ルートは進むよ、どこまでも
エレオノーラが昼餉を終えて、薬草の陰干しをしている最中に少年は目覚めた。
しかし呆然と天井を見上げたまま動かない。
エレオノーラは薬草を干す手を止めて、少年に近寄った。
側に座り込んで顔をのぞきこむ。
「少年、少年。生きてるんだから呼吸くらいちゃんとしなさいよ」
少年が公爵だとわかっていたが、それは反則的な方法で知った知識なので何も知らない女のふりをして話しかける。
少年はエレオノーラを濃い緑の瞳にうつすと、ぼんやりとした口調で尋ねた。
「いきて・・・いるのか」
死者がこんなにしゃべったらホラー以外のなにものでもない。
「生きてる生きてる。森に行き倒れてたけど、死んでない」
正確には死にかけてたけど。
それは言わないエレオノーラだった。
少年はようやく視点をむすんだ目で、エレオノーラをじっと見つめた。
そしてポロリと涙をこぼした。
エレオノーラがぎょっと目を見開くと、少年もまた動揺したように目をまたたいた。
自分でも泣くとは思っていなかったような反応だった。
エレオノーラは元の世界で男が泣く場面を見たことがある。
小さいころなら、くだらないことで沢山。
おとなになってからは、恋愛がらみや仕事がらみでの苦い涙を。
けれど、こんな明らかに暴行を受けた後の安堵したときの涙など知らない。
どう対応したものかと思いながら、出来る限り優しげな声音で話しかけた。
「何があったか知らないけどさ。とりあえずここにはあんたを傷つけるものはない。その代わり温かいスープがある。食べられそうなら持ってくるよ」
少年はかすかにうなずいた。
反則級の薬品で体力が全快しているといっても、精神的な消耗が激しいのだろう。
あまり大きな動作はできない様子だった。
エレオノーラが持ってきた薬草スープを、少年はなんとか身を起こして自力で飲み干した。
人心地ついたのか、こちらをちらりと見て思案している。
エレオノーラは知らぬふりをして、薬草を干す作業に戻っていた。
「すまない、女史。君は医者か?」
作業が終わるのを待っていたのか、エレオノーラがからになった籠を置いたときに少年は尋ねてきた。
エレオノーラは少し考えてから、少しだけ正直に話すことにした。
特に身分を偽る必要はない。
不老不死ではあるけれど、最近は用心して顔をさらさずに近隣で医療活動を行っているし。
正体不明の魔法医がいる、という噂にはなっているようだが。
「私はエレオノーラ。薬草を中心にしてるけど、魔法もちょっと使う医者みたいなもんよ」
「魔法を?都で学んだのか?」
「いや、独学。まあ薬草の知識もそうだけどね。だからたいしたことはできないけど、森で行き倒れてるヤツを拾うくらいはできるってわけ。で、あんたは?」
逆に問い返すと、とたんに少年の口が重くなった。
そりゃそうだ、とエレオノーラは内心うなずいていた。
そしてそのまま身分を偽ってくれればベターである。暴行された公爵とのかかわりなんて、やっかいごとの匂いしかしない。
「私は・・・私は」
少年はひとつ息をついた。
「私の名を明かす前に、訊きたいことがある」
エレオノーラは続きをうながすように、首をかしげてみせた。
「私はほとんど死にかけていたはずだ。いや、死んだと思った。だが生きている。これは独学でたどりつく救命の技術なのか?」
はい、予想どおりの質問。
この質問は助けるときに覚悟していたものだ。
だから一応対処も考えている。騙されてくれるかは分からないが、本当のことを言うつもりはなかった。
「私が持ってた薬をぜんぶ飲ませたのよ。わりと重体っぽかったから、今までの対応じゃ助からないと思ってダメでもともと。運が良ければ助かる、くらいの感じでね」
「では、私が生き延びたのは偶然だと?」
「偶然なのか、あんたの生命力が強かったのか。それはわかんない」
「視力が回復するほどの生命力があるとは思えないんだが」
矢継ぎ早に詰問される。
これはもう尋問だ。
だが、やっかいごとを抱える公爵様にとっては不審者かどうか見分ける重要なことなのだろう。
「視力が回復するとかよくわかんない。もともと見えてたんじゃないの?」
「いや、短剣でえぐりとられた」
「・・・あ、そうなんだ。うん、なんか痛そうだけどさ。それって幻覚の魔法とかじゃないの?」
「幻覚?痛みのある幻覚・・・」
少年は考え込むように視線を下げた。
「そのような魔法は聞いたことがないが、エレオノーラ女史には心当たりがおありか?」
自分の名前の呼び方に背筋がかゆくなった。
そんな高尚な呼びかけされたことないから仕方ない。
「んー。知ってる魔法が少ししかないから、よくわからないけど。魔法は想像力が大切っていうのはわかる。だから、なんでもありなんじゃないかなーと」
「そうか・・・」
実際なんでもありだ。
それを身を持って知っているエレオノーラの言葉には妙な説得力があった。
少年は深呼吸を一度すると、まっすぐにエレオノーラの目を見た。
「まだわからないこともあるが、あなたに助けられたのは確かなようだ。あらためて礼を言う。私はキールだ」
偽名ではないが、名字を名乗らなかったことにエレオノーラはほっと安堵した。
ぎりぎりセーフ!
今ならまだこのやっかいごとの塊のような御仁にそのままお帰り願える。
「キールね。からだの傷は治ったようだけど、どこか異常はある?」
なんちゃって医者として、一応体調を訊いておいた。
「いや、疲れているが特に問題はないようだ。ただこの薬草の匂いは・・・」
気まずそうにキール少年が後方に干されている薬草の束を見た。
慣れない人に薬草類の匂いはきつい。
エレオノーラも最初はなんの拷問かと思ったが、今では慣れている。
「あぁ・・・まあこの匂いは諦めてよ。医者の家なんてこんなもんだって」
へらりと笑いかけると、キール少年は「そんなものか」と呟いてうなずいた。
そして話し疲れたのか、クッションに沈み込むように頭をもたせかけた。
エレオノーラとしては、気力が回復次第出ていってもらいたいが、キール少年は思ったよりも消耗しているようだ。
これが大のおとななら問答無用でたたき出すが、子どもにそんな真似はできない。
たとえこの世界ではすでにおとなと認められる年齢に達していようと、12~13歳くらいの見た目が元の世界の感覚では子どもだと認識してしまう。
子どもは守られるものだ。
子どもは愛されるものだ。
子どもはそうして育まれるものだ。
エレオノーラの元の世界の家庭環境はよいとは言えなかったからこそ、子どもには幸せであって欲しいという思いがある。
義務で保護されるのではなく。
義務で仮初の世間体をつくられるのではなく。
きちんと愛されるべきだと。
昔を思い出して感傷にひたりかけたが、エレオノーラは強制的に現実に意識を戻した。
どうやらキール少年をしばらく面倒見ることは確実になりそうだった。