17.妖狐のともだち
一尾は幻花島から帰ってきたら、逐一どんなことをしてどんな話をして、どんなものを食べたか話す。
本人としては単に話したいだけなのだが、期せずして親善大使として報告するという仕事を遂行していた。また、話す内容は大使として十全に任務を全うしていることが分かる。
首に巻いたマジックバッグを外してあれこれと土産物を披露する。そのこまごまとした心遣いからも、一尾や二尾への心持ちが分かろうものだ。
『はい、八尾様へのお土産! お酒!』
『ありがとう』
一尾がこれは三尾の、これは四尾の、と兄姉たちに配り終えたのを見計らって、八尾はおもむろに口を開く。
『一尾、同族の友がほしくないか』
『妖狐の?』
八尾をきょとんと小首を傾げて見上げてくる。
『そうだ』
『ほしい!』
ぱっと笑顔になって尾を振る。
『八尾、一尾は二尾のことがあったから、妖狐と距離を置くのではなかったの?』
土産物を抱えて居間を出て行こうとしていた四尾が振り返る。
その四尾でさえも、八尾に視線を向けられるとじりと後退る。なにはなくとも、恐ろしいと本能が叫ぶのだ。力ある妖狐だからこそ、本能の訴えをおざなりにはできない。
『ああ、しかし、妖狐の友も必要だろう』
誰もが欲する翼の冒険者との誼をしっかと結び、身内のような扱いを受けるにまで至った。想像以上の出来である。
『そう。一尾、なにかあったら、すぐに呼ぶのよ』
四尾は八尾からすぐに視線を移し、一尾に話しかける。
『うん!』
二尾が八尾にもの言いたげな視線を送る。
『なんだ?』
『あの、どうして急に?』
一尾と彼に言い含める四尾を気にして、二尾が声を潜める。
『同等の力を持つ者らとの親交は有益であろう』
『つまり、力ある幻獣ばかりと付き合っていては一尾の感覚が狂う。より現実を知らねばならないということでしょうか?』
二尾は妖狐の友を斡旋されたことはない。四尾の反応を見る限り、他の兄姉も同じくだろう。つまり、幻花島の幻獣たちと親しく付き合う一尾はそれだけ異例のことなのだ。そう考えを導き出す。
『ほんにお前は出来物よ』
八尾は正鵠を射た二尾に心底感心する。短い言葉の中からより合致する言葉を引っ張り出すのは中々できるものではない。それだけ、一尾と共に過ごし弟のことをよくよく考えているということだろう。
八尾は満足げに頷き、早速諸々の手配に取り掛かる。
一尾の友の選定は他の縄張りを持つ別の一族の中からすでに済んでいたようで、数日後には縄張りにやって来た。初日は保護者が付き添い、二度目からは子供だけで訪れるのだという。
同じ白狐、同じ白い毛並みでも少し様子が違っている。二尾と並べばその毛艶の違いは一目瞭然である。
やっぱりにいちゃんがいちばん、とこっそり心の中で顎を上げ胸を張る。
シアンがくれたブラシで兄をブラッシングする一尾は、最近、毛並みを整えることに多大なるこだわりを持っていた。
一尾は緊張する様子も見せず、妖狐の友と挨拶を交わし、二尾とともに遊んだ。来訪した方はそうもいかず、しきりに辺りを窺い、臭いを嗅いでいる。幸い、妖狐の友の縄張りも峻厳な岩山であり、おっかなびっくりの様子を見せることもあったが、徐々に伸び伸びとし始めた。
『へえ、兄弟がいるんだ』
『うん、まあ』
『僕にもいるんだよ。二尾にいちゃんの他にも』
『知っているよ』
『あれ、そうなの?』
『八尾一族は有名だもん』
よつ尾を持つ者すら全妖狐を見渡しても数匹しかいない。みつ尾ですら相当な力を有している。
岩場の多い縄張りはけれど、川も滝も森林もあった。自生する果物を見つけておやつにした。一尾は二尾と連携を取って採取するのは慣れたものだ。高い梢に生る果物めがけて二尾が幹を勢いをつけて駆けあがり、軽く触れて落としていく。次々に落ちてくる果物を、一尾が潰さないように受け取っては平たい岩の上に並べていく。
