69.妻の出産に浮かれる信照。
(永禄5年 (1562年)2月初旬)
信照の3分出産。
なんてできる訳もない。
真っ赤な嘘です。
でも、気分は3分クッキング。
愛する妻の為に建てた『産婦館』をご紹介いたしましょう。
まず、玄関です。
鹿鳴館を思わせる西洋式の洋館に、ふんだんにガラスを採用した扉や窓が革新的になっております。
床の下は大理石を敷いて高級感を醸し出します。
緊急搬送にも対応して、救急車に使われている救急車ベッドストレッチャーが自由に行き来できるように通路も統一しました。
受付より先は土足禁止です。
ノーばい菌。
外の汚れを中に持ち込ませない。
すべての診療室と各部屋を結びました。
妊婦を泊める部屋も20室を用意し、先生が診察する部屋はゆったり設計で妊婦を優しく出迎えます。
この施設では出産前の運動にも気を使い、遊戯場やプールとして使用できる大浴場を併設して適度な運動を行い、運動の後は楽師を呼んで音楽を聞く部屋も用意しました。
花を愛でる温室もあり、冬でも一面に咲いた花壇の花が出迎えてくれます。
これが織田屋敷の診療所の横に建てた『産婦館』です。
愛する氷高と早川が無事に出産できるように造らせました。
産婦の為の特別病棟です。
「殿、先程から何をされているのですか?」
「氷高と早川の為に建設した『産婦館』の説明だ」
「どなたにでございますか?」
「氷高と早川が無事に産む事を願っている京の民、尾張の民に向けての伝言だ。そう瓦版の記者達にだ」
「殿、もう3度目です。同じ事を言っても記者の方が困っております」
「この施設の素晴らしさは一度くらいでは理解できまい」
「若様、氷高様もこう申しております。しばらく、横で大人しくして下さい」
「千代、俺はまだ語り尽くせていないぞ」
「はい、はい、判りましたので大人しくして下さい」
二人の為に揃えたライトスタッフの紹介がまだだったが、隅に座らせられて氷高と早川の取材を見守らされた。
俺の溺愛ぶりを苦笑いで氷高と早川が語っていた。
二人の為に造った『産婦館』だが、後で織田家の家臣も利用する施設だ。
別に無駄になる訳ではない。
俺はクールだ。
そう言う度に皆から生暖かい視線を送られた。
◇◇◇
梅が咲いたが桜には遠い、寒さが残る2月だ。
正月に産まれるのではないかと気が気でなく、氷高が産気付いた報告が来る度に帝と俺は意味もなく廊下をどたどたと踊った。
「帝、初孫という訳でもございませんでしょう」
「そういうそなたこそ落ち着け。まだ、生まれた訳ではないぞ」
「俺は廊下を少し歩きたいだけです」
「朕も同じだ」
女達は慣れたモノで『産まれるには早うございます』と俺達を嗜めた。
そんなこんなで正月の日々が終わり、本当の産み月になった。
通っていた二人を『産婦館』に移らせた。
京の『産婦館』は1つではない。
グレードは落としているが京の診療所の横に平民用の『産婦館』も造らせた。
何度も手直ししている間に少し大きくなってしまった。
まぁ、いいだろう。
食費は無料ではないが、宿泊は無料なので京の民に喜ばれている。
豪商から賤民まで利用する。
特に驚く事ではない。
規模こそ小ぶりだが、熱田にも、清洲にも、浜松にも、大垣にもある施設だ。
二人を安心させる為に出産を経験した妻達や先生や産婆達も熱田から呼んだ。
延べ100人を呼んだので千代女に呆れられた。
「出産など簡単でございます」
「松ちゃんが言うと安心するわ」
「そうでございますか」
「赤ちゃんも見たかったわ」
「申し訳ございません」
「これで二児の母と思えないわ」
「本当に二児の母でございます。出産など簡単でございます。少し苦しくなりますが、すぐに終わります」
犬千代の妻も呼んだ。
松は熱田の診療所で出産したベテランであり、その経験を披露して貰った。
あの小さかった松がお姉さんだ。
最近、二人目を産んで二児の母になった。
松に比べると氷高と早川も体はしっかりできており、出産の負担は小さいハズだ。
問題ない。
幼顔の松が声を掛けると二人の顔も綻んだ。
他の応援団のほとんどが町の『産婦館』に行ってしまったのは誤算だった。
これでは応援にならないではないか。
「若様が後ろでうろうろされては皆が落ち着かないのも当然でしょう」
「俺が悪いのか?」
「お昼寝の時間です。お部屋にお戻り下さい」
俺が去って行く後ろで眠たそうな松が欠伸をした。
釣られて二人も欠伸を漏らす。
「ここは温かくて眠たくなってきます」
「そうね」
「この部屋は春と間違いそうね」
「何故か、目が…………うとうとします」
応援に来て居眠りとはいい度胸だ。
そう思って不満そうに辺りを見ると、同じようにうとうととしている女中が多かった。
