30.信長、やってしまう。(阿呆ですか?)
(天文22年(1553年)7月8日)
ぷん、ぷん、ぷん、魯坊丸は昨日から不機嫌だった。
清州からお呼び出しが掛かった。
俺はド〇〇もんじゃない。
川流しの祭事で人目もはばからず、ぷぅっとほっぺたを膨らませている。
可愛い顔を不細工にしているのだが、きゃあとお姉さんらから悲鳴が上がる。
ほっぺたを膨らませたそんな変な顔も愛らしいと喜んでいる変なお姉さん達もいた。
どんなに可愛らしくとも完璧より、弱みを見せた人間の方が親近感を生むのかもしれない。
そんなものかな?
一方、迷信深いご老人らは俺が不機嫌になると禍が降り掛かるのではないかと心配する者もいて、その場で跪いて祈り出す。
う~ん、複雑。
俺は須佐之男命じゃないから天罰は出せませんよ。
どんより曇っているのは俺のせいじゃない。
焚火に火が付けられ、古い紙と木の札が燃え上がった。
かしこみ、かしこみ、俺は祝詞を読み上げてゆく。
最後にかさかさかさと『大麻』を振るとお市達が神社の笹を川に流し、町の人が順次流して行く。
「さぁ、一緒に流すのじゃ」
「せいのだからね。先に流しちゃ駄目よ」
「判っておるのじゃ」
「お栄ちゃんも足を滑らせないでね」
「うん、気を付ける」
「せいの」
この三人を見ていると廃れた心も少し和むな。
言いだしっぺの俺が逃げ出す訳も行かずに川流しの祭事を終わらせるまで頑張りました。
念の為に言うと川下で漁師たちが一度回収し、燃やしてから海に捨て直す。
海洋汚染はしないぞ。
◇◇◇
清洲の呼び出しの理由は判っている。
清洲に野口-政利と、お伴に蜂屋-頼隆、青山-藤六が戻って来たと報告があったからだ。
覚えていないかもしれないから改めて説明すると、野口政利は平手-政秀の弟で、京で内藤-勝介の知恵袋をやっていた者だ。
京で織田家の取次役を仰せつかっている。
一度、朽木に避難したが、10日後には京に戻って朝廷や幕府の間を取り持っている。
その助手として、外交官候補の20人も朽木に避難した後に京に戻った。
蜂屋と青山はその20人の中の二人だ。
予定通り、公家様や幕府衆に預けて人脈を広げる。
そのつもりだったのだが、幕府の奉公衆が戻っていない。
10人は予定通りに公家様の世話になった。
残る10人は幕府政所執事伊勢-貞孝と政所代の蜷川-親世の世話になった?
ちょっと違うか。
家来のように扱き使われている。
幕府の仕事は朝廷への取次と様々な裁判である。
朝廷への取次は奉公衆が行い、裁判は政所で取り仕切っている。
政所執事らは京に残っているので裁判方は問題なく機能していた。
しかし、取次は機能不全に陥っていたのだ。
奉公衆の全員が朽木に居るので当然である。
例えば、親が亡くなると官位が消える。
息子は親の官位を引き継ぐ為に朝廷に献金して官位を賜る。
献金の額は30貫文から200貫文と様々だったらしい。
これが日常として行われる。
幕府奉公衆の大切なお仕事であり、日常的に取次が行われた。
しかし、その奉公衆が朽木にいる。
要望を承った者が手紙を持って京と朽木を往復している。
ウチの10人も手伝っている。
そうだ、朝廷への取次の申し出がある度にその手紙を持って朽木に走る。そして、奉公衆が受け取って返書を書く。その手紙を預かって公家に連絡を取る。
そこから挨拶、紹介、お礼、内示、返礼、面会、お礼、返礼等々と形式に則って取次を進められる。
その度に京と朽木を往復だ。
いっその事、政所が取次もやればいいと思うが奉公衆の権益を犯すことになり、形式を重んじる(伊勢)貞孝がやりたがらない。
京と朽木を往復すると二日も掛かる。
京に奉公衆がいれば、その日で終わるのに、余計に二日も掛かるようになった。
不毛だ。無駄だ。馬鹿か?
