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第39話 授業と怪しい影

新しいことを学ぶのは楽しい。


王国史。


法学。


算術。


地理。


礼法。


そして、魔法理論。


王立学園での授業が始まり、午前中は主に教室で座学を受けることになった。


どの教科も、全く知らない内容というわけではない。


魔法理論は、幼い頃から母様に教わっている。


王国史についても、前世の記憶を取り戻した頃、この世界のアイドルについて調べる過程で一通り目を通した。


この世界にアイドルは存在するのか。


人々は、どのような娯楽を楽しんでいるのか。


歌や踊りは、歴史の中でどのように扱われてきたのか。


そんなことを調べるため、大書庫で歴史書や各地の文化に関する本を読み漁ったのだ。


礼法は、八歳の頃からマーサ先生に教わっている。


最初の授業では、リリィの悪戯によってドレスを着せられ。


アリアという架空の令嬢として、淑女の作法を徹底的に仕込まれてしまった。


帰宅後。


完璧な淑女の所作を父様と母様の前で披露してしまい、屋敷中へ俺の悲鳴が響き渡ったのは、今でも忘れられない。


その後。


改めて男性貴族としての作法をマーサ先生から教わり。


家でも繰り返し学び直してきた。


今では貴族として必要な、基本的な礼法は身に付いている。


……たまに。


気を抜くと淑女の所作が混ざるけれど。


それ以外の算術や地理、法学についても、大公爵家の跡継ぎとして必要になるため、家庭教師から基礎的な教育を受けてきた。


だから、授業の内容は復習に近いものも多い。


それでも。


(楽しいな)


俺は教師の話を聞きながら、自然と笑みを浮かべていた。


王国がどのように生まれ。


どのような歴史を歩んできたのか。


国を成り立たせている法律。


王家や貴族が持つ権利と、果たすべき義務。


各地の地形や気候。


そこに暮らす人々の生活や文化。


教科書を開くたび。


教師の説明を聞くたび。


この世界が、俺の中で少しずつ広がっていく。


俺は確かに、この世界で十年間生きてきた。


けれど、知っているのはルミナス領や王都、それに両親から教わった範囲が中心だ。


この国について。


この世界について。


まだ知らないことは、山ほどある。


それを一つずつ知ることが、たまらなく楽しかった。


(有人だった頃とは、随分違うな)


前世の学生生活を思い返す。


正直。


勉強はあまり得意ではなかった。


嫌いというほどではないけれど、授業中はいつも眠気との戦いだった。


教師の声が心地よい子守唄に聞こえ。


黒板へ並ぶ文字を眺めているうちに、瞼がだんだんと重くなっていく。


特に昼食後の授業は危険だった。


机へ伏せないよう耐えているだけで、一時間が終わったこともある。


それが今では。


「アルト様」


隣の席から、小さな声が聞こえた。


「何?」


「随分と楽しそうですね」


リリィが、僅かに呆れたような目で俺を見ていた。


「そう見える?」


「先ほどからずっと、目を輝かせているもの」


「だって、面白いじゃないか」


俺は開いている地理の教科書へ視線を落とす。


「同じ王国内でも、土地によって暮らし方が全然違うんだよ」


「それはそうでしょうけれど……」


「北部には、雪や氷を利用したお祭りがあるらしいよ」


「ええ」


「氷で舞台を作って、その上でライブをしたら面白そうじゃない?」


「結局、そこへ行き着くのね」


リリィが小さくため息をつく。


「貴方、本当に何でもアイドルやライブへ結び付けるわね」


「大切なことだからね」


「今は地理の授業よ?」


「将来の遠征先について学ぶ授業とも言える」


「言わないわよ」


小声でそんなやり取りをしていると。


教壇に立っていた教師が、こちらへ顔を向けた。


「ルミナス君、リリアーナ殿下」


「はい」


「申し訳ございません」


二人で慌てて前を向く。


教師は一度だけ咳払いをすると、何事もなかったように授業を再開した。


(気を付けよう)


