表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
44/50

第38話 sideリリアーナ・エル・アストリア

王立学園への入学を数週間後に控えた、ある日のこと。


私はお父様に呼ばれ、王城の執務室を訪れていた。


「失礼いたします、お父様」


「ああ、来たか、リリィ」


机へ向かっていたお父様――アストリア王国国王アルフレッド・エル・アストリアが、顔を上げる。


その表情には、いつもの穏やかさがなかった。


眉間には深い皺が刻まれ、机の上には王立学園や教会から届いたと思われる報告書が、うず高く積み上げられている。


室内にいたのは、お父様だけではない。


長椅子には、エドガーお兄様が座っていた。


その向かいには、一人の少年がいる。


ユリウス・ベルン。


幼い頃より王国の麒麟児と呼ばれ、現在はお父様から正式に賢者の称号を授けられている人物だ。


年齢だけを見れば、まだ十六歳。


けれど、その知識と実績を侮る者は王城内にはいない。


政治。


経済。


軍事。


外交。


内政。


どの分野においても、大人の文官達が彼の意見を求めるほどだった。


「お父様」


私は空いている席へ腰を下ろしながら、机の上の報告書へ視線を向ける。


「何か問題でもございましたか?」


「少々、頭の痛い問題があってな」


お父様が、深く息を吐く。


「勇者ルークと、聖女マリアンヌについてだ」


その名なら、私も当然知っている。


聖剣に選ばれた勇者と、強力な神聖属性を持つ聖女。


いずれ魔王討伐の旅へ出る、人類の希望。


少なくとも、世間ではそのように呼ばれている二人だった。


「二人が、何か?」


「学園から、連日のように報告が届いている」


お父様が机上の書類を一枚取り上げる。


「授業への無断欠席」


一つ。


「教師の指示への反抗」


二つ。


「訓練場の無断使用」


三つ。


「他の生徒との私闘」


読み上げるたびに、お父様の眉間の皺が深くなっていく。


「先日は、ルークが上級生三人を相手に決闘を行い、二人が治療院へ運び込まれたそうだ」


「決闘の許可は?」


「出ていない」


「では、決闘ではなく、ただの私闘ではありませんか」


「そうなるな」


お父様が苦々しげに頷く。


「本人は、相手が先に挑発したと主張している。もっとも、相手側もルークを侮辱したこと自体は認めているようだが」


「原因がどちらにあるかと、学園の規則を破ったかどうかは別の問題です」


それまで報告書へ目を通していたユリウス様が、淡々と告げた。


「挑発を受けたのであれば、教師へ申し出るべきでした。決闘を行う場合にも、学園側の許可と監督者が必要です」


「分かっている」


「であれば、規則に従って処分すべきでしょう」


「それが簡単にできれば、苦労はせん」


お父様が額へ手を当てる。


勇者は、ただの一生徒ではない。


聖剣に選ばれた、人類の切り札。


その背後には、ルークを神に選ばれた者として積極的に支援している教会が存在する。


学園がルークへ処分を下そうとすれば、教会は必ず反発するだろう。


それだけではない。


聖剣に選ばれたルークの戦闘能力は、既に並の教師を大きく上回っているという。