さらに大大名が割り込んで急ぎも出てくる。
手が足りなくなって、公家に預けた10人も借り出されているらしい。
それでも政所の家来筋とウチの20人で間に合うハズがない。
皆、大忙しだ。
幸運な事は人脈が急激に広がっていることくらいだろう。
「若様は公方様に奉公衆の半分を京に戻すように提案されたハズです」
「公方様なりの嫌がらせのつもりなのだろう」
「朝廷も我慢しているのでしょう」
「一応、迷惑料として献金させておいたからな」
官位を授けるのは朝廷の大きな収入源だ。
取次が巧くいかないと朝廷も収入が減る。
公方様が京を離れると取次が滞る。
その不満は三好家への怒りとなる。
「三好家を困らせているつもりなのだろうが、半分は自分の首を絞めているぞ」
「公方様はそれをご承知でいらっしゃらないのですね」
「幕府の伝統みたいなものさ。所謂、朝廷軽視だ」
「愚かな事です」
「自分の足元を掘れば、土台も揺らぐのも当然だ」
さて、財政的に困った朝廷がどこまで我慢できるのか?
いずれは京を治めている武将を頼るしかない。
つまり、嫌っている三好家と和解する。
そして、奉公衆の代行をするようになり、越権行為を許す事になる。
負けて京を逃げた訳じゃないから、半分の奉公衆を京に戻せばいいのに。
「前回(天文19年)、朽木に逃亡した時は京に残った奉公衆も多くいたそうです」
「はぁ? どういうことだ」
「おそらくは公方様を気遣って、戻るに戻れないのではないでしょう」
「下手に勝ってしまったからか?」
「そのようです」
「阿呆か」
公方様は何やっているの?
嫌がらせなら六角の提案で高島御殿が建設されている。
公方様の舟が出入りできるように勝野湊を整備している。
これで六角は近淡海の水運を完全に支配できる。
決して損な話ではない。
将軍の保養所という名目だが、今のままでは将軍の拠点が京から近江に移ると宣言しているようなものだ。
室町の花御所は業務機能だけ残せばいいのだ。
公方様への拝謁のみ近江にする。
このまま公方様に逃げられて三好家としては恥ずかしい。
それだけで十分だ。
織田家は武衛屋敷の建築が中断されて余っている宮大工を供出している。
六角家と織田家の共同で公方様のお住まいを建設する。
この衝撃は中々に大きいと思う。
三好家もこのまま黙認できないだろう。
さて、本当に夏の避暑地になるか、ずっといることになるか?
今後の行く末など俺が知る訳もない。
「公方様は朽木を長安と勘違いされているのでしょうね」
「だろうな」
その原因は朽木の発展にある。
保護した河原者、知恩院の改築に動員した土方、そして、傭兵から朝廷の衛兵になった見回り衆が朽木に避難している。
自給自足を命じているが、足りない分は俺が援助している。
若狭小浜から食糧などが毎日のように運び込まれている。
朽木が賑やかになっている。
更に山の木を切って取り敢えずの家を建てる。
河川の氾濫と三好の防御を兼ねて、砦の建造と川の底を掘る作業が平行に進む。
空前絶後の建設ラッシュだ。
朽木は未だかつて経験したことのない好景気に沸いている。
「そりゃそうだ。小領地(8,000石程度)の人口と同じくらいの避難民がやってくれば、反発し合って争乱になるか、協力して好景気を生むかのどちらしかない」
「今回は後者ですか?」
「避難民は織田家のお客様。銭と労働力を落としてくれる」
「彼らが去った後、空の家屋、開拓された土地、堅固な砦が残る。非常にありがたいお客様ですね」
「そういうことだ。更に川から石を取って川底が深くなり、川の氾濫を防いでくれると言うことを理解していれば、三倍増で喜んでくれるだろうな」
朽木の山は食糧が豊富であり、思った程の出費にはなっていない。
黒鍬衆の報告によれば、このまま朽木の山を開拓して物産拠点を作れば、京に売るにも有利な位置だと報告している。
海に遠くなく、鯖街道(若狭街道)の中間という立地もいい。
半日で京に持って行ける場所というのも美味しい。
損して得取れ!