学ぶことが楽しいのはいい。


そこからライブのアイデアを得ることも大切だ。


ただし。


授業中のお喋りは、また別の話だった。



午前中に座学を行い。


午後からは、剣術や魔法などの実技授業が始まる。


最初に行われたのは、剣術の実力確認だった。


訓練場へ集められた一年一組の生徒達は、一人ずつ教師の前で木剣を振り、基本動作を確認される。


その後。


教師を相手に、短い模擬戦を行うことになった。


貴族の子供の多くは、入学前から剣術を学んでいる。


一方で、平民出身の生徒には、剣を握ること自体が初めての者もいた。


そのため、この授業は勝敗を競うものではない。


あくまで現在の実力を確認し、今後の指導方針を決めるためのものだった。


そんな中。


「まずは僕から、お見せしましょう」


カイルが、優雅な動作で前へ出た。


風に靡く鮮やかな金髪。


自信に満ちた笑顔。


木剣を持っているだけなのに、何故か立ち姿まで計算されているように見える。


「カイル様、素敵!」


「頑張ってくださいませ!」


いつもの女子生徒達から声援が飛ぶ。


カイルは、それに応えるように金髪を掻き上げた。


「ふっ。美しい薔薇は、どこへ咲こうとも皆の視線を集めてしまうものだね」


(訓練場に薔薇はないけど)


