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 逸郎がどういう意味で「初恋」などという単語を使ったのかは分からないが、そんな風に言われてしまえば嫌でも意識する。それは小学生にとっての口付けと大差ないぐらいの意味かもしれない。実際、逸郎が言ったのは「あの頃」のことで、小学生にとっての「初恋」に過ぎないのだ。

 けれど逸郎がそれを口にしたのは今の話で、口付けの意味も好きの意味も分かるこんな今になって「初恋」だと言うその意図はやはり分からなかった。

 あれ以来、逸郎はその話を全く口にしない。きっとからかわれただけなのだろう。そう思えば思うほど、島を出て行ったことを許せない気持ちと絡まって英介の心は頑なになるのだった。

「暑ィ……」

 隣で山元が制服の白いカッターシャツの胸元をパタパタと仰ぐ。既に夏休みは三分の一が終わり、卒業に向けた補習講義もこの日でひと段落した。

 山元とは家が近く、昔から仲がよい。近所の悪ガキ仲間は例によってそのまま高校まで持ち上がる腐れ縁で、成績だって仲良しこよしのビリっけつだ。

 駄菓子屋でアイスキャンディを買って歩きながら食べる。家に帰ればきっとそうめんが待っているのだろう。坂上家の昼食は既に六日連続でそうめんだ。

「英介、昼メシ食ったらそっち遊びに行っていい?」

 山元は妙に神妙な面持ちで言った。遊びに来るなど明らかに口実めいていた。補習講義から解放された明るさは微塵もない。

「あー昼からは……」

「美幸のことで相談あるんだけど」

 昼からは門真の家で勉強する予定になっている。逸郎の祖父の具合が芳しくなく、面倒を看ている逸郎が家を空けるよりも英介の方が門真の家へ通う方が安心だろう、と夏休みに入ってからは向こうで勉強するようになったのだ。

「美幸……。なんかあった?」

 英介はアイスキャンディの棒を前歯で噛みながら訊き返した。美幸なら元々は英介の彼女で、今は山元と付き合っているはずだ。そのことで山元と一時険悪になったのは、もう一年以上前のことだった。それでも、美幸のことをこうして英介に直接相談しようとする山元の神経を疑い、自然と英介の口調には棘が含まれる。

「別れた」

「……へえ」

「アイツ、東京の大学行くんだってさ」

 また。裏切り者だ、と英介は思う。島の中には大学がない。だから進学するなら島を出るしかないのに、裏切り者だと反射的に思ってしまう。

 山元はそのまま黙り込んだ。続きは昼から英介の家で話したいということなのだろう。

「遠距離でも別に良かったんじゃねえの」

「うん。……でも、別れたから」

「……いいけど。俺、昼から予定ある」

「なに、お前最近いっつもじゃん。なんだよ、勉強でもしてんのかよ。まさかの進学組?」

「まさかだろーソレ」

「だよな」

 山元はからかい混じりに言ったが、東京に進学する美幸のことがあるからきっと本気で心配したのに違いない。

 食べ終わったアイスキャンディの棒を前歯に咥えたまま二人でぼんやりと黙り込む。ジリジリとした夏の陽射しが肌を焦がす。目の前には家へ続く坂道があった。二人は立ったまま先へ進めず坂を見上げていた。

 身動きせずとも汗が額から流れ落ち、シャツが肌に張り付く。

「別れたこと、内緒にしてて」

 山元が言った。

「高校の間に二人も付き合って別れたとかバレたら、美幸何言われるか分からねえし」

「……ああ」

 狭い島の中、悪い噂はあっという間に広まってしまう。彼女がそういう軽い女ではないことなど英介だって知っていたが、事実から裏側を捏造することなど知らない人間には容易いことだ。

 山元の相談事はこのことか、と英介は思った。本当はもう美幸のことなどどうでも良かったのだが、山元に「美幸のこと、一緒に守ろう」と言われれば面倒に感じることもなく英介は頷くのだった。


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