ぽかんと口を開けて眺めていた子狐ははたと我に返り、自分もと隣の樹に向き直る。
『あ、そっちはにいちゃんが帰りがけに行くから』
ならば、と少し離れた樹へ向かおうとする。
そんなやり取りをする僅かの間に、二尾は大量の果物を落としていた。
『採れたのを一緒に食べようよ。それとも、採取したい?』
高い梢を見上げるばかりだった妖狐の友は一尾の誘いに戻ってきた。
『食べても良いのか?』
『うん、良いよ。ね、にいちゃん』
『ああ』
沢山遊んだから喉も乾いていた。瑞々しい果物は程よく乾きを潤してくれる。
『美味い』
妖狐の友は勢いよく食べた。
『そう?』
一尾はあらかじめ、幻花島のことは話さないように言い含められていたから、島の果物の方が美味しいといったことは口に出さず、違うことを言った。
『もっと食べる?』
岩に並べた果物を見るも、なにも言わないで口元を舐めている。
『良いのか?』
ちらりと二尾に視線をやり、すぐに一尾に向き直る。
この反応は知っている。
兄姉たちが八尾に対してするのと似ている。あまり視線を合わせたくないという態だ。
『うん、良いよ。ね、にいちゃん』
『ああ』
二尾も二尾で積極的に話しかけようとはしない。
それでも、初めての同輩、同等の力量を持つ妖狐との交流は楽しかった。幻花島の幻獣たちと遊ぶのとはまた違う感じだ。
事前に島で教わった遊びも一部は妖狐の友とは行えないと約束させられていた。
『鬼ごっことか影踏み、かくれんぼは良いぞ』
『シアンちゃんが転んだは駄目なの? にらめっこも? あっち向いてほいも?』
『うん、駄目だな』
『ボール遊びは?』
『道具を使うのはもっと駄目だ』
一尾の尾が垂れ下がる。
そこで、二尾は布切れをみつけてきてくれ、引っ張りっこをさせてくれた。
『両端を互いに咥えて、引っ張り合うんだ』
一尾が得意げに説明するのに、妖狐の友は興味津々である。
八尾一族の末弟といえば、複数尾を持つ妖狐八匹に可愛がられているというので有名である。そんな者と関わり合いになるとは思いもしなかった。それが年ごろが合うということで遊び相手に抜擢され、神秘の地、八尾一族の縄張りに連れてこられた。
峻厳な岩山の多い中々に運動能力を必要とされる場所だった。
そこで出会った子狐は懐っこく、付き合いやすかった。出来物と噂の二尾と共に行動するのは緊張を強いられたが、特に敵対的ではなく、次第に慣れた。
それまでもやったことのある追いかけっこを鬼ごっこと聞き、影踏みや引っ張りっこという初めてする遊びに夢中になった。
特に引っ張りっこだ。
やっているうちに、我を忘れて踏ん張り、顎に力を入れる。
遊び終えた後、布が牙でぼろぼろになった。それを地面に放り出し、荒い息をついて寝そべる。隣で同じ態でいた一尾と見るともなしに顔を見合わせ、笑い出す。
楽しい、と腹の底から笑った。
遊んでいる間は自分の一族のことは忘れていられた。
遊び相手として八尾から話がきたとき、自分の一族は賑わった。
これで我が一族も安泰だというのだ。なんとしてでも歓心を得て八尾一族との繋がりを持てと言われた。
今まで、みそっかす扱いされてきたのに、大きな変わりようである。
初訪問の付添人は待つと言ったが、先に返された。たっぷり遊んだ後、単独で帰巣したら、取り囲まれて根掘り葉掘り聞かれた。
一尾はどんな妖狐なのかと問われ、とても良い者だと言ったら笑われた。懸命に、好ましい性質だと語った。初めて知る遊びを共にしたし、知らなくても馬鹿にしなかったし、無理に勝とうとしなかった。立場をひけらかすことなく、顎で使うことなく、果物も分けてくれた。今まで奪われることしかなかったから、とても驚いた。
