70.祭りの前兆。
(永禄5年 (1562年)2月初旬)
名護屋の(仮)御殿の廊下をどたどたと高い足音を鳴らして、帰って来た輝ノ介(義輝)が早足で廊下を駆けた。
その頭から角が飛び出し、顔が際立って見た者が背筋を凍らすようなうっすらとした笑みを零し、手も掛けていない刀で一刀両断されるのではないかと恐怖に怯えて、近習の者は腫物を触るように従った。
輝ノ介(義輝)は御殿の最奥の間で腰掛けると大声で叫んだ。
「光秀、光秀を呼べ」
輝ノ介(義輝)は信照の名代なので一番偉いが、神輿なので特にする事がない。
暇を持て余した輝ノ介(義輝)は朝駆けを行うようになった。
朝駆けという『盗賊狩り』だ。
今日は慌ただしく昼前に帰って来た。
輝ノ介(義輝)が帰って来たと聞いて、どたどたどたと遅れて名護屋で在住を命じられた大御所名代付きの奉公衆もやって来る。
「今日は早かったな」
「近場で何かあったのであろう」
「落ち着いて頂けぬか」
「それを誰が言う。義輝様に言える者がいるか」
「あの図々しい光秀ならば言えるであろう」
「我らも一緒に刀の錆にされるわ」
「とにかく、今日は荒れていらっしゃるぞ?」
「どういうことだ?」
などと口々に言いながら部屋に入って来た。
奉公衆方々の仕事は名護屋の治安と作業の監視であり、送られてくる書類の整理をして役方に届ける。
そして、役方の右筆5人衆に従って、名護屋にいる大名らに指示を出すのが奉公衆の仕事だった。
奉公衆は子供の使いか?
そんな愚痴を吐いていたが、信照が決めた事に反抗する訳にも行かず、毎日のように予定通りに進んでいるかを監視する仕事を請け負っていた。
「そう言えば、今日は孫九郎殿が来ておらんな」
「向こうは向こうで忙しいのだろう」
「だが、遅れた事はない方だ」
「あの中では祖父江殿は一番まともだからな」
「まったくだ。成り上がり者らが図に乗りおって」
この名護屋の実務は丹羽-長秀が取り仕切っていた。
長秀は信長に気に入られて取り立てられた尾張生まれの尾張育ちだ。
生まれは桓武天皇の皇子良岑安世の末裔で、良岑朝臣を本姓としているが定かではない。
田舎者の成り上がりであった。
さらに酷いのが佐久柴-秀吉である。
秀吉は軍事を担当しており、奉公衆もその指揮下に入っている。
その出自は尾張中村郷の百姓であった。
もう、成り上がりとか言う言葉も烏滸がましい。
血筋が明らかな奉公衆がそんな下賤な者らに仕えるのが馬鹿らしかった。
だが、実際に指示を出すのは右筆五人衆だ。
筆頭の木ノ下-小一郎も元百姓で秀吉の弟であった。
補佐は祖父江-孫九郎と言う。
津島牛頭天王社神官を務めた一族であり、五人衆の中では身元が明らかだ。
成り上がりと自覚しており、一番腰が低く好感を持たれていた。
目付は白井-胤治で関東千葉家の一族らしいが、胤治自身は信照に拾われた無名の武士である。
その助手に山中-長俊と黒田-官兵衛がいるが、どちらも成人したばかりの餓鬼である。
餓鬼の癖にどちらも生意気でずばずばと思う事を言う。
可愛げのない二人であった。
奉公衆らはこんな連中に指示を聞かねばならないのかと不満を貯める日々を送っていたのだ。
輝ノ介(義輝)は今日も日が昇る前に馬に乗って出掛けた。
街道の脇には灯籠が建てられて夜道でも進める。
道は広めに作られていたので、輝ノ介(義輝)は荷を運ぶ者の横を風のように通り過ぎて馬を走らせた。
西に思えば、東に。
東と思えば、西に。
気まぐれに赴く場所を変え、野盗が根城にしている小屋を容赦無用で襲った。
今では野盗の『や』の字も聞こえて来ない。
