77.厳島神社での戦勝祈願。
(永禄5年 (1562年)2月中旬)
ぱん、ぱん、俺は厳島神社に『戦勝祈願』で参った。
もちろん、九州の輝ノ介ではなく、イスパニアの艦隊との決戦にだ。
2礼2拍手1礼。
神主の祝詞が読まれ出す。
神社で2礼2拍手1礼と言われるが神社によって違う。
出雲神社は2礼4拍手1礼だ。
4拍手は和魂、荒魂、奇魂、幸魂の一霊四魂に対して拍手していると伝わる。
正しくは、「一拝・祈念・二拝・四拍手・一拝」だからと言って忠実に守る神社もある。
拍手はなく、再拝、祝詞奏上、再拝のみや、再拝、祝詞奏上、再拝、二拍手、一拝の所もあり、その神社の神主や寺の住職によって様々だ。
いやいや、正しくは「一揖、再拝、二拍手、一揖だ」といちゃもんを付ける公家もいる。
一揖は軽い礼だ。
再拝という二度続けて礼だ。
神社と公家で言っている事に統一がなく、もう滅茶苦茶だ。
尾張周辺は熱田に習って2礼2拍手1礼だ。
どこかで統一した方がいいのか?
俺はどうでもいい事を悩んでしまった。
本宮を参拝した後に千代女と一緒に厳島神社の周辺をぐるっと周った。
来た時は真っ暗で波の音しか聞こえなかった景色が薄明りの中で美しい景色を見せ始め、砂浜を歩いている時に日の出が訪れて、神社の本宮の後ろから神々しく日が上がってきた。
「ほぉ、これは美しいな」
「はい、ここに寄った甲斐がありました」
「海から眺めると、さらに美しく見えそうだな」
「残念ながら、そんな時間はございません」
ゆっくりとすべて見尽くす時間はなかった。
だが、本当にない訳でもない。
ここまで来れば、名護屋まで目と鼻の先だ。
もう急ぐ必要はない。
ここでもう一泊して楽しむ事もできるが、帰った時に千代女が他の嫁から糾弾を受けると遠慮された。
この後は名護屋に向かう。
当初の予定であった豊後の府内に寄って宇佐神社を参拝し、博多に寄って大宰府に一度入る予定もない。
大宰府は701年に大宝律令で九州に置かれた防衛拠点だった。
しかし、長い年月に意味が変わり、今では日明貿易の管理機関みたいになっていたが、少弐-政資は大内-義隆に追放され、その後を継いだ義隆が滅ぶと放置されている。
日の本を防衛した拠点とされた事から俺が防衛の指揮を取るという演出の1つでしかない。
公家の皆さんは盛大な任命式をやりたがった。
肩書きだけだ。
四等官から長官(帥)である大宰帥・大宰権帥を決め、その下に次官(弐)の大弐・少弐、判官(監)の大監・少監、主典(典)の大典・少典の地位を与える。
さらに、大判事・少判事・大令史・少令史・大工・少工・大宰博士・陰陽師・医師・算師・防人正・防人佑・主船・主厨・史生・祭祀を司る神主などの50人の官人を指名する。
紙切れ一枚で忠誠心が買えるなら安いモノだ。
加えて博多手前の宗像神社がある大島に寄るかどうかが検討されていた。
神社縁の者としては絶対に寄って欲しいのだろうがそれを言い始めると、筥崎宮や阿蘇神社や霧島神社などが「是非に」となってくる。
面倒なので暇な時にさせて欲しい。
厳島湊に戻ってくると毛利-元就・隆元親子が頭を下げて待っていた。
「よい、戦勝祈願であった」
「熱田明神の化身である信照様に必要ないかと思いますが、お楽しみ頂けたならば幸いでございます」
「織田家の過分なご配慮にいつも感謝しております」
「こちらも頼りにさせて貰っている」
「そう言って頂けると嬉しく思います」
「九州への睨み。これからもよろしく頼む」
「お任せ下さい」
「お任せ下さい」
昨日、厳島湊に到着すると船で渡って挨拶に来た。
俺が京を発ったのは安芸駐留の連絡員から聞いて待っていたそうだ。
必要ならば毛利水軍も同行させると言ってくれた。
吉川-元春に続き、小早川-隆景の水軍まで借りては高く付くので遠慮する。
