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21 最強の好敵手、現る

「ケイゴ。なんだもう来てくれたのか」


 そこに立っていたのは間違いなく暁の頭領、ミュピリポス・レヤンロさんだった。

 この薄暗い戦地においても、変わらず美しい金髪を揺らしながら果敢に戦っていた。

 目立った外傷は見受けられず、強いて言うなら彼女を覆っていた鎧が半壊しているくらいだった。

 頬の汚れも切り傷の跡よりは煤による黒い汚れに見えた。

 話しかけた際の受け答えも、戦意満々のやる気と元気に満ちたいつものご様子だった。


「あれ……? レヤンロ、今ピンチなんじゃ……?」


 俺が早く着きすぎてしまったのか。いやいやならあいつがピンチなんて言うはずがない。

 あの一般量産型モブ兵士くんはレヤンロがなんかこうとてつもなく追い詰められている現場を目撃したからこそあんなに焦って真実を伝えに走ってきてくれたのだろうから。


 しかしそんな事実とは裏腹に、レヤンロさんはこうしてピンピンしておいでだし、特に何か不自由している様子も追い詰められている気配もなかった。

「いや? 確かに戦っている最中なのだが、まだまだ手合わせしたばかりなのだ」

「えっ、でもなんか兵士くんが走ってきて……」

「ああ。私が『あの魔物はとてつもなく強いから、みんなを出来るだけこの一帯から引き離してくれ』と頼んだのだ」

「な、なんじゃそりゃ」

 早とちりの頓珍漢もいいところだった。よくよく深く思い出してみると兵士くん、一言もピンチとかは言ってなかったような……。

 ただレヤンロが魔物にとしかいってなかった。


 いやでもあんな誤解を招く文面で切るか普通?

 俺が勝手に想像させていただくと多分あの続きは「レヤンロが魔物に気をつけろと言っていたからすぐに避難しろ」みたいな内容だったのだろう。

 わかりにくいわ。あんなんどっからどう聞いてもヒロインピンチを告げるモブのセリフだわ。


 くそっ。自分の至らない早とちりで要らない恥かいた。

 まあでもレヤンロがそこまで評価するほどの魔物がいるんだから、この先苦戦()()()()()と踏んでもおかしくはないだろう。

 当初の目的は達成できている。今はそれでよしとしよう。


「なんだ。ケイゴは私がピンチだと思ってそんなに急ぎ足で駆けつけてくれたのか?」

「ま、まあな。ほらレヤンロのピンチはみんなのピンチになるみたいなとこあるだろ。それに俺の腹部串刺し事件みたいな事があっても目覚め悪いしさ」

 精一杯恥を誤魔化すようにしてレヤンロと距離を置いてカッコつけてみた。

 顔から火が出そうだ。

 俺のそんな情けない胸中なんか眼中にないようで、レヤンロは離れる俺にむしろ喜んで距離を詰めてきた。

 さっきのもどう聞いても声が踊ってたぞ、暁の御子よ。

 やめろ。童貞をその豊満な胸で誘惑するんじゃあない。

 戦闘に集中できなくなって街半壊させてしまうから。

 うっとりモードもほどほどに、やがてそのレヤンロがやばいと評価した怪物の全容が拝めた。


 全身オレンジ色の体色をした二メートル超の、それまで巨大な相手ばかりしてきた俺にとっては、比較的小柄で抑えめなフォルムをした魔物だった。

 どちらかというとそこまで人間離れしていない、むしろ人に近い印象を抱いたのは、その至って普通な悪魔らしからぬ容姿からだったかもしれない。

 二本の手足に尻尾も翼もない出で立ち。体毛が髪の毛や眉含めて一切ない事と衣服を身につけていない以外は俺たち人間とそう変わらない姿だった。

 顔こそ彫りが深いゴツく逞ましい漢顔をしていたし、虹彩の見えない青色に染まった目も鋭く尖っていたが、どこか飄々としているような、とても恐ろしさなんて感じない雰囲気だったが、レヤンロはやや後ろに身を引くようにして、全身で殺気を放ちながら構えを解かなかった。


