閑話.秀吉の立身出世物語(8)「薩摩の叛乱鎮圧」<城山の陣>
(永禄4年 (1561年)5月1日~5月15日)
5月1日、おらは二隻の小型帆船と三隻の300石船で船団を組んで、500人の兵を乗せて薩摩に向けて出航した。
全て官兵衛殿の所為だ。
そもそも島津-貴久様は織田家の使者である佐久間-盛次殿と柴田-勝忠殿を湊で出迎え、田布施亀ヶ城で会談を行い、人夫を送る事を承知させて交渉は成功しただ。
側近らも苦渋の決断という顔をしていたらしい。
これで終われば、おらが行く事もなかった。
だがしかし、交渉の後に宴会がある。
その空気を読まずに宴会で豪語する二人に薩摩の武将が切れた。
一度は降伏していた祁答院-良重が貴久様を頼りなしと反旗を翻した。
当然、人夫を出す事を反対している。
このまま放置しては示しが付かず、また周りから同調する者が現れる。
織田様なら容易いでしょうな。
まさか、断るなどと臆病風に吹かれる事などありせんな。
そんな軽い挑発に酒に酔っていた二人は乗って、4月25日に出陣して500人の三河勢が300人の兵と戦って負けた。
こうなると不満が一気に爆発し、付近の兵達が追撃戦で加わってしまった。
予想外の事態に官兵衛殿も頭を抱えたらしい。
「おらはてっきり最初から仕組んでいたと思っただ」
「そんな危ない橋は渡りません。負けたとしてもどうにでもなると思っておりましたが、まさか本当に負けるとは思っておりません」
「貴久様の言われた通りに討伐してくればよかっただ」
「それでは織田家の威厳が保てません」
戦に負けた船団は田布施亀ヶ城に近い湊に停泊し、貴久様と官兵衛殿が協議した。
27日、追撃に加わった兵達が集まって叛乱を起こした。
即時に恩賞を渡し、課役の免除を訴えた。
貴久様は兵を集めて討伐すると言ったが、官兵衛殿が止めた。
自分の尻は自分で拭かせて頂きますと言い切ったのだ。
こうして叛乱を告げる早船は有明海を抜け、筑後山地を越えて29日早朝には唐津の名護屋に届いた。
翌日の30日の夕方には船団が戻って来た。
佐久間-盛次殿と柴田-勝忠殿が情けない顔で肩を落として船から降りて来た。
段取りを終えていたおらは翌日には出航して薩摩を目指した。
これからは官兵衛殿などと言ってやらん。
3日、おら達は錦江湾(鹿児島湾)に入り、築城中の内城で貴久様と対面した。
「此度は家臣が迷惑を掛けて申し訳ございません」
「こちらの不手際だ。気にする事はない」
「そう言って頂けると嬉しく思います」
叛徒は約5,000人であり、追撃を止めていたハズの義弘が総大将となって城山城に籠もった。
対する貴久様は薩摩・大隅の兵1万5,000人を動員して取り囲んで手を出さずにおら達の到着を待っていた。
「では、行きましょう」
「本当にやるだか」
「これくらいヤラねば、藤吉郎様の凄さが判りません。大した事ではありません。三河取りと同じ事をするのです」
「おらとしては一度で十分だ」
「長俊殿には嘘でも言わないであげて下さい。いつも藤吉郎様の三河取りを自慢しているのですから」
右筆山中-為俊様の息子である長俊殿は安祥城取りの法螺話を信じていた。
おらは槍を突き付けられてもビクともせず、堂々と交渉し、犬千代が周りの側近等を全て平らげたなんて事はなかっただ。
だが、寝返って安祥城を引き渡したでは城主の面目が立たない。
城主は今川方に戻って行くのだ。
交渉中に城主が人質に取られたくらいの与太話がないと落ち着かなかった。
当時はまだ9歳の長俊殿はその法螺話を本気で信じた。
また、敵中での交渉か。
蒼耳と知朱らは他の数名の兵と一緒に門で止められた。
犬千代だけが向こうの言い分など聞かずに付いて来てくれた。
おらは護衛の犬千代を連れて官兵衛と三人で城山に訪れた。
「流石、織田家の大将だ。その度胸だけでも認めてやろう」
義弘がドカっと前に座った儘でそう言った。
屈強そうな武将らがズラリと囲む。
犬千代が気を吐いて睨み返していた。
おらはビビって震えそうな気持ちを抑えると、とびっきりに明るい調子で返答した。
「流石ですな。薩摩武士は度胸が違います。逆賊と罵られるのを承知で意地を通される。誠に天晴れな覚悟でございます」
「我等を逆賊と言うのか?」
「おや、違いましたか? まさか、織田家に歯向かって幕府の忠犬とおっしゃいますか。それは余りにも都合のいい解釈ですな。そのような軽挙な考えで叛乱を起こすなど、度胸があるのではなく、お頭が足りないと言う事になってしまいますな」
薩摩・大隅の武将らが一斉に刀を手にして『何だと!』と怒りを露わにして立ち上がる。