どんどんと遠くまで出掛け、昼まで帰って来ない事が多くなっていたが、遂に行く所もなくなって、今日は海岸をゆったりと馬に乗って回っていた。
日が昇る頃になると何やら辺りが騒がしい。
何でも輝ノ介(義輝)の命で長屋から土方がどこかに移動させられているらしい。
もちろん、そんな命令を出した覚えもない。
光秀の家臣が来て命じたらしい。
輝ノ介(義輝)はどういう事だと鼻息を荒くした。
しかも一箇所ではなく、数か所以上の土方が移動させられている。
大掛かりな民族大移動だ。
何も聞いておらんぞ。
輝ノ介(義輝)は御殿に戻ってくると怒気を放って光秀を呼んだ。
一方、お市はそんな慌ただしさにも気が付かずに御殿の奥から出て来ない。
名護屋では『眠り姫』と呼ばれて影が薄かった。
日がな一日を眠り続けたので『寝太姫さま』とも呼ばれていた。
寝太姫の由来は隣の元大内氏の家臣に冷泉-隆豊がおり、隆豊に嫁いだ姉を頼って平賀-玄信が流れてきた。
しかし、玄信は大寧寺の変に巻き込まれ、命からがら厚狭に落ち延びた。
ところが厚狭の民が水不足で悩んでいるのを見て悩み、玄信は3年の歳月を寝て思案を続けた。
ずっと寝ているので、玄信を土地の者は『寝太郎さま』と呼んだようだ。
そして、思案の末に大量のわらじを作り、石見銀山のわらじを交換して、わらじに付いた銀を元手に厚狭川の灌漑工事にあて農民を救ったという逸話が伝わっていたのだ。
奥州王の名を持つお市は『イザぁ』という時まで『寝太郎さま』のように寝て過ごされていると噂された。
今日もお市は『眠り姫』を続けていた。
だがしかし、それは仮の姿だった。
光ある所に闇があり、まこと栄光の陰に数知れぬ忍者の姿があったとばかりに、引きこもり姫になり、闇夜を駆ける月光になっていた。
『悪党よ。わらわが斬るのじゃ』
ごろごろ好きの信照を真似て、お市は朝から夕方までごろごろと部屋で寝て過ごし、夜になると狐の面を付けて、千早のような舞白装束を身に纏い、信照から貰った『銀の鬘』を被ると、月夜に隠れて闇を飛んだ。
木々を跳ねて飛ぶと銀の髪が月明かりにきらきらと輝いて、『九尾の狐』のように美しく天を駆けた。
そして、今日も悪党の住み処を襲って朝日が差す前に御殿に戻って布団に入っていた。
「筑後、小郡の村で村娘が連れて行かれたと報告が入りました」
「村娘じゃと?」
「奴隷でございます。南蛮人は日ノ本の娘を好みます」
「連れていった者の所在を明らかにしておけ。悪党ならば、今夜断つのじゃ」
「承知致しました」
「わらわは眠いのでお休みなのじゃ」
夜な夜な徘徊する義賊『銀狐』の正体が『眠り姫』と思う人は誰もいない。
布団に身代わりを入れて、二・三日も留守にする事があった。
秀吉と長秀らはお市のお転婆ぶりに頭を抱えていた。
「なんとか、為らんのかや」
「そう思うならば、秀吉殿が止めて下さい」
「おらにできる訳ないだ。無理だ」
「私にも無理です」
「俺が行こうか?」
「犬千代殿は駄目です。皆に正体が露呈します」
「長秀殿」
「あれで大人しくしているつもりですから…………」
「どうするだ?」
お市に何かあれば、信照からお叱りを受ける。
だが、止められる者は誰もいない。
その内、悪党なら城でも落とし兼ねない。
何かあっては大変と預かっている忍者の内の100人をお市の護衛に回したが、それだけでは気が晴れない。
不安が貯まっていった。
下手に輝ノ介に相談すると、紫頭巾が参戦するかもしれない。
絶対にする。
秀吉らには確信があった。
露呈するのは時間の問題と思いつつ。
それでも絶対に秘密を守らねばならなかった。
