9.農作業
その日も一尾と二尾が遊びに来ていた。
住処近くの縄張りで採れるという果実を携えてきてみなで食べた。
『カラムが育てた物の方が美味しい』
果物は汁気たっぷりでそこそこ美味しかったものの、口の肥えた幻獣たちの正直な感想は辛口になった。
『カラム?』
正直に言う一角獣に二尾が首を傾げる。
『果物や野菜作りの名人なの!』
『確かにこの島の料理は美味しいね』
リムが自慢げに胸を張り、二尾が頷く。
『ティオぽんとキュアぽんもしているしね』
『……』
『大地の精霊が張り切って育ててくれておられます』
『界がちゃんと調整してくれるから』
『風の精霊王も陽光と降雨量、受粉の調整と病理を避けて下さっておるからな』
畑仕事を時折手伝うユルクとネーソスが言えば、リリピピが感謝を捧げ、麒麟と鸞が野放図に育っているのではないと付け加える。
あまりのことに二尾は口を開けて言葉もない。
『美味しくならないはずがないにゃよ』
『餌も美味しいから、草食動物や肉食動物も美味しくなるの』
『魔力に溢れる島なので魔獣も強力でその分肉も美味しい』
『つまり、ここはまるごと美味しい島なのです!』
『それを殿と一緒に美味しい料理にするのでござりまする』
『みなで料理するのです』
『準備も楽しいもの』
カランがしみじみ頷き、ユエが好循環だと両前脚を胸の前で組み、ティオが重々しく言い、九尾のおちゃらけにわんわん三兄弟がしごく真面目に返す。
島の植生が豊かな理由が分かった気がする。
端的に言うと、精霊たちがこぞってシアンや幻獣たちに美味いものを、過ごしやすい環境を、楽しめる景観を、遊べる地形を与えるために助力したのだ。それにしても、話を聞くだに、率先してあれこれしてやっている風に思える。
真偽のほどはわからないが、自分や一尾もまたその恩恵を受けていることは分かる。心の中で精霊たちに感謝をささげた。
『芋栗なんきん!』
弟の方はと言えば、好物を思い出してぺろりと口元を舐めている。島で採れる好物は蒸かすだけでも十分に美味しい。しかも、旬を待つ必要はなく、ユルクやネーソスの言うティオぽんやキュアぽんをして大地の精霊に働きかければすぐに採れる。
二尾や一尾もその様子を見たし、なんなら、一緒に大地を叩き、精霊に豊穣を祈った。
『リムの体は大体カラムのリンゴとトマトでできているからねえ』
『えっ、そうなの?』
九尾が戯言を口にし、一尾が目を丸くしてリムの体を撫でまわす。
『もう! きゅうちゃんは困ったきゅうちゃんね!』
リムがへの字口をきゅっと急角度にする。しかし、両端が緩んでいる。一尾のせいでくすぐったいのだろう。
『ごめんなさい』
二尾が代わりに頭を下げた。九尾はなにかと良く気が回り、かつ配ってくれるが、茶化して事態を掻きまわすことも多い。そして、一尾がそれを真に受けることがままある。
『にいちゃんは悪くないよ!』
その当の本人は反射的に否定する。もう少し一尾も九尾の冗談口を受け流せるように言うべきか、いや、それができるようになっては今の無邪気さが失われるような気がする。そうなれば、八尾の逆鱗に触れるのではないか。それに、自分もなんだか寂しいような気がする。
『そうにゃよね』
『うん、みんな知っているよ。きゅうちゃんがふざけただけなんだって』
『……』
懸命に擁護する一尾にカランがすかさず同意し、ユルクとネーソスもなだめる。二尾が頭を悩ませる間にも話は進んでいた。
『狐は本当に二尾の爪をもらうべきだ』
ティオの瞳が炯々と光る。
九尾はおとなしく口を噤んだ。
二尾は八尾に次いで尊敬できる存在を得た。
あの九尾を短い言葉、視線ひとつで黙らせることができるのだ。八尾にも教えてやろう。
さて、子狐二匹はカラムの畑に興味を持った。
リムや麒麟がモモを育てていることやユルクやネーソスが時折畑仕事を手伝うとも聞き、参加させてもらった。