カイルは教師へ一礼すると、木剣を構えた。


キザったらしい態度ではあるものの。


その構えに、大きな隙はない。


教師が打ち込む。


カイルは木剣で受け流し、素早く横へ回り込んだ。


続く一撃を避け。


鋭い踏み込みから、教師の胴を狙う。


もちろん、教師には簡単に防がれた。


それでも。


同年代としては十分に速い。


剣筋も素直で、基礎がしっかりと身に付いていることが分かった。


「そこまで」


教師の声で、カイルが木剣を下ろす。


「リフィル君。よく鍛えられています。基本動作にも、大きな問題はありません」


「ありがとうございます」


カイルが優雅に一礼する。


「この程度、リフィル侯爵家の嫡男として、当然の嗜みでございます」


「きゃあ!」


「さすがカイル様!」


再び黄色い歓声が上がる。


本人は少し鬱陶しいけれど。


実際、すごい。


十歳でこれだけ動けるなら、日頃から真面目に鍛錬しているのだろう。


ただのキザな美少年ではないらしい。


カイルは満足そうな笑みを浮かべると。


こちらへ振り返った。


「さて」


俺を見る。


「次はアルト殿の番かな?」


「名簿順だと、そうみたいだね」


「武の象徴たるルミナス大公爵家。その嫡男の剣、楽しみにしているよ」


「期待に応えられるか分からないけど、頑張るよ」


俺は木剣を手に取り、教師の前へ出た。


父様と剣術の稽古を始めたのは、五歳の頃。


それから今日まで、ほとんど毎日のように剣を振り続けてきた。


向かい合った教師が木剣を構える。


「始め」


合図と同時に、一歩踏み込む。


教師の剣が、上段から振り下ろされた。


それを正面から受けず、身体を半歩ずらして受け流す。


父様の剣は。


速く。


重く。


鋭い。


父様との稽古に比べれば、教師の動きは随分とゆっくり見えた。


だからといって、油断はしない。


相手は、俺の実力を測るために速度を調整している。


一度距離を取り。


再び踏み込む。


木剣同士がぶつかり、乾いた音が訓練場へ響いた。


教師の攻撃を受け流し。


隙を見て、こちらから打ち込む。


数度の攻防を繰り返したところで、教師が木剣を引いた。


「そこまで」


俺も木剣を下ろし、一礼する。


「ありがとうございました」


教師は、少し考えるように俺を見る。


「ルミナス君。非常によく鍛えられています。動きに迷いがなく、受け流しも正確です」


「ありがとうございます」


「さすが、武のルミナス家ですね」


周囲から、感心したような声が聞こえてくる。


「すごい……」


「今の動き、見えた?」


「カイル様より強いのかしら?」


褒めてもらえるのは、素直に嬉しい。


ただ。


俺自身は、自分が剣術において特別な天才だとは思っていない。


小さい頃から、父様という最高の剣士に教えられ。


毎日欠かさず鍛錬を続けてきた。


だから、同年代より先へ進んでいるだけだ。


俺と同じ環境で。


同じだけの努力を重ねた者がいれば。


いずれ追いつかれることもあるだろう。


現に、カイルも十分に強かった。


俺より動きは荒いけれど。


これから努力を続ければ、その差は縮まっていくかもしれない。


「なるほど……」


カイルが顎へ手を添え、真剣な表情で俺を見ていた。


「現時点では、アルト殿が僅かに先を行っているようだね」


(僅かかな?)


「だが、勝負は始まったばかり」


カイルが木剣を高く掲げる。


「いずれ僕の華麗なる剣が、君を追い越してみせよう!」


「うん。お互い頑張ろうね」


「余裕でいられるのも、今のうちだよ。アルト殿!」


何故か。


勝手に勝負が始まっていた。



翌日。


午後から行われたのは、魔法実技だった。


広い魔法訓練場には、魔法を受け止めるための的や、頑丈な防護壁が設置されている。


訓練場の周囲には結界も張られており、多少魔法が逸れても、外へ被害が及ばないようになっていた。


まずは一人ずつ。


自分の属性と、現在使用できる魔法を教師へ申告する。


その後。


指定された的へ魔法を放ち。


威力。


精度。


発動速度。


魔力制御。


それらを確認するらしい。


剣術の時と同じく。


最初に前へ出たのは、カイルだった。


「カイル・ド・リフィル」


カイルは胸へ手を当て、堂々と名乗る。


「属性は、火と風。二つの属性を扱うことができます」


クラスの中から、感心する声が上がる。


カイルが火と風の複合属性を持っていることも、貴族の子供達の間では知られているらしい。


二つの属性を持って生まれる者は、それほど多くない。


希少属性ほどではないにしても、十分に優れた才能と言える。


「まずは火属性から、お見せしましょう」


カイルが片手を前へ突き出す。


その手のひらの先に、赤い炎が集まった。


炎は少しずつ形を整え。


拳ほどの大きさを持つ火球となる。


「行け!」


放たれた火球が、真っ直ぐに的へ飛んでいく。


次の瞬間。


小さな爆発音と共に、的の中心が黒く焦げた。


「おお!」


周囲から歓声が上がる。


「続いて、風属性」


今度は、カイルの周囲へ風が集まる。


金髪が風を受けて揺れ。


制服のマントが大きく靡いた。


「ふっ……風すらも、僕の美しさを引き立ててしまうのだね」


「カイル様!」


「素敵です!」


(自分で風を起こしてるんだけどな)