「見た目に惑わされるなよ。ちょっと手合わせしてみたが――あれは普通ではない化け物だ。それも恐らくここにいる誰よりも強い。言うまでもなくこの私よりもな」

 そう言った彼女の顔は久々の強敵相手に打ち震える喜びと、どう足掻いても敵わない相手への恐怖から流れ出た汗で満ちた複雑な表情を浮かべていた。

 それはもうちょっとやそっとの強敵ではないということが伝わってくる様子だった。


「ほう。オレの力量を瞬時に察してその身を引いたか人間の戦士よ」


 ともすればちょっと間抜けに見えてしまうフォルムのそいつは、そんなチャーミングな外見からは想像もつかないほど渋い声を出した。

 選ぶ言葉もなんか一流感あるしやばいぞ。

 瞬間、大気が微かに乱れたかと思えば、さっきまで遠くにいた全身タイツ風野郎は俺の眼前から姿を消し、気がつくとレヤンロのところまでやってきていた。

 ちょっと油断があったとはいえ、この状態の俺の目を出し抜くのか。

 レヤンロがその唐突な事態に対応するようにして、深紅の剣を振りかざした。

 橙の怪物はその剣技を全てかわし、レヤンロの喉元に掴みかかった。

 その手際の速さに驚いて声も上げられない。

 淡々とレヤンロを持ち上げて、その手にマナを込めているのを見て、ようやく事態の深刻さを理解した。

「やめろ!」

 彼女に降りかかる魔の手を吹き飛ばすようにして俺は片手をかざした。

 今度は化け物の方が危険を察知して、レヤンロを離すとすぐに距離を取って後退した。

 咽せるような声をあげてレヤンロが地上に下される。

「おい、大丈夫か?」

「あっ……ああ。すまない……。やはり只者ではないよう……だ」

 捕まれ潰されかけた喉に手をかけながら、彼女は呼吸を整えつつゆっくりと立ち上がった。

 化け物は先程よりも鋭い目つきを細くして、顔しかめて言った。

「それは此方の台詞だ。さっき音を切るような速度でやってきたその男。明らかに普通の人間ではあるまい。オレの速度に反応したばかりか、とてつもない一撃を向けてきたな。何者だ」

 こっちを人間だと油断する事もなく、あんな一瞬でこちらの持つ真の力を見抜いて偏見なしに判断するなんてその時点でそれまで戦ってきたどんな雑魚モンスよりも強いよ。アンタは。

 そんな相手にこそ名乗るに相応しい名前がある。


「俺はケイゴ。悪しき魔王によって、脅かされそうになったこの地の平和を守るべく参上した伝説の勇者だ。魔の者よ。お前も名乗りを上げてみるがいい」


 口上だけは日夜ひっそりと頭の中で練習した甲斐もあってか、やたら格好良い言葉で埋め尽くされるのだが、肝心の立ち振る舞いとビキニメイル格好のせいで相変わらずギャグにしかならない。

 しかし敵は俺を一笑に伏す事もなく、棒立ちから戦闘の構えを取った。

「オレはシン。偉大なる魔王様に右腕として支える者だ。いと優れたる人間よ。貴様が真に我らが魔族の宿敵たる勇者であるならば、オレも誇りを持って全力を尽くそうではないか」

 そうして渋い声で俺よりも大分格好良く決めたそいつは、静かに力を込めて空気を揺らし、ただならぬ威圧感を放っていた。


 崩れた建築物や床の小石が宙を舞った。心なしか空が歪んでそいつの方にねじ曲がっているように感じた。

 真の強者による本物の空気感といえる状況であった。

 だが俺だって負けるつもりはない。互いに気をぶつけ合うようにして空間が轟音を立てて揺らめいていく。


 強者と強者による見えない意志のぶつかり合い。


 全身タイツ風の化け物に全身ビキニメイルの変質者。そんな奇妙な二人が立ち並んでいるだけだというのに、空は鳴動は鳴り止まない。これから行われる戦闘が嵐を呼んでいるようだった。

