0編
――とりあえず、これまでの地球は終わりました
と説明されても、ボヤけた頭では何も入ってこない。
――まずは記憶を取り戻していただいて〇✕△□…………。
夢にしてはリアルな、けれど曖昧な場所で、誰とも分からない何かが勝手に喋っていた。
多くの人がその場でぼんやりと佇んでいる。立ったまま再び眠るのをなんとか耐えて、ゆっくり強めに瞬きをしていたら長そうな話は終わり、謎の存在は消えていた。
何か既視感がある。過去にもこうして誰かの話を聞いていて……早く終わらないかなと待っていて……
完全に死んでいた脳がようやく再起動を始めた。
ああ、私は女子高生だった、んだ確か……
眠い眠い眠い。泥の中にいる意識を何とか揺り起こし、たった今聞いたことを思い出す。
ええと……地球は……終わったからはじまる的な…………記憶は……戻るから戻してみたいな…………
以上だ。もっと情報はあったはずなのに眠すぎたのがいけない。どうしてスマホゲームの冒頭から何もかもSKIP連打のような事をしてしまったかと悔いても遅くて、もう前画面には戻らない。
まったく、ここはどこだろう?何もかもがよく分からず人々がぼうっとしているだけ。空が明るくなっていておそらく9時くらいではないだろうか。私がいつからここに立っていたのかも不明だが、まっとうに枕と布団で惰眠していたことだけは確かな記憶だ。
まあ身体も意識もあるみたいだし、世界が終わったと言われても実感はない。私は多くを望まないけれども、ただ猫のように丸くなって永く過ごすことができるならそれ以上の不満はないので正直どうでも良いことなのかもしれない。
それに……関わりとか面倒とか色々、この世の中には負い過ぎるとマズい事は無数にあると思うので。それらを察知した場合、いやむしろ察知する前からエコモードなのが私という人間だった……気がする。
別に思い出さなくてもいい記憶と共に、ようやく私の本名も強制的に再インストールされた。
私の名前は……「秋葉 ここあ」
途端に頭が痛くなった。「自分の名の副作用に対抗するための呪文」を唱えなければ耐えられない気がした。
……そう「名付けの方向性」と「生まれ持った性格」による半永久的な摩擦によって常に持続可能な葛藤エネルギーを生み出し続けてくれる、サステナブルでエコノミーでカカオニブなトールサイズの――
――ここちゃんっ!!ここちゃんっ!!
何百回も聞いた事があるような声が遠くから響いてきた。顔をそちらへ向き直すと視界が急に変わる。
――いつもの自宅のリビングと、カカオマスな名前を付けた張本人――私の母が現れ、身体全体を両腕でがっちりホールドされた。
「ああよかったっ!!何が起きたかと思っちゃった!!ねぇねぇいきなりヘンなところに行って怖かったんだよ〜、しかも戻ってもここちゃん全然いないからどうしよどうしよ!ってなって、でもお腹すいちゃったからさ♪とりあえず一人でパン食べてたっ!ここちゃんも食べるっ?」
浴びせかけられる熱量の暴力により脳がクラクラする。防衛本能的に対策マニュアルのようなものが自然と思い出されてきた。それをめくれば目次の前から大きく『第一に、この女にツッコミを入れてはいけない。過労で死ぬぞ』と書いてある。そして『いちいち過剰に反応するのも心身に負担をかけるから気をつけろ、死ぬぞ』という注意書きも補足として書かれている。
その上で今のお話を翻訳させて頂くとなるほど、どうやら彼女も同じ体験をなさっていたようで。
昨晩に何かがあって、いつの間にか妙な場所で説明を受けて、それで本名を思い出したらここへ戻ったのだろう。
しかし思う、この母は本当に本物なのか?あまりにおかしな展開なので単純に自分が長い夢を見ているだけでは?
いつまでもぎゅーっとしている私の母、秋葉 葉子(37)をいったん引き剥がし、まずは自分の頬をつねってみるが特に変わりはない。
「すごいっ!ここちゃんっ!私と同じ事してるよっ!そーいうのってやっぱり似るんだね〜♪かわいいかわいい〜♪」
それから目の前の「私と同じ顔」にも少し強めに捻りを入れて確かめる。ひゃん!ひゃめてよぉ!という年相応ではない悲鳴と反応が返ってきて深く嘆息した。残念ながらこれは夢ではない。
パジャマから普段着に着替えつつ思う、本当に不思議だ。こうして記憶がありながら、それらが絶対だという「いつもの重さ」がなくて。要するにぜんぶびみょうにふわふわしている。
――本当に、世界は変わったのだ。これまでの自分がいて、それでいて曖昧な。なんだか普段以上の寛容さが私を満たしている。
……そう、まるでドリンクバーでコーラとカルピスを混ぜたものにファンタメロンとオレンジジュースを投入されても全然構わなくて、さらに烏龍茶を足してみても楽しいよね?という人物に、自分がいつの間にか成り代わっていくような……
「ねぇ〜ここちゃんっ!お腹すいたからどこかに食べに行こうよっ!」
何もかも不明瞭な世界に最速で馴染んでいるこの女は一体何なのか。胃袋のパンはどこへ消えたのか?と呆れる間もなく手を引かれて彼女のリアルタイムアタックダッシュに付き合わされる。
「早く行こっ!外がどうなってるのか見たいもんっ!」
そう言って、彼女は玄関の壁にかけられていた車のキーをカバンに入れ…
待て待て。彼女はそもそも免許を持っていなかった。
もちろん運転をしたこともないし、それにこの家に車は…既に出現していた。
「すごーい!何か庭が広くなってるぅ!かわいい車もあるぅ!不思議だねっ♪何でも夢が叶っちゃうねっ♪」
どこかで見たことのある、小さくてクラシックな外車が拡張した庭にてドアを開けて待っていて……そして彼女は次の叶えたい望みを満面の笑みで告げた。
「一度ね、やってみたかったんだ♪ここあとドライブっ!」
静かに右足が後退する。17年間この女に付き合っていた気がするが、これまでになく水とビタミン剤を得たマグロのように暴泳している。社会的な死も純粋な死も怖くないのか?無敵の3歳児なのか?
