みんなのうた
「初めまして高村愁です」
目の前の青年はそう言って爽やかな笑顔で微笑んだ。沙夜ちゃんの言う通り器用そうで、何事もそつなくこなす印象だった。
「佐藤有希子です。初めまして」
挨拶を返すと、大人びた顔を崩して無邪気に笑顔を見せる彼を見て沙夜ちゃんが彼に惹かれた理由が分かった気がした。
沙夜ちゃんが彼を連れて来てくれたのはパーティの数日後のこと。同じ高校に通う先輩後輩らしく、お揃いの制服に身を包んだ二人は実に微笑ましかった。
「お会いできて光栄です。ずっとお会いしたかったんです。ピアノのお姉さんに」
彼の興奮気味の声に思わず首をかしげると、我に返った顔をした彼は慌て付け加える。
「学校の音楽室で、沙夜がピアノを引きながら有希子さんの話をしてくれたんです。とても楽しそうに音楽を奏でる人だって」
「まだお姉ちゃんが眠ってる頃ね、最初はピアノを見るのも嫌だったんだけど……私とお姉ちゃんを繋ぐものってそれしかなくて、ずっと弾いてたの。弾いてる間は私の中ではお姉ちゃんが笑ってくれる気がして」
懐かしむような沙夜ちゃんを彼はそっと優しい瞳で見つめる。泣き虫沙夜ちゃんはきっと彼の穏やかな優しさに包まれて、凛とした大人の女性に変わりつつある。
沙夜ちゃんのカップを口に運ぶ手がはたと止まると彼とそっくりな優しい瞳をして私に語りかけた。
「今はもちろん、そんな卑屈なこと思ってないよ?昔は私も色々勝手に落ち込んだりしたけど、今は」
「愁君がいるしね?」
「お姉ちゃんが目覚めてくれたしって、言おうと思ってたんだけど」
沙夜ちゃんの言葉を横取りしてみると、真顔で否定されてしまった。その様子を愁君はニコニコと穏やかな微笑みを絶やさずに見つめている。その限りなく優しい空気がとても心地よかった。
「佐藤さんには初心者のふれあいコースを担当してもらおうと思うの。プロを目指すとかよりもまず、純粋に音楽を楽しむ気持ちを育てていって欲しいのよ」
ロングスカートをなびかせてヒールのある靴をならしながら優雅に歩く音楽教室の講師の先生は明るいソプラノの声を響かせて扉を開ける。
「さ、皆さんが有希子先生の最初の生徒さんたちよ」
退院してから、遅めの就職に私は音楽教室の講師を選んだ。音大を出ているし、これだけ音楽が好きならと先生達は快く私を受入れてくれた。
「先生!」
「もう待ちくたびれたよ先生」
「遅刻よ有希子」
「有希姉、よろしくね」
「お願いします。有希子さん」
ピアノの前に座っていた沙夜ちゃんがいたずらな微笑みを浮かべて笑った。
「皆……」
「私達五人がお姉ちゃんの最初の生徒よ。音楽の楽しさ、しっかりと教えてね♪」
「任せて♪」
私は五人の生徒達の前に立ち、最初の授業を始めることにした。私の新しい一歩のために、皆の気持ちに応えるために、まず初めの楽曲は「みんなのうた」
「みんなのうた」完結になります。
長い間お付き合い頂きありがとうございました。