「魔獣の影」
朝食の片付けが終わる頃、ソウマは食堂に残った。
ヨルクの父親を待っていた。
宿屋の厨房から出てきた男——アルバスは、ソウマを見ると一瞬だけ足を止めた。
五十を過ぎたくらいだろうか、がっしりした体格に。
冒険者ギルドのマスターという肩書きは、確かにこの男に似合う。
「ああ、昨日からお泊まりの方ですね」
「あ、はい、お世話になってます!」
ソウマが軽く頭を下げた。
「街を拠点に少し活動させてもらおうと思ってるんですけど、ギルドで情報収集とかってしてもいいですか?」
「ええ、もちろん。受付に話を通しておきますよ。」
「ありがとうございます!」
アルバスが踵を返しかけた。
「あぁ、あと——」
ソウマが続けた。
「ヨルクくん、元気な子ですね」
アルバスの背中がほんの少し止まった。
「…もしかしてご迷惑をおかけしましたか?」
「いやいや!全然!色々話してくれて」
「そうですか」
振り返った顔は穏やかだった。
穏やかだったがどこか困った顔だった。
「あの子は口が達者で」
「冒険者になりたいって言ってましたよ」
「ええ」
アルバスが少し間を置いた。
「まぁ、子供の夢ですから」
それだけ言って、厨房に戻っていった。
ソウマはその背中を見送った。
メリルがぼそっと言った。
『……子供の夢、か』
「ああ」
『本気で言ってると思う?』
「んー、どっちの意味でも本気なんだろうな」
そう言ってソウマは席を立った。
冒険者ギルドは宿屋から歩いて五分もかからなかった。
扉を開けると、煙草と革の匂いが混じった空気が来た。
朝の早い時間なのにもう人がいる。
カウンターに肘をついた男、地図を広げた二人組、壁の依頼書を眺める女——どれも一癖ありそうな顔をしていた。
「思ったより賑わってるな」
「依頼が多いんでしょうね、受付に話を聞きましょう」
ハンナが受付に向かった。
ソウマはさりげなく部屋を見回した。
壁の依頼書の半分以上が、魔獣関連だった。
「すみません、最近の魔獣の状況を教えてもらえますか?この辺りにしばらく拠点を置く予定で」
受付の女性が書類から顔を上げた。
「冒険者登録は済まされてますか?」
「あ、旅の者で、とりあえず情報だけいいですか?」
少し間があった。
「構いませんよ。ただ、あまり良い話じゃないですが」
彼女が地図を広げた。
ラヴェーナを中心に、赤い印がいくつも打たれている。
「二週間ほど前から、街の外周で魔獣の目撃が増えています。特にここ——北の山域から降りてくるものが」
「原因はわかってるんですか?」
「おそらく」
彼女が山の方角を指した。
「あの山に、古い個体がいるんです。長く眠っていたものが、最近になって目覚めた。そうなると周囲の魔獣が全部連鎖的に動き出す。縄張りが崩れるので」
「強い個体が一個いると、周りまで引っ張られる感じですか」
「そういうことです。今はSランクの冒険者が抑えていますが——」
彼女が少し声を落とした。
「正直、いつまで持つか」
ソウマとハンナは顔を見合わせた。
そこへ、近くのテーブルから声が来た。
「へえ、兄ちゃんたち、旅の者か」
振り返ると、がっしりした体格の冒険者が椅子を傾けてこちらを見ていた。
「ああ、そうなんだよ」
「やめとけとは言わないが、北には近づくな。昨日もでかいのが一頭、街の外れまで来た」
「街の外れって——昨日俺たちが見た足跡か」
「見たのか。あのサイズが今は普通に出る。三番街の外れに冒険者が三人張り付いてるが、それでも足りないくらいだ」
男が苦そうに笑った。
「しばらくはそういう状況だ。お役人には頑張ってもらうとして、俺たちは稼ぎ時だがな」
ソウマは地図を見た。
山から街まで、距離はそこまでない。
『ソウマ』
メリルが静かに呼んだ。
『フェデーレが魔獣豊富な世界に来るとしたら——』
「ああ」
ソウマが地図から目を上げた。
「いつ来てもおかしくない、ってことだな」
『ワクワクしない!』と、ツッコミを入れようと思ったが
