表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
四月の出来事B面  作者: 池田 和美
PR
1/4

四月の出来事B面・①

★登場人物紹介

海城 彰(かいじょう あきら)

:今年、清隆学園高等部を受験した中学生。幼なじみが、超がつくほどの天才だったため、災難に見舞われる。

御門 明実(みかど あきざね)

:自称『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』の天才。そして変態でもある。彰の幼なじみ。

海城 香苗(かいじょう かなえ)

:この物語のメインヒロイン(本人・談)その美貌に明実の心は虜になっている。

藤原 由美子(ふじわら ゆみこ)

:清隆学園高等部一年女子。主人公と同じクラスになる。外伝なので、出番が少ない。

佐々木 恵美子(ささき えみこ)

:同じく高等部一年女子。そんじょそこらの読モを軽く凌駕する美貌の持ち主。

岡 花子(おか はなこ)

:日本人形のような女の子。今回は端役。


 学ランを身につけた二人組が、大型トラックが行き交う国道を、バス停に向けて歩いていた。

「今日はご馳走だな」

 向かって右側の少年は、日本人離れした深い彫りのある顔立ちに、茶色がちな薄い色の髪をしていた。

 その少年、御門(みかど)明実(あきざね)は、通話相手がまるで歌い出したように喜びの響きを発した携帯電話を強引に切ると、折りたたみながら隣を歩く少年に告げた。

「まあ、そうだろうな」

 自分も母親への報告を終えて携帯を仕舞いながら、話しかけられたもう一人の少年、海城(かいじょう)(あきら)は答えた。

「なんか、かあさんもご馳走作るって」

 本日は清隆学園高等部合格発表当日である。

 この少し浮ついている様子から判るとおり、二人とも自分の受験番号を掲示板に見つけた帰り道だ。

 清隆学園というのは、幼年部(幼稚園)から大学まで揃えた少子化の昨今めずらしい総合教育機関だ。東京都多摩地区西部に学舎を構え、卒業生の中には政財界で活躍している者も多いという。

 偏差値が少し高いのだが、高等部でも隣接する大学の施設も使えて、学ぶ環境やクラブ活動等いずれも充実しているため、人気の方も高めであった。

 掲示板に張り出されていた味も素っ気もない再生紙に、自分たちの番号を見つけた二人は、手続きも終えてこれから出身中学へ戻るところだった。

 他の高校では制服の採寸なども発表当日に行ってしまうところが多いが、今年の清隆学園は業者の方の都合がつかなかったとかで、それは無かった。

 代わりに入学式当日までの日程の中に、親子で参加するオリエンテーションが予定されていて、その日に制服の採寸が予定されていた。

「オマエのところもそうだとすると」

 日本人離れした容姿に加え、日本語の方にも妙なイントネーションが入る明実。その淡い色の瞳が思慮深い光で彰を見た。

「また合同でバーベキューか何かかな」

「安上がりだな、オレたち」

 こちらはごく普通の容姿の彰。言葉すら標準語だった。

 明実の日本人離れには理由があった。いわゆる混血児(ハーフ)というやつなのだ。本人に言わせると『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』らしい。矛盾があるようだが真剣に考えてはいけない。一事が万事こういった性格なのだ。

 ただし普通の変人と違うところがあった。それは、ずば抜けた頭の良さだ。しかも並大抵の天才ではなかった。小学生の段階で大学卒業までのカリキュラムを終えており、中学では部活に参加しない代わりに、放課後はここ清隆学園大学と製薬会社が協同で立ち上げた研究所で過ごす毎日だったのだ。

 もちろん、ただで遊ぶために通っていたわけではない。明実はそこで数々の論文を物にし、そして幾つかの工業的パテントの取得までもしていた。

 大人たちの評価は『明日のノーベル賞受賞者のその候補』といったところだ。

 小学校から一気に大学へ飛び級するという制度がない日本の教育制度のせいで、こんな遠回りをすることになった。しかし着実に歴史に名を残すような頭脳は育っていた。

 対してごく一般的な家庭に生まれた彰は、そんな明実と幼稚園の頃から親交があるのが特筆される以外に、なんということのない平凡な人生を歩いてきていた。

 要するに二人は幼なじみという奴なのだった。しかも家の敷地までも隣同士ときた。

 彰にいわせると、もちろん明実の頭脳はうらやましい、逆に明実は彰の平凡さがうらやましいのだそうだ。それについて彰は全くと言っていいほど理解不能であった。持てる者の贅沢ゆえの悩みに見えてしまうのだ。かといって二人の友情には、そんな些末な感情の行き違いは関係がなかった。

「今日も研究所に行くのか?」

 彰が訊ねると、眉をひそめる明実。

「合格発表の日ぐらいはサボっても文句は言われないと思うけんど」

「近くまで来たんじゃないか。研究所の人には報告しないのか?」

 研究所は大学側の色々な便を考慮して、敷地から離れて国道に沿った敷地にあった。つまり現在位置の近くに建てられていた。明実が天才でありその研究所に通っていることを知っていた彰は、当然のことながら研究所の所在位置までも知っていた。

 ここから研究所に行くのならば、国道を横断しないで、こちら側の歩道を歩いていった方が近いはずだ。

「研究所の中じゃもうオイラが合格することは、太陽の周りを惑星が公転することぐらい当たり前のことになっている。そこに長周期彗星かのごとく不確定要素はない」

 そう答えた明実は、なぜだか一般枠での受験を選んだ。彼の立場ならば無試験で大学まで入れてくれそうだが、普通の受験生が経験するだろう苦労を自分も体験してみたかったとか。

 普通の頭である彰にしてみれば、うらやましい話しである。

「じゃあ、帰るとするか」

 ちょうどバス停に近い横断歩道の信号が赤になってしまって、国道を再びトラックたちが唸り声をあげて発進し始めた。

 その黒い排気ガスに少し顔をしかめて、しばし沈黙する二人。高原の空気ならばいくらでも肺へ詰め込みたいが、こいつは百害あって一利もなさそうだ。

 東京の基準で空気が透明になった頃、信号待ちに飽きたように彰が口を開いた。

「いまは何の研究をしているんだっけ?」

 あまり研究内容は外部に漏らしてはいけないのだろうが、相手が幼なじみということで、研究対象ぐらいは当たり障りのない程度で話してくれていた。

「超電気なんたらだっけ?」

「んにゃ」

 明実はちょっと表情を曇らせると、小さく首を横に振った。

「そいつは別の天才が優れた論文を発表して、オイラの手から離れた」

 その雰囲気からすると、同じ研究を別の誰かに先を越されて完成されてしまい、明実は悔しいようだ。ただ科学者らしく顔の表層にはそのような感情は出ていなかった。長いつき合いである彰であるからこそわかったようなものだ。

「いまは人類の太古からの野望。神への挑戦に取りかかっておる」

「おいおい」

 欧州の血が入っているためか、日本の中学生の平均身長よりも少々高めの相手を彰は見上げた。

「どんなヤバイことだよ」

「知りたい?」

 ニヤリと片方の頬だけで不敵に笑う。その表情だけを見るとTVに出てくる悪の組織に属するマッドサイエンティストのようだ。まあマッドなサイエンティストであることには違いないが。

「あ、ああ」

「『死への挑戦』だよ。ダレだって歳老いて死ぬのは恐いらしくって、この研究で寄付に困ることはなさそうだね」

 高校受験に成功したばかりの中学生とは思えない、その世俗にまみれた発言に、彰は開いた口が塞がらなかった。

「もし、そんなことができたら…」

「子供は必要としなくなるな」

 悟ったように肩をすくめる明実。絶句し続ける幼なじみに、いつもの笑顔を取り戻して告げた。

「まあ、まだ研究しようかなっぅー段階で、どうなるか判らない話しだよ」

「恐いこと言うなよ」

 それが明実なりの冗談だったと取った彰は、ちょうど青信号に変わった横断歩道に足を踏み出した。

 その時だった。

 パンという乾いた音が響いた。

 音につられて車道の方へ首を巡らせると、見上げるような大型トレーラーが派手なブレーキを踏んで、サスペンションを撓ませて停車する直前だった。

(いや、なにかおかしい)

 そう彰が感じ取る前に、鉄の塊たる車体が迫っていた。

 異常に傾いていることから大重量でタイヤがバーストしたらしいと判った。そしてそのせいだろう、巨大な車体は停止線で停まりきることが出来ず、そこを越えて横断歩道に突っ込んできていた。

 その命の危険といえる状況に、彰は時間がゆっくり流れる錯覚を得た。

 人間は本当の危機に面すると、脳内の余分な回路は切り離され、異常なほどの身体能力を発揮することがあるという。いわゆる火事場の馬鹿力という奴だ。

 いまの彰がそれであった。

 隣を歩く明実は迫るトラックに気がついていないようだ。普段の彰からは考えられないような反射速度で、幼なじみを守るために全力で彼を元いた歩道へ突き飛ばした。

 そして自分も全力で歩道に向けて足を踏みきった。

 宙に浮いた彼の体へ、鉄の車体が迫ってきた。

 運転台でハンドルをどうにか制御しようとする運転手に浮かんだ恐怖の表情が印象的だった。



「はっ」

 体にかけられていた薄い毛布を跳ね上げて、上体を起こした。

「ゆ、ゆめか…」

 悪夢を見ていた名残だろうか、気持ち悪い汗を全身にかいているような気がした。

「良くない夢を見ていたようだな」

「ああ。合格発表の帰り、信号でトラックに撥ねられる夢だ」

 ここのところ高校受験というプレッシャーのせいか、こういったノイローゼ気味の悪夢で、真夜中に飛び起きることが多かった気がする。

「ほう、それで?」

「オレはその反動で、ビルの壁についていた鉄製の看板に激突。跳ね返って対向車線に落ちて、さらにトラックが一台、二台、三台…。そんな、ゆ、め…」

 独り言に返事があることにようやく気がついた彰は、言葉を途切れさせながら顔を上げた。

 そこに白衣を纏った幼なじみ、御門明実が立っていた。

「正確には五台だったぞい」

「よ、よく生きていたなオレ」

 胸を撫で下ろしながら彰は感心したように言葉を漏らし、そして違和感に硬直した。

「まったく、オイラがそばにいたからよかったようなものだ。でなかったら、オマエは死んでいたところだったぞ」

 しかし彰は明実の言葉を聞いていなかった。

 体にある違和感の方が頭を占領していたのだ。この世に生を受けて十五年。特に大病を患うこともなく愛用して馴染んでいた体に、いまとんでもない違和感があった。

 端的に述べるならば胸部に…。

 胸を撫で下ろした時の感触を目で確かめるために、彰は着せられていた入院着らしい薄い生地の胸元を大きく引っ張って中を覗き込んだ。

「な、なんじゃこりゃあ」

「松田優作か?」

「て、てめえのせいか?」

 顔を真っ赤にして明実を振り返る。

 具体的に言うと彰の胸には男の体ではありえない、二つの膨らみが出来ていたのだ。

 日本の平均的な男子中学生であるはずの彰が、こんなに間近に眺められる物ではない。

「もちろん、そうだが」

「こ、このぉ」

 一発ぐらいぶん殴ってやろうとベッドから体をのばして、白衣の胸倉を掴んだ。だが幼い頃からよく知る相手が無抵抗だったので、その拳は宙で停止した。

「ど、どういうことだ。説明しろ」

「うむ。そうしよう」

 あくまでも冷静に明実は白衣のポケットからビデオのリモコンのようなものを取り出すと、ベッド正面の壁面に向けてスイッチを押した。

「?」

 白い壁面を全部使って、どこかしらに仕込まれたプロジェクターから映像が投影された。

「後々必要になるかと思って、記録を残した」

 投影された映像の中で、今と同じように学ランの上から白衣を羽織った明実が、にこやかにピースサインを出していた。どう見ても、小学校に上がる前からの友人が死に即している場面で撮られた映像に見えなかった。

 画面の中の明実は、今日の日付や撮影場所、そして彰には意味不明の数字や記号が書かれたボードを両手で持っていた。

 明実の指がもう一度リモコンのボタンを押し込んだ。カチャリという機械の動作音がどこからか聞こえて映像が切り替わった。

「まず、これが事故直後のオマエだ」

 そこには夏の道路でよく見かける、車に挽きつぶされたヒキガエルのような物体が映されていた。ヒキガエルでないことが素人でも判るのは、その肉色の繊維と、はみ出した色とりどりの内臓、白い骨や飛び出した眼球などが、かつて学ランであったろう布をまとわりつかせているからだった。

 そのただの黒い布と化した学ランの周りには、水彩絵の具を零したような勢いの良さで、赤い血液や白い脳漿といったものが水たまりを形成していた。

 TVの報道番組ならばモザイク確定である。

「こ、これがオレか?」

「そうだ。オイラはこのままではオマエが死んでしまうと判断した」

 あくまでも冷静な明実にツッコミを返してしまう。

「いや、どう見ても即死だろ、これ」

「そこでオイラは丁度持ち合わせていた『回収器』でオマエの肉体を保護した」

 リモコンが操作され、再びカチャリという音がして映像が切り替わった。壁面に、その回収器とやらの操作をする明実が映し出された。

 白衣に学ランという姿で彼が操る回収器とやらは、丸い本体をしていた。そこから伸ばされた筒先が、先程の肉塊に向けられていた。

「ちょ、ちょっとまて。どう見てもありゃダイ〇ンじゃねえか」

 彰は明実が手にしている機械を指差した。確かに明実の言った『回収器』とやらは、世界で唯一の「吸引力の変わらない」ハンディタイプのサイクロン式掃除機に見えた。しかもそのサイズは「丁度持ち合わせて」いるような大きさでもなかった。

「…」

 明実はじぃっと彰の顔を見つめた。

「な、なんだよ」

「あれは『回収器』だ」

「え?」

「『回収器』だ。わかったか」

「うっ、うん」

 物凄い勢いで睨まれてしまったので、その迫力でうなずいてしまった。それを確認した明実はコロリと態度を戻して、リモコンを再び操作した。またカチャリという音がして映像が切り替わった。

「回収が終わったオマエの肉体はココ、清隆大学科学研究所の運び込まれた」

 映像の中で掃除機…、いや『回収器』のカップ部分を抱えた明実が、研究所の入り口にある銘板の前でピースサインを出していた。

「あのピースサインに意味はあるのか?」

 最初の映像でもそうだが、明実の態度にどことなく余裕が感じられるのは気のせいであろうか。

「で、オマエは…」

「説明しろよ!」

「してるじゃないか」

 冷静に言い返す明実。その冷静さの中に、科学者特有の冷徹さが垣間見えたようで、彰は再び押し黙ってしまった。

「どこまで話したっけか? あー、そうそう研究所に着いたところだったな。早速オイラは、屋上の五芒魔法陣にオマエの肉体を運び…」

「科学の力はどうしたぁぁぁ」

 彰が明実をド突いた瞬間、明実の体は横の壁までぶっ飛んでいった。大袈裟な感じでビタンとそこに貼りついた瞬間に、その衝撃でリモコンのスイッチが入ったのか、またカチャリという音と共に壁の映像が切り替わった。

 映像では青空の下で、怪しげな黒い三角頭巾を被った一団が、これまた怪しげな手つきをして腕を振り上げていた。日本全国で夏に見られる盆踊りのスナップだと言ってもちょっと違和感がないようなポーズではあったが、なにせ頭をすっぽりと覆う三角頭巾という、まるで非合法な秘密結社のような服装をしている連中である。これが科学的な行いとは到底思えなかった。

 その輪を作っている集団の中央には、何やら血色の液体が詰まった透明なシリンダーが直立しており、その前で同じような三角頭巾を被った男が、両腕を天空に向けて精一杯振り上げていた。

 頭巾のせいでそれが誰であるか特定が困難であるが、首から下が白衣に学ランという服装から、その『儀式』を行っているのが明実であろうことが容易に推測できた。

 なるほど『儀式』は、明実の説明にあったとおり、屋上らしき場所に白線で描かれた五芒星を基準にした魔法陣の中で行われているようだ。

「さ、サバトだ…」

「こうしてオマエの体は再生シリンダーに中で再構築され、形を維持できたところで取り出したわけだ」

 壁に貼りついたときにぶつけでもしたのか、鼻血を垂らしつつ明実の指がリモコンのボタンを押し込んだ。それと同時に「チン」という、日本全国の台所で今日も響いているような鉦を鳴らすような音がして、映像が切り替わった。

 新しい映像では円筒形をしたシリンダーの上部に設けられた蓋が開かれていた。シリンダーの中身は青白く輝く液体で満たされており、その液中から小柄な体をした人物が引き上げられていた。

 頭巾姿の明実らしい人物がその両脇へ腕を入れ、細い脚を持つのは三角頭巾を被った別の誰かであった。

 液中から引き上げられているその少女は、一糸まとわぬ生まれたままの姿であった。

 三秒間だけその白い肌を見つめる彰。その頭の中では、コントなどで効果音として有名なクラシック曲『トッカータとフーガ ニ短調』がかかっていた。おそらく演奏はシエナ・ウィンド・オーケストラあたり、指揮はもちろん佐渡裕であろう。

「明実!」

 突然叫んだ彰に、鼻血を拭き終えた明実は、科学者らしく余裕のある態度で振り返った。

「なんだ?」

「かがみ! 鏡はどこにある!」

「カガミ?」

 不思議な質問をされて戸惑ったように表情を変えた明実は、一方を指差した。

「それなら洗面所にあると思うが」

 明実が示したのは、先ほど突き飛ばされて貼りついた壁であった。壁にはまるで魚拓のような明実の等身大スタンプが残っていた。その横には通路が存在し、ユニット式の洗面台などが、半ば開いたアコーディオンカーテンの向こうに確認できた。

