私の言葉は娘に届いていないのだと思っていた
「うるさいからやめて」
「危ないからやめて」
「ママの声、聞こえてる?」
「なんで言うこと聞けないの!」
そんな私の言葉はいつも無視される。オウム返しされる事も多い。聞こえているのに、なぜ届かないのだろう。
娘が間違っている時に何度もそれは違うと言っても、聞き入れてはくれない。
「私の言う事は、何も信用してくれないよね」
つい言ってしまった、その言葉も届かなかった。
先日、娘は小学校の裏門で号泣した。それまで正門から入っていたのに、送迎の子は裏門から登校するようにとプリントに書いてあり、その日から裏門に行く事にしたのだ。
親が隣にいても、声をかけても、一歩も歩こうとしなかった。それなのに、先生が迎えに来てくれて、この門から入ってもいいのだと説明された娘は、あっさりと門をくぐった。
また親の言葉は届かなかったと、思いかけた。
届かなかったのではない。親の言葉は、彼女の納得の根拠にならないだけだ。
娘が2歳の頃、青信号を「緑信号」と呼んでいた。私が「緑に見えるけど、青信号というんだよ」と何度教えても変えなかったのに、自分が読んだ本に「青信号」と書いてあったら、それだけで、娘は青信号と言うようになった。
3歳の時、ダンス教室でブレイクダンスを見た娘は、家で床に頭を付けて回ろうとした。危ないからやめてと、私が何度言ってもやめない。困った私はダンス教室の先生に、まだ早いからしないでと言って下さいとお願いした。先生に言われると、娘はピタリとやめた。
廊下を走らないでと言っても、走る。何度言っても聞かないのに、私が貼り紙を見つけて指差せば止まった。
将棋の駒の動かし方を間違えても、娘は私の指摘では納得しないので、説明書を見せる。
娘にとって、親の言葉は根拠にならない。物心ついたばかりの頃から、ずっとだ。
親の発言は個人の意見として処理される。正しいかもしれないが、信用には値しない。
娘にとって根拠となるものは、本、説明書、掲示されたルール、専門家の言葉。
娘は親に反抗しているのではない。親を軽んじているのでもない。ただ、人がそう言った事と、そうである事を区別している。
多くの子供は母親の言葉を一番の真実として受け取るのだろう。
「お母さんが言ったから」
けれど娘は、きっとそんな事は言わない。それは、少しだけ淋しい。
娘にとっての正しさに、私はなれない。
これまでも、これからも、娘は誰かに従うのではなく、自分で根拠を確認する。
だから、私も。本を開く。先生にお願いする。ルールを一緒に読む。掲示物の前に並んで立つ。
娘が納得できるように、さりげなく誘導する。今まで通り。
泣いていた娘が、先生の言葉で足を動かした。
淋しいけれど、悔しくはなかった。
娘の中に、確固たる納得の仕組みがある。私には娘を納得させることはできない。
けれど娘は、いつもギューってして、と言ってくる。私から届いているものも、ちゃんとある。