カイルが腕を振る。


圧縮された風の刃が飛び、別の的へ命中した。


的の表面へ、斜めの傷が走る。


「二属性とも、年齢を考えれば十分な威力です」


教師が評価を告げる。


「属性ごとの制御にも、大きな乱れはありません」


「ありがとうございます。ですが――」


カイルが笑みを深める。


「僕の本領は、ここからです」


右手に炎。


左手に風。


二つの魔法を同時に発動させる。


風が炎を包み込み。


やがて、渦を巻く火炎へ変わっていく。


「二属性複合魔法――炎風!」


炎を纏った風の渦が、的へ向かって放たれた。


火炎が的を包み込み。


風が炎の勢いをさらに強める。


ゴオッ、と大きな音が響き。


魔法が消えた後には、真っ黒に焼け焦げた的が残されていた。


「すごい!」


「二つの魔法を同時に!」


「さすがカイル様ですわ!」


女子生徒達から、昨日以上の歓声が上がる。


カイルは額に浮かんだ汗を拭いながら、満足そうに微笑んだ。


複合魔法は、ただ二つの属性を同時に出せばいいわけではない。


それぞれの魔力を制御し。


互いの長所を活かすよう、組み合わせる必要がある。


十歳で形にできているのなら、カイルの魔法適性は本当に高いのだろう。


「リフィル君。見事です」


教師も素直に称賛する。


「威力は申し分ありません。ただし、複合時に魔力制御が僅かに乱れています。実戦で使用する際は、周囲を巻き込まないよう注意してください」


「承知いたしました」


カイルは一礼すると。


待っていましたと言わんばかりの顔で、こちらへ振り返った。


「さあ、アルト殿」


「次は僕みたいだね」


「昨日の剣術では、君の方が一歩先を行っていた。それは認めよう」


「一歩でいいの?」


「だが!」


俺の言葉を無視して、カイルが指を突きつける。


「君が氷と光の希少属性を持つことは、貴族ならば誰もが知っている!」


カイルの声に、何人もの生徒が頷いた。


俺が氷と光の希少属性を持っていることは、六歳の魔力測定の儀を受けた際、王城へ正式に報告されている。


希少属性同士の複合持ちが現れたという話は。


当時の貴族社会でも、随分と話題になったらしい。


先生達は、事前に提出された資料で当然把握している。


貴族出身のクラスメート達も、俺の属性自体は知っていた。


それでも。


希少属性の魔法を、実際に目にする機会は滅多にない。


「いよいよ見られるのね……」


「氷と光の魔法なんて、初めて見る」


「噂には聞いていたけれど、どれほど使えるのかしら?」


周囲から、期待に満ちた声が聞こえる。


平民出身の生徒達の中には、ここで初めて詳しい話を知った者もいるらしく、驚いたように俺を見ていた。


「しかし!」


カイルの演説は続く。


「属性が珍しいことと、それを使いこなせることは別の話!」


言っていること自体は正しい。


珍しい属性を持っていても、魔力を制御できなければ意味がない。


「魔法ならば、僕にも勝機がある!」


カイルが胸へ手を当てる。


「火と風の複合魔法を操る、この僕にね!」


「僕達、何か勝負してたっけ?」


「今からするのだよ!」


「授業なんだけど」


「ならば、授業でどちらが高い評価を得られるか勝負だ!」


どうやら、逃げ道はないらしい。


「分かった。じゃあ頑張るよ」


「その余裕が、いつまで続くかな?」


カイルが金髪を掻き上げる。


俺は前へ出ると、教師へ一礼した。


「アルト・フォン・ルミナスです。属性は、氷と光です」


「ええ。事前に提出された資料でも確認しています」


教師が頷く。


「それでは、まず氷属性から見せてください」


「はい」


俺は的へ手を向ける。


氷魔法については。


氷属性の権威であるグランお祖父様から教わり。


その後も母様と共に、何度も練習を重ねてきた。


氷を生み出す。


ただそれだけなら、もう難しくはない。


問題は。


どの程度までやればいいのだろう。


(的を凍らせればいいのかな?)


周囲を巻き込まないように。


それでいて、制御が伝わるように。


魔力を練り。


的の中心へ狙いを定める。


次の瞬間。


的の中心から、白い霜が一気に広がった。


一瞬にして、的全体が氷へ覆われる。


けれど。


氷は、的から外へ一切広がっていない。


地面も。


隣の的も。


何一つ凍らせることなく。


指定された的だけが、巨大な氷塊の中へ完全に閉じ込められていた。


訓練場が静まり返る。


「……あれ?」


誰も反応しない。


(やりすぎた?)