 彰はマッハの速さでそこに駆け込んだ。

 洗面台自体は、よくある大量生産品であった。そこに取り付けられた鏡の中に、彰は初対面の女の子を発見した。

 その少女は彰と同じように、たったいま衝撃的な事実を告げられたらしく、硬い表情になっていた。

「おちつけ、落ち着けよオレ。まだだ。まだ、そうと決まったわけではない」

 彰は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。しかし鏡の中の少女も、彰とまったく同じタイミングで口を動かしていた。きっとガラスの向こうで、こちらの真似をしているのだと無理に自分に言い聞かせる。

 次に彰は、鏡に映る少女を観察し始めた。

 まず黒眼がちな瞳がこちらを見ていた。意思が強そうな目元にドギマギすると、鏡の向こうでも、その少女は目の力を弱めて視線を逸らしてくれた。

 大きな瞳に似合ったはっきりとした虹彩。ただ瞳孔の中に青い炎のような物が見える気がするのは、気が動転しているせいだろうか。

 小振りの鼻はチョンと人差し指で突きたくなる位で、実際にやってみようとしたら、その少女もこちらの鼻に人差し指を伸ばしてきたのでやめた。

 唇は薄く整った形をしており、どこか蠱惑的に湿っているような気がした。

 黒い髪は風呂に入ったばかりなのか、ブラシを入れられた様子はなくてボサボサになっていた。長さはちょっと手入れを怠ったように伸ばし気味のボブカットといったところ。

 彰の基準で言うと、どこから見ても「美少女」に分類されるほどの女の子であった。

 受験生だった自分は彼女いない歴=年齢だったが、いつかはこんな女の子と一緒に通学路を歩く身分になりたいと思っていた。

(でも、どこかで…)

 初対面のはずなのに、どこかで会った事があるような美少女。その理由は三秒で思いついた。

(この()、かあさんに似ているんだ)

 彰はペタペタと自分の頬を触ってみた。

 同じように鏡の中の少女も、自分の頬を白い手で触りまくっていた。

 彰は自分の手を見てみた。

 それは鏡の中に居る少女が持つものと同じに見えた。

 華奢で白くて細長い。どう見ても、長年愛用してきた自分の手指ではなかった。

 下を向いたせいで、慎ましながらも膨らんでいる形に変わった自分の胸部が目に入った。そこはさっき着せられている入院着のような薄い布を覗き込んで確認したばかりだった。

 ドドドドド。

 そういう怒濤が渦巻くような音を、彰は耳の奥で感じ取ったような気がした。背後に『スタンド』が現れたのでない。それは紛れもなく自分の頭から足元に向かって血が落ちていく音だった。じっさい鏡の向こうでも少女の顔色がどんどんと青くなっていく。

(まさか)

 立っていられそうもなくなって、彰は何か掴まる物はないかと首を巡らせた。その視界に、すぐ横に存在したドアが入った。

 ドアには味も素っ気もないプレートが貼られていて、そこには『TOILET』の文字が読めた。

 その扉に彰は飛び込んだ。あまりの速さに開閉音が爆発音のようだった。

「ない!」

 彰の悲鳴が扉の向こうからした。

「ない! ない! ないぞ!」

 再び爆発が起きたような音をさせて、扉をぶち破らんばかりに飛び出してきた彰は、その勢いのままベッドの横でつまらなさそうに待っていた幼なじみに掴みかかった。

「ど、どういうことだ!」

「その様子なら入院は必要がないかもな」

「お、おまえ! …!?」

 彰は色々と文句をつけようとして、強烈な違和感のせいで言葉を飲み込んだ。

「おまえ、そんなに背が高かったか?」

「正確にはオマエが縮んだんだ」

 昨日まで(正確には事故直前まで)日本の中学生男子での平均身長だった彰と、混血児というプロフィールのせいか高めだった明実の身長差は、ここまで大きなものではなかった。

 だが今では彼の胸倉を掴んでいる彰は、そのまま明実にぶら下がることができそうな程に小さくなっていた。

「あのな彰」

 胸倉を掴まれている割には余裕の態度で、明実はリモコンを操作し、壁面に事故直後の幼なじみの映像を戻した。

「見れば判ると思うが、オマエの体の損傷といったら、そりゃあ凄いものだったんだ。トラックに撥ねられ、ビルに跳ね返り、五台ものトラックに踏んづけられたんだぞ。あちこちにオマエの肉体が飛び散るし、粉々になるし。さすがのダ〇ソンでも集めきれなかったんだ。だから色々と足りない物があってもおかしくないだろ」

「やっぱり…」

 彰の顔色が戻る気配はなかった。

「やっぱりダイソ〇だったのか」

「足りなくなった分」

 誤魔化すつもりなのか、明実は声を一層張り上げた。

「オマエの嵩が減ってしまうのは質量保存の法則からして、おかしくないことだろ」

 どうやら黒魔術のような儀式をしていても、アントワーヌ=ラボアジエには逆らえないらしい。

「…」

 彰は少し考えてから口を開いた。

「だからって、なぜ女の子?」

「?」

 質問の意味が判らないとばかりに明実が瞬きを重ねた。

「この身長の『男』でも、なんら問題はないはずだろ」

 彰の言葉を認識すると同時に、明実は彰に胸倉を掴まれたまま左手を平手にして差しだした。そこへ自身の軽く握った右手を打ちつける。

「おおっ!」

「こらあ!」

 どうやらそこまで思いつかなかったらしい。一度明実の頭をひっぱたいておく。

「何をする。この世紀の頭脳に損傷でもあったら、責任問題だぞ」

「そんな豆腐以下の脳みそなんて、生ゴミと一緒に燃やすゴミの日に出してしまえ!」

「それが命の恩人への言葉か?」

 とても心外そうに明実は表情を曇らせた。

「おまえがこんな体にするからだろう」

 端から聞いていると、とても危ない言葉を少女(になった彰)は口にした。

「わかった。作り直せばいいんだな」

「できるのか?」

 それが組み立てを間違えたプラモデルのような気安さで明実はうなずいた。

「オマエの体を再々構築するのは、出来る出来ないで言えば、できる」

「じゃあ、さっそくやってくれ」

 彰は明実をやっと離した。明実は乱れた白衣の襟を整えながら言った。

「ただ、星の位置が変わっちまったから、次の蝕を待たないといけない」

「その次の蝕って、いつだ?」

 彰の質問に、明実はソロバンを白衣から出して何やら計算を始めた。

「うん。五十六億と七千万年後だな」

「オレは仏の救いを待つ衆生か!」

 彰が明実へツッコムためのパンチは、三度目にして軽く避けられてしまった。

「なにをする」

 明実は迷惑そうに彰を見た。彰は小さくなってしまった自分の拳を握って相手を睨み付けた。

「おまえにド突きを入れて精神の安定を図ってるんだよ」

「なるほど」

 明実は腕組みをしてうなずいて見せてから、人差し指を一本立てた。

「だが、これからは周りに注意して行動してくれ」

「?」

「肉体は小さくなってしまったが、オマエ自身が持つ魂の総量…、生命力のような物は変わっていないんだ。機械に例えるならばブルドーザーの車体が壊れたが、まだエンジンが使えるってんでオートバイに移植したようなもんだ。オマエは外見に似合わないような出力を持っている、といえばわかるか?」

「つまりオレはスーパーマンのようになっているのか?」

「女だからスーパーガール…、いやスーパーウーマンかな。それならば版権関係で揉めることもないだろうからな。まあそれはともかく、空を飛ぶことはできないが、弾よりも強く機関車よりも速くってやつだ。これで変身できればミュータンロボットとだって戦うことができるぞ」

 自分の掌を見つめてつぶやいた彰の言葉を、明実は訂正した。

「そんなことを言われても、全然うれしくないぞ」

(しかも、なぜ新人類帝国? 月にまで行ってこいとでも言うつもりか)

 心の中でだけツッコミを返してしまった。

「まあおいおいと、力をセーブするように脳の方が判断するようになると思うが、それまでは立ち回りに気をつけてくれ」

「本郷猛も、ショッカーに改造された直後はこんな気持ちだったのかなあ…」

 ガックリと落とした肩へ、明実は優しく包み込むように手をかけた。

「再々構築は、別の方法がないか探してみよう。そんなに暗くなるな。死ぬよりましだったろ」

「それ以上触ったら、またぶん殴るから」

 明実の手を軽く肩からどかしながら彰は宣言した。

「おや? 信用がないなあ」

「お互い、何年のつき合いだと思ってる。おまえの考えなどお見通しだ」

 美少女を前に緩んだ顔をしている明実を睨み上げる。幼なじみゆえに、彼の変人ぶりは骨身に染みてわかっていた。

「なにを言う」

 憤然として右拳をこれ以上ないほど握りしめて明実は断言した。

「オレが浮気なぞするか。昔から今までカナエさん一筋だぞ!」

 御門明実の嗜好は単純であった。昔から、それこそ小学校に上がる前から海城(かいじょう)香苗(かなえ)一筋なのである。

「って、人の母親を気安く名前で呼ばないように」

 問題はここにある。小学生で大学のカリキュラムを終えたように、彼の精神は早い段階で成熟していた。だが彰の母親である香苗からすれば、息子の幼稚園友だちに「オイラ、おばちゃんのオムコさんになる」と言われても、微笑んで「じゃあ大人になったらね」と答えるのが定番の受け答えであろう。

「そうだ、かあさんは?」

「もちろんカナエさんにも知らせてある」

 その明実の言葉を待っていたかのように、少々荒っぽく扉が開かれる音がした。

 音の方向を振り返ると、先程自分の姿を確認した洗面台の横にあった出入り口の扉が開かれていた。

「アキラちゃん! アキラちゃん! 大丈夫なのっ!」

 駆け込んできた小柄な影が、彰を後ろから抱きしめた。

(母親って、いつまでも懐かしい匂いがするよな)

 半ば泣き出している母親を背中に感じて、まず彰は場違いにもそう思った。

「かあさん、落ち着いて」

「そうですよカナエさん。アキラはこのとおり二本の足で立ってます」

「本当? アキザネくんが、アキラちゃんが大怪我したって言ってたけど」

 香苗は彰の両肩を掴むと、自分の方に正対させた。

 お互いの視界に、愛しい家族の姿が飛び込んできた。

 彰の母親、海城香苗は(当たり前のことだが)今朝、彼を「いってらっしゃい」と送り出してくれた時のままであった。

 その姿と言えば、彰が小学生の時は世間に「歳の離れたお姉さん」に見間違えられたままである。それが中学校に入学したころには「歳の離れた」という形容詞が消え、去年は「彰の姉妹」に変わっていた。最近はその文言から「姉」という漢字が外れ始めているような気がしていた。

 中学生の彰にはまだピンと来るものが無いが、見事なアンチエイジングであった。これも明実に言わせると、彼が法律上結婚ができる年齢である十八歳まで待っていてくれているということなのだが。

「トラックに撥ねられたって聞いたけど、ドコを怪我したの?」

 いまだパニック状態なのか、身長も容姿もだいぶ変わってしまっているはずの彰の体を、ペタペタと触って香苗は確認した。

「…」

 その手が一周して彰の肩に戻ってきてから、やっと目に映る自分の子供の変容に気がついたらしい。明実の計測によると三十二秒間、香苗は硬直した

 そのまま何を思ったのか、彰の両胸を揉みしだき始める。

「ちょ、ちょっと、かあさん! なにするんだよ」

 慌てて母親の手をはね除けると、彰は飛び退って両手で自分の体を抱きしめた。

 ムンズとその腕を掴まれた。

「へ?」

「ちょっと来なさい」

 そのまま親子は入り口脇の洗面台の方へ消えていき、そして扉の開閉音が続いた。

「ないわ!」

 まるで先程のリピートのごとく悲鳴が響いてきた。

「ないわ! ないわ! そして私よりある!」

 そして爆発音のような音を立てて扉が開かれると、自分の息子だった者を引き摺って、香苗は明実に詰め寄った。

「どういうこと! アキザネくん!」

「説明しましょう」

 どこまでも幼なじみは冷静であった。



 穏やかな夕陽が部屋に差し込んでいた。

 ベッドに寝かされた彰は、ようやくひとごこちがついた。

 傍らには白衣姿の明実がまだ立っており、彰の母親である香苗は、用意してもらったパイプ椅子に座って、家庭でいつもそうであるように、ニコニコと微笑んでいた。

 たった今、彰が見せられたスライドショーをもう一度繰り返して、香苗への説明が終わったところだ。

 香苗は、これも研究所が用意してくれた緑茶を、安物の湯飲みから口に含んだ。

 彰は、自分の悲惨な事故現場写真に母親が卒倒でも起こすのではないかと心配した。が、その悲惨さよりも彰が体験した苦痛の方が気にしていたのは、さすが母親であった。ちなみに最初の一撃の痛みは記憶しているが、それ以降は脳や神経に受けたダメージのせいか、彰自身には痛みの記憶は残っていなかった。

 あんな肉色の塊を見ても平気だなんて、流石にそこは外見がどんなに若くても経産婦、相当肝が据わっているようだ。

「つまり、アキラちゃんをアキザネくんは助けてくれたのね」

 温かい物を含んでホッとしたのか、声の方もだいぶ落ち着いた物に変わっていた。

「もちろんですとも」

 無駄に胸を張って明実は主張した。

「カナエさんの子供といえば、将来の我が子。これを助けなければ男が廃るというものです」

「またまた」

 プププと小さく噴き出しながら香苗は言い返した。ちなみに香苗自身も明実からの熱烈なラブコール自体は知っていた。

「そんな照れ隠しをしなくてもいいのよ、アキザネくんは。素直に庇ってくれたから恩返しをしたって、そう言えばいいの」

「そ、そういうわけでは…」

 顔を真っ赤にして明実はそっぽを向いた。知能指数が常人の十倍はあろうかという頭脳でも、幼なじみの母親には敵わないらしい。

「まあ、そういうわけで…」

 彰は残念そうに母親に告げた。

「かあさんが前から言っていた『オレの彼女に嫉妬する』という夢は叶えられそうにもなくなったんだ」

「別にいいわよ」

 深刻そうな顔の我が子に、明るい顔を向けた母親は言った。

「わたし女の子『も』欲しかったの。これで自分の娘と同じ服を着て、町を歩いたり出来るじゃない。わたし、女の子が産まれたら、そういったことを楽しみたいと思っていたのよね」

 何度も言うが現在中学三年生の子供がいるとは見られない程の若作りの母親である。性別が変わっただけでなく身長も縮んでしまった彰と、世間様は「姉妹」と勘違いすること間違いなしだ。血を分けた親子同士である、輪郭や目鼻立ちだけでなく、ちょっとした仕草や表情までもが似ているのである。

「たぶんだけど、同じ服が着られるわ」

「よかったな彰。オマエのタンスには、ダサい服しか押し込んでないだろ」

 当たり前と言えば当たり前のことを言われた。逆に男子中学生のタンスに使用済み女性用下着が入っていたら、犯罪である可能性が高い気もする。

「なんで明実がオレの持っている服の種類を知っているかはともかく…」

 そこまで言って彰は硬直した。

「?」

 言葉が不自然に途切れたために訝しげな顔をする二人の方へ視線を泳がす。

「はっ! まさか!」

 彰は重要なことに気がついて、まず幼なじみを、次いで母親に振り返った。

「まさかオレは、これから本当の女として生きて行かなきゃいけないのか?」

「まあ、まだ再構築したばかりで、すぐに退院というわけにはいかないが。ここを出たらそうなるだろうな」

 明実の冷静な分析をほったらかしにしておいて、彰は香苗をすがりつくように見た。

「高校生になった自分の息子とデートできなくなっちゃったのは悲しいけど、アキラちゃんが死んじゃうより遙かにましですもの」

 香苗は湯飲みをサイドテーブルに置くと、立ち上がってから安心させるように彰の肩を優しく抱きしめた。

 自分は母親から大事に思われているという実感が湧いて、彰もホッとした表情を零した。

「でも、合格は無効だろうし。せっかく生きていても、オレの人生設計はメチャクチャだ…」

 彰にだって将来の夢ぐらいはあった。それには大学を出ていた方が有利であることも判っていたし、大学受験には高校へ進学するのが一番の近道だということも判っていた。

 しかしこれで合格も取り消しであろうことが、容易に想像がついた。なにせ受験の時に出した書類には「男」と書いたし、受験票に貼った写真はもちろん男の写真だ。

「なに、大丈夫だ」

 明実は組んだ腕の中から人差し指を立てた。

「この研究所は清隆学園と繋がっている施設だ。うまく教授たちに話しを高等部の方へ通してもらえばよい」

「けど戸籍とかでバレるだろ」

「…」

 彰の指摘になぜかニヤリと嗤う明実。ちょっと明後日の方向へ視線をずらした。

「住基ネットって便利だよな」

「ハッキングかよ! おまえ黒魔術だけでなくハッカーまでやっているんか!」

 唾をとばして喚く彰に、そのなんとも言えない微笑みを明実は崩さなかった。

「よかったじゃないアキラちゃん」

 呑気に喜ぶ香苗であった。

「高校はいいとして、中学はどうするんだよ。まだ卒業まで一ヶ月あるぜ」

「ああ、どうせまだ身体の調整なんかが残っているから、そのくらいはココに入院してもらう。卒業式は…、まあその、諦めろ」

 明実の宣言に、香苗は息子…、いや娘の肩を優しく叩いた。

「それはちょっと残念だったわ。とおさんも卒業式には出席できると言っていたのに」

 ちなみに海城家の大黒柱、彰の父親であり香苗の夫たる海城(かいじょう)(つよし)氏は現在、会社の都合で九州は桜島まで長期出張中であった。

「大丈夫です」

 明実が無駄に胸を張った。

「卒業式にはオイラが出席しますから」

「って、おまえはもともと卒業生だろうが。しかも首席」

 ブツブツとつぶやいた彰はまったく無視された。

「それにオマエの学ランは、もう修復不能だぞ」

 明実の指摘に、彰は先程のスライド写真を思い出した。それは形だけは服としての外見を維持していたが、繊維の単位で徹底的に暴力が加えられており、一目で再使用は不能と判る代物だった。

