35.旅は道連れ、今須宿。
(天文22年(1553年)6月15日)
美濃から東山道(中山道)を西に進む。
揖斐川を渡り、牛屋(大垣)を抜けて垂井の宿に入った。
垂井は美濃国府があった場所である。
南宮神社の門前町もあって大いに栄えていた。
そこで改めて準備をすると、そのまま再び近江に向かって進んだ。
宿の町を出るとそこから山道となり、大海人皇子(後の天武天皇)が兵に桃を配った事から桃配山と呼ばれる山を越えた。
その先は関ヶ原だ。
伊吹山と鈴鹿山脈に挟まれた隘路であり、何も無い野原が広がる。
何度も合戦の舞台となっていた。
多くの河川が集まっており、大雨が降ると、そこが湿地帯に変わる。
東山街道(鎌倉街道)は低地を避けて、一九女の池、井上神社、藤下の若宮八幡神社など南側の山裾を迂回していた。
(江戸時代に整備された中山道や美濃路はほぼ直線です)
浅井軍が攻めてくれば、ここが戦場となるのが必然であった。
また、攻める場合は周辺の城を抑える事から始まる。
「利三、ここが戦場になるかもしれん。良く見ておけよ」
「はい」
「大雨が降れば、地形も変わる。それも想像しておくのだ」
「どのようになるのですか?」
「道が迂回しているのを見れば判る。この一帯の草原が湿原に変わるのだ」
「十兵衛殿は心配性ですな」
「五郎左衛門殿、何事も用心は必要でしょう」
「大雨が降らねば、関係ございません。敵も味方も条件は同じでございます」
「なるほど、そうかもしれませんな」
五郎左衛門に同意しながら、十兵衛は目を怪しく輝かせた。
大雨が上がった後ならば、鉄砲で対岸にて待ち構え、迂回して来る敵を一網打尽にできる。
鉄砲を大量に用意できれば…………の、そんな話だ。
今、説明しても意味が無いので省略した。
関ヶ原を抜けると再び山道に入り、今須峠を越えた。
今須城は運良く美濃斎藤方が抑え続けていた。
だが、南西の松尾山城は坂田郡を治めた堀氏の家老の樋口-直房が入っており、背後を遮断して今須城を陥落させる準備がなされている。
やはり、浅井家は油断できない。
十兵衛一行は今須宿で一泊してから浅井領に入ることにした。
「十兵衛様、明日は愈々小谷ですな」
「私は東山街道に沿って移動し、それから北国街道を上がって小谷城を目指すつもりだ」
「何故、そのような面倒なことを?」
「六角の援軍として向かうならば、その道を通る事になる。下見は必要であろう」
「なるほど」
「五郎左衛門殿も異存はございませんか?」
「好きにしろ。儂は従うだけだ」
日根野-弘就の眼光が厳しく十兵衛を見つめていた。
十兵衛を見張るように命じられているだけのようだ。
道中に関して口を挟まないだけ、ありがたいと思った。
「十兵衛様、浅井-久政は何を考えて六角-義賢様と戦をするつもりになったのですか?」
「元々は京極家の家督争いだ。先代の京極-高清が嫡男の高広を廃嫡し、次男の高吉を据えようとしたのが始まりだ」
「どこも同じような事をしているのですな」
「まったくだ。色々あったが、今は高広が家督を継いでいる。しかし、次男の高吉が六角家を頼って、六角氏の助力で戦となっている」
「家督争いですか?」
「本来は家督争いだが、本当の目的は(六角)義賢の武威を示す事にある」
六角家も先代の定頼が亡くなって家中がざわめいていた。
義賢は自分の力を誇示する為にも浅井攻めを成功させて、家中をまとめる必要になっていたのだ。
京極家の家督争いを都合良く利用した。
「つまり、家中をまとめる為に外に敵を作った訳だ」
「面倒臭い事ですな」
「まったくだ」
(六角)義賢の要求は単純であった。
高広と高吉の首の挿げ替えであった。
それに「はい、判りました」と素直に従えば、今度は浅井家が北近江の国人や豪族衆から見放されてしまう。
絶対に受けられない。
(浅井)久政からすれば、いい迷惑な話だった。
「そこで久政は三好との同盟を思い付いた。元々、六角家から離反するつもりだったのだろう」
「久政も野心家ですな」
「野心家でなければ、京極家と争わん」
「今は傘下に戻っているのですよね」
「六角家の傘下より京極家の方が良いのであろう。高広を神輿に担げば、古参の京極家の家臣が浅井家に付き従ってくれる」
「京極家は慕われているのですね」
「京極が慕われているのではない。六角家が嫌われているのだ」
六角家は家臣を城下に住まわせようとした。
また、『楽市』などを開いて商人を優遇した。
領主からすれば、住む場所を強制され、関所の利権に横槍を入れる行為であった。
その先進的な六角家のやり方に反発も大きかったのだ。
(浅井)久政は離反し、三好家と同盟を結んで六角家を挟撃する形を取った。
これで六角家は大津に兵を残さなければならない。
浅井家を攻める六角の兵の数を制限する事に成功した。
「しかし、(六角)義賢様も馬鹿ではなかった訳ですね」
