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ただ祖父の面倒を看るだけでは退屈だから、と逸郎はほぼ毎日英介を門真の家に誘った。
午前中は補修講義で、午後からは逸郎に勉強を見てもらう。人生の中でこれほど勉強したことはなかった。
それでも不思議と苦痛は感じない。高校最後の夏休み、進学組は勉強に忙しく、そして進学しない者はバイトに就職活動に家業の手伝いに忙しく、どのみち遊ぶ相手はいない。逸郎の家に行くぐらいしかやることがなかった。
祖父を置いて、自分を置いて島を出ていった逸郎のことを許す気にはなれない。初恋だと言った意図も分からない。それでも一緒にいる時間が長くなれば雑談ぐらいはする。「別に」「さあ」とそっけなかった返答が、一言二言話をするようになり、勉強以外のことも会話に上るようになる。
「彼女とか、いねえの?」
英介が逸郎にそう尋ねたのは、きっと美幸のことがあったからだ。逸郎は大学の夏休み中ずっと島にいる。もしも付き合っている彼女がいるならば、二ヶ月も会わないことになる。
「えーくんは?」
「いたけど別れた」
別れたのはもう一年以上も前のことだ。それから美幸は山元と付き合って、結局彼とも別れた。
「どこまでいった?」
一瞬、英介には何の事だか分らなかった。相手が山元や下村ならすぐに分かる質問の内容も、逸郎に掛れば「ちょっと裏山まで」と答えてしまいそうになるぐらい意味が分からなかった。
「キスは? したの?」
「……セックス」
「ああ……したんだ?」
「うん」
「なんだ、童貞じゃないのか」
逸郎はおかしそうにくすくすと笑った。なんだか馬鹿にされているようで腹が立った。島だから、田舎だから童貞で当然、とでも思われていたような気がした。
実際のところ島では結構早くに初体験を終える子が多かった。幼少から顔見知りでお互いのことを知り尽くしている上に、そういった興味を覚える時期もほぼ皆同じ、おまけに中高生を満たせる娯楽など大して存在しない。そのまま子供を作って若いうちに結婚してしまうパターンが多かった。
「そう言ういっ……いっくんどうなんだよ」
「僕は誰とも付き合ったことないかな」
「なんだ、俺のが先輩」
「そうだね」
それでも逸郎の態度はどこか余裕があるように感じられた。早く童貞を捨てたら勝ち、といった概念などとうに通り越した大人っぽさが三つの年齢差を感じさせた。数えてみれば逸郎はもう成人しているのだ。
そして英介には、付き合ってもいない相手とセックスをするという発想がない。
「仕方ないよ、ずっと忘れられない子がいる」
逸郎は少し寂しそうに笑って見せた。
ドキリとしたのか、ズキリとしたのか、呼吸が苦しくて英介はどういう顔をすればいいのかわからなかった。
いつもなら具合の悪い体をおして逸郎の祖父が覗きにくるのだが、この日はついぞその姿を見せることはなかった。十年近く経っているというのに、英介が訪れるたび彼はまだ西瓜を切って運んでくるのだ。英介がもう自分の小遣いでアイスキャンディを買って食べ歩く高校生になっていても。
逸郎の祖父が亡くなったのは、それから三日後のことだった。
近付く台風に刺激された低気圧のせいか、長い長い雨が降り始めていた。




