EP06
濡れた足袋で畳を擦り歩く音、
引き摺る裾の音、
飾り簪の擦れる音――。
香苗はハッと目を開く。
うえから白い水仙の花びらが舞い落ちて来る。
甘い花の匂いの奥に、潮の湿った匂いが混じる。
目はまた増えてくる。どんどん広がる。
それは格子の向こうから。
香苗を取り囲むようにして。
寝室の障子がゆっくりと開いた。
暗い部屋の奥に、女が立っている。豪奢な着物の裾だけが見えた。
その瞬間、足元でぴし、と細い糸の切れる音がした。
香苗の素足の裏に、ひやりとした冷たさがにじむ。
まるで、浅い水の上に立っているようだった。
潮の匂いに水仙の甘い香りが濃く絡みついていた。
香苗は恐る恐る寝床の上を見た。
昨夜まで、天井に残っていた小さな蜘蛛の巣が、今はない。
ただ、枕元に、ちぎれた糸のようなものが落ちている。
髪の毛ほどに細く、白く透けた糸。
その傍らに、小さな蜘蛛が一匹、足を折りたたんだまま動かずにいた。
夫はまだ帰らないし、優斗もいない。
耳を澄ますまでもなく、何かが来る気配がした。
水仙の香りが、さらに濃くなる。
――しゃり。
――しゃり。
濡れた足袋で畳を擦る音が、部屋の外を横切った。
当然のように身体はぴくりとも動かない。
喉も閉ざされ、息が浅くなる。
閉じることを許されない目は、暗闇の中でぎらぎらと見開いたまま固定される。
そして移ろう部屋の変化を、ただ見守ることしか出来ない。
見慣れた木目の天井ではない。黒光りする格天井に変わっている。
見覚えのない金の意匠が、闇のなかで鈍く輝く。欄間に鶴の彫刻が施されているのも。
障子も違う。白い紙ではなく、向こう側の灯りをぼんやり透かす、赤みがかった和紙だ。
その向こうに、いくつもの影が揺れている。
障子の小さな破れからのぞく黒い穴が、すべて目に見えた。
木目も、畳の織り目も、欄間の細工の隙間も、みな目だった。
見ている。見ているだけで、誰も助けようとはしない。
次の瞬間、世界が……反転した。