ただ、万が一に備えて、いつでも出陣できるようにお願いした。
挨拶を終えると、長いつり橋を渡って浮き護岸へ移動する。
1,000石船を着岸させるには水深が足りない厳島湊に元就は浮島を作って護岸とした。
出来た浮島には沢山の大岩を大縄で縛って海に沈めて沖に寄らないようにし、また沖に流されないように浜辺から大縄を張って固定している。
考えてみればコスパ(費用)が良い。
熱田湊みたいに大型船の為に護岸を沖まで伸ばす埋め立てするには日数も費用も高く付く。
広げようとしても簡単ではない。
それに比べると浮島は安く工期も短い。
船を固定させるには心許ないが、中継地点とすれば十分に利用できる。
元々、物資を降ろすには不向きな厳島であるので、安芸に物資を運ぶ拠点湊と中継湊を分離したのは慧眼であった。
毛利親子に見送られて出航した。
「いつ見ても油断のならない御仁でございます」
「いつか織田家にとって代わろうと、虎視眈々と狙っている御仁だからな」
「その割に信用なされるのですね」
「腹を割って堂々と迫ってくるならば受けて立つさ」
千代女は元就への警戒を解かない。
元就は尾張の神学校に1,000人もの生徒を送って来ている。
同じ同盟国の北条家でも300人だ。
毛利家の家臣の子は当然。
村などで織田家を真似た寺子屋を始め、才覚のある者を援助して送れるだけ送って来ている。
まだ、医者もロクにいない毛利家だが、5年もすれば神学校を卒業した生徒が大挙して戻って来る。
織田家は何もない所から手探りで学んできたが、高度な知識を得た代官から教師、土木技師、鍛冶師、築城技師、木工技師、造船技師、医者まで戻ってくる。
しかも様々な便利な道具付きだ。
これで発展できない訳がない。
つまり、安芸を中心に『文明開化』の波がやってくる。
声に出さないが織田家に追い付け、追い抜けという野心が透けて見える。
だから、千代女は警戒する。
「そう心配するな」
「ですが…………」
「追い抜かされたならば、それは織田家の怠慢だ。毛利家の責任ではない」
「おそらく、そうでしょう」
「もっとも追い付かせるつもりもないぞ」
最新の技術は非公開であり、毒などを使う薬剤師や蒸気で動かすエンジンを造れる動力技師、鉄砲・大砲技師、山師などはまだ流出させない。
毛利家の家臣で学びたいと言うならば家臣を辞めて、一生尾張に在住する事が条件となる。
学んだ基礎を土台として、自らの努力で織田家を追い抜くならば、それは仕方ない。
競争がなければ、技術は停滞する。
技術を秘匿して衰退させるくらいならば、段階的に流出させて常に競争の中に放り込む。
織田家が怠慢になれば、政権が代わっても当然だ。
執権、管領、守護、守護代、国司、領主は世襲制だが、神学校を卒業できない愚か者は世襲できない。
奉公衆、代官、役人に至っては次世代から能力主義に変えた。
今の新公方が成人する頃には、執権の側近と公方の奉公衆がビシビシと火花を散らす行政に変わってゆく。
毛利家が優秀な者を輩出すれば、奉公衆、代官、役人から取って代わられる。
執権は奪えないが、政治を取り仕切るのは奉公衆であり、執権は傀儡だとか言われる未来もあり得るのだ。
兄上(信長)の側近が育たなければ、毛利家の世も夢ではない。
また、幕府政所執事や幕府政所執事代なども役人なので能力が足りないならば解任すると告げた。
家柄は優遇するが絶対ではない。
伊勢家から優秀な者が輩出できない場合は、優秀な者を迎え婿に貰って養子にするように助言しておいた。
これからも政所執事が伊勢家、政所執事代が蜷川家であり続けたいならば、周囲に注意を払うだろう。
一度失うと取り戻すのが大変なので、部下で優秀そうな者はすべて猶子にしておく事だ。
さて、ここで残念なお知らせがある。
早朝に厳島神社に参拝した理由だ。
