第43話 7年後
1559年3月
この世に来てから10年近くが経ったのかとふと思った。何が何やらわからない、気がつけばあっという間の出来事だった。
この時代に紛れ込んで、妻を娶ることもできた。嫁にきた南呂院は俺にはもったいないくらいに素晴らしい女性だった。聡明でいて明るく、誰にでも優しい女性だ。
未来で言えば土浦第一高校から筑波大学に進むような才女だろう。史実では、広綱が没してから政務を執っていた時期もあるのだから当たり前か。
とにかくそんな素晴らしい伴侶を得て、喧嘩もなく、穏やかな日々を過ごさせてもらった。その上、こんな俺を一児の父にもしてくれた。佐竹義昭の前で隠れて泣いたのが嘘のように幸せだった。
───すすんで他国の嫁を貰うことや良し
東関東を治める三家は、揃ってこの触れを出し、三国間の積極的な交流を促した。数年もすると互いに互いを罵るようなことも無くなった。
それは戦についても同様だ。俺たちの計画通り、関東から、正確には東関東から、領民が無駄死にする戦は消えて久しい。
ある日のこと、芳賀高定が神妙な顔をして俺の前に座っていた。いつものふざけた顔ではない。合戦前のような真面目な顔だ。
「家督を譲り、隠居させて頂きたく、お願い申し上げまする」
そうか.....この時が来てしまったか.....。
高定の隠居は早い。これも史実通りになったのだ。太平の世を成しても未来は変えられなかった。俺がどんなに頑張っても、それを嘲笑うかのように歴史が元通りに修正されていく。これもその1つ。無念でならない。
「広綱様に御世継ぎが生まれましたら、某はと、当初より思っておりました。お許しくだされ」
ずっと二人三脚でやってきた。高定との色々な思い出が溢れてきて、万感極まり、ごく自然に涙が溢れた。俺は流れる涙を隠そうともしなかった。
「高定っっ....世話になったっっ!!!」
「ぐっっっ、、勿体のうございます!!!」
引き留めることはしなかった。恐らくこれも、歴史が元の姿に戻そうとしている事象の一部に過ぎない。きっとどうにもならない。だいぶ前から分かっていたこと。
それから俺の心は荒んでいった。関東は平和なのに、だ。
俺が身を粉にして奮闘すればこの平和は続く。北条家を何度押し返したか分からない。長尾家に何度贈り物をしたかも覚えていない。
しかし、ただそれだけだ。俺の奮闘のすぐそばで、特に注意を払っていないことは史実通りに戻ってしまう。運命不変の理は、やるせなさを募らせ、俺の心を次々に病ませていった。
「広綱様!!!!急報にございます!!!」
「なんだ!!」
「桶狭間にて、今川義氏が討ち死との知らせにございます!!」
「そうか.....」
桶狭間が1年早いか。俺が歴史を弄ったことで、多少の誤差が出たのだろう。まあ、分かっていたことだ。いずれにせよ、関東に戦火が及ぶような話ではなさそうだ。織田なんぞ中央で好きに暴れていれば良い。
俺が興味を示さなかったのか、報せをもたらした兵は声量を下げた。
「今川を討った後、松平軍は今川領の西半分を切り取ったとのことにございまする」
「...........今なんて言った?」
「は?」
「松平軍とか言わなかったか?織田軍の間違いだろう?」
「い、いえ。松平軍にございます」
俺は思わず、箸を落とした。
どう言うことだ?松平ってあの松平か?今川家で人質になっていた松平?徳川家康の?それがなんで桶狭間で今川を討つんだよ。
「いや、何かの間違いだろう。報告は正確にな」
「はっ......」
イライラしてきた。大好きな餃子もなかなか喉を通らない。
「急報にございます!!広綱様、急報にございます!!!」
「今度はなんだ!!」
