22
遠く神社の鳥居の方角から足音が聞こえてきた。
一定の速度でこちらに向かってくる。
耳を澄ますと足音は二人を示しているようだ。
すたすたと前に進むものと、引きずられているもの。
「やめてよ!放してよ!」と叫ぶ声に明らかに聞き覚えがあった。
思わず郁子と見つめ合う。
あの声は莉奈に違いない。
全身から力が抜けていくようだ。
最悪の展開が目の前に繰り広げられることを予感せざるを得ない。
「遅かったな、トラ」
初の隣に現れたのはトラだった。
トラは「申し訳ありません」と詫びながら、連れてきた人間を杜夫の方に向けて放り投げるように突き放した。
「莉奈!」
郁子は倒れこむ莉奈に駆け寄り、カッと目を見開いて初を睨みつけた。
「昔と変わってないな、皐月。お前はいつも俺に反抗的だった。結局は俺に従うしかなかったがな。今回も同じだ、皐月。土下座して謝るなら、お前の命は助けてやってもいいぞ」
「誰があんたなんかに……」
郁子は怒りに燃えた目を初に向けたが、その間にトラが立ちはだかった。
そして次の瞬間、ピシッと空気を裂くような音が響き、郁子が莉奈の傍らに倒れ込んだ。
トラが郁子を張り倒したのだ。
「ママ!」
莉奈が郁子の肩に手を掛け心配そうに顔を覗き込む。
「トラ。皐月は後だ。まずは六郎から痛めつけろ」
初の低く抑えた声の指示に黙って頷き、トラはロボットのように躊躇なく杜夫に向かって歩き出した。
杜夫は苦しそうに喘ぐ謙さんを静かに地面に横たえ立ち上がった。
一歩一歩間合いを詰めてくるトラと対峙する。
杜夫が身構えてもトラの足の運びは変わらない。
杜夫の攻撃など子どもが腕を振り回す程度のものとなめているようだ。
杜夫は舌打ちして、立ち上がるときに握った砂利をトラめがけて投げつけた。
杜夫の隠し玉的な武器も想定内だったのかトラは軽いダッキングで回避し、すかさず間合いを詰めると杜夫のレバー、みぞおち、顎を正確に狙って次々に拳を繰り出してくる。
杜夫はその重い打撃を必死に手で払うようにして避けたが、徐々に体勢を崩される。
足を刈りこむような鋭いローキックを避けきれず、丸太で殴られたような衝撃で膝が折れる。
さらに、隙の出来た顔面に拳を浴びせられ杜夫は社殿に向かって吹っ飛んだ。
太い柱に激突し、後頭部と背中に鈍い痛みが走る。
くそ。
すぐに立ち上がらないと、と思うが、脳しんとうを起こしたのか、四肢に力が入らない。
「パパ!」
莉奈の悲痛な叫び声が弾ける。
莉奈が俺を心配してくれているのか。
散々無理難題を押し付けてきたくせに、今頃になって。
痛みで鈍る感覚の向こう側でぼんやりそんなことに喜びを感じながら目を開くと、目の前でトラの腕に莉奈がぶつかり、しがみついていた。
「娘は放っておけ」
トラは初の指示に無言で頷き、腕を振り払って、あっさり莉奈を投げ飛ばした。
莉奈は膝立ちで見守っていた郁子にぶつかるように倒れ込んだ。
「莉奈!」
叫ぶと視界がぐらぐら揺れた。
遠くなりそうになる意識を保つだけで精一杯で、とても立ち上がれない。
口の中に鉄のにおいがして溜まった唾を暗闇に吐き出した。
「この時を待ってたんだ、六郎!」
初が醜く顔を歪めて笑った。「お前は俺からオヤジを奪い、皐月を奪い、そしてサツに情報を売って自由までも奪った。俺はな、お前をどうやって殺すかをムショで毎日毎日考えてたんだよ」
「言いがかりだ。俺はあんたを、一味を売ってなんかない」
精一杯声を張り上げて反論する。
トラに、そして初の背後にいる一味の人間に仲間を売った男と思われたくはない。
オヤジが作り上げた組織がオヤジの遺志に反した行動をすることに耐えられなくて逃げ出した。
しかし、オヤジが作った組織を警察に売るような真似は絶対にしていない。
「何とでも言え。お前が仮病で降りた仕事で俺たちは待ちかまえていたサツに捕まり、お前はまんまと皐月を奪ってトンズラした。それが事実だ」
「もう皐月じゃない。郁子だ。郁子は自分の意思で郁子になったんだ。自分の意思で俺についてきたんだ」
杜夫の言葉に目を怒らせた初がジャケットの内側に手を突っ込みながら、つかつかと近づいてきた。
柱にもたれて座りこむ杜夫の正面に立ち、黒いものを振り上げたかと思うと、「フン」と気合を込めて杜夫の頭上に振り下ろした。
杜夫の頭頂部に硬く重い衝撃が走った。
目から星が飛び出したように見えた。
地べたに這いつくばり瞼を開くと、視界が朱に染まっていた。
赤い世界の中で初の手に拳銃が握られているのが見えた。
ぽたぽたと地面に何かが滴り落ちる音がする。
頭から温かい血が鼻筋を伝い流れ落ちているのだ。
「口の減らない男だ」
初は杜夫に向かって唾を吐き捨てた。
ぬるい唾がこめかみのあたりに付着したが、身体が言うことを聞かず、拭うこともできない。
「ちょっと、あんたたち。私のパパに何てことしてくれんのよ!」
声の方を向くと莉奈が仁王立ちして初を睨みつけていた。「逆恨みもいい加減にしなさいよ。女に逃げられたのも警察に捕まったのも全部あんたが頭が悪いからじゃないの!」
場に一瞬の静寂がもたらされた。誰もが呆気にとられ、発すべき言葉を見出せない。
郁子一人が立ち上がり莉奈を制するように横から抱きしめる。
「六郎。血は争えないな。お前の娘も随分面白いことを言うじゃないか」
初の声が怒りに震えている。「トラ!気が変わった。娘の躾一つ満足にできない六郎の顔が醜く歪むのを見てみたい」
「やめて、くれ」
杜夫は手を伸ばし初の靴に指を掛けたが、その指を初は蹴り飛ばし、血走った残忍な目で杜夫を見下ろした。
「その娘を教育してやれ」
初の怒りのこもった拳銃は真っすぐに莉奈に向けられた。
郁子が莉奈を背に回し、初が向けている銃口から隠そうとする。「この子は殺させないわ」と言い放つが、トラが一歩一歩近づく度にその見えない圧力に押されるように後ずさりする。
初の後ろにいた部下たちがサッと動いて母娘の退路を塞ぐ。トラが黙ったまま歩を進める。
「郁子。莉奈」
杜夫は腕に渾身の力を込めて上体を起こすが、立ち上がることまではできない。
そんな中、拳銃にも暴力にも怯むことなく十五歳の女子高生は高らかに宣言した。
「あんた、相当の馬鹿ね。私はね、……本当はパパの娘じゃないのよ。血の繋がってない赤の他人なんだから!」
杜夫は郁子と視線をぶつけた。
郁子の目に驚きが浮かび上がっている。
どうして、とその唇が弱々しく動いた。