「まあ、オマエのボタンを貰いに来る女子なぞ、いないと思うがな」

「ちぇ」

 くさる彰にちょっと憤慨したような顔になる香苗。

「アキラちゃんのボタンを貰いに来ないなんて、いまの中学生は見る目がないんだから」

「いや、親の贔屓は…」

 何かを言いかけて、彰はじっと母親を見た。

「なに?」

「まさか、制服…」

「制服? 制服がどうしたの?」

「スカート???」

 そうである。中学校の制服である学ランが、彰の命の代わりにズタズタになってしまったのは、事故の規模からして当たり前のことかもしれなかったが、四月からは高校に通うのである。

 春休みに予定されている親子オリエンテーションでは、制服の採寸もするのだ。私立清隆学園高等部の制服は紺色のブレザーに赤色のネクタイである。関東地方では毎週土曜日に放送している、死体がゴロゴロ転がる国民的アニメ的に言うと「帝丹高校」とネクタイの色だけが違う制服であった。

 男子は上がブレザーにワイシャツで、下はプリーツが入ったズボン。女子はブレザーとベスト、薄い色までなら黙認されるブラウスであり、下に履くのはプリーツスカートであった。

「た、たしか、女もパンツルックの制服が規定されていたよな」

「ダメに決まっているじゃない」

 香苗はちょっとむくれてみせた。

「せっかくの女子高生がパンツ? スカートにしなさい」

「それにだ」

 明実まで口を挟んできた。

「清隆学園では入学式などの式典で『正装』を着用することが義務づけられている。たしか女子はスカートの方が『正装』規定のはずだ」

「よぶんな制服を作るほど、我が家の家計に余裕はありません」

 彰は抵抗するように二人の顔を睨み付けた。二人ともどこかこの事態を楽しんでいるようなニヤけた顔になっていた。

 しばらくそれに抵抗するように睨み続けたが、やがて情けない顔になってうなだれた。

「わかったか? 今日からオマエは海城彰ではなく、海城アキラとして生きていくしかないのだ」

「男に戻す方法は探してくれるんだろうなあ」

 わずかなニュアンスの違いで漢字とカタカナを聞き分けることができた。これも明実の日本語がもともとおかしいからであろうか。一抹の不安が拭えないのは、アキラが御門明実という男の変人具合をよく知っているからであった。

「それはもちろん」

 即答してくる言葉がすでに安請け合いのように聞こえた。

「でも、これで我が家に『女の苦労』が判る人数が増えて、かあさん嬉しいわ」

「女の苦労?」

 自分の母親が何を言っているのか判らずに訝しげな視線を投げるアキラ。ちょっと頬を赤く染めた香苗は、中学生の子供がいる主婦というより、告白を間近に控えた少女のように見えた。

「ええ、まあ…」

 言葉を濁す香苗に、さも残念そうに明実は言った。

「カナエさん。さすがに外見は『女の子のようなもの』になっていますが、コイツの細胞一つ一つは紛れもなくXYのままです。XXでないので、そういったことは起きえません」

 XYとかXXなどは染色体のことであろう事は簡単に想像がついた。もちろん学校で習うとおりXYが男で、XXが女である。

 明実の説明で香苗はアキラを見てケロッと言った。

「あら、なんだ」

「希望とあればXXに変えますが」

「するな!」

 アキラは枕を二人に投げつけた。

「だいたい男に戻す再々構築とやらの方が優先だろうが!」

「何を言う」

 枕が床に落ちるままにして、憤然とそれが当然とばかりに胸を張る明実。

「最優先すべきはカナエさんの希望だろうが。オマエの意見など聞く耳は持っとらん」

「うわあ、なんでこんなヤツ助けちゃったんだろうなあ」

 あまりの事にアキラのセリフに抑揚が無くなっていた。

「でも元に戻れるなら、そっちの方がいいわよね」

「わかりました、誠心誠意知力の限りを尽くして、その手段を模索いたしましょう」

 香苗の言葉に豹変する明実。それを見てアキラは深く溜息をつくのだった。



 そうしてアキラの入院生活が始まった。「研究所」で「入院」というのも変な話しだが、他に適当な言葉が思いつかなかったし、明実も香苗も会話の中でそう言っていたので定着してしまったのだ。

 その一日の生活はだいたいこうだ。

 毎朝の決まった時間に検診がある。これは血圧や体温だけでなく、身長や体重にまで及んだ。この作業は明実の助手と紹介された、高橋という研究者によって行われた。

 高橋は無愛想な中年に差し掛かったばかりの女性で、アキラのことを研究対象としてしか見ていない節があったが、人付き合いが苦手な方のアキラにとって、その無愛想さが逆にありがたがった。

(この高橋さんも、あの三角頭巾の集団に入っていたのかな?)

 一度そう思ったアキラだが、恐くてその質問はできなかった。

 そんな高橋も週末はきっちりと休みを取るようで、アキラにとってカレンダーの色程度でしか意味が無くなった土日には明実自ら検診を行った。

 検診が終わると明実の手によって静脈注射を一本受ける。その注射器の中身が、自ら青色に発光しているという、まるで放射性物質のような怪しげな液体なので、拒否したい物だった。

 だが屋上の五芒魔法陣というやつで、普通の体とは違う物にされてしまった後である。怪しげな薬であろうが、その施術の責任者である明実が、必要だからと言ったら受け入れる他はなかった。

 たまに身体の内部に痛みを感じることがあり、鎮痛剤を処方してもらうことがあったが、この注射のせいではないことを祈るばかりだ。

 検診から始まって注射までで午前中一杯かかるが、それが終わると、逆にまったくやることが無くなってしまう。

 たまの痛み以外、自覚症状として健康体そのものだから特に困った。部屋を出て散歩に行こうにも、ここは研究所の中でも特に厳重に管理されている部署らしく、その許可が下りることがなかった。それもアキラに色々見られてまずい物があるというより、アキラ自身を誰かに見られることを避けているようなのだ。

 よって明実が差し入れしてくれる週刊誌を読むことと、このままでは太るかと思って始めた腹筋などの自主トレぐらいしかやることがなかった。

 ちなみに食事の方は、香苗が色々と手料理を作ってはタッパーに入れて運んでくれたので、自宅で過ごしている時と同じレベルの物を口にできた。

 そんなある日、とうの香苗が大荷物を持ち込んできた時は、何が起きたのかと思った。

 小さな体に似合わない程の大きさをしたボストンバッグを両肩に二つずつ、さらにショルダーバッグを斜めに一つかけて、どことなく得意そうな顔であった。

「な、なんだよ? こんな大荷物」

 年に一回の家族旅行でも、これほどの大荷物になることはない。旅行というより夜逃げといった荷物に、アキラはただならぬ物を感じ取った。

「アキラちゃん…」

 香苗は荷物をそこらへんにほっぽり出すと、ベッドで半身を起こして差し入れのマンガを読んでいたアキラに走り寄った。

「な、なに?」

 ベッドへ走り寄った勢いのまま飛び乗ってきた母親の様子が、いつもとは違って見えて、アキラは逃げ腰になった。

「アキラちゃん。かあさんがね…」

 香苗は身につけていたブラウスのボタンを外しはじめた。

「かあさんが、女の仕組みを教えてあげる」

「わあああ」

 アキラは悲鳴を上げてベッドから転げ落ちた。

「どうしたの? アキラちゃん?」

 その異常に慌てた自分の子の様子に、香苗はキョトンとした。

「ど、どうしたも、こうしたも、わあ!」

 香苗がブラウスのボタンを外し続けていることに気がついたアキラはそっぽを向いた。もちろん香苗はアキラの生みの母親である。小さいときにはお風呂に入れて貰ったりして、彼女の肌を全く見たことがないということはない。

 しかし外見がいくら「女の子のようなもの」になったとはいえ、中身は思春期の男の子なのだ。

「なにやってるの?」

「いいや、その…」

 話しかけられても、まともに母親を見ることはできない。

「これ、いまのアキラちゃんに合うと思うんだけど、どう?」

「え?」

 思いもしなかった言葉がかけられ視線を戻すと、香苗はどこから取り出した物か、両手で広げるように小さなリボンのついた布製品を持っていた。

 端的に漢字で表現するならば女性用胸部下着といったところだ。

「な? え?」

「必要でしょ、ブラ」

「そ、それで、なんでかあさんまで裸なんだよ」

 アキラは一層顔を赤くして訊ねた。ブラウスのボタンを外していた香苗は、腰から下は紺色タイトスカートのままであった。が、上半身は大きな子供がいるとは思えないほどのファンシーな緑色をしたブラジャー一枚という格好になっていた。

「なんでって」

 再びキョトンとする香苗。

「アキラちゃん、ブラの着け方知ってるの?」

「そ、それは…」

 もちろん知るはずもない。なにせこんな体になる前は正真正銘の男だったし、なったあとも入院着のままで、基本ノーブラであったからだ。

 ちなみにかつてブリーフ派であったので、母親が持ってきてくれた女性用ショーツの方にはあまり抵抗感がなかった。

「まさかノーブラで過ごすつもり?」

「そ、それだっていいだろ」

 強がるアキラに、残念そうに首を振る香苗。溜息までついてみせる。

「わかってないなあアキラちゃんは。いまは寝てるだけだからいいけど、外に出たら必要よ」

 ベッドを回り込んできて手にしたブラジャーを差し出す。

「最悪、走ったりしたときに擦れて痛かったりするんだから」

「そ、そういうものなのか」

「まったく男の子はわかってないんだから」

 香苗の声には非難する響きは混じっていなかった。

「とにかくあわせてみましょ」

「ぬ、脱ぐのか?」

「あたりまえでしょ」

 我が子の動揺が理解できずに香苗は首を傾げてばかりだ。しかしそのアキラの動揺はもっともな物と言える。年齢=彼女いない歴なのだから、香苗以外で女性の胸をまじまじと見たことはなかった。まあ、お年頃の男の子らしく、十八歳未満閲覧禁止のはずの雑誌やらビデオやらで、それがどういった物かは知っていたが。

 この体になっても入院生活が続いていたので、風呂にはまだ入ったことはなかった。

「ほら、はやくして」

 母親に急かされると、条件反射で従ってしまうのは子供の性質なのだろうか。アキラは地団駄を踏みそうな勢いの香苗の催促に、入院着の上を脱ぎ始めた。

(うわあ)

 間近に見る乳房に悲鳴のような物を心の中で上げてしまう。

「自分の胸に感心してないで、ほら」

 香苗が少々機嫌悪そうにブラジャーを再び差しだした。どうやら自分より少々サイズが大きいのが気に入らないようだ。

「こんなもの、後ろで留めればいいんだろ」

 その言葉が「女の下着を手に取ったこともないほど、男としてウブだったでしょ」と指摘されたように聞こえて、アキラはちょっと乱暴に香苗の手から、その小さな布きれをひったくった。何度も言うが難しいお年頃なのだ。

「あーダメダメ」

 意外にも器用なところを見せて、アキラが一人で背中のホックを留めると、香苗が少し困った顔になった。

「こうしてちょっと前屈みになって、ここら辺のお肉を詰め込まなきゃ」

 そういうと香苗自身が模範演技とばかりにやってみせた。

「なんで?」

「ブラは、ここで胸を支えるから、この位置がずれると意味がないのよ」

 香苗はアキラが着けたブラジャーのバージスラインを指でなぞった。

「こうして横からと上からも押さえて、ちゃんとカップに納めないと、肩が凝るばかりで意味無いし」

「ふうん」

 それから香苗に肩紐の長さの調整などをしてもらい、アキラのブラジャー初装着は完了した。

 まるで測ったかのようにピッタリであった。

「これって、かあさんが“見栄”をはるときに着ける大きめのヤツだよね」

「なんでアキラちゃんが知ってんのよ」

 香苗が顔を赤くして唇を尖らせた。怒ってしまったというより、乙女の秘密が知られての恥じらいの表情であった。

 ちなみにこの秘密、去年の三者面談の時にいつもよりスタイルがよく見えた母親を不思議に思い、父親に質問して得られた情報であった。

「でも、これでわたしの服が着られそうだって判ったし」

 香苗は自分のブラウスを着直しながら、床に散らかした大荷物の方へ戻った。

 そこから次々と彼女のクローゼットで見かけた服の数々が現れた。

「え?」

 ワンピースもあり、タイトスカートあり、ロングスカートあり、様々な服がまるで魔法のように取り出されてくる。そのコスチュームに共通することは、どれもフォーマルな物ばかりであるということだ。

「なんだ? 葬式でもあんのか?」

(まさか自分の?)と笑えない冗談が頭によぎった。

「なに言ってるの、今日は新しい学校の親子オリエンテーションでしょ」

「あ」

 ポンと手を打つアキラに、香苗は紺色のワンピースを自分の体に当てて広げた。

「というわけで、かあさんのお勧めはこのワンピ」

 体の一部分は今のアキラの方が大きいらしいが、全体的には歳の近い姉妹のように見える体格差であった。いま香苗が持っているワンピースは、二人の中間ぐらいのサイズのようだ。

「どれでも変わらないだろ」

 ファッションなどには興味が無かったアキラである。香苗が勧める服以外にこだわりがあるわけもなかった。

 さっそく着替えようと、膝上までしか丈がない入院着の下を留めている、ヘソのところで結ばれた紐を緩めて、床へと落とした。

「こらこら。女の子なんだから、次に着る物を被ってから脱がなきゃだめでしょ」

 下着姿になったアキラの体を慌てて隠すように、香苗はたくしたワンピースを我が子の首にかけた。

 袖を通して、背中のチャックを閉じれば完成。なんとも頼りない感じがするのは、スカート自体が初体験だからであろう。

「ほら、化粧水はたいて、髪をとかして」

 サッと服を着た香苗が別のバッグへ手を入れると簡単な化粧道具が出てきた。いつもは香苗が見舞いに利用する椅子に座らされると、コットンに含ませた訳の分からない物を、顔に押しつけられる。慣れない事に戸惑っていると、部屋の入り口の方から声がした。

「そろそろいいか?」

 やってきたのは白衣姿の明実であった。どうやらアキラの着替えを待っていてくれたらしい。

「なんだ? 一緒に行かないのか?」

「そうしたいんだが、今日はマーが在日同郷会へ顔を出さなきゃいけないらしいんだ。だから制服を作るのは別の日になった」

 自称『スロバキアと道産子の混血でチャキチャキの江戸っ子』であるところの明実は、母親がスロバキア人であった。アキラの母親である香苗も行動的だが、明実の母親のクララはそれに輪をかけて行動派であった。そのせいか言葉も文化も違う東の果ての国で暮らす同郷の人間たちで作る、ささやかなコミュニティーで世話役として働くことが多かった。今日もそちらで忙しいのであろう。

「で? 用はなんだ?」

 女の子の着替えを覗きに来たのなら、もっと早い段階で遠慮無くズカズカと室内に入り込んでくる奴である。アキラの質問に、ちょっと疲れたような顔を見せた明実は、脇に挟んできたクリップボードを、香苗に化粧水を押しつけられるままになっているアキラに手渡した。

「?」

 クリップボードには大きく引き延ばされた機械の写真と、なんだか小難しそうな文章が細かい文字で書かれた書類が一緒に綴じてあった。

 一見してなにか壊れている機械だと思われる写真の方には、まったく見覚えがない。ただ、ごついボルトが何本も生えたホイールのような物からして、大型車両の足回りだという推測はできた。

「これは?」

「オマエを撥ねたトラック左前輪の現場検証写真だ」

「ふうん」

 明実の説明に、アキラは自分が死にかけた事故の発端となったモノをまじまじと見た。香苗もブラシに持ち帰ると、アキラの髪を梳かしながら、その肩越しに写真を覗き込んだ。

 そこには血糊や肉片など一切付着していない。このトラックに撥ねられた後に、ビルに跳ね返り、それからの方が肉体の損壊度合いが大きいからであろう。

「右下の緑色の丸を見ろ」

 赤い四角やら、黄色い矢印などよく判らない書き込みの中で、確かに明実の言うとおりの緑色の丸があった。そこには路面との接地面がバーストのせいですっかり無くなってしまっているタイヤと、ホイールが映っている。

「ココ」

 明実の神経質そうな人差し指が、さらに円内の一カ所を指し示した。

 タイヤの側面しか残っておらず、ホイールの断面が丸見えになっているところだ。そこに墨を垂らしたかのような黒い点があった。

「あな?」

 香苗が確認するように明実を見上げた。

「穴だ」

 アキラも香苗に続いて顔を上げた。

「ただの穴じゃない」

 不機嫌そうに明実は自分の鼻をこすった。

「射入口だ」

「はい?」

 小難しそうな単語を聞き取れなくて聞きかえすと、機嫌の悪いまま明実は二人から離れて、部屋の中を歩き始めた。

「そのタイヤは、狙撃されているんだ」

「そげき?」

「銃の種類はまだ特定できていないが。あのパンクは、銃でタイヤを撃ち抜かれたために起きた、ということだ」

「え? じゃあ…」

 アキラは自分の体が変わってしまった以来の嫌な予感に襲われた。

「つまり、あの事故は偶発的な物ではなく、誰かが仕組んだつぅーことだわ」

「命を狙われたってことか!」

「怒鳴らなくても聞こえている」

 アキラの大声に、間近でそれを聞くことになって顔をしかめた香苗を見ながら、明実は言い返した。

「いったい、だれが…」

 香苗の手が止まった。ブラシが頭皮にチクチク刺さるので、首を傾げてアキラは逃げた。

「それも大事だけど、この場合『だれを』も重要じゃないか?」

 アキラの言葉に明実の足が止まった。

「まあ、まんずオイラだわな」

「だろうな」

 こんな変人が幼なじみというだけで、それ以外は極平均的な中学生男子だったアキラに、命を狙われる心当たりがあるわけがない。

「理由は?」

「色々とありすぎて困ってる」

 笑っているような、泣いているような不思議な顔をして明実は答えた。まあ『明日のノーベル賞受賞者のその候補』という天才である。その頭脳を貴重な宝石のように扱う大人もいれば、疎ましく思う者もいるだろう。それに人間には嫉妬というやっかいな感情もある。明実自身があずかり知らない時と場所で、そういった恨みを買っている可能性もある。