カラムと彼の孫同然のスタニックとノエル、そして彼の家族は幻獣たちを敬愛している。新しく姿を見せた妖狐をも歓迎した。
『白い毛が焼けちゃったら大変!』
オコジョは夏になると毛が茶色になるから、とかなんとか言いながら九尾は弟たちにほっかむりをさせた。
『あは、可愛いねえ』
手拭いを顎の下できゅっと縛った様子に麒麟が思わず笑みをこぼす。しかし、一尾はこれを嫌がった。
ぺいっと前足を払って引っこ抜く。地面に両端を縛った状態のままの手ぬぐいが放り出され、九尾が無言で項垂れる。くたりと力なく横たわる手ぬぐいは、九尾が背を丸めて暗く落ち込むのと相まって哀愁を帯びて見えた。
力ある九尾は、だが、弟の遠慮ない仕草に毛並みが灰色がかる。白狐ではなく灰狐となるのだろうか。
二尾も実はあまり歓迎しないところだが、これは自分だけでも着用せざるを得ないなと諦めた。
それを口にせず、態度にも出さないところが大人である。弟に知られれば二尾の分も外そうとするだろうし、そうなれば、兄は拗ねる。ある意味、中間子の気遣い、気苦労、しわ寄せ、そして優しさである。
一連の出来事を見ていたカラムが麦わら帽子を引っ張り出してきた。元はノエルとスタニックに替えにと用意していたものの、使わなかったのだという。
だが、それも二匹とも嫌がった。
『耳が塞がれちゃう』
『音が聞きづらくなる』
そこで、カラムは帽子に切り込みを入れ、耳を出せるようにしてくれた。
麦わら帽子からひょこりと三角の白い耳を出した子狐がしゃがみ込んで土いじりをする。
『あ!』
土の狭間でうねうねと動くのに気づいた一尾がさっと片前足で押さえつける。頭と尾を必死に振って逃れようとする。
ミミズである。
『いじめちゃ駄目だぞ。ミミズは畑にとって有益だからな』
『そうなの?』
『ああ。ミミズが土の中で動くから土が柔らかくなるんだ。それに、糞は肥料になる』
『へえ! にいちゃん、物知りだね!』
『そら、放してやりな』
『うん!』
二尾の促しに素直に従って前足をそっと持ち上げる。ミミズは慌てて地中に潜り込む。
『土、柔らかくなったかなあ』
『きっとな』
豊かな濃い茶色の肥えた土に白い毛並みが映える。仲良く顔を突き合わせ、小さい前足で豊穣を願って大地を叩く。
非常に愛らしい。
カラムが眦を下げていると、傍らに九尾が後ろ足立ちし、両前脚を胸の前に組んで、二度三度頷いている。
『きゅうちゃんの弟も可愛い狐です』
シアンはその話を聞いて、小さいスコップや如雨露を用意してもらった。二匹専用の道具が増えた。
普段はカラムの農場の納屋に仕舞ってもらうこととなった。リムや麒麟の道具の隣に並べてある。棚に鎮座するそれらを見て、一尾がきゅふふと笑って二尾に抱き着いた。
麦わら帽子ふたつ、つばがぶつかり合った。
子狐二匹は時折畑に姿を現しせっせと農作業を手伝った。
この畑では美味しい芋栗なんきんが採れるのだ。実りを得たら、きっとシアンや幻獣たちが美味しい料理を作ってくれるだろう。期待が二匹を動かす。
畑を荒らす害獣を退治するのは本来、狐の得意とするところだが、カラムの畑ではほとんど出ない。害虫も病も寄り付かない。
十分な陽光と降雨、受粉を促進する風、栄養豊富な大地、そして、寒暖差をもたらす夜の闇、世界の粋の力を得て、樹の精霊の管理によってすくすくと植物は育つ。
流石に、七尾の下へ遣いに出るようになり、人間社会にも詳しくなった二尾はこれはおかしいと気付いていた。
一尾に大地を叩けば植物は大過なく生長すると思い込まぬように教える。
『この島が特別なんだ』
『そっかあ。あ、じゃあ、大地の精霊にお礼を言おうよ』
『そうだな』
「ききゅききゅ」
ぽんぽん。
「ききゅ」
ぽんぽん。
「ききゅ」
ぽん。
「ききゅ」
ぽん。
「ききゅ」
ぽんぽん。
楽し気に鳴きながら叩く弟に合わせて、二尾も大地を叩く。