抜かれた刃が針千本のように目の前に突き付けられる。
冗談でも止めて欲しいだ。
犬千代が動けば乱戦となり、おらの命は綿より軽い。
明るく振る舞うだ。
おらは頭をポンと叩き、「これは失敬」とカラカラと笑って見せる。
余裕があった官兵衛の顔が強張り、犬千代の顔が更に厳しくなっている。
厳しくなっているが犬千代が動かない。
ならば、飛ばしているのは殺気だけだ。
殺す気は無いと確信しただ。
「おらは帝の勅命を受けてきた使者だ。そのおらを切れば、末代まで朝敵の誹りを受けるだ。その覚悟があるだか」
おらはここ一番の声を上げた。
ここが勝負所だ。
だが、内心はビビってチビリそうだ。
薩摩・大隅の武将らが刀を持った儘で固まった。
義弘が仁王像のような怖い顔で眉を吊り上げて睨み付けていた。
沈黙が支配しただ。
そして、義弘は笑い出した。
「あははははははは、わいらの負けじゃ。流石に帝の勅使様は切れん」
「それは助かっただ。おらも死にたくはない」
「藤吉郎様、降伏致します」
「それは待って貰うだ。まだ、織田家が強い事を証明していない。明日、この城を攻めるので、織田家が強いと思ったならば、刀を捨ててくれ」
おらは官兵衛に言われた通りに答えて帰った。
だが、その官兵衛は腰が抜けたのか、巧く立てずに敵将の手を借りて馬に乗せて貰っただ。
「改めて、藤吉郎様が凄いと確認できました」
「そうだ。我が殿は凄い奴だ」
「敵意に晒されるのが、これほど恐ろしいとは思いませんでした」
「おらなど大した事はない。官兵衛がいなければ、こんな無茶はしないだ。明日は宜しく頼むだ」
「お任せ下さい。必ず勝たせてみせます」
湊に近い場所 (鹿児島かんまちあ辺り)に本陣を築いていた。
準備をしているのは長俊殿だ。
兵の数は以前と同じ500人だ。
本陣の周りに穴を掘っているのを見ると、織田家の陣だと思わず思ってしまう。
奥州では小高い所に陣を張った。
低い平地で陣を築く者などはおらなんだ。
長俊殿は交渉の話を聞くと、「やはり、私も一緒に行くべきだった」と悔しがった。
それはできない。
おら達が殺されても、長俊殿が生きていれば問題ないが、皆が殺されると統率者を失ってしまう。
交渉となると官兵衛を置いて行く訳にもいかないと思っただ。
そうなると必然的に留守番は長俊殿になってしまうだ。
「明日に備えましょう」
「今度は留守番をしませんからね」
「判っています。防備を固めましょう」
「抜かりなどありません」
同じ兵数と言っても、前回の三河の兵が500人と中身が違うだ。
三河の精鋭は織田-造酒丞様が連れ出して、そのまま上野国に留まった。
その一族まで上野国に移住する事になった。
他の鍛えられた軍役衆も信勝様の元に行く事が決まっており、名護屋浦に連れて来られたのは数だけ揃えた兵士だった。
尾張の兵も各方面に散っており、訓練の足りない兵だった。
流石に信長様直属の兵を貸してくれないだ。
おらと長秀殿に付けられた5,000人の内、2,000人は数合わせだったのだ。
だが、残る3,000人は違う。
信照様の先鋒をやりたがった信広様だったが、新領地となった東遠江の統治と駿河、甲斐、信濃、越後へ、睨みを利かす為に西遠江から動けない。
自分の代わりにと、直臣の精鋭1,000人を送ってくれた。
強さは勿論、穴掘りから鉄砲まで出来、黒鍬衆に引けを取らない兵だった。
その中から精鋭300人を連れて来た。
次に、信照様から預かった鉄砲隊1,000人だ。
全員が最新鋭の鉄砲を所持し、そこから100人を選抜した。
最後の1,000人が黒鍬・鍬衆だ。
その内の500人は先の大戦にも参加した巧者であり、残る500人は知多で湊の造営を専門にする作事衆と言う。
その巧者の黒鍬・鍬衆から100人を連れて来た。
つまり、今回の織田家は精鋭500人で構成されていた。
「藤吉郎様、他にも奥の手を用意しております」
「長俊殿、奥の手とは何ですか?」
「明日の楽しみです」
こうして、仮眠を取りながら準備を整えると早朝になった。
まずは精鋭300人で城山を攻める。
援護に鉄砲隊の100人も後ろに付くが、織田家の鉄砲は遠くまで飛ぶのでかなり後ろだ。
城山は南北に二つの山が連なり、その間の谷になっている所を抜けて本丸に向かう。
狙うのは山の間に建てられている正門だ。
精鋭が一つに固まって、大盾を前後左右上に向けると亀の甲羅のように進んで行く。
織田家の盾は鉄砲の弾や矢などモノともしない。
そこから小亀が飛び出して正門に取り付くと火薬箱を三つほど積んで急いで離れた。
ズゴ~~ン!