 そのさしもの重圧に、あのレヤンロも息を潜めて立ち尽くすばかりだった。

 時間にして数分――だが、俺とあいつの間には既に数時間ほど経過したと感じるほど長い沈黙が訪れていた。

 互いに出方を伺っているのか、機会を待っているのか。

 その均衡が破られるように雷が一閃、地上に差し込んだ。

 橙の戦士は閃光のように身を消しながら高速で移動してきた。

 レヤンロを巻き込まぬようにして俺は空に向けて飛び出す。それに向けてシンもまた飛び出してきた。

 翼を持たない戦士たちが空を舞う光景は異様そのものであった。

 お互い抱いたであろう同じ疑問を口にはせず、空の攻防戦が幕を切った。

 先発はずっと絶え間なく動き続けている橙の戦士だった。

 撹乱が目的なのか、こちらには迂闊に手を出さずひたすら死角へ飛び回っていた。

 その速さはレヤンロのものよりも数段早く、目が慣れるまでは追いかけることができなかった。


 まずは挨拶代わりか、シンは上下左右に激しく移動しながら右手から火炎を放ってきた。

 それをかわした先に橙の閃光が姿を現し、本命と言わんばかりに両手から真紅の光線を放ってきた。

 光線といっても太さ・威力ともに尋常ではなく、余波で空が歪んで掠った民家の屋根が溶け出すほどだった。


 しかし完全なる不意打ちでまともに直撃したにも関わらず、無傷だった俺を見るとそれまで変化のなかったシンの表情にほんのわずかだが動揺の色が浮かんできた。

 とはいえ動揺で立ち止まる事はなく、再び高速移動に身を委ねていった。

 今度は目だけでなく耳を澄ませて動きを追う。

 すると規則のない閃光の乱反射が、その移動先を光り輝かせるように一瞬だが煌めいた。


 そうなれば後は単純作業だ。その点が結ぶ光の先へ、見えた端から潰していけば良いのだ。

 高速移動を続けるシンを妨げるようにして、その先々へ今度はこっちが高速で移動する。

 移動先を潰されても立ち止まる隙は見せなかったが、妨害の回数を重ねる度に動きは制限されるように強張っていった。

 そして読まれている事に気付いたのか、まもなく移動をやめて空で静止した。


「人間よ。オレの動きが見えているとでもいうのか」

「ああ。丸見えだぜ。次に行こうとする先が手に取るようにわかっちまう」

 本当は実力じゃなくて全部チート能力におんぶに抱っこによる結果なのだが、俺はそんなことすらなんら気にすることなく堂々と言い切ってやった。

 こういうのは自信持って言ったもん勝ちだ。

 そんな俺の自信満々な態度にも臆する事なく橙の戦士は笑っていた。

「ふっ。なるほど。たしかにお前は勇者と呼ばれるに相応しい強さを持つ者らしいな。だがこれを受け切れるかな」

 シンは両手に大きく力を込めるような所作を取った。

 それがいかに凄まじいものであるかは、周囲の揺れ具合であったり、頬を激しく撫でる烈風なんかで推し量れた。

 両手には魔法陣が六つほど出現しており、顔と腕には太く盛り上がった血管が浮き上がっていた。

 一つの大技が繰り出されようとしている。

 やがて一通り溜め終わった激しい力が、解き放たれるようにしてシンは両手をこちらに向けてきた。


「避けねばその身を残さず死ぬぞ人間! 《魔龍闘波》‼︎」


 そうして解き放たれた波動は、強烈な光を放つと太陽のように輝き、轟音と共に爆風を呼び鳴らすとおよそ数百メートルは離れていたであろう複数の民家の屋根を全て吹き飛ばし、大気を湾曲させるほどの高熱でそれらを消滅させると新たな風となって波動を囲うように吹き荒れていた。


