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 杜夫は再び全身から力が抜けていく思いだった。

 必死になって遠ざけていた仮定にいつの間にか娘も辿り着いていたのか。


 郁子が娘を振り返り、その両の頬に手を掛け「何言ってるの、莉奈!」と絶叫する。


 トラが足を止め、困惑の体で初を振り返る。

 そこには色を失った初が両腕をだらりと垂らし瞠目して立ちすくんでいる。


「本当か……」


 誰に問いかけるでもなく、初の口から疑問の声が漏れる。


 莉奈が杜夫の子でないとすれば誰が父親なのか。

 郁子が逃亡前に関係を持っていた相手と言えば誰か。

 それは簡単な問題だ。


「莉奈。お前は俺の子だ!」


 杜夫は懸命に立ち上がって声を振り絞った。

 これまでも、そしてこれからも実の子として愛していく。

 その想いに曇りはない。


「パパ。私知ってるんだよ。パパの血液型って本当はO型なんでしょ?なのに私ABじゃん」


 思い返せば年明けに受けた人間ドックの結果を郁子に見せたことがあった。

 心電図の結果が良くないと医師に言われた。

 すぐに精密検査のための入院が必要とのことだった。

 「たまたま調子が悪かっただけじゃないの?」と事もなげに言う郁子に杜夫は医師から告げられた言葉をそのまま伝えた。


 最悪の場合、手術のうえ長期間の療養となりますので、ご家族の方ともそうなった場合のことを相談しておいてください。


 そう言うとさすがの郁子も眼差しに憂いの色を漂わせた。

 そのとき寝たと思っていた莉奈がリビングに入ってきて、慌てて検査結果を隠したのだが、きっと翌日にでも彼女は杜夫の部屋を探してそれを見つけたのだろう。

 そこには血液型が載っていただろうか。


 そう言えば、あの人間ドックの後ぐらいだ。

 莉奈の生活態度が急に変わったのは。


「馬鹿なこと言わないの!あなたはパパの……」


 懸命に娘の言葉を否定しようとするが、莉奈は微笑んで首を横に振った。

 その顔は、もう良いんだよ、と言っているようだった。

 もうこれ以上私のために嘘をつかないで。

 そう慰めているようだった。

 この数カ月間、親に反抗的な態度を示し続け、極めつけは狂言誘拐まででっちあげた莉奈だが、今ここに至っては全てを理解し全てを受け容れたという落ち着いた表情を見せている。

 中学生の頃の少女のあどけなさではない。

 辛いこと、悲しいことを経験した大人の強さと柔らかさを目元に湛えていた。


 何かが遠くで鳴っている。

 サイレンのような音だ。

 救急車だろうか。


「そうか、そうか。そういうことか」


 突然、初が天を仰いで笑い出した。

 まさに腹を抱えるようにして暗黒の夜空に笑い声を響かせる。「よし。お前の命だけは助けてやろう。そして一味に入り俺の跡を継げ」


「何を……」


 杜夫はその後に続く言葉を見つけることができなかった。

 莉奈の命を救う。

 それだけは成し遂げなければならないと思っていた。

 そして今、初は莉奈を助けると言っている。

 それが叶うのなら問題はないのではないか。


 気がつくと莉奈がこちらを見ていた。

 瞳を潤ませている。

 そして一つ頷いた。

 彼女が何かを決心した証拠だった。


「一つ条件があるわ」


 莉奈が郁子の庇護を離れ、一歩前に出た。「私以外をこのまま解放して。そして二度と近寄らないで」


 すると初はまたしても愉快そうに笑みを浮かべた。


「よしよし。分かった。解放してやろう。もちろん二度と近寄らない」


 そして初は杜夫を凝視した。「この男以外はな」


「な、何言ってるの!三人全員の解放が条件よ」


「駄目だ。謙さんと皐月は良いだろう。だが、六郎はここで死んでもらう。そうでなきゃ腹の虫がおさまらん。それとも」


 初は今度は凍てつくような冷たい視線を莉奈に向ける。「交渉決裂で全員ここで死ぬか」


 莉奈は青ざめて口を閉ざした。


 酷なことをさせていると杜夫は思った。

 莉奈の華奢な身体に三人分の命を背負わせるなんて無理だ。


 自分が死ねばみんなが助かる。


 それで良いではないか。

 考えただけで身体に瘧のような震えが来るが、これ以上莉奈を悩ますことはしたくない。

 杜夫はそう決心して口を開こうとした。

 しかしそれを制するように今度は郁子が驚くべきことを口走った。


「この子はあんたの子じゃないわ。あんたたちも良く聞きなさいよ。この子の本当の父親はね……」


 郁子は初の手下たちに熱いような冷たいような鋭い視線を撒き散らす。「オヤジさんよ」


 場に静寂がはびこった。

 俄かには信じがたい郁子の発言に誰もが戸惑っている。

 杜夫も言葉が見当たらない。


「何だと?」


 初の表情が見る見る強張っていく。「皐月。笑えない冗談はやめろよ。俺はそういうのが一番嫌いなんだ」


「あんたが好きか嫌いかなんて知ったことじゃないわ。事実は事実なのよ。DNA鑑定まで済ませてあるから、ご安心を」


 莉奈がオヤジの子?

 そんな、まさか。


 ふと、莉奈が言っていた二千万円の貯金のことが頭を過る。

 莉奈の言葉が事実だとして、その大金の出どころはどこなのか。

 郁子の周囲で二千万円もの金を持っていた可能性があるとすれば一味を率いていたオヤジしかない。

 では何故オヤジは郁子にだけ特別にそんな大金を与えたのか。

 二人の関係が特別だったからということであれば辻褄は合う。

 合ってしまう。


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