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 夜の神社は不気味なぐらいに静かだ。

 聞こえてくるのは手水場に流れる水の音だけ。

 その小さな水の流れがはっきりと聞こえることで、余計に境内の深閑とした雰囲気が際立っているようだった。


 杜夫は神社の敷地の手前に立っていた。

 目の前には石造りの大鳥居。

 その鳥居の奥には深い闇が広がっている。

 まるで巨大な獣が鳥居を口代わりに杜夫を飲み込もうとしているように思えて、なかなか先に足を進められない。

 闇はただただ闇で、そこに何があるのか、地面が続いているのかさえ分からない。

 自分の足元さえも判別つかないような覚束なさに、一度迷いこんだら二度と抜け出られないような錯覚を覚える。

 この錯覚が余計に不気味さを増幅させているのだろう。

 しかし、ここまで来たら進むしかない。


 杜夫は峻嶮(しゅんけん)な道なき道に挑むように、足の裏の感触を確かめながら慎重に前に進んだ。


 どこからともなく背筋を寒くするような湿っぽい風が吹き抜ける。

 手水場(ちょうずば)の水の滴る音がうるさいぐらいに耳に響く。

 社殿を照らす小さな終夜灯が遠くに見えるが、そこに向かって歩いているのに、一向に近づいていないような気分になる。


 硬く冷たい石畳を杜夫は音を立てずに進んだ。

 我ながら気味の悪い場所を指定したものだ。

 杜夫は自虐的に少し頬を緩めた。

 そうでもしないと頭がおかしくなりそうだ。


 どこだ。

 どこにいる。

 誰だ。

 誰がいる。


 ザザッ。


 社殿の脇のお守りや破魔矢などを売る小屋の辺りから足音のようなものが聞こえ、杜夫は反射的に腰を落として身構え、目を凝らした。

 するとその方角から懐中電灯のような小さくて強い明かりが目を射るように杜夫に向けて照射された。


 杜夫は思わず顔を光から背け、光源を遮るように右手をかざした。


 すぐに光は地面に向けられ、その光とともに境内の砂利の上をこちらにゆっくり歩いてくる足音が聞こえる。


 杜夫は何も武器になるようなものを持ってこなかったことを後悔しながら、身構えたまま足音の方向を睨み続けた。

 この足音は謙さんではない。

 郁子か。

 あるいは……。

 初やトラの可能性もなくはない。


「杜夫君?」


 声は小さいが郁子のものだった。「一人?莉奈は?」


 暗闇の中で近寄ってくるシルエットは紛れもなく郁子のもので、杜夫は一つ胸を撫で下ろした。


「少し離れた場所に待たせてる」


 杜夫は声をひそめて郁子に告げた。「万が一のことを考えてな」


「そう」


 手に触れられる距離にまで近づいても闇に同化した郁子の表情が分からない。

 その声にも彼女の気持ちが感じられない。

 怒っているのか、(いぶか)しんでいるのか、不安がっているのか。

 郁子の様子がおかしい気がする。

 普通なら郁子と謙さんを相手に「万が一のこと」を考えるなんてどうかしていると非難するのではないか。

 一番会いたいはずの莉奈を連れてきていないことを(なじ)るのではないか。

 しかし、郁子はそれをせず、全く感情を表さない。

 何故だ。


 謙さんはどこにいる?

 杜夫はふと背後を振り返った。

 莉奈を一人にして良かったのか。

 闇は訳もなく人を不安にさせる。


「謙さんは?」


 杜夫が訊ねると郁子はゆっくりと、本当にゆっくりと時間をかけて社殿を振り返り指差した。


 ぼんやりと光る終夜灯の灯りによって辛うじて輪郭を浮かび上がらせる社殿の前、長布を垂れ下げた鈴の下に大きな賽銭箱がある。

 目を凝らすとその賽銭箱の傍に何かが横たわっているのが分かる。


 次の瞬間杜夫は駆け出していた。

 境内を駆け抜け、近づくと、やはりそれは謙さんだった。

 抱き起こし「謙さん!」と叫ぶ。


 謙さんは呻きながら「杜夫か」と声にならない声を出した。

 そしてすぐに顔を歪め苦悶の息遣いを漏らす。

 口元や目尻が腫れ上がり血が滲んでいる。

 全身を殴打されたに違いない。


 誰がこんなことを、とは考えなかった。

 こんなことをするのは一人しかない。

 そう考えたときには杜夫は背筋に鋭い悪寒を感じた。


 自分がいくつもの目に晒されている感覚があった。

 そして杜夫を取り囲むようにして複数の足音が聞こえてくる。


 謙さんを抱きかかえながら、暗闇に慣れてきた目で周囲を確認する。


 社殿を背にした杜夫の周りを半円状に、表情は見えないが十人ほどの人間が立っている。

 その中から二人の人間が杜夫に向かって一歩近づいた。

 正確には一人が踏み出し、それにもう一人が引きずられたという感じだ。

 それは初と郁子だった。

 初は郁子の首に腕を巻きつけて、残忍そうに頬を弛めた。

 そして自分の目の前に何やら緑色の物体を放り投げた。

 謙さんのループタイだ。

 緑色の根付が一等星のように光って見える。


「謙さんに手をあげたんですか?」


 謙さんに暴力を振るうとはどういう料簡(りょうけん)か。

 謙さんに世話になったのは俺や郁子だけではない、という思いが杜夫にはあった。

 オヤジの右腕としての謙さんから初も薫陶を受けたはずだ。

 そして謙さんは身を挺して一味を救った大恩人でもある。


「仕方ないだろ、お前の居場所を吐かなかったんだからな。それでも俺なりに配慮はしたんだ。肋骨の二、三本は折れただろうが、命まで奪うことはしない。勲章とも言える古傷に敬意を表して、足にも危害は加えちゃいねぇしな」


 初は高らかに笑い「なあ、そうだったろ?皐月」と耳元で郁子に問いかけた。


 郁子は初から顔を背けたが、顎に手を掛けられ無理やり顔を近づけられて「なぁ?」と再度問い詰められると、「えぇ」と蚊の鳴くような声で返答した。


 それを聞いてまた初は万能の力を誇るように哄笑し、粗雑に郁子を投げ棄てた。

 そして足下にあったループタイの根付を踵で踏みつける。


「郁子!」


 杜夫が叫ぶと、謙さんが腕の中で何かを言った。

 耳を近づけると「すまん、杜夫。こんなことになっちまって」と詫びているのが分かった。


 杜夫は大きく首を振った。

 謝るのはこちらの方だ。

 杜夫は謙さんが自分たちを騙そうとしているかもしれないと疑い、莉奈にまでそう語ってしまった自分を恥ずかしく思った。

 一味から逃げ出た六郎と皐月を匿ってくれた謙さんが今さら初の手先となって動くなんてことはなかったのだ。

 謙さんのことを信じていた莉奈に合わす顔がない。


「ごめんなさい。私が耐えきれなくて、この場所を教えちゃったの」


 郁子は這いずるようにして杜夫と謙さんの傍に寄ってきた。

 その瞳は微かに潤んで光っている。


 郁子が泣いている。

 彼女の涙を見るのは長い付き合いだが、初めてのことだ。


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