 その波動は周囲の空気を巻き込むとやがて龍のような姿に変貌し、こちらを食い尽くすように向かってきた。

 敵であるこいつがわざわざ「避けろ」とまで忠告したそれは、たしかにこの世の理を崩しかねない恐ろしい一撃だった。


 それでも俺は避ける事もなく、体全体で受け止めるように直撃させた。

「愚か者め!」

 だが避けなかったのにはいくつか理由もあった。

 これほどの波動が地面に直撃すれば、確実に大地が――いや下手したら街ごと消し飛ばしかねないだろう。

 直撃を避けたところで周囲の人間はなんらかの重症を負いかねない。特にこの付近にいるレヤンロなんかは、いくら防御を重ねていても無事では済まないだろう。


 となれば俺が受け切るしか選択肢はないのだ。

 また下手に跳ね返そうと突っぱねてしまえば、その跳ね返し先が運良くそのままこいつに行くという保証もないため、危険な賭けを避けるように我が身を盾に受けてみたというわけである。


 それでも受けた反動というか、受けきれなかった余波は予想通り凄まじいもので、先程の本命光線よりも数段威力の高い波動は、同じく掠っただけでも結果を大きく異ならせた。初めから建物や石なんてなかったように地面を平らに削りあげ、灰の一つすら残さないほど美しいまっさらな大地に変化させていた。

 あんなものがどこかに飛んだと想像するだけで恐ろしい。

 しかし真に恐ろしいという表情をしていたのは、そんなとてつもない波動を直撃で食らってもなお傷一つ付いてついていない俺をみたシンの方だったのかもしれない。

まさしく信じられない事態に直面したというような、それまでにない焦りの色を見せていた。

「あ、……あり得ない……。オレの最大の技を受けて……生きているだけでなく、身が保つ事なんて……お、お前は……」

「ふぃー危ねえな、本当に。今のは流石にこの世の終わりを覚悟したぜ化け物。さて。そんじゃぼちぼち反撃でもしてみますか」

 意気消沈にも等しい絶望感を味わって、ようやく隙らしい隙を見せたそいつの背後に回るようにして俺がちょんっと片手で突っつく。


 すると勢いよく重力に押さえつけられたように、地に向かって急降下して行き叩きつけられていった。

 加減はしたつもりだ。その証拠にあいつのやばすぎる光線よりも街の被害は抑えめだ。

 波動の勢いだけで街を跡形もなく溶かすとかどう考えてもやばい。

 地面にシンの橙色の肉体の型を取るように穴が開いたのを確認すると、俺も追うように地に降り立った。


 さっきからその様子を眺めていたであろうレヤンロは、頭と顔にクエッションマークを浮かべているような解せないと言う面持ちでこちらに近寄ってきた。

「な、なんなのだケイゴ。キミとあの怪物は一体どうなって、今何をしていたというんだ」

「いやなぁに。ちょっと小競り合っただけだよ」

「あ、あれがちょっとだったとでも言うのか⁉︎ 私の目にはもう何が何だか分からないほど早かったが……」

「まあこれで多分片付いただろう。あいつの最高の技も防いだ事だし。さー風呂でも入ってくるか」

 とフラグ感満載のセリフで明日に向かって歩き出そうとしていたら、案の定地面が揺れだして、穴の底から橙の戦士が出現した。

 そんなバカな、と散々今まで俺に魔物共が向けてきた台詞をまさか自分が言う事になろうとは。

 死なないようにというか、街ぶっ壊さないように手加減はしたつもりだが、そんなに弱い打撃を与えたつもりもなかった。

 現にあいつは勢いよく吹き飛んでいったし。なんなら地面に激突のおまけも与えたし。

 いつもならここで「完全勝利!」という四文字がゲーム画面ならば刻まれている場面で、初めてそいつは立ち上がってきた。


 それも五体満足で。

 いやまあ五体満足にならない時点で立ち上がってくる事なんて無いんだけども。


 幸いダメージは受けているという事がわかっていたが、それまでにない経験にぎょっとなってしまう。

 シンは息を切らしながら片腕を抑えるようにして俺の眼前に立ちはだかる。

「ぐっ……す、素晴らしいぞ人間……いや、ケイゴ。桁外れの防御力を誇るだけでなく、この圧倒的な攻撃力……。今まで手合わせをした中で、このオレを地に伏せたのは魔王様を除けばお前が初めてだ……なんという素晴らしい男だ」