そなた達をだらけさせる為に呼んだのはないぞ。
俺が不機嫌な顔をすると、すぐに千代女が障子を閉ざしてしまった。
俺の扱いがゾンザイだ。
言っておくと、一度部屋を出ると再び消毒しないと入れない。
服も着替えさせる。
当然、俺も服を着替えて消毒をしてから入室する。
何度も訪れるので俺の着替えの数が大変な事になっていた。
◇◇◇
日差しが伸びて暖か過ぎる部屋はお昼寝に最適らしい。
今日も皆でお昼寝をしている。
寝顔を見て俺は満足して部屋を出た。
この『産婦館』には豪華な冷暖房施設を設計した。
館の横に水蒸気機関が稼働し、巨大な扇風機を回して常に風を送っている。
扇風機で取り入れられた外気はパイプを通って館へと送られ、その先にある氷嚢室と薪暖炉の部屋を通る。
夏は氷嚢室に氷を置いて氷の冷気を部屋に届け、冬は薪暖炉に火を付けて、暖気のみを部屋に届ける。
夏は涼しく、冬は温かさを提供する。
春と秋はただの換気だ。
この2月の凍えるような外気を遮断して氷高と早川のいる部屋は春のように温かい。
床には特殊な絨毯を敷き、衛生を確保しながら暖かさも享受できる。
ベッドの脇にも薪暖炉が設置させており、部屋の温度を調整できるようになっている。
今は部屋の湿度を低下させないように、暖炉の上にヤカンを置いてお湯を沸かせていた。
そのヤカンから出た湯気が部屋の湿度を保っていた。
窓はふんだんにガラスを採用し、外の景色を楽しめるように心掛けた。
もちろん、外気が入らないように三重窓だ。
残念ながら外は季節外れに降った雪が積もって、植えさせた梅の木も雪化粧を見せている。
仕方ないので温室から取って来た花を飾って部屋の空気を和らげさせた。
「若様、その情熱は判りましたので落ち着いて下さい」
「落ち着いている。起きた時に花を愛でて心を和ませてくれるように段取りをしたのだ」
「そうでございますか」
「千代が声をかけるから二人が起きてしまったではないか」
「どたどたと何人かが入ってくれば、起きるのは当然ではありませんか」
「そうだな」
氷高と早川が花を見てうっとりとする。
そして、こちらを見て微笑んでくれた。
「お気遣い。ありがとうございます」
「二人の為だ。何でもするぞ。欲しいモノはないか」
「十分に行き届いております」
「何があろうと、万が一など起こさせない」
「それはよく判っております」
「そうです。まだ、陣痛は来ておりません」
氷高と早川の為に温水プールも造らせて、毎日のようにラマーズ式の呼吸法を訓練させた。
昔は手探りだった呼吸法も何年もやってきた成果で形になってきた。
多くの妊婦が熱田や清洲で実証済だ。
二人も秋から訓練をしている。
腹を撫でて確認する。
「殿、落ち着いて下さい。私は大丈夫です」
「まだ、痛くないか?」
「まだでございます」
「早川も大丈夫か?」
「私はまだ陣痛すら来ておりません」
「そうか」
最悪を考えて懲罰官に残って貰って帝王切開にも備えている。
もちろん、この部屋の消毒も完璧だ。
隣には設備も用意して、いつでも手術室に替える事ができる。
アルコールによる手洗いとうがいを徹底し、マスクの代わりに六尺手ぬぐいを口に覆うようにさせた。
全員に白衣のようなエプロンを付けさせる。
帽子も被らせ、髪が落ちないように気を付けさせる。
後はなんだ。
「若様はあちらでお休み下さい。若様がいると二人が落ち着きません」
「千代、俺にも何かさせろ」
「では、私の分の仕事を片付けて来て下さい」
阿呆な部下が俺を呼びに来るので千代女に『産婦館』から追い出された。
最近はこんな事ばかりだ。
仕事を終わらせて見舞いに行こう。
氷高の母上が見舞いに来た時は大変だったらしい。
「殿、お見苦しい所をお見せ致しました」
「あの人数は想定していなかった」
「誰か、殿にお茶を」
「俺は大丈夫だ」
「宜しければ、そこに座っていて下さい。お話を致しましょう」
「そうか、話したいか」
そんな平和な日々を送った。
ある日、夕方に産気づいたので手を取って俺は勇気を送った。
氷高に声を掛けた。
苦しそうな氷高に妙にそわそわしてしまう。
「信照様、本格的に痛がって参りました。お外でお待ち下さいませ」
「俺はここで氷高に声を掛け続けるぞ」
「ここから男子禁制でございます」
「だが…………」
「若様、あちらでございます」
千代女に背中を押されて追い出された。
必死に抵抗したが、助産婦らにも加勢されて押し出された。
外で晴嗣に笑われた。
「結局、妻の悶え苦しむ姿は見られなかったか」
「苦しむ姿を見たい訳ではない」
「そんな事を言えるのも見た事がないからだ」
「お前とは違う。妻が苦しむ姿を見たいなど趣味の悪い奴め」
