34.利政(道三)に叱られた高政。
(天文22年(1553年)6月14日)
障子の隙間から日の光が差し込み、その光で十兵衛は目を覚ました。
昨晩は報告会と言う名の酒会に付き合わされた。
織田家の凄さを説くと年寄達は渋い顔をするが、その息子らは新しい武器や道具に興味を示した。
特に利三の京河原の合戦の話に食い付いた。
朝近くまで呑んでいたので、完全な寝不足だ。
ばたん、十兵衛に与えられた部屋の襖が勢いよく開く。
「十兵衛、何故、昨日の内にやって来ない」
寝込みを襲われて胸元を掴まれて強引に起こされる。
「申し訳ございません。彦六郎様(稲葉-良通)に捕まり、利政様(道三)の会見の後に酒会に放り込まれました」
「抜け出して来い。時間を空けて待っておったのだぞ」
十兵衛と高政は年が近い為か、何かと面倒事を申し付けてくる。
馬鹿ではあるが、無能ではない。
母譲りで体が大きく、ガキ大将としては優秀だった。
戦でも先陣を切る勇気を持っており、槍、刀の腕は割と筋が良い。
腕は十兵衛より遥かに良かった。
その武を叔父に当たる彦六郎も気に入っていた。
だが、学が無い。
教養はさっぱり、軍学もできない。
利政の血を本当に引いているのかと言うくらい、頭が悪かった。
本人も学が無い事を承知しているのか、家臣の話をよく聞く。
全てを一人で決めてしまう利政より、家臣団から好感を持たれているのは確かだった。
「すぐに来い。誰かに捕まったら許さんぞ」
そのデカい声に熟睡していた利三も目を覚ましていた。
利三が首を横に振っている。
「使いも出さずに自らやってきますか?」
「頭より先に体が動いてしまうのだ」
「守るべき大将としてはどうでしょうか?」
「先陣を切る大将がいてもおかしくはない。年寄の話を聞くので受けも良いぞ」
年寄達は織田家を良く思っていない。
つい先日まで尾張の中の小領主に過ぎない弾正忠家とタカをくくっていたので自分らより下に見ている。
「三好、今川という名だたる強敵を軽くあしらった織田家の実力が見えていないのですか?」
「飛び道具を使うなど、卑怯千万とでも思っているのだ」
「自分らも弓を使っているではないですか?」
「弓は武士の嗜み、投石や火薬は邪道だと思っておる」
「頭の固い連中だ」
十兵衛らは顔を洗うと身だしなみを整えて高政の部屋に移動した。
部屋に近江の方も待っていた。
ほれ、さっさと出せと言わんばかりに催促されて、阿久姫からの手紙を取り出した。
それを差し出すと、近江の方は自分の手紙だけ取った。
それを読んで頷いた。
「十兵衛を残して、席を立て」
近江の方、そして、高政の側近らも席を立った。
高政は手紙の入れ物からもう一通の手紙を取り出した。
「中身は存じておるか?」
「おおよそは。ただ、細かい事は聞いておりません」
「そうか」
手紙の内容は、高政の援軍要請に応えて、末森の兵3,000人、騎馬100騎、鉄砲100丁、火薬玉を少々持参すると言う内容であった。
「信勝殿は話がよう判る御仁でよかった」
「策がなり、おめでとうございます」
「彦六郎と考えた通りになったな」
「まったく、その通りでございます」
高政に入れ知恵をしたのは彦六郎であった。
弾正忠家の当主である信勝は出し抜かれた形で守護代の地位を信長に奪われた。
主従が入れ替わったのだ。
それを快く思っていないと彦六郎が言った。
そこから信勝の籠絡が始まった。
彦六郎は美濃守護の土岐家を思い描いたのであろう。
美濃守護である土岐-政房には、嫡男の頼武と次男の頼芸がおり、政房は次男の頼芸を守護にしようとした。
次期守護と思っていた嫡男の頼武はびっくりだ。
一番びっくりしたのは、守護代の斎藤-利良であった。
頼武を中心に作ってきた人脈が全てご破算になってしまう。
当然、猛反対した。
そこに登場したのが、小守護代の長井-長弘であった。
守護[土岐-政房]、次男[頼芸]、小守護代[長井長弘]
VS
嫡男[頼武]、守護代[斎藤利良]
紆余曲折の末、頼武は朝倉に逃亡、守護代の斎藤利良は失墜して権威を失った。
そこで台頭したのが長井長弘であった。
しかし、その長弘は頼芸と仲違いしたのか、朝倉に逃亡した頼武と連絡を取り合ったとして、頼芸が上意討ちの命を出した。
斎藤-利政(道三)は頼芸の家来として尽くしていたのか、頼芸の側室である深芳野を貰うほど可愛がられていた。
そして、上意討ちを実行したのが利政であり、これによって利政は守護代まで地位をのし上がったのだ。
斎藤利良 → 長井長弘→ 斎藤利政
長弘の家来でしかなかったのに巧くやった。
全て、利政の謀略だったと言われるのも仕方ない。
しかし、十兵衛は思う。
その守護自らが争って国を乱した。
何という愚かな行為だ。
武家の棟梁は公方様だ。
その公方様が家臣の管領の細川家の抗争に巻き込まれて京を追われた。
今ではその被官である三好家に軽んじられている。
世も末だ。
公方様を措いて誰が天下をなだらかにする。
誰が民の安寧を齎す。
誰が帝を御守りするのだ。
土岐家の家督争いに乗じてのし上がる利政を十兵衛はその眼に刻んだ。
十兵衛に物心が付いた頃であった。
世を乱した利政が嫌いだ。
公方様は世をなだらかにできず、公方様をお守りするべき管領や守護などが世を乱し、その家臣がそれに乗じて下剋上を実現する。
言葉もない。
『では、どうすればよいのか?』
十兵衛はその争いの中で父を失った。
多くの者が死に行くのを見送った。
織田家と和睦した頃から争いの数が減っていった。
十兵衛は利政が嫌いであったが、国をなだらかにする為ならば力を貸すつもりだった。
そして、利政の治世を高く評価した。
だが、1つの懸念が沸いてきた。
織田弾正忠家だ。
信長の父である信秀の死から織田家は分裂して争い始めた。
事もあろうに家臣筋の弾正忠家が守護代を襲った。
末世と言えば、許されるのだろうか?