「まあ、そういうことだ。オマエも身の回りには気をつけてくれ」

「そんな事を言われたって…」

 これから出かける予定がある者の耳に入れる情報として「これから土砂降りの雨だよ」よりも悪い話しであった。



「久しぶりの外はどう?」

 隣を歩く香苗に尋ねられて、アキラは自分が踏みしめているアスファルトを見おろした。

「うーん」

 改めて訊かれてもなんの感想も湧いては来なかった。それに明実に聞かされた狙撃の話しもある。チラチラと視界に入る高い建物の屋上辺りへ視線が泳いでいってしまう。

 そんなオドオドした態度のアキラを見て、普段と同じ調子しか見せない香苗が吹きだした。

「大丈夫よ。まったくアキラちゃんったら臆病なんだから」

「だってさあ」

 朗らかな母親の顔を見かえしていると、アキラの緊張が解けていくような気がした。どんな不安を抱えても、幼い頃からこの顔を見て安心感を得てきたという条件反射であろうか。

「ちょっと寒いかしら?」

「そんなことはない」

 黒いワンピースの上に白いニットのセーター、そしてさらにダウンジャケットという姿である。足はパンストで覆ってあるので外気に晒されているのは頭ぐらいだ。足元はこれまた黒いローファーである。

 一月近く前に明実と合格発表を見に来たときは、まさかこんな格好でここを歩くことになろうとは、露とも思わなかった道である。

 あの時は中学校の学ランに、足元はハイカットのスニーカーという、男子受験生らしい格好だった。

 横を歩く香苗といえば、黒一式の喪服のような服装である。冬用で厚手の生地ではありえないが、その上半身が透けて見えたような錯覚をアキラは憶えた。それというのも、先程の着替えの時の騒動がいけないのであろう。

 清隆学園に向かうのは二人きりではない、同じように複数の親子連れが足を向けていた。ただアキラたちが違うのは、明らかに隣に歩いている香苗が「母親」というより「姉妹」という外見をしていることだろう。

「もうちょっとさ…」

 思ったときにはアキラの口が動いていた。

「大人っぽい服でもよかったんじゃねえの?」

「そう?」

 さすがに幼稚園のお遊戯会に出演する園児というスタイルではないのだが、小学校高学年向けにデザインされたような、袖口やポケットに襟元などのそこかしこに、小さなリボンをあしらったような服なのだ。肩から黒革のショルダーバックを提げていても、いまの小学生はそのぐらいの贅沢品を平気に使いこなす娘だっている。

 アキラが男のままだったら、合格したお兄ちゃんにつきそうしっかり者の「妹」に見えたかもしれない。今のアキラは女になってしまっているし、嵩が減ってしまったせいで香苗の身長の方がわずかに高いので「お姉ちゃん」もしくは一緒に合格した双子の片割れに見えなくもない。

 まだ色が黒で統一されているから大人びて見えるが、これが春色でコーデネイトされていたら、成人女性に見えなかっただろう。

 香苗はしばらく立ち止まって自分の格好を不思議そうに見おろしていたが、裾がめくれているなどの異常が無いことに満足したように笑顔を取り戻すと、スキップを踏むような軽やかさで歩き出した。

(やっぱり仕草自体も若いんだよな)

 いま二人を抜いていった、ブレザー姿の男子を連れた和服姿の方を見習って欲しかった。

 そのまま視線が前方に移動した。

 四月から学ぶ予定の学舎は、とても高いコンクリートの壁で覆われた鉄筋三階建てである。

 まるで要塞のような外観だが、受験前に集めた情報によると、戦争中は本当に軍隊の基地だったそうだ。建物などはさすがに当時の物ではなく新しくなっているが、この壁は空襲から建物を守るために作られて、そのままらしい。

 そんな歴史を感じさせる壁も、正門だけは今風に煉瓦造りの瀟洒なものに作り替えてあり、いまそこに眩しいほどの白さで太陽光を反射する立て看板が寄りかけてあった。

 堂々とした墨書で「新入生親子オリエンテーション」と書いてある。あれが人の手によるものならば、よっぽど書道に優れた者が関係者にいることを窺わせた。

 ふと、その横に黒い影があった。一人の女の子が人待ち顔で門に流れ込んでいく親子連れを眺めているのだ。

(あの娘も新入生かな)

 年の頃はアキラと同じくらいの背格好である。着ている物は少々痛みが見える黒いコートにブラックデニム、足元も膝まである実用性優先のようなごついブーツという活動的を行き過ぎてワイルドな感じである。同じように髪も耳が隠れる程度の長さにしたオカッパ頭の手入れを怠ったような、ガサツさを感じさせるものだ。

(先に一人で来て、親を待ってるのかな?)

 アキラは短い人生経験から勝手に、親子仲が悪い家庭の娘ではないかと断定した。腕に「警備」という腕章を巻いた職員が交通整理に立っているが、その職員もそう判断しているのか、なにも注意する様子もない。

 ふと、その黒い彼女の瞳がこちらを向いた。

 それは見るとはなしに視線を泳がしていたというより、はっきりとアキラを確認するために目を向けたような印象だった。その証拠に、アキラと目があった瞬間に頬の片方を歪めて微笑んだように思えたのだ。

(あんな知り合い、いたかな?)

「ねえ、アキラちゃん」

 アキラの思考は、香苗の言葉によって遮られてしまった。

(そうだ、かあさんなら憶えているかもしれない)

 そう思ったアキラは今まで意識の外にいた香苗の方に振り返った。

「なに? かあさん」

「いまそこで、二年生だっていう男の子にナンパされちゃった~」

 とても幸せそうにハートマークを散らしながら笑顔で喜んでいた。

「あのね。浮気は、とおさんが悲しむよ」

 そういえば明実は香苗の次期伴侶を堂々と宣言しているが、それをどう思うとアキラは父である剛に尋ねたことがあった。

 答えは「宝石も金塊も、他人が欲しがる物ほど価値が上がる。女も同じだ」というものだった。だいぶ器の大きな事を言われて、アキラ自身が恥ずかしさを感じた程だ。そのくせ、その話しをした翌日に妻宛に届いた「同窓会のお知らせ」を妙に気にしていた処は、マイナス点であったが。

「いいじゃない、声をかけられるぐらい」

 口をすぼめて不平を示す香苗。そんな幼い仕草をしているから新入生に間違えられるのだ。

「それより、かあさん。あの娘、知り合い?」

「どの娘?」

「あ、あれ?」

 アキラは正門の横を指差そうとしたが、そこにはもう黒い影はいなくなっていた。



 今日開かれる親子オリエンテーションの内容は、新入生に対しては、とても偉そうな長い肩書きを持った講演者を呼んでの講演会、保護者に対しては事務局からのお金に関する説明会からなる。講演会までは親子揃って、ここの卒業生らしい講演者による、主に清隆学園に入学するにあたっての心構えみたいなダラダラとした話しを聞かされた。

 体育館とは別に建てられた広めの講堂で、パイプ椅子に座って拝聴することになったが、何度も首が肩の上から落ちそうになった。

 やはり、食っちゃ寝の生活で体力が落ちているのだろうか。そのかわり瞬発的な怪力は、いまだに治ってはいないのである。研究所で食事の時に、誤って湯飲みを握りつぶしてしまったことがあるぐらいだ。

(ここらへんは調整のような物ができないものなのかな)

 そう思ったアキラの脳裏に、ニヤリと片方の頬を歪めるという、まるで悪役がやるようなマッドな微笑みをする明実の顔が浮かんだ。

 彼のことだから「面白そうだから」とかいう理由で、そのままにしてある可能性もある。

(それどころか「空は飛べないが頭、上半身、下半身、足首の四つのパーツに分離し、そのそれぞれに支援メカがドッキングするという合体機能もつけておいた」とか言いかねないからな)

 幼なじみの頭脳の優秀さはもちろん、その変態性も完全に把握しているのであった。

 そんな眠気と戦いながらしょ-もないことを考えていると、いつのまにかそのお偉い先生の話しは終わっていた。

 講演の内容に感動したというより、終わってくれた喜びの方が明らかに大きい拍手に包まれて、講演者は演壇を降りた。

 代わりにオリエンテーションの司会を任されているらしい教頭が、次の予定である保護者に対する学費の払い込みに対する説明会を始めるために、事務局の人間の紹介を始めた。

 講演中は凪の海のように静かだった講堂内は、今度はうって変わって喧噪に包まれていた。その中で司会者がマイクを使いつつも大声で、新入生はこの間に制服の採寸が出来ますと案内している。

「どうする? アキラちゃん」

 香苗に訊かれてアキラはとまどった。

 時間の節約をするならば、香苗を講堂に残して、制服の採寸が行われるという体育館の方に移動しておいた方が得であろう。

 これが男のままだったら平気に一人で採寸してもらうのだが、いまは女の体である。服に関して、男物だって怪しげなのに、女物のことなどまるっきり判らない。かといって金銭関係の話を一緒に聞くというのも抵抗があった。自分がまだ親の脛を囓っているという事実を突きつけられているようで、あまり面白くない。

「どうせ混むようだから、先に行って並ぶだけ並んだら? 後から追いかけるから」

「そうしてくれる?」

「かあさんが間に合わなかったら、列に並び直しておいて」

「はいよ」

 まあ、それが一番効率の良さそうな方法である。他の新入生はどうしているのかと見まわしてみれば、一人で採寸に行く者、とりあえず講堂の外で親を待つ者、そして親と一緒に説明会を聞く者の三通りであるようだ。

 高校生ともなれば一人で行く者が圧倒的に多い。外で待つ組も、親離れが出来ていないと言うより、採寸時に試着する制服姿を見せたいから待っている様子だ。

「じゃあ、体育館で」

 香苗に断って、アキラは席を立った。

 講堂から体育館は屋根だけの渡り廊下で繋がっていた。職員の手作りらしいスノコを踏んで行くと、入り口に新入生たちの塊ができていた。

 そこで中年の女性が、大きな手振りで声を張り上げていた。

「男子はこっち! 女子はこっち! それぞれの入り口から入ってください! そこ! 女子はこっち! そこのキミよ!」

 三回言われてやっと自分のことだとアキラは気がついた。中身は男なのでつい間違えた列の方に並んでしまった。

(いかんいかん。これが逆だった痴漢になるな。いや、すでに痴女か?)

 慌てて列を並び直す。

 やはり服飾に関しては男よりも女の方が熱心になる傾向があるようで、男の列は講堂からやってくる人数と、体育館から出て行く人数がほぼ同じであるが、女の列の方はどんどんと後ろに伸びていくばかりだ。

 アキラの前後に並んだ新入生は、中学校の制服姿であった。明らかに私服という者は、ほとんどいない。ただでさえ心は男のままで女の中に一人という心細さなのだ。一人喪服のような服装で、どこか避けられているような気もした。

 そんな新入生たちだが、圧倒的に多いのが系列校の清隆学園中等部の黒いブレザー姿である。もう進学以前から顔なじみなのだろう、あちこちで小さな集団が出来ており、そのお喋りでうるさいほどだ。

「あ、あの…」

 そんな独りぼっちのアキラを見かねたのか、後ろに並んだ娘が声をかけてきた。

「学校、私服だったんですか?」

「あ? お、オレ?」

 振り返るとそこに和風の美少女が立っていた。

 髪の色は墨よりも青く、逆に陶磁器のような肌は雪よりも白かった。頬の高さで切りそろえられた髪型といい、まるで人工物ではないかと思われる睫毛といい、中等部の黒い制服よりも和服姿を連想させるような、日本人形のような女子であった。

「はわ…」

 あまりの美しさにしばらく見つめていると、相手の女の子は頬をうっすらと紅色に染めた。それすらも絹の肌にお化粧をしたように見えた。

「ああ、コレ?」

 改めて自分の服を見おろして、異常がないことを確認する。

「制服着れないほど破けちゃって、仕方なく」

 嘘ではない。ただし破けたのは学ランであったが。

「まあ。どうして?」

「ちょっと交通事故で」

「こうつうじこ?」

「うん。トラックとね」

 正確にはトラック一台でなし、ビルの看板と、その後にトラックが数台追加されたが。まあ、この程度の差異は嘘ではなかろう。

「それで? 体の方は大丈夫なの?」

 女の子らしく心配そうにアキラの体を上から下まで視線を走らせてくれた。こんな人間的な反応に久しぶりに触れた感じがして、うっかりアキラはホロリと泣くところだった。

「まあ、その。少々…」

 その後、声が詰まった。まさか性別が変わったなんて告白が出来るわけもなく…。

「それでも、こうして学校に来られそうでよかったわね」

 ニッコリと微笑まれてアキラはドギマギした。何度も繰り返すが中身は男なのだ、美少女の微笑みを向けられて無反応ではいられない。

「わたし、岡花子」

「岡さんか。オレは海城アキラ」

 アキラの名乗りに、花子は口元を隠しながらクスクスと笑った。そんな仕草の全てが愛らしかった。

「な、なんかおかしいか?」

 自分がどんな失敗をしたのだろうかと、おそるおそる訊いてみる。

「ううん。ほら海城さんの話し方が、男の子っぽいから」

「あ」

 慌てて口元に手をあてた。意識していなかったが、確かに女の子のなかで男言葉は変と取られるかもしれない。だが生まれてからアノ事故までは確かに男だったので、いまさら変更しても、余計に変な言葉遣いになってしまうかもしれなかった。

「こ、これは。とおさんの教育方針で」

 幼稚園の頃からアキラの父親である剛は、アキラに対して事あるごとに男っぽい言葉遣いをするように教育をしてきた。喩えを上げるなら同じクラスの園児たちが、自分の親を「パパ、ママ」と呼んでいたのに、その頃から「とおさん、かあさん」と呼ぶように躾られた。なんでも大人になったアキラと「オレ、オマエ」と呼び合いたかったとか。

 そんな父親のささやかな願いも、アキラがこんなになってしまっては、叶いそうもなかったが。

(いや、再々構築という一縷の望みが…)

 昼間なのに、お空の星に願おうとして、脳裏にはふたたび明実のニヤケ顔が浮かんで来たりする。

(ダメかも…)

「?」

 そんな心中の葛藤など判るどころか、アキラの置かれた事情すら知らない話し相手は、体育館の天井を見上げたり、うなだれたりと忙しいアキラを不思議そうに見ていた。

「よかった、間に合った~」

 そこに汗を掻き掻き香苗が飛び込むようにやって来た。

「か、かあさん?」

「抜け出して来ちゃった」

 ペロッと小さく舌を出す。それはまるでイタズラが成功した少女が喜んでいるようだ。

「大丈夫なのかよ」

「なんか、貰ったプリントと同じ事しか言っていないんだもの」

 大きめの茶封筒に入れられた書類を叩いてから、ウチワがわりに自分を扇ぎ出す。

「まったく、いつまでも子供っぽいんだから」

 アキラは非難する目で香苗を見た。その香苗の向こうに、先程までの話し相手である花子が視界に入った。その顔があからさまなビックリ顔で硬直していた。

「ほら、かあさんが騒がしいから」

「あら?」

 不思議がる香苗を見て、花子は脱力したように訊いた。

「かあさん? って…」

「こちらは?」

 香苗の求めに応じてアキラはお互いを紹介する。

「こっちは、さっきまで話してた岡さん。岡さん、これがオレのかあさん」

「おかあさんって…」

 花子の絶句の理由を察して、アキラは補足した。

「うん。若く見えるけど、オレのかあさんなんだ。こう見えて、もうS…」

 アキラが数字を告げようとして、その口から子音が出るか出ないかのタイミングで、その脳天に香苗のチョップが炸裂した。中学校で、彰の背が香苗を追い越すまで、よく体罰で使われていた伝説の右チョップである。ちなみにこの右チョップは、一緒にイタズラを仕掛けていた明実にも炸裂していた。

「まあまあ。もうこのコったら、こんな美人さんの友だちができたのね」

「岡花子です。よろしくお願いします」

「んーまあ。ちゃんと礼儀正しくて。ごめんなさいね、ウチのコはガサツで」

「いえ、まあ少し驚きましたけど。中等部からの友人にも、似たような娘が…」

「次の方。後ろがつかえていますから、急いでください」

 花子の言葉を遮るように職員が声をかけてきた。振り返ると、いつの間にかアキラまでの列は消化されていた。

「さ、こちらに」

 伸ばしたままのメジャーをストールのように肩からかけた採寸係が、一つの試着室を示していた。

 体育館には、どこから持ち込んだのか、デパートにあるような試着室が三つほど並べられていた。可搬式のパーテーションで区切られた体育館の向こう側にも、その上部が覗いていることから、男も同じシステムで採寸が行われているのであろう。

 その試着室の前に、数体のトルソーが立っていた。その内制服を着ているのは三体、二体が同じような紺色のブレザーだが、片方がプリーツスカートで、片方が男と同じようなパンツである。もう一体はなぜかセーラー服であった。