どたどたと輝ノ介(義輝)が廊下を鳴らしている時も、すやすやと「1つ、人の世の生き血をぶつぶつ…………ぐさっ、退治してくれよう九尾の狐じゃ」と寝言を言いながら、お市は気持ちの良いお眠の最中だった。
こうして、光秀の乱心で紫頭巾の参戦がなくなった事に胸を撫で下ろす者は誰もいなかった。
◇◇◇
名護屋では土木工事が止められて、名護屋浦に近い迎賓館に併設する宿舎に肥前、筑後、筑前の土方を移せと命令が発せられた。
大名の家臣らは首を捻った。
今日の作業を止めて、土方達を豪華な宿舎へ移動させる。
輝ノ介(義輝)を見かけると「これは何事でございましょうか?」と質問したが、逆に怒鳴られた。
むしろ、輝ノ介(義輝)が「誰の指示か」と聞くと光秀の指示と答えた。
光秀の独断と薄々に悟った。
大名らが騒ぎ始めた頃に、御殿では呼び出された光秀が顔を上げていた。
「お呼びにより、参上致しました」
「光秀、何のつもりだ?」
「さて、何の事でしょうか?」
「余の名を騙って、土方の移動を命じた事だ」
光秀は輝ノ介(義輝)の名を騙っていない事を主張した。
聞いた者が勝手に勘違いしただけである。
だが、そんな言い訳が通じる輝ノ介(義輝)ではない。
そこに秀吉や長秀らもやって来た。
他の奉公衆を押しのけて、輝ノ介(義輝)と光秀の間に入った。
「光秀殿、どういうおつもりか?」
「むしろこちらが聞きたい。秀吉殿、何故、すぐに動かれん」
「何の事だ?」
「イスパニアの艦隊がこちらに向かっておる。知らぬとは言わせぬぞ」
「確かにお茶を買いにきたポルトガル船が来た。イスパニアの艦隊を出し抜いてお茶を買いに来たと思われる。だが、確かな証拠はない」
「怠慢でございますな」
「証拠がないのは確かだ。商人がそう言ったに過ぎん」
「戯言を申しますな。異変があったのは確かなのです。すぐに動かずにどうします。後手を踏みますぞ」
「言われずとも判っておる」
「判っているならば、すぐに動くべきではないか」
「時期尚早だと思っているだ」
光秀と秀吉の意見が食い違った。
秀吉の眉間に皺が寄り、奉公衆の顔に驚きが走っていた。
イスパニアの艦隊が向かっているだと?
どういう事だと輝ノ介(義輝)の眼光が秀吉を貫いた。
これは「どうして知らせて来ない」と言う怒りを覚えた目だ。
睨まれながら秀吉は心の中で舌を打った。
心の中で「おらが聞きたいくらいだ」と罵っていた。
秀吉にはイスパニアの艦隊が今年は来ないと確信を持ったばかりであった。
イスパニアの艦隊の指揮官が亡くなって揉めていると、澳門に送った忍び衆から報告が来たのだ。
それなのにポルトガル商人がお茶を買いに来て、宣教師に「イスパニアの艦隊が近々やって来る」と言った。
意味が判らない。
こちらも今朝の早船で平戸の忍びから報告が入って来たばかりだ。
秀吉らは異なる二つの報告に戸惑っていた。
「もしもイスパニアの艦隊がこちらに向かっているのを察知したならば、平戸のポルトガルの船を奪取して、宣教師共々、船長・船員を人質として確保するように命じられておらぬのか?」
「それは…………」
「某が兄者に代わって答えます」
秀吉に代わって小一郎が前に出た。
光秀が「黙っておれ」と小一郎を睨む。
小一郎も「これを見過ごせる訳もごさいません」と睨み返す。
「まずは命じられておりません…………が、そのように動く手筈になっております」
「命じられておらんのか?」
「信照様よりすべてを任されております」
「ならば、何故に動かん。茶を買いに来たと商人の所から私の所に知らせがやって来た。そちらにも報告は届いているであろう」
他の奉公衆が身を乗り出して耳を傾ける。
いつの事だ?