少しずつ調子を取り戻しつつあるソウマの様子を見てメリルは安堵した
ギルドを出ようとしたところでソウマは足を止めた。
入口の脇にヨルクがいた。
柱の陰に半分隠れて、室内をじっと見ていた。
完全にばれていないと思っている顔だった。
「……ヨルクッ!」
ヨルクがびくっとした。
「な、なんで気づいたんですか!」
「ハッハッハ!いや普通に見えてたぞ?」
「え!?」
「柱、細すぎるだろ」
ヨルクが柱を見た。
確かに細い。
「お父さんに内緒でついてきたのか?」
「はい…冒険者の人たちが依頼受けるところ見たくて」
ヨルクが室内を見た。
さっきの冒険者が受付でやり取りしている。地図を指差して、何か交渉している。
「かっこいいんですよ、ああいうの」
「まあ、かっこいいよな」
ソウマが素直に言った。
「ギルドマスターの息子なら入り放題じゃないのか」
「お父さんが、ぼくが来るの嫌がるんです。危ない仕事の話ばかりだから、って」
「ふーん」
ソウマが腕を組んだ。
気持ちはなんとなくわかる。
ヨルクくらいの歳の頃、親に止められても変身ヒーローの映像を夜中まで見ていた。
ダメと言われると、なおさら見たくなった。
危険度は違うが本質は同じだろう
「今日は依頼受けるんですか!?」
「んーまあ、状況次第かな」
「魔獣討伐とかですか!?Sランクが抑えてる強個体って——」
「強個体の話を知ってるのか」
「冒険者のおじさんたちが昨日話してて!それってどのくらい強いんですかね、Sランクが苦戦するって、じゃあ見た目は——」
「ヨルク」
低い声がした。
ヨルクの背筋が伸びた。
振り返ると、ギルドの奥からアルバスが歩いてきていた。
仕事の書類を手に持ったまま、ヨルクを見ていた。
「……お父さん」
「…何度言ったらわかるんだ」
アルバスの声は静かだった。怒鳴らない。
それがかえって重かった。
「ここは冒険者の仕事の場だ。子供が遊びに来るところじゃない」
「遊びじゃないよ、ちゃんと見て——」
「帰れ」
短く重い一言だった。
ヨルクが口を閉じた。
ソウマはその横に立ったまま、何も言わなかった。
言いたいことはあった。
でも——これは自分が踏み込む話じゃない。そういう感覚が、かろうじて口を止めた。
ヨルクがソウマをちらっと見た。
「……またあとで」
小さく言って出ていった。
アルバスがソウマに頭を下げた。
「すみません、うちの子が」
「いやあ、俺は何も」
ソウマが言った。
「目標を持った、いい目してると思いますよ」
アルバスが少し止まった。
「……そうですか」
心に蓋をした様な顔でアルバスはギルドの奥へと戻っていった。
ソウマは一つ息を吐いてギルドを出た。
外の光が眩しかった。
『踏み込まなくてよかったの?』
メリルが聞いた。
「あそこで俺が割り込むのは違うからなぁ」
『でも、ムズムズしてたでしょ』
「……そりゃまぁなぁ」
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夜、全員が部屋に集まった。
窓の外でラヴェーナの夜が過ぎていく遠くで酒場の笑い声がした。
「じゃあ整理しようか」
ソウマが地図を床に広げた。
「まずハンナ、午後の偵察は?」
「街の南と東は平常通りです。魔獣の痕跡は北側に集中している。昨日より足跡の数が増えていました」
ハンナが地図の北側を指した。
「影を走らせて確認しましたが、夜になると北の外周に魔獣が二頭、三頭単位で出没しています。まだ街には入ってきていないですけど」
「増えてるのか?」
「はい。昨日より確実に」
ソウマが腕を組んだ。
「メリル、波動は?」
『夕方からずっと揺れてる。昨日よりはっきりしてきてる』
「ヨルクの感情が動いてるのと連動してるか」
『ほぼ一致してる。さっき山の話を誰かとしてたんじゃない?』
「してたね」
セリアが口を挟んだ。
「あのあと、アタシも少し話しかけてみたんだけど。ギルドで怒られたの、気にしてるみたいで」
「そうか」
