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第十七話 日常

 

 吾郎は現在、愛と勇気と平和を愛する心がいかに大事なものであるかを改めて思い知らされていた。


「うぅ、ええ話や。これぞ俺達のヒーロー! って感じだな」


 それはとある古いアメコミアニメの再放送番組。


 その回の話は、とある家族に焦点を当てた話だった。

 

 最近喧嘩をすることが多くなった夫妻。

 夫婦仲に改善の兆しは見られず、一人息子も毎日のように怒鳴り合う両親に心を痛める日々を過ごしていた。

 ある日、デパートの事業部で働く父親が弁当箱を忘れてしまう。

 わざわざ届けてあげるのは、癪であったが、母親は買い物ついでに息子と一緒にデパートまで足を運んだ。せっかく作った弁当を無駄にするのももったいないと考えたからだ。

 しかし届けに行ったにもかかわらず、父親は忙しいからいらない、と顔を合わせることもせずに母親と息子を突き放してしまう。


 その日、デパートの食品売り場で大規模な火災が発生してしまった。

 防火シャッターが降り、逃げ遅れたことで身動きがとれなくなる母親と息子。

 二人蹲ったまま震えることしかできなくなってしまったのだ。

 それを聞きつけた父親が現場へと向かうも防火シャッターが家族の間に立ちはだかっている。


 父親側の通路には一つの弁当箱が転がっていた。

 彼が弁当箱を手に取ると、一枚の手紙が包みからこぼれ落ちる。

 それは息子が、妻が、父親に向けて書いた一通の手紙。


 最近のぎこちない家族関係をなんとか修復したいと。

 息子が家族で旅行に行きたがっていると。

 たまには早く帰ってきて欲しい。

 温かい夕飯を作って待っているから。

 

 いつの間にか父親の頬には一筋の涙が伝わっていた。

 走馬灯のように胸に去来したのは家族との思い出。

 父親は気づく。 

 家族の大切さを。


 危機に直面し、彼は本当に大事なものが何であるかを思い出したのだ。

 しかし家族を隔てている一枚の壁が彼の邪魔をする。

 いずれ火の手がここまでやってきてしまうだろう。

 彼は叫びながら防火シャッターに体当たりを敢行した。


 助けてやるから。

 絶対に父さんが救ってやるから安心しろ。

 そう言いながら、何度も、何度も。

 彼は必死になって扉を破壊しようとするも扉は壊れない。


 やがて火が家族のフロアまで差し迫る。

 ぼろぼろの体で、涙を浮かべながら父親は家族を助けるために、体当たりをした。


 父親が渾身の一撃を扉にぶち当てようとしたその時。


 彼の肩にそっと優しく、しかし力強い手がかけられた。

 振り向いた父親の目の前には――。

 

 超人的な力を持ったヒーローの姿が。


「かっこいいぜ!」

「ねっねっ! こう、ぐわっと、ね! 格好いい!」

「おう。希莉はわかってるな!」


 颯爽と家族を救い出した男の背中は何とも言えない。


 その後、件の家族は皆揃って旅行に出かけ、再び仲良く暮らし始めましたとさ。

 おしまい。


 うーん、よくある王道展開ではあるけれどそれがいいよね。


「さてと。んじゃそろそろ買い物行くかな」

「えぇ~! 今からシーナちゃんがやるからちょっと待ってよ!」

「えぇ……」

「何その顔! 面白いんだよ!?」


 吾郎が渋い顔をすると、希莉は頬をふくらませて抗議した。


「私がシーナちゃんのコスプレしてた時は嬉しそうな顔してたくせに!」


 なななな、なっ何を言う!?


「う、嘘おっしゃい!」

「本当だもん! なんか頬がひくひく、口元がにやにやと」

「だぁああああああっ! わかったシーナちゃんが終わったら買い物行くぞ!」  


 なんだこの異様な恥ずかしさ。


「ったく」


 まさか希莉がそんな吾郎の視線に敏感だったとは。

 それともその時、まさか放送禁止級の顔をしていたのか?

 いったいどっちだ。

 前者にしろ後者にしろ、恐怖を禁じ得ないぞ。




 そして三十分後。


「面白かったね!」

「いやまぁなんだ……その、うん」


 畜生ぅ。

 面白かったよ、えぇ面白かったとも!

 子供向けアニメだと思って正直舐めてたけど、最近のは本当に話もしっかりしているし、なんというか大きい子供達がハマってしまうのもわからなくは……。


「はっ!?」


 いかんいかん、正気に戻るんだ郷田吾郎。

 武兄という反面教師がいる以上、同じ道を歩むわけにはいかんのだ!


 ぼんやりと窓から庭へと視線を動かした吾郎は希莉に尋ねた。


「エダマメに水はやったか?」

「うん、ばっちり!」

「そっか」

「吾郎、買い物はどこへ行くの? 商店街?」

「ん、あぁ……今日はちょっとデパートに行くつもりだ」

「デパート!? おぉ、ということはヒーローに会えるかもしれないね」


 あん?


「……」

「ん? なんで笑ったの?」

「あ、いやっ」


 なんだこいつ、なんで今こんな可愛いこと言ったの?