美味しい農作物をありがとう、今度もまた美味しく実って、と大地の精霊に感謝と豊作を願う。
泥だらけになった子狐二匹は館に戻ると濡れた布で優しく汚れを落とされる。
冷たい水を貰って飲む。
『一尾、まだ土がついているぞ』
『どこ?』
『そら、前足を出しな』
両方出す。笑って片方を取って布で拭いてやる。もう片方のきれいな方も差し出したままだったから軽く握っておいた。
『きゅふふ』
その様子を、カラムよろしく、幻獣たちが和やかに眺めていた。
さて、ミミズにも手加減することができる一尾は、九尾には遠慮がない。話を聞いた九尾が口を尖らせる。
『きゅうちゃんにも手加減してください』
『だって、きゅうちゃん、頑丈だもん!』
一尾はお座りしてきゅふふんと顎を上げる。
『なんで一尾が得意げなのよォ』
『それでね、シアンには優しく!』
九尾の苦情を受け流して一尾が宣言する。
『二尾は弟をきちんと躾けている』
満足げなティオの称賛に二尾は面映ゆげになる。
『きゅうちゃんにも優しさをください!』
九尾の悲嘆を他所に、おやつを食べようとなった。
ひと仕事終えた後の甘味は格別である。
庭に濃く横たわる木陰に丸くなれば、心地よい風が吹いて来る。
二尾の腹辺りに一尾が丸まる。
甘えたい時には、二尾の尾いっぽんを両前足で抱え、もういっぽんに埋もれるようにして眠る。
尾は大切なたいせつなものだ。力の象徴でもあり、柔らかく暖かく安心できる。二尾の尾は一尾にとって精神安定剤だった。
『きゅぅん』
突き出た鼻にきゅっと皺を寄せ、知らず喉を鳴らす。眠くてぐずる一尾に二尾が背を向け、自分の尾を見せる。
『一尾、眠いのか。そら、にいちゃんの尾を握ってな』
いそいそと抱き着く。
両前足でしっかと尾を抱え込む。頬を寄せうずめるようにして安らかに目を閉じて眠りを味わっている。規則正しく上下する腹に、二尾もとろりとした眠気に誘われる。
昼寝をたっぷりしたその日の夜、一尾は寝付けなくてむずがった。
『昼間に随分眠ったからなあ』
二尾はそう言いながら、子守唄を口ずさみながら一尾の背を優しく叩く。
『そら、姐さんが教えてくれた子守唄を歌ってやるから』
そんなに上手くないけれど、背に触れてくる定期的な感覚、柔らかい兄の前足の感触に、安心を覚え、徐々に目をとろかせる。
『にいちゃん』
『うん?』
『八尾様はね、怖いけれど、優しいところもあるんだよ』
『そうだな』
『だって、にいちゃんがいない時、夜、子守唄を歌ってくれたんだよ』
数瞬、一尾の背を叩く前足が止まる。
二尾の子守唄に、その時のことを思い出したのだろうが、八尾にそんなことをさせ得る弟のすごみを感じる。
きっと、寂しくてぐすぐす鼻を言わせながらしっぽの端を噛んで堪えていたのだろう。まどろみの中で子守唄を聞いたのだろう。
八尾は豊かな声を殊更音量を落としてゆるゆるとした歌い方をしてくれ、とろとろと眠りを誘ったのだという一尾は、今にも寝入りそうな不明瞭な話し方だった。
仕事から帰って来た二尾は、元気よくお帰りなさいという一尾の尾の先が少し毛が抜けている時があることを知っていた。それを思い出し、へにょっと眦を下げた。
世の中には思い通りにならないことはごまんとある。
ままならぬことばかりだが、その中でも、弟はきらきらと輝くものを両前足に掴み取ることが出来るだろう。
確固たる根拠がないままに、二尾はそんな風に夢想しながら、眠りについた。
みなさん、ちょっと妄想してみてください。(妄想を強いられる話……)
茶色く肥えた土が掘り起こされた畑で、しゃがみ込んでいる白い毛並みの子狐にひきが頭を突き合わせています。
麦わら帽子をかぶってそこから三角の耳がぴょこぴょこ。合わせてよつぴょこぴょこ。
うん、可愛い。
今日も妄想にお付き合いいただき、ありがとうございます。