36.光秀、余計な画策を巡らす。
(天文22年(1553年)6月15日)
狸のような風貌の赤田-姓が身を乗り出して聞いてくる。
「単刀直入にお聞き申す。浅井は勝てますか?」
「まず、間違いなく負けます」
「何故でございます。朝倉勢2万が駆けつけると噂されておりますぞ」
「朝倉2万が駆けつけようとも、織田魯坊丸様、お一人が参戦すれば、物の数ではありません。利三、そうであったな」
利三は何度も話した京河原の話をその場で聞かせた。
三好の先鋒を橋ごと落とした大仕掛け、火計で大和勢を壊滅させた策謀、そして、手を翳すだけで2万5千を壊滅させた神通力を物語った。
京と熱田を結ぶ街道沿いであり、三好と今川が惨敗した事を皆も良く知っていた。
だから、逆に信憑性が上がってしまう。
利三の中で妄想が拡大し、魯坊丸は神の使徒として扱われており、耳をすませている商人や地元の者まで震えていた。
「魯坊丸様が味方に付いた方が勝ちになる」
「では、浅井は滅ぶのか?」
「魯坊丸様に逆らえば、いずれはそうなるな」
姓が臆病風か、それとも武者震いか、体の震えを止める為に酒を一気に呑み干した。
ぶはぁっと酒臭い息を吐くと、再び目を据えた。
恐れていても向かって行こうとする姿勢は好感が持てる。
「更に尋ねたい。浅井を助ける手立てはないのか?」
「戦えば負ける。しかし、講和で浅井が引けば勝ちが拾える」
「負けるが勝ちと申すのか?」
「末森の織田家では信勝様に側室を頂いたので、浅井家にどの姫をお返しするかと言う話を聞いていた。講和がなれば、織田家の姫が貰えるかもしれないぞ」
十兵衛は全くの嘘を言っている訳ではない。
かつて、この今須を治めていた長江氏の生き残りが織田家の家臣となり、「我が娘を養女として浅井家に嫁がせて下さい」と願い出ていた。
勿論、十兵衛はそんな裏の話をしない。
「織田家の姫を?」
「そうだ。織田家の姫が浅井家に来るかもしれない」
「そんな話があるのですか?」
「末森の家老から聞いている」
「それで浅井家は助かり、京極高広のお命も助かるのですな」
「講和次第だ」
十兵衛は高広の命が助かるとも、どの姫が浅井家に来るかなど、どちらもはっきりと言わない。
だが、姓は泣いていた。
思った以上に京極家に忠義が厚い者が残っているのだと考えを少し改めた。
思っているより京極家の影響力は根深いようだ。
姓も落ち着いてくると織田の姫の話になってゆく。
織田の姫と言って思い浮かべるのは『お市』の名しか出て来ない。
十兵衛はにやりと微笑む。
姓が近江でも噂になっていた『お市の上洛』を語ると、実際に見た利三がそれを補正した。
「天から光が差して美しかったぞ」
「噂通りか、そのお姿を見たかった。羨まし過ぎる」
「ははは、そうであろう」
「そのお市様は信長様、魯坊丸様から大切にされ、お市様の上洛に際しても三好家に護衛を頼む程の念の入りようだ」
「三好が護衛したのは、そういう裏があったのか?」
「そうです」
「そのお市様が近江に来られるのか?」
「織田家から姫を貰えれば、その姫の為に大金を掛けて北近江を良くしてくれるでしょう」
「誠か?」
「織田家は姫を大切にします。嫁いだ先も蔑ろにする事はありません。帰蝶様の例に倣うなら『蝮土』を持って来られるでしょう。六角家の傲慢な要求で一時は損をしても、織田家がもたらす富はそれを補ってくれるに違いありません」
「何故、そう言い切れる」
「最初に言いました。織田家は姫を大切にする。姫に貧しい生活を許す訳もありません。お疑いか?」
「いや、思わん。お市様は帝も公方様も絶賛する程の天女様と聞く」
「ならば、大切にして当然でしょう」
「なるほど」
聞き耳を立てていた周り人達の顔がぱっと明るくなる。
浅井家にお市様が来られれば、浅井家は今より良くなる。
そんな夢が周りに広がった。
諄いようだが、十兵衛はお市が浅井家に来るなどとは言っていない。
納得したが、すぐに姓はちょっと難しそうな顔をした。
講和がまとまれば戦が無くなり、槍働きする場所が無くなってしまう。
だが、負け戦に付き合いたくもない。
「もっと良き話は無いのか?」
「ござらんな」
「無いか。いずれにしろ、決めるのは某ではなく、浅井のお偉い方だ。戦に為れば、槍働きをするだけだ」
「そうでございますか」
姓が話してくれた十兵衛に酒を注いだ。
周りの商人らはお市が近江に来た場合の儲け話が熱心になっていた。
地元の者は戦が回避される事を祈った。
思惑通りと十兵衛は酒を呑んだ。
◇◇◇
