33.光秀も利政(道三)に叱られる。
(天文22年(1553年)6月13日)
金華山の頂上に建てられた稲葉山城は難攻不落の名城の1つである。
後に『美濃を制すものは天下を制す』などと言われる。
この時代ではそこまで重要視されていなかった。
そんな格言があったならば、信濃諏訪を取った武田晴信が北信濃を目指さずに東美濃から美濃を狙っていたに違いない。
そもそも六角家や朝倉家が放置していない。
天下を制する者は『京』を制した者であり、『美濃』ではない。
もちろん、『不破の関』は天下の関の1つだ。
美濃斎藤家が一目置かれるのはその為である。
光秀が利政(後の道三)に謁見すると、利三を紹介する。
すると、「斎藤家の者か、励め」と言うだけで、あまり興味もない素振りを見せた。
しかし、水面下では正室に利政の娘、側室に稲葉-良通(後の一鉄)の娘の話が早速上がっている。
幕府政所代の蜷川家を親族に持ち、奉公衆の石谷家に兄を持つサラブレッドに興味がない訳がない。
表情に表さないだけで取り込む気が満々であった。
「十兵衛、お前のせいで高政がカンカンに怒って乗り込んで来たぞ。何故、言った?」
「尾張に視察団として入って考えが少し変わりました。高政様には現実を見て頂かなければ危のうございます」
「それで(次男)孫四郎と(3男)喜平次も焚き付けたのか?」
「はい、お二人とも織田家を注意深く観察され、積極的に織田の家老方々にも声を掛けられました。織田家の凄さもご理解頂けたようで有意義な会談となりました」
「そちらは承知している。二人は帰ってくるなり、美濃の改革をあれこれ言いおった」
「織田家は家臣筋まで、5年先、10年先を見据えて動いております。今のままでは追い付けません」
利政が不機嫌そうな顔で目線を外すと庭の方を見た。
そんなこと気付いておるわ。
織田家との差を察せない利政ではない。
だから、魯坊丸の側近に家臣の小倅を付けるように命じた。
ただ、報告を見て予想よりかなり先を行かれてる事を知ってうんざりとしていた。
正徳寺の会見で信長の器量も判った。
帰蝶が惚れ込む訳だ。
戦では信秀に勝ったが、子育てでは完全に負けたと思い知らされた。
だが、蝮は蝮だ。
このまま終わるつもりはない。
そう思っている矢先に高政に美濃の現状を教えて、光秀は家中を騒がした。
もちろん、光秀の思惑を察せられない利政ではない。
「もう承知と思いますが、敢えて言わせて頂きます。織田信秀殿は享年41歳でお亡くなりになりました。殿は59歳でございます。もし、殿に何かあれば、今のままでは斎藤家は終わります」
「だから、高政に現実を教えろと言うのだな」
「高政様だけではございません。早急に美濃家臣団にこの差を知らせねばなりません。武力のみで勝敗を決する時期は終わったのです」
ちぃっと利政は舌を打った。
判っているが、それをずばりと言われると腹が立つ。
光秀は有能だが遠慮がない所が玉に瑕であった。
「高政の自信は何だ?」
「織田信勝は阿呆でございました。近江の方から預かった手紙をその場で読んで、その場で返事を頂きました」
2日前 (6月11日)の事だ。
孫四郎と喜平次を見送った光秀は末森城の阿久姫に近江の方からの手紙を届けた。
その中には高政から信勝への手紙も同封されていたのだ。
阿久姫は高政の手紙を抜き取って信勝に渡した。
隠す気がないと言うのは考えものだ。
信勝はその手紙を読むと、その場で兵3,000人の援軍を約束した。
はぁ?
その話を聞いた利政が肘掛けからずり落ちた。
「待て! 清洲会議で信勝は浅井家の嫁を貰ったのだろう?」
「はい、その通りでございます。使者が信長、信勝、魯坊丸の三人に嫁を送ると言いましたが、信長様、魯坊丸様はその場でお断りになりました。信勝は六角・斎藤連合の浅井攻めを知らなかったようで承知されました。魯坊丸様が機転を利かし、公方様立会いの講和を受けることを条件にあげてお断りになりました」
「(浅井)久政はそれを逆手にとって、阿久姫を織田に送り付けてから承知したと言った。魯坊丸も一本取られた訳だ」
「久政が魯坊丸様の斜め上を行きました。仕方なかったようで魯坊丸様は公方様に頼んで、今月初めから六角家と浅井家の講和の談議が行われております」
魯坊丸は講和を取り付ける為に公方様に借りを1つ作った。
年内中に朽木に訪れることを約束させられた。
いい迷惑であった。
しかし、講和で六角家と浅井家との騒動が収まれば、魯坊丸は六角家の援軍に行く必要がなくなる。
まとまれば、悪い話ではないと妥協した。
さて、講和が始まった。
六角家は嫡男の猿夜叉丸を人質に出すこと、街道と湊の使用権を譲渡すること、関所と湊に六角の兵を配置することの3つを上げた。
しかも関所は街道の三か所のみ、それ以外は廃止する。
おおよそ、浅井家が飲めない条件を提示していた。
「(浅井)久政は織田家との婚姻で援軍を封じた事で良しとしたのだろう」
「六角家も承知しており、講和の席に付く条件として、講和が不備に終わった場合は、公方様の命で魯坊丸様を六角家の援軍に寄越すようになっております」
「浅井が承知すまい」
「はい、ですから浅井も条件を付けました。少なくとも六角家から席を蹴ると魯坊丸様の参戦ができません」
