

 紫龍がギロッとシャンテルをにらみつけた。

 シャンテルは対決姿勢では応じず、

 ――落ちつきなさって。ね?

 と、にこやかな表情。

 対決姿勢はない。そんなに怒らないで。落ちついて。という思いが込められたご機嫌取りの笑顔。

 こびを売ったようなものだ。シャンテルは屈辱にまみれた。


「そうだ。シャンテル第一執政代理」

 

 とつじょ紫龍がきちんとシャンテルを役職名づきで呼んだ。

 シャンテルは、

 ――なにを考えていて?

 と身構えた。

 

 普段の紫龍はシャンテルを見下して、

「こいつ、お前、お嬢さん」

 などとシャンテルのことをまともに呼ぼうとしないのだ。


 今回わざわざ第一執政代理と呼んだのは、どう考えてもなにか陰険な意図がるに決まっている。とシャンテルは警戒した。


「お前も阿南の生活の乱れは知っているだろ。第一執政代理として意見をいえ」


「意見ですか?」


「この汚物の処分をいえといっている。この汚物が生意気にもいま俺へ手向かいしてきた。こいつの数々の規律違反を大目に見てやっている俺へだ。もう我慢ならん処分をくだす」


「ええ、ですが、その……。兄の意向が……」

 

 シャンテルは両手の指先を合わせグニグニとせわしなくして、言葉は後半からゴニョゴニョとして尻すぼみ。


「わかっている。第一執政代理殿は俺が何事も1人で決めてしまってご不満なんだろ。今回から第一執政代理殿の意見を尊重してやる。この汚物の処分をいえ」


 シャンテルが答えに窮していた。

 紫龍の迫力に頭から紫龍に呑まれてしまい、処分などないし話題をすり替えるな、と要求を突っぱねることができない。


 ――どう答えれば……。

 とシャンテルには進退窮まったもどかしさ。


 だってここで、わたくしがリリヤさんの処分を口にすれば、リリヤさんを処分するためにブリッジに彼女を引き連れてきたようなものではないですか。


 こんなことをすれば、リリヤと共闘して紫龍へ攻撃の決断をさせようとしたシャンテルの面子は丸つぶれだ。完全に信用を失う。


 が、紫龍はシャンテルが明確な処分を口にしなければ絶対にゆるさないというかまえ。

 シャンテルは焦りに焦り腋間えきかんには嫌な汗を覚えた。

 

 そんななかリリヤが、

「……リリヤ、汚くないもん」

 ポツリといった。


 ――な、なにをいっていてリリヤさん!

 シャンテルは驚いてリリヤを見た。火に油を注ぐだけ。もう喋ってくれるな、というものだ。


 紫龍がギロリと険悪にリリヤをにらみつけた。


「まだ手向かう気力があったか」


「リリヤ、汚くない……」

 

 フッと紫龍が鼻笑した。

 リリヤの抵抗はあまりに弱々しい。少し前の紫龍を激烈に責めたときとは違い目は虚ろで完全に、意気消沈という状態だ。どうにか声を絞り出しているに過ぎない。


「なにをいっている! 意味がわからん!」

 

 紫龍がリリヤをまるごと粉砕するように怒鳴りつけた。生意気な部下が二度と反抗しないように立場をわからせるためのとどめの一撃。弱気を見たら徹底的かつ執拗に追い込むのは戦いの基本だ。


 リリヤがうつむいて黙った。体を震わせ、もうなにも言い返さない。いや、言い返せない。

 

 シャンテルは紫龍が力任せにリリヤの心を粉砕するのを見て、

 ――いけない!

 と冷静になった。そもそもシャンテルはこんな事態を望んでいたわけではなのだ。リリヤを使って紫龍に攻撃を決断させたかっただけ。

 

 リリヤは精神を病んでいる。こんな過剰なストレスに叩き落されればどうなるかわからない。

 ――リリヤさんが自殺しかねない。

 と慌てた。そんなことになれば、どう考えてもお兄さまの利益にならない。


 シャンテルはパンッと手を打ち、

「そうですね!」

 恐怖しながらも明るい声でいった。


 紫龍がやはりギロリとシャンテルを見た。

 ――なにが、そうですねだ。バカにしているのか?

 というような迫力だ。

 

 シャンテルは気圧されるがなんとか声を絞りだす。努めて明るい声で。

 

「いえ。ですから紫龍さん? お願いですから落ち着いてください。わたくしは話し合いにきたのですから。あ、そうです。敵にはなにか策ありとシャンテルは思います。安易に攻めるのは危険かもしれません」

 

 とりつくろうように言葉数の多いシャンテル。

 紫龍は言葉でなく視線で侮蔑、

 ――ほう。いまさらそれか?

 と、逃走を始めたシャンテルを睥睨へいげい

 

 いま、シャンテルは紫龍の怒りに驚いて「攻撃しろ」という意見をあっさり撤回。これでは町のチンピラが喧嘩を売った相手がプロ格闘家だと知って、平身低頭、謝罪して逃げだしたようなものだ。実に無様で情けない。


「そうです。話し合いです。そんなお怒りになって。わたくしたちのいいかたも悪かったのかしら」


「俺が怒っているだと?」


「あ、すみません。怒ってません。紫龍さんは怒ってませんね。ちょっとお声が大きかったのでシャンテルは勘違いしてしまいました」

 

 紫龍が不快げに、

 ――チッ!