否だ。
だが、利政は同盟という理由で弾正忠家を許した。
主家を襲うような家を許せば、いずれは美濃に襲い掛かってくる。
十兵衛は主戦を唱える高政に賛同した。
そして、利政に陳情したのだ。
「これが新しき『蝮土』の改良をまとめた冊子でございます。そして、先日の織田家の新兵器の概要でございます」
「でかした。褒めて遣わす」
「利政様」
「どうした?」
「織田家の新兵器を調べて1つ判りました。材料の硝酸は南蛮人より買うしか手に入りません。どのように手に入れたのかは知りませんが、織田家の財力も無限ではありません。今ならば、織田家の新兵器は使い果たしており、ほとんどございません」
「何が言いたい?」
「今をおいて織田家を倒せる時はございません」
「ははは、出来るくらいならば、やっておる」
十兵衛は『新蝮土』の手柄として、『蝮土』の技術が魯坊丸から齎された事を聞かされた。
その目で織田家を見て来いと言われて、視察団の団長に指名された。
そして、十兵衛は考えを改めた。
熱田こそ、十兵衛の理想があった。
信長は朝廷や幕府を重んじる性格であり、無下に下剋上を行う者でなかった。
織田家はそれをゆっくりと広めるつもりであることを知った。
十兵衛は一時帰国して高政を説得した。
しかし、出てくる答えは真逆であった。
「高政様、出し抜かれた信勝を利用できるかもしれません」
「彦六郎、どのような策だ」
彦六郎は言う。
織田弾正忠家の家督争いも土岐家と似ている。
父の信秀が亡くなり、嫡男の信長を差し置いて、次男の信勝が家督を継いだ。
それに対して、信長が巻き返した。
信勝がこのまま黙っている訳がない。
十兵衛は高政の命で近江の方と阿久姫の手紙のやり取りを手伝わされた。
視察団の空いた日を使って、美濃に帰ると高政を説得した。
高政は家臣の意見を聞くだけの度量はある。
だが、それは十兵衛のみの意見を聞くと言う意味ではない。
一度は説得できても、次に戻ると元に戻っていた。
所詮、十兵衛は家臣の一人でしかない。
彦六郎のような家老らの意見の方を重視する。
帰る度に頑なになっていた。
十兵衛は意を決して、『蝮土』の秘密を漏らした。
他言無用の禁を破った。
だが、同じであった。
頭の固い年寄らを説得し、美濃の体制を変えぬ限り、高政の意見は変わらぬ。
土地の管理を代官に任せ、関所も一箇所にまとめる。
領主としての権限が大幅に減る。
尾張もそれに賛同する領主は少ない。
だから、実力で排除した。
清洲の織田大和守を力で捻じ伏せた。
やはり、利政と同じく実力を行使せねばならんのか。
そのとき、十兵衛は高政を見限ったのであった。
「俺が美濃の国主になった暁には、信勝の後ろ盾になってやると言ったら、飛び付いてきたぞ」
「ご慧眼、感服いたしました」
「ははは。知恵者の十兵衛に言って貰うとこそばゆいな。新しい『新蝮土』の技術と交換で、『火薬玉』を売ってくれると申してくれた。その後は判っておるな」
「火薬玉を分解し、美濃でも作れるように致します」
「よろしく頼む」
高政は思う通りに事が進んで実に嬉しそうだ。
全て彦六郎の入れ知恵だが家臣の話を聞くだけ、利政より好かれている。
十兵衛は心の中で舌を出しながら高政を褒め称えた。
愚かな。
織田家の凄さは火薬玉ではなく、その材料をどこからか手に入れていることだ。
鉄砲と火薬の量が比較にならない。
堺を経由してか、土佐一条家を介してか?