安っぽい門だったので扉だけでなく、門自体が吹き飛んだ。
これには敵が唖然とする。
まず、織田家の基本戦術で正門を壊した。
『突撃!』
後ろで待っていた犬千代が300人に檄を飛ばして突入する。
正門の裏は伽藍堂(広々としている場所)だ。
詰所のような小屋が幾つかあるだけであり、本格的な防備は更に奥になる。
散らばっている敵に犬千代が突撃を掛けて行った。
敵も慌てた。
開戦と同時に正門が破壊されて敵が侵入してくるなど経験した事もない薩摩・大隅の兵が動揺して立ち尽くしていた。
犬千代は力任せに大槍を振るうと敵がバタバタと倒されてゆく。
鍛えられた精鋭の兵は互いの死角を補うので、犬千代も暴れ放題となった。
おらは『双眼鏡』を覗きながら戦いを眺めた。
この『双眼鏡』も、これまでの『望遠鏡』を強化した織田家の最新兵器らしい。
確かに見やすい。
島津家の目付けで来ている島津-歳久殿に貸してあげると、声も出ずに固まってしまった。
「藤吉郎様、敵の動揺も収まってきました。頃合いと思います」
「太鼓を鳴らせ」
撤退の踊り太鼓を鳴らさせる。
突撃せずに後から援護射撃を行っていた鉄砲隊から数人が飛び出して、門の中に入って撤退を告げる。
犬千代も慣れた手際で抜け出して来た。
皆、鉄を仕込んだ鎧を身に纏っているので無事そうだ。
犬千代らが出てくると鉄砲隊が先に下がり、犬千代らがそれを追い駆ける。
暫くすると怒りに狂った薩摩・大隅の兵が追い駆けて来た。
犬千代らは脇目も振らず、一本道を駆ける。
だが、敵の鎧は軽装な為か、少しずつ追い付かれそうになっていた。
数も多いので横に広がっている。
スダダダァ~!
スコップから鉄砲に持ち替えた黒鍬・鍬衆の援護射撃が始まった。
「何故、届くのです?」
「織田家の鉄砲はこれが普通だ」
「これが普通だと言うのですか?」
「普通だ」
おらはそう言いながら、300間 (545m)先の敵を平然と撃っているのに驚いていた。
訓練では見せて貰ったが、実際に見るのは初めてだった。
撃って、後ろを開いて、薬莢を変えるだけの最新の後装式小銃か。
撃つ間隔が早過ぎる。
おらの知っている鉄砲隊とは別物だ。
しかも急所は狙わないようにしていると言うのだから恐ろしい。
先に逃げて来た鉄砲隊が加わると、更に鉄砲の弾幕が濃くなった。
歳久殿は顎が下がって上がらなくなっていただ。
弾幕は犬千代の後方のみに集中させた。
だから、左右の敵が随分と迫って来ただが慌てはしない。
長俊殿に抜かりはない。
追い付いたと思った瞬間に馬や人が次々と転び出した。
「藤吉郎様、あれは何ですか?」
「あれは織田家の新兵器の『有刺鉄線』だ。落とし穴を掘る時間が無い時に使うモノだ。あれならば、手軽く陣を守れるだ」
「ですから、あれは何なのですか?」
「う~~~~ん、何だ?」
「唯の鉄の紐の塊です。ですが、触れると痛いので敵が進み難くなります。あれでは鉄砲隊のいい的です」
「そうなのですか」
「後でご覧下さい。藤吉郎様、犬千代様が予定の場所を通り過ぎました」
「ならば、やるだ」
官兵衛殿の指示で導火線に火が付けられると、犬千代の後ろで一本道が爆発した。
余りの大きな音で敵の足も止まる。
鉄砲の撃ち方も止めさせた。
「本当は毛利と尼子の戦いで有名になった『地雷』を用意したかったのですが、手持ちがございませんので、火薬箱で代用致しました」
「あれが地雷ですか」
「地雷擬きでございます」
「恐ろしい武器だ。追っている所を足元から襲われては助からん」
「藤吉郎様、もう宜しいかと」