けれど、一族の者たちはそういうことが聞きたいのではなかったようだ。
『お前、ちゃんとしろよ?』
『お前にかかっているんだぞ』
『分かってんのかあ?』
小突き回されている最中、また遊ぼうと笑った子狐を思い出す。自分より少し小さい、毛艶の良い妖狐だ。
帰ってきたばかりなのに、早くまたあの場所へ行きたいと願った。
新しくできた妖狐の友だちはなんどか遊びに来た。
幻花島で土産にもらった菓子を一緒に食べたいと思いつつも、一尾は我慢した。島のことは外に吹聴しない方が良いという兄姉たちの言葉もなんとなく分かるのだ。
だって、闇の神殿は妖狐であるにもかかわらず、一尾や二尾が翼の冒険者と親しくしているというだけであれほど良くしてくれる。
心の弱い者はその優遇を自分たちも欲しいと思うだろう。
『あれ、ということは、六尾たちは心が強いの?』
兄姉たちは幻花島のことを聞きたがるし、土産は遠慮なく貰うも、それ以上を要求しようとはしない。一尾としては自分の話を熱を持って聞いてくれるので満足である。
『うん? 一尾、なにか言ったか?』
『ううん。あ、ねえ、にいちゃん、妖狐の友だち、最近来ないねえ』
縄張りをひと巡りしている最中、傍らを歩く二尾を見上げる。
『そういえば、そうだな。会いたいか?』
『うん! あの子の縄張りに行ってみたい!』
『え、他の一族の縄張り?』
これには二尾が難色を示すも、意外と八尾はすんなり許可を出した。
八尾様に聞いて来る、という一尾を追いかけた先で一族の長が頷いたのに、二尾は意外な面持ちになる。
『一尾も他の縄張りで見聞きする経験が必要であろう』
『俺も行きます』
すかさず二尾が名乗りでる。
『ああ。付き添いを頼む』
浮き浮きと尾を振る一尾の耳目を気にして、八尾は無言で意味ありげな視線を送って来る。
『なにかあれば、躊躇は必要ない。後のことはいかようにもする』
この場に九尾がいれば、うわあと言っただろうか、それとも、盛大ににやついただろうか。二尾はただ黙って頭を下げた。
新しくできた妖狐の友だちは一尾たちの縄張りを出て山をみっつ超えた場所を住処にしていた。比較的近くに住処を持つ者を遊び相手に選んだ八尾は、その縄張りに行くことまで計算に入れていたのか。
二尾は一尾の様子をよくよく気を付けながら進んだ。
『疲れていないか?』
『まだ大丈夫! 遊ぶ元気も残しておかないとね!』
シアンから行った先々の闇の神殿で転移陣登録をしておくと良いと言われている。
「便利だからね。安全のために、やっておくと良いよ。神殿にはセバスチャンが話を通しておいてくれると言っていたから」
あの闇夜に静かで冷たく輝く月のような家令に、シアンはいとも簡単に頼み事ができる。九尾も厚意を受けておけというので、二尾は仕事がてら方々の神殿へ訪れていた。
一尾も今回の外出に際して少し回り道をして転移陣登録を行っておいた。
子狐たちはどこでも温かく迎えられた。二尾としては、一尾が人間は全てが優しいと勘違いしないかどうか、やきもきするところである。
道中、魔獣や野犬に襲われることはあったが、軽々と撃退し、妖狐の縄張りにたどり着いた。
『これはこれは! ようこそお出でくださいました!』
左右に一列になって両前脚で上半身を支え、尻を地面についたポーズで十数匹の妖狐たちが待ち受けていた。その中央に、ひと際大きい妖狐が一歩前へ出て歓迎の言葉を述べる。
『邪魔をする』
二尾は他の縄張りの初見の妖狐にも、堂々と対した。
『八尾様より連絡頂きましたこと、恐悦至極に存じます。ささ、こちらへどうぞ』
八尾に対しての白狐の対応はどこでもこんなものなので、二尾も一尾も気にすることなく、後に続く。案内に立ったのはふたつ尾の持ち主だ。妖狐からしたら、それなりの力の持つも、いかんせん、二尾も一尾も普段からより甚大な力の持ち主を身近に接している。