「……お褒めに預かって光栄だな。けど褒められてる気がまるでしねぇな。俺の方も初めてだよ。俺の攻撃を受けてまだピンピンしてる奴なんてな。ったくこれじゃプライドが傷つくぜ」

 追い詰めてもなおその格好良さは色褪せないのかよ。

 敵ながら天晴れとはまさにこの事。お互いを褒め合って認め合っていると、そいつはまた構えてきた。

「し、心配するな……お前の一撃は確かに効いている。だからオレはもう戦えないだろう……そ、それでもこのまま無様に生き恥を晒すくらいなら……せめて。せめて最期は魔族としての使命を全うしたい。強いお前と戦って華々しく死ねることを、冥土の土産としてオレの誇りにしたい! ……手合わせしてくれるな?」

 その言葉が嘘偽りない心から出た真意であるように、シンは震える手足を必死で動かして構えていた。


 冥土の土産って台詞を自分に向けて使ったヤツなんて、漫画でも滅多に見ねぇよ。

 ったく。どんだけカッコいいやつなんだお前は。

 なんでお前みたいな潔くて格好良いやつが魔王軍なんかにいるんだ。

 これがいわゆる信念を持った敵役っていうやつなのか。

 その真っ直ぐ過ぎる闘志をぶつけられると、俺の中で男としての本能が燃え上がってきやがる。


「わかった。全力でこい。俺もできるだけ力を尽くして戦おう」

 その発言に満足そうな笑みを浮かべて、シンは最後の力を振り絞ってこちらに攻撃してきた。

 ほとんどの力を失ってそれでもなお素早い動きを見せるそいつに、戦う手を止めて精一杯賛辞を送りたくなる。

 しかし彼にとっての最大の賞賛となるのは、やはり戦ってやることのみ。全力で戦って、結果を示してやることのみだ。

 となると少々困ったな。全力で戦ってやりたい気持ちは山々なのだが、本当に全力でやっちまうと大陸一つ粉砕しかねない。

 かといて下手にセーブして全力で戦らないととんでもない悔恨が残る。

 ほどほどに力を出して……存在を消さない程度に?