「判っただ」
おらは大きな拡声器を持って物見台に上がっただ。
「どうだ、織田家の力を思い知ったか。最後に面白いモノを見せてやるだ」
紅い旗が振られると、いつの間にか海岸の際までやって来た二隻の小型帆船が砲撃を始めた。
城山から海岸まで四半里 (1km)もあった。
船が近付けるギリギリまで海岸に寄せると、半里 (2km)を切っていた。
これが1,000石級の帆船ならば、ここまで近付けないのだが、300石帆船だから出来る芸当だ。
砲艦外交で見せる織田家の大砲の飛距離が300間 (545m)だ。
だが、それ以上飛ばないなどと言った記憶もないだ。
追い駆けてきた薩摩・大隅の兵の後ろに着弾する砲弾の爆風に肝を冷やしただろう。
・
・
・
まぁ、まさか。
まるで狙ったかのように無人の物見台や砦の社が壊れてゆく。
「あっ、第二門が崩れる」
歳久殿が声を上げて叫ぶが、その顔は血の気が抜けて青ざめていた。
誰も残っていないので人的な被害は無いだろう。
神業だ。
半里先を100発100中で当てている。
(実際は100発100中ではありません)
そんな芸当ができるのは、織田家では一人しかいない。
大砲の開発責任者で大砲の名手の橋本-一巴様だ。
名護屋浦の防衛に関して助言を得る為にお呼びした。
もう一隻の方に乗っていたのか。
おらはちらりと長俊殿を見た。
『奥の手として、来て頂きました』
にっこりと笑い、そんな感じの目で語っていた。
一巴様がいるかいないかで帆船の価値が変わると言われる。
当たらない大砲を当てる名手なのだ。
無人の物見台や砦が次々と砲撃で壊されれば、それが意図して狙っているのが判るだろう。
半里の距離を『なし(ゼロ)』にする兵器の前では何もできない。
攻めたくとも大砲は船の上だ。
腕に自信のある武将ほど冷や汗を流しただろう。
「官兵衛、もう良い」
再び、紅い旗が振られて砲撃が止んだ。
おらは馬に乗って敵だった兵の中を抜けて進むと、城の中から向こうも出て来た。
義弘達が刀を前に置き捨てて跪いた。
「義弘、良い演習であった」
「演習でございますか?」
「謀反を起こした者とどう戦うかの演習であった。そうだな」
「その通りでございます」
「怪我人も多かろう。早く治療してやれ」
「自らの力を過信して、我等は驕り高ぶっておりました。命を救って頂きました御恩はいつかお返し致します」
「楽しみにしておるだ」
義弘は一度顔を上げてから再び頭を下げた。
こうして、周辺で見ていた薩摩・大隅の武将らにも織田家の恐怖を植え付けて、『城山の陣』は終わっただ。
犬千代の働きで『槍働き』でも一歩も遅れを取っていない事が証明された。
完全に島津家を取り込んだ。
おらはこれ以上にない、上々の成果と思っただ。
5月15日、意気揚々と名護屋浦に戻ると、信照様の名代として白井-胤治様がやって来ており、小一郎を含めて、皆がこっぴどく叱られていた。
胤治様がおら達の代わりに名護屋浦を見ると言う。
「長秀殿、おら達はどうなるだ」
「判らん。期待にそぐわなかったのは間違いない。謝るしかなかろう」
「謝ったら許してくれるか」
「信長様に『次はない』と言われたからな」
「あぁぁぁぁ、官兵衛、どうしてくれる。おらは死にとうない。何とかならんか」
「なりません。それにまだ死罪と決まった訳ではありません。落ち着いて下さい」
「じゃが…………」
「藤吉郎様、城山のように堂々とされれば宜しいと思います」
「できるか。あのときはあのときじゃ」
おらと官兵衛は京に戻される事になっただ。