名護屋から出航した連絡船は対馬海流も季節風が追い風となって、夜も暗い内に出ると早朝に関門海峡に到着でき、風にもよるが夕方に何とか厳島に到着できる。
しかし、逆はない。
厳島の周りは島々が多く、海流が複雑で日の出前に出航できない。
風も逆風である事が多い。
夜に関門海峡を通って名護屋に朝に付くという事もできるが、余りお奨めでないらしい。
灯台もない夜の関門海峡を通るのが至難の技だ。
無事に通り抜けても海流と風が逆風で足が遅い。
島の近くを通って座礁する危険もあれば、早朝に霧が出ると目標が見えなくなって、名護屋に行くつもりが平戸の方へ抜けていたなんて問題にも遭う。
名護屋と厳島を行き来する連絡船の忠告を聞いた。
と言う訳で、下関の手前でもう一泊だ。
日が昇るまで出航できないので参拝する事になった。
鞆ノ浦に到着した後に厳島と鞆を結ぶ連絡船が入港し、博多に軍を送った事を知り、厳島では龍造寺-隆信が領地周辺をまとめて軍を起こしたと報告書を見た。
もちろん、開けた封書はもう一度閉じて兄上(信長)に送った。
俺と千代女は溜息を吐く。
「予想通りの展開でございます」
「指揮権が輝ノ介に移った時点でこうなるのは承知していた」
「若様の苦労も知らずに好き勝手しております」
「俺が居てもどうなったか判らんがな」
名護屋という所は奇妙な場所だ。
農地はまだない。
当然、領民が居らず、代わりに兵が土方をやっている。
数か月分の食糧が常に保存され、輸送の準備も整っている。
その気になれば、すぐに軍を編成できる。
「謀反が判明し、そう決めた日に龍造寺-隆信を討伐する軍を出せば、何もできずに逃げるしかございません」
「あぁ、そうだな。村中城にある大砲と鉄砲、それに食糧を奪えば、何もできない。降伏するか、逃げるしかない」
「キリシタンを弾劾するのは、それからでもできたでしょう」
秀吉ならば龍造寺-隆信が軍を編成する前に村中城を落としただろう。
しかし、輝ノ介は絶対にしない。
それでは面白くないからだ。
幕府軍の強さを知らしめる為に敢えて軍を編成させてから討伐軍を率いて出陣する。
そこで幕府の強さを見せしめれば、後の統治が楽になると考える。
博多への出兵は誤算だろうが問題にならない。
幕府の力を見せ付ける。
白井-胤治、黒田-官兵衛、明智-光秀が好みそうな策だ。
「幕府の強さを見せ付けるのは薩摩で成功しております。若様の考えを聞いていなければ、私も賛成したでしょう」
「俺達はこれから南海に討って出る。しかし、すべてを薙ぎ払って侵略するつもりはない。そうなるとキリスト教やイスラム教との融和が必要になる。無差別の虐殺はできれば避けたい」
「100年掛けて南海の島々すべて日の本の領土にするか、借地を認めさせて10年で交易の支配者と認めさせるかですね」
「俺は島民を根絶やしにしてまで統一するつもりはないぞ」
キリスト教を敵に回して100年戦争などするつもりもない。
そうなったら誰かに丸投げだ。
俺はごろごろできる世界を作りたいのであって世界征服なんてやりたくない。
七つの海を巡る気もない。
どうせ世代が代われば、亀裂が生まれる。
信勝兄ぃも蝦夷王として独立するかもしれないし、俺の子供が次の南海王となって、日の本を離れる日があるかもしれない。
武力で完全に支配しても、いずれは独立運動が起こって揉めるのは目に見えている。
絶対君主制で大国であればあるほど亀裂は大きくなる。
維持しようと足掻けば、国を割って国力を失って滅んで行く。
ならば、最初から緩い連邦制の方が傷は小さい。
日の本は日の本として独立を守ればいい。
今は戦好きのどうしようもない奴らを海外に捨てる為に戦争をしている。
これは絶対に公表できない。
だから、広がった国はそれぞれが独自に運営すればいい。
日の本の帝を敬う程度でいいのではないか?