 いやいや難し過ぎるわ。まだ力の出し方を覚えたてのひよこなんだぞこっちは。

 とにかくそれならば今はこいつの攻撃を受け切るしかない。

 一連の攻撃が終わったその時、こいつに改めてとどめを刺そう。


 とりあえずアッパーなりなんなり用意しておくか。

 未だ死にかけの体とは思えないほどの猛攻の嵐を前に、思った以上に手を出す暇もなかった。

 最後の執念、シンなりの意地なのかもしれない。

 手頃なところで反撃して動きを止めるか……。いや、それで万が一にもこいつが死んでしまって呆気なく幕引きになってしまったら、なんかこいつに申し訳がつかない。

 そう思って耐えていると、ようやくシンの動きが鈍くなっていった。

 底の底にあった力も、ついに出し尽くしたのだろう。

 死に体の戦士のその表情に、一縷の後悔も見受けられなかった。

 むしろこの先を思って誇らしく胸を張っているような。

 魔族の垣根を超えた一人の戦士としての清々しい姿がそこにはあった。


「さぁ。ひと想いにやってくれ」


 そうして身を差し出すようにしてシンは動きを止めた。

 狙うなら今しかない。グーパンでもラリアットでも、地上に影響が出ないだけの攻撃を……。攻撃を……。

 しかし俺の手は出ることがなかった。

 頭で用意したシナリオに、眼前の戦士を殴り飛ばす行為は含まれていなかったのだ。


 その代わりと言ってはなんだが、俺はそいつを押し倒すように片手の小指の先で軽く押してみた。

 そいつは支える力も無くなっていたので、大きな音を立てて地面に転がった。

 もちろん肉体的な痛みは少なかっただろう。

 それまでで俺が出した一番威力の低い攻撃、いや攻撃でさえなかったと思う。

 戦士はひっくり返りながらも俺に叫んだ。

「何故だ! 何故オレを殺さない! オレは魔族で魔王軍の戦士だ。貴様ら人間の敵なんだぞ!」

「いーやそれでも俺はお前を倒さない。俺はお前を殺さない。お前にはたっぷり生き恥を晒してもらう。それがお前の罪滅ぼしだ。そんでもってまた強くなったら俺に挑んできやがれ。その時もうちょっとマシになってたら介錯でもなんでもやってやるよ。今のお前じゃ殺す価値すらねぇ。だからそれまで生きててくれや。もしお前が人を殺すような真似をしたら、そん時は全力で阻止するけどよ。俺にはどうもお前がそんな悪いやつには見えないんだ」

 さっきの波動とかだって、俺よりレヤンロや街を狙おうと思えばいつでもできたわけだし。

 確かにこいつや魔族には魔王から与えられた使命があるんだろう。けどこいつはそれと同じくらい自分にも意志があって、正々堂々戦った上で、勝敗の末に命のやり取りをするような、そんな武人みたいな奴だ。

 人間を(いたずら)に殺害しまくるような悪魔じゃない。

 そもそも魔物だから殺さなきゃいけないとか、魔物だから滅びる必要があるとか、そんな事はないんだ。

 人間にだってベスモワル卿やジアみたいに人とも思えないような化け物みたいな奴がいるんだし。

 種族の違いで歪み合って殺し合うだけなんて虚しいだけじゃねぇか。


 こういう奴が生きてても良いだろ。それに俺たちの使命は魔物を倒すことであって殺す事は必ずしも必要ってわけじゃない。息の根を止めることが、確実な平和に繋がるからそうしているだけで、もうほっといてもこいつが暴れ出す事はない。そうなっても俺が止めるし。