規則に従わせようにも。


本人が従う気を見せなければ、力ずくで止められる者が学園内にはほとんどいない。


教師達が及び腰になるのも、理解できなくはなかった。


「マリアンヌについては?」


私が尋ねると、お父様は別の報告書を手に取った。


「彼女自身が暴力を振るったという報告はない」


「では、問題はないのですか?」


「いや。ルークの行動を、全て正しいものとして擁護している」


「全て、ですか?」


「全てだ」


お父様の声が、さらに重くなる。


「教師がルークを注意した際には、『勇者様を妨げることは、神の御意思に背くことです』と言ったらしい」


思わず言葉を失う。


「それは……注意ではなく、脅迫に近いのではなくて?」


「本人にそのつもりはないのでしょう」


答えたのは、ユリウス様だった。


「だからこそ厄介なのです」


「どういう意味でしょう?」


「悪意のある人間は、自らの利益に反すると理解すれば、行動を改める可能性があります」


ユリウス様は、感情の見えない顔で説明を続ける。


「しかし彼女は、自分の行いが絶対的に正しいと信じている。自身の言葉が相手への圧力になっていることすら、理解していない可能性が高い」


「説得が通じない、ということですか?」


「正確には、自らが信じる教えに反する言葉を、説得として認識しません」


ユリウス様は何でもないことのように言った。


けれど、その内容には薄ら寒いものを感じた。


自分の行いが間違っていると知りながら、悪事を働く者。


それも、もちろん恐ろしい。


けれど。


自分は絶対に正しいと信じ。


笑顔のまま他人を追い詰める者は。


もしかすると、それ以上に恐ろしいのかもしれない。


「エドガー」


お父様が、お兄様へ目を向ける。


「実際の学園での様子はどうだった?」


「そうですね……」


エドガーお兄様が腕を組む。


普段の快活な表情とは違い、今日は真剣な顔をしていた。


「俺も、勇者になる前のルークについては、ほとんど知りません」


「同じ時期に在学していたのでしょう?」


「あの頃の俺は上級生で、あいつは入学したばかりでしたから。それに、当時のルークは目立つ生徒ではありませんでした」


お兄様は、少し言いづらそうに続ける。


「正直に言えば、平民の下級生一人一人まで気に掛けてはいませんでした。ルークの名前を知ったのも、聖剣に選ばれてからです」


それは恐らく、エドガーお兄様だけではない。


当時の多くの生徒がそうだったのだろう。


何者でもなかった、平民の少年。


その存在を、誰も気に留めなかった。


そして聖剣に選ばれた瞬間。


今まで彼を知らなかった者までが、その名を口にし始めた。


「勇者になったばかりの頃は、まだ大人しかったと思います」


お兄様は、当時を思い返すように視線を伏せる。


「突然周囲から持ち上げられて、本人も戸惑っているように見えました。ただ、俺が卒業する頃には……かなり変わっていました」


「具体的には?」


「訓練場を使っている生徒を、邪魔だからという理由で追い出す。授業中に気に入らないことがあれば、教師を無視して出ていく。自分を侮った生徒を、訓練と称して一方的に叩きのめす」