 と強烈に舌打ち。

 尻尾巻いて平身低頭のシャンテルは、紫龍から見ても情けない。みっともなさのきわみ。見るに見かねるというものだ。


「特戦隊のことはあの数で150隻相手に堂々としている意図が読みきれません。兄も悪戯に軍を消耗することは望んでいないでしょう。このまま様子を見ましょう」


 シャンテルは続いてリリヤへ顔を向け。

「ね? リリヤさんもそんなに落ち込まないで。第一執政もこのシャンテルもリリヤさんを頼りにいているのよ」


「……リリヤ汚くない」

 リリヤが死んだ目でポツリと口にし、その場にへたり込んでしまった。

 

「そうね。汚くないわ。どうしたのかしら。誰もそんなこといってないのに」


 シャンテルは場をとりつくろうために愛想笑いを振りまき必死だ。

 ――なんて無様な……。これがセレスティアの血胤けついんのすることですか。

 シャンテルの全身に屈辱感がしみた。

 

 けれどいつものことだな。ともシャンテルは思った。シャンテルは常に誰かに気をつかい、こうやっていつも我慢している気がする。


「そうです紫龍さん。攻撃はなし。しばらく静観。どうでしょうか?」

 

 ニヘラとりつくろうような笑顔でいった。シャンテルの体にまた屈辱感がしみていく。


「チッ。だから最初からそういっている。いま、下手に動くのは得策ではない。血の巡りの悪い女どもだ」


「す、すみません……」


「ふん。これで話は終わったな。出て行け」

 

 ええ。と承諾するシャンテルへさらに紫龍は、

「その汚物を忘れるなよ」

 あごでリリヤを指していった。

 

 シャンテルは打ちひしがれ、へたり込んだリリヤの肩を抱いて立たせると、

 ――大丈夫ですから。そうだアイスを食べに行きません?

 となぐさめながら出口へ向かうが、そんなシャンテルの背へ、

「なにをしにきた。無駄な時間をついやしただけだ!」

 と紫龍からの罵詈が浴びせられた。

 

 またシャンテルに屈辱感がしみ、

 ――こんなところ早く立ち去りたい。

 と思うも消沈したリリヤの足取りはノロノロとしている。

 

 シャンテルはリリヤの手首をにぎって引っぱるようにブリッジをでた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ブリッジの扉から数歩のとこでろ女子2人の小さな孤影――。

 ブリッジをでてすぐにシャンテルは悄然しょうぜんと立ち尽くしていた。その手はリリヤの手首をにぎったままだ。

 

 一方、腕を引かれていたリリヤといえばけげんな顔。直前まで急き立てるように強引に腕を引かれていたのだ。それが通路の真ん中で停止とは不思議だ。

 

 ――こんなところで立ち止まってたらじゃまだよね?

 

 リリヤはブリッジからでて開放感を感じ、いくらか気持ちを持ち直していた。

 

「シャンテルさん?」

 とリリヤが心配してシャンテルの顔をのぞき込んでギョッとした。

 目に飛び込んできたのは、目を見開き血を流さんばかりに歯を食いしばった、

 ――凶悪な形相。

 

 シャンテルはリリヤの存在を忘れたかのように床をにらみつけながら、

「……わたくしが血の巡りが悪い女?」

 ボソリといった。

 

「……シャンテルさん?」


「これほど皆さんのために腐心しているわたくしを……あの男は血の巡りが悪いと?」


「ねえ、どうしたの?」


「教養もありますし、運動だってできます。銃のあつかいだって。政治や哲学だって知ってます。それに軍のことは寝る間も惜しんで勉強しています……。それを言うに事欠いて血の巡りが悪いですって……」


 ブリッジででた瞬間に、シャンテルの内に冷えた怒りが沸々と湧き上がっていた。脳裏にはあの憎たらしい紫龍の顔。怒りが怒りを呼んで、もうなにもわからない。

 

 我を忘れたシャンテルは、

「痛いー!」

 叫び声にハッとした。同時に目一杯にぎり込んでいた五指を開いた。

 

「……うぅ。シャンテルさん痛いよ。どうしちゃったの?」

 リリヤが開放された手首をさすっていった。

 

 そう、シャンテルはリリヤの腕を引いてブリッジでてそのまま怒りに反芻はんすう。リリヤの手首をつかんでいることも忘れ怒りは頂点に、激しく手をにぎり込んでいたのだ。

 シャンテルは謝罪も口にせず、ただリリヤを見た。

 瞬間、シャンテルの凶悪さをたたえたギョロリとした目と、リリヤのなにも虚ろな視線とが絡んだ。

 

 リリヤの目に映るシャンテルの顔は、怒りがつづいたことから血の気が引き青い。交感神経の過剰な興奮は血管を収縮させる。ブリッジをでたときには怒りを抑えて目尻に涙をため赤くなっていたシャンテルの顔は、いまは怒りすぎて蒼白なり異様さがただよっている。が、異様は精神を病んでいるリリヤの専売特許。

 

 リリヤが薄ら笑いを浮かべ、

「リリヤ、手伝うよ?」

 と、いった。

 

 シャンテルが目に凶悪さをたたえたまま、口元には笑みを浮かべてうなづいた。

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