何が言いたいかと言えば、世界征服などするつもりはないので、キリスト教ともできれば、仲良く交易を続けたい。
互いに憎しみ合い後世まで続けるような戦争を避けたい。
宣教師を追い詰め過ぎて修正が利かないほどの決裂をしたくない。
程々でいいんだ。
「キリシタンを追い詰め過ぎれば、徹底抗戦になりかねません」
「その通りだ。追い詰めてイスパニアの艦隊に救援を呼ばせたいだけであって、キリシタンを根絶やしにしたい訳ではない」
「日の本でキリシタンを根絶やしにすれば、南海の島々でもキリシタンは日の本の敵になる訳ですね。それはそれで面倒です」
「面倒事は少ない方がいい」
史実の徳川幕府みたいに鎖国政策を取るつもりはない。
南海の島々に出れば、他のキリシタンと出会う事になるし、北米に進出する信勝兄ぃの家臣である上杉-謙信の子孫は北米中部でヨーロッパから移民して来た一族とぶつかる未来が見える。
インディアンと友好的な関係を結ぶかで状況が変わるので予想はできないが、仮に対立しても負ける未来はない。
友好を結んで北上してくるイスパニアと共に戦うか、弱ったインディアンを従属させて南下するかのどちらかだろう。
ヨーロッパで没落するイスパニアが撤退すれば、西海岸が手に入る。
そうなれば、北米の両側から中央に進出してどこかでぶつかる。
北米の中部で壮絶な宗教対立が起こる日があるかもしれない。
先に東海岸まで進出する未来もあるが、絶対に補給路で苦労して防衛線が瓦解して下がるような気がする。
まぁ、そこで日の本がキリスト教の敵ならば、最初から対立が確定して国境を決める話合いから入る間もない。
日の本とヨーロッパが交易を続けていれば、他の選択もできる。
選択肢は多いほど良い。
また、無いとは思うが武田-信玄の子孫がシベリアを逆に進出して、ウラル山脈に届く可能性もある。
モンゴル帝国の残存が消えて、ロシア大公国がウラル山脈を越えて拡大するのはこれからだったと思う。
武田-信玄の子孫が手付かずのシベリアを越えるのも難しくない。
誰も欲しがらない大氷河地帯だ。
狐などの毛皮を求めて、ロシア大公国は東へ東へと進出してくる。
領土拡大なんていう大層なモノはない。
そんな不毛の大地を巡って、ロシア大公国が日の本と戦争しながら攻めてくるとは考えられない。
少なくとも国力が付いてロシア帝国になる18世紀まではないと思う。
もっとも武田-信玄の子孫がシベリアを渡らずに留まっていても、シベリアを渡ってきたロシア帝国とぶつかるような気もする。
ならば、先にシベリアに油田や天然ガスがあるのを教えてやるべきか?
それもなぁ~、問題を大きくしそうだ。
いずれにしろ、日の本はキリスト教の絶対的な敵として交渉する間もなく戦禍になる未来は避けてあげたい。
モンゴル帝国のように大きくなり過ぎて跡形もなく消える歴史は嫌だ。
それぞれが独立していれば、その可能性は小さい。
俺の子孫らがどんな歴史を辿るかなど知らないし、察する事などできない。
これは俺の欲であり、子孫への祈りだ。
「若様の思いを知らない白井-胤治と黒田-官兵衛は賛同する事でしょう」
「だろうな。その方が確実にイスパニアの艦隊を呼べる上に、最悪はキリシタンを根絶やしにすればいいと思っているハズだ」
「キリシタンと言っても日の本の民です。熱田明神で在られる若様が悲しんでおられるとでも言ってやれば、暴走も止まったのでしょうが間に合いませんでした」
「千代、気にするな。想定内だ」
翌朝、出航して夕方に名護屋に到着した時には、ほぼ戦闘は終了していた。
モンゴル帝国の残存は北元(瓦刺)とジュチ・ウルス (キプチャク・ハン国)の二ヶ国がある。
北元(瓦刺)は1368年に大都を放棄してモンゴル平原に戻った総称であり、その後も明国と度々戦争を行っている。
1560年頃の北元は支配権を失った大ハーンに変わってアルタンが周辺を攻めて、再びモンゴル平原の支配下を奪い返した頃になる。
しかし、1635年に北元は後金軍に降伏して滅亡した。
北元の滅亡後にハルハが成立したが、1650年代になるとはロシア・ツァーリ国が進出して勢力を失って清に服属する事になる。
モンゴル族は滅亡していないが国家として滅亡した。
ジュチ・ウルス (キプチャク・ハン国)は1243年頃に西欧(ロシア周辺)まで支配地を広げて建国し、1480年にモスクワ大公国のイヴァン3世が独立して、ロシア・ツァーリ国を建国し、それから衰退して1502年に滅亡する。
ジュチ・ウルスから独立したロシア・ツァーリ国はゆっくり拡大し続けて、1581年頃にシビル・ハン国を征服し、オビ川とイルティシュ川以西をロシア領とした。
ロシアは17世紀に太平洋に到達するが、17世紀初頭に樺太の西側に当たる地域は明の冊封下で満洲に住む女直がアイグンまで支配権を持っていた為にロシアはそのまま東に進出できずに、北に向きを変えて18世紀になってカムチャツカ半島から千島列島北部、あるいは、樺太を南下する形で日本に接近した。
武田家が先に樺太の西側を確保すると、当初は北元(瓦刺)と接触する可能性が高く、17世紀初頭になるとロシアと女直族が衝突ではなく、武田軍とロシアの衝突になる。
(武田軍がシベリアに進出しない場合の話である)
◇◇◇
可怪しい?
戦後処理を書く予定だったのに?
次話に譲る。