朽木に商家を立てて税を納めるのを条件に山を割譲して貰って開拓を一気に進める。
人だけは沢山いる。
労働力だけは困らない。
たった2ヶ月だけども変わってゆく朽木を見て、公方様は何か勘違いをされたようだ。
朽木は長安のような山奥の大きな町にはなりませんよ。
あくまで生産拠点の1つです。
それに朽木の民が河原者に優しいとも思えない。
お客様はお客様だから優しいのだ。
お客様が永住するとなれば、態度も変わる。
却下だ。
商家に雇った者を少し残して京に戻すべきだろう。
朽木家を信用するのがまだ早い。
いずれは様子を見に行くつもりだったが、いずれはいずれだ。
今月や来月ではない。
◇◇◇
清洲に着いても俺はほっぺたを膨らませたままで歩いている。
今日は謁見の間でなく、兄上(信長)の部屋であった。
横に帰蝶義姉上も座っている。
入った瞬間、凍りつくような緊張した感じに気が付いた。
「魯坊丸、お呼びにより参上致しました」
「大義である。まずは魯坊丸に公方様からの感状が届いておる。そなたの手配で新たに砦が築かれつつあり、完成すれば三好が攻めてきても安心だとのこと。また、朽木領の開墾や川の工事等でも感謝しておられるとのことだ。ようやった。受け取れ」
「謹んで拝領いたします」
いらないよ。
こんな紙切れ一枚何の役に立つのだ。
そんな見栄を張るくらいなら、三好-長慶を呼びつけて和議をしろ。
相手をたたっ斬るだけが戦じゃない。
それくらい一人でやれよ。
「次に公方様が奉公衆を京に戻さないために朝廷の官位授与にあたって大幅な障りが出ておる」
「ええ、聞いております」
「奉公衆を都に戻すよう公方様の説得を頼みたい」
「嫌です」
「そうではあるが、恐れ多くも帝のご内意を近衛前関白様が政所執事伊勢守殿に伝えたとの事。もう断れぬ」
「兄上(信長)に再来月まで引き伸ばしをお願いしたと記憶しております」
「であるが、帝のご内意である」
「だからこそ頼んでおるのです。それを承知していなかったと申されるのですか」
兄上(信長)が困っている。
俺と違って、帝と公方様への忠義心が厚い。
帝に頭を下げられると断りきれない。
俺には関係ない。
俺が睨み付けると、兄上(信長)も困ったように顔を逸らした。
「まったくです。魯坊丸に三河と伊勢を任せているのに、殿は美濃と近江も捌けないでしょうか?」
「だから、何度も言っておろう。帝のご内意だ」
「それをどうかするのが、殿のお役目でしょう」
「であるが、今回は致し方ない」
「そんなことを言っているから、中継ぎ守護代などと影口を叩かれるのです。自ら乗り込んで納めて来なさい」
「無茶を言うな」
確かに無茶だ。
上洛をしていない兄上(信長)は、帝も公方様も初対面だ。
初めて来た者がその場を取り仕切るのは相当難しい。
俺を頼ってくるのも仕方ない。
そう仕方ない。
だから、行くのはしょうがないと諦めている。
「ですから、承知しております。しかし、せめて浅井攻めまで時間を稼いで頂きたい」
「魯坊丸、申し訳ないわね。この殿がダラシナイばかりに迷惑を掛けるわね」
「帰蝶、それはないであろう。儂も頑張っておる」
「えぇ、(他の女子と)ガンバッテおられますね」
帰蝶がギロリと睨むと、兄上(信長)が身を竦めた。
後ろの小姓と横に並ぶ側近らが一斉に顔を背けた。
見ておりません。
そういう意味だろう。
謁見の間を使わないのは多くの家臣を呼ばない為の処置か。
今日の兄上(信長)は妙に小さく見える。
突然に夫婦喧嘩が始まった?