「どちらも似たり寄ったりか?」
「しかし、織田家の援軍は輿入れされた阿久姫が後押しされております」
「浅井の姫が?」
「近江の方も高政様の背中を押しております」
「浅井家の女共はどうなっておるのだ?」
そう言ってから近江の方の顔を思い浮かべる。
はぁっと利政が息を吐いた。
高政の正室である近江の方も実家と戦になるというのに浅井家に戻らず、むしろ斎藤家を応援する為に浅井家から斎藤家に寝返らせる書状を書いて協力していた。
久政を見限っているとしか思えない。
高政と同じく、利政も近江の方の協力を利用した。
その時のやる気に満ちた近江の方を思い出した。
「近江の方は寝返らせた方が親族や知り合いの被害が少なく済むと考えられておられるようです」
「時節を見極められない久政への叛旗か」
「おそらく、そうかと」
利政と光秀の見解は正しい。
しかし、久政を責めるのは酷であった。
少なくとも4月16日まで三好-長慶が有利に進めていた。
久政の判断は間違っていなかったのだ。
父の定頼を失った六角-義賢は家中をまとめるのに苦労しており、浅井家と三好家は挟撃するハズであった。
朝倉家は公方様と三好が和議に至っているので、簡単に動かない。
動くとすれば、若狭武田家のみであった。
しかし、(六角)義賢は美濃斎藤家と和睦して、逆の挟撃体制を取った。
この時点でも互角だ。
浅井家は六角家の攻撃を耐えるだけで、背後から三好家が襲い掛かる。
そこで反転して、斎藤家と対峙することができる。
兵力差は三好家が圧倒的に有利だ。
また、浅井家は攻めて来た斎藤家を狭い峠で待ち受ける事も、引き入れて包囲殲滅する事もできる。
選択肢は浅井家にあるハズであった。
十分に勝算があったハズだ。
しかし、『知恩院・東山霊山城の戦い』でひっくり返った。
魯坊丸が2万5千人の三好の大軍を壊滅させ、三好家は六角家を攻めるだけの兵力を失った。
浅井家は六角・斎藤連合の攻撃に耐えないといけない。
だが、まだ大丈夫だ。
物生山(彦根から米原に掛けて佐和山城があった場所)の脇を通る北国街道は狭くなっている。
街道の出口になる今井氏が六角家から浅井家に寝返ってくれているので、六角家は大軍の利が生かせない。
また、不破の関に続く峠道も狭い。
浅井家は少数で美濃斎藤家の大軍を抑えることができる。
不安要因の織田家を婚姻で封じた。
(浅井)久政は一戦して講和に持ち込むくらいはできる。
戦に勝てば、有利な条件で講和できると考えていた。
浅井家の家臣団も概ねそんな感じだった。
「光秀、高政は何を考えている」
「この戦で武功を上げて、家督指名を貰うつもりでしょう」
「魯坊丸に頭を下げれば、いつでもやるわ」
「それが嫌なようです。信勝と謀って、魯坊丸様と信長様を排除するつもりのようです」
「できるならば、儂がやっておるわ」
光秀も頷く。
信長と魯坊丸の諜報力は凄まじい。
安っぽい策謀に嵌る訳もない。
利政はもう良いとばかりに話を変えた。
「浅井攻めの高政の策は何か?」
「東野家の叛旗を急かし、浅井勢を北に引き出した所で奇襲を掛けて、坂田郡の半分と浅井郡、伊香郡を奪うつもりでございます」
「阿呆か、その後に六角と揉めるわ」
利政は伊吹山の麓と浅井郡と伊香郡が手に入るのが理想と考えている。
塩津湊が手に入れば上々であり、塩津湊へ続く裏街道、不破から藤川・伊部を通って木之本に抜ける北国脇往還を貰いたい。
つまり、裏街道と木之本を含む伊香郡だけは貰いたい。
高政に比べると、控えめな願いである。
「敦賀へ続く道で六角領を通らずに交易ができますな」
「それが狙いよ。更に言うならば、六角領を通らずに京に行く道が開ける。これが大きい」
「六角家が不当に税を課せば、斎藤家は近淡海の舟を使わずに、京に物資を運ぶ道ができるのですな」
「そうよ。六角家と揉めるつもりはないが、下手に出るつもりもない。その為には伊香郡だけは欲しい」
「大丈夫でございます。六角家も朝倉家と直接に国境を持ちたいと思いません。裏街道と伊香郡のみならば、十分に応じてくれるでしょう。ただ、塩津湊は微妙な所でございます」
「だろうな」
塩津湊は越前の敦賀と結ぶ湊であり、ここを掌握する為に戦を仕掛けている感があった。
ここを斎藤家に譲るかは微妙である。
利政からすれば、近淡海の交易にも一枚絡みたいだけであり、絶対に必要な訳でもない。
湊だけならば、六角家に譲ることができた。
「義賢は六角家の強さを威風堂々と知らしめる為の戦だ。奇襲など以ての外。後々の統治を考えれば、お互いに収穫を終えてから戦をした方が統治もやり易い。判るな、光秀」
「承知致しました。東野家、および、他の浅井家の家臣が暴発せぬように手を打ちます」
「高政に勝手に知らせた罰だ。失敗は許さん」
「お任せ下さい」
どうやら光秀の描いた高政排除までは認めてくれないらしい。
蝮も人の親なのだろうか?
思惑を察しながら光秀を処分しない利政の温情なのだろうか?
いずれにしても、らしくない。
利政が何を考えているのか判らないと言う結論に光秀は達する。
さて、命じられた事をするしかない。
六角と浅井の講和が終わるまでの遅延策をどうするか?
光秀は考え始めた。