作り方を知っても材料が手に入らないなら意味をなさない。
高政にそれを言えば、どこかで仕入れて来いと言うだけだ。
馬鹿らしくて意見する気にもならない。
「それより聞け!」
「如何致しましたか?」
「父上に例の件を問い質した」
美濃で作っている『蝮土』を織田の間者が作っているという話だ。
高政は利政に怒鳴りこみ、敵国の間者など根絶やしにしろと進言した。
『愚かもの!』
利政の扇子で一撃を受け、そのまま怒られて部屋を追い出されたようだ。
「誰かに相談致しましたか?」
「事が事ゆえに、軽々しく相談もできない」
高政にしては冷静な判断だったと十兵衛は思った。
自分で考えて意見したらしい。
誰かれなく相談しなかったのは正解だ。
脳筋の武将に相談すれば、利政に相談するより先に手勢を連れて襲い掛かっていたであろう。
そして、勝ち誇って城に帰って来た所を捕えられる。
それで高政の廃嫡が決まっていたのに残念だ。
「何故、父上は俺を叱った? どうしてだ? 敵を叩くだけだろう」
「敵は敵でも同盟国でございます。安全を保障した間者を傷つけたとなれば、織田家が怒り狂い、美濃に攻めて参ります」
「返り討ちにすればよい」
「いいえ、無理でございます」
「何故だ!」
「三好と今川を軽くあしらった織田家と戦うとなれば、織田贔屓の家臣らはすべて寝返って、敵になってしまいます」
「誠か?」
「織田家と戦う前に、同胞の美濃勢と戦うことになります。そして、疲弊した所に織田家が攻めてきます」
「卑怯であろう」
「織田家が卑怯なのは今に始まった事でありません。彦六郎様も常々と織田は卑怯だと言っているではありませんか。卑怯な上に強いのです。こちらも信勝様を味方に付けなければ、勝ち目がありません」
「そうか、それで父上が怒ったのだな」
「さて、どうされますか? 織田家の間者の根城を襲いますか?」
「…………」
「どうされますか?」
「…………しばらく、放置する」
「それがよろしいと思います」
「十兵衛、お前は時に怖い事を言うな」
「申し訳ございません。殿からもよく叱られます」
「お前も叱られるか?」
「はい」
「そうか、ははは」
仲間を見つけたように高政は喜んだ。
十兵衛は頭を下げて平伏する。
笑うだけ笑った。
そして、どがっと腰かけて耳打ちをしてくる。
「所で、伊香郡の東野-是成が謀反に賛同しながら、今更に及び腰になっておる」
「公方様が仲介に乗り出した為でございます」
「公方め、余計な事をする」
「交渉を待つのが得策かと思います」
「待てん。それでは六角が戦の準備を終えてしまう。こちらはすぐにでも戦ができる。浅井家の準備が整わぬ内に倒したい。何としても東野家には謀反を起こして貰わねばならん」
「如何にして?」
「それを考えるのがお前だ」
「私ですか?」
「美濃一番の知恵者であろう」
高政は立ち上がると、五郎左衛門(日根野-弘就)を呼んだ。
目付け役に五郎左衛門が選ばれたらしい。
しかもすぐに旅立てと言う。
近江の方の手紙が準備されていた。
彦六郎の顔がチラついた。
美濃で織田家の強さを吹聴させるつもりがないようだ。
やれやれだ。
「十兵衛、しかと命じたぞ」
「自信はございませんが、努力致します」
「努力などいらん。謀反を起こさせろ」
利政も高政も相手を思わず、好き勝手に命令を下してくれる。
そんな所だけは親子だと十兵衛は思った。
そして、休む間も無く、近江に追い出された。
「十兵衛様」
「策が思い付かん。ゆるりと行こう」
「判りました」
「五郎左衛門、問題は無いな」
「某の事は気になさらず」
美濃で親織田派と反織田派の対立が静かに進んでいた。
その頃、魯坊丸は那古野城で明日に控えた末森評定の準備に忙しく、最後に確認を行っていた。
疲れが貯まっていたのか、少し熱っぽいので千代女が心配して評定前日の宴の欠席を決める。
そして、早く寝かした。
寝かせた。
早目に寝かした魯坊丸だったが夜中に目が覚めた。
途中だった製図が気になったようだ。
気になると止まらない。
魯坊丸は起き出すと最後の仕上げと頑張った。
頑張った。
頑張り過ぎた。
翌朝、最悪の寝不足で目に隈を作って、不機嫌そうな顔で末森城に登城し、信勝と魯坊丸の大騒ぎになるのだが、近江に旅立った十兵衛がそのことを知るのは少し後になる。