 残りのトルソーにはカーディガンや、コートなど学校側が「お勧め」としている上着類や、体操着などが着させられていた。

「いちおう、こちらが高等部の制服になります」

 アキラの私服姿を見て説明が必要と判断したのだろう。順番で担当になることになったらしい、その肩からメジャーの女が、スカート姿のトルソーを掌で示した。

「パンツルックもジェンダーフリーなどで制定されていますけど、入学式や各種発表会などの『正装』規定の時はスカートが指定されていますから、パンツを購入の方も最低一本はスカートを購入されませんと、校則違反となります」

「これは?」

 もう一つのトルソーが着させられたセーラー服の意味が判らなかった。

「こちらは二十年ぐらい前の制服です。いまでも第二種制服として着用が認められていますが、こちらを購入の場合でも、やはり『正装』規定のこちらが必要になります」

 アキラは香苗の顔を窺った。その表情にはパンツルックを非常に希望している気持ちが浮かび上がっていた。

「もちろんこちらで」

 香苗はそのすがるような元息子の視線をまるっきり無視して、係員にスカート姿のトルソーを指差した。

「でしたら、とりあえず試着を。袖や丈を見ないと判りませんので」

「ぬ、脱ぐのか?」

 アキラは不安になって、どちらともなく訊いた。なにせ今着ているのはワンピースである。これを脱ぐということは下着姿になるということだ。

「あたりまえじゃないの」

「その必要はございません」

「???」

 香苗と係員に正反対のことを答えられて、アキラは戸惑って二人の顔を見比べた。

「着ていただくのは上着とスカートだけで結構ですから。いま着ていられるぐらいの服の上から充分判りますよ」

 そう口だけで係員の女は説明しつつ、手と目はキャスター付きの洋服掛けにたくさん掛けられた試着用の制服の中から、アキラにあうサイズを探していた。

 ベストもブラウスも無しに、本当に上着とスカートだけを手渡され、カーテンが開けっ放しの試着室に押し込まれた。

 上着は判るが、スカートには難渋した。まさか横でホックとチャックになっているとは思わなかったのだ。当然のことだが、男だったアキラにとってプリーツスカートというのは初体験である。

「着方、判る?」

「わっ」

 声がしたので振り返ると、カーテンの中程から香苗が首だけを突っ込んで覗き込んでいた。

「こうでいいのかな?」

 下に香苗から借りたワンピースを着たままで履いたプリーツスカートに異常がないか、その場で一周してみせる。すると香苗が目を細めて感慨深そうに言った。

「本当にアキラちゃん、女子高生になっちゃったのねえ」

「半分以上オレのせいじゃねえけど」

 上着はさすがにダウンとセーターを脱がないと入らなかった。

「それでは、後がつかえていますので、ちゃっちゃと測りますね」

 係員が手に大きな洗濯バサミを取り出しながら、遠慮無くカーテンを開いた。さりげなく香苗を押しのけて、スカートを折ると大体の長さで挟み止める。

「最近は短くされるヒトが多いですけど、いかがされます?」

 それが校則の長さであろうか、今はアキラの膝下の長さである。

「このコ、ガサツだから。短くしちゃうとめくれて中が見え放題になっちゃうかも」

 アキラが口を開く前に、今風の女子高生ルックを求めていたはずの香苗が、長目を指定してくれてホッと一安心した。

「それではこのぐらい」

 しゃがんでスカートを折った姿勢のままで、肩から提げたままメジャーを繰り出して腰骨からの長さをざっと計測してメモをする。アキラは、成る程あのメジャーには意味があったんだと感心した。

 上着の袖の方は手で折るだけで挟みとめるような事はせず、そのまま肩口からの長さを測った。手早く終了して、ふたたびカーテンが閉じられた。

 ワンピースを着たままなので見られても問題は無さそうだが、そこは思春期の少女を扱ってきた経験というものだろう。それとも先程の花子のような中等部からの進学組は、さすがに制服を着替えないと計測できないであろうから、流れ作業でクセになっているのかもしれない。

 試着を終了して、元のスタイルに。試着室で脱いでいたローファーを履いていると、体がぶるっと震えた。

 春と言ってもまだ三月。そして広い講堂で話しを聞かされて、今また冷える体育館である。

「か、かあさん…」

 つつつとカーディガンやコートについて係員と話していた香苗の耳元に近づく。そのただならぬ雰囲気に、香苗もヒソヒソ声で応じた。

「どうしたの?」

「べ…」

「べ?」

「便所」

「…」

 香苗はギョっとしてから、小声ながらも早口で怒った。

「コラ。女の子がそんなモノの言い方するんじゃありません!」

「そ、そこかよ」

「はやく行ってきなさい。それとも着いて行かなきゃダメ?」

 アキラの顔がとても不安そうになる。

 身近な女性にしか聞けない男と女の身体の違いからくる色々なことも、母親ならば抵抗感はぐっと低い物だった。(もちろん、まったく無かったわけではないが)

 特にアキラが驚いたのがトイレットペーパーの使い方であった。女は毎回こんな細かいことを気にしつつ使用しているのかと、感心するばかりであった。男ならば気にせずにガシガシと縦にも横にも、それこそ擦り切れるぐらいに使おうという物だが、こんな苦労が隠れているとは思いもしなかった。

 そしてアキラは研究所以外でトイレをまだ使ったことはなかった。

 まるで幼稚園の頃に着いてきてもらいたかったレベルの心細さで、アキラは香苗をすがるように見た。

「しょうがないわねえ」

 とりあえず場所を確認しようと、アキラの肩を掴みながら体育館の中を見まわす。もちろん、まだ学校に慣れていない者が集まる行事であるから、トイレの場所が判りやすいように矢印つきの掲示が壁にされていた。

 ガシッ。

 その指示に従おうと足を踏み出した香苗の肩を、誰かが掴んだ。

「え?」

「さ、次は。お姉さんの番ですよ」

「え? え?」

 採寸係の女は、戸惑う香苗を不思議そうに見ながら、試着用の制服をその手に押しつける。

「次がつかえていますから、早くして下さいね」

 どうやら係員は二人を双子か何かと勘違いしているらしい。

「え?」

「さ、先に行っているから」

 限界が近くなってきたので、アキラはその場に香苗を置いて行くことにした。

「お姉さんは、さすがに脱がないと採寸できませんね」

「ええ~っ」



「ふう」

 アキラは洗面台の前で人心地ついた。

 ついさっき受けた衝撃的な絶望感とは雲泥の差である。緊急性の高い状態で矢印の通りに進むと、そこには長い列が出来ていたのだ。

(どうして女のトイレって混むのかな?)

 きっと男だと、さっと入ってチャックの開け閉めだけで、そして手も洗わずに出て行く輩が多いからだろう。女だと、どちらをするにしろ座らないと用を足すことができない。それにパウダースペースのみの利用者もいるようだ。

 その列の長さに待ちきれないと判断したアキラは、今日はまだ立ち入り禁止と案内されていた、校舎のトイレに飛び込んだ。

 一瞬、青い丸に逆三角のマークに入りかけたが、ギリギリ残っていた理性が赤い丸に正三角のマークの方に足を向けさせた。

 本来利用禁止であるから人気がなかった。これだけ貸し切り状態ならば、中で裸になろうが、転げ回ろうが目撃者がいないので恥ずかしいこともない。もちろん、そんなことをするつもりはなかったが。

 ふと洗面台の横を見ると、壁に少々痛んだ張り紙がしてあった。

「トイレに食べ物を持ち込んではいけません」

 男の方では見たことがない張り紙である。考えるまでもなく不衛生だろうに、女はそんなことをするのかと感心することしきり。

 ちょっと屈んでまじまじと見ていると、背後で扉の開閉音がした。いままで気がつかなかったが、どうやら他の利用者がいたらしい。

 鏡越しにその人物を確認すると、親子オリエンテーションが始まる前に、正門の処で見かけた黒い服装の女の子であった。

 どうやら彼女も、体育館のトイレに出来ていた長い列からこちらへ逃げてきたらしい。そう勝手に解釈して、アキラは洗面台の栓を捻った。汚物に直接触れたわけではないが、まあトイレに入ったら手を洗うという習慣で、チャプチャプと指先をいいかげんに湿らせる。

 その視界の端で鏡越しの女の子が懐から何かを取り出すのが見えた。コツコツというよりゴツゴツという擬音の方が近い靴音を立てて洗面台の方に近づいてくる。

 アキラの後頭部に、なにか硬い物が押し当てられた。

 激烈に嫌な予感がして、ぎこちない仕草で鏡の中を確認する。

 真後ろに立った黒いコート姿の女の子が、手にした銀色に光る物体を、アキラの後頭部に押し当てているのが目に入った。

 その銀色の物体をテレビ以外で目にするのは、アキラは初めてであった。体中から嫌な汗が噴き出してくる。いやオモチャ屋の店頭で、偽物ならば手に取ったことはあった。

「すまねえなあ」

 そのモノ…、回転式拳銃(リボルバー)を右手一つで構えた相手は、アキラに話しかけてきた。男前な内容に似合って、少しいがらっぽいような声だった。

「ちょ、ちょっと待て」

 それに意味があるのか判らないが、そのまま鏡越しにホールドアップして、アキラは早口に言い返した。凶器を構える人物に心当たりがないか、慌てて記憶の中の交友録をめくるが、やはり初対面のようだ。

 石化の呪文がかかったように体を硬直させて、鏡越しに背後の黒い瞳を見つめ返す。どうやら相手は、黒い瞳に黒い髪をしているが、純粋な日本人ではないようだ。

 ただ黒い瞳の中に青い炎が揺らめいて見えたような気がした。

(あれ? どこかで…)

 その炎を見て、記憶のどこかに引っかかりを感じた。

 もう一度、相手の顔を見つめなおした。やはり日本人ではないだろう。ほんのちょっとだけ外国人風の顔立ちなのだ。

(とすると、やっぱり明実関係か?)

 混血児である明実の周囲には、やはり外国人の知り合いが多かった。アキラも彼を通してなら、日本国籍以外の人間に知り合いがいた。だが、やはり背後に立つ少女には心当たりはなかった。

「な、なんで命を狙われるのかが判らない」

「あんた自身にゃ、恨みはねえんだが…」

 ガチリと親指一つでハンマーを起こす。使い慣れている証拠に、コッキングの間に銃自体がぶれることは全くなかった。

「あたしの復讐のためだ。死んでもらうぜ」

(撃たれる!)

 アキラは背中にはっきりと殺気を感じた。鏡の中で、後頭部に押し当てられた拳銃の、引き金にかかった黒い少女の人差し指に、力が入るのが見えた。

 その一秒にも満たない雲曜の間に、アキラは上半身を折り曲げ、横に跳びすさった。普通の人間にはできない芸当である。これも再構築で魂の総量が肉体に対して多くなっているせいであろう。

 音というより肌をひっぱたく空気の壁のような感じがした発砲音に続き、火炎放射器のように長くのびる発砲焔、直後に弾が命中したために粉々になる鏡の割れた音。夏の花火大会でも経験できないような忙しさである。

「うを」

 標的であるアキラの身のこなしに、黒い少女が声をあげた。だが口で驚嘆していても、銃口と目は降り注ぐ鏡の破片を避けつつ立ち上がるアキラの姿を追っていた。

 アキラは自分の背中を続けて晒すことを自覚しながらも、トイレの出入り口へ走った。

 銃口が向けられ、その照星とアキラの体が重なった瞬間に、ふたたびワンピース姿が視界から消えた。

「ちくしょう」

 黒い少女は口汚くののしった。トイレの出入り口は廊下側から覗かれないように通路は鍵状に折れている。その目隠しのパーテーションがアキラの姿を射界から消したのだ。

「待ちやがれ!」

「やだね!」

 廊下を全力疾走しながらアキラは言い返してやった。途端に背後で火薬が燃焼する音がした。その音に驚いて首をすくめると、数瞬前まで頭があった空間を何か熱い塊が通過して、アキラを追い越していった。

 その熱い塊はそのまま直進を続け、年度の間という都合で大掃除でもして散らかしているのだろう、廊下に出してあった人体模型の頭部を粉々に砕いた。

(まっすぐ逃げていたら、当てられる!)

 アキラはそう判断して、目に入った階段に足を向けた。

「あら? アキラちゃん?」

 その階段の手前に、なぜかセーラー服に着替えた香苗が、ぼーっと立っていた。

「ドコ行くの?」

「わかんない!」

 自分の母親が撃たれては大変と、トンと押しのけてアキラは階段に取りついた。それだけで香苗は床にへたり込んでしまった。

「ちぃ。邪魔だ」

 セーラー服姿に生徒と勘違いされたのか、黒い少女に人質にされることなく無視される。正体不明の少女も、黒いコートを前進に伴う向かい風にコートをはためかせて、階段を登り始めた。

 まるでツムジ風のように三階層分を駆け上り、そこにあったガラスの引き戸を開いて、アキラは次の空間に飛び出した。

「しまった!」

 そこは屋上であった。清隆学園高等部の建物は、中の抜けた正方形という形をしている。建物に囲われた空間は校庭として利用され、校舎自体は東側の一階建て、北と西の二階建て、そして南側の三階建てが繋がった形をしている。

 アキラが駆け上がった屋上には、校舎の長さ分離れた向こう側にあるペントハウス以外に、身を隠せる物がまったくなかった。

 背後から足音が近づいてくる。追跡者も、再構築で普通とは違う体力になっているアキラと、同じぐらいのポテンシャルがあるようだ。

(迷っている暇がねえ)

 彼女が追いつくのが先か、それとも自分が向こう側の階段を下りるのが先か。ちょっと分の悪い賭けだが、他に選択の余地が無かった。

 ワンピースの裾が上にずり上がってこようが、魅惑の太ももが丸見えになろうが、今は外見に拘っている時ではない。

 アキラは屋上に駆けだした。

 だが、やはりそれは無謀な賭けであった。半分も行かない内に背後から三度目の発砲音がした。音がしてから首をすくめながら斜行する。これがライフルだったら音より早く弾が到達するので間に合わないが、拳銃ならば充分避けられる可能性があった。

 しかし狙いはアキラの急所ではなかった。足元の防炎タイルが弾けると同時に、腿に熱い棒のような物を押し当てられた感じがした。拳銃弾がそこを掠めたのだというのに気がついたのは、熱さに脊髄反射で足をもつらせてからだった。

 全力疾走していたので、アキラは無様に屋上へ転がることになった。

(このままでは殺られる)

 自分の死がこんなにはっきりと自覚されたのは初めての経験だった。そりゃアノ事故で一度は死にかけているはずなのだが、あの時は最初のトラックに撥ねられた後は意識が朦朧として、痛みすら現実感の無い物だった。

「おおっと。動くな」

 素早く起き上がろうと手を着いた途端に、意外に近いところから声をかけられた。

 うつぶせからゆっくりと仰向けに姿勢を変え、せめてもの反撃とばかりに睨み返す。

 黒い少女は、銀色の拳銃をアキラの腹に向けて立っていた。その距離はだいたい一メートルぐらい離れている。この距離ならば飛びかかって来られても迎撃する自信があるのだろう。

 アキラに残された反撃手段は、口車ぐらいしかなかった。

「す、素手の女相手に、鉄砲を使うなんて、卑怯じゃねえか」

「恨むんだったら、護身用の武器を準備してくれなかった自分の『創造主(マスター)』を恨みな」

(確かにその通りだ。だいたい命が狙われているって自分で言っておきながら、オレにもあんな武器を用意するとかしろよな)

 黒い少女は左手だけでコートのポケットから、世界的に有名な丸い棒付きキャンディを取り出した。歯で包み紙を剥がすと風の中に捨てた。そのまま気安く、ぽいっと口に放り込んだ。舌の上で転がしているのだろうか、楽しそうに柄が上下に動いている。獲物を完全に手中に収めて勝利を満喫しているのであろう。

「腹にブチこんで、動けなくしてから殺したっていいんだぜ。知っているか? 腹を撃たれた人間は、立てなくなって無様にのたうち回るしかなくなるんだ」

「やめてくれ」

 慌ててお腹を両手で庇うアキラ。もちろん鉄砲玉を相手に、効果があるか甚だ疑問ではある。が、そうするしか抵抗する意思を示せなかった。銀色の拳銃にポツリと見える黒い銃口が、寸分も違わずアキラの体をポイントしていた。

「な、なんでオレの命を狙う」

「はぁ?」

「せ、せめて自分が殺される理由が知りたい」

 アキラの質問に、面白く無さそうに黒い少女は片方の眉を上げた。キャンディの柄がピクッと上を向いた。

「おまえの心臓に詰まってる『生命の水』が必要だからだよ」

「『生命の水』? なんだそれは」

「知らねえのかよ。おまえさんは『儀式』で身体を『構築』したんだろ。『構築』された『創造物(クリーチャー)』が生きていくにゃ『生命の水』が必要なんだよ」

 黒い少女の説明に、アキラは毎朝注射されるあの怪しげな青い液体が脳裏をよぎった。

 再構築後のアキラの身体的ポテンシャルは超人的な状態なのだが、話しの流れや先程までの追跡劇からして、この少女もアキラと同じような身体なのであろう。同じ能力ならば、普通の中学生だったアキラに比べて、向こうは実戦経験が豊富そうだし、また手にしている武器の分も向こうが有利だ。

「お、オレが『創造物』って、なんで分かったんだよ」

「はあ? 目を見りゃ一発だろうがよ」

 鏡を覗いた時の印象が蘇ってきた。見おろしている彼女の瞳にも、同じ光があった。

「じゃ、じゃあ。タイヤを撃ったのは、お前じゃないのか?」

「はぁ? タイヤ? なんだそりゃ」

 あからさまに訝しんだ声がかえってきた。その表情から彼女が狙撃犯でないことは確かなようだ。だからといってアキラの危機が去ったわけではないが。

「な、なんでオレから、その『生命の水』を取ろうとするんだ。研究所にだってあるぞ」

「それはそうなんだが、あそこは警備は厳重でな。クリーチャーの研究をしていることは掴んでいたんだが、なかなか入れなくてよ。外からずっと見ていたら、屋上でおまえを構築するところが目に入ってよ。本当なら他人の命を奪うなんて真似は、あんまり好きじゃねえんだが。おまえが出てくるまで待っていたんだ。背に腹は代えられねえからな」

 ガチリとハンマーが起こされた。

(なんだって、オレはこんな目に。これというのも、明実がオレをこんな体にしたせいだ)

 黒い少女は死神が微笑むことができたらそうしたであろう顔をした。確かに死神であろう、この黒い少女はアキラの心臓が必要と言っているのだ。そして人間は心臓を失って生きていけるようにはできていない。

 今できることと言ったら幼なじみを呪うことぐらいのものだ。アキラの脳裏に明実のニヘラ笑いが広がった。

「じゃ、じゃあ」

 少しでも自分への死刑執行を遅らせようと、アキラは両手を突き出して制した。

「お、オレがその『生命の水』を、あんたに分けるように、口をきいてやる。だから撃たないでくれ」

「あのな。いままで、あたしが一回でも裏切られたことが無いと思っているのか?」

「し、信じてくれって!」

「すまねえなあ、あたしの体が限界なんだよ」

 口では詫びてはいながらも、一度も決定的に裏切られた人生経験のないアキラの甘い考えを嗤うような微笑みが浮かんでいた。

(体?)