『おい、誰か、小僧っ子を呼んで来い!』
『いや、こちらの都合で来たんだ。俺たちが出向く』
『さようでございますか。急な連絡でしたもので、準備が整わず、相済みません』
案内に立ったふたつ尾について歩いて行くと、ふと一尾の鼻は覚えのある臭いを嗅ぎ取った。思わず、そちらへ鼻を向ける一尾を、二尾が見て笑う。多分、兄はもっと早くから気づいていただろう。
しかし、案内の妖狐は途中から違う方へ向かった。
『そっちじゃないよ?』
『どういうことでしょうか?』
『あっちから臭いがする。あっちの方だよ!』
言いながら、一尾は風が運んでくる臭いの方へと向かった。
『あ、これ、勝手に……』
慌てたあまり、口調がぞんざいになる。
一尾は急いだ。なんとなく、臭いに不穏なものが混じっている気がしたからだ。
血の臭いだ。
その他に、怯え、苛立ち、不満、といった馴染みのないものも感知する。けれど、決して、ないわけではない感情だ。
一尾とて、負の感情を抱かないことはない。二尾がいない日の夕暮れや就寝時など、不安になることがある。
その兄は案内役の制止を振り切って駆ける一尾に付き合ってついて来てくれた。なんとはなし、一尾の邪魔をしないようにけん制してくれている風でもある。
臭いが濃くなるまで近づいた一尾はそっと茂みの隙間から窺った。
そこには、なんどか遊んだ友だちと、彼を小突き回している妖狐がいた。彼よりも少し大きく、なんだかとても嫌な言動をした。
『おい、果物、もっと採って来い』
『で、でも、もう全部採って来たし』
『ぐだぐだ言い訳ばかりしやがって!』
『早くしろよっ、おらっ』
牙を剥かれ、慌てて飛び退る友だちをげらげら笑う。
『おいおい、また踏ん張って漏らすなよぉ!』
『あっはっはっは! ありゃあ、傑作だったな』
『本当、本当。まさかさあ、力んで拍子にってさあ。気張るってそっちじゃねえっつうの!』
一尾は不安になって二尾を見上げた。
どうにかしてほしいとか具体的な考えがあったのではない。ただ、彼らがあんなに堂々と他者を虚仮にできるのが果たして正しいことなのか、ふと不安になった。
二尾は泰然としていた。一尾の視線を受け、目線を合わし、ひとつ頷いた。
一尾も応えるように首肯する。
気持ちが落ち着いた。
それも友だちの兄弟狐の言いぐさを聞くまでのことだった。
『あーあ、使えない弟を持った俺たちって可哀想!』
あまりな物言いと友だちから嗅ぎ取った血の臭いに、一尾はかっとなった。
怪我をしている。
なのに、こき使い、あまつさえ、自分たちが被害者だという。
飛び出そうとする一尾を、二尾が今度は止めた。
『一尾、あのな、上手く言えないんだけれど、対等の友だちに見られたくないことってあるんだよ』
『にいちゃん?』
何故止めるのか。
信じられないと一尾は目を丸くした。
『俺も、友だちはそういないから、よく分からない。でも、もしかしたら、一尾には知られたくないことかもしれないし、救い出してほしいと思うかもしれない。どうすれば良いか、俺にも分からないけれど、今は静かに見守った方が良いかもしれないよ。助けてほしいと言ったら、手を貸してやろう』
『おお、ここにおられたのですか』
案内役が追いついて来て、二尾が不機嫌そうに鼻に皺を寄せる。
せっかく、一尾が気を使って様子を見るにとどめておいたのに、案内役の大きな声は辺りに響き渡る。
案の定、茂みの向こうは戸惑ったように静かになる。
一尾の友だちの兄は鼻先でこちらを指示し、あたかも、ちょっと見て来いとばかりに無言で指図した。
一尾の友だちがおずおずと茂みから顔を出す。
『一尾!』
『こ、こんにちは』