十兵衛達は食事が終わって宿に戻ると、日根野-弘就が厠に行った隙を見て、利三が話し掛けてきた。
「十兵衛様、何故あのような話をされたのですか?」
「利政様より、浅井家の家臣が暴発せぬように手を打てと命じられておる。お市様が嫁ぎ、北近江が発展する。尾張のように生活が良くなると思えば、少しは躊躇してくれるかもしれん」
「なるほど、それであのような噂を流すのですな」
「行く先々で広めるつもりだ」
「高政様の命はよろしいので?」
「確かに高政様から浅井家の家臣を煽って謀反を起こせと言われた。だが、利政様の命に叛き、公方様の不評を買うだけの策に付き合う気もない」
「高政様が怒りそうですな」
「十兵衛も無能だった。そう思ってくれればよい」
「確かに」
「最後に魯坊丸様に怒って頂いて、少しは活躍して頂こうかと思った」
「どういう意味ですか?」
「所詮、浅井家の戦は他家の戦だ。織田家は形だけの援軍を送っても参戦すまい」
「まさか?」
「信勝は違うが、魯坊丸様はおそらく北近江の戦などに興味も無いであろう。末森も熱田の落差に驚いた」
「魯坊丸様は日の本も救って下さるのでは?」
十兵衛は首を横に振った。
十兵衛が清州の家来衆と話して知った。
「利三、魯坊丸様は如何に優れていようとも人の形をされておられる。まだ、魯坊丸様の手足となって動ける者が少ない。北近江を落としても、魯坊丸様の教えを広める者がいない。魯坊丸様は無駄を極力嫌われるお方だ。三河への侵攻も自重された。何故、近江の戦いに興味を持たれると思う」
「しかし、民を救うと言う魯坊丸様の崇高な教えを広めるべきではありませんか?」
「実が伴わねば、広まらぬ事をよくお知りなのだ」
「では、我々の意義は何でございますか?」
「下地を作っておく事だ」
「つまり、魯坊丸様の理想を邪魔するであろう坊主共を根絶やしにする事ですな」
「そうだ。それも含めて邪魔する者を刈ってゆく」
「高政様は如何なさいますか?」
「説得は無理だった。理を尽くしてご理解頂けなかった」
「彦六郎様は?」
長い沈黙が起こる。
高政に叛くのは、その師である稲葉-良通と道を分かつ事になる。
利三は魯坊丸の力になりたい。
同時に良通に恩も感じていた。
できれば、説得したいと思っていた。
「私も同じだ。どうやって巧く失敗して高政様を怒らせるような、良い手立ては無いものかと思案している」
「それが何か関係するのですか?」
「彦六郎殿ならば、公方様の不評を買う拙さを理解している。必ず、高政様をお止めする」
「それでも出陣されれば?」
「彦六郎殿も流石に見限るであろう」
「その手立ては?」
「それが無いから悩んでおる」
当然であった。
(稲葉)良通が反対すれば、高政は止まる。
余程、怒らせないと巧くいかない。
そんな都合の良い材料はどこにも無かった。
とにかく、お市の話を近江に流して、血の気の多い者らが躊躇するように時間稼ぎをする。
同時にお市をくれと言う傲慢な浅井家の者に怒って頂く。
「魯坊丸様が怒られれば、力の片鱗を必ず見せて頂けるハズだ」
「あの勇姿が見られるのですな」
「その通りだ。近江の者も魯坊丸様の力を見せ付けられるのだ」
「近江の者らは恐れ慄くでしょうな」
「それが狙いだ」
「あの勇姿がもう一度見られるのであれば協力致しますぞ」
「では、明日から赤田姓のように酒場で質問をしてくれ」
「お市様の噂を広げるのですな」
「そういうことだ」
圧倒的な魯坊丸の力を見せ付ける事で魯坊丸の噂を高める。
魯坊丸に従う者も増やしてゆく。
そして、(六角)義賢を説得して織田家の代官制を奨めてみようと十兵衛は考えていた。
いずれは織田家の法を日ノ本の法に変えてゆく。
下準備は早いほど良い。
勿論、美濃斎藤家でも推奨する。
というか、十兵衛の入れ知恵で孫四郎と喜平次が利政に進言していた。
しかし、家老や領主達の反発は目に見えていた。
利政もその辺りは慎重に事を進めている。
「ともかく、織田家を真似る事で国が富むと訴え、魯坊丸様の考えを広める下準備をしておく。領主の力を奪い取り、いずれは法によって国を治める。そして、順列明らかにして、戦の無い世にする」
「やりましょう。十兵衛様」
二人は魯坊丸を神輿に担いで『天下泰平』の野心を熱く燃えたぎらせていた。
魯坊丸にとって、トコトン迷惑極まりない二人であった。
魯坊丸に天下泰平の夢も無ければ、天下をなだらかにする義務感も持っていない。
ごろごろしたいだけ?
魯坊丸は信勝に蹴られて気持ちよくお休みになっていた。