「言うな。髪が荒れ狂うのは美しいぞ」
「そこから叩き出されたと聞いているぞ。追い出されても懲りん奴だな」
「ははは、このくらいで懲りるモノか。外に回って窓から覗きに行かんか?」
「外は寒い」
「大丈夫だ。ちょっと行ってくる」
晴嗣は元気に出て行ったが、少しすると簀巻きにされて戻って来た。
氷高の護衛が外から覗くのを見過ごすハズがない。
「判っていたなら、先に教えろ」
「聞く前に出て行ったのは晴嗣だろう。
そもそも、何故、ここにいる?」
「生まれたならば、すぐに帝に知らせる為だ」
晴嗣は公務で来ていた。
これでは追い返す訳にもいかない。
そわそわと待った。
部屋の灯は付いた儘で終わりそうもない。
夜食を食べてうとうとする。
知らぬ間に寝ていた。
目が覚めると外が少し明るくなってきていた。
待合室に氷高の悲鳴が聞こえた。
糞ぉ、俺は何もする事はない。
「神通力で助けてやれんのか?」
「そんなモノがあれば、使っておるわ」
「熱田明神もアテにならんな」
「最初から人だ」
あぎゃ、あぎゃ、あぎゃ、赤ん坊の泣き声が聞こえた。
千代女が飛び出して来た。
「おめでとうございます。男の子でございます」
「氷高に出かしたと申せ」
「はい」
それでも片付けが済むまで中に入れてくれない。
赤ん坊を連れ出しても良いのだが、寒い待合室に連れ出すのを禁止させた。
俺は片付けが終わるのを待つ事にした。
外は少し明るくなり、明星の隣に新月に近い二日月が顔を出す。
その下に赤い火星が輝いていた。
そう言えば、火星の神に愛でられた子どもは気性が荒くなると言う。
落ち着いた子に育つといいのだが…………う~ん、判らん。
簀巻きにされ、ばい菌だらけの晴嗣の入室を禁じたので、赤ん坊の姿を見ずに帝に報告に行って怒られたのは俺の所為ではない。
晴嗣の自業自得だ。
それから12日後の夜中、陣痛が来たと初めて早川が訴えた。
その陣痛で俄に慌ただしくなったと思うと早川があっさりと女の子を産んだ。
こちらは産婆もびっくりだ。
俺もあれやこれやと準備を始めると終わったと聞いてびっくりした。
鶏が卵を産んだのかと間違われるほどあっさりだ。
「千代、今、何と言った?」
「可愛らしい女の子を出産致しました」
「いつ?」
「先程です」
早川の部屋に入ると、俺を手を振って出迎えてくれた。
早川は氷高のように疲れ切っておらず、「ポンと割れて、生まれました」と他人事のように軽い口調だった。
ちゃらちゃちゃらちゃ、ポ~ン!
桃から生まれた桃太郎子さんか!?
赤ん坊を覗き込む。
元気そうだ。
本当に心配し甲斐のない出産だった。
俺は妙に疲れて部屋を出る。
すると、月の下に赤い火星が輝いていた。
ガラスの向こうでは娘が生まれたばかりと思えないほど手を上下に振って暴れている。
お市よりお転婆な女の子になるような予感がした。
ヤバいな。
◇◇◇
古くから海の交流が盛んな平戸は遣隋使や遣唐使の船が大陸に渡る時に寄港地とされるほど歴史が古い。
平戸は日の本の最北西だ。
弘法大師や栄西なども平戸に立ち寄っている。
当然、ポルトガルの船も平戸を目指してやって来ていた。
フランシスコ・ザビエルも平戸を拠点とした。
今では春になるとポルトガルのキャラック船が大量にやって来て、湊に船が停泊した。
沢山の南蛮船が並ぶと壮大だ。
そんな春の景色も普通になっていた。
だが、平戸も冬になると波が高くなり、そんな大型船は姿を消していた。
気候が落ち着く春までお休みだ。
ところが波の高い冬の海を越えて、一隻のキャラック船が入ってきた。
「お茶を買いたい。金は出す。あるだけの茶を買い集めたい」
船を泊めた船長はそう叫んで平戸の商人達が忙しそうに動き出した。
去年と違う春が近づいていた。
野尻抱影先生の本に『金星の申し子』という一文があり、
「ほんにわたしは、情けでは生粋の金星生まれ、気性では火星生まれでございます。浮気と男好きは金星から、強情我慢は火星から貰いました。誕生日に昇ったのは金牛宮、そこに火星がおりました。やれ、やれ、罪の深いは恋や恋! わたしの気随気儘も、みな星ゆえでございます」
金星の申し子は姿が美しく、花が好きで、絵画や音楽に高い鑑定眼を持ち、恋愛を得意とする。
しかし、そこに火星が混じると気性が荒くなり、喧嘩ぱやい積極的な性格になる。
つまり、恋愛に飢えた女性で男を5人も6人も変える男好きに変わってしまう。
英文学の『カンタベリー物語』に出てくるバースの町の女房がそうだと書いております。
子供達で苦労しそうな予感がしますね。
という訳で親馬鹿な日々でした。
信照に平穏という日はやってくるのでしょうか?
それとも、これが平穏か?