 時々吾郎は希莉の言葉にドキリとさせられることがあるが、今もまさにそうだった。 

 吾郎も希莉と暮らし始めて結構な日数が経過しているが、時折、希莉は本当に幼い子供のような発言をするのだ。

 希莉の話によれば彼女が実際にこの世に生まれたのは、吾郎と出会ったあの日であるため、確かに赤ん坊のようなものであると言えるのかもしれないが。


 それでもなんだ、そのぉ。

 やっぱり希莉みたいな超絶美少女が、こういうことを言うとあれだよねあれ。

 なんていうの? うんその、なんというか、不可思議な感覚が、その、ね? 紳士諸君ならばきっとこの気持ちを理解してくれるだろうと信じている。


「おっおし! さっさと行くか!」

「吾郎の顔が私がシーナちゃんのコスプレしてた時みたいに……」

「イケメンってことだなっ!」


 吾郎はダッシュで家を出た。



 

   ☆ ☆ ☆



   

「あれ、孝介じゃん」

「ホントだ~」


 希莉と二人でデパートまで行く道すがら、土方のバイトに精を出す幼馴染の姿を見つけた吾郎は彼に近づいて行った。


「おっ、吾郎……と希莉ちゃんじゃん! どしたの?」

「いや今から買い物に行くんだけどな。たまたま孝介を見つけたからさ」

「こんにちは、孝介」


 笑顔で挨拶を交わすも、なぜか孝介は俯いている。


「……ェトか」


 そして地の底からの叫び声のような呻きを漏らした。


「は?」

「俺がこんなところで汗水垂らして働いている間にお前は美少女とデェトなのかぁっ!!」


 おいおいガタイのよろしいお兄さん方が何事かとこっちに視線を向けているじゃないか。

 静かにしてくれ、ちょっと怖い。


「ま、まぁそろそろ否定するのも面倒くさくなってきた。あっ、ところで話変わるけど、この国旗がどこかわかる?」


 吾郎がスマートホンの画面を見せると、孝介は首を傾げた。


「んなもんどうでもいっ……ん? どっかで見たなそれ、確か昨日ウチのカーチャンが見てたクイズ番組で……うーん、どこだっけかな?」

「昨日見てたんじゃねーのかよ」

「あっ、ちげーや、見たの今朝だわ」

「なおさらわからないとダメじゃね!?」

「時間にすると見たのは2時間ぐらい前だな」

「おぉぉいっ!?」


 大丈夫なのか、孝介の脳細胞。


「ふっふーん。二人揃っても私の知識量には敵わないということだね?」

「ぐぬぬ」


 孝介と二人で先ほど携帯のカメラで撮影した画像を見ながら吾郎は唸っていた。

 その隣では希莉が威張り散らしながらふんぞり返っている。




   ☆   ☆   ☆




 それは5分前のことだ。


 電柱に謎の張り紙が貼ってあった。

 そこには象形文字のような謎の言語で何事かが書かれており、先ほど孝介に見せた国旗の写真が載っていたのだ。

 

 なんとはなしに吾郎が、


「この国旗ってどこのだっけ?」


 と言うと、希莉が、


「ぷぷぷ~、吾郎はそんなこともわかんないの~?」


 と胸を張って吾郎を見下した。


 イラッ。


「……ふざけんな、わかんないんじゃなくてそのあれだよちょっとしたど忘れっていうか、あぁ~、知ってるのになぁ~、もう喉元まで出てきてるんだけどな~、あぁもうマジで」

「……」




   ☆   ☆   ☆




 そして今に至る。


 希莉に聞くに聞けない吾郎だったが、ここまで来ると無性に気になるのだ。

 かと言って希莉の見ている前でグーグル先生に教えを乞うのもなんだか悔しい。

 吾郎の隣りにはニヤついた希莉がいた。


「ふっふーん。ではでは私が教えてしんぜよう。その国旗はフィ……」


 何事かを言おうとした希莉を遮って声を上げたのは孝介だった。


「あっ思い出したフィンランドだフィンランド」

「……ンラ…………」


 ん、あぁ、そうだわ!


「おぉっフィンランドなフィンランド! なるほど言われてみればそうだわ」

「あれだよ、空港とかのお土産を見てもキシリトールとムー○ンしかないような国だよ」

「やめなさい!」


 いいじゃないかム○ミン、何がいけないんだムーミ○。


「………………ンド……(しょんぼり)」

「あれ希莉なんか言った?」


 隣で肩を落とす希莉に気づいてはいたが、吾郎はわざとらしく尋ねた。

 からかうような仕草で吾郎が肩をすくめると、希莉は足を振り上げる。


「……ム~ッ!」

「いった、痛いよ! 足蹴んな!」

「ふんぬらばっ!」

「い……っ!? はぁお前ちょっとなんでここで本格的なタイキック!? しかもなんで様になってんだよ! ちょマジで痛いってやめてやめて、もう俺明日学校行けなくなっちゃう! あぁもう怒った、お前今日晩御飯抜きだからな!?」


 吾郎がそう言うと、希莉は明らかに狼狽した。


「……っ!?」


 というか一瞬にして瞳に大粒の雫が溜まり始めているではないか。


「うっ……」

「ぅぅ……(ぽろぽろ)」

「うそうそ冗談だぞ、冗談っ!」


(あぁ、っもうなんだよこれ)


 女って本当にずるい!


 これは罪悪感がやばい、マジでやばいって。


 そんな風に吾郎が思っていると、俄かに周囲が慌ただしくなり始める。


 ざわざわ……ざわざわ……。


(あぁっ、道行く人の視線もやばい!!)


 何が一番やばいって何故か鬼の形相で睨みつけてくる幼馴染の様子がやばい。


「ほら、嘘だからな? もう怒ってないって。俺の顔を見てみ?」

「……」 


 そっと吾郎を見上げる希莉の頬はうっすら赤く染まっており、彼女の瞳には美しい雫が溜まっていた。

 上目遣いに吾郎を見つめる希莉の姿は普段とはまた違った可愛さであり――、


「吾郎の顔が私がシーナちゃんのコスプレしてた時みたいに……」

「イケメンってことだなっ!」


 吾郎はダッシュで逃げ出した。

 




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