兄上(信長)が一方的に謝っているだけだけどね。
本題に入る前に休憩となった。
◇◇◇
他を残して俺達は隣の部屋に移動する。
「何故、帰蝶義姉上がお怒りになっていて、兄上(信長)の腰が低いのだ?」
何となく予想は付くのだが、俺も今までの経緯を敢えて聞いて来なかった。
夫婦喧嘩は犬も食わない。
聞くのもうんざりするので余計な情報は千代女の所で止めてくれている。
夫婦円満の秘訣の知恵は帰蝶義姉上に伝えているので、後は本人らの努力次第だ。
不妊治療なんて無いからね。
頑張れ、帰蝶義姉上。
説明を求めると千代女が首を横に振った。
承知していないのか?
代わりにお側の護衛の者(忍び)が口を開いた。
「お手付きの家臣が身籠りました」
「他にもいたのか?」
「元中小姓の中条と言う者です」
中小姓と聞いて俺は不機嫌そうな顔をすると慌てるように補足する。
よく聞くと中条は男装しており、小姓に召し抱えようと手を出したみたいだ。
男も女も見境ない。
結局、兄上(信長)の子とせず、埴原-常安の子にすることで帰蝶義姉上が丸めたらしい。
「しかし、兄上(信長)は本当に節操が無いな」
「お怒りはごもっともでございます」
「埴原常安に感謝だな。中小姓は俺の家臣だった者だ。特別に祝いを贈ってやれ」
「承知しました」
帰蝶義姉上も怒る訳だ。
護衛の者の顔が曇っているのを見て、俺ははっとした。
まだ、あるのか?
「昨晩のことでございます」
七夕を眺めた塙-直政の妹の直子が大野木城に戻ると俄かに吐き気を催し、医者の見立てで御子が出来たことが判った。
直子は余りの嬉しさに兄上(信長)に使者を送ったらしい。
「帰蝶様以外の女人に信長様の御子が出来た事が余程悔しかったのでしょう」
「そんなものか?」
「そんなものです」
「女は怖いな」
「若様は大丈夫です」
「いや、自信がない。千代、悪いが助言を頼むぞ」
「はい」
直子の使者が清州にやって来た。
兄上(信長)は初めての子に大喜びで小躍りを始めた。
そこに帰蝶義姉上がやってきた。
小姓が声を掛けたのだが、兄上(信長)は浮かれて気が付かなかったらしい。
「子ができた」
「誰の子でございますか?」
「儂に決まって…………おる」
帰蝶義姉上は「そうですか、おめでとうございます」と言ったらしい。
そこから兄上(信長)は一晩中謝り続けている。
阿呆か!
折角、知らぬ存ぜぬで隠してくれているのに自分からバラしてどうする。
知ったのは直子の子のみか?
俺は帰蝶義姉上にどんな顔をすればいいのか判らんではないか?
嫌々、声も掛けられん。
あそこは修羅場だ。
もう部屋に戻りたくない。
「千代、悪いが長門守を呼んで来てくれ。公方様の件は承知したと。兄上(信長)には俺が帰って来るまでに解決してくれと伝言を頼む」
「承知しました。帰蝶様には魯坊丸様がどんなことでも応援すると申し上げておきます」
「すまんが頼む」
千代女が頼もしい。
本当に悪いが俺は修羅場に足を踏み返す勇気は無い。
しかし、兄上(信長)は阿呆だ。