「早く早く〜っ!ここちゃんおそい〜っ!」
葉子に手をぐいっと引っ張られ、シートベルトを締める前に自動でドアが閉まる。そして飛行機の離陸の瞬間のような浮遊感と共に車が、いや、景色が高速で移動しはじめた。
「見て〜っ!私、ぜんぜん触ってないのに勝手に動いてるよ!すご〜いっ!」
……この世の中で、自分にとって最も負い過ぎてはマズいものが常に目の前に在り続けるなら、一体どうしたらいい?
ただ一言「諦めろ」と、私に「もう一つの悟り」を授け給うたのはこの人だ。本当にありがとう。どうしようもない。
郊外から市内の大通りへと光の速度で飛び、前の車を次々と透過していく。生まれてはじめて運転席に座る葉子はコーヒーカップではしゃぐ女児。無駄にハンドルを左右に回して爆笑する様は狂気しかない。
「ここちゃん、こっち向いてよ〜!」
それに飽きたのか、今度はスマホを取り出した。絶対にピントが合っていない至近距離に対して私が手で撮影拒否を示すと、ぷぅ〜っとあざとく口を尖らせて「ざ〜んねん、これは動画だよ〜っ!」とイタズラ顔に切り替わる。そのムダに豊かな表情力が余計に腹立だしい。
――私の母、秋葉 葉子は、アイドルの仕事をしていた。
私と同じ17歳でデビューし、カリスマ的魅力と共に3年間という短い活動期間も相まって「伝説の歌姫」として知られている。YouTube上にある彼女の代表曲やライブの再生回数はチェックする度に伸びていて、本当にすごい人なんだと物心つく頃から思い知らされた。
けれど、本人的には不満があったようで。
自分の思い描いていたアイドル業と現実とのズレが相当な疲弊を生んでいた。結局、ストレスを嫌う彼女は人気が絶頂になった時、既に卒業を心に決めていたようだ。
葉子は電撃引退すると、元々仕事で知り合っていた人と結婚をして……その後はまたアイドルだった時と同じく「自分が想像していたものと違う」という精神的理由で私が生まれてからすぐに別れたらしい。
まぁね。この人はそういう「紙の契約事」に適合している人間ではないから。そもそも性質が契約どころかこの世に収まらない。残念ながら無理なのだろう。
悲しいことに、それは私にも当てはまる。誰か特定の人という風に「限定」をしながら毎日を送る事は…出来なくはないが、自由という点でかなり窮屈ではないか?と思ってしまうから明らかに同じ血が流れている。
……なんだ、割と中身も似ているのかもしれない。
元アイドルの母親にそっくりな顔形で、彼女とは決定的に違う「自身の性格」に関して悩みが絶えなくて。今だって葛藤している部分はある、けれど。もう昔ほどではない。
走馬灯のように窓の景色は流れていき、今さら気づいた。これまでの地球が終わったのなら、私の人生もとっくに後方へ過ぎ去ったのだ。
……高校生活の記憶は幼さばかりが思い出されて。
それでも学びや意思疎通を人並み目指して生きたと思うけれど、将来や未来となると「ある一つの子どもじみた疑問」がいつも内側から飛び出す事に戸惑いながらも抑えられずにいた。
そして、高校2年目の春休みの中頃を過ぎて想った。昨夜、はっきりと布団の中で想っていた。
――今年もまた春が来て、桜が咲いて、散って……
そうやってどうして、待たなければいけないの?
私は、本当に「もう一度咲くまで」と待ち続ける世界を望んでいるのだろうか?
その普遍的で狂っている積年の問いに対し私は返答をした。「純粋に嫌だ」と。
――「将来」なんていらない。
「いつか」なんていらない。
私は今、永遠に輝きを咲かせたい。
そう願った夜に不思議は起きた。何かが終わり、同時に始まり。こうして私たちは無免許ドライブを楽しんでいる。
「あ〜早〜いっ!あっという間に着いちゃうねっ!」
葉子は何かを待たないし、未来に恋焦がれたりはしない。偶然にも私たちは同じ車に乗り、同じ道を進んでいる。
私はスマホを取り出し、超高速スピードに揺られて叫ぶ元アイドルを無断で撮影した。向こうも気づいて撮り合いになるけれど、手ブレが過ぎて酷いことになってお互いに吹き出した。
「やだーっ!それ消してねっ!絶っ対送らないでねっ!」
あははっと笑い転げる母は、私と歳が近いくらい若返ったように見えて……というのは比喩ではなく……?
スマホから運転席に目を戻すと、そこには瓜二つの「わたし」が輝きの中で笑っていて。
……なんだこれ?
0編のあと前、中、後編と3つに分けています。