「ルミナス君」


教師が、凍りついた的へ近付いていく。


表面を確認し。


周囲の地面へ視線を向ける。


「この魔法は、的の中心から広げましたか?」


「はい。周りまで凍らせないよう、範囲を調整しました」


「…………」


教師が黙り込む。


やはり、何か失敗したのだろうか。


「せ、先生?」


「いえ。問題ありません」


問題ないと言いながら、声が少し震えていた。


「威力だけでなく、範囲制御も極めて正確です」


周囲から、遅れて歓声が上がる。


「何だ、今の……」


「一瞬だったぞ」


「地面は全然凍ってない」


「噂は本当だったのね……」


カイルも、目を見開いていた。


「ま、まあ、見事な氷魔法だったよ」


僅かに声が上擦っている。


「しかし、まだ光属性が残っている。二つの希少属性を、同じように扱えるとは限らないからね」


「うん。じゃあ、次は光だね」


「続けてお願いします」


教師の指示を受け、俺は別の的へ向き直る。


光魔法は、俺にとって最も馴染み深い属性だ。


ライブの照明。


スポットライト。


光の演出。


これまで何度も研究し、練習してきた。


(でも、的に当てるだけなら……)


光を一つ飛ばせば、それで終わってしまう。


それでは、少し味気ない。


せっかくなら、魔力制御の確認も兼ねて。


俺は頭上へ、六つの光球を生み出した。


白く輝く光の球が、円を描くように浮かび上がる。


「六つ……」


誰かが呟いた。


それぞれの光量を調整し。


六つの光球を、別々に動かす。


光球は俺の周囲を一度旋回すると。


訓練場に並べられた六つの的へ向かって、一斉に飛んでいった。


眩い光が走る。


ほぼ同時に。


六つの的の中心へ、小さな穴が開いた。


光球は、そのまま消えず。


それぞれの的の前で静止する。


(最後に、少しだけ)