 そんな俺の考えは、わがままで世間知らずの青二才が掲げる臭い身勝手な理想なんだろうか。

 なあレヤンロ。お前はどう思う。


「それはキミの出した選択だ。ならば私もそれに従うよ。私はキミを信じている。キミも、キミの導いた結論もな」

「ありがとよレヤンロ」

 レヤンロは俺の意図を快く汲み取ってくれた。

 かくして俺たちは目の前の一匹の魔物を見逃すことにした。

 これでめでたしめでたし――


「かーっ‼︎ さっきから黙って見てりゃどいつもこいつもおめでたい奴らだぜ! 全く! 溢れる反吐で耳が腐り落ちちまいそうだ」


 そうした爽やかな空気感を打ち払うように、冷たく品のない笑い声が聞こえてきた。

 どこからその声がしたのか図りかねて左右をきょろきょろと見回したが、声の主を察知する事は敵わない。

 その後、目の前に横たわる激戦を繰り広げた英雄が、血相を変えて俺の後ろを見るので、そこへ振り返ってみると青々とした醜い身体つきをした巨人が立っていた。

「ここだよここ。いと愚かなる人間よ」

 そいつはぶよぶよと汚く腫れた手をレヤンロの口元に持っていくと、彼女を締め上げるようにして抱え上げた。

 それに反応する間も無く、直後レヤンロの身体が徐々に凍りついていくのが見えた。

 氷が全身に行き渡ると、レヤンロが完全に物言わぬ氷像と成り果ててしまった。

「レヤンロ――!」

「おっと! それ以上近寄るんじゃねえ。一歩でも動けばこの女をバキバキに砕いちまうぞ。まぁそれでも良いならやるんだなハハハ!」

 歯の裏をきつく噛み締めるように目の前の化け物を睨みつける。

 しまった。まさか他にも敵がいたなんて。

 あんなにも激しい戦いがあったので、この場にはシン以外は誰も居ないと思っていた。

 隠れて期をずっと待ち続けていたとでもいうのか。

 怒りの炎で見つめる俺とは相反するように、凍りついたように震える声を上げてシンは言った。

「……ザロ……! 貴様、何故こんなことを……!」

「ったくよお前は甘過ぎるんだよ。たかが人間ごときに遅れを取っただけに飽き足らず、その人間にほだされて一対一の決闘なんて散々カッコつけた挙句醜く負けて、情けまでかけられるなんてな。魔王様の右腕が聞いて呆れるぜこの死に損ない」

 醜い口から醜い声で汚い言葉を発するそいつを、俺は睨み続ける事しかできなかった。

 しかしそんな俺を――俺たちを嘲笑いながらザロはレヤンロを人質にその場を動かなかった。

「お前……何もんだ。俺たちの決闘に横槍入れてきやがってこの青豚野郎」

「ふん。貴様ら人間に名乗る名前など本来はないが、そこのそいつを曲がりなりにも真正面からぶっ倒した褒美に教えてやるぜ。よーく耳の穴かっぽじって聞けよ。オレ様はザロ。魔王様に支える左腕さ。だがよ、そいつみたいにボコボコにできると思ってるならとんだお門違いだぜ。オレ様はそいつとは長らく勝負し合った関係だが、単純な実力ならオレ様の方が上なんだからよ」

 散々卑怯な手を使った上で――だろ?

 などといつもなら皮肉全開の憎まれ口を叩いているのだが、状況が状況だけに黙らざるを得ない。

 今あいつの汚い手にはレヤンロの尊い生命が握られている。

 超高速で動こうにも、こいつの能力の全貌が明らかにならないうちは、こちらが先に種明かしをしてしまえば、勢いに任せてレヤンロを砕くかもしれない。

 そしてこいつの言う実力がシンよりも上という事を鵜呑みにするのならば、俺がちょっと出した程度の力ならば簡単に見切った上でレヤンロを殺す事ができるだろう。先程の三流感漂うザロの口振りとは異なり、あいつからは微塵の隙も窺えない。

 それにこいつはさっきから俺たちの戦いを見ていた節がある。

 こちらが少しでも妙な真似をしたら、レヤンロは一瞬でバラバラにされてしまう。

 それを分かっているからか、こいつの振る舞いには絶大な余裕がある。

 俺たちが仲間である事を理解した上で、人質作戦が最も人間には効果的だという事をこいつは良く知っている。

 魔族に身を置きながら武力で真正面から戦う正義の光を放つ右腕と、正反対に闇に手を染めて知恵で戦う左腕。

 伊達に魔王直属を名乗る訳ではない、いやらしいタイプの強敵だ。

 右腕の時点で左腕の存在がいる事を察すればよかったのだが、やはり何度思い返しても周囲に何かいたような記憶はない。

 ――どうする。

 次に何をされるのか、全くわからない不安が襲ってくる。

 やはり俺には圧倒的に経験が足りない。足りなかった。

 人質に取られた経験も、そこから巻き返した経験も無い。

 この圧倒的に不利な状況を打開できる手段が俺にはない。

 何がチート能力だ。そんなものにかまけて仲間を助けられるつもりでいたんだ。英雄ごっこも大概にしろ。

 こうなった時に打てる手立ての一つもない癖に――。

 一転して窮地に立たされた俺に、最早降伏か死以外に選択肢なんてなかった。


 なかったはずだった。


 咄嗟に頭に思いついた作戦は、ひょっとしたら無謀で儚げなものなのかもしれない。だが、今はそれに縋る他ない。

 レヤンロを、仲間を助けるためだ。

「やるぞ……」

 俺はその場を動かず、ザロに向けて顔を上げた。

 ここが正念場だ。この俺一世一代の大博打といこう。


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