 ふと自分が黒い少女に向けている自分の両手の甲が目に入る。

(武器?)

 嫌な予感が黒い雲のように心の中を満たしていく。

(いや、まさか。そんな…)

 だが一度浮かんだ考えは、いくら否定しようにもアキラの心中に広がっていく。確かに明実は天才である。それはアキラもよく知っていた。それと同じように明実の変人具合も骨身に染みていた。

 アキラは黒い少女に向かって突き出していた両手を硬く握った。

「?」

 この距離で、しかもこの体勢ではどのような反撃も出来ないであろうと思っている黒い少女は、明確な反抗の意思を宿らせたアキラの瞳を不思議そうに見た。

「おいおい。無駄な抵抗は痛みを長引かせるだけだぜ」

 だが、アキラは相手の言葉を聞いてはいなかった。

(本当に、そうなのか? いや、明実なら絶対だ!)

 アキラは確信すると、精一杯の大声で叫んだ!


「ロケットパァーンチ!!!」



「お、早かったな」

 研究所のアキラが入院していた部屋に戻ると、タブレット型端末を操作していた明実が、声だけで出迎えた。

 アキラはパイプ椅子に座る彼にツカツカと歩み寄ると、スカート姿だというのに足を大きく上げて、彼の頭を踏んづけた。

「あいて」

 グリグリと靴の裏を頭皮に押しつけられて、たまらず明実はそこから逃げ出した。

「なにをする」

「それはコッチのセリフだ!」

 怒鳴るアキラを観察して、明実はキョトンとした顔をする。

「なにか問題でも」

「大アリだ!」

 判らないのかと言いたげに、アキラは右腕で明実の顔を指した。そこに肘から先が無いのを見て取って、明実は微塵もたじろがずに訊いた。

「使ったのか?」

「使ったよ! ああ、使ったさ!」

 怒鳴り散らすアキラの背後で音がした。何か大根にしては細めの白い棒状のナマモノを胸に抱く香苗と、誰かを寝かせたストレッチャーを押してくる明実の助手が入ってきたのであった。

「アキラちゃん、落ち着いて」

 当たり前のことだが、セーラー服から黒いスーツに戻っていた香苗が、二人を取りなそうと声を上げる。その胸へ大事に抱えているのは、アキラの両腕だった。

「あいつが…」

 アキラは半分の長さになった腕で、ストレッチャーで寝ている黒い少女を示した。

「あいつが学校で襲ってきて! こちとら素手だし! 向こうはバンバン鉄砲を撃ちまくるし!」

「ふむ」

 ストレッチャーを押してきた高橋が、アキラの攻撃が命中して気絶した後に、彼女から取り上げた武器を、明実が使用していたサイドテーブルに置いた。

「ザルツカンマーグート社製リボルバー『アレクザンダ・メテリッヒ』の改造か。これまたマニアな銃をカスタマイズしているな」

「まさか自分の腕に仕掛けが…って、オレの話しを聞けよ!」

 銀色のリボルバーの検分を始めてしまった明実に怒鳴る。

「聞いてるさ」

 それが倦怠期を迎え、やっと会社から辿り着いた自宅の居間で点けっぱなしのテレビを前にして、近所のゴミ出しを愚痴る妻に対する、仕事に疲れたサラリーマン就業二十年の中年男性のような程度で、明実はアキラの声に関心を向けた。

「助かっただろ」

「助かったじゃねえ。人の体をオモチャにしやがって」

「おや? 役に立たなかったのか?」

 やっと明実はアキラに振り返った。

「こんなのは役に立ったなんて言わねえ」

「ふむ」

 明実は顎に手を当ててしばし考えた。

「やはり光子力ミサイルのほうがよかったか?」

「は? なんだそりゃ?」

「ロケットパンチと共に有名じゃないか。アフロダイAのおっぱ…」

 単語の途中で、アキラは明実を蹴り倒した。

「んんん…」

「ほら、アキラちゃんが騒ぐから、このコ、目が覚めたようよ」

 ストレッチャーの横で香苗が声をあげた。

「ここは?」

 凄い勢いで飛んできた拳に殴り飛ばされて、そのまま意識を失っていた黒い少女は、自身の記憶の底から現況を判断しようとしていた。しばらく呆けたような表情で天井を見上げていた。

「あ」

 一言漏らすと記憶が戻ってきたらしい、慌てて体を起こそうとしてストレッチャーの拘束ベルトをギシギシと鳴らした。

 動く範囲で首を巡らして、自分が寝かされた状態で縛られていることが判ったようだ。無駄に力を入れることをやめ、ふうと溜息をつく。

「さてと。色々と質問をする時間のようだ」

 明実は高橋に渡された銃を持ち上げると、寝かされたままの黒い少女に近づき、慣れない手つきで銃口を彼女に向けた。

「やめておいた方がいいぜ」

 抵抗する意思を含ませず、ただ忠告するような口調で彼女が先に口を開いた。

「あたしの『イノセンス』は、普通の四四マグナムヴァージョンじゃなくて、四五ウルトラマグナムの方だ。しかもホットロードのフルメタルジャケットときてる。普通の人間が引き金を引いたら、反動がでかいから怪我をするぜ」

「ふむ。銃はおどしにならないと?」

 明実は科学者らしく理知的に訊いた。手にした銃をよっこらしょという感じでテーブルへ戻した。

「まあ、そんなモンに頼らなくても、もうあんたらと戦うつもりは無ぇよ。なんか裏技のような決着だったが、そっちのクリーチャーに負けたのは事実だしな」

 さばさばとした感じで彼女は喋った。

「それに、もう何日もせずに、あたしにもお迎えが来るだろうしな」

「なぜ、そんなことが判る?」

「もう、あたしの中の『生命の水』が切れるからだ」

「ふむ」

 明実は興味深そうに眼を細めた。

「それでは、キミの活動が停止する前に、色々と答えてもらおうか。まず名前は?」

「ナンパか?」

「個体名称を知らないと会話しづらいだろう」

「マスターは、あたしのことを失敗(エシェック)って呼んでた」

「失敗?」

「フランス語さ。まあ仮名みたいなもんだけどな」

「ほう仮名ね。正式名は名付けられなかったのか?」

 興味深そうに明実は聞きかえした。

「ああ。だからアンヌでも、シャルロットでも、あんたらは好きな名前で呼ぶがいいさ」

「ふむ」

 なにか彼に考えさせることがあったのだろう、明実はしばらく押し黙ると、腕組みをして物思いに沈んだ。その答えはいま考えても出ないと判断したのか、中途半端な表情のまま腕を解いて、彼女への質問に戻った。

「では、なぜ我々の命を狙ったか、話してもらおうか」

「別に難しい話しでもねえや」

 寝かされたまま縛られた状態で、彼女は肩をすくめてみせた。

「あたしの復讐のために、時間が必要だったんだよ」

「復讐? 誰の?」

「あたしのマスターのさ」

 そう言ってから、彼女はアキラへ視線を一瞬だけ移した。

「あたしのマスターも、人間の体を『構築』する技を会得していたんだ。寿命や大病なんかをしたときに、新しい体に『再構築』すれば、理屈上は永遠に生きられるだろ」

「いや、それは無理なはずだ」

 すかさず明実が否定した。

「本人がシリンダーの中に入ってしまっては、魔法陣において『施術』をする者がいなくなる。準備は一人でもできるとしても、最終的には二人以上いないと不可能だ」

「だから、あたしが作られたんだ」

「なるほど」

 何度も明実がうなずいた。判らない顔になったアキラと香苗が彼の顔を見た。

「キミのマスターの時は、キミが『施術』を行う予定だったんだな」

「まあね」

「だけど、それなら何故そんな名前をつけたのかしら?」

 香苗がもっともらしい質問を口にした。

「そのマスターさんの時に失敗されたら大変じゃないの」

「もっと、おしとやかな娘がよかったんだと。そういう意味で失敗だったらしいぜ」

 言い切る彼女に、失礼ながらも「なるほど」とうなずいてしまう一同。

「そんな少女趣味でネクロフィリアの足の臭い嫌な奴だったんだけど。まあ、あたしを作ってくれた親のような者だし、長い間一緒に暮らしてきた仲だったしさ。仇ぐらいはとってやらなきゃな、と思ったんだ」

「マスターさんは、お亡くなりに?」

 香苗が穏やかに訊くと、誰もいない方向に顔をそむけて、声だけで答えがあった。

「クロガラスっていう通り名の錬金術師がいる。そいつが不老不死の方法を独り占めにしようと、同じような施術者を殺して回っているんだ。とくに配下にしているトレーネっていうクリーチャーは腕利きでさ。そいつに撃たれて、コロッと往きやがった。まったくドジなんだからよ」

 しんみりとした空気に黒い少女の声が溶けていった。

「ちょっと待て」

 その空気をアキラが破った。

「撃たれても、すぐに『施術』とやらをすれば、死ななくて済んだんじゃないのか?」

「いや」

 否定したのは明実である。

「オマエが助かったのは『施術』がここの研究所において研究中で、ある程度準備段階に進んでいたおかげだ。そうでなかったらオマエも、いまごろは三途の川のあたりで観光をしている頃だ」

「おまえ…」

 アキラは明実を見つめて言った。

「カソリックだったよな」

「日本人にあわせただけだ」

「だから!」

 幼なじみ同士の和やかな雰囲気をぶち壊すように、黒い少女はこちらに振り返ると、固い声で言った。

「だから、トレーネをまずぶち殺し、次いでクロガラスも穴だらけにしてやろうと、追いかけていたのさ。そしたら、コッチで同じような研究している事がわかってな」

「ここでの公式なリリースに、この『施術』は、まだ含まれていないはずだが?」

 明実の指摘にも事も無げに彼女は答えた。

「『施術』には特殊な物質が必要だろ。それが大量に運び込まれていりゃあ、あとは芋づるだ」

「もしそのクロガラスという錬金術師が、この技術を独占しようとしているなら。物流をチェックしていれば自然と分かる訳か」

「あんたらがすでに狙われたってんなら、そりゃあトレーネのせいだぜ。あたしがこの界隈にやってきたのも、そもそもあいつを追って来てだし。あいつはいつも事故に見せかけて殺そうとする。心当たりはあるようだな」

 彼女はアキラへ視線を移した。アキラの脳裏に、明実に見せられた破壊されたホイールの写真が蘇った。

「つまり、キミがオイラたちに危害を加える理由というのは…」

「『生命の水』が欲しかっただけさ」

 明実の質問に素直に答える。

「もう一つ重要な質問がある。いま、作られたと言ったが。さすがに『再構築』の技でも、新しい生命を生み出すことは不可能なはずだ」

「まさか、あんたがこいつの『施術者』なのか?」

 驚きの顔になって彼女は訊いた。「施術」が屋上五芒魔法陣で行われたとき、明実は三角頭巾で顔が覆っていたから、誰が「施術者」だったのかは判らなかったのだろう。

 明実は無駄にふんぞり返ると、偉そうに腕を組んで鷹揚にうなずいた。

「いかにも。最先端科学からエジプト呪術まで。この天才、御門明実に不可能は少ししかない」

「そこは、まったく無いって言えよ。変なところが正直なんだから」

 アキラが呆れて言った。

「若いのに凄いな。それとも、もう自分の『再構築』を何回か繰り返したのか?」

「いや。まだオイラのレベルでは成功率は約五〇パーセントといったところだ。そんな程度の確率に、自分の命をかけるほど落ちぶれちゃいないよ」

 そして胸を張る明実の頭を、ふたたびアキラは踏んづけた。

「なんだよ、その五〇パーセントっていうのは!」

「正確には四七パーセントだ。生物実験での数値だが、何かおかしなところでも?」

 それが経理上のささやかな数字の行き違いであるかのような態度の明実に、アキラは怒鳴り声を上げた。

「そんな半分以上失敗するような技術を、オレに使うな!」

「オマエの場合は」

 ピシッと明実はアキラの胸を指差した。

「死んでもともとの状態だったろ」

「良く助かったな、オレ」

 もうツッコミに疲れて、アキラはゲンナリとした。その背中を優しく香苗が叩く。

「いいじゃない、こうして生き残れたんだから。終わりよければ全てよし」

 そんな母子を見てから、明実は彼女を振り返った。

「で、作られたとは、どういうことだ?」

「そのまんまだよ。あたしの体は五人分の死体を集めて『構築』されたんだ」

「それがおかしい」

 明実は彼女を指差した。

「この技術は肉体を製造することはできるが、生きる意思…、つまり魂と言ったほうが判りやすいか? 物理的な意味ではない頭の中身、我々の思考能力を新しく創造することはできないはずだ。キミは生前の記憶があるのかね?」

「いちおう、あるぜ。五人の誰のもんか判らないが、死ぬ直前までの記憶ってやつがさ。もしかしたら五人分全部が混じってるのかもしれねえけどな」

「なるほど、それならまだ納得できる」

 うんうんと明実はうなずいた。

「さて、ここで取引だ」

「取引? あたしにゃ何にも残されちゃいねえぜ」

 縛られて寝かされている自分の体を見おろすような仕草をして見せて、彼女は自嘲的に顔を歪めた。

「まあ、話しは最後まで聞きたまへ」

 明実はどことなく訛った日本語で、できるだけ優しい声色を作った。

「キミの体を維持するだけの『生命の水』をオイラは提供することが出来る」

「ほお。で? 見返りは?」

「キミが語ったそのトレーネというクリーチャーから我々を守って欲しい」

「それは、あいつを殺すのを優先してもいいってことかい?」

「結果的に、それで我々の身の安全が保障されるのならば。オイラのクリーチャーは戦闘に甚だ不向きなのでね」

 ちらっと香苗に慰められているアキラを見る。

「自分の身は自分で守ることだ」

 プイッとそっぽを向いてしまう。

「でも、まあ」

 その状態のままお茶を濁すような声で返答があった。

「それなら、あたしのマスターの仇も討てるし、あたし自身もしばらく生きていられそうだし、悪い提案じゃなさそうだ」

「よし」

 明実は手を一回うつと、笑顔で宣言した。

「契約成立だな」



(うわあ)

 教室に入っていきなり、若さというエネルギーの波動のような物をぶつけられた気がして、アキラは心の中で悲鳴を上げた。

「こちらが海城アキラさん。病気療養で遅れたが、諸君と同じ一年一組の仲間だ」

 隣に立つ担任の井上教諭は、ちょっと大きめな女子用制服に身を包んだアキラを、教室内のクラスメートに紹介した。

 結局「発射」してしまった腕を繋げるために、再びあの怪しげな屋上のシリンダーに入り「微構築」というものを受けなければならなかった。施術自体は短時間で終わったのだが、その後の「調整」とやらで、三月いっぱいアキラは研究所に入院を続けていた。

 そのせいでアキラは自分の卒業式に出席することは叶わなかった。

 体の方はいちおう順調であった。ただ肉体の維持に必要らしい、あの青色に発光する『生命の水』の注射を毎日のように受けて、肘の内側には注射痕がたくさんできてしまったが。

 疑い深いお巡りさんに見せたら、いけない薬物中毒になっていると誤解されそうだ。

 その「調整」とやらは、清隆学園高等部の入学式を迎えても終わらなかった。そのせいで他の新入生に遅れること三日で、アキラはようやくここまで辿り着いた。

「退院が遅れて三日だけ休学したが、みんな仲良くな」

 まだ授業も本格的に始まっておらず、クラスの中も新しい生活をお互いが暗中模索の状態だ。アキラにとっては、かえって面倒くさい行事をすっ飛ばすことができて有り難いぐらいだ。

「か、海城アキラです。よろしくお願いします」

 まだ新品のバッグを抱えるようにして頭を下げた。教室の中は私語ばかりで、アキラに注目しているのか、していないのかさっぱり判らなかった。

 ただ、窓際の席に見知った顔が並んでいた。

(同じクラスかよ)

 一人は何を隠そう幼稚園からのつき合いである御門明実である。彼は白々しくも、にこやかに手を振っていた。

(自称天才の割には捻りのない手を使いやがって)

