12
「もう、耐えられない。 私と別れてください」
そう言って頬を押さえる対象者の、その肘からポタリと血の雫が垂れた。 夜会が行われていた会場に、小さな悲鳴があがった。
フワリと鉄臭い匂いを感じた。
(まずい。 魅了魔法が充満する)
咄嗟にブラウトは、対象者の腕を取り、会場から離れようとするのだが、彼女は暴れるばかりか、彼女の友人とやらまで出てきてしまった。
もう、観念するしかない。 ブラウトは、対象者の背中を見送った。
「あぁーあ、もう………」
ブラウトは、派手に溜息をついた。
失敗した。 怪我をさせるつもりは無かった。
どこからともなく、黒いローブを被った魔導師達がやって来て、会場にいる参加者たちに記憶阻害と魅了中和の魔法をかける。
その様子を見ながら、ブラウトは悪態をついた。
「お前らが、対象者の中和をすればいいだろ?」
だが、彼らは答えない。
「早く対象者を追ってください」
労る素振りを少しも見せず、そればかりか、冷たい視線を投げかける彼らに、ブラウトは舌打しながら会場を後にした。
*****
―――翌日、魔導師長に呼び出されたブラウトは、再び頭を抱える事となった。
対象者と隣国の騎士が、急接近している。という報告だった。
「賓客に魅了なんて使われた日には、国益に関わる」
同席する外務省の人間が、一人騒いでいた。 正直、ブラウトにはどうでも良かった。
互いに好きあって国外に出るのなら、もう、それで良いではないか。 なにも、この国に引き留める必要もないだろう。
何より彼は、疲れ切っていた。 もう、終いにして欲しかった。
ブラウトは訴えた。
「もう、対象者を自分に繋ぎ止める術がありません。 それに、彼女は、自分と別れたがっています。 お手上げです。 『古の魔女』でないのなら、監視でいいのではないですか? あれ以来、魅了は使われていないですよね」
だが、誰も賛同してくれない。
それどころか魔導師長が、小瓶をブラウトに差し出した。 ブラウトは、嫌な予感がした。
「エルヴィアを呼んである。 今から対象者に会いに行くように」
「嫌です。 もう、無理です」
「一度、試してみてくれ」
魔導師長はブラウトの手に、赤黒く光る小瓶を押し込み、ニヤリと笑う。 ブラウトは背すじが寒くなる。
イかれてる。 コイツラは、イかれてる。
威圧するような視線を感じながら、ブラウトはその部屋から出た。 外にはエルヴィアが待ち構えていた。 ブラウトは、ふと思う。 彼女はどこまで知っているのだろうか。
******
宮殿病棟。 ここで、対象者は魅了の中和を受けている。 本人は何も知らない。
ブラウトが、ここで対象者に会うのは二度目になる。 一度目は、逃げ出さないように威圧した。 だが、今度はそうは、いかない。
ブラウトは胸ポケットを触り、小瓶を確認した。 隣でエルヴィアが、疑惑の視線を送ってくる。
「ちゃんと、持ってきているようね」
その言葉を吐く彼女は、ついこの間、涙ながらにブラウトに謝罪していた令嬢と同一人物なのだろうか。
あまりにも淡々としていて、ブラウトに対する思いやりがない。
そもそも、ブラウトがこんな仕事をする事になったのは、エルヴィアのせいなのに。 その事に彼は少しいらつく。
「あぁ………」
ブラウトはぶっきらぼうに答えた。 好きな女に、これから他の女を抱くのを監視されるのだ。 まぁ、今では好きかどうかも分からなくなっているのたが。
「それ、あなたに中和される事を踏まえて、濃いめに作ってあるから。 間違えても、あなたが飲み込まないでよ?」
クスクス笑いながら伝えてくる彼女に、ブラウトは殺意を覚える。 いや、殺意を通り越して呆れた。 深い絶望感を感じた。
対象者の病室のドアに、手を掛けるブラウトに対し、エルヴィアはトドメを刺した。
「ちゃっちゃと、すませちゃいなさいよ?」
―――それからは、地獄だった。
逃げ出そうとする対象者を押さえつけ、その身体を弄んだ。 紐で縛り付け自由を奪った。 意識朦朧としている対象者の口腔内に、あの赤黒く光る小瓶の液体を注ぎ込む。 罪悪感に押し潰された。
これで、対象者はブラウトの身体を、ブラウトとの行為を忘れられなくなる。 ブラウトを欲するようになる。 ある種の魅了薬だ。
だが、まだ終われない。 エルヴィアが、聞き耳を立てているのを感じていた。
ブラウトは、友人から渡された小瓶の液体を飲み干した。 魔力を込めた精力剤だ。
もう、これ無しでは行為を続けられない。
嬌声と悲鳴と鳴き声が響き渡っていた病室に、静寂が訪れた。 対象者が気絶したのだ。
涙でグチャグチャになった対象者の目元を、ブラウトは親指で拭った。 せめてもの罪滅ぼしだった………。
阿鼻叫喚の部屋から逃げ出してきたブラウトに、エルヴィアが掛けた言葉は「すごかったわね」と言う、嘲笑を含むものだった。
ブラウトが好意を寄せていた、エルヴィアからの賞賛の言葉だった。 労わりや罪悪感は微塵もない。
もう、ブラウトは何も感じない。
一秒でも早く、身体にまとわりつく罪悪感を洗い流したくて、浴室へと向かった。