お兄様の表情が険しくなる。


「止めようとした教師に、聖剣を見せつけたこともあります。抜きはしませんでしたが……あれは明らかな威圧でした」


「教師へ、聖剣を……」


聖剣は、人類を守るためのもの。


教師を黙らせるために使われるようなものではない。


「お兄様は、注意しなかったのですか?」


「したさ」


エドガーお兄様は即答した。


「俺だけじゃない。生徒会や、何人かの上級生も注意した。だが、あいつは言った」


お兄様の口調が低くなる。


「『俺より弱い奴の言うことを、どうして聞かなければならない』とな」


部屋の中が静まり返った。


お父様が額へ手を当てる。


「学園長からの報告とも一致しているな」


「はい。俺が卒業した後、さらに酷くなったのだと思います」


「ルークを虐げていた生徒や、それを見て見ぬふりしていた教師にも責任はあるのでしょう」


私は静かに口を開く。


「けれど、それは今の振る舞いを許してよい理由にはなりません」


「その通りだ」


お父様も頷いた。


「だが、まだ十三歳の子供でもある」


その言葉には、僅かな迷いが滲んでいた。


国王ではなく。


一人の父親としての感情が。


「陛下」


それまで黙って話を聞いていたユリウス様が、報告書を机へ置いた。


「現状、ルークは学園へ真面目に通っていません」


「……そうだな」


「通常の授業にはほとんど参加せず、参加しても教師の指示に従わない。既に一般生徒と同じ教育課程へ在籍させる意義は失われています」


「何が言いたい?」


「いっそのこと、飛び級で卒業させてはいかがでしょう」


あまりにも淡々とした提案だった。


「卒業、ですか?」


「はい」


ユリウス様が私を見る。


「必要な卒業試験だけを受けさせ、基準に達していることを確認したうえで、学園から切り離します。その後は、勇者としての訓練を本格化させるべきです」


「しかし――」


「学園へ籍だけを置き、授業へ出席せず、問題を起こし続けるよりも効率的です」


ユリウス様は表情一つ変えない。


「ルークには一般教養よりも、戦闘訓練、魔物に関する知識、野外行動、部隊指揮を優先して学ばせる必要があります」


「待て、ユリウス」


お父様が、低い声で遮る。


「ルークは確かに勇者だ。だが、その前に一人の子供でもある」


「事実です」


「学園は、知識だけを得る場所ではない」


お父様は積み上げられた報告書へ視線を落とした。


「同年代の友人を作り、共に学び、失敗を重ねる場所でもある。こちらの都合だけで、子供から学ぶ機会や、友と過ごす時間を奪うのは……」


「陛下。お言葉ですが」


ユリウス様は、国王を前にしても少しも怯まなかった。


「聖剣に選ばれた時点で、ルークは単なる一個人ではありません」


その声に冷たさはない。


同情も。


怒りも。


ただ事実だけを並べている。


「彼は、王国の剣です」


お父様の眉が、僅かに動く。


「ならば剣は、必要な時に振るえるよう、鋭く研いでおかねばなりません」


「まだ十三歳の子供を、王国の剣として扱えと言うのか?」


「聖剣に選ばれた以上、それが勇者の責務です」


ユリウス様は、迷うことなく答えた。


「既に王国も教会も、彼を勇者として扱っています。勇者という名誉と特権を与え、莫大な費用を投じている。それでいて、都合のよい時だけ一人の子供として扱うのは矛盾しています」


「…………」


「友人との生活が本人の成長に寄与しているのであれば、残す価値はあります。しかし現状では、ルークは他の生徒と友好関係を築くどころか、恐怖によって従わせている」


残酷なほど、正しい指摘だった。


「感情ではなく、実利でお考えください」


ユリウス様は、真っ直ぐにお父様を見る。


「学園にとっても、他の生徒にとっても、そして勇者本人にとっても。早期卒業と専門教育への移行が、最も損失の少ない選択です」


お父様は、すぐには答えなかった。


長い沈黙が流れる。


やがて。


お父様が深く、重いため息をついた。


「……卒業試験を受けさせよう」


「お父様」


「ただし、形だけの卒業は認めん。必要な学力を備えているか、厳正に判断させる」


「合理的な判断です」


「お前に褒められても、少しも嬉しくないな」


「そうですか」


本当に理由が分かっていないような顔で、ユリウス様は首を傾げた。


その様子に、エドガーお兄様が苦笑する。


けれど。


お父様の表情が晴れることはなかった。


恐らく。


正しい判断であることと。


心から納得できることは、同じではないのだろう。


その時の私はまだ。


お父様が抱える迷いを、完全には理解できていなかった。



そして。


王立学園へ入学した、その日の夜。


自室へ戻った私は、窓辺の椅子へ腰を下ろしていた。


昼間の入学式で起きた出来事を思い返す。


在校生代表の挨拶へ勝手に割り込み。


当然のように壇上を奪った勇者ルーク。


学園の制度を表面だけで批判し。


貴族と平民の平等を語りながら。


平民のために王国が負担している学費や生活費には、一切触れなかった。


そして最後には。


『力こそが、全てだ』


そう、大講堂中へ言い放った。


その主張を、無条件に称賛した聖女マリアンヌ。


『勇者様は正しい』


『勇者様は素晴らしい』


まるで。


ルークが口にした言葉ならば、どんな内容であっても、神の教えになると信じているようだった。


「はあ……」


思わず、ため息が漏れる。


「確かにこれは、お父様も頭を悩ませるわね」


あの場で教師達が動けなかった理由も、今ならよく分かる。


ルーク個人の力。


聖剣に選ばれた勇者という立場。


そして、教会の後ろ盾。


一人の生徒を注意するだけで。


学園と教会。


場合によっては、王国と教会の対立にまで発展しかねない。


卒業試験を受けさせ。


必要な成績を収めたなら、飛び級で卒業させる。


あの時は、随分と冷たい判断に聞こえた。


けれど今日の姿を見た後では。


学園へ残す方が危険だと思えてしまう。


ルークはもう、生徒として学ぶために学園へ通っているのではない。


自分の力を示し。


誰も自分には逆らえないのだと確かめるために、そこにいる。


(ユリウス様の判断は、正しかった)