昨日か、一昨日か、一体いつの話をしているのだ。
小一郎は奉公衆らにも説明するのが面倒臭く思えたが、手間を省く訳には行かない。
「昨日の夜更け。今朝の夜明け前と言ってもよろしいでしょうか。早船でお茶を求める南蛮船が平戸に入って来たと連絡が入ってきました」
南蛮船がやって来たのは昨日の夜明けであった。
そこから役人が確認を終えるのに半日を要し、商人と宣教師の密談を確認した忍びが早船と早馬を出して名護屋浦と唐津に連絡が走った。
茶を買う知らせは商人の早馬で一歩だけ先に出ていたが、忍びの早馬が唐津に到着したのとほぼ同時だった。
途中の渡し舟で追い付かれたのだ。
そんな些細な差は別として、光秀は商人の元に置いていた家臣から茶を買いにきたポルトガル商人の事を知った。
後はすべて光秀の推測である。
一方、右筆に入った報告はポルトガル商人が宣教師にイスパニアの艦隊が近々来訪すると言ったというはっきりとしたモノだ。
唐津に入った早馬が詰所の役人に書状を届け、そこから早馬で名護屋浦の役所に届けられた。
さらに詳しい情報は一刻ほど遅れて早船で届けられた。
イスパニアの王が艦隊の出撃を命じたと言う噂が流れたらしい。
ポルトガルで流れた噂らしい。
さて、何を信じれば良いのかと秀吉らは悩んだ訳だ。
足の速い光秀の家臣は商人から聞いた話を光秀の元に届けた。
秀吉らと光秀が知った時間にそれほどの差はない。
だが、ここから光秀は早かった。
秀吉らは書状で事細かく、光秀は口頭で聞いた推測に過ぎない。
情報の精度では秀吉らが正確だったが、秀吉らは夜が完全に明ける少し前に忍びの棟梁が飛び込んでくるまで、どういう事だと首を捻って協議していたのだ。
光秀は御殿に移動すると正式な指示書を発行する。
奉公衆の権限で土方を兵舎に集めるように指示を出すと、次に唐津の詰所の役人に命じて教会にいる宣教師を捕らえるように指示を出した。
どちらも奉公衆として指示書だ。
あくまでお願いであって強制力はない。
だがしかし、これまで奉公衆が指示書を発行した事はないので、これを輝ノ介からの命令書と勘違いした。
これは仕方ない。
否、光秀は始めから勘違いをさせるつもりで同じような文脈で発行したのだ。
奉公衆光秀の印の下に輝ノ介の署名がない。
気の利いた家臣は指示に従いながら御殿に間違いを問うて来ていた。
だが、ほとんどの者は間違いに気づかずに命令に従った。
光秀を監視している忍びから報告が上がって秀吉らは慌てた。
ポルトガル商人が荒れた海を越えて、何故にお茶を買いに来たのか?