驚いた友だちに、一尾はばつが悪い気持ちで挨拶をする。友だちがなにか言う前に案内役が声を発する。
『おお、お前、こんなところにいたのか。いやあ、素晴らしい感知能力ですな!』
後者は二尾に向けたおべっかである。それは、友だちに驚きから立ち直させる猶予を与えた。
『どうしたんだ?』
『うん、あのね。最近来ないから、どうしているのかなあと思って』
『えっ、それで縄張りを出て来たのか?』
『うん。どうかしたの?』
先程よりも驚いた表情をするのに、一尾は小首を傾げる。
『いや、一尾は八尾様が縄張りから出さないと思った』
『そうでもないよ。ただ、独りじゃ駄目って言われているんだ』
『ああ』
二尾にちらりと視線を向けて慌てて一尾に向き直る。そして、自分の身を見て、憮然となる。あちこち怪我をして白い毛並みを血で汚している。
『今日は遊べないや。また今度な』
『う、うん。またね』
『悪いな、折角来てくれたのに』
『お前、なんていうことを! わざわざ足労いただいたのだぞ! それに、なんだ、その汚らしい恰好は。我が一族に泥を塗る不逞の輩め』
友だちの声に案内役の言葉がかぶさる。
『ううん、良いんだ。僕が急に来たから。それに、怪我をしているんだから、安静にしておかなくちゃ』
一尾は鸞の傷薬を塗ってやりたいと思うも、ぐっとこらえた。
あれは効能が高すぎるから、住処に住まう兄姉以外には使わないようにと八尾から言い含められている。
『おお、なんと慈悲深いお言葉でしょう!』
『ね、今日はこのまま休ませてあげてね。できれば、なにか食べさせてあげて』
一尾はつい先ほど見た光景を思い出し、自分たちが去った後、友だちがまたひどい目に合わないかと危惧した。
『ええ、ええ、もちろんですとも。また、こやつをそちらに向かわせます』
『傷が治るまでは無理をさせぬように』
揉み手をせんばかりの案内役に二尾も釘を刺した。
『また遊ぼうね。楽しみにしているから』
その時はまた、縄張りで採れる果物を一緒に食べよう。
そう言うと、友だちはくしゃりと顔を歪ませ、それでも、口の両端を釣り上げて笑おうとした。
ばいばい、と言うやいなや、一尾は踵を返して駆けだした。
案内役がお見送りを、と言うも、足を止めなかった。二尾は無言で弟の後を追った。
島の幻獣たちのことを思い出す。彼らは一尾よりも力がある。でも、一尾を仲間たちと同じくらい尊重してくれた。
思えば、一尾は自分よりも力ある者ばかりと接して来た。そして、彼らは一尾を粗略に扱わなかった。八尾が一族の者たちに目を光らせていたし、九尾があからさまに可愛がっていたからだ。それに、なにかと二尾が付き添っていた。
力ある者が好むものを害すればどうなるか。それだけで抑止力になる。
一尾は十重二十重に守られていた。
住処に帰った一尾は物思いに沈んだ。いつもは元気いっぱいの末弟の珍しい様相に、六尾と五尾が珍しがってちょっとばかり突き、からかった。
他愛ないものだ。いつもなら受け流せた。嫌だなと思っても、力ないものが力ある者に大きな顔をされるのは当然のことだ。
しかし、友だちが受けていた悪意を思い出し、号泣した。
友だちが嫌なことをされていた。それが切なかった。
一尾の泣き声を拾い、八尾がゆらりと現れる。
事情を聞き、そういう一族もあると話す。どちらかと言えば、力こそ全てという価値観を持っている。
『うちもそうだったけれど、二尾がいたからなあ』
いち早く立ち直った六尾が言う。五尾はまだ部屋の片隅で尾を腹の前に持ってきて抱きしめている。なお、まだちゃんと五本ある。それを確かめるように、涙目でそっと撫でている。そんな五尾に向けて九尾が合掌している。
『にいちゃん?』
『そう。よくできた弟だからな』
その二尾が下にできた弟を可愛がった。
『僕?』
『そうだ』