俺が指を鳴らす。


六つの光球が砕け。


細かな光の粒となって、訓練場へ降り注いだ。


まるで。


舞台を彩る、光の雨のように。


光を受けた氷の的が、きらきらと輝く。


「おお……」


誰かが、感嘆の声を漏らした。


「綺麗……」


女子生徒達が、空から降る光へ手を伸ばしている。


魔法の確認だったはずが。


少しだけ、ライブの演出のようになってしまった。


教師は、六つの的を順番に確認していく。


全て。


ほぼ同じ位置に穴が開いていた。


「ルミナス君」


「はい」


「六つの光球を、それぞれ個別に操作していたのですか?」


「はい。同時に当てた方が早いかと思って」


「それぞれの威力も調整して?」


「的を壊さない程度にしました」


「最後の光は?」


「そのまま消すのは勿体なかったので、演出に使いました」


「演出……」


教師が、遠い目をする。


「先生?」


「いえ。もう結構です」


「評価は?」


「評価……」


教師が、もう一度穴の開いた六つの的を見る。


続いて。


一つだけ、完全に凍りついた的を見る。


「現時点で、一年生へ求める水準を大幅に超えています」


「ありがとうございます」


「いや、少し超えているという意味ではありません」


何故か訂正された。


「威力」


「はい」


「発動速度」


「はい」


「精度」


「はい」


「複数の魔法を同時に制御する能力」


「はい」


教師は、ほんの少し言葉を選ぶように間を置いた。


「全てが、同年代としては異常です」


褒められているのだろうか。


「さすが武のルミナス家……」


誰かが呟いた。


しかし。


すぐ隣から、別の声が返る。


「いや、今のは武なのか?」


「魔法だよな?」


「ルミナス家って、魔法もあんなにすごいのか?」


クラス中がざわめいている。


俺はカイルを見る。


「カイル」


「…………」


「僕の評価の方が高かったみたいだけど」


返事がない。


「カイル?」


「まだだ」


「え?」


カイルが俯いたまま、小さく呟く。


「まだ、威力が高いだけかもしれない」


「先生、精度と制御も評価してたよ?」


「聞こえていたとも!」


勢いよく顔を上げる。


「ならば、魔力量!」


カイルは、自分を鼓舞するように胸へ手を当てた。


「そう! 魔力量ならば、僕にも――」


「リフィル君」


教師が、静かに告げる。


「ルミナス君は、恐らく今の魔法に全魔力の一割も使用していません」


カイルの動きが止まった。


「…………一割?」


「周囲へ漏れた魔力の量から判断すれば、それ以下でしょう」


「…………」


「複合魔法を使用した君の方が、大きく消耗しています」


「…………」


カイルが、ゆっくりと空を見上げる。


「カイル?」


「綺麗な空だね……」


「屋内訓練場だけど」


見えるのは、天井だけだ。


「僕は今、果てしなく遠い空を見ているのだよ……」


昨日までは。


努力次第で追いつけると思っていたのだろう。


剣術では、確かにその可能性がある。


けれど。


魔法に関しては。


相手が、少しばかり悪すぎた。


「アルト様」


実技を見ていたリリィが、俺の近くへやって来る。


「相変わらず、容赦がありませんね」


「普通に魔法を使っただけなんだけど」


「それであのような結果になるから、容赦がないと言っているのです」


「加減はしたよ?」


「余計に残酷だわ」


何故だろう。



そんな俺達の様子を。


訓練場の外から、じっと見つめる者がいた。


校舎の柱の陰。


いかにも怪しい黒い外套に身を包み。


壁から顔を半分だけ覗かせている、一人の男。


その両手は。


小刻みに震えていた。


「す、素晴らしい……」


男の口から、掠れた声が漏れる。


「氷属性の出力と範囲制御……対象だけを選び、周囲へ一切影響を及ぼしていない」


震えが、少しずつ大きくなる。


「さらに、六つの光球を同時に操作……それぞれの威力、速度、軌道を個別に調整しただと……?」


男の目が、怪しく輝く。


「しかも、役目を終えた光を消さず、細かな光の粒へ再構築した……?」


身体の震えは。


恐怖によるものではない。


歓喜だった。


「見たい……」


男は、懐から手帳を取り出す。


「もっと見たい!」


素早く文字を書き込んでいく。


「魔力量を測定したい! 術式を確認したい! 氷と光を同時に発動させた場合の相互作用も調べたい!」


手帳へ走るペンが、さらに速くなる。


「できることなら一日……いや、一週間! 研究室でじっくりと観察を!」


「何をしているのですか?」


「うひゃあっ!?」


突然、背後から声を掛けられ。


男が飛び上がった。


振り返ると。


そこには、呆れた表情を浮かべた学園長が立っていた。


「が、学園長……驚かせないでいただきたい」


「驚いたのはこちらです」


学園長が、大きくため息をつく。


「王国の宮廷魔術師長ともあろう御方が、訓練場の柱へ隠れて何をしているのですか」


そう。


この不審者こそ。


アストリア王国の魔術師達を束ねる、現宮廷魔術師長だった。