 目にそういうメッセージをこめて睨み付けてやる。まあアキラに言わせると、彼の場合は天才よりも先に変人なのであるが。

 しかも、その前の席には、この一ヶ月で見慣れた顔が、アキラには関心無さそうに、窓の外を机に頬杖ついて眺めていた。

「海城の席は、窓側の一番前になる」

 どうやら名簿順に席が決められているらしい。男は廊下側から、女は窓側から交互に席についているようだ。アキラの後ろにも希望に満ちた顔をした男子が席に着いていた。

 机の脇に鞄をかけ、とりあえず着席する。まるで黒板が迫ってくるような近さに感じた。

 ただでさえ体が小さくなっているのだ。教壇上にいる人物を見上げるようにしないと、視界に入らない。授業をサボることが難しそうな席であった。

「今度の合宿ホームルームの班だが、すまないが海城はどこかの班に四人目として入ってもらうことになる。どこか希望はあるか」

 大量生産品の椅子の上に尻が落ち着く間もなく、担任が訊いてきた。

「ええと」

 ここでアテが無いと答えるのは簡単なのだが、なにせ見知った顔が二つもあった。

「先生」

 廊下に近い側で女子生徒が立ち上がりながら発言した。アキラの見たことのない顔だった。

 その娘は、長めの髪をして切れ長の瞳を持ち、ソバカスを鼻のあたりに散らしたそこそこの美人であった。特にその瞳は魅力的で、意志の強さを窺わせる光を宿していた。

「なんだ? 藤原?」

「その件についてですが、佐々木さんと新命さんとで、ウチの班に迎えようって話し合いました」

「お、そうか。藤原の班でいいか?」

「は、はい」

 担任の問いかけに首肯しながら、アキラは自分の列を振り返った。相変わらず無愛想な少女は窓の外を眺めていて、教室内の出来事には無関心であるようだ。

 それよりも、一つ男子を挟んだ席に座るとんでもなく美人が、とびっきりの微笑みを浮かべてアキラに向かって手を振っているのが目に飛び込んできた。

 まるで等身大の三Dグラビアがそこに置いてあるような、現実には信じられないほどの美貌である。長い髪を飴色のクリップを使って後ろでつまんでいて、口元にはまるでアクセサリーのように八重歯が形の良い唇の端から顔を覗かせていた。

 アキラが男のままであったら迷わず名簿をチェックして名前等のプロフィールを暗記する対象にしただろう。事実、彼女よりも後ろに座る男どもの視線が、その背中に熱く注がれていた。

「は、はは」

 まったく心当たりがなかったが、いまの藤原という生徒のセリフから考えてみて、もう一人の佐々木という同じ班の娘であろう。

 アキラはとりあえず手を振り返して前を向いた。

 よそを向いている間に、今日の連絡事項を伝え終わった担任が出て行くと同時に、机に二つの影が近づいてきた。

「?」

 振り仰いで見てみれば、アキラをこんな体にした張本人の御門明実と、アキラと同じ清隆学園高等部女子の制服である紺色のブレザー姿をした、なにか不満げな表情で固まったかのような少女であった。

「いやあ、海城さん。入学式に出席できないなんて、体ダイジョウブ?」

 いかにも取ってつけたように明実が話しかけてきた。

「さて?」

 にこやかに美少女顔で笑顔を返しながらアキラは言い返した。

「なにしろ主治医がヤブどころかヒモ医者でね。なかなか退院させてくれなかったからさぁ」

「そ、それは不運だったねー」

 棒読みのセリフだったが明実の軽く握った拳がプルプルと震えていた。どうやら気に触ったらしい。

「そんなことより、ええと新命(しんめい)ヒカルさんだっけ? 日本の学校には慣れた?」

「ふん」

 つまらなそうにヒカルと呼ばれた少女はそっぽを向いた。耳が隠れる程度の長さで放置したような髪が揺れた。

「まったく、なんで今更あたしが高校に通わなきゃなんないんだろうねえ」

 腕組みをしてヒカルは言った。

「もう制服も着て教室にいるのに、まだそんなこと言うのか」

 いいかげん芝居にも飽きて、いつもの口調に戻してアキラは少女に言った。

「オイラたちの護衛をしてくれる約束だぞい」

 楽しそうにニヤニヤと笑いながら明実は腕組みをした。

「ふん」

 会話の間だけ目をこちらに向けていた少女は、再び窓の外を向いてしまった。

(しかし、オレよりも女子高生らしいじゃないか)

 アキラは感心して相手の制服姿を上から下まで見た。そうなのである明実の横で不機嫌そうに立っているのは、親子オリエンテーションの日にアキラと追跡劇を繰り広げた黒い少女なのだ。もともと黒い髪に黒い瞳であるから、こうして紺色のブレザーを着てしまうと、女子高生として教室の中に居ても、まったく違和感がなかった。

 契約と言うほど大袈裟なものではないが、こちらが『生命の水』を提供する見返りに、アキラたちの身辺警護に同意してくれた彼女だった。

 創造主が違う『生命の水』でちゃんと効果が出るか心配もあったが、明実製の『生命の水』で彼女の延命は成功した。

 傭兵のごとく明実の周囲を自由にうろつくつもりだった彼女であったが、それでは校内での警護に穴が出来ると明実が主張し、翌日には清隆学園の学籍を調達してきたのだ。

 そんなに簡単に入学手続きができて、あの苦労したオレの受験勉強はなんだったんだと思いもしたが、彼女の学力はすでに大学レベルでまったく問題はなかった。しかも外見はアキラと同世代の少女に見えるが、色々な話しをしていると、ずっと年上であるようだ。

 そんな「女性」が高校に通うなんて気恥ずかしさもあるのだろう、それに元々無愛想な質でもあるようだ。

 いまも普段からの無愛想な表情をさらに仏頂面にして外を眺めていた。

 明実の都合と言うより趣味で女子高生として暮らすことになった彼女であったが、名前がエシェックと外国人風のままでは不都合があるので、新命ヒカルと名乗ることになった。ちなみにその命名はアキラの母である香苗である。「新しい命が光りますように」との想いを込めたと言っていた。捻りもなにもない、そのままの名前だ。

 もちろん戸籍などはまったく所持していなかったが、住基ネットがとても便利なおかげで、明実の手によってそれらは用意することができた。

 ヒカルはアキラと違って毎日の注射は必要がないようだった。二人が生活するには少々手狭な、アキラが入院していた部屋を早々に出て、いまは海城家で暮らしているはずだ。

 アキラの体もそのぐらい安定したら、帰宅するつもりであるし、明実の実家は海城家とは隣同士である。いつ敵が襲ってくるか判らない現在、護衛として近くに住むのは妥当な選択といえた。

 それに海城家には使っていない客間が一つあった。二階のアキラが使っている部屋の隣で、普段はあまり使わない物や、着古したが捨てられなかった服などを収納するのに使用していたが、ヒカルを迎えるにあたって香苗が奮起一転大掃除を敢行したらしい。

 その雑多な物置ならば発見される危険が少ないと判断し、かつての海城彰が数点のいわゆる「男の嗜み」コレクションを紛れ込ませていたのだが、その大掃除にて発見され処分されることになった。まあ、このような体になってしまったので、必要があるかと問われれば無くなったといえるが。

「海城さん」

 三人で作った輪の外から声がかけられた。視線を移すと先程アキラを同じ班にと主張した気の強そうな少女と、いまだ目の前に立っているのが生きている人間と信じられないぐらいの美人の二人が並んで立っていた。

「新命さんから聞いていると思うけど、今度の合宿ホームルームで同じ班の藤原(ふじわら)由美子(ゆみこ)よ。こちらは佐々木(ささき)恵美子(えみこ)さん」

「よろしくね」

 どこかしら鼻に引っかかる声の由美子に紹介された恵美子が丁寧に頭を下げて挨拶した。こちらは姿形だけでなく声まで透き通っていて美しい物だった。

「合宿ホームルーム?」

 先程担任教師が口にするまで聞いたことがなかった単語にキョトンとして、明実とヒカルを見る。

「あ、説明していなかったな」

「だめじゃない、御門くん。ご近所さんなんでしょ」

 恵美子がたしなめると、さすがに十倍の知能指数の持ち主といえども美人には弱いらしく、わははと笑って誤魔化していた。

「ウチの学校ではね、中等部から山梨県にある合宿所に、学年ごとに一泊するのが毎年の行事なのよ」

「いつ?」

「今度の週末」

「いきなりだな」

「まあ、クラスの学級委員を決めたりするミーティングが予定されたりしているから、そういった関係でしょ」

 事情通の由美子は、どうやら中等部からの進学組のようだ。

「そンで。本当は三人一組での班行動が基本なンだけど、今年は何故か一人余っちゃってさ」

「そうねー」

 口を尖らせる由美子の横で、不思議そうに恵美子が首を捻った。サッと明実に視線を移すと、あさっての方角を向いて口笛を吹いていたりする。ちなみに曲名はニーベルンゲンの指輪からマイスタージンガーであった。

「どうせ教頭あたりが少子化で生徒数が減少しているからって、補欠合格のコも入学させちゃったンでしょ」

 裏の事情までは知らない由美子が言い切った。

「そンで、海城さんは新命さんとイトコなんでしょ? 本当は生徒の交流会も兼ねてっから、なるべく知り合い同士で組まない方がいいンだけど。ほら体調のことを考えると、同じ班の方がいいのかな、って話し合っていたわけ」

(それで先程の発言に話しが繋がるワケか)

 それならそうと教えておいてくれてもいいじゃないかとヒカルを見たが、彼女は相変わらず外を向いていた。

「あたしがいちおう班長ってことになってンけど、なンか問題ある?」

「いいや」

 自分に、班長なんていう役職を進んで引き受けるほど人間関係に積極的でないという、ダメな方に自覚のあるアキラは、嫌味にならないように声のトーンに気をつけながら言った。

「もしかしたら休むかもしれないオレが、そういった役職をやるのも変だよ。色んな事を知っていそうな、藤原さんがやるほうがいいんじゃないの?」

 週末まで体調が安定しているなら参加してもいいが、まだ事故以来帰宅すらできていない体である。無理に泊まりがけで出かけることもあるまい。

 その時、予鈴が鳴った。

「とりあえず、コレはあたしが預かっていた合宿ホームルームのシオリね。特別な事は何もないと思うけど、いちおう集団生活の注意点ぐらいは目を通しておいて」

「了解」

 表紙を含めてもコピー用紙三枚程度の薄い手作り冊子である。アキラが気楽に受け取ると、由美子はホッと一息ついて表情を緩めた。

「それじゃあ、よろしくね」



「ふいー」

 気の抜けた声を漏らしながら、アキラは目の前に広がる実験用テーブルに上体を放り出した。

 時と場所は変わって、いまは放課後。場所は清隆学園高等部の化学実験室である。

「疲れたのか?」

 隣に座るヒカルが仏頂面のまま訊いてきた。

 授業はまだまともに始まっていなかった。本日は教科ごとに担当する教師が自己紹介と、授業の進め方の説明に終始した。それだけの事なのにこんなに疲労感があるのは、もちろん入院生活が長くて体が鈍っていたこともある。

 それにアキラには、集団の中で取り残されているような感覚が、ずっとつきまとっていた。おそらく性別が変わったことが大きいのであろう。それに命を狙われているかもしれないという精神的な圧力も大きかった。

「おまえは平気なのかよ」

 授業中の教室内ではもちろん飲食禁止なので我慢していたのだろうが、さっそく球形のキャンディを口に含んだヒカルを見上げて聞き返す。

「何がだよ」

「色々だよ。色々なこと」

「イロイロ?」

「だって、いきなり高校に通うなんていう変化があって、戸惑ったりしないのかよ」

 そのまま居眠りでも始めそうなアキラを、腕を組んで座ったまま見おろしたヒカルは平然と答えた。

「アタシの七〇パーセントは日本人の女だし、八〇パーセントは高校に通った経験があるんだ。そりゃ全く戸惑わないちゅーことは無いが、懐かしいぐらいだ」

「へー」

 そこでしばらくアキラは寄り目になって考えた。

「五人だと、七〇パーセントっていう数字、おかしくね?」

 単純な算数の問題だ。一〇〇を五で割ると二〇。一人あたり二〇パーセントになるはずだ。

「一人はハーフなんだ」

「なるほど」

「その理屈は、あっていそうでそうでなくて、やっぱりそうなのかというレベルだな」

 これは今部屋に帰ってきた明実である。教室と違って、いまは制服の上から白衣を羽織っていた。

 放課後は研究所で忙しいはずの明実であるが、意外にも高校では化学部に所属するつもりであるらしい。そのせいでアキラとヒカルは化学実験室に連れ込まれたのだ。

「どうやら化学部は我々だけのようだな」

 明実は三人以外誰もいない室内を見まわした。正方形に組み合わされた校舎の北側の棟にあたる通称C棟の一階にある化学実験室は、そんな立地条件からひんやりとした空気が淀んでいた。

 まだ新勧も始まっていない内から化学部に入部すると決め、勇んで部活動の時間に来てみると、無人の部屋が三人を待っていた。

 大学受験を控えている三年生は、全入時代だとはいえよりよい処を目指しての受験勉強があるだろうから、いまここにいなくてもまあ話しは分かる。問題は二年生だ。

「どうやら、ほとんどが幽霊部員のようだナ」

「おまえも研究所があるんだから、部活までやる必要はないだろ」

 それよりも一刻も早く再々構築とかいう技術を確立してもらいたいアキラなのであった。

「いや」

 ニヤリと明実は十八番ともいえる悪役的な歪んだ微笑みを浮かべた。

「オイラには、もう一つ目的がある」

「?」

「天才は天才を知る。この学校に、もう一人研究者が入学しているはずなんだ」

「もう一人の研究者ぁ?」

「それは『施術』のか?」

 アキラの上げた素っ頓狂な声の横で、ヒカルが冷静にたずねた。

「いや。カレは純粋な科学者であるはずだ」

「知っている人間か?」

「いや」

 ヒカルの言葉に即座に首を横に振る明実。

「だが、お互いが好敵手であることを認めあっていると信じているよ」

「誰だよそいつ」

「アキラに話したことがあったな。オイラが研究していた『流体電気コンデンサーの量子コンピューターへの応用と、その場における量子もつれ理論』が先を越されたのだ。そのオイラよりも先に論文を発表した人物が、同じ清隆学園高等部に入学したのだ」

「ああ、そういえば超電気なんたらがどうたらって話ししたっけな。なんだ、同い年なのか」

 思い返せばアノ事故の直前に二人で話していた話題だったような気がする。

「そんな人物ならば、きっと化学部に顔を出すに違いない」

 明実は軽く拳を握ると、天井を見上げた。自分の推理に酔いしれているように見える。

「そんな天才、おまえと同じように、どこかの研究所に所属しているんじゃないか?」

「それでもだ。同じレベルの頭脳を持つ者同士、こういった場所がないかぎり交流する機会は無い。よって必ず化学部に顔を出す」

「そんなもんかね」

 いいかげん、明実の推理というより、独りよがりな思いこみを拝聴するのに疲れて、アキラはテーブルの上に再び体を預けた。

「オレ自身としては、ココにいてもやることが無いんだけどな」

「まあそう言うな。オマエが休んだ間に目を通さなければいけないプリント類が溜まっている。それでも読んで時間をつぶせ」

「それもそうだな」

 脱力したままアキラは鞄を探り、溜まったプリントをテーブルの上に散らかした。一番上に来たのは、週末にあるという合宿ホームルームのシオリであった。

 そういえば集団生活の項だけでも目を通しておけと班長である由美子に言われたことを思い出し、アキラは面倒くさそうにページを切った。

「ええと、なになに。合宿ホームルームは学校行事です。行動時は制服を着用し、就寝時は体育用ジャージを使用します。また以下の物を持ち込んではいけません…」

 音読はそのぐらいにして、携帯電話やゲーム機などの玩具とあたりまえの条項が並ぶ数行を読み飛ばす。ちなみにアキラの携帯電話はアノ事故で粉々になってしまった。高校に入学したらスマートフォンに買い換えてもらえる約束になっていたはずだ。そろそろ香苗にねだってもいい頃かもしれない。

「ふーん」

 やる気のない声が自然と漏れる。

 持ち込み禁止の項の次には、体調管理は自己で責任を持って行いましょうと、これまた当たり前のことが書いてある。だが、こんな体になってしまったアキラにとって、体調管理は明実の仕事だ。

 また、女子は生理中でも入浴を心がけ、不潔にならないように努力しましょう。

「はい?」

 つい声を出してシオリに顔を近づけてしまった。もう一度読んでみる。

「女子は生理中でも入浴を心がけ、不潔にならないように努力しましょうぉ」

「昔は入浴禁止って言われたもんだが、最近は違うんだねえ」

 あまりの驚きに声に出ていたらしい。横で聞いていたヒカルが反応した。

「にゅうよくって、あの、その」

 必要以上に顔を赤くしたアキラを不思議そうにヒカルは見かえした。

「ちなみにビックアップルの事じゃねえぞ」

(それはニューヨークだろ)

 と心の中でツッコミを返してから、アキラは素っ頓狂な声を上げた。

「おふ、おふろぉ!!!」

「そうだよ。風呂は嫌いかい?」

「いや、日本人だから、それなりに好きだが」

 グルグルとアキラの頭の中を「入浴」の二文字が巡った。

(こんな体で男湯に入れないぞ。いやアキザネが女で学籍を作ったから、女湯だ! この歳で女湯か? それはそれで問題が!)