だから、みなも二尾が可愛がる一尾も可愛がった。
「きゅふふ」
その日、寝床に潜り込むも、なかなか寝付けないでいると、二尾がどうした、と声を掛けて来た。
『六尾と五尾も突いて来るけれど、あんな感じじゃないよね?』
昼間の見た件だとすぐに二尾は察したらしい。
『ああ、それはな、一尾が小さいころは手加減なしにいじりまくって、八尾様にこっぴどく怒られたからなんだ』
六尾と五尾が手加減なしに接すれば、幼い妖狐などひとたまりもない。死にかけたのだと聞き、ひっと一尾は息を呑んだ。
『一尾の母親はな、八尾様がこんなぼんやりだと子供を殺しかねないと思ったほどのそそっかしさだったらしいくてさ。上にもまだ小さいのがなん匹かいたから、八尾様が見かねて一尾だけでもと預かろうと連れて来たんだ』
生まれたばかりの子は生き延びる確率が低かろうと案じたのだという。
二尾の腹の辺りに丸まっていた一尾が思わず顔を起こす。どんぐり眼で二尾を見やる。
『え、僕の? 今も生きているの?』
『いや、一尾が小さいころに亡くなったって聞いているよ』
『そう。にいちゃんのお母さんは?』
ふたたび腹這いになり、投げ出した両前足の上に顎を乗せる。
『俺の? まあ、俺の母親も父親もそれぞれであちこちを放浪しているって』
ひとところに落ち着くことを好まない性質だったのだと聞いている。
両親はそれぞれそれなりに力を持つ妖狐で、ふたつ尾の持ち主だった。生まれてきた二尾は生来からふたつ尾の持ち主だった。力ある両親から生まれてきたふたつ尾だから、二尾には期待が寄せられ、八尾のもとへ送り込まれたのだ。
『そのすぐ後かなあ。八尾様が一尾を連れてきたのは』
そして、お前が面倒を見ろと渡された。小さい子ぎつねは毛糸を丸めたようで、いちにちのほとんどを丸まって眠っていたから、それほど手はかからなかった。
『そっかあ。八尾様が僕を拾ってくれたんだね』
翌朝、一尾は目を覚ますと、すぐさま八尾の室へ向かう。
『八尾様ー!』
飛び込んだ勢いのまま、八尾にくっつく。
『どうしたのだ。また六尾か五尾にいじめられたのか』
『ううん。あのね。八尾様が僕を連れて来てくれたって聞いたの! お母さんが他の子たちを育てているから、それと、そそっかしいからって』
『そうだ。母親から引き離すのは忍びないが、いかんせん、危うかったからな』
『ふうん』
一尾は気のない相槌を打ちつつも、八尾のやつ尾にうずもれる。そして、きゅふふと笑う。
八尾はそのままにしておいて、机に向かう。
一尾が駆けていったのをなにごとかと自室から顔を出していた兄姉たちは、八尾の室をこっそりのぞき込みながらにやにやする。
八尾は末弟には甘いのだ。
『父親の気持ちなのかしら』
『まあ、育てたのは二尾だけれどな』
伝説の大妖八尾を揶揄できるのは末弟絡みくらいだ。そのくらいしか突ける隙はない。
『一尾は実は大物なのかもな』
『あら、そうよ。今さら分かったの?』
『幻花島の親善大使も立派に果たしているしね』
二尾は兄姉たちの会話を聞きながら、彼らの認識が甘いことに複雑な思いでいた。九尾から、一尾も二尾も精霊の助力が及びつつあると聞いているからだ。
『難しく考えることはないですよ。自然環境が優しくなったくらいに思っておけば良いです』
そういう九尾は危険が及べば助けてくれるかもしれないし、お得だと呑気に笑っていた。
通常、精霊の加護など中々手に入るものではない。それを、幻花島の幻獣やシアンと親しくし、好意を向けられているというだけで得ることができるのだ。
九尾の面白げな目は、二尾が口を緘していることを見越していると如実に語っていた。
長いのですが、週に一回ペースだと切るのもどうかと思い、
そのまま投稿しました。
相対的に見ても一尾は兄姉から可愛がられています。