「そうだ、斎藤家と和睦をした」
こうして、六角家と斎藤家で浅井家を逆挟撃の形を取った。
こういった駆け引きで家中がまとまり出した。
(六角)義賢は六角家中を1つにするのに成功した訳だ。
後は武勲の1つでも手に入れば十分だろう。
「織田家はもっと先進的だ。守護代を中心に権力を集めている。完成すれば、領主の機嫌を気にする事もなくなる」
「織田家も二つに割れているようですが?」
「あれは擬態だ。末森は信勝を当主としていたが、家老らは魯坊丸様の方を向いている。末森を掌握しているのは魯坊丸様だ」
「おぉ、流石ですな」
「織田家は清州の信長様と魯坊丸様の二頭体制であるが、互いに共闘しておる」
「しかし、信長様は魯坊丸様に何の憂いもないのですか?」
「信長様も器が大きい。先見の明がある。いずれは魯坊丸様に守護代の地位をお譲りになると見た」
「なんと、誠ですか?」
「私の推論だが、魯坊丸様は帝や公方様の覚えが目出度い。いずれは在京守護代になられると踏んでいると見た。そうなれば、尾張を取り仕切るのは信長様になる。名を魯坊丸様に譲り、実を信長様が取る」
「目からウロコでございます」
「魯坊丸様と敵対せずに、巧く利用する事を考えておられた」
尾張では信長の『悪童』自慢は割と有名であった。
魯坊丸の腹黒さを信長が自慢するのだ。
それに元関白の近衛-稙家が同意するのが、清洲会議の名物の1つだ。
「あれも悪童が作った物です」
「魯坊丸は面白い小僧だのぉ」
「好き勝手やってくれます」
「それでこそ魯坊丸だ」
「しかし、稙家様には敵いません」
「ほほほ、信長は煽てるのが上手だな」
美濃斎藤家の代表として明智-光安が出席して、十兵衛に伝えていた。そして、十兵衛も視察団として5月の中頃から清洲に入って、信長から何度も『悪童』自慢を聞かされていた。
悔しそうに語る信長は魯坊丸の先見性を認めていた。
「高政様ももう少し頭が柔らかければよかったのに」
「まったくです」
「魯坊丸様と手を取り合えば、家督も譲ると言われておるのだ」
「そうなのでございますか?」
「あぁ、そうだ。我慢して付き合えばよいのに、ケツの穴の小さい事だ」
「十兵衛殿、主家筋に対して無礼でございますぞ」
「五郎左衛門殿、太鼓持ちになって機嫌ばかり取るのが家臣の役目ではございません。耳の痛い忠告こそ、忠臣の証と私は考えます」
「高政様は家臣の意見によく耳を貸します」
「心地よい意見ばかり聞いていてはならないと申し上げております。利政様もそれを苦慮されているのです」
「十兵衛殿は敵を高く評価し過ぎではないですか?」
「一度、清洲と熱田に行って来られれば判ります。織田家の力を見誤れば、斎藤家も危ないと言う事にお気付きになられるでしょう」
宿屋の隣の酒場で飯を食いながらそんな話をしていれば、周りの者は聞き耳を立てていた。
皆、情勢が気になっていた。
「あの席の御武家様は斎藤家の家臣だな」
「おそらく、そうだ」
「先程、小谷と言っておったぞ」
「でも、やはり」
「斎藤家も六角家と足並みを揃えると言うことだろう」
織田家と三好家が京で戦を始めると浅井家は関所を一度締めた。
公方様が織田家と一緒に近江に逃げてくれば、三好家がそれを追撃するかもしれない。
六角家が援軍を送れば、その背後を浅井家が襲うつもりで準備を行った。
しかし、結局は何も起こらなかった。
六角家と浅井家の講和の話が上がると浅井家は関所を再び開いた。
街道沿いの宿場は戦になるか、ならないかで大違いである。
皆、その事を気にしていた。
「ちょっと、ごめんよ」
狸のような丸い体をした男が酒の入った土瓶を持って間を抜けてゆく。
ダン!
十兵衛達が座っている食卓の上に酒の入った土瓶が置かれた。
「斎藤家の家臣とお見受けします。よろしければ、その話をゆっくり聞かせて貰えませんか?」
「そこもとは?」
「赤田-隼人正-隆が孫の姓と申します。お初にお目に掛かります」
「斎藤家が家臣、明智十兵衛と申します」
「某は浪人とお思い下さい。我が父は六角が有利なので六角に従うつもりのようですが、京極家の被官であった我が家としては恥ずかしい。某一人でも浅井家に味方しようと思っておりました」
「浅井に付く気ですか?」
「はい、恩を果たさねばなりません。まずは美濃を偵察に行こうと思いましたが、そこもとの話の方が面白そうでございませんか」
「変わった話はできんぞ」
「口のきくまま、酒の肴、そこもとのご都合もございましょうが、酔いに任せて、好きに喋って下さいませんか?」
「ならば、馳走になろう」
「やはり、話が判る方だったか」
とある乱入者の登場で十兵衛も1つの策が思い付いた。
「さて、何が聞きたい?」
「まずは、浅井が勝てるかどうかを」
十兵衛は猪口を差し出すと、姓が酒をくべる。
その酒をぐっと呑んだ。
「で、何から話そうか?」