その話をすっ飛ばして光秀はすぐに動いたのだ。
「ここまで来て隠し事もなかろう。それともまだ隠す気ですか?」
「判りました。お話しましょう。この策は輝ノ介(義輝)様に問うてから決めるつもりでありました」
「おらは今でも信照様に相談してから決める案件だと思っておるだ」
「それでは遅い」
「遅くはないだ」
輝ノ介(義輝)がバンと床を叩いて二人を睨みつけ、「まずは説明せよ」と怒鳴り付ける。
光秀が言う。
名護屋浦に近い場所に造られた迎賓館は特別な来客を招く御殿である。
その供の兵を休ませる宿舎が造られた。
迎賓館と宿舎は壁で囲われて城のようになっている。
信照と一緒に誠仁親王も行啓してはどうかと話が上がっており、その兵を休ませる宿舎として使う案も上がっていた。
その宿舎を怪しむ者はいない。
「壁に囲われた場所が安全だとは限りません。宿舎を囲む水堀に見える空堀は、じつは油掘りでございます。謀反人を閉じ込めて抵抗するならば、油に火を付けて焼き殺す事ができる場所でございます。熱田にある集会所と同じ造りになっております」
「油掘りとは、何だ?」
「疑わしき者らを皆殺しにする処刑場でございます」
「処刑場ではございません。留置所です」
今川軍が熱田に攻めて来た時に、怪しい者を一箇所に集めた場所であった。
怪しきはすべて滅する。
誰か一人でも反乱を企てれば、その建物に入れられた者をすべて同罪として焼き殺す。
そう脅して大人しくさせた留置所であった。
迎賓館の壁の外には倉庫街があり、油の樽がいくつも用意されており、その栓を開くだけで油屋敷が完成する。
外国から来る来客を出迎える施設とは真っ赤な嘘だった。
「嘘ではございません。他国の王が泊まっても恥ずかしくないモノを建てております。帝が御泊まりになっても恥ずかしくない出来に仕上がっております」
「虚言だな」
「光秀殿こそ、心が歪んでおるだ。あれだけのモノを建てるのに、どれだけ苦労したと思っておるだ」
「水を流せば、水の都。油を流せば、生き地獄。表裏一体だ」
「油など流させん」
「人質として大人しくしてくれれば、良いのですな。ですが、キリシタンは一向宗と同じく狂人です。一度暴れたならば、容赦すれば寝首を搔かれますぞ」
「光秀殿、収容される数を判っておいでか」
「当然でございます」
肥前、筑後、筑前などから集められた二万人近い土方が兵舎に移動させられていた。
知らぬが仏。
兵舎に閉じ込めた彼らがずっとその宿舎で大人しくするだろうか?
「抵抗するならば、全員を焼き殺します。そのような悪行を信照様や輝ノ介(義輝)様が関与すべきではございません。悪行は光秀が引き受けましょう」
「本気か?」
「もちろん」
「詰まらん事をほざくな。その程度の悪行など、そなたに引き受けて貰う必要などないわ」
輝ノ介(義輝)が光秀の言葉を切り伏せた。
光秀の策はこれで終わらない。
光秀はキリシタンと思われる土方達を捕らえる一方で、唐津の教会にいる宣教師も捕らえる指示を出し、それと同時に忍び衆に唐津に来日しているインド管区長代理フランシスコ・カブラルを「平戸に逃がせ」と頼んだのである。
光秀を監視している忍びも光秀に頼まれてびっくりし、すぐに忍びの棟梁に相談した。
「豊後にいるインド副管区長ヌーネス・バレト司祭、京に向かったガスパル・ヴィレラ司祭は共に親日派であり、信照様に洗礼を受けさせて、イスパニアとの戦争を回避しようと動いております。それに痺れを切らして日ノ本に来たのが、フランシスコ・カブラル司祭です。イスパニアの艦隊と共同し、九州のキリシタンを蜂起させて日ノ本を占領しようと考えております」
「イスパニアの艦隊が動いたならば、そのフランシスコ・カブラル司祭にとって朗報だな」
「逆を言うならば、フランシスコ・カブラル司祭を捕らえれば、日ノ本のキリシタンが蜂起する可能性が限りなく小さくなります」
「その者が偶然に唐津に居た訳か」
「はい、博多に向かう途中で泊まっておりました」
「昨日、余を脅しにきた馬鹿者か」
「その通りでございます」
フランシスコ・カブラル司祭を捕らえるか、逃がすか?