「あの子も、お父さんのこと嫌いとかじゃないんだけど。どこかで、認めてもらうのを諦めてる感じもして」
セリアが膝の上で手を組んだ。
「ギルドマスターの息子が冒険者目指すって、そりゃ色々あるよなぁとは思うんだけど」
「アルバスさんも心配なんだろうな」
ソウマが言った。
「子供が危険な話に首を突っ込むから…か」
「そうだな。止めたいんじゃなくて——怖いんだろう、たぶん」
セリアが少し黙った。
リナリィが静かに口を開いた。
「……ヨルクくん、今夜も山の方見てたよ。夕ご飯の後、一人で」
『そのタイミングで波動が一番大きかったわ』
「ですね」
ソウマが地図に目を戻した。
「もう卵はヨルクで間違いない。波動は山の方角への感情が高ぶるたびに大きくなってる。そして山では強個体の目覚めで魔獣が連鎖的に活性化してる」
「全部バラバラな話が山で繋がってるんですね」
「ああ」
ソウマが地図の山域を指で叩いた。
「で、だ」
少し間を置いた。
「魔獣が豊富な世界で本領を発揮するフェデーレが来るとして——どこから来る?」
全員が地図を見た。
「山、ですね」
ハンナが静かに言った。
「しかも今回は強個体までいる」
「そう」
ソウマが顔を上げた。
「正直に言うと——ちょっとワクワクしてる自分がいる」
『ソウマ』
「いや、不謹慎なのはわかってるんだけど!魔獣だぞ魔獣!」
『完全にヒーローオタクの顔になってるわよ』
「なってないなってない」
「なってるよ」
セリアが即答した。
「なってるね、めちゃくちゃ」
リナリィも同意する。
「ま、まあ、それはそれとしてだ」
ソウマが仕切り直した。
「いつフェデーレが来てもヨルクを守りながら戦える様に明日からは動こう」
全員が頷いた。
ラヴェーナの夜は深かった。
ソウマは窓際に腰を下ろしていた。外の通りに人影はない。遠くの酒場も、もう静かになっていた。
見張りの交代まで、まだ時間がある。
「メリル」
『なに?』
「ヨルク今夜はもう寝てるか」
『そうね、たぶんグッスリよ』
「そか」
石畳が月光を反射していた。
ソウマは膝を立てて、窓の外を眺めた。
「なあ」
『なに』
「ヨルクって、俺が初めてルクスブレイバーを考えた頃と、なんか似てるよな」
『どのへんが』
「誰も本気にしてくれなくても、本人だけは完全に本気、みたいな感じ」
メリルが少し間を置いた。
『……ソウマもそうだったの?』
「そうだったし、今もそうだよ」
『それは確かにね』
メリルが小さく笑った気配がした。
風が窓の隙間から入ってきた。
ラヴェーナの夜の匂いがした。
土と草と、遠くの山の冷たい空気。
ソウマが山の方角を見た。
暗くて何も見えない。
でも、そこに山があることはわかる。
「明日、アルバスさんと一回話してみようかなぁ」
『何をよ』
「わからん。でも——なんか言いたくなってきた」
『さっき「踏み込む話じゃない」って言ってたじゃない』
「いや、それはそうなんだけど……ムズムズが収まんなくてな」
『ヒーロー気質ね』
「これはおせっかいっていうんだよ」
『自分でわかってるんじゃない』
メリルが笑った。
静かな夜だった。
ソウマはそのまま山を眺めていた。
どのくらい経ったか。
メリルの気配が変わった。
笑っていた空気がすっと消えた。
「…メリル?」
『……ソウマ』
「来たか」
『……そうね』
ソウマの背筋が伸びた。
『フェデーレ。間違いない』
「方角は」
『山』
「まぁ、読み通りだし、そりゃそうだわな」
ソウマは立ち上がった。
窓の外、山の稜線が月光の中に黒く浮かんでいた。
さっきまでと同じ景色に見えるが…
「……来やがったか」
声が少し弾む。
『ソウマ』
「わかってる」
『わかってないでしょ、今ちょっと嬉しそうだったわよ』
「……五分五分くらいで緊張してる」
『正直に言いなさいよ』
ソウマは部屋の扉を開けた。
三人共準備万端でこちらを見た。
「さぁ、来やがったぜ」
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