「視察です」


「その黒い外套で?」


「身分を隠すためです」


「顔は隠れておりませんが」


「…………」


「それに、アルト君達が入学する前から、何度も学園へ来ていましたね?」


「宮廷魔術師長として、王国の将来を担う若者達の教育環境を確認する義務があります」


「その割には、アルト君の授業日程ばかり尋ねていましたが」


「偶然です」


「魔法実技の日程を聞いた瞬間、手帳へ大きな丸を付けていたようですが」


「偶然です」


「今朝は、授業開始の二時間前からこの柱の陰にいましたね?」


「…………視察です」


学園長が、疲れ切った表情で額を押さえる。


宮廷魔術師長がアルトの存在を知ったのは、四年前。


アルトが六歳で受けた、魔力測定の儀の報告書が王城へ届けられた時だった。


氷属性と光属性。


二つの希少属性を併せ持つ、前例のほとんどない少年。


それ以来。


宮廷魔術師長は、国王へ何度も面会の許可を求め続けてきた。


『陛下! どうか、アルト・フォン・ルミナス君と面会する許可を!』


『何をするつもりだ?』


『もちろん、研究です!』


『却下だ』


『まだ何も説明しておりませんが!?』


『研究と言った時点で十分だ』


『危険なことはいたしません! 魔力量と術式を測定し、可能であれば血液と毛髪を少々――』


『却下だ』


『解剖などは決していたしません!』


『当たり前だ!』


そんなやり取りが、一度や二度ではなく繰り返されていた。


アルトが八歳で社交界デビューを果たした夜会でも。


国王自ら、その話を本人へしていたほどだ。


国王アルフレッドにとって。


アルトは、最も信頼する友人であるレオンハルトの大切な息子だ。


それ以前に、まだ幼い子供である。


珍しい属性を持っているからといって。


研究へ付き合わせるつもりはなかった。


ただ。


宮廷魔術師長も、決して悪人ではない。


魔法の発展を心から願い。


研究成果を王国や民のために役立ててきた、優秀な魔術師だ。


純粋に。


あまりにも純粋に。


魔法が好きすぎるだけだった。


そのため、国王も強く叱りつけることはせず。


『いずれな』


『まだ早い』


『本人が望んだら考えよう』


そう言って、のらりくらりとかわし続けてきた。


しかし。


そのアルトが、ついに王都へやって来る。


王立学園へ入学すれば、魔法実技の授業を受ける。


必ず、人前で魔法を使う。


それを知った宮廷魔術師長は。


アルト達が入学するよりも前から学園へ足を運び。


学園長から一年一組の予定を聞き出し。


今日という日を、今か今かと待ち続けていたのである。


「学園長」


宮廷魔術師長が、真剣な顔で振り返る。


「私は今、確信いたしました」


「何をですか?」


「あの少年は、魔法史を変えます」


先ほどまでの怪しさが嘘のような、真っ直ぐな声だった。


「氷と光を使えるからではありません」


手にした手帳を、強く握り締める。


「魔力が多いからでもない。制御が優れているからでもない」


宮廷魔術師長の視線の先では。


アルトがリリィと話しながら、凍りついた的を元へ戻そうとしていた。


「ただ威力が高いだけではない」


指定された対象だけを凍らせ。


周囲の地面や、別の的には一切影響を及ぼさなかった。


氷を生み出すだけならば、氷属性を持つ魔術師なら誰にでもできる。


しかし。


あれほどの出力を維持しながら、効果範囲を寸分違わず制御することは、熟練の魔術師でも容易ではない。


さらに。


六つの光球を、それぞれ異なる軌道で同時に操り。


全てを的の中心へ命中させた。


そして。


役目を終えた光を、そのまま消すのではなく。


細かな光の粒へ変え、美しい光景を作り出した。


「あの少年は、魔法を放って終わりとは考えていない」


攻撃に使用した魔力すら。


最後の一欠片まで、別の形で活用する。


それは、効率だけを求めた結果ではない。


周囲にいる者を驚かせ。


楽しませ。


笑顔にするための魔法。


「我々とは、魔法を見る視点そのものが違う……」


宮廷魔術師長の身体が、再び震え始める。


「素晴らしい……!」


「師長?」


「素晴らしいぞ、アルト・フォン・ルミナス!」


両手を広げ。


天を仰ぐ。


「希少属性を二つ持つだけでも奇跡だというのに、その発想まで常識の外にあるとは!」


「声が大きいです!」


訓練場にいた生徒達が、一斉に振り返る。


「何か聞こえなかった?」


俺が、声のした方を見る。


けれど。


そこには既に、誰の姿もなかった。


「気のせいかしら?」


リリィも、不思議そうに首を傾げる。


柱の裏では。


学園長に口を塞がれた現宮廷魔術師長が、必死に訓練場へ戻ろうともがいていた。


「んんーっ!」


「落ち着いてください!」


「んんんーっ!」


「授業が終わるまで、絶対に出てはいけません!」


こうして。


俺の知らないところで。


新たな騒動の種が、元気いっぱいに芽を出していた。

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