31.魯坊丸、おしおきだべぇはないのだ。
(天文22年(1553年)7月8日)
長門守(岩室 重休)に案内されて、野口-政利のいる部屋に移動する。
「今回は特別です。兄上(信長)にはそう言っておいて下さい」
「承知しました。ですが、どうか信長様を悪く思わないで頂きたい」
「帰蝶義姉上を怒らせた阿呆とは思っていますが悪くは思っておりません。猜疑心の塊で俺を殺そうと企むような愚かな方でないことを感謝しています」
「そう言って頂くと助かります」
兄上(信長)は革命児と呼んでいい。
頭の回転が速いのだ。
だから、どうしてこんな事が「判らんのか」、「できんのか」となる。
俺と違ってできない人の気持ちが理解できない。
兄上(信長)の言葉を理解して、動いてくれる帰蝶義姉上と長門守の存在は欠かせない。
そうでないと、また林-秀貞が離反する。
「兄上(信長)は直観で理解できる天才だからな」
「魯坊丸様の方がもっと凄いではないですか?」
「俺は努力してやれるようになる秀才型だ」
「まさか?」
「俺は神様に愛されているのか、変な夢を見るのだ。そこで学んだことを試しているだけに過ぎん」
「神に愛されているのでございますか。その方が恐ろしゅうございます」
「安心しろ。俺は自分の腕が短いことを知っている。過ぎたるものを欲するつもりはない。領主の地位すら重すぎる」
「魯坊丸様で領主が務まらないのでは、誰もなり手がおりません」
「兄上(信長)はなれると思うぞ。領民を幸せにしたいなど、俺は思いもせん」
「あははは、熱田で実現されている魯坊丸様が言われますか?」
「自分が欲しい者を揃えていったら、そうなっただけだ。名が欲しくば、誰かにくれてやってもいいぞ。俺が欲しいのは中身の方だ。地位も名声もいらん。そもそも下手な野心家と付き合いたくない。家でごろごろしたいだけだ」
俺が本音を言うと、長門守は口を押えて笑いを堪えた。
長門守も忍び衆を束ねているので、俺が本気で言っているのを承知している。
承知しているが、言っている事とやっている事のへだたりに笑いを堪えるしかない。
「では、お聞き致しましょう。三河で何をされているのです」
「手紙にも書いたが、三河の一向宗が数万人の大軍で一揆を起こして尾張の国に攻めてくるのを防いだ」
三河に何万人の一向宗がいるか知らないが、それが攻めて来たなら安祥城では持たないし、沓掛城でも駄目だ。
鳴海や旧岩崎丹羽領も捨てて閉じ籠もるしかない。
食べ物を漁るだけ漁れば帰ってゆく。
その被害を考えれば、無償で米を提供してもお釣りが返ってくる。
「ずっと続けられるおつもりですか?」
「まさか、今月一杯でおしまいだ。来月から低金利で銭を領主に貸し付ける」
年金利は3割程度だ。
一般的な半年で10割という土倉の金利ではない。
今月中に仮の小屋を作り、雨露を凌げるようになれば、自活して貰う。
疫病が蔓延しないように風呂の炊き出しとかは手伝うつもりだ。
だが、それ以上はしない。
山に入れば、それなりに食糧がある。
秋に麦や芋を植えれば、冬には収穫できる。
三年経っても借金を返済できない無能な領主は、信勝兄ぃが三河に入った時に領地を没収すればいい。
無職になった者は直臣として抱えて、戦と警備でも任せる。
謀反を起こすような馬鹿ならば、首を取って皆に晒す。
「なるほど、信勝様が三河入りする為に地固めですか。ですが、東三河まで援助する必要がありますか?」
「あれは俺ではない。現地を任せた藤吉郎が決めたことだ。本證寺の玄海住職の頼みで送ることになった」
西も東も同じ一向宗だ。
東三河の一向宗も助けて欲しいと懇願され、舟一隻のみと言う約束で兵糧を送った。
藤吉郎は憚ることもなく、自分の知り合いに手紙を送って、米の輸送を手伝って貰った。
結局、1度では足りず、3度も往復することになりそうだ。
「(今川)義元を出し抜くこともできたのでよろしいのではありませんか?」
「千代、俺はそれをして欲しくなかった」
「若様がお知りになったのは舟が出てからです。止めようもございません」
「野心家の心に火が付くだろう」
「ですから、(今川)義元を出し抜いたことになるのです」
知ってか、知らずか?