 何度も繰り返すが外見は「女の子のようなもの」になっているが、中身は思春期の男の子なのである。

「ははーん」

 ニヤリとしてヒカルは立ち上がった。アキラが悩んでいる問題を理解したようだ。

「裸になっているところを襲われたら対処できないと思っているのか?」

 全然判っていなかった。

 それどころか制服のスカートを捲り上げると、右腿に巻いたゴツイホルスターから銀色の銃を抜いた。

「大丈夫だ。もしあいつが襲ってきたら、迷わずこの『イノセンス』で穴だらけにしてやるからよ」

 ヒカルの愛銃である銀色のリボルバー『イノセンス』は、回転式弾倉ゆえのありがちな曲線を多用したデザインではなく、銃身もフレームも角張ったデザインになっていた。こう近くで観察するとよく判るが、もとは西部劇で有名なピースメーカーのコピー品である銃に、後から鋼鉄で作られたベンチレーターと一体となったバレルカバーが載せられているのだ。

 その回転式弾倉も、普通ではあり得ないほどの火薬を仕込んだ弾薬を装填するためか、他の銃にあるような軽量化のための溝が一切無くツルンとしている。

 バレルガードに蔓草のような字体で『INNOCENCE』とエングローブしてあるのは特注であろう。

「ま、コイツに撃たれたら、穴だらけになるまえに肉片になるがな」

「それはそれで問題だろ!」

「なんでだ? 銃を携帯しちゃいけないたーシオリにゃ書いてなかったぜ。書いてあったのは、電話にゲーム、それにオモチャだ」

「そんなぶっそうな物を持ってる女子高生なんて、そもそもいないの!」

 アキラの怒鳴り声に、ポンと銃を持ったままで手を打ってヒカルは満足そうに何度もうなずいた。

「たしかにオモチャの持ち込みは禁止だった」

「そういう意味じゃないと思うぞ」

 話しが噛み合わずにゲンナリとしていると、明実が反対側から口を挟んだ。

「その件だが、ちょっといいか?」

「?」

 二人して振り返ると、明実はヒカルの銃を指差した。

「ヒカルはその銃じゃないとダメなのか?」

「というと?」

「ちょっとデカすぎるんだよ、それ」

 確かに全長で言うと四〇センチ近くある。そのためいくらプリーツスカートの下にホルスターを隠しているとはいえ、とても不自然なシルエットになっている。それに抜くためには結構上の方までスカートを捲り上げなければならない。一刻を争う戦闘中にそれが可能かどうかも怪しいし、それに秘密の布地が覗けてしまうという副次的な欠点もあった。

 ちなみに今日は淡い紫色だった。

「便利だぞ」

 その指摘がつまらなそうにヒカルは言い返した。

「アフリカの平原での話しだが。象の集団暴走(スタンピード)がこっちに向かってきたときには、こいつ一挺で片がついた」

「ここは日本だし! 野生で暮らしているのはネコぐらいなもんだよ!」

 アキラはツッコミを返してから、カラスも含まれるなと思った。

「たしかに威力は高いが、貫通力では九ミリパラに劣るだろ」

 得意そうに銃身と咥えたキャンディの柄を振り回すヒカルに、明実は冷静に指摘した。

「別にいいじゃねえか、貫通力ぐれえ」

「敵が何か盾にしたら?」

「盾ごと粉々にしてやるさ」

 強がってはいるが多少自覚があるらしい。その語尾がちょっと弱気なものに変わっていた。

 しばらく無言で明実とヒカルは見つめ合った。彼女の口元でピコピコとキャンディの柄だけが上下に行き来していた。

「わかったよ」

 ヒカルは折れて自分の愛銃をホルスターに戻した。

「代わりの銃があるなら、見せてもらおうか」



 三人はそのまま大学の敷地へ移動した。

 大学には多数のサークルが存在し、その中に射撃を楽しむサークルが複数存在した。文武両道を目指す校風なので、各種大会へ積極的に参加するサークルが多い。

 大学射撃部もそんな理由で何回かオリンピック選手を輩出したほどの歴史を持っていた。その栄光ある伝統のおかげで、大学の外れには立派な射撃場が複数完備されていた。やはりスポーツ競技でのオリンピックの肩書きは偉大らしい。

 室外にあるクレー射撃までできるライフル射撃場ではなく、室内にあるスポーツピストル競技用射撃レーンで、連絡を受けていたらしい明実の助手が待っていた。

「イロイロと考えたんだが」

 明実は饒舌になっていた。

「やはり弾数の多い自動拳銃を用意した」

「弾数はいいが」

 つまらなそうにヒカルが言い返す。

「あいつらは命中力がイマイチだぞ」

「それなら大丈夫だ。世界的に主流派のショートリコイルではなく、ガスロック式の物だ」

「あのスクイズコッキングって奴は最悪だぞ。人差し指以外で握りこんで、さらにトリガーを優しく絞れって、どれだけ器用になれって話しだよ」

「安心したまえ。P七ではないよ」

「あのさ…」

 人差し指をコメカミに当てていたアキラは二人に言った。

「二人ともまともな言語で話してくんない?」

「いまので正常だ」

 高橋は手元の射撃台に木製のケースを置いていた。三人が近づくと、言われる前にそれを開いた。

「これは?」

 箱の中には自動拳銃としては中型の部類に入る大きさの黒い銃が寝かされていた。箱形が基本形となりやすい自動拳銃にしては、二次曲線を多用した珍しいデザインの銃であった。例えて言うなら昔のSF映画に出てくる未来銃のようだ。九人の戦鬼が持っていそうな感じである。

「ファイアーバード社製のオートマチック。商品名『アサルト』だ」

「南アフリカのベクターモデルCP一に似ているな」

 チラリと高橋を見てから、ヒカルはその自動拳銃をケースから取りだした。

「弾は九ミリパラか?」

「それが一〇ミリAUTOなんだ」

「そいつは、めずらしいな」

 ヒカルはそのままレンジの向こうで出番を待っている同心円を重ねた的へ銃口を向けた。

「この日本で襲ってくるなら、相手は車に乗っている可能性が高いだろ。この弾ならば、車の扉越しに相手を撃つことができる」

「たしかに『イノセンス』だと車をブチ壊すことはできるが、車内の人間までは届かねえ」

 うんうんと納得いったように何度もうなずくヒカル。

「何発入る?」

「マガジンはダブルカラムで一二発。それに薬室の一発で一三発だな」

「撃ってみたいな」

 その重さで弾が込められていないことは判っていた。ヒカルから要求が出る前に、高橋はケースの中に別納されていたマガジンを取りだし、鈍く金色に輝く弾薬を込め始めていた。

 一発ずつ込められていくそれらを見てヒカルが質問した。

「キャストブレットではないんだな」

「ガスベントが詰まるから基本的にはジャケッテッドだ。もちろん作動不良を覚悟すれば、そちらも射撃可能だが」

「三八や九ミリパラと違って、一〇ミリAUTOじゃ普通手に入らないだろ」

「オレにもわかる話しをしろ」

 さすがに中身は男の子である。目の前に鉄砲を持ち出されれば、興味ぐらいは沸く。ただ、銃に関してまったくの素人であるアキラにとって、二人の会話の内容はチンプンカンプンだ。

「あー」

 楽しそうに会話していた二人は、微妙な顔になってアキラを振り返った。

「ドコから説明すればいい?」

「いや。アキラはまったく判らないと思うぞ」

 それでも言葉を探して思案顔になるヒカルに、とても冷たい対応の明実の声が重なった。

「とりあえず知っておいてもらいたいのは、だ」

 うーんと唸るヒカルの口元で、キャンディの柄が上下左右に揺れた。

「こいつに使っている弾はサイズが珍しいから、敵の弾をぶんどって使うことができないってことだ」

「五ミリツヅミ弾と七ミリツヅミ弾みたいなもんか」

 アキラの例があっているかが判らずに、ヒカルは明実を見た。

「確かにそんな感じだ」

 明実が苦笑しながら、高橋の手によって装填されたマガジンをヒカルに手渡した。ヒカルは基本手順通りに安全装置を確認しようとして、スライドを確認した。しかし、そこにレバー類は一切ついていなかった。

「トリガーガード前端がマニュアルセフティになっているんだ」

「前に押すと解除されるのか」

 よくあるレバー式の安全装置とは違う操作法に戸惑いながらも、目で安全装置の位置を確認してからマガジンをグリップに押し込み、スライドをコッキングした。

 うらやましそうにアキラがその慣れた手つきを見ていると、明実がその肩を突いた。何事かと振り返ると、とても大きなヘッドフォンのようなイヤープロテクターが目の前に差し出された。

 屋内射撃場では音の逃げ場が無いので、発砲音をまともに聞くことは聴力に永久的なダメージを与えることがある。銃を持ったヒカルも、高橋からイヤープロテクターを渡されて、器用に片手で装着した。

 ヒカルは、まず両手で保持するISIスタイルで構えた。いちおうチラリと一度だけ背後を確認する。

 右の人差し指でトリガーガードの前端を弾くようにして安全装置を解除、二五メートル先にある同心円を重ねたマークが描かれている的に向かって、三回引き金を絞った。

「なかなかイイナ」

 ヒカルは満足そうに、首だけで振り返った。そんな時も銃口は標的の方向に向けたままなのは安全対策である。うれしそうに口元のキャンディの柄がピコピコ動いていた。

「使用している弾丸に対して、そんなに反動は大きくないと思うが」

「たしかに。それにストライカー方式で手に銃身が近いから狙いやすい」

 明実にうなずき返し、今度は右手だけで構えると、また三発発射する。

「作動もスムーズだ。ブレも大きくない」

「まあ、そこがガスロック式の利点だな」

「余分な部品が動いていないし、銃身がフレームに固定されているからだな。これなら左手でも撃てるぜ」

「いちおうユーティリティデザインだ」

「鉄砲に公益性なんてもたせるな」

 明実の解説に横からアキラはツッコミを入れてしまった。

「たしかに、どっちの手でも使えるように工夫されているな」

 右手で保持したままヒカルは銃本体を左右に傾けて確認した。トリガーガード前端という特異な位置の安全装置も、左右どちらの手でも扱えるようにされた工夫と言われれば納得できる。またマガジンをグリップから出し入れするためのボタンも、左右どちらから押し込んでも解除されるように作られていた。他にもスライドストッパーなどがどちらからも操作できるように、両面に取り付けてあった。

 ヒカルは試しとばかりに銃を左手に持ち替え、数発発射した。

「はは、こりゃあいいや」

 そのまま何が気に入ったか、左の片手撃ちでマガジンに残っていた全弾を発射した。最後の弾が発射されると、スライドストッパーがかかってスライドが一番後ろに下がった状態で止まった。

 アキラは終わったかと思ってイヤープロテクターを外そうとした。

 その時、ヒカルは何を考えたのか、同じ標的に向かって右腿から銀色の銃を抜き打ちした。アキラがもう少し早くイヤープロテクターを外していたら、まともに発砲音をくらうところだった。

 さすがに一.五倍以上も薬莢が長いだけあって火薬がその分たっぷり入っているらしく、自動拳銃とは全然違う迫力のある音だった。親子オリエンテーションの時にアレを向けられて何回か聞いた経験があるが、これに比べたらさっきのまでの音はまるでオモチャのようであった。こちらは大砲のような音である。これでイヤープロテクターをしてなければ、目を回していたかもしれない。

 ヒカルが銀色の銃をホルスターに戻している間に、高橋が手元のボタンを操作した。すると天井に取り付けられたカーテンレールのような装置が作動して、いままでヒカルが狙っていた的が目の前まで近づいてきた。

 そこには、同じ大きさをした一二個の穴で、紙一杯使ってハートの形が作られており、明らかに大きさの違う穴が、一発だけ見事真ん中を撃ち抜いていた。

 銃自体の性能もあるのだろうが、なかなかの腕前と言えた。

「気に入った。使わせてもらおう」

 マガジンを抜きながらヒカルは綺麗な歯を剥き出しにして笑った。

「ただちょっと注文があるな」

「なんだ?」

「このガバメントみたいな照星はなんとかならんか? これじゃ小さくて狙いにくい」

 これだけの腕前を見せつけておいて、狙いにくいも無いだろうが、アクションシューティングにおいてオープンサイトで照準するとき、射手は照星に自分の目のピントを合わせる傾向がある。これは照門や標的自体にピントを合わせると、銃自体が傾き、弾道が角運動してしまい狙いが大きく外れやすいという経験則からきていた。

「できれば大きくて、反射防止用の溝が切ってある奴が好ましい」

 照星が大きいと咄嗟の時にホルスターに引っかかって抜きにくくなる等のマイナス面もあるが、それは承知の上での注文であろう。

「うむ」

 明実は高橋の手元を指差して、メモをしておくようにジェスチャーで示した。

「それと換えのマガジンと、ホルスターを用意してくれ」

「照星は交換させよう。マガジンはすでに予備を二本用意している。ホルスターはデイビスシューメーカーの#一三三六、ナイロン製のセットがある」

「それはバックレイクか?」

「いやナチュラルレイクだ。だが最近のホルスターは使用者の好みにあわせてバックレイクにもフォワードレイクにも調整できるようになっているから心配は無用だろう」

「だから、オレの判る言語で話せってば」

 ふたたび専門用語が飛び交い始めた二人の間で、イヤープロテクターをしたままアキラは人差し指をコメカミにあてた。

 それに遠慮したのか、しばし二人は口を閉ざした。

「他に要望はあるか?」

 アキラが口を開かなかったので、明実はヒカルに訊いた。

「そうだな…」

 ちょっと思案してヒカルはスライドの前半部分を指差した。

「ここんとこに刻印を入れてくれ」

「刻印?」

「ああ。字はGUILTYの六文字だ」

有罪(ギルティ)?」

「そうだ、ギルティだ。こっちが無罪なら、こっちは有罪だろ」

 ポンとスカート越しに銀色の銃を叩く。アキラは横からそれを聞いていて、常人からかけ離れた感覚にげんなりとした。

「まあ、なんにしろ」

 そんな難しい顔になったアキラに対して、ヒカルは明るい表情のまま、空いている右手で指鉄砲を作って向けた。

「これで守ってやれるからよ」

 その教室内では見せなかった魅力的な表情に、アキラはしばらく受け答えが出来なかった。

「いちおう、アキラにも銃を用意したが。どうする?」

 明実の合図で高橋は別のプラスチック製のケースを取りだした。

「オレか?」

 現代日本で普通の中学生をやっていたアキラが撃ったことがあるのは、エアーソフトガンぐらいである。本気の射撃と言ったら、盆踊りに出ていた夜店の射的ぐらいしか経験がない。

 その時の成績は一〇発撃って命中は二発。景品はアメリカクロネズミを中国で模倣したぐらい微妙な、ゆるキャラマスコットがついた携帯ストラップが一つであった。

 もちろん幼なじみであるから、明実はその時も一緒にいた。

 高橋がケースを開いた。

「こ、これは…」

「こりゃあいいや」

 中を見てアキラは絶句し、ヒカルはゲラゲラ笑い出した。

 そこには掌にすっぽり隠れそうな程小さい鉄砲が納められていた。

「ダイノソア社製『アメージングデリンジャー』だ」

 まるでヒューマノイドタイフーンの引き起こす災害を査定する外交員がたくさん持っていそうな小型拳銃である。

「いちおうヒカルのオートマチック…」

「『ギルティ』だ」

「『ギルティ』と同じ弾を使うバージョンを用意した」

 途中でヒカルに訂正されながら、明実は説明した。

「センターファイヤーの一〇ミリAUTOを撃つために、オリジナルとは機構はまったく異なる。装弾数も一発のみだ」

「なんだこりゃ」

 アキラよりも先にヒカルがその小型拳銃を手に取った。

「ブレークオープンじゃなしに、銃身がスイングアウト式に横へずれやがる」

「そこは特許の関係らしい」

「くっだらね」

 まるで銃全体を捻るようにすると、グリップとチェンバーがズレて装填状態となる。

「安全装置はついていないが、トランスファーバーによるセフティ機能がトリガーメカニズムに組み込まれているから、事実上暴発はない」

「せめて二連発は欲しいよな。なあ」

 なあと言われても鉄砲に素人のアキラに判るわけが無かった。

「おまえさあ」

 なぜだか疲労のような物を感じてアキラは明実に訊いた。

「そっちの鉄砲といい、こいつといい。一体どうやって調達したんだよ」

「簡単な話だ」

 ニヤリと悪役顔で頬を歪める明実。

「ネット通販って便利だよな」

「密輸かよ!」

 鋭い声を上げてからアキラは肩を大きく上下させた。何のことはない溜息をついたのだ。

「黒魔法といいハッキングといい、今度は密輸かよ。親御さんが聞いたら泣くぞ」

 幼なじみが順調(?)に人の道を踏み外しているような気がして、アキラは心配になった。凄腕らしい敵に狙われているらしいし、慣れない体に心労が蓄積して、いまにも熱を出しそうだ。

「そうだ合宿ホームルーム」

 アキラは化学実験室で話していた事を思い出した。

「やっぱり不参加の方がいいよな」

 関係者以外立ち入り禁止の校内ならば安全の度合いが高いと言えるが、そんな山梨県まで移動して家族と離れて一泊など、狙ってくれと言っているようなものだ。

「せっかくの学校行事ではないか」

 明実はニヤリと笑い、ヒカルはだいぶ溶けて小さくなったキャンディを口から出した。ふやけた柄を持って、アキラに先を向ける。

「アキラよ」

 ヒカルは男前な声で言った。

「世の中には返り討ちって言葉もあるんだぜ」

「返り討ちの返り討ちにならなきゃいいんだけどな」

「そこは、まかせておけ」

 そうウインクを決めたヒカルの魅力に、アキラは口をつぐんでしまった。


 その合宿ホームルームで事件が待っているとは、神ならぬ身に判りようがなかった。


つづく



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