少なくとも。


理屈の上では。


「王国の剣、か……」


私は窓の外へ目を向ける。


夜の学園は静かだった。


昼間、あれほどの騒ぎがあったことなど、まるで嘘のように。


王国の剣。


その言葉から、私は一人の人物を思い浮かべる。


レオンハルト・フォン・ルミナス大公爵。


アルトのお父様であり。


王国軍の頂点に立つ御方。


お父様は、レオンハルト様のことを何度もこう評していた。


『彼こそ、我が王国の剣だ』と。


レオンハルト様は、その圧倒的な力を王国のために振るう。


魔物や敵国の脅威から民を守り。


兵を率い。


自ら最前線へ立ち。


王国の平和を支えている。


力を持たない者を守るために。


自らの力を使う。


だからこそ、お父様はレオンハルト様を信頼し。


敬意を込めて、王国の剣と呼ぶのだろう。


一方。


ユリウス様もまた、ルークを王国の剣と呼んだ。


けれど。


今日のルークが振るっていた力は、誰かを守るためのものではなかった。


自分の主張を通すため。


他人を黙らせるため。


誰も自分には逆らえないのだと示すため。


ルークは、与えられた力を自分自身のために使っている。


「同じ王国の剣でも……随分と違うものね」


思わず、独り言が漏れた。


レオンハルト様は、王国と民を守るために振るわれる剣。


ルークは、王国によって研ぎ上げられながら、自分のために力を振るう剣。


前者は、誰かを守るために、自ら刃を向ける相手を選ぶ。


後者は、自分へ逆らう者全てを敵と見なす。


剣は、鋭く研がなければならない。


それは分かる。


けれど。


どれほど鋭く。


どれほど強い剣であっても。


守るべきものへ刃を向けるのなら。


それは本当に、王国の剣と呼べるのだろうか。


(ユリウス様は、ルークを王国の剣だと言った)


恐らく、あの方にとって大切なのは。


その剣が必要な時に、必要な敵を斬れるかどうかなのだろう。


魔王を討つ。


魔物を倒す。


王国へ迫る脅威を排除する。


その目的さえ果たせるのなら。


ルークがどのような人格を持っているかは、優先順位が低いのかもしれない。


けれど。


どれほど優れた剣でも。


握る者の意志に従わず。


自ら振るわれるようになってしまえば。


いつか敵だけでなく、味方や民まで傷つける。


そして最後には。


その剣を握る王国自身へ、刃を向けるかもしれない。


「お父様が頭を悩ませるのも、当然ね……」


ルークは間違いなく強い。


人類にとって必要な力を持っている。


だからこそ。


誰も彼を簡単には切り捨てられず。


誰も彼の横暴を止められない。


力を持つ者が、その力を何のために使うのか。


レオンハルト様とルーク。


二人を分けているものは、持っている力の大きさではない。


きっと。


守りたいものが、自分の外にあるかどうかなのだ。


レオンハルト様は。


王国を守る。


民を守る。


家族を守る。


そのために剣を振るう。


では。


ルークが守りたいものは、何なのだろう。


今のルークが守ろうとしているのは。


自らの誇りと。


勇者としての立場と。


誰にも屈しない自分自身だけに見える。


同じ王国の剣と呼ばれながら。


二人は、あまりにも違っていた。


私はもう一度、静かな夜空を見上げる。


レオンハルト様の背中を見て育ったアルトは。


もし、今以上に大きな力を手に入れたとしても。


決して、ルークのようにはならない。


不思議と、そう信じることができた。


アルトは昔から、自分の力をひけらかすことに興味がない。


誰かに認められるためではなく。


自分がやりたいと思ったことへ、真っ直ぐに力を使う。


そして。


本人には、その自覚がほとんどないけれど。


アルトがやりたいことは、いつも誰かの笑顔へ繋がっている。


歌も。


踊りも。


魔法も。


誰かを楽しませるために使われる。


(剣ではないけれど)


アルトは、レオンハルト様とは違う道を歩んでいる。


それでも。


力を自分だけのために使わないという点では、よく似ているのかもしれない。


「……考えても仕方がないわね」


小さく首を振る。


明日から、本格的な学園生活が始まる。


勇者が何を考えていようと。


聖女が何を信じていようと。


私には、王女として守らなければならないものがある。


王家が積み重ねてきたもの。


この学園で学ぶ生徒達。


そして――。


(アルトも、きっと何かに巻き込まれるでしょうし)


本人には、まるで自覚がないけれど。


アルトは昔から、妙な出来事を引き寄せる。


それなのに。


自分の興味があること以外には、とことん無頓着だ。


私が見ていなければ、何をしでかすか分からない。


「まったく……」


そう呟きながら。


自分の頬が僅かに緩んでいることに気付き、慌てて表情を引き締める。


今考えるべきは、アルトのことではない。


勇者と聖女のことだ。


そう自分へ言い聞かせながらも。


明日の教室でアルトに会えることを。


私は、ほんの少しだけ楽しみにしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