藤吉郎は知り合いに手紙を送った。
つい数か月前まで、(遠江)頭陀寺城の小役人だった藤吉郎が安祥城の代官になっている。
織田家は手柄を立てると相応の褒美が貰えると証明した。
野心家の領主が目を輝かせていることだろう。
加えて、被災に遭った民を救済すると言う織田家の姿勢が噂になっている。
「信長様の愛妻家美談が三河でも伝わっているそうです」
「それは嬉しいことでございます」
「守護代が自ら陣頭に立って領民を救済する名君主だと。尾張の民は幸せだ。三河への救済も善意らしいと噂されております」
「だそうだ。今回の夫婦喧嘩を外に漏らすなよ」
「心得ております」
今回の件に関して、俺は噂を流していない。
(本證寺)玄海が率先して一向宗の門徒に流している。
三河や遠江では織田家の人気がうなぎ上りだ。
それを察してか?
(今川)義元は税の免除と領主や寺への感状を送った。
嫌味と脅しだが、織田家から米を奪ったことを褒めた訳だ。
警戒感を高められた。
曳馬城主の飯尾-乗連など、(今川)義元から呼び出しを食らった。
元上司の松下-長則も青い顔をしているだろう。
藤吉郎が長則に送った手紙には『敵、織田家から大量の兵糧を奪いました。褒めて下され』と書いたそうだ。
その知恵は玄海が藤吉郎に授けた。
藤吉郎が今川の間者と言う噂が『公然の秘密』として流れている。
いいのか、それで?
「玄海殿は中々の情報通のようでございます」
「何を考えているのか判らん。監視だけはさせておけ」
「抜かりはございません」
藤吉郎を監視させていた蒼耳の報告では、玄海は俺を阿弥陀如来と認めて、長島の願証寺と争うつもりらしい。
それが本音ならば、まだいいのだ…………糞坊主が考えていることなど判るか?
「三河はそんな感じだ」
「その安祥城の松平-忠吉と品野城の松平-家次が連名で、織田家の者の三河入りを望んでいるとお聞きしましたが、どうなされるつもりですか?」
「どうもしないさ。俺や信勝兄ぃが入ると今川家も警戒する。信光叔父上、信広兄ぃでも同じだ。だが、玄海殿も来て欲しいと言っている。無視する訳にいかない」
「それで10歳の三十郎様でございますか?」
「前回の上洛の失敗を取り戻させたいとでも、誰かが考えているのだろう。俺は家老で十分と思っている」
「なるほど、すぐに三河を取るつもりはないのでございますね」
「当然だ。何度も言うが、銭も人材も足りない。しばらくは放置する。民は気性が荒く、いつ一揆が起こるか判らんような土地を誰が欲しがるか?」
「尾張の家臣でも欲しがる者は多いですぞ」
「その気が知れん。5年待てば、全て整えてから乗り込めるようにしてやると言うのに」
俺が溜息を付く。
ふふふ、俺を見て千代が笑う。
「何が面白い?」
「信長様は言葉足らずで困りますが、若様の言うことは言葉を尽くしても判って貰えぬことが多いので似た者同士だと思ってしまったのです」
「俺と兄上(信長)が?」
「はい」
わぁ~、ショックだ。
千代女に同じだと言われてしまった。
俺、言葉を尽くしているよね。
信勝兄ぃにも説明したぞ。
「経済運営とか、人材活用などは説明を尽くしても判って貰えません。インフレ、デフレ、経済効果などもっと無理です」
「ははは、私もまだ半分も判っておりません」
「長門守は勉強されている方です」
「日々、元中小姓の者らに教えて貰っております」
「普通の方は入口で放り投げて、聞く耳も持ちません」
「そうなのか?」
「そうです」
「俺は何度でも説明するぞ」
「必要ありません。加藤も判っていませんよ」
「嘘だろう?」
「若様の言われることが正しいと思っているだけです。家臣団のほとんどがそれです」
火薬玉にしても、毒にしても、原理が判らなくとも使い方が判れば誰でも使える。
使えるだけでいいらしい。
神学校で俺が教壇に立った生徒以外はほとんど皆無なのか。
先が長いな。
そんなことを話している間に部屋に到着した。
(野口)政利達が頭を下げて、俺を待っていた。
さて、どうするか?
頭を切り変えろ。
銭の余裕もない。火薬の余裕もない。兵の余裕もない。
ないない尽くしだ。
それで近江と京を治めないとならない。
まぁ、織田領にする訳じゃない。
駄目で元々だ。
失敗したら逃げるだけだ。
怖い声で『おしおきだべぇ』はないのだ。
気楽に行こう。