秀吉と長秀は決断が分かれた。
すでに捕らえる指示を出した光秀は、その決断のみを秀吉らに突き付けた。
考える時間がほとんどなかった。
秀吉と小一郎、孫九郎、長俊の四人は『捕らえるべき』と反対に回った。
しかし、長秀と白井-胤治と黒田-官兵衛は『逃がす方が有益』と賛成を投じた。
忍びの棟梁も賛成だった。
四対四だ。
秀吉が折れて、フランシスコ・カブラル司祭を逃がす事が決まった。
輝ノ介(義輝)に相談する暇もなかった。
「おらは今でも反対だ。これは信照様に相談する案件だ。しかし、長秀殿が賛成なので諦めましただ」
「某も賛成した訳ではございません。然れど、すでに矢は放たれておりました。策を変えれば後手を引く。白井-胤治と黒田-官兵衛が賛成したのでヤル価値はあると考えました」
「胤治、賛成した理由を申してみよ」
「フランシスコ・カブラル司祭が蜂起すれば、イスパイアの艦隊に援軍を求めます。敵の進路が明らかになれば、それだけで信照様の勝利に近づきます」
「官兵衛」
「某も同じでございます。龍造寺-隆信を中心に兵が集まる事でしょうが、キリシタンなどいくら集まろうと烏合の衆です。3万であろうとも、5万が集まろうとも輝ノ介(義輝)様の敵ではございません。遅いか、早いかの違いならば、ここで叩いてもよろしいでしょう」
主戦派の意見は近かった。
フランシスコ・カブラル司祭の来日でキリシタン大名もふらつき始めており、胤治や官兵衛はキリシタン問題を片付ける事を信照に進言していた。
4月ならば、問題なく秀吉も賛同した。
20隻近いポルトガル船を放置して、イスパニアの艦隊と対峙できない。
一時的でも拘束は必要だと思えた。
だが、今は来訪したポルトガル船も一隻だ。
光秀の推測は正しいのか?
何故ならば、この海の荒れる時期にイスパニアの艦隊が動くのかが疑問だったからだ。
つまり、信照が重視したポルトガル商人らとの交友を潰すほどの価値があるかと疑った。
フランシスコ・カブラル司祭を拘束するだけで済むならば、キリシタンの問題は後回しで良いのではないかと秀吉と小一郎は考えていた。
だが、そんな議論をする時間がなかった。
与えてくれなかった。
賽は投げられていた。
「光秀、なぜ相談しなかった」
「必要ございません」
「言葉を尽くせば、賛同する者もいよう。何故、一人で先行した」
「異な事を聞かれますな。すべては信照様を勝たせる為、神の国を作る為でございます」
「本当にそれが信照の望んだ事か?」
「疑う必要などございません」
輝ノ介(義輝)は肩を落とした。
初めて出会った時もそうであった。
不動の精神と言えば聞こえはいいが、信照以外の者を唯我独尊と格下に見下しているように思えた。
「光秀、そなたの策を採用する。但し、余の名を騙った罪は消えん。戦が終わるまで、牢で頭を冷やしておれ」
「承知致しました」
光秀はすでに事はなったと澄ました顔で頭を下げた。
光秀は腕を捕られて連れ出されて行く。
輝ノ介(義輝)は光秀の事を考えるのを止めた。
それより戦だ。
「小一郎、信照に事情を知らせよ」
「畏まりました」
「皆の者、戦の準備だ」
うおぉ、皆が一斉に立ち上がる。
祭りだ。
待ちに待った祭りだ。
フランシスコ・カブラル司祭に焚きつけられて龍造寺-隆信が立ち上がる。
まず、目の前のキリシタンを叩いて、イスパニアの艦隊を呼び込んで正面から潰す。
キリシタンと艦隊の連続二回戦が決まった。
これを待っていた。
輝ノ介(義輝)の心が真っ赤に燃え滾ってきた。