「北条・松平軍が唐沢山城を5000の軍勢で攻め落とし、壬生城に向かっているとのことにございます!!!」
「な、なんだと?!!」
意味が分からず俺は駆け出した。兵をありったけかき集めて壬生城に向かえと家臣たちに指示を飛ばしながら。
何かの手違い、伝達誤りであって欲しいと願いながら。
*****
俺の希望は見事に打ち砕かれた。
聞けば、改修工事をしていた唐沢山城に松平の手勢が潜り込んでいたらしく、深夜に少数精鋭で制圧されてしまったようだ。佐野家当主・佐野泰綱の逝去に合わせた電撃的な作戦だったらしい。
その上、城内に設置していた多数の化学兵器も奪われてしまった。皆川城は大砲の的にされて陥落。那須衆は割れて戦力にならず、小山高朝は嬉々として宇都宮家に槍を向けた。
恐らく綿密に練られた作戦だったのだろう。下野国が割れるように調略されているとは.....。
たかが5000の敵兵も、こうなっては大軍に思えた。兵をぶつけてみれば、宇都宮軍は負け、俺は捕縛されてしまった。
今こうして松平元康の下に無様にも転がされているのがその証拠だ。
「貴様が宇都宮広綱か?」
「そうだ」
「ふん、どこからどう見ても薄汚い平均的な下野顔をしているな。こんな輩が松平家の関東を我が物のようにしていたとは、反吐が出るわ」
「松平家の関東だと?何様のつもりだ」
「いいや、関東は元より松平家のものだ。上野国を祖とする松平家が脈々と陰から支配し、来るべき時のために準備をしていた聖域よ。それを貴様は土足で踏み込んだ」
「はい?」
「ははは。俗人には分からんか。松平家が今後1000年の栄華を極めるための礎が必要なのだ」
「礎だと?」
松平元康の、狸のような顔が醜く歪む。
「そうだ、礎だ。関東は、隣人同士が憎しみ合い、殺し合い、雄を作らせぬよう大国に蹂躙させ、覇が叶わぬよう大国同士に争わせる、血塗られた不毛の土地にするのよ。未来永劫に渡るまでな。そうして松平家は繁栄するのだ」
「馬鹿かこいつは、意味がわからん」
「まあ、貴様如きには理解できん。とりあえず死ね。貴様が後生大事にしているものも全て破壊し、俺が奪ってやる」
「や、やめろ.....」
「ああこれが、お前が作ったという餃子か」
傍に控えていた家臣が差し出した餃子を、それはもう美味しそうに食べる松平元康。溢れ出る肉汁に驚きながら、これを浜松の名産にしてやろうなどと言っている。
「くっ、餃子には手を出すな!!おのれ......浜松め!!」
「俺が死んでも未来永劫、下野国に呪いを掛けてやる」
「な、なんだって?!日光東照宮にそんな意図がっっ!!」
なんだこれは、とんだ三文芝居だ。
全くもって馬鹿馬鹿しい。ああ、身体がふわふわして来たし、夢っぽいな。夢なら早く醒めてくれないかな。胸がムカムカする。こんなイカレた夢、久しぶりに見たわ。
そんなことを考えていると、松平元康の後方。居並ぶ松平家家臣たちに紛れて、長尾景虎が居ることに気がついた。見つけてくれと言わんばかりの圧倒的な存在感を放っており、すぐに気がつくことができた。
「な、なんでお前がそこにいるんだ.....関東で乱取りなんてしなくて済むように、あれだけ散々、カネや食い物を送ってやったと言うのに。武田と戦っている時に、北条家を牽制し続けてやったと言うのに!!!くそっっ、この恩知らずめ!何が軍神だ!!卑怯者め!!!」
俺が叫んでいる間、景虎は無表情で俺を見つめ、口を動かして何かを伝えようとしている。
なんだ、何が言いたい?
「これが....?なんだって?」
その時、身体がフワッと宙に浮いたような感覚がした。
ああ、やっぱり夢だ。本当にクソみたいな夢だった。





